私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

核抑止と核廃絶(2)

2010-04-28 10:53:28 | 日記・エッセイ・コラム
 まず、前回のブログからのつながりを良くするために、『核抑止と核廃絶(1)』の最後の部分を少し加筆変更して、ここに再録します。
**********
 核抑止と核廃絶の問題は、いささかの誇張を許していただければ、過去半世紀の間、私の胸中に常在し続けている問題です。したがって、原爆の記憶に関係するナラティヴ、そのナラティヴについての議論については、強い関心があります。歴史記述の分析が言語論的転回の洗礼を受けた後の原爆記憶論として、米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』(岩波書店、2005年)がありますが、その「日本語版への序文」には次のような文章が見えます。:
■ 私は本書において、現前性のイデオロギーを問わない過去の表象実践が、反核平和の言説の凡庸化に拍車をかけ、知の回収と馴致を生んできたことを批判した。と同時に、無批判な同一主義・自然主義・実践主義に対してポスト構造主義的視座から問いかけてゆくことが、変革的知を生み出してゆくうえで欠かせないものであることを描き出そうと試みた。
 このような構想の背景には、いくつかの関心事があった。
 ナチ政権下における汎ヨーロッパ的体験としてのホロコーストは、近代西欧思想における記号、意味、表象をめぐる諸前提を根底から揺るがした。第二次世界大戦後、大西洋を超えて多くの文化理論に影響をおよぼした脱構築理論およびポスト構造主義の展開は、ナチ・ホロコーストの記憶の痕跡を抜きにして語ることはできない。これに対して、広島の核被害はどうなのだろう? 二〇世紀の大惨禍としてアウシュヴィッツと並び称せられる片仮名のヒロシマは、はたしてホロコーストのように表象理論の修正をせまってきたのだろうか? 私は、八〇年代以降いっそう顕著になっていったポスト近代の哲学思想や文化理論の流れのなかに広島の核の言説を据え、これを対話の場へと導き出したいと考えた。
 同時に、私はこれを著名な作家や聖典化された書き物を通じてではなく、日常の言葉と実践としての思想史として提示したかった。脱構築理論やポスト構造主義が、社会運動においてしばしば専門用語をちりばめた流行として一蹴されたり、相対主義的で政治的に無力な思想として揶揄されがちなのに対して、変革的知をめざすラディカルな問いかけにとってこれらの文化理論が欠かせないものであることを、広島の語りを通じて示してみたかったのである。■(pp v~vi)
このユニークな書物から、私は、実に沢山のことを学ばせていただきました。しかし、一方では、著者の文化理論的立場、つまり、野家啓一氏の「物語論」をその一部として含む、相対主義、社会的構築論、脱構築理論、ポスト構造主義、ポストモダーン、などの呼び名がまつわる理論的方法論、がその一般的傾向として生み出しがちな一種の饒舌に対する批判的心情が私の中にあることも白状して置かねばなりません。広島の被爆の語りに、「戦争と植民地主義のコンテクストのなかで」真の「変革的知としてのあらたな意味」を求める観点から見るとすれば、米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』において、議論から全く欠落しているナラティヴがあります。それは「核抑止」というナラティヴ、語り、考え方です。「核抑止」は、さしづめ、ヒロシマのポストモダーン的考察には関係ないと思われる方々もおいでかも知れませんが、「核抑止」は、まがいもなく、ヒロシマとは不可分の「現前性のイデオロギー」の一つです。もし、ヒロシマ・ナガサキをアドルノの「アウシュヴィッツ」のコンテクストにおいて語ろうとするならば、核抑止のイデオロギーとそれに全く対峙する核廃絶のイデオロギーについて語らないわけには参りません。核抑止と核廃絶は厳然とした二項対立を成しているのであって、核廃絶が出来そうな世界情勢になるまでは核抑止力は温存しておこう、というような核戦略の中にすんなりと収容されるべき語彙ではありません。
 今回のブログの言葉使いは、はからずも、ポストモダニストたちのそれに似通うようになってしまいましたが、次回は、普通の調子を取り戻して、核抑止と核廃絶の物語を、尊敬する故豊田利幸氏に教えを請いながら、申し上げることにします。
*****(再録はここまで)*****
 MAD(マッド) というアルファベット略語をご存知ですか。 Mutual Assured Destruction の略語で、日本語の標準訳は「相互確証破壊」、形容詞の mad に引っ掛けた略語であることは確かですが、ふざけた文字遊びが許されるような事項ではありません。MADは、レーガン大統領の一つ前のカーター大統領の時代に使われた核抑止政策のキーワードでした。敵対する二つの国が確実に相手を破壊することが出来るだけの核爆弾と、相手が核攻撃を仕掛けてきたことを知った後から反撃しても敵国を破壊し尽くす態勢を保持していれば、その二国間で恐怖の均衡が成立して、戦争が抑止される、という考え方を表しています。必要とあれば、人間集団を核爆弾で破壊し抹殺するという考え、これは、馬鹿馬鹿しい、狂った考えというよりも、悪魔の考え、悪(the evil)そのものです。私はこれを「皆殺しの思想」と呼ぶことにします。この呼び名が必ずしも「核」に限定されていないことに注意して下さい。
 広島の碑文論争というものがあります。原爆死没者慰霊碑の石の前面の上部に「安らかに眠って下さい」と彫ってあり、下部に「 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。この文章は、1952年、当時、広島大学教授で被爆者でもあった雑賀忠義氏が考え出して、揮毫も行ない、その年の8月6日に碑の除幕式が行われました。それ以来、誰がどのような過ちについて語っているのかはっきりしない碑文であるために、さまざまな論争が行なわれて来ました。米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』のp22以降にも「碑文論争」が取り上げられています。私はその論争に加わる気持ちはありませんが、1952年に、雑賀忠義氏ご当人が碑文の公式の英語訳として「Let all the souls rest in peace; For we shall not repeat the evil」を提案し、広島で行なわれた「悪( the evil)」を繰り返さないと誓っているのは「we」で、われわれ人間すべてだという意味の説明を行ないました。とすれば、この「we」は、前回のブログに引いたアドルノの言葉「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」で、「詩を書くことは野蛮である」と感じる「we」と同一の筈でなければなりません。ところが、現前の政治的現実は、この二つの「われわれ」の間に同一性など殆ど認められていないことを示しています。現在、イスラエルが数百個の核爆弾を保有していることは、イスラエルを含めて誰も否定しない事実ですが、イスラエルは、イランも加入している核非拡散条約に加盟していません。このイスラエルを容認する人々がアドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉を金科玉条として高く掲げる「われわれ」に他なりません。この「we」が雑賀さんのいう「われわれ人間すべて」と等しくないことは明らかです。
