私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ハイチは我々にとって何か?(2)

2010-02-24 08:12:36 | 日記・エッセイ・コラム
 これは、2月3日の『ハイチは我々にとって何か?(1)』からの続きです。
 アメリカの独立記念日(インデペンデンス・デイ)は7月4日、アメリカの国家的祝日として最も重要な日です。1776年7月4日、フィラデルフィアで当時13あった州の英国からの独立が宣言され、1777年から、独立記念日の祝日が始まりました。しかし、日本人は、“インデペンデンス・デイ”と聞くと、1996年のアメリカSF映画の方が先ず頭に浮かんで、アメリカの『独立宣言』の中身のことに思い及ぶ人は少ないでしょう。この3月中旬に三交社から出版される予定の拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』は、実は、アメリカ合州国の最も重要な国家的文書と考えられている『独立宣言』の内容の驚くべき偽善性についての議論を中心に据えて、話を進めてあります。私は訪れたことがありませんが、この文書は、まるで神聖極まりない宗教的聖典のように、ワシントンのアメリカ公文書館の円形広間の物々しいガラス張りの容器の中に収められて展示されているそうです。
 その中に書いてあることで最もよく引用されるのは、「all men are created equal(すべての人間は平等につくられている)」ですが、この“all men”とは何を意味するか? これが大問題なのです。いまの私たちは、文字通り、“すべての人間”と考えます。しかし、この政治的文書がジェファソンによって書かれた時点では、黒人と先住民(インディアン)が含まれていなかったことは否定の余地のない歴史的事実です。アメリカ独立宣言に書いてあることのもう一つのポイントは、その冒頭の文章です。:
■人類の歴史の流れの中で、一つの国民(people)が、彼等を他の国民に結びつけていた政治的な帯を解消し、自然の法や自然の神の法が当然与えるものとして、地上の国々の間で分離した平等の地位を獲得することが必要になった時は、人類の意見に正しく敬意を払い、その国民を分離独立に駆り立てる諸理由を宣言することが求められる。■
この文章の次に、独立を正当化する基本的な理由として、有名な
■われわれは、次の諸真理を自明なものと考える。すなわち、すべての人間は平等につくられている。すべての人間は、奪われることのない一定の諸権利を、創造主によって与えられている。その中には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれる。■
という文章が続き、そして、一つの国民(people、人間集団)の持つ革命の権利が述べられます。:
■これらの諸権利を確保するために、人間たちの間に政府が設置されるのであり、政府の権力は、治められる人々が同意を与える場合にのみ、正当とされるのである。いかなる形の政府でも、こうした政府本来の目的に破壊的になれば、そうした政府をいつでも改変し廃止することは国民の権利である。そして、国民の安全と幸福とに最も役立つと思われる原理や権限組織に基づいて、新しい政府を設立する権利を国民は持っている。■
このあと、英国国王がアメリカ植民地13州に対して、どんなひどい圧政をやってきたかを26項目も並べ立てて、独立革命の行動を正当化してあります。上に引用した革命の権利は、単に、英国の圧政からの独立を求めるアメリカ13州だけでなく、抑圧に苦しむ他の人間集団についても、その権利を認めなければなりません。
 この1776年のアメリカ独立革命の影響を多分に受けて、1789年、フランス大革命が起りますが、その2年後の1791年、カリブ海のフランス植民地サン・ドマングで大きな黒人奴隷反乱が勃発し、12年間の紛争擾乱のあと、1804年1月1日、黒人共和国ハイチ(現地読みではアイティ、英語読みではヘイティ)が誕生して今日まで続いています。しかし、続いていると言っても、この200年間、絶え間のない、何という苦難、苦悩の連続でしょう。以前にも書いたように、今度の大地震災害に当って、オバマ大統領は、今や彼のトレードマークとなった欺瞞的雄弁調で、「アメリカは、そして世界はハイチとともにある」と言いました。「アメリカはもちろん、世界もハイチの災害を心配して、助けてあげようとしている」というわけです。しかし、この二百年、確かに、ハイチとともにあって、ハイチ国民の絶え間ない長い苦難の最大の源泉となっているのは、他ならぬアメリカ合州国です。ハイチのメガ死の悲惨を目の前にして流されるオバマ大統領の涙こそ、ワニの涙(crocodile tears)と呼ぶにふさわしいものです。
