日本では2006年1月に初公開された映画『ホテル・ルワンダ』は、1994年アフリカ中部のコンゴ共和国の東に隣接するルワンダ共和国で起こったジェノサイド(民族大虐殺、ジェノはギリシャ語で人種)、多数民族フツと少数民族ツチの間で発生した百万人規模の大虐殺事件の際、ベルギー系の高級ホテルの有能なフツ人のホテル副支配人が虐殺の的になったツチ族1200人を救ったという実話に基づいています。この映画を観て感動なさった人々も多いと思います。私もその一人だったのですが、ネット上で観客の感想の数々を、いま、読み返してみると何ともやりきれない気になります。昔はフツ族とツチ族は何とかうまく共存していたが、ベルギーがあたりを植民地にしてから統治の便宜上、少数派のツチ族に多数派のフツ族を支配させる形で両族対立の政策をとったため、独立後にフツ族がツチ族に襲いかかる惨劇が起きた--というのが当時の通説であったと思います。そういう要素もあったのでしょうが、しかし、現在では、それから随分ずれたところに事件の本質があったことが全面的に明らかになって来ています。我々は騙されていたようです。あの映画は我々を騙すつもりで製作されたのではないのですが、結果的にはそうなったのです。
2008年8月20日のブログで、私は「世界の紛争地点で、アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体を少し詳しく調べてみると、それまでマスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます」と書き、その応用例の一つとして、ルワンダのポール・カガメ大統領とルワンダ愛国戦線(RPF) を挙げました。映画『ホテル・ルワンダ』が制作されてから3年後の2006年1月、つまり、我々日本人観客があの映画を観て感激していた丁度その頃に、映画の中での英雄(ホテル副支配人)である(黒人俳優ドン・チードルが好演)実在の人物ポール・ルセサバジナは、カガメ大統領を1994年のルワンダ大虐殺事件の首謀者として、戦争犯罪人として告訴すべきであるという公開書簡を発表していたのです。映画の中のルセサバジナを想起して下さい。あの人間として素晴らしい男が、動かぬ証拠を揃え、怒りをこめて、ポール・カガメを告発したのです。事件当時の国連事務総長ブトロス・ガリは、1996年に事務総長の第2期に進むことをアメリカ合州国の拒否権行使によって阻止されましたが、彼はルワンダ大虐殺の責任は100%アメリカにあるという見解を表明しました。こうしたことは当時の我々の耳には何も届きませんでしたが。
ここで、隣国コンゴの歴史を駆け足で復習します。1960年ベルギーから独立したコンゴ共和国が生まれましたが、独立運動を推進したルムンバ首相が1961年にアメリカのCIAの主導で暗殺されて動乱状態となり、1965年クーデターでモブツが大統領に就任、それから30年間、アメリカ歴代大統領の祝福のもとで、モブツの暴力と腐敗に満ちた反共独裁政治が続きますが、ソ連の崩壊とともに利用価値を失ったモブツをアメリカが見捨てたため、1996年、ローラン・カビラの率いるコンゴ国内の民主勢力に加えてルワンダとウガンダの軍隊が国外から攻め入って、モブツ政権は崩壊しました。これが第一次コンゴ戦争です。その結果、1997年、ローラン・カビラ大統領のもとで、コンゴ民主共和国が発足しますが、ルワンダのカガメ大統領の勢力が侵略行動を続けたため、1998年、また戦争が始まります。これが第二次コンゴ戦争です。ここで、ジンバブエのムガベ大統領の登場です。やっと出来たばかりのコンゴ民主共和国をルワンダとウガンダの侵略軍が潰しにかかったものですから、ローラン・カビラは南部アフリカ14カ国が加盟する同盟体SADC(Southern Africa Development Community) に応援を求めます。SADCはこの求めに応じ、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラの三国がコンゴ民主共和国に援軍を出兵しました。このジンバブエのムガベ大統領のコンゴ派兵を境に、米英のムガベ大統領打倒の動きがはっきりと表面化します。前回にもお話しした野党組織MDCが米英の肝いりで設立されたのは1999年でした。それから10年間、米英の猛烈なムガベたたきが続いている訳です。前々回のブログで取り上げた「カメルーン声明」にもありますように、アフリカのことはアフリカ人の力で何とか解決しようと努力しているのは、またしても、SADCであることに注目して下さい。