 核抑止という考えは、上記の通り、必要とあれば、核爆弾を使用するという考えです。核兵器の使用を絶対的な悪と“考えない”イデオロギーです。そして、ヒロシマ以後の「われわれ」人類はこの核抑止のイデオロギーとそれが醸成する世界の中で生きることを強いられているのです。オバマ大統領の、最近の世界非核化のジェスチャーの裏に、その演出者であるキッシンジャーの核抑止政策が貼り付いていることは、これまた、何人も否定できない事実です。2010年2月17日のブログ、『[号外] オバマ大統領は反核でない』、ではっきりと説明した通りです。核抑止という言葉に飼いならされてしまった我々は、この言葉との共生を強いられているという状況の不条理さに対する感受能力を失ってしまっています。これは重大な状況です。
 半世紀以上の間、原子爆弾との共生を我々に強いる状況がどのように発生したかを、豊田利幸著『新・核戦略批判』(岩波新書、1983年)から学ぶことにします。:
■ 1955年には「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、そのよびかけに応じてカナダのノヴァスコシア州パグウォッシュ村で第一回のパグウォッシュ会議が1957年に開かれていた。この会議の意義は東西両陣営の科学者たちに高く評価され、翌1958年にはカナダのラック・ビューポートで第二回の会議が開かれた。第一回の会議では、核戦争の危機を避けるためのいわば総論的な議論が行なわれたのに対し第二回の会議は声明などは出さないで、各論に一歩踏み込んだ討論が活発になされた。その会議の事務局長をつとめたロートブラットによると、「核兵器は絶対悪であり、これはどうしても廃絶しなければならない」という意見と、「巨額の国費を投入して開発した核兵器をその国が廃棄するはずがない。それゆえ核兵器を保有したままで戦争がおこらないような方策を探求すべきである」、端的に当時の言葉を使えば、「原子爆弾と共に生きよう(Live with atom bomb )」という意見が鋭く対立して白熱した論戦が行なわれたという。残念ながら、この第二回パグウォッシュ会議に日本からの出席者はなかった。注目すべきは「ラッセル・アインシュタイン宣言」を出すことを考え、かつその文章を起草したラッセルが前者の意見を強く主張したにもかかわらず、シラードに代表される後者の意見が会議の大勢をきめたことである。
 これによって核抑止論はパグウォッシュ会議の中に根をおろし、以後の核戦略の理論的支柱となってしまった。その頃もしアインシュタインが生きていたら、恐らくラッセルを全面的に支持し、シラードたちを圧倒したであろう。とにかくこれを契機に相互核抑止の数量的研究が精力的に行なわれることになった。■(pp74~75)
 豊田利幸氏は高潔な方でしたから、レオ・シラードという人物に対する反感をあらわに言葉にしておられませんが、私は、この人物の醜悪な一面を許し、その長所だけを受け入れる度量に欠けていましたので、以前、ロバート・オッペンハイマーの伝記を書いた折に、レオ・シラードを手厳しく批判したことがあります。その時には、私は、シラードを本質的には“無害”な人物と思って次のように書きました。:
■ 私にはシラードに対するウィグナーの永続した奇妙な愛情がわかるような気がする。シラードもまた愚かなひとりの科学者、ひとりの人間であった。ウィグナーが言ったように本質的に無害な人間であった。■(『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』、p237)
しかし、今は違います。核爆弾を、「ヒロシマ」、を絶対悪として直ちに退けるかわりに、核抑止という政治的イデオロギーのもとで、核爆弾と共に生きることを我々に強いてきた責任をレオ・シラードは背負わなければなりません。「ヒロシマ」と「アウシュヴィッツ」の区別を導き入れた責任と言ってもいいでしょう。
 去る4月6日にオバマ政権は2010年度の核戦略報告書「核態勢の見直し」(Nuclear Posture Review, NPR)を発表しました。その内容の要約が国防省から出されていて、その中に次の文章があります。:
■ 核兵器保有国及び核不拡散義務を遵守しない国家に対応
アメリカは、アメリカ、その同盟国及びパートナーの決定的な利益を防衛する究極
情況においてのみ核兵器を使用しうる。
これらの諸国にとっては、アメリカの核兵器が通常兵器あるいは生物化学兵器に
よる攻撃を抑止するという役割を依然として演ずるかもしれないという緊急事態の
狭い幅が残っている。■
現在の具体的な世界状況に投射してハッキリ分かりやすく言えば、これは、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“ヒロシマ”の苦しみを与えてやる」という脅しをかけることに等しいのです。イスラエルがイランの核関係施設に先制空爆を行い、イランがイスラエルに全面的反撃(もちろん通常兵器で)をする事態の発生可能性はますます高まって来ていると判断されますから、オバマ政権のこの核戦略見直しは、圧倒的な核兵器の脅威を振りかざしてイランを脅そうという、実に恐るべきものなのです。そして、これが核抑止というイデオロギーの直裁な表現の一つであることをはっきり認識しなければなりません。
 しかし、アドルノの有名な言葉を「頂門の一針」と認識する知識人たちは(前回のブログ参照)、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“アウシュヴィッツ”の苦しみを与えてやる」と誰かが言い換えたとすると、この発言を、ナチ・ホロコーストの記憶にたいする、決して許すことの出来ない冒涜と考えることでしょう。この非可換性は何処から来ているのでしょうか?一つの「皆殺しの思想」の記憶は、人間が詩を書くことすら難詰するまでの力を持ち続けるのに、もう一つの「皆殺しの思想」は核抑止論という形で、グローバルな外交政策として容認されて今日に至っているということです。ヒロシマ・ナガサキをめぐる「ラディカルな知」を求める知識人にとって、この現在の知的状況は決してこのまま容認さるべきものではない筈です。
 上述のように、1958年の第二回パグウォッシュ会議で、アインシュタイン・ラッセルの核廃絶論を押さえて核抑止論を打ち立てたレオ・シラードたちは「これを契機に相互核抑止の数量的研究を精力的に」行なうことになりましたが、レオ・シラードが、何かにつけて、目の敵にしたロバート・オッペンハイマーは、1959年に行なった講演の中で、核抑止論の旗の下に水爆と長距離ミサイルの開発に狂奔するアメリカを次のように批判しています。:
■ 殆どすべての人間を殺戮し尽くす可能性を論ずる時、計算高いゲーム理論の言葉でしか語れない我々の文明を、我々は一体何と考えたらよいのか。悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解を西側が、特に我が国が表明した度ごとに、我々は誤りを犯してきた。第二次世界大戦における戦略爆撃作戦-これこそがこの大戦の全面的特徴であった-の歴史的結果としてもたらされた良心の痛みの喪失こそ、世界の自由、人間の自由の促進の重大な障害になっているのである。■
この「悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解」は、オバマ政権の対イラン政策のエッセンスに他ならず、同じ考え方が60年間一貫して維持されたというのは真に信じがたい歴史的事実です。
 オッペンハイマーが「良心の痛みの喪失」という、彼らしい、穏やかな言葉で嘆いている人間精神の荒廃あるいは欠陥の象徴として、核兵器だけでなく、第二次世界大戦における戦略爆撃作戦一般が挙げられていることに注目しましょう。
 東京大空襲は良く知られていますが、大阪も1945年3月13日以降,数次にわたって大規模戦略爆撃に曝され、終戦の前日8月14日にも京橋地区に集中して広島原爆の約20分の1の爆発力の爆弾攻撃を浴びました。広島・長崎は東京・大阪あるいはハンブルグ・ドレスデンと区別して記憶されるべきものなのかどうか-この問題を次回には考えてみたいと思います。これは「ヒロシマ・ナガサキ」と「アウシュヴィッツ」の区別という極めて重要な問題を取り上げる前に、どうしても避けて通ることの出来ない関門です。

