「ここに、《建築家》は、要らない」 

2012-09-17 15:25:32 | 専門家のありよう

       滝 大吉 著 「建築学講義録」第一章 建築学の主意
蔵書印で隠れている箇所を補うと、以下になります。
  建築学とは木石などの如き自然の品や煉化石瓦の如き自然の品に人の力を加へて製したる品を
  成丈恰好能く丈夫にして無汰の生ぜぬ様建物に用ゆる事を工夫する学問にして・・・

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[文言補足 18日 2.30][文言追加 18日 7.17][文言補足 18日 10.07]

先日、ある市役所に勤める方からメールをいただきました。
同意をいただきましたので、その一部を紹介させていただきます。場所や人物が特定されないように加工してあります。
   ・・・・・   
   今日、〇大学の若手の〇先生の話を聞きました。
   〇市役所(の建物)は〇さんの「作品」で、とてもすばらしい。
   あなたの市(私の勤め先)でも〇さんを呼んで設計してもらったら?
   と言われ「カチン」ときました。
   これまで、設計者は施主の要望を超えた設計をしないといけない、と思っていましたが、
   今日の話で変わりました。
   それは、施主(市民)は、今流行りの一「建築家」の思惑通りに動かされているだけ、
   つまり、施主を含めて「作品」の一部にされてしまっているだけ。
   それではだめなんではないだろうかと。 

   「建築家」がいなかった時代にも建物や街が美しかったように、  
   そのような時代の人びとが持っていた感覚をもって、
   「建築家」の思惑を超えないといけないんではないかと。
   「建築家」がいなくてもいい建物や街ができるんだ!ということを
   いつか○先生に言ってやりたいと思いました。

   こんなことを考えて、なかなか涼しくならない私でございます・・・
   ・・・・・

たとえば、F・L ライトが設計・計画に関わった建物について、あるいは構想段階の様子について、それらに係わる諸資料(設計図のコピー、スケッチのコピー、あるいはできあがった建物の写真など)を編んだ書物を、通常 F・L ライトの「作品集」と呼んでいます。
同じように、ある彫刻家の制作した彫刻の写真やデータなどを編纂した書物も「作品集」と呼ぶことがあります(美術館ではカタログ:目録などと呼ぶようです)。絵画の場合も同様です。

では、ここで常用される「作品集」の「作品」は、ライトの場合(つまり、建築に係わる場合)と彫刻、絵画などの場合と、同じ意で扱えるのでしょうか。扱ってよいのでしょうか。

紹介したメールの内容を理解するためには、この点について考えてみる必要があると思います。
すなわち「作品とは何か」。

「作品」を英語では work と言うようです。
   作品:製作物。主に、芸術活動によって作られたもの。文学作品。(広辞苑)
   作品:心をこめて制作したもの。狭義では、文芸・美術・工芸など芸術上の制作物をさす。(新明解国語辞典)
   work:④a 細工、製作 b(細工品・工芸品・彫刻などの)製作品
       ⑦(芸術などの)作品;著作、著述 特定の個々の作品をいう場合は
         a picture by Picasso のように言うことが多い。・・・・(新英和中辞典)
では、ここにでてくる「芸術」「芸術活動」とは、何を言うのでしょうか。
   芸術:①技と学[後漢書 孝安帝紀]
       ②(art)一定の材料・技術・身体などを駆使して、観賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。
        絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみを       
        指す場合ももある。(広辞苑)
   芸術:一定の素材・様式を使って、社会の現実、理想とその矛盾や、人生の哀歓などを美的表現にまで高めて
       描き出す人間の活動と、その作品。文学・絵画・彫刻・音楽・演劇など。(新明解国語辞典)
   art :①芸術;美術・・・②専門の技術、技芸;技巧、わざ、腕・・・(新英和中辞典)

広辞苑の解説では、「観賞的価値の創出・・・」の活動・所産とし、絵画、彫刻、工芸、詩、音楽、舞踊と並んで「建築」が出てきます。
つまり、「建築」も「観賞の対象」として見なされています。
おそらく、これが、現在の世の中の理解・解釈の大勢なのかもしれません。

