私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

神妙な顔で謝る男(1)

2012-03-28 10:35:24 | 日記・エッセイ・コラム
 1950~60年代のイギリスの文学界に Angry Young Men とか Angries とかいった言葉が流れたことがありました。その中の一人とされたHarold Pinter (1930-2008) の政治的発言に私はいつも魅力を感じたものでした。この頃の日本の若い人々には昔の意味での怒っている人々が少なすぎるのではありますまいか。私は健康のことを考えると「怒れる老人」になりたくないのですが、毎日けっこう腹を立てています。その怒りの一部は確かに老化現象と一つの現れだと判断されますが、この世界について、特にその政治的実相についての私のこれまでの無知に自ら腹を立てている部分が大いにあります。
 つい先頃、フィリップ・アンダーソンという偉大なアメリカ人理論物理学者の『More and Different ? notes from a thoughtful curmudgeon 』という実に興味深い著書を読みました。アンダーソンは1972年『Science』に“More is Different(多は異なり)”と題する論文を出しましたが、その内容の重要さと妙なタイトルですっかり有名になってしまいました。今度の本のタイトルはそれをもじったものです。アンダーソンについては私の別のブログ『トーマス・クーン解体新書メモ』に書くつもりですが、今日は上の a thoughtful curmudgeon という言葉を考えてみようと思います。curmudgeon(マにアクセント)を知らなかったので辞書を見てみると、
§語源はよく分からないけれど、Now usually, a gruff, irritable, or cantankerous (esp. elderly) man. (Shorter Oxford Dictionary)
§If you call someone a curmudgeon, you do not like them because they are mean or bad-tempered. (Collins Cobuild Dictionary)
§おこりん坊、つむじ曲がり、気難し屋、(特に)意地悪老人。
などとあります。私は elderly と言われるにはもう年を取り過ぎていて、very old ですが、オックスフォード辞典の説明は私にぴったりです。しかし、アンダーソンと違って、とても“思慮深い”などとは言えません。ただただ、ぶっきらぼうに、いらいらして、すぐ人に食って掛かる、気難し屋の男性老人です。
 その私が、この何ヶ月か、本当にいらいらして、向かっ腹を立て続けているのはミスター・アンド・ミセス・クリントンです。ヒラリー・クリントンのことは既に二三度取り上げました。私の病いは昂じて、近頃は、テレビで彼女の顔を見るだけで虫唾が走るようになってしまいました。ビル・クリントンのことも既に何度か取り上げましたが、前回の書いたように、ハイチ総督になりきった彼には、ますます憤慨させられます。
 近頃、日本でも、謝罪の行為がすっかり空虚で醜悪な見せかけの芝居になってしまいました。それは、いやらしいほどに深々とした「お辞儀」のやり方に端的に現れています。昔は、自分が本当に悪かったと思ったら、深々とお辞儀して神妙ぶったりせずに、もっと直裁に潔く責任を取ったものでした。
 ビル・クリントンは神妙な顔をして虚偽の謝罪をすることの達人です。彼の残忍きわまる政治的判断のために数百万という人間が死を強いられました。彼は慙死して然るべき男です。ところが、ところが、アメリカ人の多くは、彼が前非を悔い、いさぎよく謝るところが好ましいと思っているようですから、こうなると、これはビル・クリントンの人格の問題を超えて、アメリカ人、そして、アメリカという国の根本的性格の問題になってきます。「アメリカがやってきたことは元々ほかの国の惨めさを救ってやろうという善意から出たのだ。些かの浅慮や無知はあっただろう。しかし、アメリカ人には過去の誤りを素直に認めて“悪かった。御免なさい”と謝る素直さと雅量と善良さがある」というわけです。しかし、これで済むことでしょうか? 済むわけがありません。