藤永 茂 (2010年4月28日)


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[号外]池辺幸恵さんからのメッセージ

2010-04-25 07:48:09 | 日記・エッセイ・コラム
今日4/25(日)、沖縄は10万人を超す県民大会となるでしょう。
自民党の仲井間知事の出席も決まり、平和三羽烏の伊波・東門・稲嶺市長たちも出席ですから、
まさに沖縄は全島をあげ、全党派こぞって普天間県外移設を願っています。
(本来グアム移設は決まっているのだから、新基地建設あるいは
 増設であるのを移設だと政府は“すりかえ”てだましています)
しかし沖縄の人たちにとって、今日こそが勝負の時です。応援しています!

 かえりみるに、わたしたち日本人は一体どうでしょうか。
 基地はヤマトにもってゆけ!!!というタカラ高良勉さんの言葉! は、
まさにわたしの心に苦しく強く響いてきます。まさにそのとおりです。

 もし、基地がここ神戸のポートアイランドの空き地に、あの赤字だらけの関空に来ることになったら
 わたしたちは、どうするでしょうか。それこそもってこいと思う死の商人たちもいるでしょうが、
 しかし、住民にとっては現在の徳之島と同様に、岩国と座間と同様に・・・猛烈な反対運動がおきるでしょう。だって戦争をミサイルを核をたくさんの危険を身近に呼び寄せるわけですから。

 その私たちに来てほしくないものを、私たちはずっと、ずっと、
 戦後沖縄を犠牲にして押し付けてきたのです。
 ヤマトはのうのうと、戦争に直接手は染めていないかのように装って、
 軍需景気や貿易黒字だと、沖縄の多大な犠牲の上に平和ボケを謳歌してきたのです。

 その間ずっと、沖縄からは戦闘機がとびたち、不平等な地位協定、 
 アメリカによってひきおこされた数々の戦争(ベトナム・アフガニスタン・イラク・・・)すべてに関わり、
 精神的肉体的犠牲は沖縄県民に押しつけ、物理的に、金銭的にもしっかりと加担してきたのが日本です。
 それはわたしたち自身が同様に大変な加害者であるという事実なのです。
 又、わたしたち日本も実際は占領国のままで、わたしたち国民は世界一搾取されてきながら気づかなかったのかもしれません。

 今こそわたしたち日本人は、沖縄の過去・現在の実態を知って、
 ただいまの沖縄の叫びを聞いて心が苦しく痛くならないとしたら、
 とてもその思いの一端さえ永久に分からないままかもしれません。
 それほど今沖縄は全島をあげて、日本のこれまでのやり口に対して怒りを吹き出しているのです。                                               
 沖縄でなければ、徳之島・・・これも琉球弧の内です。
 そこには、かつてのヤマトが薩摩藩が明治以来もずっと“化外の民”として、
 天皇制の外にある者たちとしての差別意識、蔑視観がまだまだわたしたちの中に、
 とくに政治をする人たちの意識の中に厳然としてあることに気づいて恥じねばならないでしょう。                                           
 だのに、このような私たち自身のあり方、国の根幹にも関わる足下の火種に目もくれないで、
 ただいま遠いNYの蜃気楼へと群がっているという何千人もの核廃絶を求める日本人たち・・・。        それが決して無意味だとは申しませんが、しかしオバマさんに幻想をいだくより、
 そのパワーとお金を沖縄の人たちと国会議事堂を取り囲むほうに費やしてはいかが、
 とかつて私は申し上げました。
 しかし、せっかく行ったのなら、NYで沖縄のためにも少しの時間を費やして
 「沖縄を返せ」「基地はいらないデモ」「世界中からアメリカ基地をひきあげろ」デモ 
 でもしていただきたいなと思うところです。

 わたしたちが今、ずっと虐げてきた沖縄の人たちに対して真剣に呼応するには、
 私たち自身の日本政府を、平和憲法に値する、世界に恥ずかしくないほんとうの平和立国にする、
 その実現のための努力をわたしたち日本人が、しっかりとそこにねらいをしぼり
 智慧を出し合い、議論し、小異を認めながらも、その大同で手をつないで
 政治を私たちのものにしてゆくことが必要ではないでしょうか。

 それにはまず、アメリカのポチたちやアメリカを恐れている幼稚な日本政府のあり方から脱して、
 真の独立国日本へと、わたし自身の手で自らの意識や政治を変えてゆかねばならないでしょう。

 今、私たちは沖縄を見習い、私たち自身が変わるためにもあつく燃えましょう!

