私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アフリカの国立公園の私企業化(3)

2008-09-24 10:53:23 | 日記・エッセイ・コラム
 前回の終りに言及した記録映画“Guns for Hire: Congo 2006”は色々の意味で興味の尽きない内容を持っています。controversialな主題について記録映画を撮る時の「心得」といったものまで学ぶことが出来ます。映画のタイトルも巧みに選ばれています。普通、hired gunとは、プロの殺し屋とか、プライベートな傭兵を意味します。何だか面白そうではありませんか。中央アフリカ取材15年の経験を持つと自称するSam Kileyという白人の制作した映画で彼自身が画面にも現われて全体のナレーションを担当し、インタービューを行っています。主役はConrad Thorpeという元英国軍特殊部隊の中佐で、見るからにタフガイの白人です。以下、映画の中で呼ばれているように、コンラッドと呼ぶことにします。
 まず、ビルンガ国立公園が絶滅の危機に曝された野生動物の楽園として描かれ、続いて、密猟者や反乱民兵に攻撃されて既に百人をこえる犠牲者を出しながらもコンゴの貴重な自然遺産である野生動物を護る努力を続けるレーンジャーたち、そして、彼らを救うために,英国軍人としての収入の半額の給料に甘んじて乗り込んで来た無私の白人コンラッドが紹介されます:「これは一人の英国軍人の物語である。彼は民兵集団と腐敗した国軍と対決して、紛争の灰燼の中からエデンの園を創造するというミッション・インポシブルを買って出たのだ」。ビルンガ国立公園はコンゴ共和国の東部、ルワンダとウガンダに接する南北3百キロに及ぶ広大な地域を占めています。コンラッドが数百人のレーンジャー経験者たちを集めて、その中から数十名規模の特別武装レーンジャー部隊の編成訓練をしているのは、1950年代にベルギー政府が造った観光リゾートの跡地で、そこには、昔、ヨーロッパからの観光客たちが泊った建物も残っています。ナレーターは観光事業がこの國の再建に役立つ日が再来するだろうと映画のはじめにはっきりと述べています。「観光事業の復活」-これがコンラッドさんの大きな任務の一つと思われます。大変よい努力だと言うほかありませんが、これが、ナレーターによって“controversial new effort to keep rangers alive”と説明されているのに私は興味を引かれました。この立派な努力の何処が“controversial”なのか?--ただぼんやり映画を観ているだけでは分かりません。うっかり語るに落ちたという事なのでしょうか。いや、そうではなく、このあたりの言葉の綾が、商業的に受け入れられて、しかも少々は牙のあるドキュメンタリーを制作するコツなのではないか--私はふとそう思いました。Keith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberは、元英国軍将校コンラッドさんが手塩にかけて育てている特別武装レーンジャー部隊は、西欧の私企業がアフリカの国立公園の観光事業をコントロールし、同時にアフリカの鉱物資源の持ち出しを円滑化するための尖兵であると断定します。だから“controversial”なのです。
 訓練の間にも密猟者に殺された雌の象に出会います。食糧のためではなく、象牙が目的との断定が下されます。コンラッドとレーンジャーたちは犯人を捕らえるために、自転車を押して公園内の小道をたどる黒人の男や息子を連れた女性を見つけて訊問しますが、ただ怖がっておろおろするばかりで、手掛りは得られません。映画の後半には、湖の岸辺に網を張って魚の密猟をしている男が捕らえられます。その網は、魚だけではなく、鰐を含めたあらゆる動物を捕獲できるようなものだとコンラッドは断定し、その背後には密猟者の組織があると考えて、その男をきびしく審問します。正直に白状しなければ殺すぞと銃口を向けられて、その哀れな男性は、恐怖のあまり、土の上に座らされたまま尿を洩らし、それが地面を濡らすのが写されていて、哀れをそそります。映画の製作者であり、ナレーターでもあるSam Kileyは「私の過去の経験から、この男はただ自分の空き腹をみたすために魚を捕っているだけだろうと思われる」と短評と挿入しています。
 レーンジャーの精鋭部隊がコンラッドのきびしい訓練の下で育って行く有様が詳しく記録されていますが、それより、私にとって、興味深かったのは、公園内のある小部落で、正体不明の金属鉱石がつまった布袋が数百個見付かった場面でした。実は、ビルンガ国立公園の地下は先進諸国の垂涎の的である各種の貴金属の鉱石で一杯なのです。映画では、不法採掘されたコンゴの貴重な自然の恵みを大地に返すべく、コンラッドの率いるレーンジャーの黒人たちが布袋に詰められた大量の鉱石を湖の中に投げ入れるところが記録されていますが、私には、そのシーンの全体がいかにも大掛かりな「やらせ」のように見えて仕方がありませんでした。ビルンガ国立公園を含むコンゴ東部とそれに続く南部のカタンガ地方一帯で、過去百年間、とくに最近の20年間に、西欧企業が行ってきた貴金属地下資源の不法強奪の凄まじさを知っている私には、この映画のこの部分は特に見るに耐えないものでした。
