私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

シリアで84歳の宗教学者が殺された

2013-03-25 21:43:41 | 日記・エッセイ・コラム
 ローマ字綴りの名は Sheikh Mohammad Said Ramadan al-Buti 、ブーティ氏と呼んでおきます。スンニ派の聖職者でもあるブーティ氏は84歳、3月21日、シリアの首都ダマスカスの中心部にあるモスクで宗教的な講話をしていた時、テロリストの攻撃によって殺されました。国営放送によると、最終的に49人の死者が出ました。講話を聞いていた学生の一人だった彼の孫も死にました。宗教的礼拝の場所で49人爆死とは大変な凶行です。その背後にあるものが、純粋な宗教的熱狂であるならばともかく、黒々とした政治的経済的動機であることは、何としても許し難いことです。
 ワシントン・ポストの記事は、
http://www.washingtonpost.com/world/top-sunni-cleric-who-supported-assad-killed-in-blast-at-damascus-mosque/2013/03/21/a5a11686-925f-11e2-9abd-e4c5c9dc5e90_story.html
スンニ派のシリア人の多くは反政府勢力を支持しているのに、ブーティはアサド政権を支持していたことに問題があったと指摘しています。そして更に、ブーティを殺したのはアサド政権だとする反政府側の匿名の人物の談話を伝えています。:「アサド政権は好きな時に彼らが消してしまいたい人間たちを始末することを、誰もが知っている。(“We all know how the regime eliminates those it wants at the time it wants”)」 これは何とも乱暴な記事の作り方で、これが今のワシントン・ポストの報道というものです。
 私が見当をつけることの出来る限りにおいて、ブーティ氏は、温和な学者肌の人であったと思われます。容貌も温和な高齢の老人です。ダマスカス大学のイスラム法学部の教授で学部長も勤めていました。退職後も一般市民に広く知られ、尊敬を集めていた人物で、アサド政権の熱烈な支持者ではなく、ただ外国政府によって使嗾された暴力行為でシリアの何十万という一般市民が悲惨な状態に追い込まれていることを心から憂いて、暴力を排し、話し合いによる問題解決をしきりに説いていた人物でした。
 ブーティ氏の殺害については、シリアのアサド政権を支持しているイランの国営放送「プレスTV」(presstv.com)が詳しく取り上げていて、ブーティ氏の葬儀の模様なども見ることが出来ます。イランからの代表者は、その弔辞で、ブーティ導師は温和な宗教家でイスラム教は世界に幸福をもたらすべきものと教えていたとして、故人を讃え、その死を惜しんでいました。
http://presstv.com/detail/2013/03/24/294960/syrians-mourn-death-of-prominent-cleric/
「プレスTV」は、英國や米国が扼殺しようと懸命になっているテレビ局です。イラン側としての偏向も当然ありますが、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズの歪みの解毒剤としては結構役に立ちます。
 チャベスに続いて、またもう一人、死ぬべきでなかった人の柩を送ることになったのは悲しいことです。最近、ラルフ・ネーダーが“The Sociocide of Iraq by Bush/Cheney”を論じています。間もなく“The Sociocide of Syria by Obama”が実現されることを恐れます。

藤永 茂 (2013年3月25日)


