閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

木葉の芸術(柿の葉)

2021-10-10 09:53:16 | 植物

柿の葉の芸術

庭に散り落ちていた柿の葉を見て、その彩の美しさに目を引かれた。

葉一枚一枚に描かれた色と斑点の模様が一枚一枚異なり、思わずこれは柿の葉の芸術だと写真を撮り始めた。

実に様々な色合いと構成に巧まざる美しさがある。

庭の片隅の芸術を堪能したひと時だった。

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金木犀

2021-10-08 10:43:05 | 

金木犀と花たち

玄関の戸を開けると何処からともなく良い香りがしてくる。

金木犀の匂いだ。

玄関横2メートル位の所に金木犀が植えてある。

この所、膝関節の痛みから歩行がやや困難になり、玄関より外に出る事が無く、金木犀の匂いに気が付かなかった。

金木犀の匂いと共に秋の訪れを知らされる。

 

可愛らしい黄色い花の何処からこの香しい匂いが出るのだろう。

この匂いと共に一日が始まった。

近くには先日紹介したムラサキシキブの実が見事に紫色に輝いている。

庭の鉢植えの植物達には色とりどりの花が咲いている。

例によって花名を聞いてもすぐに忘れると云う老骨の身ながら花の美しさには心ときめく。

その美しさを留めるためにシャッターを切るのが今では唯一の楽しみだ。

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ハナミズキの実

2021-10-06 10:10:12 | 植物

色付いたハナミズキの実

我が家の庭のハナミズキの実が赤く色付いた。

実の付き方も色々とあり面白い。

赤い実の近くには早くも来年春咲く花芽が付いている。

厳しい冬の寒さに耐え、来年春美しい花を咲かせてくれる。

鉢植えの花の実を食べる毛虫がいた。

体長は2,5センチ位。

実の中に頭を突っ込むようにして食べている。

今時毛虫?と思うが、どんな成虫になるのだろうか。

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続・古いアルバム12

2021-10-04 10:04:36 | アルバム

公害

1965年代以降だっただろうか、大気汚染が増え始めた。

都内の空と云うか空気が有害物質による汚染が始まり、空は黄土色に色付き霧の中にいるような感じになって来た。

高度成長期の副産物のような物だった。

特に京浜工業地帯ではひどく、小児喘息患者が増え始めた。

これらを川崎病と呼ぶようになった。

写真は都内の神田川だったか石神井川だったか失念したが、川面一面を白い泡が覆い、水は濁り、異臭を放っている所もあった。

この現象は多摩川、墨田川等の大きな河川も同様な状態だった。

家庭からの汚水、工場排水等がそのまま河川に垂れ流しの状態だったのだ。

1956年頃新潟県水俣で、原因不明の中枢神経疾患が多発するようになった。

後にそれは、チッソ水俣の工場からの工場排水の垂れ流しが原因だったと分かった。

これを水俣病と旧厚生省が認定するに至った。

現在は、河川に流す汚水は汚水処理場で綺麗に処理されて河川に流されるようになり、綺麗な河川が復活している。

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続・古いアルバム 11

2021-10-02 09:50:43 | アルバム

東京寸景2

1970年頃の東京の風景を気の向くままに写真にテーマがあるわけで無く、漠然とシャッターを切って歩いていた。

今思えば確りと世の中を見据えた記録写真を撮って置くべきだったと思う。

このマンションは目黒雅叙園マンションだ。

老骨の妻の中学時代の同級生だった女性の主人が立ち上げた朝日建物株式会社の都内初めての高級マンション。

雅叙園の敷地の一部を買い取り建てたマンションだ。

朝日建物社長とはこの頃からのお付き合いとなった。

当時、マンションは聞きなれない言葉であった。

このマンションを手始めに都内に続々とマンションを建設していった。

靖国神社の大鳥居の補修が行われたいた珍しい風景。

 

大村益次郎銅像。

社殿前の広場で鳩と戯れる子供。

境内には無数の鳩が群れていた。

九段坂上の歩道橋から見た武道館。

同じく歩道橋上から、神保町方面を望む。

まだ地下鉄は出来ていなかった。

左側の建物は日本住宅公団のビルだった記憶がある。

右側の建物は軍人会館だったと思う。

靖国神社近くの喫茶店。

この喫茶店には良く通った。

これは1970年頃の国分寺駅。

真ん中のホームが中央線。

右の電車は西武国分寺線。

西武国分寺線のホーム。

当時はこ線橋が国立寄りと武蔵小金井寄り二か所あった。

1960年代には電車の本数は一時間に2本、通勤時間帯で三本しかなかった。

現在は終日大体10分おきに運転されている。

現在の国分寺駅西武東村山線ホーム。

転落防止柵が取り入れられている。

国分寺駅も近代化され、エレベータ、エスカレータ等が完備され、素晴らしい駅になってい居る。

 

 

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