 元英軍将校コンラッドではなく、我が小説家コンラッドの『闇の奥』と関連して、注目に値する事実があります。映画には一応英語を操るベテランのレーンジャーが一人登場しますが、この人物を含めて、レーンジャーたちの間で交わされる言葉はすべてフランス語です。この記録映画を見ながら、百年前のベルギー王領の『闇の奥』の中で黒人が喋った言葉がブロークン・イングリッシュであったとは考えられないという思いを再確認しました。ブロークン・フレンチであった筈です。
 表題に掲げている「アフリカの国立公園の私企業化」の問題に入らなければなりません。このシリーズの(1)に掲げたKeith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberとの長文の論考:<Gorillas “Executed” Stories front for Privatization and Militarization of Congo Parks, Truth of Depopulation Ignored>を直接読んで頂くのが一番なのですが、その詳細さとあまりの激烈な筆勢に辟易なさる方々も多いと思いますので、次回には、私なりに、読みやすくこなした形で事のあらましを説明したいと考えます。

藤永 茂 (2008年9月24日)


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アフリカの国立公園の私企業化(2)

2008-09-17 11:18:00 | 日記・エッセイ・コラム
 もう一度、前々回抄訳した2007年7月22日のワシントン・ポストの記事を読んでみましょう--今回はStephanie McCrummenという記者さんの「語り口」に注意しながら。まず気が付くのは、公園レーンジャーたちのけなげさの強調です。愛してやまないゴリラが又やられたと知ったレーンジャーたちは擦り切れた制服にゴム靴の出で立ち、手には広い刃の大鉈を持って殺害現場に向かいます。彼らはもう10年以上も給料未払い(having not been paid in more than a decade)なのですが、それでも任務を果たし続けています。ゴリラたちは酷い殺され方、大きな雄ゴリラの遺体がばらばらに切られて掘り穴便所に投げ込まれていたこともありました。「公園監視人は邪魔だ」というメッセージだとしか思われません。事実、150人以上のレーンジャーたちが殺されているのです。いったい何故か? この事態を傍観できないと考えた国外の自然保護団体が、身の危険も顧みず、国立公園に乗り込んで来ます。その先鋒であるリチャード.リーキーのWildlifeDirectを、記者のStephanie McCrummenさんは“a swashbuckling conservation group”と形容します。辞書をみると swashbuckling には「(特に時代物の映画で)冒険とスリルに満ちた」という意味もあります。ゴリラを殺し、レーンジャーたちを殺す民兵組織の背後にはこの地域の豊かな自然資源をめぐる利権争いがあることも指摘されています。“And like most living in this eastern region bordering Rwanda and Uganda, the rangers are carrying on amid a sordid mess of militias and other groups whose interest in Congo’s minerals, timber and other natural resources are best served by perpetuating chaos.”そして、最後には、国立公園に観光旅行者がどっさりやって来て、たんまりと観光収入が得られる日を夢みながら、レーンジャーたちは日々の苦難に耐えていることが述べられています。
 希少動物ゴリラを無残に殺戮する悪しき者どもに対する怒り、愛すべきゴリラを挺身して護るレーンジャーたちとそれを勇敢に支援するWildlifeDirectなどの自然保護団体への賞賛--ワシントン・ポストのStephanie McCrummen 記者のリポートは世界的な反応を呼び起こした模様です。この記事とそれが引き起こした反応に対するKeith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberの批判論文はZNet ウェブサイトで得られますが、通読するのが一苦労の長さで、論議は詳細を極めたものです。これから、私の感想もまじえながら、重点的に論文の内容を紹介します。