 1791年、黒人英雄トゥサン・ルーヴェルチュールに率いられた黒人奴隷が独立革命に立ち上がった当時、フランス植民地サン・ドマングは、ヨーロッパが消費するコーヒーの60%、砂糖の40%などを供給し、フランスの海外貿易収益の半分以上を稼ぎ、ヨーロッパの奴隷貿易の最大のマーケットの地位をも占めていました。経済的に言って、サン・ドマングは世界最大の植民地であり、フランスの誇り、他の帝国主義国家の羨望の的であったのです。そして、その経済は黒人奴隷労働の極端な酷使の上に成り立っていました。当時の人口構成は、富裕な大農園主を頂点とする白人が約4万人、白黒混血者(ムラート)と開放された黒人が約3万人、その下に約50万人の黒人奴隷、これを独立宣言当時のアメリカ13州の、白人約200万、黒人50万、黒人奴隷の多かったジェファソンのヴァージニア州でも、白人30万、黒人奴隷20万の人口構成に較べると、サン・ドマングは、黒人奴隷の数が圧倒的に多かったと言えます。トゥサン・ルーヴェルチュールに率いられたサン・ドマングの奴隷反乱が、世界史上、ただ唯一の成功した奴隷反乱革命となった理由の一つは、確かにこの人口構成にあったと思われますが、1963年、はじめてハイチの独立革命の本格的歴史を出版した黒人学者C. L. R. James は次のように書いています。:
■ たった一人の白人の前で、何百人も震え上がっているような黒人奴隷たちが、自らを組織化し、当時のヨーロッパの最強国の数々を打ち負かす人間集団(people)へ変貌を果たしたのは、革命闘争とその成就の偉大な叙事詩の中の一つである。■
そして、この驚嘆すべき偉業は、元奴隷のトゥサン・ルーヴェルチュールというただ一人の天才的指導者によって成し遂げられました。この人物が、アメリカ革命の『独立宣言』、フランス革命の『人権宣言』にはげまされたのは間違いないところと思われます。ハイチが独立を達成するまでの12年間の経緯は複雑を極めますが、それを追うことは必ずしも必要でありません。肝心な点は、基本人権の思想に励まされたトゥサン・ルーヴェルチュールが、黒人奴隷達を奮い立たせて、スペイン、イギリス、フランスの軍隊を撃破するという考えられない偉業を成し遂げたことです。しかし、ほぼ目的を達成していたトゥサン・ルーヴェルチュールは、ナポレオン・ボナパルトのフランス軍の悪辣な策略にかかって捕えられ、1802年5月、フランスの田舎の監獄に送られて、1803年4月、肺炎で獄死してしまいます。幸い、彼の有能な副官の一人だったジャンジャック・デサリーヌ(Jean=Jacques Dessalines)によって独立革命の戦いは最終的な勝利に導かれ、1804年1月1日、西半球で、ヨーロッパの植民地支配から脱却した二番目の独立国ハイチが誕生したのでした。
 独立革命に成功した一番目の国は、1776年7月4日に独立を宣言したアメリカ合州国です。しかし、革命の中身が違います。奴隷制を廃止し、あらゆる皮膚の色の、あらゆる人々に自由と市民権を与えた最初の国はハイチであったのです。
 私が、上に、アメリカ独立宣言を少し詳しく紹介したのは、この点を強調したかったからです。もう一度、引用した独立宣言の冒頭の部分を読んで下さい。その“すべての人間”の中には、黒人奴隷と先住民(インディアン)は含まれていなかったことも再確認して下さい。この麗々しい独立宣言の文面に忠実であるとすれば、サン・ドマングの黒人たちこそ、圧政に反抗して自分たちの政府を創設するに最もふさわしい人間集団(people)であったのですから、アメリカは双手をあげて、この独立革命に賛同し、それを支持し、新しく生まれた共和国を直ちに承認すべきであったと言えます。実際、歴史的記録によると、初代大統領ワシントン、第二代大統領アダムスまでは、黒人奴隷の大反乱という事態が甚だ好ましくないと思いながらも、その独立革命の意義は認めざるをえず、対ハイチ政策にもどこか及び腰の気味があったのですが、独立宣言の執筆者であるジェファソンが、1801年、第三代大統領に就任すると、ハイチを危険国家と認識する政策を明確に打ち出して来ます。それから200年間、アメリカによる過酷極まりないハイチ共和国いじめが今日まで続いているわけです。次回からその話を始めます。
 なお、このシリーズの(1)で、「首都の中心街が「ジャンジャック・デサリン通り」と名付けられたのは何故か?」というクイズを出して置きましたが、この答えは上にあります。ジャンジャック・デサリーヌはハイチ独立を達成した人物です。また、天才的指導者トゥサン・ルーヴェルチュールの名は、首都ポルトプランスの空港に冠せられています。このトゥサン・ルーヴェルチュール国際空港は、今回の大地震発生の直後、アメリカ軍に占領されて、救援物資の円滑な到着に支障を与えました。これらの事柄に就いても、やがてお話ししたいと思っています。

