私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

月命日

2021-05-27 23:00:28 | 日記・エッセイ・コラム

 私ごとを語るのをお許し下さい。

 25日は亡妻の月命日です。評判を知って入手していた詩人茨木のり子の詩集『歳月』を一気に読みました。巻末の解説の始めの所を写します:

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『歳月』は、詩人茨木のり子が最愛の夫・三浦安信への想いを綴った詩集である。

 伯母は夫に先立たれた一九七五年5月以降、三十一年の長い歳月の間に四十篇近い詩を書き溜めていたが、それらの詩は自分が生きている間には公表したくなかったようである。

 何故生きている間に新しい詩集として出版しないのか以前尋ねたことがあるが、一種のラブレターのようなものなので、ちょっと照れくさいのだという答えであった。

 そして伯母はその詳細について多くを語ることなく、二〇〇六年二月十七日、突然伯父の元へと旅立ってしまった。

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 紛いもなく、これは美しい恋文の一束です。このように深い生を経験して、それを見事な言葉で捕捉し表現することのできる詩人を羨ましく思います。しかし、亡き人を恋しく思う悲しみは、詩人の言葉を持たぬからとて、弱く忘れやすいものになることはありません。

 先日、テレビで2011年3月11日の東日本大震災の回顧番組を見ました。死者・行方不明者の数は2万人以上とあり、その一場面が私の胸に焼きつきました。今日は、それを思い出して、詩の真似事を試みました。

『もう一度出ておいで』

テレビで観た北陸の海辺の町、

家屋ともども大津波に妻を奪われた男は

家の跡の更地に立って大声で叫んだ:

「おーい、もう一度出てこい」

詩人の言葉を持たぬその男は

幾「歳月」を閲しても

ただ同じ叫びを放つだろう。

「清子、もう一度出ておいで」

私も、ただ同じ言葉を繰り返す。

 

藤永茂(2021年5月27日)


ダニエル・エルズバーグの笑顔(2)

2021-05-12 12:57:07 | 日記

 “Well, here my wife of 50 years here now being married and being with her, lying with her at night is heaven on earth.” 「50年連れ添った妻と夜一緒に寝る、これがこの世の天国」というダニエル・エルズバーグの言葉に焼き餅を焼いているのではありません。九十の齢にもなってオノロケもよいところだと言いたいのでもありません。人は、人を愛すること、人に愛されることによって、ただそれだけで、至福の時空を持ちうる、と言いたいのです。しかし、ただこれだけ言っても、何だ、陳腐なことを言う、と思われる方が多いでしょう。少し開き直って、私が何を言いたいのかの説明を試みます。

 原爆の父と呼ばれる米国の理論物理学者ロバート・オッペンハイマー(1904年4月22日 - 1967年2月18日)は、正しくは、原爆の助産婦と呼ぶにふさわしい人ですが、普通、とびきり明晰俊敏な頭脳の持ち主だったというイメージが定着しています。しかし拙著『ロバート・オッペンハイマー』には「愚者としての科学者」という副題を付けました。物理学が原爆を生み、その実戦使用に賛成してヒロシマ・ナガサキの惨劇を招来した事を、自分の心の中で処理しきれず、オッペンハイマーは、内的には、死ぬまでオロオロ歩きを続けた人間だったと私は思っています。

 ジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」旋風に煽られて、1954年、オッペンハイマーは公職追放の処分を受けますが、CCF(Congress for Cultural Freedom) という表向きは文化活動を装った会議組織を裏で操っていたCIA(アメリカ中央情報局)は、国際的知名度の高いオッペンハイマーを、CCFの顔の一つとして、利用することを続けます。つまりソ連に対する冷戦の文化戦士の役目を当てがいます。その頃のオッペンハイマーが、CCFの活動に関して、「愛(love)がない」とか、「お互いに愛さなければ(love one another)」とか、宗教的にも響く漠然としたことを書き綴り言い続けるのを批判して、高名な実存主義哲学者カルル・ヤスパース(ハンナ・アーレントとの40年間にわたる師弟交友関係は有名)は、“In such sentences I can see only an escape into sophisticated aestheticism , into phrases that are existentially confusing, seductive, and soporific in relation to reality. (そうした文章において、私はただ詭弁的な耽美主義の中への逃避、現実との関連において、実存的に混乱した、人を惑わす催眠的な言い回しへの逃避しか見ることができない”と書いています。当時、才媛として名を挙げていた小説家のメアリー・マッカーシー(ジョセフ・マッカーシーの縁者ではない)は、CCF関連でオッペンハイマーと食事を共にしたことがあり、彼の“LOVE”についてのお説教にうんざりして、友人関係にあったハンナ・アーレントに「オッペンハイマーは頭がすっかり狂ってしまったことが分かった」と手紙で書き送り、“I thought the word ‘love’ should be reserved for the relation between the sexes.”とも言ったようです。