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ハラレとアスマラ

2013-03-22 16:12:18 | 日記・エッセイ・コラム
 ハラレとアスマラ、どちらもアフリカの国の首都の名前ですが、よほどアフリカに強い関心を持った人からでなければ、即答は得られますまい。ハラレはジンバブエの首都、アスマラはエリトリアの首都です。
 北朝鮮の核軍備についてのブログを準備中ですが、なかなか筆が進みません。昨日、どなたかが私の古いブログ記事『ジンバブエとムガベ』(2010/12/22)を読んで下さったようなので、急に話題を変えてみる気持になりました。その主な理由は、日常、我々に世界についての情報を与えている政府機関の発表、大新聞やテレビのニュース、そして世界情勢についての諸権威者の発言などが如何に頼りにならず、むしろ真実をひどく曲げているものであることを、いよいよ益々痛感させられるこの日頃だからです。「そんなことは大昔から分かり切っている。大馬鹿者だけがテレビや新聞を見続けている。」とおっしゃる人も少なからずおいででしょう。しかし、現実としては、私を含めて大馬鹿者たちが圧倒的な大多数を占めていると思われます。例えば、個人的な経験から何とはなしにアメリカに好感を抱いている多数の人々が、依然として、NYTやWPの記事を漠然とした信頼感を持って読んでいるに違いありません。そうした人々には、私の書くことが、何につけても反米反オバマで明らかに偏向しているように思えるでしょうが、感情的な反撥を少し押さえて、少し気長に私の言う事につきあう努力をして下さるようお願いします。
 2008年から既に5年経ちましたが、世界のあらゆるマスメディアとそれを通じて喧伝されてきたいわゆるアフリカ通の殆どすべての見解に正反対の立場を、ジンバブエについて、5年前から取って来た私としては、ただ一介の市井の老人が見当をつけていた状況のほうが真実に近かったことが、結局のところ、確かめられた事には重大な意味があると考えざるをえません。極めて限られた個人的情報源(つまりネット上でのろのろと手探りするだけ)しか持たない私が、他のほぼすべてのジャーナリストや専門学者が達し得なかった真実を把握することが出来たと考えるのは全く無理な話です。ですから、ここで生起していることは、それらの人々が自分の知っていることを直接そのまま一般大衆に伝えていないという困った事態でなければなりません。「そんなことはとうの昔から分かっている」と嘯くだけでは済まされない問題です。私は古いブログ記事『ジンバブエとムガベ』(2010/12/22)の前半に次のように書きました。:
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ジンバブエについては2008年に5回続けて取り上げたことがありました。:『ジンバブエをどう考えるか』(1)~(5)(2008年8月20日最終回)これを書いたのは、週刊朝日の7月18日号に「84歳の独裁者[ジンバブエ]ムガベ大統領の悪逆非道」という記事があるのを広告で見て、内容を読んだのがきっかけでした。内外多事多難の現在、殆どの方はアフリカの小失敗国家ジンバブエの事など忘れてしまったでしょうが、今度のウィキリークスで漏洩したアメリカの外交関係の秘密文書の中に、私としては見逃す事の出来ない事柄も含まれていました。アメリカの意向に従わない小国の独裁者を引き倒したいと考えた場合にアメリカがどのように振る舞うかを実証的に観察する貴重な機会の一つを、ジンバブエは提供していると私は考えます。他の類似例として、近過去にはユーゴースラビア、現時点では北朝鮮が考えられます。?週刊朝日の「84歳の独裁者ジンバブエムガベ大統領の悪逆非道」という記事は、“肥沃な土地と豊富な資源で「アフリカのパンかご」と呼ばれた國を“くずかご”に転落させたのは、ムガベ大統領である。なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか”と、先ず、設問します。
?■(ムガベは)首相を経て、87年に大統領に就任。当初は農地や工場の急激な国有化を避けるなど白人社会との協調を基盤とした緩やかな社会主義による国づくりを進める一方、教育など福祉政策に力を注ぎ、識字率をアフリカ最高レベルの9割に導く“善政”を敷いた。?それが今はどうか。? CIA(米中央情報局)発表などによると、ジンバブエのインフレは08年2月時点で16万%で紙幣は紙くず同然となり、失業率は80%(07年)。成人のHIV感染率は24・6%(01年)で、平均寿命は約39歳(08年)に過ぎない・・・・。生活苦から国民約1300万人のうち、約400万人が職を求めて、国外へ流出しているとされる。20年以上の(ムガベの)君臨が、「南部アフリカのオアシス」と言われた國を壊したのだ。■?
 これで見ると、ムガベ大統領の初めの10年は模範的な善政、後の10年は典型的な暴政。この記事の読者は、ムガベの治世の中間点、つまり世紀の変わり目の2000年前後に、何か大変な事が起ったのではないか、転機となるような重大事態が生じたのではないか、と思うのが当然ではありますまいか。この記事の筆者中村裕氏は、(ムガベは)「なぜ変節したのか」と問い、ムガベ個人の変節として問題と捉えます。この問いに対して、アフリカ取材経験が豊富な朝日新聞元編集委員の松本仁一氏は「変節ではなく、もともと権力志向が強いのです。権力を維持するため、國を食いものにしてきた男です」と答えています。要するに、この記事のタイトル通り、「84歳の独裁者ムガベ大統領の悪逆非道」が「ジンバブエの悲劇」の理由であり、「なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか」という設問の答えは、「途中から堕落したのではない。もともと言語道断のひどい野郎だったのだ」となっているわけです。
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 私が今回のブログで注意を喚起したいのは、中村裕氏も松本仁一氏にしても、上に表明されている見解からはみ出る諸事実があることも先刻ご承知であったに違いないということです。私のようなアフリカの現場に一度の足を踏み入れたことのないズブの素人さえもが、拙い努力の報酬として垣間みることの出来た事柄をご両人が見なかった筈はない、ということです。もっとはっきり言えば、2008年の時点で、週刊誌の記事としてすんなりと受け入れられるような物の書き方や発言のモードがあったからそれに従っただけのこと、ということになるのでしょう。そしてこの状況は、その後も、あらゆる時点で、成立しているということです。極言すれば、これは支配権力に対するコンプライアンスの問題であり、支配権力とのコンプリシティの問題です。歌えるステージを与えられなくなった歌手には歌手ではなくなる苦痛と悲しみが訪れます。ポール・ロブスンもハリー・ベラフォンテもそれを味あわされました。ジャーナリストや評論家についても同じ事なのでしょう。
 ところで、ムガベのジンバブエはその後どうなったでしょうか?先頃、ジンバブエの首都ハラレの現状を伝える面白いリポートを見つけました。筆者はレニングラード生れのAndre Vltchek という人で、私はこの人の書いたものを十分沢山読んでいないので、全面的に信頼しているわけではありませんが、このハラレ探訪記事が、ムガベのジンバブエについての一つの貴重な真実を伝えている事を疑う理由はありません。タイトルは『Harare: Is It Really the Worst City on Earth?』で、要するに、米欧のマスメディアによれば、世界中で一番ひどい都市ということになっているジンバブエの首都ハラレが、報道とはまるで裏腹に、結構綺麗で、安全で、清潔で、居心地の良さそうな町だという見聞記です。
http://www.counterpunch.org/2013/03/15/harare-is-it-really-the-worst-city-on-earth/
興味深い写真も6枚含まれています。医療施設についての具体的な記述も含まれていますので、興味のある方は是非ご覧ください。
 ハラレの有様がこれほど良いとなると、2000年以降、ムガベのジンバブエについて悪口ばかりを言い続けて来た側も、少しは言葉を濁す必要がありましょう。そこで皆さんお馴染みの我が国の「外務省海外安全ホームページ」
「ジンバブエ」の項を覗いてみましょう。:

