私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

フランコとエルドアン

2022-06-26 22:25:00 | 日記・エッセイ・コラム

 スペインの独裁政治家フランシスコ・フランコのことをよくご存知の方々も多いと思います。あまり知らない人はまず次のサイト(世界史の窓)を読んでください:

http://www.y-history.net/appendix/wh1504-111.html

記事の終わりの部分をコピーします:

Episode フランコの墓を巡る騒動

 スペインのサンチェス首相は、2018年8月、「戦没者の谷」からフランコの墓を撤去することを表明した。「戦没者の谷」はマドリードの北西50kmにあり、1959年、当時独裁権力をふるっていたフランコ総統の命令で、スペイン内戦の犠牲者3万人が埋葬され、その中央に高さ150mの巨大な十字架が立ち、フランコ自身が巨大な兵士像などに守られながら眠っていた。しかし、一般市民は独裁者の眠る墓地には参拝することを拒み、内戦の反政府側として戦死した遺族からも批判の声が起こっていた。左派政権として登場したサンチェス首相はそれらを踏まえ、この施設からフランコの遺骸を移す方針を固めたのだ。それに対して世論調査では移設賛成は41%、反対が39%で世論は割れた。独裁政治の過去と決別することをめざす首相を支持する声がやゝ多かったが、現在もフランコを偉大な指導者として信奉する人々は移設に強く反対し、また年金や失業問題などを抱える今「古傷開くだけ」との批判の声もある。<朝日新聞 2018/11/22 記事 >

NewS フランコの墓、移設される

 2019年10月、CNNなどの報道によると、スペインの独裁者フランコの遺体が共同墓地から掘りだされ、別な墓地に移葬されたという。「戦没者の谷」の棺の掘り起こしの場は、スペインの司法相や科学捜査の専門家、神父、フランコ総統の子孫22人が立ち会った。その後霊柩車とヘリコプターで妻の眠るエルパルドの墓地に運ばれ、埋葬された。スペイン政府と遺族の間では1年にわたり法廷闘争が続いたが決着し、政府が6万3000ユーロ(約760万円)の移設費を負担した。それまで総統の命日に当たる11月20日に墓前で集会を行ってフランコ時代を懐かしんでいた右派も移設反対を訴えていたが、いずれも却下された。左派のサンチェス政権はこれで公約の一つを果たしたことになる。<CNN ニュース 2019/10/25

フランコについてのもっと詳しい記事がウィキペディアにあります:

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランシスコ・フランコ

フランコは、スペイン内戦では人民戦線政府側の軍隊と一般人民の多数を殺戮し、その死者数は数十万人に達しました。第二次世界大戦では、始めは、日独伊の枢軸国寄りの「中立」、枢軸国側の旗色が悪くなると、今度は卑劣にも連合国側に傾いた「中立」の立場をとり、連合国とドイツとの講和調停を試みましました。

 ここまで読めば、今回のブログ記事のタイトル『フランコとエルドアン』の意味が分かって頂けると思います。トルコのエルドアン大統領が今何を目論んでいるかについては『マスコミに載らない海外記事』の最近の記事「NATO拡大に反対してトルコが実現しようとしていること」:

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2022/06/post-2b3aa7.html

をお読み下さい。エルドアンという人の詳細は

https://ja.wikipedia.org/wiki/レジェップ・タイイップ・エルドアン

で知る事ができます。

 エルドアンはフランコをひとまわりスケールダウンしたような独裁政治家ですが、その卑劣な老獪性と残酷さではフランコに劣らないと私は考えます。私なりに、エルドアンがクルド人に対して、これまで何をしてきたか、何をしているか、何を成し遂げようとしているかを、ごく大まかにお話ししましょう。

 ウィキペディアによると、クルド人の総人口は約4600万人、トルコ(約2480万人)、イラン(約480〜660万人)、イラク(約400〜600万人)、シリア(約90〜280万人)、ドイツ(約50〜80万人)、などとなっています。クルド人は「国を持たない最大の民族」です。こんなことになった歴史的経緯は、最も簡単に要約すれば、西欧諸国の身勝手な恣意の結果ということになります。