藤永 茂 (2010年2月24日)


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[号外] オバマ大統領は反核でない

2010-02-17 10:06:09 | 日記・エッセイ・コラム
 昨年の4月22日のブログ『オバマ大統領は本当に反核か?』で、オバマ大統領と現政権が本当に反核かどうか、大いに疑わしいと述べましたが、ここに来て、オバマ大統領は反核でないことが、決定的に明らかになってきましたので、“号外”的な意味を込めて、報告したいと思います。日本の反核運動が、この“大いなる欺瞞”に引きずられる事のないことを、祈っています。
 少し復習をして頂くために、昨年4月22日のブログ記事の始めの部分を再録します。:
*****
オバマ大統領は本当に反核か?

 心の一番奥底で核兵器が良いものだと思っている人はおそらく居ないでしょう。核兵器のない世界の方が核兵器のある世界より、原則的に、好ましいと考えない人はおそらく居ないでしょう。しかし、この基本的レベルから離れたところで、つまり、条件付きで、核兵器禁止を唱える政治家には、厳しい目を向けなければなりません。
 今、机の上に2009年4月6日付けの西日本新聞からの切り抜きがあります。4月5日オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説についての記事です。「核廃絶へ包括的構想」、「核廃絶米外交の主流に」、「核超大国の変化期待」、「長崎の被爆者:廃絶へ強い後押しに」と記事が並んでいます。
 私たちがここで先ず思い出さなければならないのは、2007年に、あの核抑止論の急先鋒だったキッシンジャーが急に核廃絶を言い出したことです。西日本の記事には、
■ オバマ大統領の演説は2007年以来、シュルツ、キッシンジャー両元国務長官らが「核なき世界」を提案し、世界の賢人たちを巻き込んで広めている動きを反映した。演説の起草に参加した核軍縮専門家の一人は「核なき世界はもはや平和屋の見果てぬ夢ではない。米外交の主流が唱えている」と力説。■
とあります。ソースは(ワシントン共同)、「世界の賢人」は、おそらく、「pundits of the world」といった文章の和訳でしょう。これらのパンディットたちの考えていること、彼等が頭の中に描いていていることは、「長崎の証言の会」の皆さんが胸に抱いておられること、希求しておられることとは、殆ど何の重なりもない事ではないかと、私は強く危惧します。キッシンジャーが実に恐るべき人物であることは皆さんの殆どがご承知の筈です。
 同じ記事の中にオバマ大統領の演説の内容がまとめてあります。
(1)核兵器のない世界に向け具体的な措置取る
(2)米、ロシアの核兵器は最も危険な冷戦の遺物
(3)世界核安全サミットを1年以内に開催
(4)ロケットを発射した北朝鮮はルールを再び破った
(5)包括的核実験禁止条約の批准目指す
(6)兵器用核分裂物資生産禁止条約の交渉開始目指す
(7)テロリストの核兵器獲得は最大の脅威
(8)核物質の安全性を4年以内に確保
(9)イランの脅威が存在する限り米ミサイル防衛(MD)計画進める
オバマ大統領が一個の人間として核兵器反対であるかどうかは、ここで議論しても何の意味もありません。もしそうでなかったら、悪魔です。アメリカの大統領としての今回の行動は全く政治的なものです。そのようなものとして受け取らなければ、私たちは判断の誤りを犯すでしょう。彼のほとんど唯一の関心事はアメリカとアメリカ国民の安全と世界でのアメリカの地位の保持です。シュルツ、キッシンジャー両元国務長官の関心事と全く同じです。核兵器の開発と保有に関する世界情勢が変化していて、このままでは昔よりアメリカが危うくなってきたことに対する反応です。世界と全人類の平和のためにオバマ大統領が乗り出して来たなどと早とちりをしてはなりません。彼は人々が喜びそうなことを言いながら、実は、別のことの実現を狙う魔術師です。核兵器を実際に使ったアメリカが、核兵器のない世界を目指して、主導権を握るという大見得はいいのですが、オバマ大統領の本当の狙いは上の(4)から(9)に滲み出ています。
