私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ジンバブエの脱構築(4)

2009-03-25 11:13:11 | 日記・エッセイ・コラム
 日本では2006年1月に初公開された映画『ホテル・ルワンダ』は、1994年アフリカ中部のコンゴ共和国の東に隣接するルワンダ共和国で起こったジェノサイド(民族大虐殺、ジェノはギリシャ語で人種)、多数民族フツと少数民族ツチの間で発生した百万人規模の大虐殺事件の際、ベルギー系の高級ホテルの有能なフツ人のホテル副支配人が虐殺の的になったツチ族1200人を救ったという実話に基づいています。この映画を観て感動なさった人々も多いと思います。私もその一人だったのですが、ネット上で観客の感想の数々を、いま、読み返してみると何ともやりきれない気になります。昔はフツ族とツチ族は何とかうまく共存していたが、ベルギーがあたりを植民地にしてから統治の便宜上、少数派のツチ族に多数派のフツ族を支配させる形で両族対立の政策をとったため、独立後にフツ族がツチ族に襲いかかる惨劇が起きた--というのが当時の通説であったと思います。そういう要素もあったのでしょうが、しかし、現在では、それから随分ずれたところに事件の本質があったことが全面的に明らかになって来ています。我々は騙されていたようです。あの映画は我々を騙すつもりで製作されたのではないのですが、結果的にはそうなったのです。
 2008年8月20日のブログで、私は「世界の紛争地点で、アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体を少し詳しく調べてみると、それまでマスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます」と書き、その応用例の一つとして、ルワンダのポール・カガメ大統領とルワンダ愛国戦線(RPF) を挙げました。映画『ホテル・ルワンダ』が制作されてから3年後の2006年1月、つまり、我々日本人観客があの映画を観て感激していた丁度その頃に、映画の中での英雄(ホテル副支配人)である(黒人俳優ドン・チードルが好演)実在の人物ポール・ルセサバジナは、カガメ大統領を1994年のルワンダ大虐殺事件の首謀者として、戦争犯罪人として告訴すべきであるという公開書簡を発表していたのです。映画の中のルセサバジナを想起して下さい。あの人間として素晴らしい男が、動かぬ証拠を揃え、怒りをこめて、ポール・カガメを告発したのです。事件当時の国連事務総長ブトロス・ガリは、1996年に事務総長の第2期に進むことをアメリカ合州国の拒否権行使によって阻止されましたが、彼はルワンダ大虐殺の責任は100%アメリカにあるという見解を表明しました。こうしたことは当時の我々の耳には何も届きませんでしたが。
 ここで、隣国コンゴの歴史を駆け足で復習します。1960年ベルギーから独立したコンゴ共和国が生まれましたが、独立運動を推進したルムンバ首相が1961年にアメリカのCIAの主導で暗殺されて動乱状態となり、1965年クーデターでモブツが大統領に就任、それから30年間、アメリカ歴代大統領の祝福のもとで、モブツの暴力と腐敗に満ちた反共独裁政治が続きますが、ソ連の崩壊とともに利用価値を失ったモブツをアメリカが見捨てたため、1996年、ローラン・カビラの率いるコンゴ国内の民主勢力に加えてルワンダとウガンダの軍隊が国外から攻め入って、モブツ政権は崩壊しました。これが第一次コンゴ戦争です。その結果、1997年、ローラン・カビラ大統領のもとで、コンゴ民主共和国が発足しますが、ルワンダのカガメ大統領の勢力が侵略行動を続けたため、1998年、また戦争が始まります。これが第二次コンゴ戦争です。ここで、ジンバブエのムガベ大統領の登場です。やっと出来たばかりのコンゴ民主共和国をルワンダとウガンダの侵略軍が潰しにかかったものですから、ローラン・カビラは南部アフリカ14カ国が加盟する同盟体SADC(Southern Africa Development Community) に応援を求めます。SADCはこの求めに応じ、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラの三国がコンゴ民主共和国に援軍を出兵しました。このジンバブエのムガベ大統領のコンゴ派兵を境に、米英のムガベ大統領打倒の動きがはっきりと表面化します。前回にもお話しした野党組織MDCが米英の肝いりで設立されたのは1999年でした。それから10年間、米英の猛烈なムガベたたきが続いている訳です。前々回のブログで取り上げた「カメルーン声明」にもありますように、アフリカのことはアフリカ人の力で何とか解決しようと努力しているのは、またしても、SADCであることに注目して下さい。