 チュニジアで国内的な反政府運動が起こったのは2010年12月で、これが「アラブの春」の始まりとされています。しかし、2011年2月に始まったリビア紛争、2012年からのシリア紛争は“内戦”ではありません。リビアについては、これまで幾度も報告してきました。ひどい話は今も続いています。そして、同様の惨劇がシリアでは現在も進行中で、ある意味では、リビアよりなお大規模なスケールで展開されていて、しかもそれがウクライナ戦争の絶叫的プロパガンダ戦の影に隠されているのが痛ましい現状です。

 IS(イスラム国)が中東の舞台に現れたのは今世紀の初頭ですが、2012年に入るとシリア紛争に乗じてシリアの北部に急速に勢力を拡大し、2013年には北部の重要都市ラッカを占領して「首都」と宣言します。シリア制圧かイラク制圧を目指すかと思いきや、北上してシリア北部の都市コバニに対して猛烈な攻撃を開始しました。コバニ市は住民の多くがクルド人で、シリア紛争の勃発後の2012年7月、シリア政府の直接支配を脱して自治を宣言し、いわゆる“ロジャバ(ROJAVA)革命”運動の中心になっていました。この時点で、ISは、トルコにとっては傭兵集団であり、米国(CIA)にとっては、表向き、強力な国際テロ集団であると認めていても、内密は、これを利用してシリアの政権チェンジのための最適の軍事勢力として利用する方針を固めていたと思われます。ところが、トルコも米国も予期しなかった事態が生じました。クルドの人民防衛隊(YPG)と女性防衛隊(YPJ)が決死の抵抗を示し、一度はコバニ市とその周辺の8割を制圧していたIS軍の旗色に陰りさえ見え始めたのです。この時、米国は、歴史にやがては明記されるべき、大芝居に打って出ます。コバニの制圧に手を焼いているIS軍に対する空爆を開始したのです。それと同時にお得意のプロパガンダも展開して、コバニでのIS軍の挫折敗北には米空軍による空爆が決定的要因であったという印象を世界に与えたのでした。その当時、刻々と伝えられた個々のニューズアイテムを憶えている人はほんの僅かでしょう。私はその僅かな数の人間の一人です。

 コバニはISが制圧したというニュースは何度も報じられました。しかし、如何に多勢で凶暴といっても、IS軍は、所詮、外人傭兵集団、革命の熱意に燃えるクルド人の男性と女性の戦闘員達の決死の反撃に押し戻され、遂には一敗地にまみれました。ここで、肝心の点は、米軍のISの空爆は、ISの敗色が確かなものとなってから本格的に始まったという事実です。自らの力で勝利を勝ち取ったという実感を持っていたクルドの戦闘員からは「米軍の空爆のおかげで勝ったのではない。勝利は自分たちの力で勝ち取ったのだ」という声が上がりました。更には、「米空軍機はIS軍の頭上に爆弾も落としているが、戦線の後方では支援物資も落としている」というニュースも流れました。これは事実だったと考える十分の理由があります。

 トルコとの国境の南側、シリアの北部、西からアフリン、ロジャバ、チゼールの三つの飛び地で革命に立ち上がったクルド人勢力、人民防衛隊(YPG)と女性防衛隊(YPJ)、を米国はシリアのアサド政権打倒のための新しい傭兵集団に仕立て上げ、それまで既に強力な傭兵集団として巧みに操作してきたISと合わせて、二つの外国人傭兵軍事勢力を、表向きには、お互いに戦わせながら、結局は、シリア北東部のユーフラテス河以東を不法侵略し占領するという実に大胆な大芝居に米国は打って出ました。この残酷極まりない作戦行動の始まりは、IS(イスラム国)がその首都として占領したシリア北部の都市ラッカに対する猛攻撃でした。