***** (再録おわり)
 今回は、上述した、2009年4月5日、オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説を促した、というよりも、この大いなる反核欺瞞の有機的一部として立案された反核演説が立脚したと思われる、キッシンジャーほか3名がウォール・ストリート・ジャーナルに発表した三つの論説について、やや詳しく見てみようと思います。
 三つの論説の著者は、いずれも、次の4名:キッシンジャー(1973年から1977年まで国務長官)、シュルツ(1982年から1989年まで国務長官)、ペリー(1994年から1997年まで国防長官)、ナン(上院軍事委員会の前委員長)で、これから先、簡単のため、「四人組」と呼ぶことにします。
 「四人組」の第一論説は2007年1月4日にウォール・ストリート・ジャーナルが「キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナンが核兵器なしの世界を呼びかけ」という賑々しい見出しで掲載されました。内容は、冷戦とその終結に至る歴史のかなり詳しい復習と、その後の核兵器拡散の状況の記述を含み、長文の論説ですが、その結語には、次のような麗々しい文章があります。:
■ Reassertion of the vision of a world free of nuclear weapons and practical measures toward achieving that goal would be, and would be perceived as, a bold initiative consistent with America’s moral heritage. (核兵器のない世界のヴィジョンとその目標に向かっての実行可能の諸方策を、いま改めて主張することは、アメリカの道義的伝統に一致する大胆な先導行為であり、また、そのようなものとして認められるであろう。)■
 「四人組」の第二論説は、2008年1月15日のウォール・ストリート・ジャーナルに、「キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナンが核兵器なしの世界を再び呼びかけ」という見出し付きで掲載されました。それは
■ 核兵器、核技術、そして核物質の加速的拡散が、われわれに行動を促す所まで運んで来た。これまでに発明された最も恐るべき兵器が危険な人間たちの手に渡る大変高い可能性に、われわれは直面しているのである。■
という文章で始まります。「四人組」の本当の関心事が顔を出し始めたと見てよいでしょう。これに続いて、「四人組」の第一論説に、ゴルバチョフを始めとする世界中の賢人からの反応があり、米国内でも、マドレーヌ・オールブライト、リチャード・アレン、ズビニュー・ブレジンスキー、ロバート・マクナマラ、コリン・パウエル、などなどの多数の要人が論説の趣旨への支持を表明したことが報告されています。(私の目には、危険人物のリストのように思われてなりませんが。)また、世界の核弾頭の95%を所有しているアメリカとロシアの然るべき関係も論じてあります。この第2論説も長い論文で、興味のある方は、是非原文をご覧下さい。ただ、時間的には、オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説(2009年4月5日)とオバマ大統領のノーベル平和賞受賞(2009年12月10日)は、この「四人組」の第二論説(2008年1月15日)と、次に取り上げる、問題の第三論説(2010年1月19日)との間に位置していることを指摘しておきます。キッシンジャーはノーベル平和賞の前の受賞者として、受賞者の候補を推薦する権利を持っています。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞もキッシンジャーが打った国際的大芝居の一幕であったとしても特別びっくり仰天するほどのことではありません。
 ところで、次に取り上げる「四人組」の第三論説にこそ「四人組」の真の意図が臆面もなく姿を現して来ます。まずその前半を、タイトル部分を含めて、省略無しに翻訳しましょう。:

