私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アフリカについての思考実験

2007-10-31 15:38:53 | 日記・エッセイ・コラム
 物理学者は物の理を考える手段として、時おり、思考実験というものを行います。実際には実現する見込みの無い、または、限りなくゼロの近い実験条件を仮想設定して、頭の中で、やりたい実験をやって、何がおこるかを考えてみるのです。そうすると、物事の本質がはっきりとあぶり出されて来ることがあるからです。
 いま、サハラ沙漠以南(sub-Saharan)のアフリカの国々が、つまり、失敗国家か、それにすれすれの国家群が、声を合わせて、「今から先、何も援助してくれなくてよい。自分たちだけでやってみる。皆さん、きれいさっぱりとアフリカから出て行ってくれ。どうなろうと、野たれ死にしてしまおうと、我々自身の責任。WTO (世界貿易機構)、WB(世界銀行)の世話にもならない。」と中国やインドも含めた“先進国”に向かって言ったとしたら、どうなるでしょう? これが我々の「アフリカについての思考実験」です。
 皆さんは頭の中でどんな実験結果を想定なさいますか?「もともと人道的な支援なのだから、アフリカ人の死亡願望には耳を貸さず、出来るだけの支援を続けるだろう。」とお考えになる方々も少なくないかもしれません。つまり、「諸外国は、アフリカ人の要請にも関わらず、アフリカから手を引くことはない。」これが実験結果の予測ということになります。実は、私の実験結果予測も全く同じです。しかし、その理由はまるっきり違います。
 拙著『「闇の奥」の奥』のpp235-6 に、私はこう書きました:
■ 世界の報道機関は、コンゴ、あるいは、アフリカの全体が、先進諸国からの巨額の好意的援助資金を際限なく吸い込みながら、しかも、その荒廃の度をますます深めて行く、底なしのブラックホールででもあるかのような印象を我々に与え続けている。現在のアフリカこそがキプリングの言う「白人の重荷」の具現であるように思われる。G8の一員として日本もその重荷を背負う「白人」クラブに属する。
 しかし、これは見せかけの張り子の重荷、全くの虚偽の重荷である。「白人」がソロバンの合わない重荷を背負ったためしは古今東西ただの一度もない。アフリカ「援助」は、残酷なまでにタンマリと、採算がとれているのである。アフリカに何が、どれだけ、どのようにして送り込まれたか。その見返りに、アフリカから何が、どれだけ、どのようにして持ち出されているか。-このバランス・シートの真正詳細な内容が、第二のモレル、第二のロドニーによって、白日の下に曝される日を私は待ち望んでいる。■
 子供じみた例え話を追加することをお許し下さい。「ある貧乏長屋に、酒浸りで家庭内暴力をふるう手に負えない借家人がいて、慈悲深い大家さんがおかみさんに生活費を手渡してやっても、すぐに取り上げて酒代にしてしまう。その上、お礼の一言も聞いたことがないので、さすがの大家さんも頭にきて、一家を助けるのを止めてしまった。」もし、世界銀行やアフリカの援助事業を大々的に行っている大型NGO がこの大家さんに似ていると思うとすれば、これは大変な見当違いです。先進諸国にとって、アフリカは、何よりも先ず、投資の対象です。投資という行為は最大限の利潤をあげるのがその第一の目的です。アフリカの現地人がどうなろうと、それはあくまで二次的な関心事です。
 話題の焦点をコンゴに絞りましょう。次の記事は、我国の独立行政法人『石油天然ガス・金属鉱物資源機構』発行の「カレント・トピックス」(07-06号)からの引用です。2006年11月末にロンドンで行われた『Mines and Money 2006』(鉱山とお金 2006年)という臆面もなく露骨な名前の会議で行われた講演の一つについての報告です。近頃は我国の銀行で世界的な大投資会社の投資信託を買う人々が沢山いるわけですから、他人事と思わずによく注意して読んで下さい。
■コンゴ民主共和国:「DRC-Challenging Opportunities」
           -Mark Smith, RBC Capital Market社(英)-
 Royal Bank of Canada グループの投資銀行であるRBC Capital Market社による講演で、「ニューフロンティア」として、現在、最も注目されている国の一つであるコンゴ民主共和国(以下「コンゴ」)の投資環境に関する講演であった。コンゴは、銅、コバルトを始めとし、世界的にも有数の資源ポテンシャルを有する国であるが、1997年~2001年の内戦により、経済活動はほぼ停止状態となった。内戦後は、暫定政府により統治され、鉱業・探鉱活動も再び回復しつつあったが、2006年、内戦後初の総選挙が開催され、本格政権が誕生するに至り、今後、投資活動もより本格化することが予測されている。講演内容は以下のとおり。