http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=106

1.概況?(1)現在ジンバブエの治安情勢は,首都ハラレをはじめ地方都市においても比較的平穏であり,体感治安は良好です。しかしながら一見平穏に見える街中でも,強盗,窃盗をはじめとする凶悪事件が発生していますので,常に緊張感を持ち,犯罪に対して警戒を怠らないことが重要です。?経済情勢は比較的安定しており,食品,ガソリン等の生活必需品も十分供給されています。
(2)政治情勢においては,現在,新憲法制定に向けた準備が行われるとともに,その後実施予定の大統領選挙等を巡る様々な動きがあり,政治的に不安定な状況にあります。政治的暴力が散発的に発生しているものの,これが大規模な暴動に発展する可能性は低いと考えられますが,政治集会やデモが開催されている場所には近づかない,公共の場での政治的な言動を控える,大統領官邸や空港等の公共施設周辺での写真撮影は控える等の注意は必要です。渡航・滞在に際しては,現地の情勢に関する最新情報を入手するよう心掛けるとともに,常に慎重な行動をとることが重要です。
??2.地域情勢?(1)首都ハラレ市:「十分注意してください。」
?ハラレ市内は,武装強盗,スマッシュ・アンド・グラブ(交差点等で停車している車の窓ガラスを割り車内に手を伸ばして荷物をひったくる手口)等の凶悪事件やスリ,置き引き等の窃盗事件が多発していますので,犯罪全般に対して常に注意を払う必要があります。? 渡航・滞在に際しては,夜間外出を控える,車両を利用した移動を徹底する等の注意が必要です。? また,整備不良車の増加や交通マナーの悪さ,信号機の故障等,劣悪な交通環境のため,交通事故件数及び交通事故死亡者数が増加傾向にあり,車両運転の際は十分に注意してください。