 さて、ロバート・オッペンハイマーは「愛」という言葉を持ち出して、何を言いたかったのでしょうか? この問題の物理学者については、上の例に見られるように、批判的な評言が多いのですが、私は、愚者としての物理学者の立場から、オッペンハイマーを弁護したい気持ちに駆られます。彼を論じる場合に、私の知る限り、引用されたことのない彼の重要な発言の一部をお目にかけましょう:

“We are not only scientists; we are men, too. We cannot forget our dependence on our fellow men. I mean not only our material dependence, without which no science would be possible, and without which we could not work; I mean also our deep moral dependence, in that the value of science must lie in the world of men, that all our roots lie there. These are the strongest bonds in the world, stronger than even that bind us to one another, these are the deepest bonds –– that bind us to our fellow men.”

 これは、ヒロシマ・ナガサキから3ヶ月後の1945年11月2日、原爆が造られたロス・アラモスで、そこで働いた科学者たちを前にしてのお別れの講演の最後の部分です。ここで men は「人間」を意味し、our fellow men は世界中の人間仲間全体を意味しています。私の中では、峠三吉の“にんげんをかえせ”の「人間」にもつながります。後年、オッペンハイマーが「愛」についてしきりに語ったとき、その一種の曖昧さの源はここにあったのだと私は思います。

 核兵器がこの世界の人間達の終焉をもたらさないようにと願う気持ちにおいて、私は人後に落ちないつもりです。しかし、どういう風にこの世の中が、この世界が変われば、人間は生き延びられるかについて、私はロバート・オッペンハイマーよりも具体的なアイディアを持っています。「人間はどのような状況にあれば幸せなのか?」を具体的に考えてみるという着想です。ここで「50年連れ添った妻と夜一緒に寝る、これがこの世の天国」というダニエル・エルズバーグの言葉に戻ります。ダニエル・エルズバーグの奥さんパトリシアは写真で見ると如何にも愛くるしい女性ですが、ロバート・オッペンハイマーの奥さんキティは、どの伝記にも、容貌も良くない性悪の酒飲み女性として描かれています。しかし、夫ロバートはキティ夫人を深く愛していた事はこれまた定説です。オッペンハイマーもエルズバーグと同じく地上の天国の時間を知っていたのだと思います。

 「愛」という言葉を性的関係の語りだけに限った方が良いというメアリー・マッカーシーの、オッペンハイマーに対する一種の嘲りを含む発言を私は好みません。「愛」はあらゆる「心と心の結びつき」に関わります。魂と魂の結びつきと言ってもよろしい。片思いも、複数者に向けられるのも含みます。どこにでも転がっている平凡な家族内の愛情も勿論含みます。

 アフリカの高級コーヒー豆産地で、大農業資本によるコーヒー園の面積拡張工事によってなけなしの農地を奪われ、その上、反抗した父親がブルドーザーに下敷きになって殺された家族のドキュメンタリーをテレビで見ました。いかにも貧農家族らしい両親と数人の小さな子供達の古い家族写真が示され、その中に写っている、今は19歳の長女が言いました:“We were happy. We had everything”、娘さんのこの言葉に世界を救う鍵があると私は考えます。お涙頂戴を企てているのではありません。「人間が、人間集団が幸福であるためには、実は、ほんの僅かなものしかいらない」ことを改めて確認させてくれるからです。現在、人間社会が直面している最も深刻な危機は、核戦争と際限のない消費経済成長追及の結果としての環境破壊です。脱経済成長は理論的に不可能だろうという意見がありますが、選択肢はただ一つ、脱経済成長を成し遂げなければ、我々は破滅するのです。後がありません。消費経済の成長をこのまま続ける選択肢はないのです。私たちの誰もが今より貧乏になるより他に選択肢はありません。ですから、人間は貧乏でも幸福であり得るということが確かめられるということは大きな安堵をもたらします。英語で言えば、“We have something to fall back on ”という事になるからです。 こう書いていると、以前にアップしたブログ記事『レニ・リーフェンシュタールのアフリカ』:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/a5068fa378a33212ae2a010e3da9a4a4

