私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ジャン・ブリクモン著の『人道的帝国主義』と『「知」の欺瞞』

2023-06-12 13:41:34 | 日記・エッセイ・コラム

 ジャン・ブリクモン著の『Humanitarian Imperialism』は2000年初版、その改訂版『Humanitarian Imperialism: Using Human Rights to Sell War』は2006年に出版され、菊池昌実訳『人道的帝国主義:民主国家アメリカの偽善と反戦運動の実像』(新評論)は2011年末に出版されました。以下に訳出するインタービュー記事は米国が操作したクーデターによるウクライナ政権変化の翌年の2015年11月27日付のものです。この早い時点でのジャン・ブリクモンの優れた先見性を意識しながらお読み下さい:

https://libya360.wordpress.com/2015/11/27/the-ideology-of-humanitarian-imperialism/

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アンヘル・フェレーロ:『人道的帝国主義』がスペイン語で出版されてから10年が経ちました。この本を書かれたきっかけは何だったのでしょうか?

それは、1999年のコソボ戦争の間、人道的ということで、左翼の人々が概ねそれを容認していたその態度と2003年のイラク侵攻前の平和運動の反対がかなり弱かったことへの反発から始まりました: 例えば、多くの「平和主義者」は、1991年の第一次湾岸戦争当時、そしてその後も制裁政策を受け入れ、戦争につながった査察に好意的で、それが国民に戦争を受け入れる準備をさせるための作戦だったとは気づかなかった(この事は、その後に、ダウニング街メモのような事後の情報漏洩によって広く知られるようになった)ことです。

この人道的介入のイデオロギーは、国際法を尊重するという概念や、メディアに対する批判的な態度を、左派の人たちが完全に破棄してしまったように、私には思えたのです。

アンヘル・フェレーロ: この10年で何が変わったと思いますか?

多くの事が変わりましたが、しかし、私の本のせいなどではなく、イラクの混乱に始まり、リビアの混乱、そしてシリアとウクライナの混乱、難民問題、ロシアとの戦争に近い容易ならぬ事態など、これらの現実が自己主張しているのです。

人道主義的帝国主義者たちは、今もなお、私たちをさらなる戦争へと向かわせることに余念がありません。しかし、今では、世論のかなり大きな部分がこのような政策に反対を表明しています;この部分は、おそらく、左派においてよりも右派において、より重要です。

アンヘル・フェレーロ欧米の介入や干渉を正当化する知識人の役割は、その象徴的な行動(公文書やマニフェストへの署名)と同様に、激しく批判されています。なぜでしょうか?

「知識人たち」の問題点は、権力に対する批判者であるかのように装いながら、実際には権力を正当化することが好きなことです。例えば、彼らは欧米の政府が(介入や政権転覆を通じて)「我々の価値観」を促進するために十分なことをしていないと文句を言う。もちろん、「我々の側」や「我々の政府」は善意であるという考え方を強化するわけですが、これは、私の著書で説明を試みている通り、高度にいかがわしい考え方です。

そうした知識人が批判されることもありますが、誰が批判するかというと、一般的には、周辺的な人たちだと私は思います。「知識人たち」は今でもメディアや知的領域を支配しているのです。

アンヘル・フェレーロ あなたの本のもう一つの主題は、世間の言論の劣化です。状況は悪化したとお考えですか?ソーシャルメディアの影響をどのように評価していますか?

少なくともフランスでは、世上での言説は一段と悪い方向に進んでいます。これは、訴訟や相手を悪者化するキャンペーンを通じて、いわゆる「ポリティカルにコレクト」でない言論が常に検閲されていることと関係しています。この検閲の中には、戦争相手の戦犯とか戦争の正当化に関する支配的言説に対するブリクモン流の疑問投げ掛けも含まれています。

ソーシャルメディアは「反体制派」に残された唯一の選択肢ですが、そこでは荒唐無稽な空想も含めて何でもありになってしまうという欠点があります。

<訳者注:これは我々にとって大変重要なポイントですので、後ほど議論します>

アンヘル・フェレーロ: ロシアは今、クリミアへの介入やシリアでの「イスラム国」に対する空爆を正当化するために、彼等なりの「人権思想」を使っていると指摘するコメンテーターもいます。それは妥当なことなのでしょうか?