池辺幸恵@西宮 平和のピアニスト
 
http://www.youtube.com/watch?v=eJD4BZs0chM  
http://www.youtube.com/watch?v=isJeaAs4_qc&fe
http://yukichan.cc


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核抑止と核廃絶(1)

2010-04-21 10:50:47 | 日記・エッセイ・コラム
 岩波講座『哲学11:歴史/物語の哲学』の野家啓一氏の論考「展望:歴史を書くという行為-その論理と倫理」から少し引用します。:
■ すでに人口に膾炙しすぎたきらいはあるが、T・アドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉は、今なお二〇世紀を振り返る者にとって頂門の一針であり続けている。しかも彼が、別の場所で「アウシュヴィッツ以降は、このわれわれの生存が肯定的なものであるといういかなる主張も単なるおしゃべりに見え、そうした主張は犠牲者たちに対する不当な行為であるという抵抗感が沸きおこらざるを得ない」と述懐しているのを見れば、先の言葉は「詩を書くこと」よりも「歴史を書くこと」によりいっそう痛切に当てはまると言わざるをえない。」■(p14)
この文章の3頁前の「視座の転換」で、サイードの「オリエンタリズム」が論じられていて、彼の言葉「オリエンタリズムのなかに現れるオリエントは、西洋の学問、西洋人の意識、さらに時代が下がってからは西洋の帝国支配領域、これらのなかにオリエントを引きずりこんだ一連の力の組み合わせの総体によって枠付けされた表象の体系なのである」が引用されています。そして、野家啓一氏は次のように言います。:
■ このようなサイードの問題提起は、いわば両義図形を見るように、歴史を見る眼差しを反転させた。それによって、これまで抑圧され隠蔽され、一定のパターンを押し付けられてきたオリエントのイメージが一新されるとともに、そこに纏わりついてきた政治的・文化的ヘゲモニーの力学が白日のもとに晒されたのである。この「視座の転換」は、西洋対東洋という根強くはあるが陳腐な二項対立を無効化し、破砕したと言ってよい。そしてオリエンタリズム批判は、単に西洋と東洋との関係にとどまらず、一般に「他者」を表象する際の<知>のあり方と布置に深刻な反省を迫るものとなったのである。■(p11)
野家啓一氏の「展望」の結語には
■ 歴史記述は現代世代および未来世代へ向かっての「記憶せよ!」という呼びかけの言語行為でもある。記憶に値するものを選び出し、物語るという行為は、それゆえ死者の眼差しとともに現在および未来の「他者の眼差し」にも裏打ちされていなければならない。そこには本来の意味での「世代間倫理」が存在する。■(p15)
とあります。
 アドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉には、私も以前から何度も出会ったことがあり、ここで言う「詩を書く」という意味が十分会得できないままながら、きびしい言葉だと思ってきました。パウル・ツエランやプリモ・レヴィの名を思い浮かべながら、野蛮でない詩もあるのだろうと考えることもありました。上掲のアドルノのもう一つの言葉「アウシュヴィッツ以降は、このわれわれの生存が肯定的なものであるといういかなる主張も単なるおしゃべりに見え、そうした主張は犠牲者たちに対する不当な行為であるという抵抗感が沸きおこらざるを得ない」はアドルノのいう「野蛮」の解説を与えてくれているのかも知れません。
 アドルノの発言が彼の心の底から発せられたことを疑う気持ちは、私には全くありませんが、一般論として、こうした知的に響きのよい発言が広く人口に膾炙する現象については、一定の警戒心をもって当る方が良いと思います。例えば、こうです。アドルノのいう「アウシュヴィッツ」は勿論ナチ・ホロコーストという歴史的事件の表象ですが、それにならって、アドルノの言葉の「アウシュヴィッツ」を原爆ホロコーストの表象としての言葉「ヒロシマ・ナガサキ」で置き換えるとすれば、この置き換えは、サイードの「視座の転換」の可能な一例に他なりません。また、今、イスラエルの言語道断の暴虐の下で苦難の極にあるガザ地区のパレスティナの人々が、「アウシュヴィッツ」を「ガザ」に転換して思考を進めようとすれば、これも一つの可能な「視座の転換」の筈です。しかし、これらの「視座の転換」に対して、世界のさまざまな場所や人々から、強い反対、きびしい非難の声が沸き上がります。
 ここには世界の知識人たちにとって極めて重大な問題が提起されていると、私は思います。歴史を見る視座に、非難を傲然と拒否するものと、非難に苛まれるものとがあるという現実が目の前にあるからです。歴史的視座の当否、可不可を決めようとする力はどこから来るのか?
 野家啓一氏のもう一つの著作『物語の哲学』(岩波、1996年)のp11には、
■ 歴史的出来事は、この「人間的コンテクスト」の中で生成し、増殖し、変容し、さらには忘却されもする。端的に言えば「過去は変化する」のであり、逆説的な響きを弱めれば、過去の出来事は新たな「物語行為」に応じて修正され、再編成されるのである。これは不思議でも何でもない日常茶飯の事実に過ぎない。■
と書いてあります。このような主張について、岩波講座『哲学11:歴史/物語の哲学』(2009年)のp241で、貫成人氏は、
■ 歴史記述の分析によらなければ歴史学のあり方をとらえることはできないとする物語論は、歴史的出来事を優先する従来の考え方を逆転するものであり、これをリチャード・ローティにならって「言語論的転回」とよぶ。その立場を突き詰めれば、過去は歴史的テクストによって構成されるという主張に行き着く。■
と書いています。たしかに、過去の出来事は新たな「物語(ナラティヴ)」に応じて修正され、再編成される、という哲学的立場をとることは可能でしょうが、これを、不思議でも何でもない日常茶飯の事実に過ぎない、とするのは如何なものでしょうか? 過去の歴史的事実の例として、「アウシュヴィッツ」や「ヒロシマ・ナガサキ」をとるとすれば、その修正や再編成が何でもない日常茶飯事として看過されてよい、あるいは、看過される、とは到底考えられません。
 ところで、ここまでの私の語りについてきて下さった読者は、私が何故ゴチャゴチャと分かりにくい話を続けているのか、ブログのタイトルの『核抑止と核廃絶』と何の関係があるのか、訝り始めておられると思いますので、少し弁明を試みます。
 核抑止と核廃絶の問題は、いささかの誇張を許していただければ、過去半世紀の間、私の胸中に常在し続けている問題です。したがって、原爆の記憶に関係するナラティヴ、そのナラティヴについての議論については、強い関心があります。歴史記述の分析が言語論的転回の洗礼を受けた後の原爆記憶論として、米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』(岩波書店、2005年)がありますが、その「日本語版への序文」には次のような文章が見えます。:
■ 私は本書において、現前性のイデオロギーを問わない過去の表象実践が、反核平和の言説の凡庸化に拍車をかけ、知の回収と馴致を生んできたことを批判した。と同時に、無批判な同一主義・自然主義・実践主義に対してポスト構造主義的視座から問いかけてゆくことが、変革的知を生み出してゆくうえで欠かせないものであることを描き出そうと試みた。
 このような構想の背景には、いくつかの関心事があった。
 ナチ政権下における汎ヨーロッパ的体験としてのホロコーストは、近代西欧思想における記号、意味、表象をめぐる諸前提を根底から揺るがした。第二次世界大戦後、大西洋を超えて多くの文化理論に影響をおよぼした脱構築理論およびポスト構造主義の展開は、ナチ・ホロコーストの記憶の痕跡を抜きにして語ることはできない。これに対して、広島の核被害はどうなのだろう? 二〇世紀の大惨禍としてアウシュヴィッツと並び称せられる片仮名のヒロシマは、はたしてホロコーストのように表象理論の修正をせまってきたのだろうか? 私は、八〇年代以降いっそう顕著になっていったポスト近代の哲学思想や文化理論の流れのなかに広島の核の言説を据え、これを対話の場へと導き出したいと考えた。
 同時に、私はこれを著名な作家や聖典化された書き物を通じてではなく、日常の言葉と実践としての思想史として提示したかった。脱構築理論やポスト構造主義が、社会運動においてしばしば専門用語をちりばめた流行として一蹴されたり、相対主義的で政治的に無力な思想として揶揄されがちなのに対して、変革的知をめざすラディカルな問いかけにとってこれらの文化理論が欠かせないものであることを、広島の語りを通じて示してみたかったのである。■(pp v~vi)
このユニークな書物から、私は、実に沢山のことを学ばせていただきました。しかし、一方では、著者の文化理論的立場、つまり、野家啓一氏の「物語論」をその一部として含む、相対主義、社会的構築論、脱構築理論、ポスト構造主義、ポストモダーン、などの呼び名がまつわる理論的方法論、がその一般的傾向として生み出しがちな一種の饒舌に対する批判的心情が私の中にあることも白状して置かねばなりません。米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』において、全く欠落しているナラティヴがあります。それは「核抑止」というナラティヴ、考え方です。「核抑止」は、さしづめ、ヒロシマに関係ないと思われる方々もおいでかも知れませんが、それは、まがいもなく、ヒロシマとは不可分の「現前性のイデオロギー」の一つです。もし、ヒロシマ・ナガサキをアドルノの「アウシュヴィッツ」のコンテクストにおいて語ろうとするならば、核抑止のイデオロギーとそれに全く対峙する核廃絶のイデオロギーについて語らないわけには参りません。
 今回のブログの言葉使いは、はからずも、ポストモダニストたちのそれに似通うようになってしまいましたが、次回は、普通の調子を取り戻して、核抑止と核廃絶の物語を、尊敬する故豊田利幸氏に教えを請いながら、申し上げることにします。