 ● Fraser Instituteの鉱山企業264社を対象とした調査では、現在投資先として最も魅力ある国の第1位となったのは、コンゴであった(2004/2005の調べでは第30位)。コンゴの資源ポテンシャルは、これまで知られている埋蔵量として、銅75百万t、コバルト4.5百万t、ダイヤモンド206百万カラットが知られ、その他、亜鉛、鉄鉱石、錫、金などの資源ポテンシャルを持つ。主な賦存エリアは、銅・コバルトは南東部地域のカッパーベルト地帯、金は北東部地域、ダイヤモンドは中央南部地域である。
 ●これまで停滞していた鉱業生産活動は、今後、本格的に再始動することが予想され、RBCの予測においては、2010年までに、銅の年間生産量60万t以上、コバルトの年間生産量3.8万tに拡大、さらに、2018年には、銅120万t、コバルト9万t規模に達するとしている。(2005年生産量は、銅約8万t、コバルト600t)
 ●コンゴの内戦後の内政状況は、2003年7月にKabila暫定政権が誕生し、当初の暫定期間を2年間とし、その期間内に総選挙を実施したうえで、大統領、国会議員を選出し、正式な政府を確立する予定であったが、準備不足などの理由により総選挙は何度か延期された。ようやく、2006年7月に、大統領3候補が立候補し、総選挙が実施されたが、第1位のKabila暫定大統領の得票率が45%と、過半数に達しなかったため、第2位であったBemba候補との決戦投票が実施されることとなった。11月に実施された決選投票の結果、Kabila候補が得票率58%を獲得し、改めて、Kabila政権が正式に発足した。なお、両候補の支持基盤は、カッパーベルト地域を含むコンゴ中央から東半分の地域がKabila候補支持、同じくコンゴの西半分の地域がBemba候補支持とされている。
 ●コンゴの電力事情は、コンゴ河は世界でも有数の水力発電のポテンシャルを有し、39,000百万ワットの能力があるとされているが、現在はその2%に満たない供給量となっている。しかし、現在、大型案件であるInga3や、Grand Inga電力プロジェクトが計画されており、Inga3では2012年までに3,500百万ワット級の電力供給が可能となる見込みである。また、これらのプロジェクトには、アフリカ大陸全域を対象とした送電網建設の計画も関連付けられており、コンゴのみならず、遠くはスーダン、エジプトにも電力供給がなされるとしており、アフリカ大陸にとっても重要な電力開発案件となっている。
 ●道路網事情は、舗装率は1%未満であり、早急な整備が必要とされる。現在、世界銀行、EU、英国、アフリカ開発銀行の開発資金により、7,230kmの道路整備計画がある。
 港湾までの鉄道輸送事情は、カッパーベルトのあるKatanaga地域を中心に鉄道が総延長3,641km敷設されており、Katanagaからザンビアへの輸送能力は年間10万tとなる。現在の主な利用港は、南アフリカ・ダーバン、タンザニア・ダルエスサラーム、ナミビア・ワルビスベイ、アンゴラ・ロビトの4つとなる。■
 ロイヤル・バンク・オブ・カナダはカナダ最大の大銀行で、カナダでの私の銀行でもあります。それに属する投資銀行がコンゴへの投資に意欲を燃やしていることを知って複雑な気持です。それはとにかく、コンゴ河の水力発電に特に注意を向けることにします。コンゴ河はコンラッドの『闇の奥』の舞台なのですから。
 拙訳『闇の奥』(pp5-6)と『「闇の奥」の奥』(pp41-2)で説明したように、コンゴ河は上流域と下流域に大瀑布群を持ち、年中ほぼ一定の巨大な水量を誇る凄い大河です。その潜在水力発電能力は、コンゴ国内は勿論のこと、アフリカ大陸全体の民生的電力需要を賄えるとも考えられています。ところが、現状はその2%弱の発電量で、しかも、この分は早くから南東部カタンガ(Katanga)地域の銅鉱山採掘に使用されているのです。もう一度上の記事をその“語り口”に気をつけながら読んで下さい。発電事業計画にしろ、道路整備計画にしろ、コンゴの富を出来るだけうまく外に持ち出すか、このコンフェレンスに集まった人々はこれだけにしか本当は関心がない。「この開発計画はコンゴ人のためにもなる」などと心にもないことを言わないところは、むしろ正直でよいかもしれません。コンゴを最有望の投資先と見て金をつぎ込む先進諸国は、「勝手にくたばってしまえ。もう助けてやらないから」と、長屋の飲んだくれ店子をとうとう見限る温情家主ではないし、コンゴから手を引くことは絶対にありません。
 1960年6月30日、コンゴはベルギーから独立しますが、国民投票によって首相となった青年ルムンバは、翌年1月17日夜、カタンガで暗殺されます。独立によってカタンガ地域の鉱物資源のコントロールを失いたくなかった白人勢力の意向で殺されたのです。事情は拙著『「闇の奥」の奥』の215頁以下に書きました。それ以後のコンゴの歴史は、1994年のルワンダ大虐殺を含めて、一貫して外部勢力によるコンゴ鉱物資源の争奪戦争の歴史です。コンゴの天然資源の飽くなき収奪ということでは、ベルギー国王レオポルド二世の時代から今日ただ今に到るまで、コンゴの植民地的支配は全く断絶なしに継続しているわけです。「ポストコロニアル」という言葉はこの冷然たる事実を隠蔽する方向に働いています。

