上の写真は、本題とは無関係。お喋り中のスズメたち。
「リベラル21」というブログhttp://lib21.blog96.fc2.com/にときどき寄る。
1月19日に、坂井定雄氏(龍谷大学名誉教授)によって、雑誌「世界」09年11月号に寺島実郎氏が寄稿した論文が紹介されていた。
これからの日米関係についての論文であるが、その冒頭の次の一節が私には強烈であった。
『中国の作家魯迅は、20世紀の中国について、植民地状況に慣れ切った中国人の顔が「奴顔」になっていると嘆いた。
「奴顔」とは虐げられることに慣れて強いものに媚びて生きようとする人間の表情のことである。
自分の置かれた状況を自分の頭で考える力を失い、運命を自分で決めることをしないうつろな表情、それが奴顔である。』
論文は、以下のように続く。
『普天間問題をめぐる2009年秋からの報道に関し、実感したのはメディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する「奴顔」であった。日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、それに変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない』
『この間まで「インド洋への給油活動こそ日米同盟の証であり、これがなくなれが日米同盟は破綻する」と言っていた人たちは、今度は「普天間問題で日米合意をそのまま実行しなければ、日米同盟は亀裂する」と主張しはじめた。また在ワシントンの日本のメディアにも「良好な日米関係破綻の危機迫る」との発信しかできない特派員が少なくない。』・・・・
論文の表題は『常識に還る意思と構想―日米同盟の再構築に向けて』
「常識」で考えれば、寺島氏の説かれることが「あたりまえ」、まったく同感である。某新聞の、「駐日米大使が顔を真っ赤にして怒った」という《想像・創造記事》は有名だ。
しかし、「奴顔」は何も日米関係の問題だけではなく、昨今の日本の各界に共通する現象ではないだろうか。
世に蔓延するのは
◇「長い物には巻かれろ」という「処し方」
◇「前例」に唯々諾々として従う「処し方」
◇当面、コトを難なく処理するのがカチという「知的怠惰」
◇すべからく外からの「指示」「指導」「指針」の提示を待ち
「自分の置かれた状況を自分の頭で考える力を失い、自分で決めたがらない」思考(?)
◇「数字」へ縋ればよいとする「数字こそすべて信仰」。
・・・・・・・・・・・・
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全てを読むことはまだできていませんが
いつも目からうろこがおちる想いです。
今回コメントしたのは「数字こそすべて信仰」にピンときたからです。
まさに 数字(データ)があると正しいと思ってしまうという事に疑問を抱いていました。
数字が正しいのか否かをまず考えるべきなのに....自分で考えるということをしていないからですね。「回答」のみを求めることも含め 最近の教育の問題かと思っていましたが
もっと根の深いことなのかと感じます。
拙い文章でお恥ずかしい限りです。
建築に携わる者としてもこれからも
様々な内容のご教示 楽しみにしています。
数字でモノを語らなかった時代、実に見事な構築物がつくられています(失敗も数多くあったようですが)。19世紀末から20世紀初頭のころです。
皆が、机上ではなく、実際にものをつくる「現場」で考えたからだと思います。
最近の方々は、そのころのものを学ばなくなったような気がします。
我が意を得たりです
今日の耐震設計法形成に大きな影響を与えたと言われる大森房吉博士(地震学者、東京帝國大学教授)は、1906年(明治39)台湾地震調査報告の中で、「・・・(略)構造物を耐震的ナラシムルニハ、(甲)地震動ヲシテ成ルベク構造物ニ破壊的作用ヲ及ボサゞラシメ又、(乙)構造ヲ堅固ニスルヲ要ス」と記し更に、少し長くなりますが原文そのまま載せますと、
「一八〇 震動ヲ遮断スルコト ・・・(略、免震構造の難しさを記している。)・・・普通ノ日本造リ家屋ハ、弱小ナル地震動ノトキハ、土台石ヨリ辷リ動カサルゝコト無ケレバ、地面ニ固定セルガ如クニ振動スレドモ、大地震トナリテ震動激烈ナルトキハ、水平地震力強クシテ、木造家屋ノ下底ト土台石トノ間ニ存スル摩軋ニ超過スルコトアルベク、斯カル場合ニハ家屋ハ土台石ヨリ離レテ多少移動スベク、即チ実際ニ地震ノ激動ノ幾分ヲ遮断スルノ効果アルナリ、木造家屋ハ、ソノ柱ガ挫折スル事ナケレバ、決シテ全体トシテ転倒セザレバ、少シク注意シテ構造スルニ於テハ、如何ナル大地震ニ際スルモ倒ルゝコト無カルベキナリ、明治二十四年ノ濃尾地震、同二十七年ノ庄内地震ノ如キ、大地震ノ震央地ニテモ、存立セル農家アリキ ・・・」