 「ゴリラの命と人間の命とどちらが大切か」--これがまず始めのポイントです。希少であろうとあるまいと、野生ゴリラを無残に殺すのはよくないと思うのが人情でしょう。しかし、ゴリラにとっては無意味な死でしょうが、殺す人間には、何らかの理由があり目的があるのです。このところ声高に報じられている数匹のゴリラ殺しをもたらしている政治的要因は、150人以上の公園監視人の死をもたらし、そして、一般に言われるように、コンゴのこの地域では、一日千人のオーダーの無名の人間たちが、戦乱、病気、食糧不足、医療施設の欠乏のために死ぬという悲惨を生み出している要因と同じものなのです。たしかに、コンゴの黒人たちは絶滅の危険に晒されてはいません。しかし、数匹の野生ゴリラを救うよりも、一日千人の犠牲者数をせめて百人のオーダーに落すことこそが急務ではありますまいか。
 次のポイントは、この憂慮すべき状況が生じている根本的理由はビルンガ国立公園地域が鉱物資源の宝庫だということです。上のStephanie McCrummen の記事にもはっきり書いてあります。先進諸外国、諸外国企業の間の熾烈な資源収奪競争がなければ、あるいは、その自然資源が生み出す巨額の富が、適当な額、適当な形で,コンゴ共和国の住民たちに還流されて、その生活を潤すようになれば、人間もゴリラも無残に殺されないようになります。もし世界の人々が本当に心からアフリカを助けたいと思うのなら、利己的な動機に発するアフリカの資源のあくなき収奪競争をやめるのが一番の近道です。いくら援助金をつぎ込んで上げても、腐敗した黒人権力者層が全部懐に入れてしまうというマスコミ定番の説明は嘘っぱちです。アフリカの貴金属資源のお蔭で世界の携帯電話産業がどんな巨利を収めているか、考えてみてください。日本でも貴金属取引き関係の人々はご存知でしょうが、例えば、コンゴから輸出されるコバルトを含むヘテロゲン鉱(heterogenite)だけでも、一ヶ月あたり数百億円に達します。「黒人がダメだからだ」理論の蔭にかくれて、ほくそ笑む非黒人たちが世界には沢山いるのです。
 第三のポイントは、ワシントン・ポストからニューズ・ウィーク、ナショナル・ジオグラフィックへ、さらには全世界のマスコミに流されて、動物愛護者の琴線に触れたStephanie McCrummenさんの新聞記事は、Keith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberによれば、リチャード・リーキーの“自然保護”団体「ワイルドライフディレクト」が演出したPR(宣伝広告活動)であったと思われることです。この団体は2007年はじめの創設で本部はケニヤの首都ナイロビにあり、McCrummenさんもワシントン・ポスト紙の海外特派員としてナイロビに居ました。「ワイルドライフディレクト」との関係を聞き糺された彼女はそれには答えず、“I think what is important is the rangers, above all, and the gorilla(大事なのは、何よりも先ず、レーンジャーたち、そしてゴリラたちだと思います)”と素っ気なく言ったそうです。一方、「ワイルドライフディレクト」は“取材の段取りのお世話はしましたが、身の安全までは手を回していません”と答えています。歯切れの悪い返答です。子連れの母親ゴリラ、ルビガの殺害現場に駆けつけたレーンジャーたちは「擦り切れた制服を着て、ゴム長を履き、手には幅広の大鉈(machetes)を持ち」という風に描写されていますが、少し長くコンゴやアマゾンなどの原住民についてのニュースなどを読み続けていると、マチェーテという大きな鉈が頻繁に出て来るのが気になってきます。数ヶ月前のケニヤの種族間の殺し合いのニュースがその最近の一例ですが、如何にも野蛮なこの武器(農機具)は黒人が使うのにふさわしい刃物として西欧のリポーターたちの頭の中にあるのではないか、と思えて仕方がありません。母親ゴリラは深い森の中で殺されていたのですから、木の枝や丈たかい草を払って進むためには大鉈が必要だったのでしょう。しかし、ビルンガ国立公園のレーンジャーたちが、「擦り切れた制服を着て、ゴム長を履き、手には幅広の大鉈(machetes)を持って」はいなかったのではないかと疑う状況証拠が十分あります。また「十年以上も給料を払ってもらってない」というのが嘘だと考える十分な理由もあります。ワシントン・ポストの姉妹誌である週刊誌「ニューズ・ウィーク」に出た記事には、擦り切れた様子のない立派な制服と革靴を装着し、大鉈ならぬモダーンな小型自動火器を持ったレーンジャーたちの写真が出ていて、「ワイルドライフディレクトが彼らの給料を払っている」とも書いてあります。いやはや、一体どうなっているのでしょう。
 このあたりの事情を推察するのに大変役立つ記録映画をwww.vonplannta.net でみることが出来ます。Claudio von Planta は著名な記録映画製作者のようです。“Guns for Hire: Congo 2006”と題する46分の映画は、Conrad Thorpe というタフな英国白人軍人 がビルンガ国立公園に乗り込んで来て、公園から不法侵入者を追い出すための武装レーンジャー傭兵隊を編成訓練する様子を記録したものです。レーンジャーたちは新しい立派な制服を給与され、例のAK-47 小銃は勿論のこと、他の自動小型火器で武装していて、ワシントン・ポストのMcCrummenさんが我々に与えるレーンジャーのイメージとはどうも食い違います。次回にこの映画の内容を少し紹介し、その意味する所を考えてみます。