 映画『ホテル・ルワンダ』に描かれた1994年のルワンダ大虐殺から、第一次、第二次コンゴ戦争、それにジンバブエをめぐる状況は、複雑怪奇を極めているように見えますが、一つの核心の事実に着目すると案外見通しがよくなります。それは、ことの始めから、つまりルワンダ大虐殺の頃から、ウガンダ出身でツチ族の男、ポール・カガメの背後にはアメリカがいたということ、その後この男はルワンダの大統領となって、ルワンダ、ウガンダを含む東部コンゴ周辺を支配していますが、今日まで一貫してカガメ大統領が米英の権益を代表しているという厳然たる事実です。これが分かれば、カガメに楯つく者は米英の敵ということですから、SADC の意向に添ってコンゴに出兵したジンバブエのムガベは米英の敵になってしまったわけでした。
 「いやいや事態はそんな簡単なことではなかった」という声が、米英寄りのアフリカ通の人々からしきりに聞こえて来るような気がします。しかし、私なりに、いろいろ読み、あれこれ迷い、考え続けて来た結果として到達した上記の結論には、ほぼ間違いはないものと私は思っています。1996年と1998年のルワンダとウガンダのコンゴ侵攻は、結果的に、約6百万のコンゴ人の死をもたらしました。国連はコンゴ戦争を第二次世界大戦後の最大の戦争災害としています。世界の先進国の垂涎の的である天然資源を豊富に抱えた地域に住んでいるというだけの理由で、コンゴの人々は19世紀の末と20世紀の末の2度も、数百万の人命損失という、「ホロコースト」と呼ぶにふさわしい災難に襲われました。世界中の人々は、コンゴ人の受難の歴史をもっともと強く意識すべきではありますまいか。
 外国勢力によるコンゴの資源収奪をめぐる情勢については、2001年以降、国連から調査報告書が発行され、最近では2008年の12月に長文の調査報告書(総頁127)が出版されました。この報告書の一番の要点は、現在、コンゴ東部、東南部の資源地帯での最も有力な現地勢力であるCNDP(National Congress for the Defense of the People) とその指導者ローラン・ヌクンダの正体を見極めようとしていることにあります。米英仏の強い影響下にある国連のこうした調査委員会が書くことの出来る文章の意味するところを読むには紙背に徹する眼光が必要ですが、このCNDPに関しては、報告書の意味するところは明白です。CNDPの原語はフランス語ですが、「人民擁護のための国民会議」とは、何処の国民が何処の人々を守るのか、まったく何のことやらわからない、実にうさん臭い団体名です。しかし、その正体は、ルワンダの独裁者ポール・カガメ大統領が操っているコンゴ内現地勢力であることに間違いありません。ポール・カガメがアメリカやイギリスのお気に入り(ダーリング!)であるとは、勿論、国連の調査報告書には書いてありませんが、これは公然の事実です。興味のある方はお調べ下さい。
 映画『ホテル・ルワンダ』から感銘を受けた映画ファンの方々に、もう一つ、つらいことを申し上げます。あのホテルでローカルに起ったことは本当だったと思われますが、多数民族フツ族が約1百万人の少数民族ツチ族を鉈や鍬などで惨殺したという1994年のルワンダ大虐殺の半分はポール・カガメのでっち上げである可能性が十分あるようなのです。
 1990年10月、ウガンダ軍とルワンダ愛国戦線(RPF, Rwandan Patriotic Front)の軍隊がポール・カガメの指揮の下、ルワンダに侵攻します。これが中央アフリカで数百万人の人命が戦火で失われる悲劇の歴史の始まりでした。それからのことを詳しくお話する余裕は今ありません。しかし、次の三つの事実、つまり、ポール・カガメはツチ族であること、ルワンダはフツ族が多数を占める國であること、1994年のクーデターでルワンダの政権を握ったポール・カガメの独裁的権力は、アメリカとイギリスの手厚い支持によって、今日まで一度も揺るがないどころか、中部アフリカで最も安定した成長をつづけていること、を認識するだけで、「どうも臭うなあ」と思うのが当然ではありませんか?
