観察、認識、そして「分る」ということ-1

2010-08-11 00:10:35 | 論評


7月半ばから咲き出した百日紅。去年よりもかなり早く、今は盛り。これから9月まで、猛暑のなか、息切れすることなく咲き続けます。

◇状況・情況  [註3追加 11日6.50][文言追加 9.59][註記追加 14日 18.53]


これまで、日本の建物づくりの様態について、いろいろな書き方で書いてきました。
私自身、まだ知らないことがたくさんありますが、いろいろと知り、分ってくるうちに、より強く「別の感想」を抱くようになりました。

それは、これまで、多くの「本当のこと」が、「世の中に知らされていない」、「知らされて来なかった」(今の言葉で言えば「開示」されて来なかった)、ということに対する「驚き」の感想です。
そして、「開示される」ことがあるとすれば、一部の方々による、その方々の「特権」としての、きわめて局所的・部分的な「知識」が、あたかもそれが全容であるかのように語られてきた、そのことに対する「驚き」の感想です。
さらに、それを聞いた一般の人たちが、それを鵜呑みにして平気でいる(自ら「知ろうとする」ことを省略している)、そのことへの「驚き」の感想です。

そしてさらにまた、このような「不条理」について、誰も、どこからも異論が出されていない、ということに対する「驚き」の感想でもあります。 

   註 この「風潮」は、敗戦後顕著になったように、私は思っています。
      戦後、戦前以上に、もちろん江戸時代以上に、
      「封建的社会」になってしまったのではないか。
      私たちは、たとえば「三寒四温」「雷三日」・・など
      天候に関する「言い伝え」を知っています。
      これらは、皆、私たちの先達たちが、日常の暮しの観察を通して得たものです。
      私たちは、今、こういう「観察」をしているでしょうか?
      こういう「言い伝え」を後世に残せるような「認識」を得ているでしょうか。


そしてまた、建築にかかわる方々には、「本当のこと」を知ろうとする方が、少ないのではないか、とも思いました。
しかしこれには、あくまでも多少ですが、理由(わけ)があります。
建築にかかわる方々は、日常の仕事を続けるにあたって、「本当のこと」を知る必要を感じるヒマもなく「建築法令」の諸規定にがんじがらめに縛られているからです(まるっきり知る必要を感じない方々も大勢居られますが、・・・)。
簡単に言えば、こうするのがよりよいだろう、と思うことが、法令の諸規定ゆえにできないのです。
いまや、「建物の設計とは、建築法令の諸規定に適合させること」に変容してしまった、と言っても過言ではありません。
これが先般お寄せいただいた方の、「日本は法治国家だから・・・」、というコメントに連なるのだと思います。

さらに言えば、建築士とは、「建築法令の指示する諸規定の単なる具現者」に過ぎなくなった。
それゆえに、その「意味」を省みることなく、「新しい、他とは異なる『形』」をつくることに精を出す以外にすることがなくなってしまった・・・・。あるいはまた、そういう状況を、むしろ、甘んじて受け容れている・・・。その方が、うまく世の中を渡ってゆける・・・。

こういう状況を最もよく表しているのが、「建築家」のつくる建物群であり、いわゆる「住宅メーカー」のつくる建物群であり、そして都会にそびえるビル群であり、そしてまた、あちらこちらで見かけるようになった「耐震補強」を施された建物群・・・と言ってよいのではないでしょうか。

これらは皆、「建築法令」の「指導」に従っている法治国家の模範的建築群。
そしてまた、皆、建物をつくること、建築の本義をどこかに忘れてきたとしか、私には思えない建物群。
その「不条理」についても、誰も、どこからも異論が出ない・・・。甘んじている。

   註 終戦直後、1950年代の建築雑誌は(たとえば「新建築」誌は)、
      今のようなファッション誌ではなく、
      確固とした編集者の信念・思想の下で編集され、
      まさに談論風発、緊張感がありました。
      これからどうしたらよいか、皆真剣だったのです。
      建築評論家も、今のような「有名建築家のお先棒担ぎ」ではなく、
      本当に評論をしていました。


