私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

映画『PKK叙事詩』(Destana PKK)

2022-12-21 19:20:32 | 日記・エッセイ・コラム

 異様な映画観賞経験をしました。クルドという民族のことも、PKKと略称されるクルド労働党のこともご存知でない人々が少なくないと思いますが、そうした方々も、とにかく、覗いて観てください。タイトルの英訳は『The Epic of the PKK』です:

https://anfenglish.com/news/the-epic-of-the-pkk-pioneering-work-of-revolutionary-art-64101

https://www.youtube.com/watch?v=rd9oRKfsmDI

PKKはクルド労働党を意味し、この党はトルコをはじめNATO諸国でもテロ組織に認定されています。PKKと密接な関係にあるシリア北部のクルド人軍事勢力を狡猾に利用して、シリアのアサド政権を苦しめている米国も、トルコに対する気兼ねから、PKKをテロ組織と認定しています。この映画は、その内容を解説している英語記事によれば、PKKの発足から44年の記念事業として2年の月日をかけて制作したミュージカル形式の69分の映画ですが、単なるミュージカル映画を遥かに超えた迫力のこもった作品内容の様に思われます。曖昧な言い方をする理由は、映画の解説記事は英語ですが映画そのものにはクルド語の字幕しかなく、私にはクルド語は全くわからないからです。しかし、山岳地帯や河川の印象的な自然風景、数十人の男女が構成するオーケストラと合唱団、ソロのシンガーたちの歌声、多彩な集団ダンスと、眼前に次々に繰り広げられる画面と音声に私はすっかり惹きつけられて、69分間、釘付けになって一気に過ごしてしまいました。

 この映画を紹介する英語記事を読むと色々なことがわかります。始めのところだけを引用しておきます:

On the occasion of the 44th anniversary of the foundation of the PKK, the Kurdish freedom movement has produced a new milestone of the guerrilla's creative power. The cultural and music group Awazê Çiya, which consists of guerrilla fighters and is known for its creative music videos, has created the work Destana PKK (The Epic of the PKK) in two years of preparation in cooperation with Sine Çiya, the cultural movement in Rojava TEV-ÇAND, the Rojava Film Commune and the Pargîn Cultural Centre.

 画面に現れる字幕の意味や、歌われる歌詞の内容がわかれば、PKKの宣伝映画としての印象が強くなるのかもしれませんが、それにしても、この異色のミュジカルが発散する、文句なしの、迫力はどの様な源泉から立ち上がって来るものなのか?

 出演しているオーケストラと合唱団員は、男女全てゲリラ戦闘員の服装です。実際に、演奏を済ませた後、全員がこぞって戦闘に馳せ参じることになったとしてもおかしくない危機状況下にクルド人は置かれています。

 英語に“gut feeling”という表現があります。直訳すれば「はらわたに感じる感じ」ということになります。普通は、「直感」、「第六感」などと訳されていますが、intuitionやsixth senseとはちょっと違う様な感じ(feeling)です。映画『PKK叙事詩』についての私の“gut feeling”は、このクルド人の集団を制圧殲滅するのは、トルコであれ、米国であれ、容易なことではあるまい、いや、このクルド人革命運動集団は不屈不滅の人間集団であろう、というものです。

 以前、私はロジャバ革命運動について、好意的楽観的見解を披瀝したことがありました:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/5122adfb2476d64add249aae51308760

この記事に対して「浅薄安易な見解だ」というコメントを頂きました。ロジャバ革命の前途には過酷な困難が綿々と待ち構えているでしょうが、かつてのパリ・コミューンの様に無残にも壊滅されてしまうことはあり得ないというのが私の“gut feeling”であり、希望です。

<追記>

 映画『PKK叙事詩』に日本語の字幕をつけて下さる在日のクルド人の方があれば、是非お願い致します。それが無理であれば、せめて、画面に現れるクルド語の字幕を取り出して逐次日本語に翻訳して下さるだけでも有難く存じます。個人的に迷惑をおかけしない様に十分注意して、私として、精一杯の御礼をさせて頂きます。(〒810-0022  福岡市中央区薬院4−1−26−1205  藤永茂:huzinaga@cup.ocn.ne.jp

 

藤永茂(2022年12月21日)

 


