[記述ならびに註記追加:6月24日、11.31PM]
62年前の沖縄の地上戦で、住民:民間人が集団死に追い込まれた件について、教科書の検定は、軍に強制された、との文言の削除を求めた。これに対し、沖縄では、事実を葬るとして、県議会が全会一致で撤回を求める決議をした。
昨日、沖縄を訪問したわが宰相は、実際に目の前に当の「事件」にまきこまれた人々の存在を目にしながら、「教科書検定の調査審議会が学術的な観点から検討している」として、記述の復活は難しいとの認識を示した、と新聞は報じている(毎日新聞6月24日付朝刊)。
「学術的な観点からの検討」とは何を言うのか。目の前に「事実を体験した人びと」が厳然として現存することよりも、審議会委員たちの「学術的」調査を信用する、とのニュアンス。端的に言えば、目の前の人たちの体験は信用できない、と言っているに等しい。
この短いやりとりの中に、現代の根深い病根が観てとれるように思う。
それは、次の言葉について、考えればよいように思う。
①「学術」的の意味、②「審議会」の存在について、③審議会の委員に選ばれる「学識経験者」「有識者」「専門家」・・の定義。
そして最も端的に言って、問題は、「学識経験者」「有識者」として指名される人たちの「学識」「有識」「専門」・・の内容だろう。
いまだかつて、「学識経験者」「有識者」・・の肩書こそ示されても、その人に委任するにあたっての判定根拠は、何ら「学術的」に表示されたことがない。
たとえば、教科書検定の審議会委員の指名根拠が、納得のゆく説明をともなって示されたことがあるだろうか?
これは、第二次大戦後の行政で、急激に増えた各種審議会のすべてに共通する問題である。
審議会が、行政の隠れ蓑になっている、と言われるが、まさにその通りだろう。
偉い先生方が決めたことに従ったまで、と言っておけばよいのである。
その裏側には、一般人は、偉い人の意見に従えばよい、従え、従うだろう、・・という「考え」が潜む。
たとえば、建築がらみで言えば、木造建築の法令諸規定の策定にあたっても「審議会」がもたれるが、その委員に、木造建築のまさに有識者である大工さんが主体を占めた話など、まったくない。各地の大工さんの多くに接して話をきいた形跡も痕跡もない。そしてもちろん、日本の建築の歴史について、心底学ぼうとする形跡さえうかがえない。歴史の専門家ではないから・・とでも言うのだろう。だったら、歴史の専門家とも話をすればいいのに、した痕跡もない・・。
それでいながら、大工さんをも差配する、大工さんたちが納得しかねる「指導」がなされる。
怖いのは、これが半世紀も続けば、多くの人たちが、大工さんも含め、「それでいいのだ」と思うようになってしまうことだ。現にその気配をひしひしと感じる。
それにつけても、最近の建築法令の改変・・。ますます偉い人たちの「責任」は、深いベールの裏側に隠された。責任を負うのは、いつも偉くない人たち。どんなに間違っていても、偉い人は決して責任を負わない、そして、彼らの退職後の仕事場はますます増え、安泰・・、という構図。実によくできている。
註 改訂、改正というのは、内容が誤っていたのを正すことを言う。
法令の《改訂》をするには、何が誤っていたかを示すのが「常識」。
そこのところは、うやむやのまま。正されたところも何もない。
だから「改変」。
まさにお役所仕事の:偉い人の、よくやるやりかた・・・。
先に「地方功者」の話を書いた。彼らがもしも現代に生きていたなら、自らを「学識経験者」「有識者」「専門家」・・と位置づけただろうか。
そのようなことは、絶対にないだろう。
なぜなら、そのように分類するような社会ではなかったからだ。偉い人:エリートがいて非エリートを先導・指導する、などという発想がなかった時代だったのだ(公務員のなかに、キャリア、ノンキャリアの別があるなんていうのは近・現代になってからの話)。
おそらく、現代の「学識・・」たちに会ったら、彼らはきっと絶句したにちがいあるまい。
もちろんかつても指導者はいた、しかし、現代的な位置づけの指導者ではなかったということ。もしも現代的な意味の指導者がいたとすると、かならず「一揆」などが起きていた。明治の自由民権運動の発端は、明治政府の強圧的な県令(先回ふれた福島の三島通庸が有名)の赴任が契機になった場合が多い。
言葉というのは、その意味を十分に考えないで使うと問題を起こす。
すでに何度も触れた「科学」「科学的」「理科」「文科」・・、「在来工法」「伝統工法」・・、「断熱」「耐震」・・、そして最近触れた「経済」「観光」・・「まちづくり」、何となく、あいまいなまま使っているのではなかろうか。
日本語は、思われているほど、決してあいまいな言語ではないのである。