ロシアは、人道的な理由で介入していると主張することさえしていないと私は思います。クリミアの場合、住民は基本的にロシア人であり、1954年に恣意的にウクライナに併合されても、当時、ウクライナはソ連の一部だったので、どうということもなかったが、キエフに狂信的反ロシア政府が出現すると、それを恐れる理由が十分あった住民たちが自決権を行使したという事です。

シリアについては、外国が支援するいわゆる「テロリスト」と戦うために、シリア政府からの支援要請に応えたものです。フランスがマリに介入した際(同じくマリ政府の要請による)、あるいは米国がイラクでISISに対抗して介入した際と比較して、その正当性が劣るとは思えません。

もちろん、こうしたロシアの動きは賢明でないことが証明されるかもしれないし、「平和主義」の観点からは議論の余地があるかもしれない。しかし、根本的な問題は、国連憲章とすべての国の平等な主権を前提とした国際秩序の完全な解体を誰が始めたのか、という事です。その答えは、明らかに米国とその「同盟国」達(昔は「下僕(lackeys)」と呼んだものだが)です。ロシアはその無秩序に対応しているだけで、かなり合法的な方法でそうしています。

アンヘル・フェレーロ: シリアの話を続けましょう。ヨーロッパの複数の政治家が、秩序を回復し、EUへの難民の流入を止めるために、シリアとリビアへの軍事介入を要求しています。この危機とEUが提案する解決策についてどう思われますか?

彼らは、自分たちが作り出した問題をどう解決すればいいのかわからないのです。シリア危機を解決する前提としてアサドの退陣を要求し、いわゆる穏健派反政府勢力(穏健派というレッテルは、実際には「我々」によって選ばれたことを意味する)を支援することによって、彼らはシリアにおけるあらゆる可能な解決を妨げています。実際、政治的解決は外交に基づくべきであり、後者は力の現実的な評価を前提とするものです。シリアの場合、現実主義とは、アサドが軍隊を掌握し、イランとロシアという外国の同盟者を抱えているという事実を受け入れることであり、これを無視することは、現実を否定し、外交にチャンスを与えることを拒むことに他なりません。

そして、難民危機が発生した。これはおそらく予想されていなかったことだが、欧州市民が移民や「欧州建設」に対する敵意を強めているときに発生しました。殆どのの欧州政府は、彼らが「ポピュリスト運動」と呼ぶ、自国の主権強化を求める運動に直面しています。難民の流入は、欧州の政府から見れば最悪のタイミングでした。

そこで、ハンガリーのような周辺国に壁を作らせたり(公の場では非難しているが、内心では喜んでいるでしょう)、国境管理を復活させたり、トルコにお金を払って難民を預けたりするなど、できる範囲で問題を解決しようとしているのです。

もちろん、問題を「根本的に」解決するためにシリアに介入しようという声もあります。しかし、今、何ができるのだろうか。例えば、飛行禁止区域を設けるなどして反政府勢力をさらに支援し、ロシアとの直接対決のリスクを冒すのか、それとも、ロシアのように、シリア軍が反体制派と戦うのを助けるのか?しかし、それは長年にわたる反アサドのプロパガンダと政策を覆すことになります。

要するに、彼らは自分で自分の首を絞めているようなもので、いつの世でも不愉快な状況です。

アンヘル・フェレーロ: グリーン党諸派や新左翼が、人道的介入を頑強に擁護するのはなぜだと思いますか?

究極的には、「新左翼」の階級分析をしなければなりません。旧来の左翼は労働者階級を基盤としており、その指導者はしばしばその階級出身者でしたが、新左翼は殆どプチブルジョアの知識人達に支配されています。これらの知識人は、生産手段の所有者という意味での「ブルジョアジー」でもなければ、生産手段所有者によって搾取されているわけでもありません。

その社会的機能は、最終的には武力に基づく経済システムと一連の国際関係を高らかに正当化するためのイデオロギーを提供することにあります。人権イデオロギーは、その観点からは完璧で、それは十分に「理想主義的」でもありますが、一貫して実践することは不可能なので(もしすべての「人権侵害者」に対して戦争をしなければならないとしたら、自分自身を含む全世界とすぐに戦争になってしまう)、それらの擁護者は政府に対して批判的に見える機会を与えられる(彼らは十分に介入していないとする)のです。しかし、世界の現実の力関係から注意をそらすことによって、人権イデオロギーは、現実の権力を持つ人々にも、自分たちの行動を道徳的に正当化することを提供する。つまり、「新左翼」のプチ・ブルジョワ知識人は、権力に仕えていながら、反政府的であるかのように装うことが出来るのです。一つのイデオロギーにこれ以上何を求めることが出来るでしょうか。

アンヘル・フェレーロ:著書の結論では、欧米の読者が欧米の覇権の終焉と国際関係における新秩序の出現を受け入れられるように、ある種の教育法を推奨していますね。私たちはどのようにそれに貢献できるのでしょうか?