 ラッカをめぐる戦いとしては三つの時期が挙げられます。初回は2013年3月から4月にかけて。この頃、米国(オバマ大統領)は“穏健な”反政府傭兵兵力としてアルカイダ系テロ集団を使っていましたが、この勢力とクルド革命勢力がラッカ市を支配しました。この時、アサド政権があまりにも呆気なくラッカを手放してしまったので、話題になりました。アサド大統領は、この時点で、クルド人勢力と戦いたくなかったのだと私は推測します。2回目は2014年8月のIS(イスラム国)によるラッカ市の占領とISの首都宣言です。ISを強力な傭兵組織として使っていたのはトルコのエルドアン大統領です。上述のように、ISは、ここから、アサド政権打倒に向かわずに、クルド革命勢力の中心拠点コバニに対して猛攻撃を開始し、コバニ征服の寸前まで迫りました。しかし、クルド革命軍はコバニを死守し、9月中旬、IS側に、コバニ占領の断念という敗色さえ見え始めました。CIAとオバマ大統領が、クルド革命に邁進するクルドの人民防衛隊(YPG)と女性防衛隊(YPJ)をシリアでの地上戦傭兵部隊として採用するという歴史的決定を下したのは、この時点であったと考えられます。

 さて、こうなると、ISを使って、シリア北部のクルド革命勢力を撲滅したいトルコと、そのクルド革命勢力を傭兵地上軍として使って、シリアの政権チェンジを行いたい米国との間には、直接的な目的の齟齬が生じたわけですが、ここで最も重要なポイントは、米国もトルコも、アサド政権打倒という目的は間違いなく共有しているということでした。ここで米国とトルコの間で行われたディールは「米国は、YPGとYPJを主力としてシリア民主軍(Syrian Democratic Force, SDF)と称する傭兵勢力を作り、今までのアルカイダ系の傭兵とともに、シリアの政権チェンジを目指す攻撃を改めて強力に遂行するけれども、“テロとの戦い”という米国の政策の表看板の維持のため、IS(イスラム国)の首都にSDFを進撃させ、市とその周辺地域を爆撃する。しかし、これはその地域のシリアのインフラを徹底的に破壊するのが目的で、トルコの傭兵外人部隊ISに酷い打撃を与えるためではない。ラッカを占領しているIS軍の幹部達とその家族の安全は約束する」というものでした。この私の『ラッカの戦い』の解説を読んで、これは素人のブロッガー「藤永茂」がデッチあげた陰謀説だと思われる方が大多数でしょう。しかし、そうではありません。誰か、もう一人のアサンジかエルスバーグのような勇者が出現して、米国政府の秘密文書を公開してくれるとなれば、この汚いディールは白日の下にさらされるでしょう。当時から私が保存している、そして幸いに今もアクセス可能な、驚くべきBBCの記事があります。『ラッカの汚い秘密』というタイトルです:

https://www.bbc.co.uk/news/resources/idt-sh/raqqas_dirty_secret

このBBCの“暴露記事”は、SDFから攻め立てられたISの幹部とその家族をラッカから東に脱出させるオペレーションを報じたものです。その一部をコピーします:

The deal to let IS fighters escape from Raqqa – de facto capital of their self-declared caliphate – had been arranged by local officials. It came after four months of fighting that left the city obliterated and almost devoid of people. It would spare lives and bring fighting to an end. The lives of the Arab, Kurdish and other fighters opposing IS would be spared. 

But it also enabled many hundreds of IS fighters to escape from the city. At the time, neither the US and British-led coalition, nor the SDF, which it backs, wanted to admit their part.

しかしこのIS幹部の脱出は、SDFとISの平の兵士たちが、4ヶ月もの間、激しく殺し合った後に行われました。これが3回目の「ラッカの戦い」で、双方に多数の戦死者が出た激しい戦闘でした。しかも、話はこれで終わったのではありません。ISの弱体化とロシアの軍事的援助獲得に勢いづいたシリア政府軍が、シリア北東部、ユーフラテス河の両岸にまたがる要衝都市デリゾールの制覇を目指して進攻を開始すると、東の方に向かって敗走するIS軍を追撃するという名目で、SDF軍を、ユーフラテス河の東岸以東に広がる広大な地域の先取占領を目指して、東方に向かって急進撃させます。こうして、米国は、SDFを傭兵集団として使って、シリアの穀倉と油田地帯であるシリア北東部を、宣戦布告も何もなく、占領してしまいました。国際法の全面的違反行為です。これらは2017年9月から年末にかけての出来事でした。