藤永 茂 (2008年9月17日)


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伊藤和也さんは他のNGOに殺された

2008-09-10 15:42:57 | 日記・エッセイ・コラム
 いささかの躊躇のあと、この挑発的なタイトルを選びました。いま、アフリカの国立公園の私企業化について書いている途中ですが、昨日(9月9日)NHKのニュース番組でアフガニスタンでのNGO (non-governmental organization,非政府組織)の活動についての小特集をみて、しきりに想う所があり、伊藤和也さんの死を悼む一文を草することにします。日本を含めた世界の強大なNGOsに対して、敢えて、蟷螂の斧を振いたいと考えました。これから述べることは全く私個人の意見であって、その内容について誰にも相談していないことを明記しておきます。文責は完全に私にあります。
 2008年8月20日付けのブログ『ジンバブエをどう考えるか(5)』で、私は次のように書きました。:
* 「最近のニュースでは、ジンバブエの国民の多くが餓死しそうになっているのに、ムガベは英米のNGO団体からの緊急食糧援助を拒否しているそうではないか。まさに狂気の沙汰だ」とお考えの方もあると思います。表面を見る限り、まるで馬鹿げた狂気の沙汰です。しかし、ここでも、私個人としては、ムガベの靴に足を入れてみることが出来ます。ムガベは欧米のNGOから散々煮え湯を飲まされてきました。野党MDCの結成以来、欧米の多数のNGOは援助を選挙の票集めの武器として、積極的にMDCをprop up してきたのです。それにこれらのNGOは直接間接に英国政府や米国政府から資金を得ています。もはや、多くの強力なNGOsは、実は、non-governmental organizationsではないのです。この点も、私たちが世界の現実を見据えるために必須の知識です。このNGOの問題について、別の所で、興味深い発言に出会いました。アフガニスタンで地道な活動を続けているRAWA(The Revolutionary Association of the Women of Afghanistan)という女性運動団体があります。Justin Podur というカナダ人の作家がRAWAの代表者の一人にインタヴューした記事を読んだのですが、RAWAは決して自らをNGOと呼ばず、アフガニスタンで活動しているNGOsに対してきびしいコメントをしていましたので、その一部を原文で引用します。
■Most NGOs that are larger, or bigger aid agencies, are funded by governments and influenced by those governments. The smaller ones often get involved in fraud and corruption - they work not for the Afghan people but for their own purposes. Millions of dollars of funds go to NGOs and wasted in overhead, salaries, office expenses, and so on. They collect huge salaries, they have no long-term projects, they spend huge amounts for security expenses and vehicles.
NGO-ism is a policy exercised by the West in Afghanistan; it is not the wish of the Afgan people. The NGO is a good tool to divert people and especially intellectuals from struggle against occupation. NGOs defuse political anger and turn people into dependent beggars. In Afghanistan people say, the US pushed us from Talibanism to NGO-ism! ■
ペシャワール会を代表してアフガニスタンで奮闘している中村哲さんも、何処かで似たようなことを言っておられました。私たちも、このあたりで、NGOsなるものをよく考え直すべきかもしれません。*
今日は上に引用した英文を訳出します。
