建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

日本の建物づくりを支えてきた技術-23の付録・・・・古井家の「貫」から「貫工法」を考える

2009-02-03 08:00:00 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

[文言追加 8.30][註記追加 12.25][文言追加 2月4日 9.41、9.56][文言訂正 2月6日 11.02]

先に(1月29日)、「浄土寺浄土堂」の架構は、「貫工法」と言うよりも「差物工法」と言った方が分りやすい、との旨書きました。
その理由をもう少し詳しく言えば、いま一般に、「貫工法」というと「貫+何らかの壁」というように理解されがちなのに対して、「差物工法」と言えば、壁の有無に関係なく「差物」をいわば主役として考えられるからです。

1月29日の記事(下註)では、16世紀末:室町時代末の建設と考えられている兵庫県の「古井家」の架構でも、「浄土寺浄土堂」と同じように、壁塗りなしで「太目の貫」「飛貫」だけで架構を固めていることを紹介しました(外周にはいわゆる「貫+壁」のところが多少あります)。

   註 「日本の建物づくりを支えてきた技術-23」

そこで、簡単に「古井家」の架構を、上掲の写真と平面図・断面図で、「太目の貫」「飛貫」に焦点をあてて紹介します。
写真、図とも「重要文化財古井家住宅修理工事報告書」から転載、編集加筆しています。

平面図の灰色を掛けてある部分は「下屋」にあたる部分です。
断面図で色を付けてある部材が「貫」「飛貫」です。それ以外の「貫」には色を付けてありません(床面の位置には、「足固貫」があり、外周の壁に「貫+壁」のところがあります)。

写真①は、「にわ」(土間)から居室部:「おもて」「ちゃのま」:側を見たところ。
写真②は、同じく「にわ」から「ちゃのま」を見ています。

「にわ」と「ちゃのま」の間は隔てがなく常時つながっていますが、「おもて」へは板戸1枚があるだけの板壁で仕切られています。ただ、鴨居から上は抜けています。なお、鴨居は「貫」の下に別途に設けられています。

写真③は、「ちゃのま」から「にわ」を望んだもの。

柱寸法は、「上屋の柱」(「おもて」や「にわ」の室内に表れている柱)が平均して約16.5cm(5.5寸)角、「下屋の柱」(建物外周壁の柱)は約12.7cm(4.2寸)角。太さには1本ごとかなりの差があります。

「上屋」の「梁」や「桁」は、ほとんど「柱」と同寸程度の材が使われています。
このような細身の材で屋根が組めるのが「又首(扠首)組:さすぐみ」の利点・特徴です(原初的なトラス組にほかなりません)。
なお、「又首(扠首)組」の中央に「束」(「真束」のように見える)がありますが、桁行断面図で分るように、これは「又首」通りに入っているのではなく(つまり「真束」ではなく)、「棟木」を支えているだけです。[文言追加 8.30、再追加 2月4日 9.41]

「柱」材はクリ。「梁」「桁」材は主にスギ、一部ツガ、ヒノキです。

「貫」は、平均して11.6×5.3cm(約3.8寸×1.8寸)程度。
幅は平均柱径の約1/3にあたります。かなり太目の材です。材料はスギ。
直交する場合は、写真のように、段差を付けて、同レベルでの交叉を避けています。
この材に「胴張り」を付ければ(あるいは「胴付き」を設ければ):たとえば本体を11.6cm角にして端部を柱に差すように刻めば:「差物」になります。

そして実際、「にわ」~「ちゃのま」境の「内法貫」は11cm×7.4cm(3.6寸×2.4寸)ほどあり、この「貫」は、写真②の右手の「上屋の柱」を貫いて「下屋の柱」まで通っています(写真に3.6寸×2.3寸とありますが、誤記です)。

上屋柱は、ここでは14.8cm(約4.9寸)角、下屋の柱(外周の柱)は15.8cm(約5.2寸)角です。
その方法は、上屋の柱の左(内側)で「貫」の片面を2.4cm(0.8寸)ほど削り取って幅を5cmほどにしぼり(つまり、材の片側に2.4cm(0.8寸)の「胴付」を設けたことになります)柱を貫き、下屋の柱へ繋いでいます。「差物」にかなり近い寸法・仕様です。

下屋の柱の「貫穴」は、「貫」の全寸法(11cm×5cm)があけられていますが、「貫」は、その高さの下半分5.5cmだけが貫通しています(「下小根」)。したがって、上半分には「埋木:楔」が打込まれます。これはまったく「浄土寺浄土堂」の方法と同じです。

これと同じ仕様の梁行方向の「貫」(「内法貫」)は、この部分のほかに、平面図でいうと、「うまや」と「にわ」の境の通り、「ちゃのま」と「なんど」境のとおり、の計3箇所に入っていて(桁行断面図〇印[文言追加 8.30])、これと、桁行棟通り:「おもて」と「ちゃのま」「なんど」の境の通り:に設けられた「内法貫」および「にわ」部分の「飛貫」(「内法貫」の上に設けてあります:写真、桁行断面図参照)とが、この建物の架構の重要な役を担っているのです。
ただ、各貫の材寸は報告書にはありませんが、多分、先ほどと同程度の寸法かと思います。

「継手」は、現在も普通に使われる方法:柱内で「略鎌」で継がれています。「楔」は「楔型」:三角形をした材を、柱ニ方から打っています。
下註の「石川県、那谷寺書院・庫裏の小屋貫の継手」に同様の方法がありますので参照ください。