を思い出します。アフリカのスーダン共和国のヌバ丘陵地帯に住むヌバ族に就いてレニ・リーフェンシュタールは「ヌバと過ごした日々は、私の生涯のなかで最も幸福で、最も美しかった。ただ、すばらしいの一言よ。彼らはとても陽気で、一日中笑って過ごしていたし、決して人のものを盗むようなことはしない善良な人々だった。彼らはいつも幸せで、すべてに満足していた」と書いています。ここにも我々の目から見れば遥かに貧乏な状態で人間が幸福であり得る確固たる証拠が示されています。人間にはこうした嬉しい能力もあるのです。

 

藤永茂(2021年5月12日)


ダニエル・エルズバーグの笑顔(2)

2021-05-12 12:33:54 | 日記・エッセイ・コラム

 “Well, here my wife of 50 years here now being married and being with her, lying with her at night is heaven on earth.” 「50年連れ添った妻と夜一緒に寝る、これがこの世の天国」というダニエル・エルズバーグの言葉に焼き餅を焼いているのではありません。九十の齢にもなってオノロケもよいところだと言いたいのでもありません。人は、人を愛すること、人に愛されることによって、ただそれだけで、至福の時空を持ちうる、と言いたいのです。しかし、ただこれだけ言っても、何だ、陳腐なことを言う、と思われる方が多いでしょう。少し開き直って、私が何を言いたいのかの説明を試みます。

 原爆の父と呼ばれる米国の理論物理学者ロバート・オッペンハイマー(1904年4月22日 - 1967年2月18日)は、正しくは、原爆の助産婦と呼ぶにふさわしい人ですが、普通、とびきり明晰俊敏な頭脳の持ち主だったというイメージが定着しています。しかし拙著『ロバート・オッペンハイマー』には「愚者としての科学者」という副題を付けました。物理学が原爆を生み、その実戦使用に賛成してヒロシマ・ナガサキの惨劇を招来した事を、自分の心の中で処理しきれず、オッペンハイマーは、内的には、死ぬまでオロオロ歩きを続けた人間だったと私は思っています。

 ジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」旋風に煽られて、1954年、オッペンハイマーは公職追放の処分を受けますが、CCF(Congress for Cultural Freedom) という表向きは文化活動を装った会議組織を裏で操っていたCIA(アメリカ中央情報局)は、国際的知名度の高いオッペンハイマーを、CCFの顔の一つとして、利用することを続けます。つまりソ連に対する冷戦の文化戦士の役目を当てがいます。その頃のオッペンハイマーが、CCFの活動に関して、「愛(love)がない」とか、「お互いに愛さなければ(love one another)」とか、宗教的にも響く漠然としたことを書き綴り言い続けるのを批判して、高名な実存主義哲学者カルル・ヤスパース(ハンナ・アーレントとの40年間にわたる師弟交友関係は有名)は、“In such sentences I can see only an escape into sophisticated aestheticism , into phrases that are existentially confusing, seductive, and soporific in relation to reality. (そうした文章において、私はただ詭弁的な耽美主義の中への逃避、現実との関連において、実存的に混乱した、人を惑わす催眠的な言い回しへの逃避しか見ることができない”と書いています。当時、才媛として名を挙げていた小説家のメアリー・マッカーシー(ジョセフ・マッカーシーの縁者ではない)は、CCF関連でオッペンハイマーと食事を共にしたことがあり、彼の“LOVE”についてのお説教にうんざりして、友人関係にあったハンナ・アーレントに「オッペンハイマーは頭がすっかり狂ってしまったことが分かった」と手紙で書き送り、“I thought the word ‘love’ should be reserved for the relation between the sexes.”とも言ったようです。