■大きくて幅を利かせている援助機関であるエヌジーオーの殆どは政府の資金援助を受け、したがって、政府の影響を受けている。小さい方のエヌジーオーはしばしば詐欺や腐敗に巻き込まれている-つまり、彼らはアフガニスタン人のためにではなく、彼ら自身の目的のために働いている。何百万ドルもの資金がエヌジーオーに注がれるが、それは、サラリーとか、事務費とか、その他あれこれの一般経費として浪費されてしまう。彼らは巨額のサラリーを懐にし、長期的な計画など持ち合わせず、巨額の資金を身辺警護と自動車両に費やす。エヌジーオー主義というのは西欧諸国がアフガニスタンで実施している一つの政策であり、アフガニスタンの人々が望んでいることではない。エヌジーオーというものは人々を、とりわけ知識人たちを、占領反対の闘争から気を逸らさせるためにとても役に立つ道具である。エヌジーオーは政治的な怒りを骨抜きにし、人々を依存心のつよい物乞いたちに変えてしまう。アフガニスタンの人々は「アメリカ政府は我々をタリバン主義からエヌジーオー主義に押しやった」と言っている。■
世界中に跋扈するエヌジーオーが金をもらって来るのは各国政府に限りません。ただ一例だけあげましょう。ホリエモンさんを百倍千倍にしたような金融投機家ジョージ・ソロスの主宰するエヌジーオーOSI(The Open Society Initiative)のまわりには「ソロスさん、お金下さい。お供します」と声をあげる沢山のエヌジーオーが蝟集しています。上の引用(*・・・*)の中に「ムガベは欧米のNGOから散々煮え湯を飲まされてきました」と書きましたが、実は、“狂気の独裁者”ムガベの打倒に邁進している対抗馬ツァンギライと支持母体MDC(Movement for Democratic Change)の有力な 後ろ盾はソロスのOSIとそれに従うエヌジーオーたちであるのです。
 世界の政治的経済的現実の中でのエヌジーオーの本質とは何でしょう。私なりのまとめ方をさせて頂ければ、それは「権力による人民操作(manipulation of people)のアウトソーシング(outsourcing)」です。政治権力側にとって、アウトソーシングの最大の利点は、責任をうやむやに出来ることです。そのよい例がイラクで活躍しているブラックウオーターなどの傭兵会社です。正規のアメリカ軍兵士が戦死すれば正式に報告しなければなりませんが、金で雇ってきた私企業会社の社員の死にはその必要はありません。ましてや、そうした雇われ兵士が第三世界の貧困社会からのリクルートであれば、処理は簡単です。見殺しにすればそれでよろしい。同じことは大小のエヌジーオーについても言えることです。ほんの少しばかり話がずれますが、何年か前に、カナダ政府が、慈善事業だからとして税金を免除されていた慈善団体に会計報告を求めたところ、半分近くの団体が慈善団体としての登録を止めてしまったことがありました。この頃はやりの英語でいえば、アカウンタビリティの問題です。
 そこで、私は、すべてのエヌジーオーに対する挑戦として、会計の公開を要求します。エヌジーオーとしての活動資金が何処から来ているか、役員などの給料、事務関係費、特に現場での作業に従事する人々の安全を護るための警護関係費用などを分かりやすく明記して発表することを要求します。
 私は伊藤和也さんが属したペシャワール会の維持会員ですが、まったくダメな老人会員で、何のお手伝いもせず、ただ会報を毎号愛読しているに過ぎず、他の会員としては、私にこの真の非政府組織の存在を教えて下さった一女性を知っているに過ぎません。しかし、私は、ペシャワール会が、如何なる政府からも、ジョージ・ソロスやビル・ゲーツなどの“大慈善家”からも、びた一文とて受け取っていないことを知っています。
 NHKのニュース特集に出演したあるNGOの代表者は、アフガニスタンで最も治安状態が良いと言われている首都カブールでも、エヌジーオーの人間が町中を歩いて移動するのは危険なので、常に自動車を使うこと、車がエヌジーオーのものであることは示さないこと、国連の車でさえ無表示であること、などを語っていました。
 伊藤和也さんの場合はどうだったのでしょうか。私の確かな空想によれば、伊藤さんは、日本から取り寄せて栽培し、子供たちにも大人気のサツマイモを収穫したダラエヌールの畑に立って、そこから望む山々に「“命の水”の源である雪が今年は多く降り積もること」(伊藤和也さん御自身の言葉)を祈っていたその時に襲われたに違いありません。護衛のための傭兵など誰も居なかったのです。誘拐の標的としてこれほど容易な標的はありません。
 土地の人々を援助しているエヌジーオーの要員が四六時中身辺の警護を必要とするという現実が何故アフガニスタンで生じているのか。この責任は、アフガニスタンを占領している外国勢力と、その政策に加担して、タリバンに代わって民心を操作し、そのついでに自己利益もあげようという多くのエヌジーオーが背負うべきものであります。私が「伊藤和也さんは他のNGOに殺された」と言う理由は将にそこにあります。

藤永 茂 (2008年9月10日)



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アフリカの国立公園の私企業化(1)

2008-09-03 09:33:23 | 日記・エッセイ・コラム