 ルワンダ大虐殺について、ビル・クリントンは「ほかのことに気を取られて、そんなひどいことになっているとは知らなかった。悪かった。御免なさい」と謝りました。しかし、実は彼は事の進行を知っていたのです。ビル・クリントンと一緒に嘘をついたサマンサ・パワーも、今はダンマリを決め込んでいます。
 そのビル・クリントンが、ハイチについて、またまた同様の「知らなかった。悪かった。御免なさい。」を二つもやってのけました。その話をします。
 2010年3月10日、ハイチのための国連特使の地位に既に(2009年5月)就いていたビル・クリントンは、ハイチが本来持っていた食糧の自給自足の能力を破壊してしまったのは自分だったと、米国上院外交委員会で証言し、正式に謝罪しました。
BILL CLINTON: Since 1981, the United States has followed a policy, until the last year or so when we started rethinking it, that we rich countries that produce a lot of food should sell it to poor countries and relieve them of the burden of producing their own food, so, thank goodness, they can leap directly into the industrial era. It has not worked. It may have been good for some of my farmers in Arkansas, but it has not worked. It was a mistake. It was a mistake that I was a party to. I am not pointing the finger at anybody. I did that. I have to live every day with the consequences of the lost capacity to produce a rice crop in Haiti to feed those people, because of what I did. Nobody else.
「1981年以降、我が国は、昨年あたりから施策の考え直しを始めるまで、一つの政策方針に従ってきました。それは、大量の食糧を生産する我が国のような豊かな国はそれを貧しい国々に売って、貧困国を自らの食糧を生産する労苦から解放してあげるべきで、それで、うまいことに、彼らが一足飛びに工業化時代に入ることが出来るという考えでした。しかし、うまく行きませんでした。私のアーカンソー州の農業経営者の一部には福音だったかも知れませんが、その政策はうまく行かなかった。間違いでした。私も加担した間違いでした。私は誰それが悪いとは言っていません。私がやったことです。私がやった事のために、ハイチで人々が米の自足自給の能力を失ったことの結果を心に抱いて私は日々を生きて行かなければなりません。他の誰がやったことでもないのですから。」
何とまあ神妙なしおらしい引責謝罪の言葉でしょう。これでアメリカ国民の大半はクリントンにコロリと参ってしまうのです。近頃の日本人は“感動する”のがとても好きなようですから、「さすがはアメリカの大政治家だなあ」と感動してしまう人も少なくないでしょう。現在、“良きアメリカ人”の代表と看做されているポール・ファーマーもこの切々たる謝罪の言葉をひどく持ち上げます。アミー・グッドマンの「デモクラシー・ナウ」のインタビューでファーマーは
Well, I would have been proud to have written those words, and I felt a sense of great relief just at hearing him say that. I did not, however, write those words.
「そうですね、あの言葉を書いたのが私だったら誇りに思ったでしょうし、彼(クリントン)がああ言うのを聞いただけでとてもホッとしました。だけど、私があの言葉を書いたのではありません。」