しかし、「建築」は、他の絵画・彫刻・工芸・詩・音楽・舞踊などとは、決定的な違いがある、と私は考えています。
それは、他がすべて、それに関わる「個人」の、いわば「思い通りになる」ものであるのに対し、「建築」はそうではないからです。
「建築」の場合、自らが自らの思いを実現すべく身銭を切って作品の制作に関わる場合を除き、制作物は制作者個人の思い通りになるものものではない のです。
言い方を変えれば、建築は、必ず他者に関わる、あるいは、他者が関わる、ということです。
単なる観賞の対象として、一個人によって、その個人の「表現」の為に、制作されるものではない、のです。[文言補足 18日 2.30]
   「建築」という語は、古くから存在する語彙です。
   しかし、明治以後(正確に言うと明治30年:1897年以降)、この語は、ARCHITECTURE に対応する日本語として
   使われるようになります。
       現在では、漢字を用いる諸地域で、同様の意に使われています。
    本来の「建築」は、字の通り、建て築くこと、すなわち build を意味します。
    ARCHITECTURE の当初の訳語は「造家」でした。それを「建築」に変えよう、というのが伊東忠太の提言。
    その提言からの字が取去られて現在の「建築」が生まれてしまったのです。
    研究社の「新英和中辞典」では、ARCHITECTURE :建築術、建築学 とあります。
    これは多分、英語の原義に忠実な訳だと思います。
    そういう理解・認識が日本では欠けているように思います。
    なお、このあたりについては「日本の『建築』教育」「実業家:職人が実業家だった頃」で触れています。

現在、多くの建築に関わる方、特に「建築家」を任ずる方がたの多くは、「建築の設計」とは(私の常用語で言えば「建物の設計」とは)、絵画・彫刻などのいわゆる「造形芸術」と同じく、「自ら(の独自性・個性・考え・・・)を表出する、表現すること」だ、と考えておられるのではないでしょうか。つまり、広辞苑の解説そのまま。
それはすなわち、「実体を建造物に藉り(かり)意匠の運用に由って(よって)真美を発揮するに在る」という「理解」にほかなりません。   
この文言は、伊東忠太の「造家」を「建築術」に改めよ、との提言趣意書にある一節です。
彼は、なぜ「造家」の語を変えたいと考えたのか。
この文言は、次の一節に続きます。
「・・アーキテクチュールの本義は啻に(ただに)家屋の築造するの術にあらず・・・」。
そして更に次のように続けるのです。
「彼の墳墓、記念碑、凱旋門の如きは決して家屋の中に列すべきものに非ざるなり。・・・」
つまり、「家屋の築造」などはいわばマイナーなもの、というわけです。
これは推測・憶測ですが、彼が「家屋」「造家」を嫌ったのは、家屋、造家には、必ずそこに住まう人が、非常に具体的な人が、居るからではないか、と思います。
具体的な顔を持つ人びとにかかずらうことは、「創作」すなわち「我が表現」の邪魔にしかならない・・・。だからこそ「実体を建造物に藉り・・・」という文言が挟まれることになるのではないでしょうか。
建造物には必ず他人が居る。まともにそれに係わっていたら、思うようにならない。それゆえ実体を建造物に藉りることになったのです。
   伊東忠太が教育に携わった時代の建築教育では、「どのような意匠の」建物にするか、に集中しています。
   「意匠」とは、簡単に言えば、形体のこと。当時では西欧の「様式」に拠る形体が中心。
   東京大学建築学科図書室には、当時の学生の図面がいくつか保存されていますが、その中には、
   立面図に、この立面の建物をいかなる用途の建物に供すべきか、を書き記したものが多数あります。
   これは裁判所向き、・・・などという詞書(ことばがき)です。
   しかし、そのいずれにも平面図はありません。
   では、何をもって立面が決められたのか?
   おそらく、彼の地の建物の写真、図、図面などがモデルだったのでしょう。
   伊東は「意匠至上主義の時代でより多くヨーロッパ趣味をあらわしたものが、よりよい建築である」、と
   述べているそうです。(岸田日出刀著「伊東忠太」)
では、こういう時代の教育を受けた方がたの設計した建物は、出来が悪かったでしょうか?
必ずしもそうではありません。むしろ、使える建物が多い。今話題になっている大阪の中之島にある図書館(下図)などもその一つではないでしょうか。

                      鈴木 博之・初田 亨 編「図面に見る都市建築の明治」(柏書房)より転載編集

しかし、現在の「建築家」の設計した建物は、その多くもまた「実体を建造物に藉り」我が意の発露に心したものではないかと思いますが、大半が使える建物ではない、と言ってよいと私には思えます。そして、寿命も短い。
この違いは何なのでしょう。
それは多分、明治初頭に生きた方がたには、人の世についての「素養」があったからだと思います。それは、江戸時代の人びとならあたりまえに持っていた「素養」(明治初頭の事業に携わった渋沢栄一や久原房之助といった方がたも同じだったように思えます)。
つまり、その建物は人びとにどのように使われるか、について、あたりまえのこととして一定程度分っていた。その「程度」は、現在の「建築家」のそれとは比較にならないほど高かった、と言ってよいのではないでしょうか。
多くの職人の方がたに読まれた「建築学講義録」では、「いかにつくるか」が述べられ、「何をつくるか」については触れていません。
これも、当時の職人の方がたにとって、「何をつくるか」は自明のことだったからだ、と考えられます。
なぜなら、職人:専門家は、常に人びとと共に在ったからです。