 今から丁度一年ほど前、2007年7月22日、米国の有力紙ワシントン・ポストの日曜版第一面をコンゴのビルンガ国立公園での母親ゴリラの惨殺のリポートが飾りました。Virunga National Parkはアフリカで最初の国立公園で、1925年、ベルギー政府が設立しました。1970年代、ビルンガ山一帯は野生の山岳ゴリラの生息地として一躍有名になり、1979年には世界遺産に指定されます。1980年代は、ゴリラや河馬や象などの野生動物に惹かれた、元気で懐具合も悪くない旅行者で賑わい、観光収入も上昇したのですが、その後の戦乱でそうした観光業も衰退に向かいました。
 ビルンガの野生ゴリラに世界の注目を差し向けたのはカリフォルニア出身の女性動物学者ダイアン・フォッシー(1932-1985)です。東アフリカを活動拠点とした有名な古代人類学者ルイス・リーキー(この人の息子のリチャード・リーキーについては後で取り上げます)の世話で、1966年、ビルンガ国立公園の野生ゴリラの調査研究を始めたダイアン・フォッシーは、コンゴの治安が悪化したため、ビルンガ山のルワンダ側に居所を移し、そこで長い間の辛抱強い努力に末、ゴリラたちと親しくなることに成功し、獰猛そのものと思われていた野生ゴリラたちと一緒にいる所を写した写真を発表して全世界を驚かせ、それまでのゴリラのイメージを一変させてしまったのです。その一枚では、強そうなゴリラが背後から彼女の首筋に触れています。ダイアン・フォッシーは烈しい気性の持ち主で、野生ゴリラ見物がお目当ての観光旅行や動物園向けのゴリラの捕獲に断固として反対しました。1985年、彼女はルワンダの住居で惨殺されますが、そうした彼女の主張が死因となったのではないかと考えられています。
 さて、冒頭に言及したワシントン・ポストの記事は1年以上前の日付、これを今になって問題にする理由は幾つかあります。その一つはNHKのテレビ番組『エコ大紀行』で若いNHKの記者さんがビルンガ山のマウンテン・ゴリラを見に行った映像を、偶然、見たことです。(私はあまりテレビを見ません)この頃は大変なエコばやりで、環境保護、自然保護、希少動物保護、どれも原則的には大事なこと、ひねくれたイチャモンをつけるのは好ましいことではありませが、私個人としては、あれこれ引っかかる所が多いことを白状しておきます。『エコ大紀行』は担当の若いNHKの記者さんが世界中で企画されている「エコ・ツアー」の中から適切なものを選択して参加する方式をとっているようですが、私は20年ほど前の一つの経験以来、どうもこの「エコ・ツアー」なるものが素直には受け入れられなくなっています。ダイアン・フォッシーの死因は未だに霧に包まれていますが、野生ゴリラをアトラクションにする「エコ・ツアー」に断固反対したことが死因であったかもしれないと言われていることは先述の通りです。
 20年ほど前のことになりますが、カナダで知り合いだった裕福な整形外科医のご夫婦が南極大陸の「エコ・ツアー」に参加し、その報告パーティーに出席しました。奥さんは写真撮影が大の趣味で、勿論、南極で撮った数々の作品のスライド・ショーがありました。この「エコ・ツアー」の旅費の報告はありませんでしたが、私などには縁のない額であったと思われます。しかし、高いから悪い、誰でも行ける安さなら良いという問題ではなく、何だか「エコ・ツアー」というものの現実的本質が妙にうさん臭く思えてきたのでした。私は、幼い頃、アフリカのサバンナでライオンや象や犀や河馬などの野獣をこの目で見ることが大きな夢でした。夢が少年の心に食い込みすぎて、巨大な犀に追いかけられる怖い夢にうなされる夜もありました。NHKのゴリラ見物の番組では公園のレーンジャー(監視員)と思われる黒人が4、5人の参加者を案内していましたが、主に白人の若者たちで、参加費は500米ドルだが、野生のゴリラを見ることが出来るのだから高くないという意見のようで、私も子供の頃の夢を思い出しながら「案外安いな」とも思いましたが、その一方で、「このガイドの黒人の日当はいくらだろう」と、つい余計なことも考えました。おそらく10ドルは出ますまい。
 また、道草を食ってしまいました。次回からの議論の材料として、2007年7月22日のワシントン・ポストの記事の始めの部分を原文で引用し、続いて、訳注を試みます。ひと頃、「語り口」という表現がよく使われましたが、この1年前の新聞記事については、ただ「ああそうか」と読み流すのではなく、その「語り口」によく耳を澄ますことが肝要です。「行間」を読むというのと少し違います。何か伏せられているものを紙背に徹する眼光で見破るというよりも、記事を書いた記者がレトリカルに力を入れている部分から記事全体が狙っている効果を察知する必要があるということです。
■ In an Eastern Congo Oasis, Blood Amid the Greenery
In Africa’s Oldest National Park, Gorillas Are Being Killed and Their Guardians Are Endangered, Too.