 さて、ロバート・オッペンハイマーは「愛」という言葉を持ち出して、何を言いたかったのでしょうか? この問題の物理学者については、上の例に見られるように、批判的な評言が多いのですが、私は、愚者としての物理学者の立場から、オッペンハイマーを弁護したい気持ちに駆られます。彼を論じる場合に、私の知る限り、引用されたことのない彼の重要な発言の一部をお目にかけましょう:

“We are not only scientists; we are men, too. We cannot forget our dependence on our fellow men. I mean not only our material dependence, without which no science would be possible, and without which we could not work; I mean also our deep moral dependence, in that the value of science must lie in the world of men, that all our roots lie there. These are the strongest bonds in the world, stronger than even that bind us to one another, these are the deepest bonds –– that bind us to our fellow men.”

 これは、ヒロシマ・ナガサキから3ヶ月後の1945年11月2日、原爆が造られたロス・アラモスで、そこで働いた科学者たちを前にしてのお別れの講演の最後の部分です。ここで men は「人間」を意味し、our fellow men は世界中の人間仲間全体を意味しています。私の中では、峠三吉の“にんげんをかえせ”の「人間」にもつながります。後年、オッペンハイマーが「愛」についてしきりに語ったとき、その一種の曖昧さの源はここにあったのだと私は思います。

 核兵器がこの世界の人間達の終焉をもたらさないようにと願う気持ちにおいて、私は人後に落ちないつもりです。しかし、どういう風にこの世の中が、この世界が変われば、人間は生き延びられるかについて、私はロバート・オッペンハイマーよりも具体的なアイディアを持っています。「人間はどのような状況にあれば幸せなのか?」を具体的に考えてみるという着想です。ここで「50年連れ添った妻と夜一緒に寝る、これがこの世の天国」というダニエル・エルズバーグの言葉に戻ります。ダニエル・エルズバーグの奥さんパトリシアは写真で見ると如何にも愛くるしい女性ですが、ロバート・オッペンハイマーの奥さんキティは、どの伝記にも、容貌も良くない性悪の酒飲み女性として描かれています。しかし、夫ロバートはキティ夫人を深く愛していた事はこれまた定説です。オッペンハイマーもエルズバーグと同じく地上の天国の時間を知っていたのだと思います。

 「愛」という言葉を性的関係の語りだけに限った方が良いというメアリー・マッカーシーの、オッペンハイマーに対する一種の嘲りを含む発言を私は好みません。「愛」はあらゆる「心と心の結びつき」に関わります。魂と魂の結びつきと言ってもよろしい。片思いも、複数者に向けられるのも含みます。どこにでも転がっている平凡な家族内の愛情も勿論含みます。

 アフリカの高級コーヒー豆産地で、大農業資本によるコーヒー園の面積拡張工事によってなけなしの農地を奪われ、その上、反抗した父親がブルドーザーに下敷きになって殺された家族のドキュメンタリーをテレビで見ました。いかにも貧農家族らしい両親と数人の小さな子供達の古い家族写真が示され、その中に写っている、今は19歳の長女が言いました:“We were happy. We had everything”、娘さんのこの言葉に世界を救う鍵があると私は考えます。お涙頂戴を企てているのではありません。「人間が、人間集団が幸福であるためには、実は、ほんの僅かなものしかいらない」ことを改めて確認させてくれるからです。現在、人間社会が直面している最も深刻な危機は、核戦争と際限のない消費経済成長追及の結果としての環境破壊です。脱経済成長は理論的に不可能だろうという意見がありますが、選択肢はただ一つ、脱経済成長を成し遂げなければ、我々は破滅するのです。後がありません。消費経済の成長をこのまま続ける選択肢はないのです。私たちの誰もが今より貧乏になるより他に選択肢はありません。ですから、人間は貧乏でも幸福であり得るということが確かめられるということは大きな安堵をもたらします。英語で言えば、“We have something to fall back on ”という事になるからです。 こう書いていると、以前にアップしたブログ記事『レニ・リーフェンシュタールのアフリカ』:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/a5068fa378a33212ae2a010e3da9a4a4