 上の文章で、「体感治安は良好です。しかしながら一見平穏に見える街中でも」という辺りはなかなかの傑作です。近頃の状況から判断すると、89歳の独裁者ムガベ爺さんが今亡くなっても、アメリカとヨーロッパが急にジンバブエを滅ぼしてしまうことは、多分ありますまい。しかし、私が心配し続けているエリトリアについてはその恐れは十分あります。現在、アフリカの北朝鮮と呼ばれる北アフリカの小国エリトリアを米欧がいじめ抜いている有様は、かつてのジンバブエの場合に劣りません。人権擁護NGOのHRWのやり方も目に余ります。エリトリアの首都アスマラについての「外務省海外安全ホームページ」には次のような記事が出ています。

http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=139

(6)首都アスマラ市? :「十分注意してください。」
? 犯罪件数は少なく、外国人が被害に遭ったケースも余り報告されてい?ませんが、夜間は外出を控え、裏通りは歩かない等、犯罪・事故に巻き?込まれないよう十分注意してください。?また、近年、エリトリアの経済状況悪化及び飢饉等により、これまで?なかった侵入強盗等の被害など治安状況の悪化が報告されており、滞在?に当たって対策を講じるなど十分な注意が必要です。

つまり、もっと悪口が言いたいのだが、アスマラは結構平和で居心地のよい町で残念、というわけです。そして「近年、エリトリアの経済状況悪化及び飢饉等により」というのは嘘っぱちです。もしその状況があるとすれば、それは米欧による制裁措置の結果にほかなりません。更に、「外務省海外安全ホームページ」の「エリトリア」の項のはじめに、看過できないことが書いてあります。

本情報は2013年03月22日現在有効です。
エリトリア:首都アスマラ市内における一部国軍兵士による反政府行動に関する注意喚起  2013年01月23日
1.エリトリアの首都アスマラでは,1月21日午前10時頃(現地時間),南部州デケムハレから移動してきたと見られる軍兵士(戦車数台を含む)が,国営放送局を敷地内に擁する情報省(アスマラ市内)を占拠の上,同国唯一のメディアであるテレビ・ラジオ放送を中断しました。

2.行動を起こした兵士の数は100人を超えると見られます。さらに,この軍隊はアスマラ国際空港を掌握しつつあるとする報道があった一方で,大統領に近い軍の一部が反撃に出るとの報道もありました。

3.22日現在,事態は収束していますが,エリトリアに滞在している方は,上記情報を考慮して最新の治安情報の入手に努めてください。また,アスマラ市内においては,鎮圧軍と反乱軍との攻防戦が起こった場合,これに伴う流れ弾が最も危険であることから,情報省のみならず大統領官邸,軍本部,警察本部,その他の軍・警察の関連施設,陸・海・空路に関わる重要施設は避けるよう行動し,不要不急の外出を控えてください。

このクーデターの緊急報道は、私が判断する限り、殆ど全く虚偽に近いものです。私の判断には、それなりの根拠がありますが、こまごまとは申し上げますまい。ただ、ここで強調したいのは、我々の身辺に溢れている情報には事実確認の努力の欠除による誤報ではなく、一定の意図の下に行なわれる人心操作を目的としたものがある事を絶えず明確に意識する必要があるという事です。何故エリトリアについてこれほどまでに意地の悪いことを言い続けるのか、その理由を問うことです。
 ハラレとアスマラという聞き慣れない町の治安状況の話題を取り上げたのは、コントロールされたマスコミ的情報の虚偽がうっかり尻尾を出しているところの実際例をお目にかけたかったまでですが、そんな事より遥かに深刻な大嘘はシリアについての情報操作です。今年の1月15日にシリア第二の都市アレッポの政府軍支配地域にあったアレッポ大学が爆破され、80人以上の死者が出る事件がありました。シリア政府側の暴挙であったことを匂わす立場を米欧側はとっています。3月19日には同じくアレッポで政府軍が化学兵器を使用したのではないかという報道がなされました。シリア政府が直ちに(20日)国連による独立の徹底調査を要求したのに対して米欧側は始め躊躇を示したのですが、オバマ大統領はイスラエル訪問で時間を稼ぎ、必要な根回しがすんだのでしょう、22日には、国連による調査に同意しました。一番恐ろしいのは、国連の“調査”で「シリア政府が有罪である可能性がないではない」といった結論が出されることです。事実上アメリカが牛耳っている国連がリビアのカダフィ政権の行為について何を結論したかを良く思い出して下さい。私の判断ははっきりしています。大学爆破も化学兵器使用も、両事件とも、米欧が支持する反政府勢力が行なった事です。私の確信の最大の拠点は、これまでの2年間、これだけ恐ろしい外圧がかかってもシリア政府が瓦解しないことです。アサド政権の治世に必ずしも好意を持っていなかったシリアの大衆も、国外勢力に支持された反政府軍の残忍きわまりない暴挙を憎んでいるのです。現地の住民にはそれがじかに分かるのです。そうでなければ、アサド政権はとっくの昔に瓦解していた筈です。アメリカはWMDの存在という大嘘の下にイラクという国を破壊してしまいました。今度は、アサド政府が化学兵器を使用する可能性を口実にして、シリアという国を滅茶滅茶にするつもりなのでしょう。ひどい話です。もし天誅というものがあるのなら、それが下されることを祈るばかりです。