マイケル・ジャクソンの受難、ライザ・ミネリの『マネー、マネー、・・』

2022-12-15 10:02:48 | 日記・エッセイ・コラム

 深い感銘というか、むしろ、強い衝撃を受けた映画を紹介したいと思います。まだ、気持ちの整理が十分ついていない状況ですが。

 Michael Jackson Square Oneという米国映画です。Yomodaliteさんをはじめとする人々によって、分かりやすい日本語字幕が付けられました:

https://yomodalite.blog.fc2.com/blog-entry-2213.html

これは、マイケル・ジャクソンは小児性愛者であるという声高い告発の真の様相を詳細に暴き、マイケル・ジャクソンの無罪を明示する内容の映画です。上掲のブログには「マイケルの疑惑に関するドキュメンタリーの中でも特に高評価の作品なので、マイケルの無実をよくご存知の方も是非!」とあり、映画の内容が明確な文章で要約されています。

 このドキュメンタリーを見ながら、私は、キリストの受難への連想を断つことが出来ませんでした。この様な連想は軽率に行うべきものではありますまいが、この連想が更に私の心中に呼び起こした別の映像と歌唱とをお伝えしたいと思います。

 この映画『Michael Jackson Square One』の終わりに近く、「ヒストリー」と題するマイケル・ジャクソンの歌唱が出て来ます。その中に“You do anything for money”という歌詞があります。この一つの詞に、マイケルの告発者とその告発の高いニュース性に便乗して一儲けしようとするニュースメディアの醜態が見事に集約されています。一昔前、『キャバレー』という映画が評判になったことがありました。その中でライザ・ミネリとジョエル・グレイは、この世界がお金で回っているとして、“Money,Money,Money,Money”と連呼します:

https://www.youtube.com/watch?v=6JjJbJPzyQk

https://www.youtube.com/watch?v=j83QVJVG2Vg

今、我々の眼前の世界は“金で回されている、金が回している”世界です。

 子供のロバに乗った平和の人イエスはエルサレムに入って神殿に向かい、その内部で商売をして居た商人たちを追い出し、商売の台をひっくり返します。神殿の内部が、欲深い商人たちによって汚されて居たからです。この行為は、イエスに、ゴルゴダの丘の上での磔刑をもたらしました。

 ウクライナ戦争は複雑な外見を示して居ます。しかし、そのとどのつまりの真因が「マネー、マネー、マネー、マネー、・・・」であることを否定することは、誰にも出来ますまい。私たちは悪き商人たちを、この世界から、排除しなければなりません。

藤永茂(2022年12月15日)


イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(5)

2022-12-08 14:16:40 | 日記・エッセイ・コラム

 また、『イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑』と題するNHK制作のドキュメンタリー番組を自分でコピーしたDVDを、じっくりと、視聴し直し、私にとって大変意味のある事に、はっきりと、気がつきました。それは、NHKという国営の組織の中に、イサム・ノグチの原爆慰霊碑の建立を強く希求する一群の人々が存在するという事です。この明白な事実を初めから認識しなかった私が間抜け者でした。このドキュメンタリーの終わりで、一人の若い米国人を登場させて、「この原爆碑を何処かの地に建立したいと最後まで願い続けたイサム・ノグチの想いは単なる反核の思想を超えるものだった」という意味のことを語らせています。

 今の状況下で、NHKの内部のこの人たちにこれ以上の原爆碑建立の発言を求めるのは酷というものでしょう。これは、まがいもなく、「反核」「反戦」の声ですから。老人ホームの住人の様な、斬られる首など持たない人間たちが、声を上げ、立ち上がるべき場面ではありますまいか。

 イサム・ノグチは日米混血として壮絶で見事な生き様を示してくれました。この人物をもっとよく知りたいものです。優れた伝記を二つ紹介しましょう。先ず、ドウス晶代著『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(上、下)(講談社文庫)、合わせて912頁の大冊、始めは単行本として2000年に出版されました。イサム・ノグチの生涯が見事に描き尽くされています。上巻の帯には「父との葛藤、華麗な恋愛遍歴、戦争・・・。「ミケランジェロの再来」と謳われた巨匠の波乱に富んだ生涯を描ききった傑作」と記されています。下巻の65頁には[ベル・タワー(鐘楼)]という作品のことも出ています。これについてイサム・ノグチの「私の大きな関心は戦争で亡くなった人々のために、広島か他のどこかにベル・タワーを設計することでした」という言葉が引いてあります。下巻115-6頁には「イサムは原爆の犠牲者となった広島市民の<永遠の平和の祈念>のシンボルである慰霊碑のデザインを手がけることを、<芸術家としてこれ以上の名誉はない>と思った。彼は大橋欄干デザインでは、五十万円を受け取っていたが、慰霊碑は無償で引き受けた。」とあります。彼はこの仕事を「人類が犯した罪の償いを象徴する仕事」と考えていました。

