公害
1965年代以降だっただろうか、大気汚染が増え始めた。
都内の空と云うか空気が有害物質による汚染が始まり、空は黄土色に色付き霧の中にいるような感じになって来た。
高度成長期の副産物のような物だった。
特に京浜工業地帯ではひどく、小児喘息患者が増え始めた。
これらを川崎病と呼ぶようになった。
写真は都内の神田川だったか石神井川だったか失念したが、川面一面を白い泡が覆い、水は濁り、異臭を放っている所もあった。
この現象は多摩川、墨田川等の大きな河川も同様な状態だった。
家庭からの汚水、工場排水等がそのまま河川に垂れ流しの状態だったのだ。
1956年頃新潟県水俣で、原因不明の中枢神経疾患が多発するようになった。
後にそれは、チッソ水俣の工場からの工場排水の垂れ流しが原因だったと分かった。
これを水俣病と旧厚生省が認定するに至った。
現在は、河川に流す汚水は汚水処理場で綺麗に処理されて河川に流されるようになり、綺麗な河川が復活している。