『我々の核抑止力を護るには』
兵器数の減少に当って、我が備蓄核兵器の信頼性を維持することが必要。

G.P. シュルツ、W.J. ペリー、H. A. キッシンジャー、S. ナン

 われわれ4人は、核兵器に依存する度合いを減らし、核兵器が潜在的に危険な人間たちの手に拡散することを阻止し、そして、究極的には、世界を脅かすものとしての核兵器に終止符を打つというグローバルな努力を支持するために、志を同じくして集まったのだったが、今や、他の多くの人々がそれに参加してきた。われわれは、明白な、そして、脅迫的な新事態を認識するからこそ、そうするのである。
 核兵器、核技術、そして核物質の加速的拡散が、われわれに行動を促す所まで運んで来た。これまでに発明された最も恐るべき兵器が危険な人間たちの手に渡る大変高い可能性に、われわれは直面しているのである。
 しかし、核兵器類を縮小して核兵器なしの世界というヴィジョンを実現すべく努力しながらも、われわれは、われわれ自身の核兵器の安全性、防護性、信頼性を維持する必要を認識する。核兵器が意図も無しに起爆しないように安全である必要があり、正式許可のない連中は使用できないように防護されていなければならず、そして、他の国々が核兵器を持っている限り、われわれの必要とする核抑止力を供給し続けることが出来るように、われわれの核兵器が信頼性を持ち続けるようにしなければならない。この事は、これら三つの項目のどれか一つが失敗した場合の極端な結果を考えるとき、厳粛な責務である。
 過去15年間、これらの任務は我が国の核兵器製造工場と三つの国立研究所(カリフォルニアのローレンス・リヴァモア、ニューメキシコのロス・アラモス、ニューメキシコとカリフォルニアのサンディア)の技術者と科学者によって成功裡に果たされて来た。優れた才能に恵まれた人々のチームが、ますます強力で精巧な装置を用いて、備蓄された核兵器に求められる高基準を満たしていることを保証する諸方法を生み出して来た。これらの科学者たちの業績のお蔭で、国防相とエネルギー相は、1995年にこの保証プログラムが始められて以来、毎年、アメリカの備蓄核兵器の安全性と防護性と信頼性を保証することが出来た。
 とりわけ、三つの国立研究所は、現存する核兵器の寿命を延長することに収めた成功について賞賛されるべきである。彼等の研究は核爆発の科学的理解についての重要な進歩に導き、地下核爆発テストを不要のものとした。
 それにも関わらず、二人の前国防相ペリーとシュレシンジャーが先導する戦略体制委員会が同定したように、前途には問題が控えている。昨年国会に報告書を提出したこの委員会は、核兵器の基盤施設の修繕と近代化のための相当の額の投資と三つの国立研究所に対する財源増加を強く要請している。