と言いました。私はこれを聞いて、ポール・ファーマーに真底あいそがつきました。この人物の底が見えたと思いました。この意地悪爺さん、またひどく失礼なことを言うとお思いになる方は、クリントンのハイチ政策の故に、ハイチで何が起ったか、起っているかを少し本気で調べて下さい。
 クリントンは大統領(1993年~2001年)に就任するとすぐ,貿易自由化のチャンピオンとして、ハイチ政府にアメリカからの米の輸入関税を大幅に引き下げさせました。1980年代の中ほどまではハイチの米の生産量は自給自足の状態にありました。その後は人口の増加や旱魃のために不足勝ちにはなっていたのですが、クリントンのアメリカ産米の輸出政策で安価な輸入米がどっとハイチに流れ込み、ハイチ国内の農民たちに致命的な打撃を与えました。
このアメリカ産米の輸出で大儲けをしたのは、クリントンの出身基盤州であるアーカンソー州に本拠を置く、9000人の農業経営者の農協組織であるRiceland Foods という会社です。米国内で巨額の助成金を受けて精米とマーケティングを大規模に行っています。クリントンが謝罪の言葉の中で、“It may have been good for some of my farmers in Arkansas”と言っていることに当たります。もっと白々しく残忍なのは“they can leap directly into the industrial era”という語り口です。「工業化のジャンプ・スタート」とは、実は、貧しくとも自給自足の米作農民をその農地では生活が出来ない状態に追い込み、根なしの貧民として都会周辺に集めて、それを衣料産業などの工場労働者に動員することを意味していたのです。それも、奴隷賃金としか言いようのない最低の賃金での雇用でした。しかも、クリントンの懺悔から分かるように、ハイチ古来の米作農業が破壊され、一方ジャンプ・スタートの工業化もうまくは行かなかったのでした。これは2010年1月の大震災以前の状況です。
 クリントンが悔悟謝罪の意を表したのがその2ヶ月後の3月10日、彼は既に国連特使、暫定ハイチ復興委員会(IHRC)の委員長として、事実上ハイチの最高権力者、言うなれば、ハイチ総督として君臨を始めていたわけですが、それから2年が経過しました。彼はその前非を償うような努力、つまり、ハイチの米作農業の回復を試み、アパレル製造業の労働者賃金を改善する努力をしたでしょうか? いかにも彼らしい lip service はともかくとして、実質的には、ポール・コリアー教授の線に沿ったネオリベラル政策の臆面もない続行です。前非を償うようなことはしていません。このブログで今まで何度も説明した通りです。こうなるとクリントンの神妙な謝罪を我々はどう考えればよいのでしょうか。この colossal な虚言と偽善と自己欺瞞こそアメリカという国の本質を象徴するものだと、私は考えます。
 アメリカがハイチの自給農業(subsistence farming)形態を完全に破壊したプロセスでハイチの農民たち(であった人たち)の心に焼き付いた歴史的記憶が二つあります。一つは上述の米国産米大量輸入によるハイチ米作の扼殺です。1994年、クリントンはハイチの外国産米輸入関税を50%から10%(3%だとも言われています)に下げることを強制しました。この罪業については「私がやった。ほんとに悪かった」とクリントンは謝ってみせたのでした。しかし、もう一度上掲のクリントンの言葉を読み返してみると、私の解釈が少しずれていたかも知れません。私の頭には、クリントンが亡命中のアリスティドの政権復帰の条件として米を含む貿易自由化を押し付けたという事実がこびりついていたし、彼の言葉に“rice crop”ともあったものですから、「ああ米のことを謝っている」と早とちりしてしまいましたが、読み返してみると、先ず始めに“1981年以降”とあり、“米”ではなく“食糧(food)”とあります。おそらくクリントンは米だけではなく豚のことも含めていたのでしょう。
 1982年から1983年にかけての13ヶ月間に、米国政府の差し金でハイチ土着の黒豚約百万頭が殺され絶滅しました。ハイチ史の悲惨な一頁です。
次回にお話しします。

藤永 茂   (2012年3月28日)


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民営化(Privatization)(2)

2012-03-21 11:59:18 | 日記・エッセイ・コラム