木造建築の場合、「長い歴史をもつわが国の建物づくりの技術・技法・工法」は、ここ約1世紀の間の「指導」によって、ほとんど使うことができなくなってしまいました。
その「指導」とは、現行「建築法令」の「論拠」となっている理論構築者たちによる「指導」であり、具体的には、「建築法令」に基づいて為される行政による「指導」です。

そこでは、「長い歴史をもつわが国の建物づくりの技術・技法・工法」と「その拠って立つ考え方」は、「いろいろな理由」により、まったく無視・黙殺されてきました。
その「理由」の最たるものは、「非科学的」である、ということに尽きるでしょう。
当然、それに対する「抵抗」はありましたが、いつも「非科学的」として、これも無視されてきました。

しかし、そういう「抵抗」の火を、理論構築者や行政は、その「指導」だけで消すことはできません。
なぜなら、建物づくりの実際は、理論構築者や行政が行なっているのではなく、「実業家」が行なっているのであり、
もちろん現在ではすべての「実業者」がそうであるわけではありませんが、
かなりの方々は「長い歴史をもつわが国の建物づくりの技術・技法・工法」の延長上で仕事をしているからです。

   註 「実業家」とは、今の言葉で言えば「職人」あるいは「実務者」のこと。
      明治の頃は、こう呼んでいたようです。
      私は「工人」と呼ぶことにしています。

そして今、「政権」が代ってから、急に「長い歴史をもつわが国の建物づくりの技術・技法・工法」でも建物づくりができるように「建築法令を見直す」、という動きが出てきました。
多くの方々が、この「動き」を「歓迎」しているようで、多くのブログ、とりわけ「いわゆる伝統工法」を旗印とする方々のブログからも、「歓迎」の声が聞こえてきます。
なかには、これまでは東大系が主導してきたが、今度は京大系、だから期待する・・・などという意見も、かなり見受けられます。先般コメントを寄せられた方もそのように見受けました。

しかし、私は、私の見て知るかぎり、東大だろうが京大だろうが、やっていることの根っこは同じ、と見ています。
もっと端的に言えば、「建築法令」で「建物づくり」について、こと細かに規定する、規定しよう、ということ自体、すでに「論理的に、また scientific に」間違いである、誤りである、と思っています。
「実験」を行なうなど「科学的」な装いをとってはいても、そのこと自体、全く non-scientific、non-sense だからです。

そして、それが non-scientific、non-sense であることについて、誰からも、そしてどこからも、異議一つ出されない、この不可思議。
そしてまた、その「結果」を待ち望んでいる人たちが多く居る、という不可思議。
さらに言えば、それを不可思議と思うことが、「非科学的」であるかのような世の中の風潮の不可思議。
これでは、「気が弱い人」は、何も言えなくなってしまうのです。

これについては、もう何度も書いてきましたが、こういうことにお終いはありません。今後も何度でも書きます。そして、異論のある方は、どしどし反論してください。

   註1 これまでもそうでしたが、ここでも、
       「科学的」という語と、scientific という語を区別して使います。
       すべて日本語で通したいのですが、そうすると誤解が誤解を生むからです。

   註2 「京大系、だから・・・」云々というような「判断」は、
       ものごとを、ことの当否ではなく、
       かかわる人の「色」で見てしまう、「色眼鏡」をかけてものを見る見方。
       つまり、non-scientific の典型。

   註3 もちろん、現行建築法令の構造規定が変り、
      「長い歴史をもつわが国の建物づくりの技術・技法・工法」が、
       自由に使いこなせることになることを、私は否定しているのではありません。
       そうではなく、「見直し」によって、「長い歴史をもつわが国の建物づくりの技術・技法・工法を、
       使えるような『規定』に変更すること、を求めること」がおかしいと言っているのです。
       どうして「規定」が欲しいのですか。
       「長い歴史をもつわが国の建物づくりの技術・技法・工法を使えるような規定」がないと、
       つくれないのですか。
       それは、自ら自分の首を絞めるようなものだ、と私は思うのです。

       「技術」は、「規定」の海のなかでは停滞します。
       「建築法令」の下で、「技術」に何らかの展開がありましたか?
       私の知る限り、あるとすれば、諸種の金物の「開発」など、
       「建築法令の規定」をクリアするための《技術》だけではありませんか?
       「建築法令という掌」の上で、遊んでいるだけではありませんか?
      