以上は、この「四人組」ウォール・ストリート・ジャーナル第三論説の前半の、省略無しの翻訳です。ここまで来ると、2007年1月4日にウォール・ストリート・ジャーナルが「キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナンが核兵器なしの世界を呼びかけ」という派手な見出しで掲載した「四人組」の第一論説、2008年1月15日の第二論説の下敷きになっていた彼等の本音が、臆面もなく、表面に浮上しています。約言すれば、彼等は「核兵器のない世界を実現するためには、現段階では、まず、アメリカの核軍備を増強する必要がある」と主張しているわけです。
 第3論説の後半には、彼等の本音は、いよいよ醜い顔を現します。つまる所は、アメリカの安全を守るということなのです。核拡散を防ぎ、核兵器、あるいは、核兵器に使える核物質が危険な人間たちの手に渡ることを防ぎたいのです。そのためには国防費が、何ものにも優先されるべきだとまで言います。:
■ Providing for this nation’s defense will always take precedence over all other priorities.■
「他のすべての優先事項」の中には、もちろん、今ひどい状況にあるアメリカの医療保険制度も入っている筈です。現在4千5百万人の貧困層のアメリカ人が保険料を払えず、制度にカバーされていませんが、そのために一日あたり平均で約百人の人たちが、適切な医療を受けられず、死んでいると見積もられています。アメリカの安全性の保障とは、一体誰のための保障なのでしょうか。
 いや、横道にそれず、本題を追いましょう。上の「四人組」の第三論説がウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された2010年1月19日の時点で、論説の中で強調されている、核軍備に対する予算の増額は既成の事実であったことを、まず、指摘しなければなりません。広島・長崎の原爆を製造したロス・アラモス研究所のあるニューメキシコ州の現地新聞によれば、オバマ大統領は2011年度の核兵器関係予算として70億ドルの増加を計上しています。ナショナル・キャソリック・リポーターという新聞(2010年2月9日)には、ジョン・ディア神父がつぎのように書いています。:
■ 『オバマとその死の事業』
ニューメキシコはこのニュースで沸き立っている。間もなく、このあたりのきびしい風景の中に、ピカピカに新しい、最高技術水準を誇るプルトニウム爆弾製造工場が立ち上げられるだろう。予算書類に署名し、このプロジェクトに祝福を与えたオバマ大統領は、一年前プラハで、核兵器なしの世界を目指す声明をしたその人だが、実のところ、彼の新しい予算をもってすれば、ロナルド・リーガン以来のどの大統領よりも核兵器の生産を増強することになるだろう。
ここに、ジョージ・W・ブッシュさえも上回る偽善の一編がある。新しい核兵器施設のプランを立てる一方で、軍縮をうたい上げる。希望のヴィジョンを高く掲げるその舞台裏で、希望の死を確実のものとする。これぞ、ジョージ・オーウェル風の悪夢だ。
付け加えるまでもないだろうが、核兵器の製造屋たちは大喜びしている。(以下省略)■
 しかし、私に最も強い印象を与えたのは、「Bulletin of the Atomic Scientists (原子科学者公報)」という大変権威のある定期出版物に掲載された、2010年2月4日付けのグレッグ・メロ(Greg Mello)による論文『The Obama disarmament paradox (オバマ軍縮パラドックス)』です。日本でも、反核関係の方々の多くは読んでおられると思いますが、一般の方々にも是非読んで頂きたいものです。以下には、その始めの部分を訳出します。:
■ 昨年4月、プラハで、オバマ大統領は、大幅の核軍縮を公約したものと多くの人々が解釈した講演をおこなった。
しかしながら、今や、ホワイトハウスは核弾頭出費の歴史で大きな増額の一つを要請している。もしその要請の全額が認められると、核弾頭出費はこの一年で10%あがり、将来にはさらなる増額が約束されることになる。オバマの大盤振る舞いの最大の目標であるロス・アラモス国立研究所は、1944年以来最大の、22%の予算増加を見ることになるだろう。とりわけ、新しいプルトニウム“ピット”製造工場コンプレックスに対する出費は2倍以上にのぼり、今後10年間、新しい核兵器の生産に打ち込むことを明確に示している。
こうなると、オバマ大統領の予算と彼の核軍縮ヴィジョンとは矛盾しないだろうか?
答えは簡単である:オバマがそうしたヴィジョンを持っていた、あるいは、一度だって持ったことがあった、という証拠は何もない。彼はプラハでその趣旨のことは何も言わなかった。そこでは、彼は、“核兵器のない世界を求めたい”という彼の思い入れについて語っただけだ。あの抽象のレベルでは、とても新味があるとは言えない漠然とした希求に過ぎない。その一方で、彼は、アメリカ合州国は“如何なる敵対行為をも抑止し、我々の同盟国の防衛を保障するための安全に守られた有効な核兵器の備蓄を維持するであろう”と言明した。■
 術語の説明一つ。プルトニウム・ピットというのは、水素爆弾(熱核爆弾)の中にある起爆装置で、これで核分裂を起こして、そのエネルギーを使って水素の核融合反応を起こさせます。
 上の論文の著者グレッグ・メロは、1989年、ロス・アラモス・スタディ・グループ(LASG)を創設し、以来、核軍縮とそれに連関する諸問題についての信頼できる情報をジャーナリズムに提供する仕事に従事している、元水理地質学者です。ニュー・メキシコ州環境庁の上級役人を務めた経験も持っています。LASGのウェブサイト(http://www.lasg.org/)を見ると、オバマ政権による核兵器関係予算の急激な増大の詳細が分かります。
 グレッグ・メロの上掲の文章をもう一度読んで下さい。プラハ講演で、核廃絶を悲願としてきた日本人の心をメロメロにしてしまったバラク・オバマという人物が、政治家として、稀代の大嘘つき、稀代のコンフィデンス・マン(コン・マン、詐欺師)であることを、これほど冷徹な筆致で断定した文章は、ざらには見当たらないでしょう。
 実は、このロス・アラモス国立研究所の増強と新しいプルトニウム“ピット”製造工場コンプレックスは、アメリカの産軍共同体がブッシュ政権に対して強く求めていたのですが、反対意見も根強く、足踏み状態が2007年、2008年と続いていました。それが、オバマ大統領の出現で、一挙に前に進んだのです。今にして思えば、キッシンジャーを先頭とする「四人組」の論説シリーズも、この状況と大いに関係があったかも知れず、また、真の源泉は、2007年あたりから、いよいよ緊迫の度を増して来たイラン/イスラエル問題にあったのでしょう。オバマ大統領のプラハ講演とノーベル平和賞受賞も、こうした一連の流れの中に位置されるべき事件であったのだと思われます。

藤永 茂 (2010年2月17日)


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ハイチは我々にとって何か?(1)