このブログの2011年6月15日付けの記事『リビアとハイチで何が見えるか(3)』で、その時点でのハイチの復興状況に関する公式発表の数字を引いて、私は次のように書きました。
■ 多数の被災した貧困層の人々が救われていないという事実が、彼らの福祉のためにお金が使われていないということを端的に意味していることは動かぬところで、別様の解釈の余地はありません。米国の下院の外交小委員会でユタ出身の共和党議員Chaffetz がUSAIDの長官Rajiv Shah を厳しく追及論難していたのは、USAIDのハイチでの援助資金の使途に透明性がなく、USAIDの支配力が大きく及ぶと考えられる一万をこえるNGOの活動に対する統制が殆ど全く取れずに野放し状態にあるということです。これは大マスメディアで何度か目にした数字ですが、USAIDなどを通じてアメリカ政府がハイチ復興の事業契約向けに支出した100ドルの内の98ドルはアメリカの会社が受け取っているそうです。ハイチ復興資金の大部分がアメリカの会社の懐にはいるという事実は大変興味深く注目に値します。東日本大震災の場合には、国外からの民間義援金も外国政府からの援助金(こちらは国民の税金です)も、日本政府、あるいは地方自治体の管理のもとで復興事業の出費に充てられている筈です。しかし、現在のハイチではハイチ政府はまるで無力で、復興資金の運用に関しては“蚊帳の外”にあります。大震災後はもちろん、この数年間、ハイチはほぼ完全にアメリカ政府のコントロール下にあり、復興についても、IHRC( Interim Haiti Recovery Commission, 暫定ハイチ復興委員会) なるものを立ち上げて、その委員長(Presidents)としてハイチ政府の首相とビル・クリントンが任命されています。アメリカの国務省の公式声明には、?#The Interim Haichi Recovery Commission (IHRC) is the planning body for the Haitian recovery. To ensure that the reconstruction is Haitian-led, the U. S. Government coordinates all its recovery assistance through the IHRC. ?(IHRC はハイチ復興計画組織である。その復興が ハイチ人主導であることを確実にするために、合衆国政府はそのすべての復興援助を IHRC 経由で調整する)#?と、復興事業がハイチ人主導で行なわれることが強調されているのですが、ワシントン・ポスト(2011年2月1日)には、?#The 12 Haitian members of the IHRC sent its co-chairman Bill Clinton a letter in December protesting that they were “completely disconnected” from the decision- making process that helps shape how more than $4 billion in recovery aid is spent.?(IHRCの12のハイチ人委員は去る12月に共同委員長ビル・クリントンに手紙を送り、彼らが、40億ドルを超える復興援助の使い方の施策決定プロセスから“完全に閉め出されている”ことを抗議した。)#?とありました。何かにつけてアメリカ政府支持のワシントン・ポストがこう言うのですから事実に間違いありません。?ハイチ復興の最大の問題はビル・クリントンです。彼は大統領時代からアメリカによるハイチの支配に深く関わって来ましたが、大震災直後、義援金の受け皿として Clinton Bush Haiti Fund というNGOをつくり、二人で災害現地に乗り込んで被災者と握手して回りました。大統領をやめて直ぐにクリントンはWilliam J. Clinton Foundation(クリントン財団)という大掛かりなNGOを設立し、その枠内でまたClinton Global Initiativeという組織をつくってハイチ義援金を集めて復興事業に参与していますが、公職としてはIHRCの委員長となり、これに加えて、国連のハイチ特使にも任命されています。したがって、UNを通しての復興援助資金も掌握していることになります。■