       「建築法令の見直し」とは、「新たな規定」をつくることではなく、
       「その拠って立つ『考え方』を見直すこと」でなければならない、と私は考えます。

       この私の考えに対して異論・異議があれば、是非お聞かせください。[註3追加 11日6.50]

           
私はこの「風潮」を、「大政翼賛会」的風潮と考えています。
別の言い方をすれば、大樹に拠りたいという風潮。
註で書いた「東大系だから、京大系だから・・・云々」というのもまた、「大政翼賛会」的発想の裏返しに過ぎません。

   註 大政翼賛会
      大政翼賛会と言っても、知らない人が多いかもしれません。
      1940年(昭和15年)、つまり、戦争を始める年の1年前の10月に、
      時の内閣によってつくられた人びとすべてを政府の下に「統制」することを意図して設けられた組織。
      1945年(昭和20年)まで続く。
      一部の政党を除き、政党は解散。
      「隣組」もその末端組織。
      江戸時代の「五人組」をいわば悪用したと言ってよい。
      江戸時代には、これほどまでの「思想統制」はなかった。
      敗戦時、私は8歳。国民学校3年。それでも、その「暗い」空気は覚えています。
      そして、手のひらを返すがごとき「大人」の行動も・・・。
      「国民学校」とは、ナチスドイツにならって小学校を改称した名称。[註記追加 14日 18.53]
  
たとえば、先般の参議院議員選挙で、政権党は敗北。それをして「衆参」がねじれる、として大方のメディアが「心配」した。
そんなに一党独裁がいいのか、私はそう思いました。
戦前の「大政翼賛会」的発想から、敗戦後65年、まったく抜けていないではないか・・・、と。
世の中にはいろいろな考え方、意見があるのがあたりまえ。それが反映されない選挙制度自体がおかしい、と私は思います。
一票の格差だけを問題にするのも、私には、「大政翼賛会」的発想の裏返しに過ぎないと見えてしまうのです。
どこであったか忘れましたが、わが国のメディアの言い方で言えば「少数政党の乱立の結果」、優位に立つ政党がなく、それら少数政党の連立で政治が行なわれている国があったはずです。
私は、むしろそれが「正当」だと思うのです。


ところで、最近の(2000年の)建築基準法の「大改変」(私は「改訂」という語を使いません。改訂とは「改め直すこと」、「改める」には「よい方向に変える」というニュアンスがあり、よい方向に変ったと私は思わないからです)で大きく変ったのは、それまでの「定量規定」が「性能規定」に変ったことだ、と説かれてきました。

この用語は、これまた誤解を生みます。なぜか。
今までは定量規定だったがこれからは性能規定だ・・・。
この用法から、人は「定量」規定が「定性」規定に変った、と思わず思います。
しかし、それは「誤解」。
「性能規定」とは、「性能」なるものを「定量規定」として「数値」で示したもの。

私は、「性能」を数値化して示す、などというのは、偏差値教育で育った世代、市場原理主義に染まってしまった世代に特有な発想に拠るものだ、と思っています。
別の言い方をすれば、何でもランク付けしないといられない世代の人たち。何でも一番を目指せと、その比定の根拠を問わずに、思ってしまう人たち。
数値とランクという色眼鏡を掛けてものを見ていながら、それが色眼鏡ではない、公平無私な眼鏡だと思っている人たち。
数字で示されないとものごとを「認識」できない人たち。
数字で示されないものは、「存在しないものである」と思いたがる人たち。[文言追加 9.59]
そしてそれをして「科学的」だと思い込んでいる人たち。
つまり、scientific なものの見方ができない、できなくなった人たち。・・・