 では、トルコはこの期間に何をしていたか? トルコは数千台の石油輸送大型トラックを連ねて、ISにシリアからの石油泥棒をさせていました。これについては、当時、何本かのブログ記事を書きましたが、その一つ『ISの役割:代理地上軍と石油泥棒』(2015年12月9日)を引用します:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/db725a2ebeb94c7481485833837f97e6

この事実の発覚がロシアのシリア紛争への直接介入のきっかけになりました。

 ISについての透徹した見解は、その当時、すでに存在していました。すべての人が米国の大嘘に騙されていたわけではありません。その一つを参考までに掲げておきます。興味のある方は是非お読み下さい:

https://syria360.wordpress.com/2016/02/04/who-created-isis-and-why/

 ここで、傭兵(Mercenary)というものの悲惨な立場を少し考えておきましょう。先日、ドンバス地区の戦闘で捕虜となった英国国籍の兵士2名が、その地の裁判所によって死刑の宣告を受けました。正規の国軍の兵士が敵国の捕虜になった場合には、国際法の保護があって捕虜にした側が勝手に死刑にすることができませんが、傭兵の場合にはその保護がありません。傭兵たちは気の毒な人々です。死ねばそれでおしまい、囚われても、法的な保護はありません。

 トルコのエルドアン大統領に話を戻します。トルコの親政府の日刊紙「デイリー・サバ」(DAILY SABAH)の本年6月8日の記事によると、

https://www.dailysabah.com/politics/diplomacy/turkey-urges-russia-to-fulfill-deals-to-clear-n-syria-of-terrorists

トルコは、ロシアと米国の両側に巧みに絡み付いて、トルコとシリアの国境から南へ30キロ幅の帯状地帯の占領を要求していて、これによって、SDFが目下支配しているこの地帯からクルド人勢力を殲滅排除することで、クルド人のトルコ政府の抑圧同化政策に対する抵抗の撲滅を目指す、強力な軍事行動を行っています。イラク北部の山岳地域で懸命のゲリラ作戦を続けていたクルド人勢力も圧倒的なトルコ軍の猛攻撃の前に風前の灯火の状態にあります。世界の耳目がウクライナに集中している間に、トルコは荒療治をやってしまいたいのでしょう。したがって、私が応援するロジャバ革命は、全面的に、重大な危機にさらされています。一方、米国がシリアでやっている事も、言語に尽くせないほど酷いものです。米国は全く不法にシリアの穀倉地帯と油田地帯を占領し、そこから、小麦などの農産物と石油を、せっせと、国外に運び出しているのです。米欧はロシアが小麦や肥料や天然ガスの輸出を停止したのは怪しからんといって大声で叫びまくっていますが、米国はシリアから食料と燃料を国外に運び出して売り捌き、シリア国民を苦難に陥れ、国民がアサド政権を倒す運動を起こすことを狙っているのです。ロシアと米国のどちらが、より悪魔的かを。皆さん、よく考えてみて下さい。米国は、自分の利権さえ擁護できれれば、シリアやウクライナの一般市民が何人死んでも構わないのです。私は、同じ運命が日本人のすぐそばに迫って来ていていると思えて仕方がありません。

 日本に、このことを真剣に考える真っ当な政治家が出て来ることを心から願うばかりです。年老いた人々も、中年の人々も、若い人々も、どうか、しっかり、目を開いて下さい。

藤永茂(2022年6月26日)


臨時ニュースを申し上げます!

2022-06-20 15:17:30 | 日記・エッセイ・コラム

 このタイトルを私は一つのジョークとして掲げています。高年齢の読者にはそれを理解してくださる方がおありでしょう。しかし、このニュースはほんものの朗報です。

 コロンビア大統領選挙でグスタボ・ペトロ氏が勝ちました。ペトロ氏が選んでいた副大統領は、前のブログで紹介したフランシア・マルケスです。この喜ばしいニュースは、NHKや日経などでも報道されています:

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220620/k10013679591000.html

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2009C0Q2A620C2000000/

この他にも、日本語、英語の報道が、動画を含めて、沢山あります。ただ、ちょっと気になるのが、これらの報道では、何故か、フランシア・マルケスの影が薄いことです。

 この選挙勝利の意義は、右が負けて左が勝ったとか、これまでのコロンビアの米国傾斜が反米的傾斜に変わるとかのレベルを遥かに超えたものように私には感じられます。欧米の世界支配が中露の世界支配に移ることでもありません。そうしたことを超えた、真正に人間的な人間たちの合唱がこの地球を覆い始めたという兆しであり、そうでなければなりません。