 上記の IHRC ( Interim Haiti Recovery Commission, 暫定ハイチ復興委員会)は, 米国の肝煎りでニューヨークの国連内で開かれたハイチ復興援助の国際会議(International Donors’ Conference Towards a New Future for Haiti、ハイチの新しい将来に向けての国際支援者会議)で2010年3月31日に設立が定められ、そのあと4月16日に時のプレバル大統領政権下のハイチ国会で承認されました。委員長にはビル・クリントン前大統領と時のハイチ首相ベレリーブの二人がなりました。
 暫定ハイチ復興委員会(IHRC)は出発から約18ヶ月後の2011年10月21日に期限が切れる筈だったのですが、ハイチ国会内に延長反対の声があったにも拘らず、米国筋からの強い圧力で一年間の延長が行われました。しかし、上にも述べましたように、ハイチ人委員13名、外国人委員13名の26名の委員で構成されているIHRCはほぼ完全に外国勢力に牛耳られる運営が続いています。UNからの公式の発表でもハイチの救済復興の義援金は100億ドルに昇り、IHRCはそれをハイチの為に迅速有効に使うことがその使命であった筈だったのですが、IHRCの発足からのほぼ2年間に実際に支出された金額はその数%に過ぎず、しかもその80%はハイチ政府関係の公的機関ではなく,外国の私企業や団体(NGOs)と、ハイチ人口の0.5%といわれる黒人特権階級に属する私企業や団体に吸い込まれました。ハイチの復興にはハイチの一般の人々の主権は全く無視されているわけです。アメリカが選んだ傀儡大統領マーテリーの下でのハイチ政府はビル・クリントンの言いなりですから、これは一国の政府の民営化(Privatization)の模範例です。
 もっともこれは IHRC 設立の始めから分かり切っていたことと言えます。この委員会はいわゆるDisaster Capitalismをハイチに適用するための機関として最初からデザインされたのでした。IHRCのデザインを依頼されたのは McKinsey and Company という経営コンサルタント会社で、委員会の発足後もIHRCの内部でその実際の運営に深く関わっています。この会社は以前からビル・クリントンと極めて密接な関係にあり、私も前に取り上げたことのあるインド洋津波災害後のインドネシアやスリランカの“復興”事業にも参画しています。米国内でもハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲った際に、大手保険会社が災害保険の支払いを最小に出来るようにアドバイスをして大稼ぎをしたようです。IHRC 発足の公式の趣意書には、ハイチ政府とハイチ国会の自主性を尊重する美辞麗句が連ねてありますが、これこそ将に語るに落ちた好例でしょう。IHRCはハイチのほぼ完全な民営化(Privatization)への大きな前進以外の何物でもなく、ナオミ・クラインの言う「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」の正体がこれほど惨たらしく白日の下に露呈している場所としてハイチに勝るところはありますまい。
 ハイチの国会内の進歩分子からの民営化(Privatization)反対、IHRC 反対の声も根強く残っています。マーテリー大統領の新政権が発足した後、いろいろもめた挙句に、クリントンの腹心と思われたGarry Conille が首相に地位に就いたのですが、そのコニール(ユ?)首相が国会議員のIHRC 批判の意向に引きずられてマーテリー首相との間が悪化し、たった4ヶ月の在任後この2月末に辞任し、それ以来、首相が決まらない事態が続いています。こうした国会や閣僚からの極端な政府民営化に対する反対を見越すかのように、マーテリー大統領はクリントンに勧められて(命令されて)“ハイチの復興とハイチ周辺の国々に対する外国からの投資を促進する”ために新しい諮問機関”を立ち上げましたが、その32人のメンバーの顔ぶれが物凄い。ボリビアで反民営化の大統領モラレスと暴力的に闘っているロザダとかコロンビアの悪名高い前大統領ウリベなどが名を連ねています。口の悪い評者は「このパネルには30人のクリントンが並んでいると思えばよい」とも言っています。
