スペインの独裁政治家フランシスコ・フランコのことをよくご存知の方々も多いと思います。あまり知らない人はまず次のサイト(世界史の窓)を読んでください:
http://www.y-history.net/appendix/wh1504-111.html
記事の終わりの部分をコピーします:
Episode フランコの墓を巡る騒動
スペインのサンチェス首相は、2018年8月、「戦没者の谷」からフランコの墓を撤去することを表明した。「戦没者の谷」はマドリードの北西50kmにあり、1959年、当時独裁権力をふるっていたフランコ総統の命令で、スペイン内戦の犠牲者3万人が埋葬され、その中央に高さ150mの巨大な十字架が立ち、フランコ自身が巨大な兵士像などに守られながら眠っていた。しかし、一般市民は独裁者の眠る墓地には参拝することを拒み、内戦の反政府側として戦死した遺族からも批判の声が起こっていた。左派政権として登場したサンチェス首相はそれらを踏まえ、この施設からフランコの遺骸を移す方針を固めたのだ。それに対して世論調査では移設賛成は41%、反対が39%で世論は割れた。独裁政治の過去と決別することをめざす首相を支持する声がやゝ多かったが、現在もフランコを偉大な指導者として信奉する人々は移設に強く反対し、また年金や失業問題などを抱える今「古傷開くだけ」との批判の声もある。<朝日新聞 2018/11/22 記事 >
NewS フランコの墓、移設される
2019年10月、CNNなどの報道によると、スペインの独裁者フランコの遺体が共同墓地から掘りだされ、別な墓地に移葬されたという。「戦没者の谷」の棺の掘り起こしの場は、スペインの司法相や科学捜査の専門家、神父、フランコ総統の子孫22人が立ち会った。その後霊柩車とヘリコプターで妻の眠るエルパルドの墓地に運ばれ、埋葬された。スペイン政府と遺族の間では1年にわたり法廷闘争が続いたが決着し、政府が6万3000ユーロ(約760万円)の移設費を負担した。それまで総統の命日に当たる11月20日に墓前で集会を行ってフランコ時代を懐かしんでいた右派も移設反対を訴えていたが、いずれも却下された。左派のサンチェス政権はこれで公約の一つを果たしたことになる。<CNN ニュース 2019/10/25>
フランコについてのもっと詳しい記事がウィキペディアにあります:
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランシスコ・フランコ
フランコは、スペイン内戦では人民戦線政府側の軍隊と一般人民の多数を殺戮し、その死者数は数十万人に達しました。第二次世界大戦では、始めは、日独伊の枢軸国寄りの「中立」、枢軸国側の旗色が悪くなると、今度は卑劣にも連合国側に傾いた「中立」の立場をとり、連合国とドイツとの講和調停を試みましました。
ここまで読めば、今回のブログ記事のタイトル『フランコとエルドアン』の意味が分かって頂けると思います。トルコのエルドアン大統領が今何を目論んでいるかについては『マスコミに載らない海外記事』の最近の記事「NATO拡大に反対してトルコが実現しようとしていること」:
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2022/06/post-2b3aa7.html
をお読み下さい。エルドアンという人の詳細は
https://ja.wikipedia.org/wiki/レジェップ・タイイップ・エルドアン
で知る事ができます。
エルドアンはフランコをひとまわりスケールダウンしたような独裁政治家ですが、その卑劣な老獪性と残酷さではフランコに劣らないと私は考えます。私なりに、エルドアンがクルド人に対して、これまで何をしてきたか、何をしているか、何を成し遂げようとしているかを、ごく大まかにお話ししましょう。
ウィキペディアによると、クルド人の総人口は約4600万人、トルコ(約2480万人)、イラン(約480〜660万人)、イラク(約400〜600万人)、シリア(約90〜280万人)、ドイツ(約50〜80万人)、などとなっています。クルド人は「国を持たない最大の民族」です。こんなことになった歴史的経緯は、最も簡単に要約すれば、西欧諸国の身勝手な恣意の結果ということになります。