藤永 茂 (2007年10月31日)


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What’s wrong with you, Dr Watson?

2007-10-24 09:59:48 | 日記・エッセイ・コラム
 シャーロック・ホームズの親愛なるワトソン博士ではありません。1953年フランシス・クリック、モリス・ウィルキンスの協力者として、DNAの二重らせん構造を解明したジェームズ・D・ワトソン(79歳、シカゴ生れ)です。この三人は1962年にノーベル生理学、医学賞を共同で受賞しました。
 ロンドンの新聞タイムズの「サンデー・タイムズ・マガジン」10月14日号に出たインタビュー記事の中で、ワトソンは白人と黒人は知的能力に差異があると発言しました。まず、その記事の関係部分の原文を書き写します。
He says that he is “inherently gloomy about the prospect of Africa” because “all our social policies are based on the fact that their intelligence is the same as ours ? whereas all the testing says not really”, and I know that this “hot potato” is going to be difficult to address. His hope is that everyone is equal, but he counters that “people who have to deal with black employees find this not true”. He says that you should not discriminate on the basis of colour, because “there are many people of colour who are very talented, but don’t promote them when they haven’t succeeded at the lower level”.
ワトソンが“アフリカの将来の見通しについて、もともと悲観的な”理由は、“我々のすべての社会政策は、アフリカ人が我々と同じ知能を持っていることを前提にしているけれど、テストをやってみると、そうではないという結果ばかりだから”というのです。黒人を雇ってみればすぐ分かるとも彼は言います。
 「白人と黒人では知能に差がある」というワトソンの発言自体には何らの新味もありません。一世紀前のコンラッドの『闇の奥』のはじめの所に、会社の医者がマーロウの頭の寸法を測る場面があります。「それから、あらたまって気を入れた調子で、僕の頭の寸法を測らせてはもらえないだろうかと頼むのだ。いささかびっくりしたが、ええいいですよと言うと、彼はコンパスのような二脚の道具を持ち出してきて、後部、前部、あらゆる工合に僕の頭の寸法をとって、注意深くノートに書き込んだ。」(藤永33)。同訳書p210の訳注(20)には「18世紀と19世紀に栄えた頭蓋学(craniology)や頭蓋計測学(cranimetry)は、頭蓋骨の容量の大小や形状から白人の人種的優越性を主張した、ニセ学問、インチキ科学の標本のような偏見、詐欺行為だった。」と書いておきました。コンラッドは優れた文学者としての直感から、こうしたエセ科学のうさん臭さを察知し、それをわらいたかったのでしょう。現代のIQ(知能)テストはそれよりはましでしょうが、まあ、老化防止の頭の体操の材料ぐらいに思っていた方が安全です。ヨーロッパの植民地支配に関連して、白人がどんなナンセンスを口にし、筆にしたかについては、有り余るほどの文献が存在しますが、ここでは、エメ・セゼールの『植民地主義論』(砂野幸稔訳、平凡社ライブラリー)をお薦めしておきます。そこに書かれていることの時代的限界などは全く無視して、この偉大な詩人の怒りの荘厳さに感動しましょう。
 今回のスキャンダラスなワトソン発言は大きな話題になっているようで、Wikipedia の「James D. Watson」の項には、既に、詳しい記述と関連文献が出ています。上述の通り、「白人と黒人の知能差」の問題には、私は興味がありません。しかし、ワトソンの「アフリカ観」については言いたい事が山ほどあります。それはこのブログを通じてゆっくりと論じて行くことにします。本日、ここで特に取り上げたいのは、ワトソンの「人種偏見」発言に対する公的機関や個人の反応です。ウィキペディアを利用して30~40のitemsをチェックしてみましたが、私の個人的な感じ方と合致するものはありませんでした。それを以下に申し上げて参考に供します。