By Stephanie McCrummen, Washington Post Foreign Service, Sunday, July 22, 2007: A01
VIRUNGA NATIONAL PARK, Congo ?? They heard the gunshots around 3 p.m., at least two pops that echoed across the green mountains of this vast park tangled up vines, fallen trees and years of war.
The park rangers knew immediately what it was, they said, and in their frayed uniforms and rubber boots, they began hacking their way with machetes into the jungle-like forest. This time, it was Rubiga.
The rare mountain gorilla had been shot execution-style -- once in the back of the head and a second time in the hand. When the rangers found her hulking, lifeless body, her 2-month-old baby, barely alive, was still clinging to her chest.
“Everyone just started crying,” recalled Jean-Marie Serundori, who helped wrap the body in plastic sheeting and carry it down the steep mountainside on a wooden stretcher. “We love these gorillas.”
The killing of Rubiga last month was only the most recent instance of carnage inside Africa’s oldest national park, a place that displays to varying degrees all the chaos and hope that Congo has to offer.
Like everyone else in this troubled country, the rangers here are struggling day by day to establish some sort of order following one of the worst wars in modern history, a conflict that left an estimated 4 million people dead and already weak state institutions near total collapse.
Like thousands of government workers across Congo, they are doing so despite having not been paid in more than a decade. And like most living in this eastern region bordering Rwanda and Uganda, the rangers are carrying on amid a sordid mess of militias and other groups whose interest in Congo’s minerals, timber and other natural resources are best served by perpetuating chaos.
・・・・・ . (ビルンガ国立公園、コンゴ--午後3時頃銃声が聞こえた。少なくともバンバンと二発、木々にからまる長い蔓、倒木、そして何年もの戦乱で、乱れもつれたこの広大な公園の緑の山々に木霊した.・・・
その希少山岳ゴリラは処刑スタイルで射殺されていた--一度目は後頭部、二度目は手。レーンジャーたちが彼女のでっかい、命の絶えた体を見つけた時、生まれて2ヶ月の赤ん坊が、彼女の息も絶え絶えに、まだ母親の胸にすがりついていた。
“誰もがただ泣き出した”とジャン-マリーセルンドリは回想する。彼女はゴリラの体をビニール・シートに包み、木製の担架にのせて、険しい山腹を運び下る手伝いをしたのだ。“私たちはゴリラを愛しているの。”
先月のルビガ殺しはアフリカ最古の国立公園内の大殺戮の最近の一例というに過ぎない。ここは、多様な度合いで、コンゴが提供するあらゆる混乱と希望が露呈している場所なのである。
この苦悩の中にある國のほかの人々と同じく、ここのレーンジャーたちは、現代史で最悪の戦争の一つを経験した後、何らかの秩序を打ち立てるために日々奮闘している。その紛争で推定4百万人が死亡し、もともと弱体化していた国家的施設はほとんど全面的崩壊の状態に放置された。
コンゴ中の何千もの政府職員と同様、十年以上も給料を払ってもらっていないのに、レーンジャーたちはこうして仕事をしている。しかも、ルワンダとユガンダと境を接する東部地域に住む殆どの人々と同じく、レーンジャーたちは、コンゴの鉱物や木材やその他の自然資源から利益を挙げるには混乱を永続させるのが一番良いと踏んでいる民兵組織やその他のグループが跳梁するごたごたの真っただ中で、頑張っているのである。)■
上に訳出したのは記事のはじめの部分だけで、全体はこの5倍ほどの長さがあります。この後には、(1)度重なるゴリラ殺しは公園監視員(レーンジャーたち)の仕事を妨害破壊するのを目的としているように思われること、(2)2007年秋の3ヶ月間に、自動小銃AK-47 を振り回す民兵たちがエドワード湖(公園の東部にあります)で何千という河馬(thousands of hippos)を殺し、湖水は赤に染まったこと、そして、この大屠殺は金が目当てで、一匹の肉に300米ドルの値がつくこと、(3)ここ数年、パーク・レーンジャーたち自体が虐殺の目標となり、150人以上がすでに犠牲になっていることなどが書かれています。戦乱は2004年に沈静化し、2007年には40年間で初めての選挙も行われましたが、ビルンガ国立公園の内外の状況は依然として危険に満ちた不安定な状態です。それにもかかわらず、今年の1月、向こう見ずの自然保護団体ワイルドライフディレクト(WildlifeDirect)とフランクフルト動物園協会が公園に乗り込んで来ました。[ 以下の英文の註] swashbuckling(向こう見ずの、命知らずの)、notorious militia (悪名高い民兵集団)、satellite dish(皿型の衛星受信アンテナ)、beleaguered(困難に取り囲まれた)、 Frankfurt Zoological Society(zoology は動物学を意味しますが、この協会は動物学研究の学術団体ではなく、フランクフルトの動物園を運営している組織ですので、上に「フランクフルト動物園協会」と訳出しました。1858年の創設で昔からアフリカの野生動物に強い関わりを持ち続けている団体です):