   註 「報告書」が継手について触れていないと書きましたが、
      それは、私の見過し。
      修理工事の仕様に、「柱内で略鎌」と明記してありました。
      上記のように文言を訂正します。[文言訂正 2月6日 11.02]

   註 「日本の建物づくり・・技術-19の補足・・・・通称『略鎌』」参照

かつては当たり前であった「小舞土塗壁」は、「貫」の上に小舞を掻き、土を塗るものでしたが、戦後の「建築基準法」は、この仕様は耐震性がないとして、いわば禁止に近い状態に追いやってきました。
ところが、最近の「建築基準法」の変更で、「小舞土塗壁」も「耐力壁」として認められるようになりました。

   註 何と半世紀以上も、認められていなかったのです!
      その結果、左官業は衰退してしまいました。
      それはすなわち、日本の文化の衰退でもありました。
      法令変更に際して、それへの「責任」と「謝罪」は
      まったくありません。[2月4日9.56 追加]
     
     
けれども、ここで留意しなければならないのは、この「変更」で認められているのは、あくまでも「貫+小舞土塗壁」である、ということです。

つまり、「土塗壁」のない「貫」だけでは、あいかわらず耐力は認められていないのです。

   註 1990年に「貫」に面材を張った壁を真壁仕様の「耐力壁」に認定。
      2003年に「貫」+「小舞土塗壁」を真壁仕様の「耐力壁」に認定。
      なお、この場合の「貫」は、90mm×15mm以上と規定。
      ゆえに一般には15mmが使われている。[註記追加 12.25]

しかし、昔の工人たちは、「貫」工法そのものの効能を知っていて、その上に塗る「小舞土塗壁」は、彼らにとっては「プラスα」にすぎなかった、と考えてよいように思えます。
それを如実に示しているのが、「浄土寺浄土堂」であり、「古井家」の架構法なのではないでしょうか。

つまり、「貫工法は、その上に面材を張ったり、小舞土塗壁を塗ったりしてはじめて効力が得られる」という考え方から脱しないと、「貫工法」を理解したことにはならない、と言ってよいでしょう。

簡単に言えば、「貫」だけで、かならずしも「壁」をともなわない「東大寺南大門」や、清水寺の舞台:いわゆる「懸崖造」をこそ「貫工法」の典型と考える、ということです。

   註 「斜面に建てる・・・・懸崖造」

いわゆる「差物工法」は、その「典型」が発展し「編曲」された方法である、と見なすことができるのです。
それゆえ、その工法でできた軸組の隙間に充填される壁は、それがどのような仕様であれ、「プラスα」なのです。

そして、「プラスα」だからこそ、かつての工法による日本の建物は、壁をはずして開口にする、などという改造・改修が行えたのです(現在の「耐力壁に依存する在来工法」や「2×4工法」では、改造・改修はほとんど不可能です)。

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3 コメント

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これからも楽しみにしております (元教え子)
2009-02-05 21:33:10
筑波の元教え子です。今さらですが下山先生のブログを本日初めて発見し、拝見させていただきました。もっとはやく知っておきたかったという気持ちですが、これから、あらためて今までの文章を毎日すこしづつ読破させていただこうと思います。
最近の改正建築法等に踊らされる現状や、自身の勉強不足も含めて、悩みの尽きない日々。その中でこのブログに出会えたことは、運命のようなものを感じております。まずはこの文章に出会えただけで、少しだけ気持ちが晴れたような気がします。
つくることの原点をあらためて学び直すため、これからは頻繁に訪れたいと思います。今後の更新もとても楽しみにしております!
本文と関係ないですが (パウロ)
2009-02-06 02:34:23
先ほどこんなのを見つけました。
『地域木造住宅市場活性化推進事業の公募について』
http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/mokuzou/H21chiikikoubo.html

 2の合理化というのが現代の言う「早さ」(技術力関係無し)における効率ばかりを見るようなものにならないか心配です。
 また、『活性化』というのもなんとなく引っかかります。活性化も何も木の成長は早くなるわけでもないですし、ちゃんとした製材だって本当は乾燥だけで十年単位と聞きますし、不安です。
コメント御礼 (筆者)
2009-02-06 09:12:36
「元・・」さんへ
建築法令は、いい建築が生まれるためのものではなく、「偉い人」たちの権益を護るためのものになってきています。「瑕疵保険制度」は、自分たちに「責任」がまわってこないための予防策であり、同時に、自分たちの天下り先を増やす「効果」もあります。「民間確認機関」には、どれだけの「偉い人」が天下っていることか・・!
しかし、これはもう末期的症状。
専門家だけではなく、皆が皆、ものごとの、たとえば建物づくりの、「事実」「真実」を知ったとき、王様の耳はロバの耳、と自信をもって言えるようになるはずです。「偉い人」たちの精神的にハダカの様も見えてくるでしょう。
私たちは、皆で「事実」「真実」を知るように努めればいいのです(勉強という言葉はきらいなので使いません)。
そのためにこのブログも少しはお役に立てれば、と思っています。

「パウロ」さんへ
「偉い人」がおせっかいをやめたとき、自ずと「活性化」します。
皆の気持ちが「活性化」していれば、自ずと「活性化」します。
残念ながら、「偉い人」たちは、皆の気持ちを萎縮させることばかりやっているのです。彼らの精神の貧困さの故だと考えてよいでしょう。彼らの精神のハダカさ加減にベールをはがして陽をあてましょう。

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