 「Clinton looking more like the viceroy of Haiti」という声もあります。viceroy は、辞書には、植民地、属領などを統治する総督、太守、とあります。今のハイチの状況を言い得て妙です。ハイチ総督ビル・クリントン、このブログでまた取り上げざるを得ない人物です。

藤永 茂   (2012年3月21日)


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民営化(Privatization)(1)

2012-03-14 11:30:34 | 日記・エッセイ・コラム
私は物理学者としての訓練を受け、物理学や化学の教師として生計を立ててきたこともあり、「原爆の父」と呼ばれる物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記も書きましたから、彼が初代所長であったロスアラモス研究所には継続的な関心を持っています。このロアラモス研究所で広島,長崎に投下された原爆が製造されましたが、オッペンハイマーが演じたのは父親というよりも熱心で達者な産婆の役であったと私は思っています。ロスアラモス研究所への私の思い入れは、善くも悪くも、かなり強いものがあります。それは物理学とは何か、物理学を学ぶとは何を意味するか、という私にとっては、大袈裟に言えば、私の一生に関わる反省と結びついているからです。
 ロスアラモス国立研究所は原爆を製造するために1943年にニューメキシコ州のロスアラモスに建設されました。現在では核兵器を含む先端軍事研究と基礎科学研究が行われていて、総雇用者数約1万、総運営予算約2千億円、研究スタッフの三分の一は物理学者です。昔、私は研究所内で行われた討論会に招かれて講演をしたことがあります。(その事は拙著『老いぼれ犬と新しい芸』に書きました。)複雑な思いを味わいました。
 1999年にWen Ho Lee(李文和)という中国人研究者にスパイ行為の嫌疑がかかる事件が生じ、続いて2000年、2003年,2004年にも軍事機密の漏洩が疑われる事件が発生しました。いずれの大騒ぎも「大山鳴動ねずみ一匹」的な終末を迎えましたが、ロスアラモス国立研究所の評判に傷がつく結果は避けることが出来ませんでした。こうした騒ぎの中で、2003年、米国政府はロアラモス研究所の運営の合理化を目指して、それまで60年間続いていたカリフォルニア大学への管理委託を解き、民間企業に開かれた入札制を採用し、その結果、2005年12月に、政府はカリフォルニア大学に加えてベクテル社(Bechtel)などの民間企業を含む一団にロスアラモス国立研究所の管理運営を委託しました。
 カリフォルニア大学による運営は非営利(non-profit)でしたが、それが営利追求(for-profit)の運営に変わりました。そして実質はベクテルという民間企業がカリフォルニア大学に代わって米国最高の兵器研究所を経営し始めたということでした。
 それから何が起ったか? 「世界終末時計」の絵で知られるアメリカの雑誌『Bulletin of the Atomic Scientists(原子科学者公報)』のネット版の2012年2月28日付けでアメリカのロスアラモスやリヴァモアの国立武器研究所の事情に詳しいHugh Gustersonという人の書いた記事『Weapons labs and the inconvenient truth(武器研と都合の悪い真実)』が出ました。論旨を一口でまとめれば「ベクテル社の営利本位の運営でロスアラモスなどの国立武器研は国家的見地から見て惨憺たる状況に落ち入っている」ということです。暴露記事的な筆致の論説ではありませんから、はっきりとは書いてありませんが、中国人研究員(兵器のデザインが専門)李文和にまつわるスパイ容疑事件に始まる一連の不祥事騒ぎも、外部から仕掛けられた可能性が十分あります。
 ベクテル社という巨大企業の長い過去とその行状の恐ろしさ物凄さをご存じの方も少なくないと思います。私は民営化(Privatization)の恐ろしさについて語り始めているわけですが、ベクテル社のことを思うとこの民営化という言葉そのものが既に空しく、ベクテル社という企業体の存在自体がアメリカという巨大国家そのものの象徴のように思えて来るのを禁じ得ません。ベクテル社とアメリカ政府との人事面での関連をみると、両者の関係は全くの相互浸透であり、「天下り」などという悠長なものではありません。ネット上にWikipediaの“Bechtel”の項目をはじめ、多数の情報源がありますので、ご覧になって下さい。このブログでは、前にも取り上げたことのある「ボリビアのコチャバンバの水騒動」の話を少し復習します。