では、「性能」とは何か?彼らは何をもって「性能」と言っているのか。
次回は、これ「ネタ」に考えたいと思います。

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3 コメント

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ひとりでたつ (mirutake)
2010-08-12 01:40:59
はじめまして、やっとメールしています。
下山先生のおっしゃることの精密さが、やっと明確に受けとめられ、まともに感じられるようになってきました。ですからメールいたしました。
先生は何者にも頼らずに、一人で立っておられることを感じております。
真理は、その領域を継続して探求し続けてきた単独者だけが、確かな物を掴んでいるのであって、官僚や御用研究者やその法ではない、と言っていた人がもう一人いたことを思い出しました。
また官僚と実務家が一緒になって、法が何処までを規定すべきかを語り合いながら、施行していた時があった、と言っていました。これは著作でも言っていたと思います。「免震の真実」。
この方は免震工法の生みの親である多田英之です。姉歯問題が起こった時に、ビデオニュースドットコムというネット配信番組に出られて、発言していました。
http://www.videonews.com/ondemand/0251251260/000655.php
確か数値化するから駄目なんだと、個人だけが責任を取れるのだと。今の世の中から言ったら、なんて奴だと思われちゃいますよね。組織、会社、国家、法だけが責任を取れるとみんな思っているのですから。このときにも真理というものはこういうものかという感動と、責任の空恐ろしさ、法治国家官僚社会の空しさ、とてもじゃないけど自分はそこまで行けないと言うことを感じたのでした。
ただこういう事が本当のことだと言うことだけは考えて続けて行こうと思ってはいます。

下山先生のブログに出会ったのは全くの偶然です。
筋交いが木構造にとっては間違いなのだと言う発言に驚き、今まで私のやってきたことを否定する羽目になるのかと思ったものでした。ここで普通は逃げちゃいますが、木造からもう離れていたこともあって、もっと知りたいという方に、先生の講座を受けたいと言うところまで行ったのでした。「廻り」の同僚の反応は冷たいものでした。先生のお考えを廻りに開示していくことはとても難しいことです。一回目の講座で先生は周りの人たちに知らせてくれ、とおっしゃいましたが。普通者は無理ですよ。

今日はこの辺で失礼します。一ファンより。
                 100812
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急がないでください (筆者)
2010-08-12 06:10:59
風にあおられるすだれを留めるため早起きをして読ませていただきました。
コメントありがとうございます。
また、講習会にお出でいただいているとのこと、ありがとうございます。

私は、性分として、どこか腑におちない、と感じたら、それには理由があるはずだ、何故だ・・・、そういう考え方を続けてきただけです。
敵を倒してやろう・・・、などというのが先にあるわけではないのです(結果としてはそういう形にはなりますが・・・)。
ただ、そういう「性分」を続けてきてみたところ、意を同じくされる方がたくさんおられるのだ、ということが分ってきました。このブログに寄ってくださる方の多くもそうなのだと思います。
その多くの方々は、おそらく、思っているものの、いろいろな理由で、いわば言うにも言えない、と思われているのかもしれません。貴下が書かれているように、まわりは「冷たい」からです。
しかし「それであたりまえ」な世の中なのです。けれども決して0ではないと、私はこれまでの経験で思っています。

こういう話は、分っていただけるまでに、時間がかかる、それであたりまえ、ましてやこういう世の中なのですから・・・、と私は思っています。
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蛇足 (筆者)
2010-08-12 08:28:15
コメントに《組織、会社、国家、法だけが責任を取れる・・》という文言がありました。
現実は、組織、会社、国家、法がて「責任」をとったことは、いまだかつてありません。「組織・会社」が、責任をとらなければならぬという事態に陥ったとき、多くの場合、事態を「隠蔽」することに走ります。
そして、「国家、法」は、「法を《改正》して」済ませます。
新耐震基準なるものの制定がそれです。
例の偽装事件でも、ウヤムヤのまま。姉歯氏にシワヨセして、建築士の定期講習をつくっただけでした(しかも、大学教員、行政マンは受講の要なし・・・)。
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