 もう一冊はドーレ・アシュトン著、笹谷純雄訳『評伝 イサム・ノグチ』(白水社、1995年)です。原著はDORE ASHTON『NOGUCHI  EAST AND WEST』(University of California Press, 1992)。著者アシュトンさんは米国で著名な芸術史教授、近代現代美術の評論家で2017年に88歳で亡くなりました。芸術家としてのイサム・ノグチの生涯に重心を置いた重厚な充実した内容の書物で、私の様なものには読み応えがありすぎるほどです。イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(4)の中で言及した米国のテレビ会社制作の番組『ISAMU NOGUCHI』にも、この女性は何度も出て来ます。イサム・ノグチとは長年にわたって親交がありました。翻訳書では、読者の便宜を図って図版の掲載場所を変えた場所があります。その中の一つ、私が特別の想いを寄せる『おかめ』という作品については、機会を改めてお話ししたいと思います。

 一人の物理学者として、私は、イサム・ノグチの心中にあった“人類が犯した罪”という思いが何であったかを推測し続けています。1935年イサム・ノグチはメキシコ・シティに出かけて、メキシコの壁画家の巨匠ディエゴ・リベラが制作中であった大型壁画の一部の制作を担当しました。その話はドウス晶代の著書上巻の341頁以降に詳しく述べられています。そこには書いてありませんが、前掲のKSPSという米国のテレビ会社制作の番組『ISAMU NOGUCHI』の中で、イサム・ノグチが担当した『メコシコの歴史』あるいは『戦争』とも名付けられた縦幅約2メートル長さ22メートルの壁画の一部分に

             E=mcc (光の速度の2乗、うまく書き入れることが出来ませんでした)

という数式が描き入れてあるのに、私は気が付きました。他でもない、これは質量とエネルギーの等価性を示す有名なアインシュタインの公式で、1905年に導出されました。原子爆弾が放出する巨大なエネルギー説明する式です。盧溝橋事件(1936年)直前の時点で、イサム・ノグチは一体何を考えてこの式を壁画に刻み込んだのでしょうか?芸術家が持つ神秘的予感というものでしょうか?

 ヒロシマ・ナガサキの破壊の惨状を知った時、イサム・ノグチは、人間は入手すべきでなかったものを手に入れてしまったことを嘆いたと伝えられています。

 原子爆弾の産みの親とされるロバート・オッペンハイマーについてはイサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(2)で書きました。彼は「物理学者は罪を知った」という言葉を残して死にました。

 イサム・ノグチの後半生、四国の牟礼で、彼の良き助手、良き同伴者となった石工の和泉正敏さんは「科学がどんどん進歩する中で、人間が忘れてはならないものが、もっと大事なものがあるのではないかと考えて、それを石の中に求めたのではなかったでしょうか」と言っています。死に至るまで、イサム・ノグチが建立を切望し続けた彼の原爆慰霊碑が、究極的に、彼にとって何であったのか?広島市から拒否された1952年から後の30余年間の、原爆慰霊碑に関する数多の発言を辿ると、彼としては、日本でも米国でも、何処でもよいから建立したかったことが痛いほどわかります。それは、人間の、人類の、死と生に関する大きな祈りの石碑ではなかったのではないでしょうか。イサム・ノグチ原爆慰霊碑が、一つの大きな岩石であるこの地球の上で、全人類が、如何に生死を全うすべきかを示す力強い道導として設計されていることだけは確かだと思います。