を思い出します。アフリカのスーダン共和国のヌバ丘陵地帯に住むヌバ族に就いてレニ・リーフェンシュタールは「ヌバと過ごした日々は、私の生涯のなかで最も幸福で、最も美しかった。ただ、すばらしいの一言よ。彼らはとても陽気で、一日中笑って過ごしていたし、決して人のものを盗むようなことはしない善良な人々だった。彼らはいつも幸せで、すべてに満足していた」と書いています。ここにも我々の目から見れば遥かに貧乏な状態で人間が幸福であり得る確固たる証拠が示されています。人間にはこうした嬉しい能力もあるのです。

 

藤永茂(2021年5月12日)


ダニエル・エルズバーグの笑顔(1)

2021-05-02 14:15:13 | 日記・エッセイ・コラム

 ベトナム戦争時代を経験した世代の人々にはダニエル・エルズバーグの名は記憶の中に鮮烈に生きている筈です。NHKの「BS世界のドキュメンタリー」のプログラムでも、米国で2009年に作成された「The Most Dangerous Man in America」というドキュメンタリーを、2010年春に前編後編二つに分けて放映されました。「アメリカで最も危険な男」というタイトルは、ニクソン政権の国務長官であったヘンリー・キッシンジャーがエルズバーグをこう呼んだことから来ています。

https://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=100301

https://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=10030

このドキュメンタリーに付いているNHKの解説記事を以下に転載させてもらいます:

「アメリカの軍事シンクタンクの研究員だったダニエル・エルズバーグは、1964年、国防総省の軍事アナリストに抜擢される。当時ジョンソン大統領は、密かにベトナム戦争拡大の準備を進めていた。エルズバーグは北爆には反対だったが、マクナマラ国防長官の命に従い、ベトナム兵士のアメリカ人に対する残虐行為を見つけ出して報告し、結果として空爆の開始に加担してしまう。戦場の視察に行ったエルズバーグは、敵の攻撃が危険なためアメリカ軍が夜間パトロールにも出られない様子を目の当たりにし、本国で伝えられる楽観的な戦況の報告は全くのウソだと知る。マクナマラ長官も戦争の泥沼化を予測し、戦争推進派のジョンソン大統領に北爆の停止を進言するが退けられる。
なぜアメリカがこれほど愚かな戦争に乗り出したのか、記録に留める必要に駆られたマクナマラ長官は、1967年、ベトナム介入までの全ての経緯を記した報告書を秘密裏に作成するよう命じる。この頃、ニクソン大統領の補佐官だったキッシンジャーに対し、「この戦争に勝つ道はない」と告げていたエルズバーグも編纂に加わることになった。いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれるこの最高機密文書の冒頭部分を、1969年に初めて目にしたエルズバーグは、ジョンソン以前のケネディや、アイゼンハワー、トルーマンといった歴代の大統領も皆、アメリカ国民を欺いてきたという事実に愕然とする。そして戦争が、ベトナムのためではなく、アメリカの私欲にまみれた犯罪にも等しいものだと知り、自分が今就いている仕事に失望と懐疑の念を抱くようになっていく。やがて反戦活動家たちの勇気ある行動に胸を打たれたエルズバーグは、国家の最高機密であるペンタゴン・ペーパーズを公表し、戦争の正当性を問うことを決意する。7千ページに及ぶ国防総省の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」のコピーを終えたエルズバーグは、まず、当時戦争に異を唱えていた議員たちの元に持ち込んだ。しかし、国家の裏切り者呼ばわりされたり、愛国心がないとそしられたりするのを恐れ、内容を公表して政府の横暴を正そうという勇気ある政治家はいなかった。そこで1971年3月、エルズバーグはニューヨーク・タイムズに文書をリークする。この頃、彼はノーム・チョムスキーらとともに反戦活動に取り組んでいた。NYタイムズでは、機密文書の内容掲載がスパイ法に抵触しないかどうか、慎重な審議が行われていた。そして3ヶ月後、ようやく記事は発表される。直ちに政府から記事の差し止め請求が出され、エルズバーグはFBIとメディアの両方から追われるようになる。
 しかし、NYタイムズ、ワシントン・ポストに続き新聞各紙が記事を掲載、テレビや上院議員も加勢する。エルズバーグはスパイ法違反で起訴されるが、保証金を支払い保釈。最高裁判所も、NYタイムズとワシントン・ポストに記事掲載を認め、国家の安全保障のためと叫ぶだけでは報道の事前検閲を正当化できないという、「表現の自由」に関する歴史的な判決を下した。」