映画『ホテル・ルワンダ』に描かれた1994年のルワンダ大虐殺から、第一次、第二次コンゴ戦争、それにジンバブエをめぐる状況は、複雑怪奇を極めているように見えますが、一つの核心の事実に着目すると案外見通しがよくなります。それは、ことの始めから、つまりルワンダ大虐殺の頃から、ウガンダ出身でツチ族の男、ポール・カガメの背後にはアメリカがいたということ、その後この男はルワンダの大統領となって、ルワンダ、ウガンダを含む東部コンゴ周辺を支配していますが、今日まで一貫してカガメ大統領が米英の権益を代表しているという厳然たる事実です。これが分かれば、カガメに楯つく者は米英の敵ということですから、SADC の意向に添ってコンゴに出兵したジンバブエのムガベは米英の敵になってしまったわけでした。
「いやいや事態はそんな簡単なことではなかった」という声が、米英寄りのアフリカ通の人々からしきりに聞こえて来るような気がします。しかし、私なりに、いろいろ読み、あれこれ迷い、考え続けて来た結果として到達した上記の結論には、ほぼ間違いはないものと私は思っています。1996年と1998年のルワンダとウガンダのコンゴ侵攻は、結果的に、約6百万のコンゴ人の死をもたらしました。国連はコンゴ戦争を第二次世界大戦後の最大の戦争災害としています。世界の先進国の垂涎の的である天然資源を豊富に抱えた地域に住んでいるというだけの理由で、コンゴの人々は19世紀の末と20世紀の末の2度も、数百万の人命損失という、「ホロコースト」と呼ぶにふさわしい災難に襲われました。世界中の人々は、コンゴ人の受難の歴史をもっともと強く意識すべきではありますまいか。
外国勢力によるコンゴの資源収奪をめぐる情勢については、2001年以降、国連から調査報告書が発行され、最近では2008年の12月に長文の調査報告書(総頁127)が出版されました。この報告書の一番の要点は、現在、コンゴ東部、東南部の資源地帯での最も有力な現地勢力であるCNDP(National Congress for the Defense of the People) とその指導者ローラン・ヌクンダの正体を見極めようとしていることにあります。米英仏の強い影響下にある国連のこうした調査委員会が書くことの出来る文章の意味するところを読むには紙背に徹する眼光が必要ですが、このCNDPに関しては、報告書の意味するところは明白です。CNDPの原語はフランス語ですが、「人民擁護のための国民会議」とは、何処の国民が何処の人々を守るのか、まったく何のことやらわからない、実にうさん臭い団体名です。しかし、その正体は、ルワンダの独裁者ポール・カガメ大統領が操っているコンゴ内現地勢力であることに間違いありません。ポール・カガメがアメリカやイギリスのお気に入り(ダーリング!)であるとは、勿論、国連の調査報告書には書いてありませんが、これは公然の事実です。興味のある方はお調べ下さい。
映画『ホテル・ルワンダ』から感銘を受けた映画ファンの方々に、もう一つ、つらいことを申し上げます。あのホテルでローカルに起ったことは本当だったと思われますが、多数民族フツ族が約1百万人の少数民族ツチ族を鉈や鍬などで惨殺したという1994年のルワンダ大虐殺の半分はポール・カガメのでっち上げである可能性が十分あるようなのです。
1990年10月、ウガンダ軍とルワンダ愛国戦線(RPF, Rwandan Patriotic Front)の軍隊がポール・カガメの指揮の下、ルワンダに侵攻します。これが中央アフリカで数百万人の人命が戦火で失われる悲劇の歴史の始まりでした。それからのことを詳しくお話する余裕は今ありません。しかし、次の三つの事実、つまり、ポール・カガメはツチ族であること、ルワンダはフツ族が多数を占める國であること、1994年のクーデターでルワンダの政権を握ったポール・カガメの独裁的権力は、アメリカとイギリスの手厚い支持によって、今日まで一度も揺るがないどころか、中部アフリカで最も安定した成長をつづけていること、を認識するだけで、「どうも臭うなあ」と思うのが当然ではありませんか?
