ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

胎息は誰でもができる素地はあります

2008-10-18 19:25:31 | 胎息
 胎息とは、肺呼吸を伴わない気の呼吸をいいます。 そのためには、お臍のちょおと下にある臍下丹田が、活性化している必要があります。 そのためには、生来、意識することがなかった呼吸を、ゆっくり吐くこと、吐く息に意識を集中することが必要です。

 別に、胎息ができなくても、生きていくことはできますので、できなくてもよいのですが、もともと私達は、お母さんのお腹の中に、胎児として存在していたとき、胎息を行っていたのですから、呼吸法を行うことによって、本来持っていた機能を、回復することができるのです。 決して特別なものではないと、私自身は感じています。

 静かに暗闇の中で坐禅をしていなくても、いつも体の中を循環する気が、脳細胞を刺激するのを感じながら、日常生活をすることになります。 坐禅を行う中で、広大な宇宙の中で、自分ひとりがぽつんといる「無」のイメージをするとき、耳がキーンとなりますが、座禅を行わなくても、いつも「キーン」とや「シーン」となる感覚になることになります。

 目には見えないが、自分自身で感じることができる、宇宙に無尽蔵にあるとされる気ー正体不明の素粒子を、感得できるのです。 また脳を刺激する感覚を楽しみます。 ちょっと遅すぎますが、もうこれ以上は、毎日死滅する脳細胞の数も、数十万個から数万個単位に、減少しているに違いありません。

 そんなことを、一人静かに深夜に行う坐禅の雑念の中で、考えたりして楽しみます。