62年前の沖縄の地上戦で、住民:民間人が集団死に追い込まれた件について、教科書の検定は、軍に強制された、との文言の削除を求めた。これに対し、沖縄では、事実を葬るとして、県議会が全会一致で撤回を求める決議をした。
昨日、沖縄を訪問したわが宰相は、実際に目の前に当の「事件」にまきこまれた人々の存在を目にしながら、「教科書検定の調査審議会が学術的な観点から検討している」として、記述の復活は難しいとの認識を示した、と新聞は報じている(毎日新聞6月24日付朝刊)。
「学術的な観点からの検討」とは何を言うのか。目の前に「事実を体験した人びと」が厳然として現存することよりも、審議会委員たちの「学術的」調査を信用する、とのニュアンス。端的に言えば、目の前の人たちの体験は信用できない、と言っているに等しい。
この短いやりとりの中に、現代の根深い病根が観てとれるように思う。
それは、次の言葉について、考えればよいように思う。
①「学術」的の意味、②「審議会」の存在について、③審議会の委員に選ばれる「学識経験者」「有識者」「専門家」・・の定義。
そして最も端的に言って、問題は、「学識経験者」「有識者」として指名される人たちの「学識」「有識」「専門」・・の内容だろう。
いまだかつて、「学識経験者」「有識者」・・の肩書こそ示されても、その人に委任するにあたっての判定根拠は、何ら「学術的」に表示されたことがない。
たとえば、教科書検定の審議会委員の指名根拠が、納得のゆく説明をともなって示されたことがあるだろうか?
これは、第二次大戦後の行政で、急激に増えた各種審議会のすべてに共通する問題である。
審議会が、行政の隠れ蓑になっている、と言われるが、まさにその通りだろう。
偉い先生方が決めたことに従ったまで、と言っておけばよいのである。
その裏側には、一般人は、偉い人の意見に従えばよい、従え、従うだろう、・・という「考え」が潜む。
たとえば、建築がらみで言えば、木造建築の法令諸規定の策定にあたっても「審議会」がもたれるが、その委員に、木造建築のまさに有識者である大工さんが主体を占めた話など、まったくない。各地の大工さんの多くに接して話をきいた形跡も痕跡もない。そしてもちろん、日本の建築の歴史について、心底学ぼうとする形跡さえうかがえない。歴史の専門家ではないから・・とでも言うのだろう。だったら、歴史の専門家とも話をすればいいのに、した痕跡もない・・。
それでいながら、大工さんをも差配する、大工さんたちが納得しかねる「指導」がなされる。
怖いのは、これが半世紀も続けば、多くの人たちが、大工さんも含め、「それでいいのだ」と思うようになってしまうことだ。現にその気配をひしひしと感じる。
それにつけても、最近の建築法令の改変・・。ますます偉い人たちの「責任」は、深いベールの裏側に隠された。責任を負うのは、いつも偉くない人たち。どんなに間違っていても、偉い人は決して責任を負わない、そして、彼らの退職後の仕事場はますます増え、安泰・・、という構図。実によくできている。
註 改訂、改正というのは、内容が誤っていたのを正すことを言う。
法令の《改訂》をするには、何が誤っていたかを示すのが「常識」。
そこのところは、うやむやのまま。正されたところも何もない。
だから「改変」。
まさにお役所仕事の:偉い人の、よくやるやりかた・・・。
先に「地方功者」の話を書いた。彼らがもしも現代に生きていたなら、自らを「学識経験者」「有識者」「専門家」・・と位置づけただろうか。
そのようなことは、絶対にないだろう。
なぜなら、そのように分類するような社会ではなかったからだ。偉い人:エリートがいて非エリートを先導・指導する、などという発想がなかった時代だったのだ(公務員のなかに、キャリア、ノンキャリアの別があるなんていうのは近・現代になってからの話)。
おそらく、現代の「学識・・」たちに会ったら、彼らはきっと絶句したにちがいあるまい。
もちろんかつても指導者はいた、しかし、現代的な位置づけの指導者ではなかったということ。もしも現代的な意味の指導者がいたとすると、かならず「一揆」などが起きていた。明治の自由民権運動の発端は、明治政府の強圧的な県令(先回ふれた福島の三島通庸が有名)の赴任が契機になった場合が多い。
言葉というのは、その意味を十分に考えないで使うと問題を起こす。
すでに何度も触れた「科学」「科学的」「理科」「文科」・・、「在来工法」「伝統工法」・・、「断熱」「耐震」・・、そして最近触れた「経済」「観光」・・「まちづくり」、何となく、あいまいなまま使っているのではなかろうか。
日本語は、思われているほど、決してあいまいな言語ではないのである。