チュニジアで国内的な反政府運動が起こったのは2010年12月で、これが「アラブの春」の始まりとされています。しかし、2011年2月に始まったリビア紛争、2012年からのシリア紛争は“内戦”ではありません。リビアについては、これまで幾度も報告してきました。ひどい話は今も続いています。そして、同様の惨劇がシリアでは現在も進行中で、ある意味では、リビアよりなお大規模なスケールで展開されていて、しかもそれがウクライナ戦争の絶叫的プロパガンダ戦の影に隠されているのが痛ましい現状です。
IS(イスラム国)が中東の舞台に現れたのは今世紀の初頭ですが、2012年に入るとシリア紛争に乗じてシリアの北部に急速に勢力を拡大し、2013年には北部の重要都市ラッカを占領して「首都」と宣言します。シリア制圧かイラク制圧を目指すかと思いきや、北上してシリア北部の都市コバニに対して猛烈な攻撃を開始しました。コバニ市は住民の多くがクルド人で、シリア紛争の勃発後の2012年7月、シリア政府の直接支配を脱して自治を宣言し、いわゆる“ロジャバ(ROJAVA)革命”運動の中心になっていました。この時点で、ISは、トルコにとっては傭兵集団であり、米国(CIA)にとっては、表向き、強力な国際テロ集団であると認めていても、内密は、これを利用してシリアの政権チェンジのための最適の軍事勢力として利用する方針を固めていたと思われます。ところが、トルコも米国も予期しなかった事態が生じました。クルドの人民防衛隊(YPG)と女性防衛隊(YPJ)が決死の抵抗を示し、一度はコバニ市とその周辺の8割を制圧していたIS軍の旗色に陰りさえ見え始めたのです。この時、米国は、歴史にやがては明記されるべき、大芝居に打って出ます。コバニの制圧に手を焼いているIS軍に対する空爆を開始したのです。それと同時にお得意のプロパガンダも展開して、コバニでのIS軍の挫折敗北には米空軍による空爆が決定的要因であったという印象を世界に与えたのでした。その当時、刻々と伝えられた個々のニューズアイテムを憶えている人はほんの僅かでしょう。私はその僅かな数の人間の一人です。
コバニはISが制圧したというニュースは何度も報じられました。しかし、如何に多勢で凶暴といっても、IS軍は、所詮、外人傭兵集団、革命の熱意に燃えるクルド人の男性と女性の戦闘員達の決死の反撃に押し戻され、遂には一敗地にまみれました。ここで、肝心の点は、米軍のISの空爆は、ISの敗色が確かなものとなってから本格的に始まったという事実です。自らの力で勝利を勝ち取ったという実感を持っていたクルドの戦闘員からは「米軍の空爆のおかげで勝ったのではない。勝利は自分たちの力で勝ち取ったのだ」という声が上がりました。更には、「米空軍機はIS軍の頭上に爆弾も落としているが、戦線の後方では支援物資も落としている」というニュースも流れました。これは事実だったと考える十分の理由があります。
トルコとの国境の南側、シリアの北部、西からアフリン、ロジャバ、チゼールの三つの飛び地で革命に立ち上がったクルド人勢力、人民防衛隊(YPG)と女性防衛隊(YPJ)、を米国はシリアのアサド政権打倒のための新しい傭兵集団に仕立て上げ、それまで既に強力な傭兵集団として巧みに操作してきたISと合わせて、二つの外国人傭兵軍事勢力を、表向きには、お互いに戦わせながら、結局は、シリア北東部のユーフラテス河以東を不法侵略し占領するという実に大胆な大芝居に米国は打って出ました。この残酷極まりない作戦行動の始まりは、IS(イスラム国)がその首都として占領したシリア北部の都市ラッカに対する猛攻撃でした。