前述したように、欧米の聴衆に変化を迫っているのは眼前の現実です。終わりのない戦争によって人権が育まれると考えるのは、いつの世でも完全な愚行でしたが、今、我々はその愚行の結果を自分の目で見ているわけです。違法な介入によって他国の問題を解決しようとするのではなく、西側諸国の政府に国際法の厳格な尊重、他国、特にロシア、イラン、中国との平和的協力、NATOのような攻撃的軍事同盟の解体を要求すべきです。

<訳者注:2015年11月の時点でこの発言、まさに先見の明>

アンヘル・フェレーロ:あなたを一般の人々に知らしめたもう一冊の本、『ファッショナブル・ナンセンス』についてお聞きしたいのですが。この本は、アラン・ソーカルとの共著で、ポストモダニズムに対する批評書です。現在、学者や世論の間でポストモダニズムはどのような影響を及ぼしているのでしょうか。風化していくのか、それともまだ生きているのか?

その問いに私が答えるのは難しいことです。なぜなら、それには社会学的な研究が必要で、私にはその手段がないからだ。しかし、ポストモダニズムは、人道的介入への方向転換と同様に、左翼が自滅してしまったもう一つの形態であると言うべきでしょう。ただ、ここでの様相は、戦争という劇的な結果はもたらさず、被害は「エリート」の知的サークルに限られました。

 もし左翼がより公正な社会を作りたいのであれば、正義の概念を持たなければならない。もし倫理に関して相対主義的な態度をとるのであれば、どうやってその目標を正当化できるでしょうか。また、支配的な言説の幻想性や神秘性を非難するのであれば、ただ単に「社会的構築」ではない真理の概念に依拠した方がよろしい。ポストモダニズムは、左翼の理性、客観性、倫理の破壊に大きく寄与しており、それが左翼をその自殺に導いているのです。

This interview was conducted by Àngel Ferrero (ferrero.angel@gmail.com) for the Spanish newspaper, Publico.

JEAN BRICMONT teaches physics at the University of Louvain in Belgium. He is author of Humanitarian Imperialism.  He can be reached at Jean.Bricmont@uclouvain.be

**********(インタービュー記事翻訳終わり)

 訳出の途中で予告したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス、また、ソーシャル・メディアという言葉も使われます)について注意しなければならない事柄の議論をします。もう一度ブリクモンの言葉に耳を傾けましょう:「ソーシャルメディアは「反体制派」に残された唯一の選択肢ですが、そこでは荒唐無稽な空想も含めて何でもありになってしまうという欠点があります。」

 我々の日常にとってSNS(TwitterやYouTubeなどなど)は情報源あるいは発言や相互通信の場として欠かせないものになっています。しかし、もっと小規模の「反体制派」的サイトも含めて、情報源として、つまり、本当のことを正確に知る手段としての信頼度は高くありません。ある事柄について、正確な知識や結論を得るには、今でも、いや、以前にも増して、しっかりとした印刷出版物、つまり、昔ながらの意味の「良い本」に頼らなければならないと私は考えます。これに関して、読み応えのある論説をエドワード・カーティンが良いウェブ・サイトDISSIDENT VOICEに出していますのでお読みください:

https://dissidentvoice.org/2023/06/rehearsed-lives-and-planned-history/

因みに、サイト『マスコミに載らない海外記事』の最近の記事の後に、 Twitterを通じてのタッカー・カールソンの極めて大胆かつ挑戦的な発言(日本語字幕付き)が紹介してあります。ぜひぜひご視聴ください:

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-5fc6c9.html

このタッカー・カールソンのTwitter利用、タダではすみますまい。

藤永茂(2023年6月12日)


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