次回には、この「1994年のルワンダ・ジェノサイド」と、オバマ大統領の以前からのお気に入りの女性論客サマンサ・パウアーのことをお話します。
藤永 茂 (2009年3月25日)
2008年8月20日のブログで、私は「世界の紛争地点で、アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体を少し詳しく調べてみると、それまでマスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます」と書き、その応用例の一つとして、ルワンダのポール・カガメ大統領とルワンダ愛国戦線(RPF) を挙げました。映画『ホテル・ルワンダ』が制作されてから3年後の2006年1月、つまり、我々日本人観客があの映画を観て感激していた丁度その頃に、映画の中での英雄(ホテル副支配人)である(黒人俳優ドン・チードルが好演)実在の人物ポール・ルセサバジナは、カガメ大統領を1994年のルワンダ大虐殺事件の首謀者として、戦争犯罪人として告訴すべきであるという公開書簡を発表していたのです。映画の中のルセサバジナを想起して下さい。あの人間として素晴らしい男が、動かぬ証拠を揃え、怒りをこめて、ポール・カガメを告発したのです。事件当時の国連事務総長ブトロス・ガリは、1996年に事務総長の第2期に進むことをアメリカ合州国の拒否権行使によって阻止されましたが、彼はルワンダ大虐殺の責任は100%アメリカにあるという見解を表明しました。こうしたことは当時の我々の耳には何も届きませんでしたが。
ここで、隣国コンゴの歴史を駆け足で復習します。1960年ベルギーから独立したコンゴ共和国が生まれましたが、独立運動を推進したルムンバ首相が1961年にアメリカのCIAの主導で暗殺されて動乱状態となり、1965年クーデターでモブツが大統領に就任、それから30年間、アメリカ歴代大統領の祝福のもとで、モブツの暴力と腐敗に満ちた反共独裁政治が続きますが、ソ連の崩壊とともに利用価値を失ったモブツをアメリカが見捨てたため、1996年、ローラン・カビラの率いるコンゴ国内の民主勢力に加えてルワンダとウガンダの軍隊が国外から攻め入って、モブツ政権は崩壊しました。これが第一次コンゴ戦争です。その結果、1997年、ローラン・カビラ大統領のもとで、コンゴ民主共和国が発足しますが、ルワンダのカガメ大統領の勢力が侵略行動を続けたため、1998年、また戦争が始まります。これが第二次コンゴ戦争です。ここで、ジンバブエのムガベ大統領の登場です。やっと出来たばかりのコンゴ民主共和国をルワンダとウガンダの侵略軍が潰しにかかったものですから、ローラン・カビラは南部アフリカ14カ国が加盟する同盟体SADC(Southern Africa Development Community) に応援を求めます。SADCはこの求めに応じ、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラの三国がコンゴ民主共和国に援軍を出兵しました。このジンバブエのムガベ大統領のコンゴ派兵を境に、米英のムガベ大統領打倒の動きがはっきりと表面化します。前回にもお話しした野党組織MDCが米英の肝いりで設立されたのは1999年でした。それから10年間、米英の猛烈なムガベたたきが続いている訳です。前々回のブログで取り上げた「カメルーン声明」にもありますように、アフリカのことはアフリカ人の力で何とか解決しようと努力しているのは、またしても、SADCであることに注目して下さい。