■ Despite the persistent insecurity, WildlifeDirect, a swashbuckling conservation group, and the Frankfurt Zoological Society managed in January to become the first conservation organizations to set foot in the park since fighting began in 1994. Members built a small, tented camp on a site occupied until recently by one of the most notorious militias in eastern Congo. They set up a satellite dish and began distributing boots, radios and other equipment to the beleaguered rangers, some of whom have begun blogging from the wilderness. ■
次には記事の終りの部分を引用し、訳を付けます。
■ More gorillas have been killed during the past year in Virunga National Park than are known to have been killed during the worst years of the war. With only around 700 mountain gorillas left in the world ?? more than half of them in Virunga National Park ?? each death equates to something like a massacre. The hippo population in the park declined from 28,000 to fewer than 350, according to conservation groups.
“These killing are part of a worrying trend,” said Emmanuel de Merode, who co-founded WildlifeDirect with the paleoanthropologist Richard Leakey. “We are not sure exactly why, but we are extremely concerned the situation is getting worse.”
Even so, the rangers keep working with the hope that if the fighting ever stops, the park might again attract tourists; in neighboring Rwanda, gorilla - viewing is a multimillion-dollar-a-year business. (ビルンガ国立公園では、昨年一年間の方が、戦争の最悪の年々よりももっと多くのゴリラが殺されている。世界には僅かに約700匹の山岳ゴリラしか残っていないことを考えれば--その半分以上はビルンガ国立公園にいる--一匹死ぬということは大虐殺にも似たことだ。自然保護団体によれば、公園の河馬の数はかつての28000から350以下になっている。古代人類学者リチャード・リーキーとともにWildlifeDirectを創設したエマニュエル・ド・ムロードはこう言っている。“こうした殺戮は憂慮すべき傾向の一部だ。何故こうなのかはっきり分からないのだが、我々は状況が悪化に向かっていることを極めて重視している。”ともあれ、レーンジャーたちは、もしも戦乱が止まれば、公園は再び観光旅行者たちを呼び込めるかも、という希望に励まされて、働き続けている。となりのルワンダでは、ゴリラ見物旅行は一年間に何百万ドルももたらすビジネスなのだ。)■
 私はこの記事を1年前に読んだのに、直ぐにではなく、1年後の今になって、取り上げようとしている理由を説明しなければなりますまい。最も大きな理由はワシントン・ポストにこの記事が出てからほぼ10日後のZNet サイトに現われたKeith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberという人の
<Gorillas “Executed” Stories front for Privatization and Militarization of Congo Parks, Truth of Depopulation Ignored>
という激烈な発言を読んで衝撃を受けたことです。ワシントン・ポストの記事を、初め、私は珍しくもない動物愛護系統の新聞記事として読みました。野生動物を殺して一儲けしようと試みる人間は昔からいました。poach, poacher という悪い意味を持つ言葉は昔からよく使われ、コンラッドの『闇の奥』のクルツも、いや、この小説に登場する白人たちの殆どすべてはポーチャー(密猟者、人の縄張りへの侵入者)と言うことが出来ます。この新聞記事は、アフリカにはびこる怪しからぬポーチャーたちと、それに立ち向かってアフリカの貴重な野生動物を護る現地人たちとそれを助けるために身の危険も顧みず国立公園に乗り込んでゆく白人の自然保護団体についての美談として、多くの人々に訴えるところがあったと思います。
 ところが、Keith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberは、この記事がコンゴの国立公園の私物化と武装化を進めるために意図的に書かれたものだと、上掲の論考で主張しました。その主張の意外性とその烈しさの前で私は戸惑いましたが、それから1年経った今は、スノウさんたちの言うことにはかなりの真実が含まれていると考えるようになっています。次回から、その理由の説明をはじめます。

藤永 茂 (2008年9月3日)


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