感想・・・・続・素晴らしい論理

2011-07-05 21:35:56 | 専門家のありよう


舌を噛みそうな名の花にきているキアゲハです。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

[リンク追加 6日 23.18][追記 8日 19.29][追記 9日 12.30]

九州電力の玄海原発の地元の町長が、再稼働を認める発言をしています。
曰く、安全性を国が保証しているから、そして、再稼働しないと《経済》が衰退するから、と。
これは、安全と考えているから安全だ、といういかんともしがたい詭弁の《論理》を鵜呑みにした結果です。
おそらく、財布の中身が心配で、福島の現状には思いが至らないのでしょう。
そんなことより、予算の60%を占める原発がらみの「現金」の方が大事、という論理。

当の九州電力の会長さんは、世の中の「脱原発」の動きは、「風評」によるものだ、と仰せられていました。われわれは「風評被害」を蒙っている、と言いたいのかもしれません。
これは、何処かの政党の偉い方の仰せられた、「これは集団ヒステリー」、との言に一脈通じます。
極めつけは、東電会長の、想定外の天災なのだから免責を・・・、という願望。


なぜ、原発立地町村が、偏在しているか。
それは、それぞれの町村が、財政的に苦しいからにほかなりません。ところが、原発立地を認めるだけで多額の「現金」が降ってくる。

では、なぜ、それらの町村は、財政が苦しいのか。
それは、「富」が都会に、特に大都会に集中する「構図」になっているからです。
財政的に苦しい町村をつくっておいて、「富」の集中する大都会の「消費」のためのエネルギー:電力を「安全な原子力」にたより、「安全だ」という「まことしやかな言辞」を弄して、それら財政的に苦しい町村に、その立地を押し付けてきたのです。

ものごとの理にしたがうのならば、必要とする大量のエネルギーは、それを必要とする地域でまかなうべきであり、その方がコストもかからない、そして、そこで生じる廃棄物も、その地域内で処理する、それが当たり前。地産地消です。
であるならば、原発も、そして使用済核燃料の保管も、電力の大使用地区である大都会が負うべきでしょう。安全なんだから・・・。
もっとも相応しい場所、それは東京や大阪です。キタナイものは他所にもってゆく、そういう論理は通りません。それこそ「無理」というもの。スジが通らない。

   私は、学生の頃の、御茶ノ水駅下を流れる神田川の光景を思い出します。
   いまや知っている人が少なくなっていると思いますが、
   江戸期には飲料水としても使われていた神田上水を、
   常に、何隻もの舟が列をなして下っていました。
   その舟は、水道橋の駅の近くにある配船所から出てくるタンカーです。
   タンカーの積荷は、都内から集めた糞尿。
   どこへ行くのか?
   東京湾外だと聞いたことがあります。
   そこで、海に捨てていた・・・。海には黄土色の筋ができたそうです。
   江戸期はどうしていたか。
   近郊の農村へ運ばれ、肥料になっていました。農家が収穫物を持って、その代替に持って帰ったのです。

「経済」:「経世済民」とは、危ないものを危なくないとウソを言って現金を付けて他所に押しやり、その金で町村の財布が潤う、そういうことを言うのではありません。
このやり方は、金持ちが、貧乏人のほっぺたを札束でひっぱたいてよろこんでいるに等しい。


また、昨日であったか、中部電力の社長が、簡単に言えば、浜岡原発を止めるなら、金をよこせ、という「要求」をしていました。
「お客さまと株主に対して申し訳ないから」と言うのが、その理由。
おそらく財布の中身が心配で、やはり、福島の現状には思いが至らないのでしょう。
簡単に言えば、金に目がくらみ、想像力が衰えている・・・。

私が率直に思ったのは、どうしても再稼動したいのなら、使用済核燃料を、すべて電力会社の本社ビル内の一画で保管することを確約べきだ、ということ。できないわけがありません。安全なのだから・・・。場所が足りないのなら、超高層ビルでもどうぞ。

エコノミックアニマルという和製英語がありました。
相変わらず、多くの偉い方がたが、後生大事に、その系譜を引継いでいるらしい。
天秤にはかからない、かかるはずのない「安全」と「《経済》の安定」という範疇の異なるモノを天秤にかけている。
「科学」立国などとは言っても、決して理を通さない、理の通らない国、日和見・ご都合主義の国、それが現在の日本。

追記
本当の scientist の理の通った言説を教えていただきましたので、紹介します。
小出裕章氏が、この春、参議院で、参考人として述べられた「意見」の記録映像です。[追加 6日 23.18]

再追記
「やらせメール」発覚。
これまた、「民主主義とは、『理』ではなく、数の多少でものごとを決めること」、と思い込んだ人たちの「必死の」策なんでしょう。
政治の世界の「多数派工作」と何ら変らない。以前のタウンミーティングなるまやかしもそうだったのだから、今さら驚くにはあたらない。
けしからん、と語っている政治家たちが、本気にそう思っているとは、到底考えられないのです。いいところ、下手だなァ、ばれたのか、程度が「本心」では・・・。

ところで、「ストレステスト」なる「概念」が突然湧き上がりました。
よく聞いてみると、西欧では、すでに進行中とのこと。
ところが、そういう「事実」を報じたメディアがない、というのが不可思議です。
そして、ここにきて突然表面化したことが「波紋」を呼んでいる。

その「波紋」とは、ついそこまで来ていた「原発再稼動」が、「水をかけられ、できなくなったではないか、けしからん」というのが大方。
私には、本末転倒に聞こえます。「再稼動」が絶対の目標になっての態度だからです。
「ストレステスト」の妥当性が問われていない。

西欧でやっているものを、日本がやらない、ということは、「近代日本の『性格』」として、いまさらできない。だから、やらざるを得ない。

そこでおそらく、「再稼動が可という結果が出るような内容のテスト」にする画策がなされるでしょう。「やらせメール」と同じ構図です。
「科学」立国日本の、「科学」認識は、そんなものなのです。
つまり、「理」よりも「利」の論理。
財界の偉い方がたの仰せられていることも、それに尽きる。[追記 8日 19.29]

産経新聞に、このまま原発が再稼動しないと、電力不足で、日本の産業界の空洞化が著しくなり問題だ、という記事が載ってました(gooニュースにありました)。
要するに、そうなると生活も大きく影響を受ける、だから再稼動が必要だ、と言いたいようです。
福島原発の事故で、地域の空洞化が進まんとしています。簡単に言えば、人が住めなくなる。現になっている。
一旦事故が起きれば、無人の世界が広がる。そんなところで、産業が振興して、どうなるというのでしょうか。第一、働く人もいないではないですか。
さらに、火力発電が増え、二酸化炭素の排出量が増加、温暖化が進む、という「心配」もなさっています。核燃料廃棄物や放射能は問題ないんですね。

どうして、いい歳をした大人の日本人が、こういう非論理的は記事を書いて平気なのでしょう。
子どもの方が、もっと筋の通る見かたをするのではないか。なさけない話です。[追記 9日 12.30]

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「形」の謂れ(いわれ)-4... | トップ | 「形」の謂れ(いわれ)-5... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (takeda)
2011-07-07 13:11:21
いつもブログの更新ありがとうございます。
追記に添付された小出先生の映像、拝見しました。私も積極的に周りの人たちに紹介させて頂きます。掲載ありがとうございました。

専門家のありよう」カテゴリの最新記事