 上に引いた日本経済新聞の締めくくりの部分を引用させて貰います:

中南米で左翼政権が相次ぐ

2020年11月  ボリビア

2021年7月   ペルー

2022年1月   ホンジュラス

     3月   チリ

     8月   コロンビアでペトロ政権発足

    10月   ブラジル大統領選

中南米では左派の勢いが増している。21年7月にはペルーで急進左派のカスティジョ政権、22年3月にはチリで左派のボリッチ政権が発足した。今年10月に予定されるブラジルの大統領選では、左派のルラ元大統領が世論調査での支持率で優位にたっている。

現カナダ首相ジャスティン・トゥルードーの父親ピエール・トゥルードー元首相は「米国の隣国であることは一つベッドに巨象と同衾しているようなものだ」という名言を吐きましたが、これまで米国の圧倒的な支配圧力の下に存在してきた中南米諸国が米国の意向に逆らうことがどんなに困難なことであったかを我々は理解しなければなりません。前回のこのブログで紹介したホンジュラス初の女性大統領シオマラ・カストロは就任早々に左翼論客から「米国におべっかを使っている」と非難されました。2022年3月11日に、年齢三十六歳の若さでチリー大統領に就任したガブリエル・ボリッチも、選挙勝利の直後、バイデン大統領に追従的な挨拶を送ったとして非難されています:

https://libya360.wordpress.com/2022/06/17/gabriel-boric-the-expression-of-the-failure-and-subservience-of-social-democracy-to-big-capital/

しかし、シオマラ・カストロは大統領就任後、米国の圧力に屈しない立派な政策を実行しています。私は、同じことをチリーのガブリエル・ボリッチにも期待します。

 核戦争で何もかもが虚しくなってしまわなければ、この人間世界の夜明けは必ず訪れるでしょう。残念ながら、私はそれに立ち会えませんが。

藤永茂(2022年6月20日)


美しい女性

2022-06-18 19:56:49 | 日記・エッセイ・コラム

 人の美しさに対する感じ方は、歳を取るにつれて変わってくるようです。若い頃には見えなかった美しさが見えてくるような気がします。もっとも、美に対する感覚が初めから優れている人もいるでしょう。フランスの大彫刻家オーギュスト・ロダンがすっかり惚れ込んで、60点にものぼる彫刻(顔、身体)のモデルとなった「花子」(本名:太田ひさ)さんの美しさは、正直、今となっても、ロダンが何故それほど惚れ込んだのか、私にはよく分かりません。

 しかし、おそらく、多くの日本人もその美しさを認めるに違いない三人の女性を、今の世界的情勢に鑑みて、紹介したいと思います。

#一人目はホンジュラスの先住民環境保護運動家ベルタ・カセラスです。2016年に暗殺されました。この名前で探せば、ネット上で彼女のこと、彼女の写真をたくさん見ることが出来ます。日本語の記事では

https://www.vice.com/ja/article/8xdg4v/berta-caceres-has-been-shot-dead

https://rief-jp.org/ct4/66162

英語記事では

https://libya360.wordpress.com/2016/04/05/land-grabbing-is-killing-honduras-indigenous-peoples/

https://www.democracynow.org/2017/11/1/shocking_new_investigation_links_berta_caceress

 

 

#二人目は、同じくホンジュラスの女性初の大統領シオマラ・カストロです。この人の写真もネット上で多数見ることが出来ます。この人の夫は元ホンジュラス大統領マヌエル・セラヤで、米国の陰謀クーデター(オバマ大統領時代)によって倒されました。当時、私は憤慨してブログの記事にもしました。

#三番目は、今、私が最も注目する黒人女性のフランシア・マルケスです。明日6月19日のコロンビアでの大統領決戦投票が正常に行われれば、初の黒人女性副大統領が生まれます。しかし、米国からの強い選挙妨害が行われるのは必定です。彼女の記事は、日本語でも英語でもいろいろあります。例え、今度の決選投票で敗れても、彼女の名前は容易には消えますまい。

https://www.goldmanprize.org/recipient/francia-marquez/

https://libya360.wordpress.com/2022/06/16/interview-with-pacto-historicos-vice-presidential-candidate/