 建立候補地の第一は、やはり、広島でしょう。全世界が核戦争の脅威に曝されている今、原爆慰霊碑の更新に反対する声を上げるのは悪しき者どもです。故丹下健三を含めて、イサム・ノグチの熱烈な願望と無私の献身を知る人々、今は鬼籍に入った人々の魂は、すべて、この更新に賛意を表するに違いありません。“過ちは繰り返さない”と誓ったのは人間全体であった筈ですから。私は、しかし、長崎も、広島に劣らない、建立の良い候補地だと考えます。その理由は、すでに、ブログ記事イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(3)で述べました。長崎の平和公園には、右手を掲げて空を指差し、左手は掌を広げて水平に伸ばした青銅製の大きな男性裸像があります。右手は原爆を、左手は世界平和の祈念を表しています。これは、日本で誕生した新しいプロメティウスの像です。自らが決して暴君とならない新しいプロメティウスです。また、公園内の「世界平和シンボルゾーン」には世界各地から寄せられた多くのモニュメントが建てられて、破壊と殺戮を繰り返す戦争の愚かさ、平和の尊さを訴えています。この長崎の平和公園はイサム・ノグチ原爆慰霊碑を建立するのに誠にふさわしい場所であります。

 同じブログ記事の中で、第三の候補地として、札幌のモエレ沼公園も挙げました。この三つの候補地に優劣はつけ難いという想いを、私は抱いています。そもそも、札幌のモエレ沼公園の建設をイサム・ノグチに依頼することを思いついた札幌市役所のお役人さんはどんな方々だったのでしょうか。その素晴らしい伝統が今も残っているならば、是非もう一度、声を挙げて頂きたい。この素晴らしい公園の中に、イサム・ノグチの原爆碑を、イサム・ノグチの遺志に背かない形で建立することは可能であることを私は固く信じ、札幌市のお役人と札幌市民の皆さんが進んで声を上げてくださることを念じています。

藤永茂(2022年12月8日、真珠湾攻撃の日)


イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(4)

2022-12-06 10:12:05 | 日記・エッセイ・コラム

 

 NHK制作番組『イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑』を自分でコピーしたDVDを、また、見てみました。建立勧進の気持ちはいや増すばかりです。残り僅かな私の持ち時間の尽きる前に、せめて建立への運動の立ち上がりだけでも見たいものです。

 イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(3)では民放の番組『イサム・ノグチ:地球を彫刻した男』(ナレーター:木村哲哉と仲代達矢)も紹介しました。その後、KSPSという米国のテレビ会社制作の番組『ISAMU NOGUCHI』とNHKの「日曜美術館」の古い番組『イサム・ノグチのモエレ沼公園』をDVDに移すことが出来ました。以上4つのDVDは、イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(1)の末尾に書きましたように、ご希望であればお送りします。

 札幌のモエレ沼公園はとても素晴らしい公園です。幼い子供から車椅子の老人まで楽しい時間を満喫できるこのタイプの公園としては、比類を絶する、世界に冠たる規模と芸術性を持っています。

 この秋、コロナ規制の緩和もあって、紅葉の京都は内外からの訪問客で溢れました。確かに古都京都の秋は美しい。しかしこの大混雑の中で、どれだけの人々が本当の秋の風情を胸に焼きつけたでしょうか。

 嵐山の渡月橋のあたりの雑踏の模様を見ながら、私は、昔、米国で見たテレビ番組のタイトル「You Were There」を思い出していました。これは一種の歴史ストーリー番組で、過去の名高い事件の現場に立ち会ったような臨場感を視聴者に与える試みでした。「あなたはそこに居た!」というわけです。「京都の秋の嵐山に私は居た!」「I Was There!」 その思い出(証拠写真)のために誰もが、先ずは、スマホを振りかざす。

 私がモエレ沼公園を訪れたのは20年ほども前で、すでに多数の樹木が植えられていました。今では立派な林や森ができていることでしょう。札幌では春に梅と桜が同時期に咲きます。美しく繊細な葉のもみじの木も大きな葉のメープルの木も育ちます。モエレ沼公園を、いわゆる桜の名所、紅葉の名所に仕立てるのは、イサム・ノグチの意図にそぐわないでしょうが、京都府立植物園のように、一種の穴場のような形でモエレ沼公園の春と秋が内外から多数の訪問客を誘致するようになってくれることを私は夢見ています。この公園は一度に一、二万の人々が訪れても、ビクともしません。“密"状態になる心配などありません。

 イサム・ノグチのモエレ沼公園の礼賛に力が入り過ぎて、やや勇み足気味になってしまいましたが、次回にはまた本題のイサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進の話題に戻ります。私は、この札幌のモエレ沼公園を、広島と長崎に並ぶ、原爆碑建立の有力な候補地と考えて居ます。

藤永茂(2022年12月6日)