藤永 茂 (2010年4月21日)


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広島訪問;ゲバラ、カストロ、そして、オバマ

2010-04-14 10:28:59 | 日記・エッセイ・コラム
 キューバ革命成功から半年も経たない1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの経済使節団(総勢6名)の団長として、日本を訪れました。当時の日本ではゲバラの名を知るものは少なく、到着を報じたのは朝日新聞だけだったそうです。トヨタ自動車の工場を訪れたり、時の通産大臣池田勇人と短時間会ったりしたようですが、ゲバラは始めから広島訪問を希望したけれども、日本政府は彼の滞在日程に含めることをしませんでした。大阪を視察した7月24日の夜、彼は、腹心二人を連れて、夜行列車に乗って広島訪問を敢行します。とにかく、原爆が初めて投下された広島の地を自分の足で踏みしめ、そこで原爆の意味を考えてみたかったのです。何かの政治的計算があったと勘ぐる余地は全くありません。その意味で、ゲバラの広島訪問は感動に値します。
 カストロがゲバラから広島の話を聞いたことは確かですが、カストロの広島訪問は2003年3月まで実現しませんでした。カストロが初めて来日したのは、1995年12月ですが、この時も、2003年の訪日も、日本政府の招待ではなく、たまたまアジア諸国を訪問したついでの(飛行機の給油!)日本滞在という形で、アメリカ政府に対する日本政府の気兼ねの結果でした。2003年、カストロは3月1日から4日までの短い滞日でしたが、その半分の時間を広島訪問に費やしました。その時の外務省(川口外務大臣)の公式記録には、次のように書いてあります。:
■  広島滞在(3~4日)
 3日、カストロ議長は広島を訪問し、平和公園における献花及び原爆資料館視察のほか、広島県知事主催の昼食会に出席した。視察後、人類はこのヒロシマの苦しんだ経験を繰り返してはならないと述べるなど、深い感銘を受けた模様であった。■
カストロは慰霊碑に献花し、黙祷を捧げ、「人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある」という言葉を残しました。
 日頃から私が敬愛する友人から薦められて、田中三郎著『フィデル・カストロ 世界の無限の悲惨を背負う人 』(総頁635)という本を入手して読みました。アマゾンの投稿書評(二つ星)に「長大かつ熱烈なラブレター。フィデルファンの私でもまっ青。第八章は途中まで読んでドロップアウトです。ただこれほどまでにカストロに心酔している人が日本に存在している事はうれしいですが。よくぞ出版されました。出版社にも敬意を表します。」とあります。面白い書評です。
 ハギオグラフィ(hagiography)という、宗教的な聖人の伝記を意味する言葉があります。ギリシャ語のhagios(神聖な)が語源です。為にする所があって、やたらに主人公を持ち上げる伝記を“ハギオグラフィ”と軽蔑して呼ぶこともあります。しかし、上掲のカストロ伝は、文字通りの意味で、立派なハギオグラフィです。文字通りの聖人伝です。この現代の聖人に対する著者の尊崇の気持のあまりの強さから、その記述に偏りが生じている面があるかも知れませんが、1996年から2000年までの4年間、駐キューバ大使を務めた日本人外交官が、このようなハギオグラフィを書いたという事実そのものが異常であり、特筆に値すると思われます。上記の書評子が読み飛ばした第八章の後半で、田中三郎氏は、カストロに「ヨブの忍耐」を認め、アシジの聖フランシスの姿を重ねます。頼みもしないのに、東洋の異国の外交官にこれだけのハギオグラフィを書かせたフィデル・カストロ。もしも-残念ながら、もしも、ですが-中南米地域が、この200年間のアメリカ合州国の無法傲慢な支配を排除する日が到来したら、フィデル・カストロの名が、20世紀最高の偉人の一人として定着することは間違いありません。
 さて、オバマ大統領の広島訪問のことを考えてみましょう。ゲバラの場合も、カストロの場合も、是非、広島の地を踏んで、被爆者の霊を弔いたいという強い気持ちがあったことを疑うことは出来ません。しかし、私の判断では、オバマ大統領の心中にそうした衝動はありません。彼の広島訪問は、彼一流の政治的なそろばん勘定が合えば、実現するかもしれませんが、ゲバラやカストロと異なり、あくまで一つのパフォーマンスに過ぎないでしょう。ここまで断言的な悪口を私が言う一つの根拠は彼がNHKの単独インタヴューに応じた時のオバマ大統領の語り口にあります。
 オバマ大統領の初の来日は、予定が突然変更されて、1日おくれの2009年11月13日になりましたが、到着後すぐに行なわれた鳩山首相との会談が済み次第、共同記者会見が行われることになっていました。私は、当時、病気で床に就いていて、隣の部屋のテレビの音声だけを聞きながら、記者会見が始まるのを待っていました。