現在の「建築家」を任じる方がたの多くは、自らを表現すること、それをより高めることに「熱中」し、人の世は、「彼らが意匠の運用で真美を発揮するために藉りる『実体』」を提供してくれるものに過ぎない、と思っているのかもしれません。人びとと共にいる必要はない、のです。むしろ鬱陶しい・・・。

いったい、彼らがつくる建物:作品は、何なのでしょう。
     

9月11日付の毎日新聞夕刊に、「第13回 ベネチア・ビエンナーレ国際建築展 報告」という特集ページが組まれていました(全文は、毎日 jp でアクセスできると思います)。
タイトルは「注目された『人間性』」。日本からの出展のテーマは「ここに、建築は、可能か」であったとのこと。そして、展示責任者は某「建築家」。
記事の中に、ある「建築評論家」の言が紹介されていました。
「(彼は)世界的に評価の高い日本の建築家の中で、最先端を歩む表現者の一人。その彼が大震災を機に建築を根本から見直すというのは『事件』だった。」
この発言の紹介のあと、記事は次のように続きます。
「・・・今回、社会との関係が問い直されたことも大きい。(今回の)総合ディレクターが掲げた全体テーマは“ common ground ”。歴史や文化など、建築と人々の『共通基盤』を再発見する狙いが込められている。アート色が強かった前回に比べ、全体に堅実な内容に仕上がった。・・・」
   「事件」については、「理解不能」で触れています。

この「報告」は、建築に係わる多くの方がたに特有の、言わんとすることがよく分らない文章でした。
  たとえば、アート色とは何だ、art とは違うのか同じなのか、一体何なのか?
  「注目された人間性」って何?
  「建築と人々の『共通基盤』を再発見する・・」って何?
  今まで、建築と人びとはどんな関係にあると思っていたの?・・・などなど

そして、「根本から、0から見直した」結果が今回の展示なのだとすれば、何ら「見直し」がなされていないのではないか、単にこれまでと「目先」が変っただけなのではないか、と私には思えました。
なぜなら、根本から見直したのならば、それを展示するなどということに至るはずがないからです。
まして、「ここに、建築は、可能か」などとは言わないはずです。言えないはずです。
メールにある「・・・施主(市民)は、今流行りの一『建築家』の思惑通りに動かされているだけ、つまり、施主を含めて『作品』の一部にされてしまっているだけ・・・」という「指摘」は実に的を射ているのです。[文言追加 18日 7.17]
私には、黙々として、外からの「評判」など一切気にせず、今なお支援活動を続けておられる多くの無名の(名が広まることなどは無用と考える)方がたに対して極めて失礼な行動に見えてしかたがありませんでした。[文言補足 18日 10.07]
「ここに、《建築家》は、要らない」のです。

かつて、私が、学生の方がたに必ず最初に言ったのは、建物の設計は、設計者の(個性)表現のための造型制作ではない、ということでした。
建物の設計で、設計者が名前を表わす必要はない、と私は思っているからです。ただ、責任をとるだけ。

冒頭のメールにあるように、私たちが、「素晴らしい」と思う古の建物や街並みを、誰が設計した、などと問いますか?まして、誰それの設計だからいいんだ、などと思いますか?

私が「設計したのは誰だ」と知りたくなるのは、ここをどうして、何を考えてこうしたのだろう、と気になったようなとき。
それは大工さんかも知れず、建て主さんかも知れません。そしてその誰もが、生前に、俺がやった・・・などとは語ってくれてはいません。だから、通常、それが誰だか分りません。
これはかつての「専門家」の間では、あたりまえだったように思います。
その極めつけは、「地方巧者」ではなかったか、と私は思っています。

むかしむかし、芸術系の大学の建築教育は、工学系の大学のそれとは異なり、もっと art 的、design 的な側面が全面に出るべきではないか、と問う学生がいました。
私は、art や design の語を説明するのではなく(それをやっていたら時間がかかり面倒なので)、次のように問い直しました。
「あなたは建物をつくる専門家になりたいのでしょう?」
学生「そうです」
私「建物をつくる、ってどういうことかなぁ」
それで終り。

私は、「建築家」や「建築評論家」・・・を任ずる方がたに、同じように訊ねたいのです。
建物をつくる、ということを、どのように考えておいでなのですか、と。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「日本家屋構造」の紹介-1... | トップ | 補足・「日本家屋構造」-4... »
最新の画像もっと見る

専門家のありよう」カテゴリの最新記事