ラッカをめぐる戦いとしては三つの時期が挙げられます。初回は2013年3月から4月にかけて。この頃、米国(オバマ大統領)は“穏健な”反政府傭兵兵力としてアルカイダ系テロ集団を使っていましたが、この勢力とクルド革命勢力がラッカ市を支配しました。この時、アサド政権があまりにも呆気なくラッカを手放してしまったので、話題になりました。アサド大統領は、この時点で、クルド人勢力と戦いたくなかったのだと私は推測します。2回目は2014年8月のIS(イスラム国)によるラッカ市の占領とISの首都宣言です。ISを強力な傭兵組織として使っていたのはトルコのエルドアン大統領です。上述のように、ISは、ここから、アサド政権打倒に向かわずに、クルド革命勢力の中心拠点コバニに対して猛攻撃を開始し、コバニ征服の寸前まで迫りました。しかし、クルド革命軍はコバニを死守し、9月中旬、IS側に、コバニ占領の断念という敗色さえ見え始めました。CIAとオバマ大統領が、クルド革命に邁進するクルドの人民防衛隊(YPG)と女性防衛隊(YPJ)をシリアでの地上戦傭兵部隊として採用するという歴史的決定を下したのは、この時点であったと考えられます。
さて、こうなると、ISを使って、シリア北部のクルド革命勢力を撲滅したいトルコと、そのクルド革命勢力を傭兵地上軍として使って、シリアの政権チェンジを行いたい米国との間には、直接的な目的の齟齬が生じたわけですが、ここで最も重要なポイントは、米国もトルコも、アサド政権打倒という目的は間違いなく共有しているということでした。ここで米国とトルコの間で行われたディールは「米国は、YPGとYPJを主力としてシリア民主軍(Syrian Democratic Force, SDF)と称する傭兵勢力を作り、今までのアルカイダ系の傭兵とともに、シリアの政権チェンジを目指す攻撃を改めて強力に遂行するけれども、“テロとの戦い”という米国の政策の表看板の維持のため、IS(イスラム国)の首都にSDFを進撃させ、市とその周辺地域を爆撃する。しかし、これはその地域のシリアのインフラを徹底的に破壊するのが目的で、トルコの傭兵外人部隊ISに酷い打撃を与えるためではない。ラッカを占領しているIS軍の幹部達とその家族の安全は約束する」というものでした。この私の『ラッカの戦い』の解説を読んで、これは素人のブロッガー「藤永茂」がデッチあげた陰謀説だと思われる方が大多数でしょう。しかし、そうではありません。誰か、もう一人のアサンジかエルスバーグのような勇者が出現して、米国政府の秘密文書を公開してくれるとなれば、この汚いディールは白日の下にさらされるでしょう。当時から私が保存している、そして幸いに今もアクセス可能な、驚くべきBBCの記事があります。『ラッカの汚い秘密』というタイトルです:
https://www.bbc.co.uk/news/resources/idt-sh/raqqas_dirty_secret
このBBCの“暴露記事”は、SDFから攻め立てられたISの幹部とその家族をラッカから東に脱出させるオペレーションを報じたものです。その一部をコピーします:
The deal to let IS fighters escape from Raqqa – de facto capital of their self-declared caliphate – had been arranged by local officials. It came after four months of fighting that left the city obliterated and almost devoid of people. It would spare lives and bring fighting to an end. The lives of the Arab, Kurdish and other fighters opposing IS would be spared.
But it also enabled many hundreds of IS fighters to escape from the city. At the time, neither the US and British-led coalition, nor the SDF, which it backs, wanted to admit their part.