 私を最も苛立たせるのは、白人エスタブリッシュメントの“極めて迅速適切な”反応です。アメリカのカーネギー研究所組織に属するコールド・スプリング・ハーバー研究所は百年以上の歴史を誇る研究教育施設で、ワトソンは35年間その所長(プレジデント)をつとめ、その後名誉所長(チャンセラー)になっていましたが、10月14日のサンデー・タイムズの記事が出ると、研究所の理事会は直ぐに(17日)ワトソンの「人種偏見」発言内容に反対であることを表明し、18日には、ワトソンを名誉所長の地位からはずしました。この処置、その素早さ、いわゆるポリティカリー・コレクトな行動のお手本と言えましょう。この決定を下した理事たちの裏の会話が、私の耳には聞こえてきます。:「ジェームズの言う通りなんだけど、あんな所で言っちゃあ、まずいんだなあ」「いつものジェームズ節、舞い上がったホコリもそのうちにおさまるさ」・・・。19日にはロンドンの科学博物館で予定されていた講演会も博物館側によって中止され、エディンバラ大学も22日の招待講演会への招待撤回、24日に予定されていたブリストルでの切符売り切れの講演会もキャンセルされました。この機会を捉えて、間髪を容れず、「黒人差別」糺弾の大見得を切る英国紳士たちの頭の回転の早さ、カッコよさ。こうまで見せつけられると、私としては、つい、200年前に、奴隷制廃止運動で颯爽と世界の先頭を切った大英帝国の「魂のなかの嘘」のはしっこさを思い出してしまいます。
 20年以上前になりますが、人種差別の問題について書いたことがあります。今は絶版ですが、『おいぼれ犬と新しい芸』(岩波書店、1984年)の第11章「人間を測りそこねる」です。私の考えは、そこに書いたことから一歩も動いてはいません。最後の2頁ほどを以下に書き写します。
■ 雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』の最近号(1982年12月号)にフランスの四人の学者の共同研究が報じられていて、それはジェンスンらのとなえる遺伝決定説をくつがえし、IQが環境によってはっきり変わることを確認した、としている。このような研究結果は、黒人は白人よりもともと知能が低いのだからアメリカ社会の下層を占めるのが当然である、とする主張に打撃を与える意味で、歓迎すべきものであろう。しかし、こうした研究成果を前にして、私の心は必ずしも晴れない。もし将来、全く同一の環境条件の下でも、やはり、黒人のIQ値は白人のIQ値より低く出ることが確立されたら、白人による黒人の迫害が許されることになるのか。
 二十年ほど前のことになる。私はアメリカ東部への旅行の途次にカリフォルニアのサンホゼの旧友のイタリア人C氏の家に一泊した。あいにく急用が持ち上がってC氏は外出しなければならなくなり、「先に寝ていてくれ。話は翌朝」ということになった。広い家の中で、若い奥さんと私の二人きりになってしまった。奥さんは東洋人の私を前にして、努めて話題をさがしている様子だったが、白人と東洋人では体格に差異ががあるようだが、これは食物その他の環境的条件の差異によるものだ、といいだした。やはり、もともと差異があると思う、と私がこたえると、彼女は次のような話を始めた。現在のアメリカの十種競技のチャンピオンは、UCLAの中国人学生である。十種競技こそ人間の肉体的総合能力をもっとも適切に測る競技だから、アメリカで育ったこの中国人がその第一人者であるという事実は、黄色人種でも白色人種に追いつき凌駕できるということの何よりの証拠だ。したがって人種偏見というものは全くまちがっている・・・・。彼女が、熱を込めて人種差別反対を強調すればするほど、私の気持は沈みっぱなしになるのをどうすることもできなかった。もし、どうしても差があるということになれば、現在の人間の社会にみちみちている残酷な差別は許されることになるのか。「猿にも、チンパンジーとかゴリラとかオランウータンとか手長ザルとか、いろいろいます。人間にもいろいろ毛色の違ったのがいたっていいじゃありませんか」。わたしはそう言ってソファから身をおこし風呂を使わせてもらうことにした。
 宮沢賢治の名作の一つに『虔十公園林』がある。虔十は昔の言葉でいえば、馬鹿、精薄である。「雨の中の青い薮を見ては、よろこんで目をパチパチさせ」、「風がどうと吹いて、ぶなの葉がチラチラ光るときなどは、虔十はもううれしくてうれしくて」、ひとりでに笑えて仕方がなかった。その虔十がある日とつぜん母親に杉の苗を七〇〇本買ってくれとたのんだ。家のうしろの野原に植えたいというのである。父親が答えた。「買ってやれ。買ってやれ。虔十あ今まで何一つだて頼んだことあ無いがったもの。買ってやれ」。やせ地で杉はのびなやみながらもすこしずつ育っていたが、ある日、隣の意地悪な平二が自分の畑が日かげになるとして、「伐れ、伐れ」と迫った。たいして迷惑を受けていたのではない。この理不尽な要求に対して虔十は「伐らない」と返答する。「実にこれが虔十の一生の間のたった一つの人に対する逆らいの言葉だったのです」。間もなく虔十も平二もチブスにかかって死んでしまう。しかし若い杉並木は子供たちのよい遊び場になり、立派な林になる。ある日、昔、その村から出て、アメリカのある大学の教授になっている若い博士が、十五年ぶりで故郷へ帰ってきた。なつかしい虔十の林を訪れたその男に「ああまったくたれがかしこくて、たれがかしこくないかはわかりません」と賢治は言わせている。まったくその通りだと、私も心の底から思う。そして、この年になっても『虔十公園林』を読み返して、賢治の仏心を慕うのである。■
 ジェームズ・D・ワトソン博士と虔十と、どちらが賢いか。一考の価値があります。ともあれ、もし宮沢賢治の『虔十公園林』をお読みになっていないのなら、是非お読み下さい。上記の私の拙い要約は、原作の美しさ、凄さの“さわり”の役さえ果たしていません。
 取るに足らない知能指数の値の違いなどが問題ではないのです。人間が人間をどう扱うか。これが問題なのです。もう一度、エメ・セゼールの声に耳を傾けましょう。
■「ヨーロッパ」は道義的に、精神的に弁護不能<indéfendable>である.■