映画『ホテル・ルワンダ』に描かれた1994年のルワンダ大虐殺から、第一次、第二次コンゴ戦争、それにジンバブエをめぐる状況は、複雑怪奇を極めているように見えますが、一つの核心の事実に着目すると案外見通しがよくなります。それは、ことの始めから、つまりルワンダ大虐殺の頃から、ウガンダ出身でツチ族の男、ポール・カガメの背後にはアメリカがいたということ、その後この男はルワンダの大統領となって、ルワンダ、ウガンダを含む東部コンゴ周辺を支配していますが、今日まで一貫してカガメ大統領が米英の権益を代表しているという厳然たる事実です。これが分かれば、カガメに楯つく者は米英の敵ということですから、SADC の意向に添ってコンゴに出兵したジンバブエのムガベは米英の敵になってしまったわけでした。
「いやいや事態はそんな簡単なことではなかった」という声が、米英寄りのアフリカ通の人々からしきりに聞こえて来るような気がします。しかし、私なりに、いろいろ読み、あれこれ迷い、考え続けて来た結果として到達した上記の結論には、ほぼ間違いはないものと私は思っています。1996年と1998年のルワンダとウガンダのコンゴ侵攻は、結果的に、約6百万のコンゴ人の死をもたらしました。国連はコンゴ戦争を第二次世界大戦後の最大の戦争災害としています。世界の先進国の垂涎の的である天然資源を豊富に抱えた地域に住んでいるというだけの理由で、コンゴの人々は19世紀の末と20世紀の末の2度も、数百万の人命損失という、「ホロコースト」と呼ぶにふさわしい災難に襲われました。世界中の人々は、コンゴ人の受難の歴史をもっともと強く意識すべきではありますまいか。
外国勢力によるコンゴの資源収奪をめぐる情勢については、2001年以降、国連から調査報告書が発行され、最近では2008年の12月に長文の調査報告書(総頁127)が出版されました。この報告書の一番の要点は、現在、コンゴ東部、東南部の資源地帯での最も有力な現地勢力であるCNDP(National Congress for the Defense of the People) とその指導者ローラン・ヌクンダの正体を見極めようとしていることにあります。米英仏の強い影響下にある国連のこうした調査委員会が書くことの出来る文章の意味するところを読むには紙背に徹する眼光が必要ですが、このCNDPに関しては、報告書の意味するところは明白です。CNDPの原語はフランス語ですが、「人民擁護のための国民会議」とは、何処の国民が何処の人々を守るのか、まったく何のことやらわからない、実にうさん臭い団体名です。しかし、その正体は、ルワンダの独裁者ポール・カガメ大統領が操っているコンゴ内現地勢力であることに間違いありません。ポール・カガメがアメリカやイギリスのお気に入り(ダーリング!)であるとは、勿論、国連の調査報告書には書いてありませんが、これは公然の事実です。興味のある方はお調べ下さい。
映画『ホテル・ルワンダ』から感銘を受けた映画ファンの方々に、もう一つ、つらいことを申し上げます。あのホテルでローカルに起ったことは本当だったと思われますが、多数民族フツ族が約1百万人の少数民族ツチ族を鉈や鍬などで惨殺したという1994年のルワンダ大虐殺の半分はポール・カガメのでっち上げである可能性が十分あるようなのです。
1990年10月、ウガンダ軍とルワンダ愛国戦線(RPF, Rwandan Patriotic Front)の軍隊がポール・カガメの指揮の下、ルワンダに侵攻します。これが中央アフリカで数百万人の人命が戦火で失われる悲劇の歴史の始まりでした。それからのことを詳しくお話する余裕は今ありません。しかし、次の三つの事実、つまり、ポール・カガメはツチ族であること、ルワンダはフツ族が多数を占める國であること、1994年のクーデターでルワンダの政権を握ったポール・カガメの独裁的権力は、アメリカとイギリスの手厚い支持によって、今日まで一度も揺るがないどころか、中部アフリカで最も安定した成長をつづけていること、を認識するだけで、「どうも臭うなあ」と思うのが当然ではありませんか?
次回には、この「1994年のルワンダ・ジェノサイド」と、オバマ大統領の以前からのお気に入りの女性論客サマンサ・パウアーのことをお話します。
藤永 茂 (2009年3月25日)