藤永 茂 (2013年3月22日)


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チャベスとドン・キホーテ

2013-03-14 16:47:55 | 日記・エッセイ・コラム
 3月6日のガーディアンにタリク・アリ(Tariq Ali)の『ウゴ・チャベスと私』という面白い記事が出ました。アリ氏がベネズエラを訪れた時、チャベス支持の大衆集会に出席していると、隣りの席の質素な服装の年配の婦人が話しかけて来ました。「彼をどう思いますか?」、「うまくやっているとお考えですか?」、「喋り過ぎのきらいはありませんか?」、「時には軽率に過ぎるのではありませんか?」こう訊ねられたアリ氏がチャベスを弁護すると、その婦人はほっとした様子で、「家では、子供として彼がよく本を読むように、何時も心掛けていました」と言いました。婦人はウゴ・チャベスの母親、貧しい家庭環境で息子を育てたこの母親は、自分がとった育て方がこれで良かったのかどうか心配していたのでした。

http://www.guardian.co.uk/world/2013/mar/06/hugo-chavez-and-me-tariq-ali

 チャベスは、一生、大変な読書好きであったようで、歴史、小説、詩、・・・、ガレアーノやチョムスキーもその中に入っていました。フィデル・カストロも本読みで知られていますが、チャベスはアリに次のように語っています。:
■ Like me, Fidel is an insomniac. Sometimes we're reading the same novel. He rings at 3am and asks: 'Well, have you finished? What did you think?' And we argue for another hour. (私と同じで、フィデルも不眠症でね。時にはどちらも同じ小説を読んでいることもある。彼は朝の三時の電話を掛けて来る。‘どうだ、読み終わったかね?どう思った?’といった調子で、それから一時間も議論し合うというわけ。)■
 2005年はセルバンテスの『ラ・マンチャのドン・キホーテ』の出版400年の記念の年でした。チャベスは、それを機に、ポルトガル人のノーベル文学賞受賞者ジョゼ・サラマーゴ(1922~2010)の序文のついた記念版を何と百万部印刷してベネズエラの大衆に無料で配ったのでした。それを貰った人々の多くは、チャベス政府の文盲退治政策のお蔭で、年を取ってから初めてドン・キホーテが読めるようになった貧しい人たちでした。『ラ・マンチャのドン・キホーテ』は普通にローマ字で印刷して約千頁の大冊、学のある、あるいは意欲のあるインテリ読者にしか読めない本だから、チャベスのドン・キホーテ的な行為は、所詮、彼らしい政治的なジェスチャーだと見る人もあるでしょう。しかし、これは皮肉の過ぎる見方かも知れません。私がカナダで知っていたスペイン人のごく普通の奥さんが、「この頃またドン・キホーテを読んでいる。何度読んでも面白い」と私に話してくれたことがあります。彼女が「面白い」という意味はごく普通の「おもしろおかしい」という意味で、文学的に深遠な読み方をしているのでは全くない様子でした。ドン・キホーテの滑稽さ、サンチョ・パンサの滑稽さ、次々におこる事件の無茶苦茶ぶりは、読者が思わず吹き出したくなるようなものでもあります。本を読む楽しみを初めて覚えたベネズエラの大衆がゲラゲラ笑いながらこの大古典を読む所を想像すると一種晴れやかな感動を覚えるではありませんか。
 私が一人のスペイン人女性と『ラ・マンチャのドン・キホーテ』のことを話し合ったのには少し奇妙な動機がありました。もう随分前のことですが、長田弘、高畠道敏、鶴見俊輔の三氏共著『日本人の世界地図』(岩波)を読んでいてびっくりしたことがありました。その364頁から366頁にかけて、ロバについて実にいい事が書いてあります。私はロバという動物の大ファンですので、それを読んでとても嬉しかったのですが、一つがっかりしたのは、長田さんも鶴見さんもドン・キホーテの従者サンチョ・パンサのロバをロシナンテと呼んでいることでした。ロシナンテはドン・キホーテの愛馬の名前です。間違っては困ります。ロシナンテはドン・キホーテ物語のごく始めのところで紹介されています。Rozinante(またはRocinante)という綴りですが、これはrocin(駄馬、痩せ馬)から作者セルバンテスが造った名前です。一方サンチョ・パンサのロバの方はちゃんとした名前を貰っていません。私の手許にあるのはTobias Smollettという人の英訳本でカルロス・フエンテスの紹介文がついています。この翻訳書ではDappleという言葉がサンチョ・パンサのロバの呼び名として使われています。辞書ではdappleは「まだら(ぶち)の動物」となっていますが、スペイン語原書ではrucioという言葉が使われています。これはロバを意味し、形容詞では、(動物が)灰色の、と出ています。
 ちなみに、Tobias Smollettという人の英訳本は、現在、10ドルほどで入手出来ます。安いものです。しかし百万部印刷するとなると、費用は多分数億円、やはり独裁者的でないと出来なかったことかも知れません。ウゴ・チャベスはドン・キホーテでしょうか、それともサンチョ・パンサでしょうか? これは、私の勝手な想いですが、このセルバンテスの滋味尽きない古典をチャベスから贈り物として貰った大衆の胸の中には、チャベスがドン・キホーテでもあればサンチョ・パンサでもあった愛すべき人間として永く生き続けるのではありますまいか。