藤永 茂 (2007年10月24日)


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アメリカでの黒人差別(3)

2007-10-17 10:19:20 | 日記・エッセイ・コラム
 アメリカの大西洋岸にチェサピーク湾という長さ320キロの深い湾があり、美味しいカニが名物、その北部の奥にボルチモア市(人口65万)があります。白人32%、黒人65%。犯罪都市として有名です。10年ほど前、当時ボルチモアに住んでいた長男を訪ねたことがあります。「アメリカでは白人と黒人との分離状態は昔よりもひどくなっている」と言うものですから、「昔のままというなら分かるけれど、昔よりもひどくなっていると言うのはどうかな」と私が異を唱えると、息子は動かぬ証拠を見せるからと、私を港の近くの大きなカニ専門レストランに連れて行きました。明らかに大衆レストランなのですが、中に入ってみると白人客ばかり、これには驚きました。この店は庶民向き価格で、勿論、黒人を入れないようにしているわけではないのだが、黒人にはどうも居心地が悪くて足が遠のくのだろう、というのが息子の説明でした。今のボルチモア市長は黒人女性、警官は黒人多数、官民の管理職を占める黒人も少なくありませんが、市の住居地区では白人と黒人の住み分けが進行し、高収入の黒人はむしろ白人住宅地に入り込む形になっているようです。アメリカでの白人と黒人との相互関係の実体を実感把握するのは、北米の社会に、訪問者としてではなく、住人として長年住んでみなければ、なかなか困難です。
 アメリカでの黒人差別について、日本人が判断を誤る主な理由の一つはハリウッドの映画でしょう。白人と黒人の相棒がいい感じのペアとなってストーリーが進行する映画は数えきれないほどあります。この顕著にして注目すべき現象を論じた映画評論が必ず存在するだろうと思うのですが、今までのところ、見当たりません。御存知なら、是非ご教示下さい。アメリカ文学にはこの白黒ペアの伝統があって、『ハックルベリー・フィンの冒険』(1885年出版、『闇の奥』より約15年前)がその古典的代表です。これについては、アメリカの異色英文学評論家レスリー・フィードラーが1948年に発表した“Come Back to the Raft Ag’in, Huck Honey”と題する有名な論考があるようですが、まだ読んでいません。手許にあるのは彼の主著『LOVE AND DEATH IN THE AMERICAN NOVEL』(初版1960年)の1997年版で、第11章にその主題が取り上げられています。章の終りに近い所から、少し原文を引用します。
■ Since the locus of our deepest response to the conflict of races is legend, we find it easy to believe that our dark-skinned beloved will rescue us from the confusion and limitations of a society which excludes him. Certainly, our classic writers assure us that when we have been cut off or have cut ourselves off from the instinctive sources of life, he will receive us without rancor or the insult of forgiveness. ■ (p389)
■ The immense barrier of guilt between white man and dark man is no more mitigated in our classic fiction than is the gulf of color and culture itself; both, indeed, are emphasized to the point of melodrama, so that the final reconciliation may seem more tender and miraculous. The archeteype makes no attempt to deny the facts of outrage or guilt; it is nurtured by them. It merely portrays them as meaningless in the face of a passion immune to what Melville calls “that climax which is so fatal to ordinary love.” “It’s too good for true, honey,” Jim says to Huck. “It’s too good for true.”■ (p390)
ここで、ジムは『ハックルベリー・フィンの冒険』の逃亡奴隷、ハックのいい相棒です。ハリウッド映画、特に暴力シーンの多いハリウッド映画で、白人と黒人のカッコいい相棒関係を見る度に、私は「こりゃほんまかね、よすぎるよ(It’s too good for true)」と言いたくなります。ハリウッド映画の中で描かれるアメリカ社会、犯罪や陰謀と戦う州警察、FBI、CIA、あるいはインターポールの幹部要員として、白人と組んでこれだけ活躍する黒人たちを見せつけられると、アメリカに黒人差別などありようがないという印象さえ受けます。ですから、マイケル・ムーアのベスト・セラー『アホな白人』(2002年)に、「映画製作の仕事でハリウッドを駆け回っても黒人にはお目にかからない」と書いてあるのを読むととても信じられない気がします。マイケル・ムーアは、2003年、反米的映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、その授賞式の壇上で「ブッシュ大統領、恥を知れ」と叫んで大見得を切り、続いてブッシュの出身地のテキサス大学に招かれて、そこでも大統領批判の講演を行いました。当時、日本では、「これぞ言論自由のアメリカの真姿、なんとその懐の深いことよ」という賞賛の声が聞かれました。しかし、ここに大きな罠があるのです。