しかしこのIS幹部の脱出は、SDFとISの平の兵士たちが、4ヶ月もの間、激しく殺し合った後に行われました。これが3回目の「ラッカの戦い」で、双方に多数の戦死者が出た激しい戦闘でした。しかも、話はこれで終わったのではありません。ISの弱体化とロシアの軍事的援助獲得に勢いづいたシリア政府軍が、シリア北東部、ユーフラテス河の両岸にまたがる要衝都市デリゾールの制覇を目指して進攻を開始すると、東の方に向かって敗走するIS軍を追撃するという名目で、SDF軍を、ユーフラテス河の東岸以東に広がる広大な地域の先取占領を目指して、東方に向かって急進撃させます。こうして、米国は、SDFを傭兵集団として使って、シリアの穀倉と油田地帯であるシリア北東部を、宣戦布告も何もなく、占領してしまいました。国際法の全面的違反行為です。これらは2017年9月から年末にかけての出来事でした。
では、トルコはこの期間に何をしていたか? トルコは数千台の石油輸送大型トラックを連ねて、ISにシリアからの石油泥棒をさせていました。これについては、当時、何本かのブログ記事を書きましたが、その一つ『ISの役割:代理地上軍と石油泥棒』(2015年12月9日)を引用します:
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/db725a2ebeb94c7481485833837f97e6
この事実の発覚がロシアのシリア紛争への直接介入のきっかけになりました。
ISについての透徹した見解は、その当時、すでに存在していました。すべての人が米国の大嘘に騙されていたわけではありません。その一つを参考までに掲げておきます。興味のある方は是非お読み下さい:
https://syria360.wordpress.com/2016/02/04/who-created-isis-and-why/
ここで、傭兵(Mercenary)というものの悲惨な立場を少し考えておきましょう。先日、ドンバス地区の戦闘で捕虜となった英国国籍の兵士2名が、その地の裁判所によって死刑の宣告を受けました。正規の国軍の兵士が敵国の捕虜になった場合には、国際法の保護があって捕虜にした側が勝手に死刑にすることができませんが、傭兵の場合にはその保護がありません。傭兵たちは気の毒な人々です。死ねばそれでおしまい、囚われても、法的な保護はありません。
トルコのエルドアン大統領に話を戻します。トルコの親政府の日刊紙「デイリー・サバ」(DAILY SABAH)の本年6月8日の記事によると、
トルコは、ロシアと米国の両側に巧みに絡み付いて、トルコとシリアの国境から南へ30キロ幅の帯状地帯の占領を要求していて、これによって、SDFが目下支配しているこの地帯からクルド人勢力を殲滅排除することで、クルド人のトルコ政府の抑圧同化政策に対する抵抗の撲滅を目指す、強力な軍事行動を行っています。イラク北部の山岳地域で懸命のゲリラ作戦を続けていたクルド人勢力も圧倒的なトルコ軍の猛攻撃の前に風前の灯火の状態にあります。世界の耳目がウクライナに集中している間に、トルコは荒療治をやってしまいたいのでしょう。したがって、私が応援するロジャバ革命は、全面的に、重大な危機にさらされています。一方、米国がシリアでやっている事も、言語に尽くせないほど酷いものです。米国は全く不法にシリアの穀倉地帯と油田地帯を占領し、そこから、小麦などの農産物と石油を、せっせと、国外に運び出しているのです。米欧はロシアが小麦や肥料や天然ガスの輸出を停止したのは怪しからんといって大声で叫びまくっていますが、米国はシリアから食料と燃料を国外に運び出して売り捌き、シリア国民を苦難に陥れ、国民がアサド政権を倒す運動を起こすことを狙っているのです。ロシアと米国のどちらが、より悪魔的かを。皆さん、よく考えてみて下さい。米国は、自分の利権さえ擁護できれれば、シリアやウクライナの一般市民が何人死んでも構わないのです。私は、同じ運命が日本人のすぐそばに迫って来ていていると思えて仕方がありません。
日本に、このことを真剣に考える真っ当な政治家が出て来ることを心から願うばかりです。年老いた人々も、中年の人々も、若い人々も、どうか、しっかり、目を開いて下さい。
藤永茂(2022年6月26日)