 このエルズバーグの勇気ある行動がベトナム戦争終結に大きな役割を果たした事は確かな歴史的事実です。平和運動家として名声を確立したエルズバーグは、その後、核兵器廃絶のために真摯な運動を続けています。功成り名遂げたこの有名人士は1931年4月7日の生まれ、目出度く90歳を迎えました。

 彼については多数の記録映画や書籍が発表されていますが、ここではデモクラシー・ナウのサイトで観ることができる関係動画を3つ挙げておきます:

https://www.democracynow.org/2007/7/2/how_the_pentagon_papers_came_to

https://www.democracynow.org/2009/9/16/the_most_dangerous_man_in_america

https://www.democracynow.org/2019/11/25/daniel_ellsberg_on_pardoning_war_criminals

 さて、ダニエル・エルズバーグの紹介が長くなってしまいましたが、今回のこのブログ記事『ダニエル・エルズバーグの笑顔』の主題は、実は、別のところにあります。私はこの人の美しい笑顔について語りたいのです。その笑顔は次の動画で見ることが出来ます。エルズバーグの90歳の誕生日を祝ってのインタビューです:

https://zcomm.org/znetarticle/daniel-ellsberg-at-90-its-still-possible-to-save-humanity/

この動画の英語は聞きやすく、しかも完全なトランスクリプト(内容の英文)が付いていますから,ぜひご覧ください。ただし、YouTube に移ると、内容文が読めなくなることがあるので、参照しながら動画をみたい方は、画面の真ん中の大きな矢印をクリックして下さい。対話者のPaul Jayさんは私の信頼するジャーナリストの一人です。導入部の半分ほどを訳出します:

「Ninety years ago, Daniel Ellsberg was born and he has lived a life of meaning, many of us strive to change the world, but few have the opportunity and the courage to change the course of history. Dan’s release of the Pentagon Papers at great personal risk helped end the Vietnam War. His book, The Doomsday Machine Confessions of a Nuclear War Planner, reveals the institutional madness of American nuclear war strategy. Dan continues to fight for truth and to awaken people to the existential danger of nuclear weapons. (90年前、ダニエル・エルズバーグは生まれ、これまで意義ある人生を送ってきました、我々の多くは世界を変えようと努力しますが、歴史のコースを変える機会と勇気を持ち合わせる者はほんの僅かです。ダンさんが大きな身の危険を顧みずペンダゴン文書を公開発表した事はベトナム戦争の終結を助けました。彼の著書『世界人類破滅の機械-核戦争企画者の告白』は、アメリカの核戦争戦略の制度的狂気を明らかにしています。ダンさんは真実を求めて戦い、核兵器の実存的危険性に人々を目覚めさせることを続けています。)」

 このインタビューの長さは31分、その主題は核戦争の阻止です。これは人類にとって、今、最も喫緊の課題です。この主題についての語りの中で、23分あたりから「この地上での天国」の話が出てきます:

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Paul Jay

Denial of the threat of nuclear war is very comforting. Facing up to it. It’s very disturbing. You are the least in denial of anyone I know. Yet you maintain a sense of joy. You always have a twinkle in your eye. You laugh and you smile easily. Most people when I start talking about this, they say ah this is too depressing. How do you keep your sense of joy throughout all of this?

Daniel Elllsberg

Well, here my wife of 50 years here now being married and being with her, lying with her at night is heaven on earth. So, I know what heaven is, and the other side of that is that. Hell, it’s possible on this earth, as a matter of fact, all the people doing these things, I think hardly any of them do not convince themselves that they are making things less bad than they otherwise would be if other people were running it, that they have good intentions, but they are the kind of intentions that pave the road to hell.

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ダニエル・エルズバーグの

「Well, here my wife of 50 years here now being married and being with her, lying with her at night is heaven on earth.」

という言葉を聞いて、私の想いは少し別の方向に飛びました。どんな人間でもこの地上で天国を知ることができるという事実から、今の世界でない別の世界を実現する可能性があるという想いを強めたのです。話が長くなりすぎたので、私のこの想いの説明は次回に行います。

 

藤永茂(2021年5月2日)