NHKも、開始時間が分からないまま、訪日を前にしてNHK特派員がワシントンで行なったオバマ大統領単独インタヴューの全体をテレビ画面に流して時間をつぶしていました。その音声だけを、ベッドの中で聞いていたわけです。メモは取っていませんので、今から書くことは、床の中での記憶だけに頼っています。オバマ氏は以前にも一度日本の土を踏んでいて、それは家族(奥さんと幼い娘さん二人)を連れて、義父の国インドネシアに向かう途中、東京に降り立ち、鎌倉の大仏を見物しました。「娘達は大仏より抹茶アイスクリームの方に興味があった」などと語っていました。広島訪問について問われると、オバマ大統領は、大体、次のような話をしていたと記憶しています。「今回は時間がないが、何時か是非行ってみたい。娘達も大きくなって、学校で日本の事を勉強しているから、前の鎌倉見物のように家族連れで広島にも旅行ができたら嬉しいのだが・・・」 日本のテレビ視聴者の中には、「アメリカの小学校では、日本の事もちゃんと教えていて、子供達も興味を持っているのだなあ」と感心した人もおいでかも知れませんが、期待をふくらますには当りません。北米の小学校では、いろいろのテーマを取り上げて、そのテーマに関係する物品を持ち寄ったりして勉強することがよく行なわれます。日本の着物や人形を親が子供に持たせたり、折り紙細工やお寿司の体験をするかもしれません。そういった事です。広島原爆の話は滅多に出ないでしょう。家族旅行のついでに広島にも立ち寄りたいとでも言いたげな、オバマ大統領のその語り口に、私は、床の中で腹を立て、ゲバラやカストロのことを思わずにはいられませんでした。
 オバマ大統領は24時間にも満たない滞日の後、そそくさと次の訪問国シンガポールに向けて飛び立ちました。

<付記>今朝のNHKニュースは、47カ国が参加したオバマ大統領の主宰の核安全保障サミットが成功裡に閉幕したと報じていました。確かにこのサミットはアメリカにとって大成功だったと思います。これで、次ぎに来るイラン制裁が、あたかも全世界の課題であり、希求であるかのように、演出される舞台装置が出来上がったのですから。我々としては、本質的ではないノイズに耳を奪われることなく、問題は、アメリカとイスラエルが、今後、イランに対してどのような行動に出るか、の一点にあることを肝に銘じて置かねばなりません。

藤永 茂 (2010年4月14日)


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分断統治と知的従属

2010-04-07 19:46:00 | 日記・エッセイ・コラム
********* 前置き(藤永 茂)***************
                            
私のブログ「ハイチは我々にとって何か(5)」に長いコメントを頂いた
須衛野さんに、特別寄稿をお願いしました。私のパソコン知識不足のため、
テキストの体裁が不備な点をお許し下さい。須衛野さんからは、acrobat
reader で読めるpdf で受領しましたが、このブログの記事にうまく移せま
せんでした。この論考の終りに近い所に引用されている Whale Whores は
とりわけ一見に値します。須衛野さんから送って頂いた元のpdf をご希望
の方は、コメント欄を使ってお知らせ下さい。

**********************************
                       
                                                  
少し前のことですが、ニューズウィーク誌の日本語サイトに『過激思想に走りやすい?理数系学生を警戒』という短いコラムが掲載されていました。『アルカイダやヒズボラ、ハマスといったイスラム教過激派組織にリクルートされるのは、医学や工学といった理数系分野の出身者が多いという。オックスフォード大学の社会学者ディエゴ・ガンベッタとシュテッフェン・ヘルトクが高学歴のテロリスト178人を調査した結果、半数近くが理数系を専攻していたことが分かった。過激な思想の持ち主が科学に詳しい傾向は、イスラム教徒に限った話ではない。ヒトラーを崇拝するネオナチにも同様の傾向が見られる』ため、『欧米やイスラエルの情報機関は中東全域の大学で化学や物理、生物などを教える学部の監視を強化して』おり、『米政府も大学の工学部への留学希望者にはより徹底した入国審査を実施するようになった』そうです。この「半数近くが理数系を専攻」という翻訳が気になりましたので、原文に当たってみたところ、やはり"almost half studied math or
science"という記述がなされていました。almost half、つまり、半数に届こうとするところの学生は理数系です。これだけでも多くの人がこの文章の胡散臭さに気づいたであろうことは容易に想像できます。そう、「半数を超える残りの高学歴テロリスト」は人文系や社会系、芸術系といった文科系であるにも拘らず、これを書いた人は普通の理数系出身者ならば怖くて出来ないほど大胆かつ強引に理数系出身のテロリストが「多い」ことを強調しています。続くパラグラフでは、理数系がテロに走りやすい「理由」らしきものが説明されています。引用開始『なぜ理数系がテロに走りやすいのか。専門家らによれば、理数系の人は社会を大きな機械のように考える傾向があるという』引用終了。これを書いた人や専門家らが殺人に走らないことを祈りましょう。人→理数系教育機関→人+テロリスト傾向、∴¬(理数系学部による中東からの留学生採用)。恐ろしい。