 1999年、財政困難に落ち入っていたボリビア政府は世界銀行から融資をうける条件の一つとして公営の水道事業の私営化を押し付けられます。ビル・クリントン大統領も民営化を強く求めました。その結果の一つがボリビア第3の都市コチャバンバの水道事業のベクテル社による乗っ取りでした。民営化入札は行われたのですが入札はAguas del Tunariという名のベクテル社の手先会社一社だけでした。ボリビア政府から40年間のコチャバンバの上下水道事業を引き取ったベクテル社は直ちに大幅な水道料金の値上げを実行し、もともと収益の上がらない貧民地区や遠隔市街地へのサービスのカットを始めました。値上げのために料金を払えなくなった住民へはもちろん断水です。
 2000年2月はじめ、労働組合指導者Oscar Oliveraなどが先頭にたって,数千人の市民の抗議集会が市の広場で平和裡に始まりましたが、ベクテル社の要請を受けた警察機動隊が集会者に襲いかかり、2百人ほどが負傷し、2名が催涙ガスで盲目になりました。この騒ぎをきっかけに抗議デモの規模は爆発的に大きくなりコチャバンバだけではなくボリビア全体に広がり、ボリビア政府は国軍を出動させて紛争の鎮圧に努めますが、4月に入って17歳の少年が国軍将校によって射殺され、他にも数人の死者が出ました。紛争はますます激しさを増し、2001年8月には大統領Hugo Banzerは病気を理由に辞職し、その後、政府は水道事業の民営化(Privatization)を規定した法律の破棄を余儀なくされました。事の成り行きに流石のベクテル社も撤退を強いられることになりましたが、もちろん、ただでは引き下がりません。契約違反だとして多額の賠償金の支払いを貧しい小国ボリビアに求めました。
 このコチャバンバの水闘争が2005年の大統領選挙での、反米、反世界銀行、反民営化、反グローバリゼーションの先住民エボ・モラレスの当選とつながっているのは明らかです。モラレスはコチャバンバ地方を拠点とする農民運動の指導者でした。
 水道事業の私営化についてのベクテル社の魔手はフィリッピンやインドやアフリカ諸国にも及び、ベクテル社は今や世界一の水道事業(もっと一般に水商売と言った方が適切ですが)請負会社です。ローカルな反対運動は各地で起きていますが、今までの所それが成功したのはコチャバンバだけのようです。水資源の争奪は、人類に取って、今までの石油資源の争奪戦争を継ぐものになると思われます。石油事業におけるベクテル社の活動の歴史については是非 ネットでお調べ下さい。アメリカの兵器産業といえば、質量ともに世界ダントツです。その最高の研究施設であるロスアラモスもリヴァモアも今や実質的にベクテル社の支配下にあります。
 ベクテル社という巨大な魔物のような私企業の実態を見ていると,先ほども言いましたが、民営化(Privatization)という我々が日常的に馴染んでいる言葉が、実は、ミスノウマー(misnomer、 呼び誤り、誤称)であるとさえ思われてきます。そのことを現時点でもっともあらわに見ることが出来るのは、少なくとも私にとっては、又してもハイチという洵に気の毒な黒人の小国であります。次回にお話しします。

藤永 茂   (2012年3月14日)


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2012-03-07 11:12:34 | 日記・エッセイ・コラム
<エジプトのNGO騒ぎ>
 操り人形芝居というより「猿回しショー」と言った方がより適切かも知れません。舞台の上の2匹のお猿さんに対する猿回しの親方のコントロールは必ずしも100%ではないでしょうから、2匹の間でちょっとした諍いが生じることもあるでしょうが、これもご愛嬌です。
 起訴された43人の16人はアメリカ国籍のようですが、その内のおもだった7人についてはアメリカ政府が500万ドルを積んで保釈されアメリカ政府高官の息子さんを含む6人はすでにエジプトを離れました。またエジプト政府はこの裁判を行う判事たちを更迭し新しいグループを任命しました。これには、前回のブログで挙げたアメリカの有力な政治的NGOであり、共和党の出店であるIRIの有力者マケイン氏(オバマと争った共和党の前大統領候補)の直々の干渉の結果と思われます。