2010-02-03 13:44:25 | インポート
 1月12日、カリブ海の黒人国ハイチは首都ポルトープランス地域を中心にマグニチュード7の大地震に見舞われました。ニュースに対する私の最初の反応は「何と気の毒なハイチの人々!」、次に、「これは大変な人災になる!」というものでした。それに続いて、私はハイチには2004年以降、国連平和維持(PKO, Peace-Keeping Operations)の部隊が1万人ほど駐留していることを思い出し、彼等が一斉に救出活動に繰り出す有様を頭の中で描きました。しかし、二日経っても、三日経っても、彼等の救援活動のニュースは報道されませんでした。その代わり、10日後には、ハイチ全国で十の刑務所から5千人を超す受刑者が脱獄し、国連高官は「治安悪化の最大要因」と懸念していることが報じられました。ポルトープランス発の共同通信による新聞記事から一部引用します。:
■ 首都中心部にある国内最大の「ポルトープランス刑務所」では地震発生の12日、殺人やレイプ、誘拐など凶悪事件の犯人を含む4215人の受刑者全員が脱獄した。刑務所の建物はほとんど壊れていない。・・・ 激しい揺れにおびえた看守らが職場を放棄して逃走、受刑者は残った看守から銃を奪い、建物に火を放って脱獄した。刑務所内に入ってみると、正面付近が焼け焦げているほかは無事だ。粗末な2段ベッドが並ぶ房は、いずれも鉄格子のドアが開け放たれたまま。衣類やトランプ、家族だろうか幼い男の子の写真などがして散乱いる。・・・ 同刑務所近くにある首都の中心街「ジャンジャック・デサリン通り」では、21日も無数の住民が崩壊した商店に入り込み、食料などの物品を奪っていた。パトカーが近くに止まっているが、警官らは無表情で眺めているだけ。脱獄犯の多くがこうした略奪行為を煽動、2004年の政変で追放された当時のアリスティド大統領派民兵で麻薬、武器の密輸に関与したとされる受刑者も少なくないとみられる。住民のロナルド・ルフランさん(42)は「治安維持は米軍に頼るしかない」と語った。■
 さて、この新聞記事から何を受け取るか? 大問題です。大部分の読者は、「ハイチはひどい貧乏国で最悪の“失敗国家”のようだ。自力では全然治安も維持できない。大地震後の復興も大変だろう」と感じて、次の記事に読み進むことでしょう。しかし、ハイチの歴史と現状に少しばかりの知識のある人間にとっては、この記事は、そうあっさりとは読み過ごせません。はやくも流行遅れになりましたが、この報道の“空気を読む”ことが必要です。
(1)上に、「ハイチ全国で十の刑務所から5千人を超す受刑者が脱獄し、国連高官は「治安悪化の最大要因」と懸念している」とありますが、そもそも約1万人の国連PKO部隊の任務は何なのか?世界各国への国連の要請に応じて、日本も陸上自衛隊を中心に約300人が派遣されるようですが、彼等は、本当に、地震被害の復旧の手助けのためにハイチへ行くのでしょうか?
(2)上の記事の引用の中に、歴史に関する二つのキーワードが顔を出しています。首都の中心街が「ジャンジャック・デサリン通り」と名付けられたのは何故か? 2004年の政変で追放されたアリスティド大統領とは何者か?
(3)首都ポルトープランスでの略奪行為を煽動するアリスティド大統領派民兵は、麻薬や武器の密売に関与したとされていますが、彼等は政治犯として受刑していたのではないか? だから、国連PKOに課せられた治安維持の任務は、住民による中心街商店の略奪行為を抑え込むといったこと以上のものなのではないのか?
(4)この共同通信の記者の筆致には、アリスティド大統領派民兵を含む5千人の脱獄囚が、まったく碌でもない悪者たちだと決めつけている響きがあり、記事の結びとして、住民の一人の名前と年齢をわざわざ挙げて、「治安維持は米軍に頼るしかない」と語らせています。ここには幾つかの深刻な問題が頭を出しています。まず、マスコミでは常套的な手段ですが、一般市民、通りがかりの人の発言を挿入するというフォーマットです。例え、テレビに発言者の映像が映ったにしても、報道者がどんなサンプリングをして、どんな選択を行なったかに就いては何も知らさず、知る手だてもありません。ハイチの場合でも、別様の発言をした市民が居たかもしれませんが、上の記事では、「治安維持は米軍に頼るしかない」という、政治的には、極めて問題性の高い意見が一つだけ取り上げられています。私は、ここで、この記事の執筆者が、一定の政治的意図を持って、この選択をしたと主張しているのでは決してありません。もう米軍しか頼るものがないという気持ちが、ハイチの一般市民に広がっているのが現実かもしれません。しかし、私が恐れるのは、この記事の執筆者の偏見と無知がそのままこの内容を生み出したのではないかという事です。
 これから先、この『ハイチは我々にとって何か?』のシリーズでは、上に掲げた問題点を、順次、議論して行きたいと思っていますが、その準備として、過去にこのブログでハイチを取り上げた箇所二つを以下に再録しておきます。