藤永ゼミに飛び入りさせていただいているので、発表者が何者なのかを簡単に説明します。理学部数学科で統計学の講義を受け持っていましたが昨年引退しました。生粋の数学屋さんではありません。経済学畑で統計学と線形計画法を齧っただけです。しかし、ブラジルに流れ着いた時、出身が何だろうが大学院で担当科目の単位を取得していれば問題ないということで教壇に立ちました。線形代数の講義を担当したことさえあります。まったくもって乱暴な話。暫く前まではそれほど数学教師が不足していたのです。2003年のルーラ大統領就任以来、数理教育プログラム、とくにキューバとの学術交流にかなりの資源を投入しているらしいのですが、教師不足は未だ解消されていません。私が勤務していた州立大学の数学科では、いくら懇切丁寧に指導しても40名の入学者が卒業する頃には5名程しか生き残っていませんでした。新興国中、最も理数系の成績が悪い国でもあります。そういえば、随分前のことですが「先進諸国はロシアや中国、インドを怖がっているし、米国はあんなに小さなキューバに対してさえ今現在でも封じ込め政策を続けている。理数教育のレベルが高くて、例えば中国のように機会を巧みに利用すれば時間をかけずして生産技術で追いつくことが可能だからでしょう」と話したところ、「でも、ブラジルは理工系が駄目だからどこからも脅威とは思われていません。だから国際的紛争からは遠い位置にいていつも平和です」と学生の一人が混ぜっ返し、喜んで良いのやら悲しんで良いのやら分からない、と言う話になったのを思い出しました。

過去のエントリーで藤永先生も言及されていますが、キューバからは医師や数学、物理学、化学の教師が中南米やアフリカ諸国へ派遣されています。知り合いの米国人に言わせれば「家族を人質に取られているから政府の言いなりになっている」らしいです。私の同僚にも5、6人いましたので、本人たちに訊いたところ、人質であるはずの家族を呼び寄せた人、一種の出稼ぎと割り切ってキューバ政府に納める『税金』を誤魔化している人、向こうの家族に隠れて若い女性と結婚した人、等々、米国生まれの我が友人が願望を込めてこじつけた偏見塗れの理由とはかなり異なっていました。皆とても陽気で優秀な人たちです。とくに旧ソ連で学位を取得した人のなかにはとんでもない切れ者がいるので侮れません。ある老教授は「人々を知的従属状態から解放するためです」と言っておられました。

この物理学担当のキューバ人老教授による知的従属(Dependencias intelectuais)という言葉が未だ耳にこびりついています。地球上の貧しい国々に暮らす人々が、知的従属、とくに科学技術的知における従属状態から解放されることは、この先、果たして可能なのでしょうか。

二十世紀終盤から今世紀にかけて東欧や中東で発生した出来事を振り返ってみたとき我々が読み取ることができるのは、途上国や新興国における知的・技術的従属状態からの脱却を巨大な壁のように立ちはだかって阻む勢力が厳然として存在するということです。ベルリンの壁崩壊後の東欧では、芸術でも科学技術面でも優秀な国として数え上げられていたチェコ・スロバキアやユーゴスラビアで民族間紛争が発生し、とくに旧ユーゴスラビア地域の初等、中等、高等教育の体系は完膚無きまでに破壊されたと聞きます。同様の破壊が、欧州に隣接するトルコ以外の中東地域では、最も技術力を蓄え、サダム・フセインによる開発独裁(いくら支持率が高く、選挙という洗礼を受けていても、西洋諸国に気に入られなければ独裁者)という体制下の社会主義的な政策で世俗化に成功したイラクで発生します。しかも、後に侵略者である米国政府も認めざるを得なかった事実無根の言い掛かりによる戦争によって高等教育どころか初等・中等教育さえもが無残にも破壊されました。イラクで一体なにが進行しているのか、詳しくはマスコミに載らない海外記事さんが翻訳された『アメリカの対イラク戦争-文明の破壊』という記事を読まれることを強くお勧めします。記事では「ならず者」たちの分裂・分断工作に煽られた狂信的な宗教派閥による知識人や科学者を対象とした大量殺戮が報告されています。読んでいて胸が悪くなるくらい凄惨な状況です。『単なる‘体制変革’だけでは、イラクにおける、この深く根付いた、高度な世俗的共和主義文化は根絶できない』ことから『アメリカの戦争計画者達や、イスラエル人顧問達は』知識人や科学者という高度な知的訓練を受けている『イラク人社会で最も非宗教的な部分の人々を、物理的に抹殺することで、民族主義的自覚を持った人々を、根絶し、破壊した』のです。なぜならば『文化的に粛清されたバグダッドに、原始的で、‘国家以前の’忠誠心を持った植民地傀儡を権力の座に、無理やり据えるための、主な手段』として。その結果、『カイロのアル-アハラム研究センターによると、アメリカ占領後、最初の18ヶ月間に、310人以上のイラク人科学者が抹殺』され、『この数値は、イラク文部省も否定していない』のです。まさに文明破壊としか言いようがない。人類の存在意義そのものに対する挑戦です。

