私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ルワンダの霧が晴れ始めた(1)

2010-06-30 11:42:18 | インポート
 アフリカ大陸のほぼ中央、ルワンダとコンゴ一帯を覆っていた深い霧が、やっと晴れ始めたようです。霧があがるにつれて、我々の目の前に巨大な姿を現すのはアメリカ帝国主義の醜悪な姿です。映画『アバター』に出てくる露天掘り鉱山用の小山のような土木車両を思い出して下さい。なぜルワンダなのか、コンゴなのか、あるいは、ハイチ、ホンジュラスなのか?そんな失敗国家めいた小国群よりも、日本にとって、世界にとって、もっと重大な問題は山ほどある、とお考えの方も多いでしょう。
 私の考えは違います。我々にとって、最大の問題はアメリカなのであり、アメリカ合州国という巨大暴力国家の行動原理と実際行動のパターンを見据えてそれに正しく対処することが、我々の緊急課題であると、私は考えます。何故ならば、この二十一世紀中にアメリカ帝国主義が衰退に向かうことはほぼ確実であるからです。三世紀以上の間、一貫して暴力的であり続けてきたアメリカがしくしく泣きながら(with a whimper)終りを迎える筈はありませんから、日本がそれとどうつき合うかは死活の問題です。アメリカ合州国が衰退して中国がそれに取って代わると言っているのでもありません。中国が第二のアメリカに成り上がることを目指して進むかぎり、同じ運命が待っています。アメリカというシステム、広くいえば、ヨーロッパというシステムが崩壊を迎えるべき世紀であるからです。
 アメリカの本当の姿を見据える方法として、アメリカの歴史を学び直すという作業は極めて有効です。それも、現在進行中の中東戦争のような世界中を巻き込んでいる大事件よりも、ハイチやルワンダのような、いわば小国をめぐって展開されている異常な事態を、過去の歴史を振り返りながら、注意深く観察するほうが、アメリカというシステムの作動ぶりが裸眼でもよく見えると思います。
 ルワンダについては、実は、2年ほど前にこのブログで書き始めて、途中で筆を折ってしまって、そのままになっているという事情があります。以前の四つのブログは次の通りです。:
ジンバブエの脱構築(4) (2009/03/25)
サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(1) (2009/04/01)
サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(2)  (2009/04/08)
サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(3) (2009/04/15)
1994年に起ったルワンダ大虐殺についての映画『ホテル・ルワンダ』はアメリカで2004年に製作上映されて大評判でしたが、日本での公開は2006年になりました。今でもルワンダ大虐殺のことを憶えているのは、この映画を観た人たち位でしょう。上の『ジンバブエの脱構築(4)』では、この映画のことから話を立ち上げてあります。
 私がルワンダのことを今ふたたび取り上げる理由の一つは、NHK総合テレビ番組「アフリカンドリーム全3回」の第一回(2010年4月4日)『“悲劇の国”が奇跡を起こす』を見たことです。「これでは困る。実に困ったことだ」というのが私の正直な反応でした。しかし、読者の皆さんに、その理由を過不足なく理解して頂くためには、注意深く長い説明が必要と思われます。アメリカには興味があるが、アフリカの小国ルワンダには興味がないとおっしゃる方には、「これは何よりも先ずアメリカについての話だから、辛抱して少し読み進んで下さい」と申し上げます。
 まず、NHKオンラインにある『“悲劇の国”が奇跡を起こす』の要約を読んで頂きます。:
■アフリカの国々がヨーロッパの宗主国から独立し「アフリカの年」と呼ばれた1960年から半世紀。今、ようやくアフリカは「暗黒の大陸」から「希望の大陸」と呼ばれるようになってきた。急速な経済発展やグローバリズムを追い風に、大きな変化が生まれ始めているのだ。こうしたアフリカの知られざる新しい姿を描く「シリーズ・アフリカンドリーム」、第1回目の舞台はルワンダ。

民族間の対立で80万人が殺されるという大虐殺が起きてから16年、ルワンダは驚異的な復興をとげ「アフリカの奇跡」と呼ばれるようになった。その原動力は「ディアスポラ(離散者)」といわれる人たちだ。半世紀前の独立前後から迫害を逃れて世界各地に散らばったルワンダ人はおよそ200万人にのぼるが、今「祖国を復興させたい」とルワンダに巨額の投資を行うとともに、次々と帰還を始めているのだ。
            