藤永 茂 (2013年3月14日)


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ウゴ・チャベスが亡くなった

2013-03-08 11:25:24 | 日記・エッセイ・コラム
 ベネズエラ政府の公式発表によれば、ウゴ・チャベスは3月5日午後4時25分ベネズエラの首都カラカスで亡くなりました。
 「おきうちぎ」さんから、前回のブログ『寄ってたかって北朝鮮をいじめるな』に、次のコメントを頂きました。:
■ウゴ・チャベスが亡くなりました。4回目のガン手術のあとの感染症とか。故国での死を望んでの早めの退院・帰国だったかも知れません。ベネズエラ国民は真の民主主義的統治を目指すまともな大統領を失いました。
米国やその追随国家の首脳から心にもない追悼の辞が届いていました。
わたしの記憶の1つは、チャベスが中南米の歴史を描いた『収奪された大地』をオバマに贈った図です。チャベスがオバマに僅かなりとも期待していたのか、単なる外交儀礼なのかどうか。
今は、この死去をきっかけとした災いがベネズエラ国民にこないことを願っています。■
私の思いは「おにうちぎ」さんのそれに全く重なります。
 2009年4月17日、トリニダード・トバゴ共和国のポート・オブ・スペインで開催された米州首脳会議に出席したチャベスは、2日目の18日、ガレアーノ著『収奪された大地』をオバマに手渡しました。米州首脳会議(SOA, Summits of the Americas )は北、中、南米、カリブ海全体の国家首脳のサミットで、1994年に始まりました。この全地域をいわゆる自由貿易協定地域としてコントロールしようとする米国の意図が生んだサミットです。トリニダード・トバゴの会合(17日~19日)はその第5回で、オバマが前任者ブッシュ大統領の政策からの“チェンジ(CHANGE)”を叫んで、見事に新大統領になったばかりの時でした。チャベスは『収奪された大地』を持って自席を立ち、オバマ新大統領の席まで歩いて行って、「オバマへ、愛をこめて」と自筆で書きこんだその本を手渡し、握手を求めました。その様子から、私は米国の黒人新大統領に対するチャベスの率直な期待を読み取りました。チャベスも、この時点では、バラク・オバマという稀代のコン・マンの正体を見抜けなかったのだと思います。具体的には、米州首脳会議からイビリ出されて孤立しているキューバの容認にオバマが踏み出してくれるものと期待したのでしょう。しかし、チェンジは何も起きませんでした。次の米州首脳会議(第6回)は、2012年4月、中南米の中で殆ど米国の植民地のように見えるコロンビアのカルタヘナで開催されましたが、次回7回目にキューバの参加を許可しようとする提案に対して、オバマ大統領は依然として拒否の姿勢を保ち、拒否権を行使したため、第6回米州首脳会議は最終宣言が発表されないままに、4月15日閉会に到りました。キューバの米州首脳会議参加の問題に関する限り、オバマ大統領は四面楚歌の状態を味わったのです。オバマを積極的に支持したのはカナダのハーパー首相だけでした。2009年から2012年の三年間に大きく“チェンジ(CHANGE)”したのは、米国ではなくラテン・アメリカであり、この変化はチャベスがもたらしたと言っても過言ではありません。ここではっきりと付言しておきますが、私の知る限り、オバマ大統領はチャベスに対する追悼の辞を口にしていません。この狡猾卑劣なコン・マンの心中には「敵ながら天晴れ」という言葉など存在の余地がないのでしょう。
 『収奪された大地』というタイトルの原語は「Las venas abiertas de América Latina (The Open Veins of Latin America, ラテン・アメリカの切り開かれた血管)」で、もっと痛々しい感じがします。‘vein’は解剖学的には「静脈」ですが、タイトルとしては「血管」がよいでしょう。大地が収奪されただけではありません。そこに住む人々が、この500年間、痛め続けられてきたのです。我々としては、特に、ラテン・アメリカ独立運動の父と呼ばれるシモン・ボリーバル(ボリバル)の時代から200年間の歴史をもっとよく勉強しなければなりません。そうすることで初めてウゴ・チャベスと彼を蛇蝎のように忌み嫌う米国の行動の歴史的意味と現代的視野が獲得出来ると思います。
 チャベスが死んだことで、これからベネズエラがどうなるか、ラテン・アメリカがどうなるのか。ベネズエラの人々がチャベスによって開かれた希望の道を歩み続けてくれることを、私は祈るばかりです。世上には意地の悪い評言、未来予想の類いが溢れていますが、その殆どは私たちの精神的な健康に有害です。私としては、何よりもまず、John Pilger が2007年(6年前!)に制作したドキュメンタリー『THE WAR ON DEMOCRACY』をご覧になることをお勧めします。