 話を少し元に戻します。コンラッドの『闇の奥』にも白人黒人のペアがあります。マーロウと蛮人の投げた槍が刺さって彼の足許で死ぬ黒人の舵手です。「彼が傷を負った時、僕に与えたあの親しみを込めた深遠な眼差しは、今なお僕の記憶になまなましい-それは死の最後の瞬間に確認された彼と僕の間の遥かな血縁を主張しているかのようだった。」(藤永訳p135)。この白黒ペアの関係はコッポラの映画『地獄の黙示録』になると大きく変貌します。ウィラード大尉とチーフ(操舵手、黒人)がペアですが、米海軍所属の舟艇を操舵するチーフは二人の白人(ランス、シェフ)と一人の黒人(クリーン)を部下として統率する下士官です。チーフは、ウィラードをナン河の上流に運ぶという任務を与えられて、始めから気が進まず、投げ槍に刺されて死ぬ直前には、「てめえのせいでこんなザマになったんだぞ」とウィラードに食って掛かります。原作『闇の奥』のペアと較べると、黒人の地位が大きく向上しています。それがニコラス・ローグの映画『闇の奥』(1994年)になると、マーロウと黒人操舵手の力関係は黒人主導に逆転し、黒人にはムフムという名前まで与えられます(実は、まだ実際に見てはいません)。私には、『闇の奥』の白黒ペアの変遷は実に興味津々です。時が経つにつれ、黒人の地位が大きく向上して行きます。ここにアングロサクソン白人の、おそらく彼ら自身もよく自覚していない、深層心理の襞が垣間見えていると思うからです。そして、それが、ハリウッド映画にあふれるカッコいい白黒ペアも、マイケル・ムーアに対するアメリカ社会の懐の深さも、説明してくれると私は思うのです。私が舞い戻る場所は、またしても、ホブソンの『帝国主義論』の中の言葉です。
■ The gravest peril of Imperialism lies in the state of mind of a nation which has become habituated to this deception and which has rendered itself incapable of self-criticism. For this is the condition which Plato terms “ the lie in the soul” ? a lie which does not know itself to be a lie. (翻訳 : 帝国主義の最も憂慮すべき危険は、国家がこの欺瞞に慣れっこになって、進んで自己批判をすることが出来なくなってしまう心理状態におちいることだ。というのは、これがプラトンのいう“魂の中の嘘”- 自らはそれが嘘であることを知らない嘘 - という状態だからだ。)
つまり、アメリカ人、アメリカという国家は「この國は自由で機会均等で、黒人を差別なんかしていない素晴らしい國なのだ」という真っ赤な嘘を、それが嘘であることを自覚せずに,自ら、信じているのです。そうであると信じたい気持が余りに強すぎるのです。しかし、この深層心理の中に潜んでいる嘘は、色々の形で浮上して姿を現します。それが、ハリウッド映画に頻出する白人と黒人との間の美しい信頼関係、特に黒人の頼もしい有能さ、の説明であり、マイケル・ムーアの反逆性をエンターテインメントとして受け入れるアメリカ社会の「賞賛すべき懐の深さ」の説明であり、白人支配層と価値感覚を共有するコリン・パウエル、コンドリーゼ・ライス、バラック・オバマなどの白人化した黒人たちを、権力機構の中に組み入れて行くことの説明です。100年前にホブソンがとったこの視座に就くと、過去と現在のアングロサクソン国家、国民の行動のパターンがよく読み取れ、その謎が見事に読み解けます。
 2007年8月29日付けのブログ「白人にも黒人にも公平にする?(4)」の中で論じたバーナード・ショウの『運命の人』の原書が手に入りましたので、関連部分を書き写します。彼は、この戯曲の中で、ホブソンの考えと同じことをナポレオンに言わせています。:
■ But every Englishman is born with a certain miraculous power that makes him master of the world. When he wants a thing, he never tells himself that he wants it. He waits patiently until there comes into his mind, no one knows how, a burning conviction that it is his moral and religious duty to conquer those who possess the thing he wants. Then he becomes irresistible. Like the aristocrat, he does what pleases him and grabs what he covets: like the shopkeeper, he pursues with industry and steadfastness that come from strong religious conviction and deep sense of moral responsibility. He is never at a loss for an effective moral attitude. As the great champion of freedom and national independence, he conquers and annexes half the world, and calls it Colonization. ■
ナポレオンの辛辣な洞察に満ちた言葉はまだまだ続きますから、興味のある方は是非原書をご覧下さい。自分の魂の中の壮大な嘘を,嘘と自分に知らせずに信じ続けるためには、現実世界の中で、壮大な虚妄を演出し続けて、自分を騙し続けなければなりません。それがアメリカの現実です。その演出行為は無数の犠牲者を生みます。それが世界の現実です。