***** 2008年6月25日のブログから *****
オバマ氏の正体を見定めるのに決定的に重要な二つの講演が最近なされました。一つは、5月23日マイアミのCANF (Cuban American National Foundation:キューバ系アメリカ人中央財団?)の集会で、もう一つは、6月4日首都ワシントンのAIPAC (American Israel Public Affairs Committee、イスラエルの利益を代表する超強力なロビー(政治的圧力団体)として有名です。) の年会で、オバマ氏が行った講演です。この二つの講演、実に実に興味深いものです。オバマ氏がアメリカ合州国大統領となった暁には、アメリカのみならず、全世界の命運をも決するような恐るべき内容なのですから。・・・・・
そして、オバマ氏の言うことは、ハイチとコロンビアに到って、「この人ほんとにハーバード出なの?」と言いたくなるような歴史と現実の歪曲になって行きます。ここではハイチについてだけ読んでみましょう。
■ The Haitian people have suffered too long under governments that cared more about their own power than their peoples’ progress and prosperity. It’s time to press Haiti’s leaders to bridge the divides between them. And it’s time to invest in the economic development that must underpin the security that Haitian people lack. And that is why the second part of my agenda will be advancing freedom from fear in the Americas. (ハイチの国民は、国民の進歩と繁栄よりも、自分たちの権力のことに気を配る政府のもとで余りにも長く苦しんできた。今や、ハイチの指導者たちに、お互いの間の対立軋轢を乗り越えるように圧力を掛けるべき時である。そして、今こそ、経済発展に投資をして、ハイチの国民に欠けている安全保障を支援しなければならない。だからこそ、私の政策路線の第二部は中南米諸国で怖れからの自由を促進することである。)■
これがどんなにひどい無責任な文章かは、ハイチに対する米国の内政干渉の歴史のほんのエレメンタリーな知識があれば、立ち所に分かります。両国の関係は、ハイチが世界最初の黒人共和国として1804年1月1日に独立宣言を発してから今日まで、綿々と絡まり合っているのですが、それをここで辿るのは不可能ですので、1915年から1934年までのほぼ20年間、ハイチはアメリカ海兵隊によって侵略占領支配されていた事実だけを指摘するに止めます。海兵隊の不法な侵略に反抗してハイチの黒人たちは直ちに立ち上がりました。シャルルマーニュ・ペラルトに率いられた「カコの反乱(Caco Insurrection)」と呼ばれる事件です。アメリカ海兵隊の損害は死傷者合計98人、ハイチ人民側の死者は1万5千人を超え、ペラルトは1919年に暗殺されました。この一事を知るだけでも、オバマのマイアミ講演が歴史の真実を棚に上げた如何に凄まじい嘘であるかが分かります。これまでハイチの人々を苦しめて来た歴代の政府権力はすべて米国利権の手先であったのです。ハーバード出身ならずとも、並みのアメリカ・インテリなら知っている筈の歴史的事実です。この悲惨なハイチの歴史を知りたければ、ネット上ですぐに資料が見付かります。私の手許にある単行本の良著として、次の5冊を挙げておきます。
* C. L. R. James : The Black Jacobins (1963, 1989)
* Laurent Dubois : Avengers of the New World (2004)
* Paul Farmer : The Uses of Haiti (1994, 2006)
* Peter Hallward : Damming the Flood (2007)
* Eiko Owada : Faulkner, Haiti, and Questions of Imperialism (2002, Sairyusha)
最後の大和田英子さんの本(彩流社)は、異色の内容で、とても興味深く読ませて頂きました。フォークナーの傑作の一つ『アブサロム、アブサロム!』の主人公トマス・サトペンはハイチからやってきた男です。大和田さんの本を読むと、フォークナーのハイチへの思い入れが並々ならぬものであったことが分かります。フォークナーがコンラッドを,文学者として、高く評価していたことはよく知られていますが、黒人に対する思いという点では、私には、二人は大変違っていたように思われます。
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***** 2010年1月20日のブログから *****
 近頃、こんなに腹が立ったことはありません。ハイチの大地震にたいするオバマ政権の反応と、災害を報じるマスコミの内容です。オバマ大統領は「アメリカは、そして世界はハイチとともにある」と言いました。世界はともかく、アメリカは、この二百年、確かに、ハイチとともにありました。マスコミは4日間も瓦礫の下で生き延びた赤ん坊が、駆けつけた救助隊によって、奇跡的に救出される感動的場面を感動的に世界中に報じます。「その手の感激ストーリーには、もう飽き飽きした」と、思わず私は叫びそうになります。ハイチの惨状は人災です。
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なお、私事にわたりますが、前立腺手術のため入院しますので来週2月10日のブログは休載いたします。

藤永 茂 (2010年2月3日)


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