今後、アフリカの国々が発展するカギのひとつとしてルワンダの戦略は大きな注目を集めている。祖国のために立ち上がったディアスポラの姿と、それを復興に生かそうとする政府の戦略を追う。■
このルワンダの現状要約が何とはなしに少し変だと思われる方が必ずおいででしょう。ディアスポラたちが祖国に巨額の投資を行なって帰還をはじめていると書いてありますが、彼ら自身が巨額の身金を出しているのではありません。また「ルワンダの戦略」は「アメリカの戦略」と書いた方が真実に近いのです。
 つぎに、CIA(アメリカ中央情報局)のThe World Factbookというウェブサイトにある「ルワンダ」という長い項目の序章の英語原文とその前半の和訳を以下に掲げます。
■1959年、ベルギーからの独立の3年前、多数派の民族グループ、フツ族は、支配していたツチ族の王を打倒した。それからの数年間に数千人のツチ族が殺され、15万人ほどが近隣諸国に亡命を余儀なくされた。これらの亡命者の子供たちはやがてRPF(Rwandan Patriotic Front, ルワンダ愛国戦線)という反乱集団を形成し、1990年に内戦を始めた。この戦争は、幾つかの政治的、経済的激変をともなって、民族間の緊張状態を激化させ、1994年4月、約80万人のツチ族と穏健派のフツ族の人々の大量虐殺という頂点に達した。ツチの反乱集団はフツ政権を打ち負かし、1994年の7月にはその殺人行為を終息させたが、約2百万人のフツ族難民-その多くはツチ族の報復を恐れて-隣接するブルンディ、タンザニア、ウガンダ、ザイールに逃げ込んだ。■
■ In 1959, three years before independence from Belgium, the majority ethnic group, the Hutus, overthrew the ruling Tutsi king. Over the next several years, thousands of Tutsis were killed, and some 150,000 driven into exile in neighboring countries. The children of these exiles later formed a rebel group, the Rwandan Patriotic Front (RPF), and began a civil war in 1990. The war, along with several political and economic upheavals, exacerbated ethnic tensions, culminating in April 1994 in the genocide of roughly 800,000 Tutsis and moderate Hutus. The Tutsi rebels defeated the Hutu regime and ended the killing in July 1994, but approximately 2 million Hutu refugees - many fearing Tutsi retribution - fled to neighboring Burundi, Tanzania, Uganda, and Zaire. Since then, most of the refugees have returned to Rwanda, but several thousand remained in the neighboring Democratic Republic of the Congo (DRC; the former Zaire) and formed an extremist insurgency bent on retaking Rwanda, much as the RPF tried in 1990. Rwanda held its first local elections in 1999 and its first post-genocide presidential and legislative elections in 2003. Rwanda in 2009 staged a joint military operation with the Congolese Army in DRC to rout out the Hutu extremist insurgency there and Kigali and Kinshasa restored diplomatic relations. Rwanda also joined the Commonwealth in late 2009.■
上の英語原文の後半については又あとで取り上げます。
 CIAのウェブサイトに淡々と書いてあることは、文面そのものとしては、積極的なウソではありません。しかし、ここに書かれていない、伏せたままの幾つかの重大な事実を知るとき、こうした要約が、結果的には、大きな、真っ赤な嘘と同じ役割を果たしていることを覚らざるを得ないのです。深刻な不作為犯罪(crimes by omission)と云うべきです。そのあたりの事を、次回からゆっくりと解きほぐして行きたいと考えます。

藤永 茂 (2010年6月30日)



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1 コメント

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藤永先生、お久しぶりです。NHKの『“悲劇の国”が奇... (nazuna)
2010-07-06 00:25:36
藤永先生、お久しぶりです。NHKの『“悲劇の国”が奇跡を起こす』、私もこの番組は見ました。もちろん、こちらで藤永先生の記事を読ませて戴いていたお陰で、あの国に多少の関心を持つようになっていたからです。

番組の内容は一見、フツ族もツチ族も、ルワンダの人々は互いに過去の怨讐を乗り越えて、共に支え合って発展を目指そうとしているかのような内容でした。もちろん、本当にそうであれば、こんなに素晴らしいことはないのですが・・・

でも、何か引っかかるものがありました。過去に彼等を操り、悲惨な事態に追い込んだ外国勢力は本当に干渉を諦めたのだろうか?元はと言えば、資源確保のための干渉だったはずですが、その利権を簡単に諦めるような人たちでしょうか?また、外国から帰ってきた人たちが相手の国で高度な教育を受けていて、資金も持っていたりするというのが気になりました。着の身着のままで外国に亡命していた人たちにしては成功者ばかりに見えたからです。

その疑問がずっと引っかかっていながら、私にはそれを確かめる能力もないので、そのままにしていたのですが、藤永先生がこうして取り上げてくださったのを見て嬉しくなりました。次回もしっかりと読ませていただきます。
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