藤永 茂 (2007年10月17日)


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アメリカでの黒人差別(2)

2007-10-10 13:16:17 | 日記・エッセイ・コラム
 前回お話したジーナ・シックスの事件は白人生徒専用の木蔭に黒人生徒が入ることを要求したことから始まりましたが、問題の核心は、そしてアメリカ全土で数万人の黒人が参加して行われた抗議デモの標的は、黒人生徒に対する些細な嫌がらせや差別にあったのではありません。貧困層黒人、特にその若者たちに対して極めて苛酷なアメリカの刑事裁判システムそのものにあるのです。心あるアメリカの黒人たちはこの不当な法的システムの廃絶そのものを要求しているのです。白人生徒から拳銃で脅され、その拳銃を取り上げて警察に届けた黒人生徒は、銃器窃盗の罪に問われ、校庭の喧嘩で白人生徒を殴った黒人生徒たちは殺人未遂の罪に問われる。もし大々的な抗議デモがなければ、これらの若者は、白人ばかりの陪審員団によって、簡単に20年30年の監獄生活を強いられる所だったのです。
 少し調べてみると、世界で最も豊かで自由な國の筈のアメリカ合衆国の監獄システムが、信じられないような物凄い状況にあることが分かります。2006年12月の法務省発表のデータによると、執行猶予、保釈を含めた服役者は7百万、2百2十万が監獄の中にいます。これは人口当りだけではなく、絶対数でも世界第一位、如何なる「失敗国家」よりも高い数であり、世界中で投獄されている服役者の4人に1人はアメリカ国内のアメリカ人、10万人あたりの監獄服役者で見ると、少し古い2003年の統計ですが、アメリカの702人に対して、我が日本は53人です。1970年から2005年までの増加率は700%、その後もますます増え、毎週約千人が新しく投獄されているそうです。アメリカの黒人人口は全人口の12%あまり、しかし、監獄人口の50%は黒人が占めています。何故こんなことになっているのか? ジーナ事件はその一つのヒントを与えます。黒人たちはいい加減な法的プロセスで簡単に監獄にぶちこまれてしまうのです。前回にも書きましたが、ジーナ高校で黒人生徒が騒いだとき、検事Reed Walters が学校に乗り込んで来て「See this pen? I can end your lives by the stroke of a pen」と豪語しました。
 ここに依然として生き続けている人種差別に直面して抗議運動に立ち上がった黒人たちに対して、白人側は、「これは白人黒人の問題ではない。人種の問題ではない。これは“犯罪”の問題だ」と主張します。オバマやライスなどの白人化した人たちもこの意見のようで、ジーナ事件には触れたがりません。彼らは言い逃れをしているのではなく、本気でそう考えているのだろうと、私には思えてなりません。いかにもアメリカ的な問題の捉え方だと思うのです。私がそう考える理由を説明しましょう。
 毎週千人も刑務所入りの人の数が増えれば、当然それに見合う刑務所の数も増えなければなりません。一つの報告書によれば、1990年代だけでも245の刑務所が、大都市周辺ではなく、地方に分散して建設されました。これは財政的窮乏に喘ぐ地方自治体にとっては大福音。受刑者千人あたり300人のローカルな雇用が増え、税収入も大幅増加、道路舗装や地下水道整備などのインフラの充実も期待できます。監獄産業大歓迎というわけです。地方の活性化に役立って、大都市の治安の改良ももたらすとなれば、これこそ一石二鳥です。お金の勘定が金科玉条のアメリカの論理の当然の成り行きですが、アメリカの刑務施設もプライベタイゼーションが花盛り、十年前は民営の刑務所は5個所、収容人数2千であったものが、今では百以上、ベッド数6万2千、今から10年の間にベッド数は36万に達すると見込まれています。その最大手は Corrections Corporation of America (アメリカ刑務施設株式会社)で約50の刑務所を運営し、このところ毎年1万ベッド数増加のペースを誇っています。したがって、この会社CCA の株は大人気で1992年に一株$8が今では$30の値をつけています。民営刑務所産業は目覚ましい成長産業として、アメリカン・エクスプレス社やゼネラル・エレクトリック社なども大々的に投資をしています。民営化の波に乗って、日本でも素晴らしい設備を誇る民営刑務所が出来たというニュースが流れていましたが、アメリカの民営刑務所の内情はどうでしょうか? 最高の利潤を絞り出すのが民営刑務所経営の鉄則ですから、受刑者も看守たちも極楽の生活を楽しんでいないことは聞いてみなくても分かります。実際、その内情のひどさを訴える声が日増しに高くなっているようです。
 これには暗黒の前史があります。19世紀のアメリカでは私設監獄は珍しくありませんでした。罪人たちはひどい状態で鮨詰めにされ、奴隷賃金で農場労働に狩り出されたのでした。簡単に言えば、奴隷制度の延長でした。それが余りにひどい水準にエスカレートしたために、19世紀(1800年代)の末までに殆どの州で私設監獄は禁止になりました。したがって、現在の民営刑務所産業が復活繁栄するためには、多くの州で法律改正が必要だったのです。今は奴隷的労働者を監獄の外に派出することは行われていませんが、過去を想起させるような状況は存在します。州や連邦の刑務所内に組織的に製造工場設備を持ち込んで、服役者を低賃金で雇用するシステムを運営する公社があります。メイド・イン・チャイナの製品にすっかりケチのついた今、監獄内の低賃金労働者によるメイド・イン・アメリカの評判は上乗のようです。
 この恐るべき処罰システムの犠牲者の半数を占める黒人の大多数は、入所以前も出所以後も、アメリカの定常的貧困層に属する人々です。その階層が麻薬犯罪を含むあらゆる犯罪の温床であることも紛れもない事実です。懶惰で向上の意欲に欠けた「ろくでもない」人間たちで満ちていることも事実でしょう。彼らには、然るべき収入、住居、教育施設、医療設備へのアクセスがありません。彼らが、その生まれつきの生物的劣等性の結果として、その状態にあると考えるか考えないかによって、「アメリカでの黒人差別」の問題に対する我々の視座が試され、同定されます。
 さて、前回に提出した「コリン・パウエル、コンドリーゼ・ライス、バラック・オバマなどに象徴される、アメリカの最高権力中枢で活躍する黒人たちの存在をどう考えるか?」という問題の考察を始めます。この状況は、「黒人が、その知能において、非黒人と何ら異なる所はない」という,私にとっては、もともと明白な事実の確固たる追認以外の何物でもありません。この事実は、しかし、百年前コンラッドが『闇の奥』を出版した頃には、全く認められていませんでした。もし認めていたら、植民地化の大義はたちまち地をはらうことになったでしょう。では、この状況は、いわゆるアメリカン・ドリーム、つまり「アメリカ合衆国では、向上心を持って努力する者にとっては、大統領の地位を含めて、あらゆる栄誉、限りない富裕を手に入れる機会が平等に開かれている」ことの確証でしょうか? 大統領候補オバラ氏は「まさにその通り」という意見のようです。まだ読んでいませんが、オバマ氏が選挙用に書いた近著「The Audacity of Hope: Thoughts on Reclaiming the American Dream」(2006) の書評を見ると、彼自身こそがアメリカン・ドリーム実現者の見本だと言いたいようです。しかし、私は、アメリカン・ドリームの決定的反証の一つとして、アメリカの唾棄すべきプリゾン・システムの延々たる継続的犠牲者、永続的な貧困黒人層、の存在を掲げたいと思います。オバマ氏はその著書の中で、資本主義的経済がアメリカの“greatest asset” であるとし、アメリカ資本主義が“constant innovation, individual initiative and efficient allocation of resources.”を奨励してきたことを理由に、“American system of social organization and the business culture ”を賞賛して止みません。アメリカの刑務裁判システムは地方自治体の財政的活性化に役立ち、民営監獄産業という高度成長産業を育成し、治安問題の解決には、社会環境の改善の方向を取らず、世の中の顕在的潜在的トラブルメーカーたちを片っ端から捕まえて、監獄の壁の中にぶちこむ荒療治を採用する。そのほうがコスト・エフェクティブだというわけです。確かに、財源の効果的な配分といい、個人的な先駆力といい、絶えざるイノベーションといい、如何にもアメリカ人らしい発想力、実行力にほとほと感心させられます。しかし、オバマ氏は決して血迷っているのではありません。黒人にして、しかもアメリカン・ドリームの体現者、アメリカ資本主義の全面的支持者、オバマ氏のこの顔こそが、次期ではなくとも、いつの日かアメリカ合衆国大統領の座を仕留めるための最大のアセットなのです。
 かくて、私は、たとえオバマ氏が大統領になっても、それは黒人に白人と同じ自由と地位が与えられたという証拠にはならない、彼が大統領になる可能性はアメリカ白人のフェアな精神にその基盤があるのではない、と主張していることになります。問題は大変大きいので、この話は次回に続けることにします。