アフリカ諸国のなかで最も農・工業が発展していたケニアを大混乱に陥れるという非道な分断工作演習を実施した疑いさえ濃厚であるこのならず者たちにとって、イラクの次にくる標的はどこでしょう。そう、現在中東で最も先進的な工業力を持ち、選挙の状況が海外で報道され、野党の活動さえ取材可能なほどオープンで「世俗的」になりつつあるイランが標的であることは明白です。この先さらに教育環境が整い、工業力をつけ、女性の地位向上や益々の社会進出が実現し、より世俗的になって発展の軌道に乗ろうとすればするほど、所謂「先進国」による攻撃・破壊欲求を掻き立てることになりそうです。加えて、スマイリング・インペリアリズム・クラブ、別名G8という紳士面した卑劣かつ強欲極まりない植民地主義者たちの談合組合にとっては、先進国経済が恐慌寸前の綱渡り的財政・金融政策を尽くしたにも拘らず破綻を来してきたので、原油などの資源相場を一時凌ぎで高値誘導したり、苦し紛れに発行した膨大な通貨を需要があるかの如く粉飾して、国際金融資本の醜い欲望が招致した経済運営の大失敗をなんとか隠蔽するためにも、大きな地域紛争もしくは戦争が必要なのでしょう。これを書いている時点では不明ですが、米国政府が為替操作国指定をしないという約束で今回は中国が談合の仲間入りするかもしれません。ヒラリー・クリントン米国務長官は、イランに対する制裁強化をブラジル政府が支持するならば拡大G8メンバーへの正式参加や国連安保理常任理事国への推薦を確約すると言ったそうですが、ルーラ大統領は再び「G8だかG10には興味ない。寄って集って国力の差が歴然としている小国の胸ぐらを掴んで壁に押し付けるような真似をする連中の仲間(国連安保理常任理事国の意か)にはなりたくない。(米軍が侵攻したイラクには)大量破壊兵器なんて影も形もなかったではないか。我々は同じ間違いを犯すべきではない」と言っていました。全く以て常識的な対応です。ところがこの世界では常識が通用しないのか、国連安保理の常任及び非常任理事国でイランに対する制裁強化反対にまわりそうな国はブラジルとトルコだけの模様です(筆者による三月末日現在の観測)。

核兵器によって唯一甚大な被害を蒙った日本は一体何をしているのでしょうか。国連が利権屋どもの談合の場という本来の姿を顕わして牙を剥き始める前に、日本の首相や外相はIAEAに出向している天野之弥氏と大掛かりな査察チームを伴ってイランを電撃訪問し、詳細かつ慎重な査察の機会を提供することだって可能なのです。もし、イラン政府が主張するように濡れ衣ならばそれを晴らすのを手伝うと共に、核物質の移動に関しては他国よりも厳しい報告義務を負う日本の特殊な立場を最大限に利用して、イランとの核エネルギーに関する平和利用協定を結んでもなんら不自然ではありませんし、戦争を回避することだって出来るのです。

私たちはここで、米国や英国による帝国主義的属国経営が、かつて資本の論理に取り憑かれた領土獲得の熱狂と共にアジア全域を侵略していった日本の帝国主義とはある一点でまったく異なっていることを念頭におかねばならないのかもしれません。当時の新興国家であった日本がアジア地域における「先進国」としての立場を笠に着た独善的かつあからさまな選民意識でもって様々な政策を他国へ押し付けたことは否めませんし、ある意味で入植地における日本人コロニスト子弟の進学先という要請があったにせよ、外地の朝鮮半島や台湾の教育制度を整備し、内地の大阪や名古屋という大都市に先んじて名目上自律的に現地総督府の管轄下で「帝國大学」を設置し、知的従属状態から脱却するための礎ともなる理工学や医学という重要分野を真っ先に開講したことは歴史的事実です。日本によるこのような植民地経営法が欧米諸国の目にいったいどのように映ったのかは興味あるテーマです。推測にしか過ぎませんが、その後の欧米諸国の対応や歴史的展開が物語っているように、おそらくかなりの脅威だったのでしょう。欧米諸国が獲得した植民地や属領化した国家でまず手がけることは、これまで述べてきたように知の破壊です。もし、イスラエルが単独で、或いは米国が体裁を繕ったNATO軍や国連軍と共にイランへ侵攻すれば、イラクやアフガニスタンで現在進行している知の破壊と虐殺がイランにおいても再現される確率は極めて高いのです。日本政府の人たちが、本当に歴史から学んでいるとすれば欧米諸国がいったい何を望んでいるのか理解しているはずです。中国やブラジル、トルコと共にイラン政府に対して、オープンで透明性のある査察を受け入れ、米国による侵略の口実を与えないためにも忍耐をもって乗り切るよう辛抱強く働きかけることが、いま最も大切なことではないでしょうか。米国やイスラエルは大規模なテロを捏造してでも攻撃したがっています。どの国の誰もが分かっていることです。我々は現在進行中の歴史から目を逸らさず正視し、悲惨な戦争を回避するためにあらゆる手段を用いて行動すべきときにいます。

自由と正義の国アメリカ合州国がなぜそのような知の破壊と虐殺に加担するのか、俄には信じ難い人も多いと思います。しかし、その米国の人たちが問題の核心を語っているのも事実です。先頃亡くなられたハワード・ジン先生の『民衆のアメリカ史』を下敷きにしたと思われる1991年にコロラド州立大の学生たちが製作した切り絵アニメのAmerican
History
をご覧になってください。このアニメ製作者であるトレイ・パーカーとマット・ストーンたちは、後にマイケル・ムーアのボウリング・フォー・コロンバインで使用されたアニメを提供したかのようにムーアによって印象づけられていますが、フィクションです。映画のなかのアニメが彼らの作品からの剽窃ではないかと疑いを持たれる所以です。しかし、ムーアのドキュメンタリーが指摘している復讐に対する恐怖という見かたは無視できません。さて、コロラド州立大で稚拙ではあっても意味深いアニメを製作したトレイとマットが後にサウス・パークというアニメシリーズで一躍有名になったことをご存知のかたも多いと思います。昨年放映されたWhale
Whores
というエピソードを観てみましょう。難しい英語ではないので、二度三度と繰り返してご覧になれば意味を掴むことが出来るかと思います。12歳以下のお子さんにはくれぐれもお見せにならないように。内容を詳しく知りたいかたはスクリプトが手助けになるかもしれません。登場するのはイルカや鯨を虐殺する無知で純粋な愛すべき日本人です。ここでは、偽善性の程度が高ければ高いほどその発露(発現行為)は幼稚さを増し、自らが行った残虐行為に対する復讐を避けるために極めて稚拙な誤魔化しと歴史改竄を米国が(或いは誰もが)行っていて、相手が無知であれば真実を知らしめることなく無知の檻に閉じ込めたまま嘘に嘘を重ねてもかまわない、じつは米国人もその檻の中に捕えられている、という告発がなされているのではないでしょうか。私の深読みかもしれません。しかし、様々なことどもを考えさせてくれる小品です。藤永先生ご指摘のジェスター性ではムーアよりもトレイとマットのほうに軍配が上がりそうなのですが、いかがでしょうか。

須衛野 凉一

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