 エジプト国内にはこの“アメリカの圧力に弱腰”の現軍事政権を批判する声もありますから、この猿回し芝居、いま暫くはアメリカとエジプトの間の由々しき危機として演出され続けるでしょう。しかし、私は、このお芝居の真の目的は、アメリカが資金的にコントロールする“民主主義的”NGO などを通じて反政府運動と操り、反政府デモが本当の人民民主主義革命に発展しないようにすることにあると判断しています。
 ほんとうに大衆的な(アメリカで言えば99%)変革を求める大衆運動が十分に組織化されないで起った場合に、支配権力側がその動きに同調するかのような擬態の分子を送り込んで大衆運動の盛り上がりを切り崩しにかかる現象の典型は、いま、アメリカのOCCUPY運動にも見ることが出来ます。コンマンとしてのオバマ大統領の凄さはそのプロセスの中間的効果を自分の大統領再選の選挙運動に組み込むことに成功しつつあることです。情けないことに、3年前にオバマのコン・アートに騙されて熱狂的にオバマを支持した白人進歩派と黒人たちが又もやマンマと同じペテンに引っかかっているのがアメリカの現状です。
<シリア大衆の悲劇>
 シリアの普通の人々が国内体制の民主化を求めてデモに立ち上がってから、もう一年が経ちます。この間、数千人が死に、数千人が投獄されたと考えられます。この一年を思うと本当に気が重く悲しくなります。私は物理学者として訓練されましたから、以前にも行ったように、つい思考実験をしてみたくなります。思考実験の仮設条件は「もしアメリカという国が存在していなかったら」というものです。もしアメリカがなかったら、近傍のアラブ諸国が今のような形でシリアの国内政治に干渉することはなかったでしょう。そうだったとしたら、シリアの人々の非武装の反政府反乱は政府の力で押さえ込まれてしまったでしょうが、それは支配権力層に確かなメッセージを与えたに違いなく、このアラブの春ではないにしても、次の春の到来の希望があったに違いありません。(リビアについても同じことが言えたかも知れませんが、リビアについてはもう万事窮すということです。)では、今のシリアはどうなるのが最善か?正直なところ,どう考えたら良いのか、私の思いは乱れます。しかし、あえて私の希望を言えば、兎に角、今は現政府が持ちこたえて、一応国内情勢が鎮静することです。そうなれば、シリアはリビアのようにずたずたに切り刻まれず、春は遠くとも、やがて、必ず来ると思うからです。圧政的な政府は倒されなければなりません。
<ハイチという国はアメリカによって民営化された>
 国有がよいか、民営がよいか、この問題を私たち市井の庶民は「仕事に積極的な意欲のない役人に任すより、民営にした方が効率がよいのでは」といったレベルでしか考えない傾向があると思います。こういったレベルで官営より民営の方が経営的にうまく行く場合の実例も沢山あるのも事実でしょう。しかし、世界中で進行している民営化(privatization)の嵐の背後にある力を考えると、のんびりしては居れない状況です。その民営化の毒牙をはっきり見据えることが出来る場所としてハイチがあります。
 大震災から三ヶ月後の2010年4月に、当時の大統領ルネ・プレヴァルのハイチ政府によって暫定ハイチ復興委員会(IHRC, The Interim Haiti Recovery Commission)なるものが設立され、時の首相ジャン=マックス・ベルリーヴと前アメリカ大統領ビル・クリントンの二人が委員長の席に着きました。この委員会については、このブログの『スリック・ウィリー・クリントン』シリーズですでに取り上げましたが、この組織設立のプロセスからクリントンの右腕として深く関わって来たポール・ファーマーも、以前このプログで紹介した彼の新著『ハイチ』(2011)の中でかなり詳しく論じています。クリントンの親友で失敗国家の復興救済論の権威とされる英国のオックスフォード大学教授ポール・コリアーもIHRCが如何に運用され機能すべきかについて『フォーリン・アフェアー』誌で論じていますが、私の見解はこの二人のポールとは180度違います。次回にはIHRCの問題を民営化(privatization)の一般論の一部として論じます。 

藤永 茂   (2012年3月7日)


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