藤永 茂 (2007年10月10日)


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アメリカでの黒人差別(1)

2007-10-03 10:44:36 | 日記・エッセイ・コラム
 前回引用した黒人女性歌手シャーデーの歌詞「黒人であることはここではとても大変なこと。店員はつり銭を渡す時にも私の手に触れるのを嫌がる」は私の胸に苦い思い出を甦らせます。1963年、私はIBM 社から招かれてカリフォルニアのIBM 研究所に客員研究員として赴きました。研究所の建物は宏大な敷地の東側の部分にありました。ある日パーキング場で、不注意から自分の車のボンネットに左人差し指の先を挟み、爪のあたりが潰れて出血しました。研究所の同僚が直ぐに事務室に連れて行ってくれたのですが、少しもたもたした末、結局、会社の中央医療施設まで手当を受けに車で連れて行かれました。後で友人の同僚から驚くべきことを聞かされました。研究所の事務室にも応急手当を担当している白人女性はいるのだが、非白人である私の指の手当を拒否したというのです。これが45年前のアメリカです。しかし、シャーデーの歌は今の歌、水面下では如何ほども変わってはいないのではありますまいか。
 今アメリカの黒人の間で「ジーナの6人を釈放せよ(Free The Jena Six)」という声が全国的に高まっています。アメリカ南部ルイジアナ州の小さな町ジーナでおこった黒人差別事件がその発端です。The Jena Sixを語る前に、The Little Rock Nine のことを思い出しましょう。
 リトルロックはルイジアナ州のすぐ北のアーカンソー州の州都、事件は今から丁度50年前の1957年9月、リトルロック中央高校で起りました。3年前の1954年、米国最高裁判所は黒人の入学を拒否する学校は米国憲法に違反するという決定を下しました。その機をとらえて、NAACP(National Association for the Advancement of Colored People, 全米黒人地位向上協会) は優秀な9人(女性6人、男性3人)の黒人生徒を選抜し、それまで白人生徒ばかりのリトルロック中央高校に入学手続きを行わせたのです。ところが9月新学期の初日、登校した9人は校門のところで黒人の入学に反対する市民たちに暴力的に入校を阻止されてしまいます。その上、辺りの治安を保持するという口実の下、9月4日、州の知事ホーブスは州兵を出動させて黒人たちを学校に近づけないようにしました。これは米国最高裁判所の決定に州が違反する意志を表明したことを意味するわけですから、時の大統領アイゼンハウアーは動かざるを得ず、9月24日、擾乱の治まらないリトルロック中央高校に米国軍空挺部隊の兵士を送って、9人の黒人生徒の登校下校を護衛することになったのです。
 こんな訳ですから、学校内で9人の黒人生徒が毎日受けたいじめはひどいものでした。あとに続く黒人の若者たちのための尖兵だという使命感に燃えた9人は実に実によく耐えたのですが、とうとうその一人ブラウン嬢かキレてしまいます。ある日学校の食堂でひどい嫌がらせを受けた彼女は、チリコンカルネのどんぶりを男子生徒の一人の頭にオッかぶせてしまって、結局、放校処分。しかし、あとの8人は必死の思いで最初の一年を耐え抜きました。ところが州の政治を読むに敏感な教育委員会はその権限をふるって1958-1959の一年間リトルロック中央高校の閉鎖に踏み切りました。黒人と共学するぐらいなら学校を閉めた方がましだというわけです。しかし、これには、当然、ふたたび米国連邦政府が介入することになりますが、その詳細はここでは辿りますまい。こうしたゴタゴタにもめげず、8人は見事にリトルロック中央高校卒業証書を手に入れます。これがリトルロック・ナインのお話です。やがてリトルロック中央高校はアメリカ合衆国の国家史跡の指定を受けて人権博物館も出来、今年2007年には合衆国造幣局はリトルロック・ナインの功績を讃える記念の1ドル銀貨を発行しました。売上金はリトルロック中央高校の国家史跡の充実のために使われるとのことです。目出たし、目出たし。米国内の本当の事情に疎い私たちは、この50年間に、こうした無茶な黒人差別はアメリカの社会から姿を消して、すべては歴史となったのだろうと思い勝ちです。しかし、それは間違い、本当には何も変わっていない、ということを私たちに告げる事件が起こりました。
 アーカンソー州のすぐ南のルイジアナ州の小さな町ジーナの唯一の高校であるジーナ高校の校庭に一本の大きな木がありました。14年前、一人の黒人女性が「知識の木」として植樹したものでした。切り倒される前の写真で見ると、豊かに枝を拡げ、その下に心地良さそうな広い木蔭を作っていたようです。町の人口は3000人ほど、その85パーセントは白人、高校は白人黒人共学ですが、その木の下には黒人生徒は座れないというルールがいつの間にか出来上がっていました。2006年8月31日、新学期始めの学校集会で、黒人男子生徒の一人が黒人もその木の下に座らせてほしいと発言しました。ところが、翌9月1日、その木の枝に3本のヌース(首つりの輪縄)がぶらさがっていました。ヌースといえば、アメリカ南部の黒人にとっては、白人による黒人のリンチのシンボル、暗い過去の消えない記憶です。黒人生徒たちはすぐに教育委員会に訴えますが追い返されました。彼らがその木の下で抗議の座り込みを始めると、地域検事Reed Walters が警官を連れて学校に乗り込んで来て、黒人生徒たちに向かって「このペンが見えるかな?俺が一筆書けば、お前たちの命を終らせることも出来るのだぞ」と言い放ったといいます。ヌースについては「若い者の罪のないイタズラだ」として、ただのお叱りですませてしまいました。軋轢のシンボルの問題の木は切り倒されましたが、騒ぎは更に大きくなって行きました。11月の末、黒人生徒Robert Bailey が殆ど白人ばかりのパーティーで殴り倒され、警察に訴えましたが取り合ってくれず、それから数日後の夜、ベイリーほか二人の黒人生徒がコンビニ・ストアで拳銃をもった白人生徒に脅かされ、三人は拳銃を奪って警察に届けました。驚いたことに、事情を聞いた警察は拳銃で脅した白人を捕らえるかわりに、ベイリーのほうを取り押さえ、銃器窃盗の罪を課したのでした。次の週、学校で黒人生徒を侮辱し挑発した白人生徒の一人が、黒人生徒のグループに殴り倒されました。その白人生徒の怪我は軽いものでしたが、ベイリーを含む6人の黒人高校生は直ちに放校処分となり、第2級殺人未遂の罪で逮捕拘留されてしまいました。これが「ジーナの6人」です。それに続く裁判もひどいもので、陪審員は全部白人、裁判所が指名した弁護人も検事側に親しい人物のようです。
 裁判は進行中ですが、6人の家族はこの不当極まる法的処置の抗議に一致団結して立ち上がりました。全米に、全世界に向けて、彼らが受けた言語道断の法的不正行為を訴え続けたのです。始めは殆ど何の反応もなかったのですが、彼らの勇敢で不屈の運動は、この9月20日、遂に最初の見事な実を結びました。国内各地から、おそらく40000人に及ぶ人々(白人は1~3%)が人口3000人そこそこの小さな町ジーナに集結して、6人の黒人生徒の釈放を求めるデモ行進を行い、その中にはジェシー・ジャクソンやジョン・カルロスなど知名度の高い黒人たちの顔も見えました。リトルロック・ナインの戦いを支えたNAACP はジーナ・シックスに有能な弁護士団をつけるための資金募集を行っています。この新しい黒人人権運動はブッシュ政権も無視出来ない高まりを見せています。
 しかし、この人権運動の突然の盛り上がりを前にして、アメリカの黒人たちは重苦しく複雑な気持を味わっているようです。リトルロック・ナインからジーナ・シックスの今日までの50年、一体これは何だったのか、本質的には、何も変わりはしなかったではないか。
 いやいや、この50年に、アメリカでの黒人の地位は信じられないくらい向上した。ブッシュ大統領の下の国務長官はコリン・パウエル、コンドリーザ・ライスと2代続いて黒人、有力な次期大統領候補バラック・オバマは黒白混血、これらの事実こそ黒人の地位向上とアメリカが自由の國であることの確たる証拠ではないか---読者の方からの声が聞こえて来るようですが、それが確たる証拠ではないことを次回に説明します。

藤永 茂 (2007年10月3日)


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