 

ここで私が惹かれた三人の女性は、三人とも、太り気味のなかなか立派な体格です。

藤永茂(2022年6月18日)


シリアの大統領バシャール・アル・アサドの品定めをして下さい

2022-06-10 22:34:09 | 日記

 この数日『フランコとエルドアン』という表題の記事を書いていましたが、極めて重要なインタービューが報道されましたので、急遽、お伝えしたいと考えました。それは、6月9日に行われた、シリアのバシャール・アル・アサド大統領の、ロシア報道機関RTによる、31分36秒に及ぶインタービューです:

https://syria360.wordpress.com/2022/06/09/president-assads-interview-with-rt-june-9-2022/

私が読んだこの記事はシリア政府の報道機関SANAによる英文のトランスクリプト全文ですが、英文が読み辛い人は使用可能の翻訳プログラムを活用してください。時折、誤訳も起こりますが、大体の内容は十分把握できると思います。有用な内容の解説記事もあります:

https://syria360.wordpress.com/2022/06/09/syrian-presidentrussia-has-restored-a-missing-international-balance/

有難いことに、青山弘之氏のブログには原語で行われた動画がアップされ、アサド大統領の主な発言が日本語で示されています。現在、記事の終わりに、(続く)、とあります:

http://syriaarabspring.info/?p=92404

 お願いしたいのは、皆さんがこのインタービューから、直に、バシャール・アル・アサドという人間の評価をして頂きたいということです。私はこの方法に大いに依存しています。この方法の最も大々的な適用は、今では広く商品化されているオリバー・ストーンのプーチンに関するドキュメンタリーでしょう。プーチンという人間に対するオリバー・ストーンの評価は、ウクライナ戦争が今後どのように展開しても 、動じることはありますまい。イニャシオ・レモネのカストロ評価も同じようなケースです。昔、米国のベテラン女性ジャーナリスト(名前失念)が、カストロをインタービューで取っちめてやろうと、ハバナに乗り込んだのですが、カストロの人柄に惚れ込んでしまったこともありました。私の念頭から常に離れないエリトリアの独裁政治家イサイアス・アフェウェルキを、ある時、英国のベテラン女性ジャーナリスト(名前失念)がインタービューしたことがありました。このジャーナリストは、次から次へと、実に意地の悪い、オープンに挑発的な質問を浴びせ続けましたが、アフェウェルキは、相手の挑発に乗らず、最後まで冷静で穏やかな表情を保ち通しました。英語で行われたこのインタービューの動画を、一種の興奮状態で見終わった私は、アフェウェルキという男一匹にすっかり惚れ込んでしまいました。これも随分と昔の話ですが、それ以来、アフェウェルキはアフリカのカストロであるという私の見解に揺らぎはありません。

 今回のアサド大統領のインタービューは、おそらく、RTが事前に質問事項を大統領に手渡していたのでしょうが、アサド氏は30分間手元に何のメモも持たずに全ての質問に穏やかな表情で淀みなく答えたのは見事です。トランスクリプトを見れば分かるように、鋭く切り込んだ質問が少なからずあります。質問をする女性の態度も見事です。青山弘之氏のブログにある動画をぜひご覧なさい。

 二十四の質問がなされていますが、その七番目で、アサド大統領は次のように発言しています:

Medical care in Syria is still free despite the decline of services; education is still free despite the decline in the quality of education as a result of the circumstances; subsidies are still available, despite the decreasing rate of these subsidies. All of these basic services are still available, with no change in our policy.

これまで長い間、シリアは米国の苛酷な制裁措置によって苦しめられています。単に経済貿易制裁のみならず、米国はシリアの穀物と石油の生産地域を不法占領して、農産物と石油を国外に運び出しています。質の低下はあるにしても、シリアでは、依然として、医療も教育もフリーだとのこと、我が国もシリアに学ぶべきことが多々あるのではありますまいか。

藤永茂(2022年6月10日)