http://www.truthdig.com/avbooth/item/who_was_hugo_chavez_20130306/

1時間34分の長さですが、一番おわりにもチャベスが出て来ますし、言わば、チャベスその人がナレーターの役をつとめている、歴史的な記録映画です。もしジョン・ピルジャーの名が初耳なら、この人についてもお調べ下さい。
 三日前にチャベスを亡くしたこの時点で、賢しらに何らかの予測を企てることは不謹慎な行為ですが、ジョン・ピルジャーの『THE WAR ON DEMOCRACY』を見てしきりに心に浮かぶのは、ウゴ・チャベスが目覚めた大衆を作り上げたのか、それとも、目覚めた大衆がウゴ・チャベスを生んだのか、という問いです。たしかに、貧民大衆に目覚めの切っ掛けを与えたのはチャベスだったのでしょう。しかしその後のチャベスを生んだのは、ドキュメンタリーを見れば、まぎれもなく、未来に希望を持つ喜びを知った大衆です。もし私のこの観察が正しければ、今から米国による熾烈な内政干渉があるにしても、結局は大衆の意志が勝利するのではありますまいか。
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<3月9日、追加>
驚くべき映像の数々を見つけましたのでお知らせします。
http://libya360.wordpress.com/2013/03/06/historic-and-unprecedented-venezuelans-honor-hugo-chavez/
このlibya360 というウェブサイトを知ったのはついこの頃で、やがて機会を見て紹介しようと思っていたのですが、チャベスの柩を送る文字通りhundreds of thousands of people の写真の数々と数個の関連記事がアップされているのを見て唖然としました。リビアのカダフィを最後の最後まで見捨てなかったのはチャベスただ一人だったのです。ともあれ、とにかくチャベスの柩とともに流れる人間たちの巨大な大河をご覧下さい。ベネズエラの大衆のこの流れはもう逆流することはありますまい。この激流が力づくで堰き止められることがもし起れば、流れる血は無惨な量にのぼり、チリーを遥かに超える惨劇となるに違いありません。
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藤永 茂 (2013年3月8日)


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