 次回には、この「1994年のルワンダ・ジェノサイド」と、オバマ大統領の以前からのお気に入りの女性論客サマンサ・パウアーのことをお話します。

藤永 茂 (2009年3月25日)


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ジンバブエの脱構築(3)

2009-03-18 08:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 前回と前々回で述べた通り、2008年の暮れに『ジンバブエの教訓』と題する「マムダーニ論文」、これに対する攻撃的な批判論文「スカーネッチャ・アレクサンダー論文」、さらに、Patric Bond、Horace Campbell、David Johnson の論文がジンバブエ論争に加わりました。2009年2月になると、マムダーニ論文の基礎になっているジンバブエ在住の著名な農政学者モヨが詳細に議論を展開する長い論文を発表しました。モヨはジンバブエ問題をめぐっての突然の論争の盛り上がりを歓迎しています。なぜ今なのか? 2008年の11月から12月にかけて、「ジンバブエの人民を気が狂った暴君ムガベから救ってやらなければ」という理由の下で、軍事介入に踏み切る動きがアメリカとイギリスで急に目立って来たことがその主要なきっかけでした。この危険な動きを牽制するために、アフリカの学者200名が署名した「カメルーン声明」と、これもアフリカ人多数が署名した「ジンバブエ国民への公開書簡」が出されました。
 この突然の騒ぎを私の視点から見ると、ジンバブエの問題は、私のような片手間の「アフリカ・ウォッチャー」が考えるよりも、遥かに根が深いことが見えて来たように思われます。前回で「ムガベに取り憑いている白人吸血鬼」と呼んだ男たちのことを今回は少しお話ししましょう。
 John Bredenkamp のことは、上に名前をあげたHorace Campbellの論文で知ったのですが、どうも前にも何処かでお目にかかったと思ってファイルを調べてみると、2008年7月31日の英国の Financial Times 紙に、 BAE Systems (British Aerospace Systems) という英国の兵器製造会社の数カ国にわたる贈賄行為の調査に関する記事のコピーを取っていて、その中に、John Bredenkampの名がありました。BAE Systemsから大量の武器をムガベ政府に購入させた「死の商人」がこの男でした。彼は南アフリカ政府にもBAEが関与した軍用航空機を売り込んだり、また、コンゴ共和国の鉱山業にも手を出したりしています。ウィキベディアによると、1940年南アで生まれたオランダ系白人で、ジンバブエの前身であるイアン・スミスのローデシア時代から時の権力者に取り入り、ローデシアに対して国際社会がとった経済封鎖措置をうまくくぐり抜ける密輸入行為に長けた人物であったようです。彼はまたアメリカ合州国のそとでは最大のタバコ販売業者でもあります。
 私の関心事は、しかし、ハリウッド映画にも出て来そうなこうした国際的な大悪漢たちそのものにあるのではありません。John Bredenkamp という一つの名前の奥に見えてくる幾つかの事実の方が遥かに重大な意義があります。その第一は、1960年代以降、アフリカの諸国が次々にヨーロッパの植民地支配から脱却して独立したように見えた時期に、“独立”した諸国政府にどのような形で、どのような人数の白人たちが食い込んだか、という問題です。少し物理の力学の言葉使いをすれば、いわゆるポストコロニアル時代の出発の初期条件はどのように設定されていたか?-という問題です。ニュートン力学の初等の演習問題を解いてみたことのある人なら誰でもご存知ですが、初期条件であとの運動は決まってしまいます。ですから一つの力学系の径時的な進行を理解するためには、どのような初期条件のもとでその系が運動を始めたかを知ることが必須になります。もちろん、アフリカで独立を達成した黒人国は、単純な孤立ニュートン力学系ではありません。しかし、独立後の動向を理解しようとする時、その初期条件に重大な見落としがあれば、その國のその後の歴史的展開の理解や見通しが極めて困難になることは明らかです。ジンバブエの場合、ローデシア時代から連続して、独立黒人政府の「獅子身中の虫」として悪性の真田虫のように体内に残存し続けた白人のよい例がJohn Bredenkampです。
 南アフリカ、ジンバブエ、コンゴを含めた地域で兵器売買と貴金属やダイヤモンドの鉱山権をめぐって暗躍を続けているBilly Rautenbachという男は年齢的にまだ若いので、これらの国々の独立後に活動を始めたのでしょうが、アフリカ諸国がこうした白人たちにかき回されている境界条件もよく調べ上げなければなりません。またこの種の、私たち一般の人間には見え難い外的勢力による攪乱という意味では、Fana Hlongwane なども数え上げなければなりません。この国際的プレイボーイは黒人(たぶん混血)ですが、コンドリーザ・ライスが黒人であるのと同じ意味で、この悪漢が南ア、ジンバブエ、コンゴにとって悪しき外人勢力であることは確かです。
 次にトレバー・マニュエル(Trevor Manuel)、これはいかがわしい名前ではありません。それどころか、本年1月のスイスでのダボス会議でマニュエルさんと同席した竹中平蔵さんをはじめ、日本の財政金融関係の人々ならば、ほぼ必ず知っている名前でしょう。Trevor Manuel は、1996年、南アフリカの初代大統領ネルソン・マンデラ内閣の財務大臣に任命されてから、次代大統領ムベキの下でもその地位を保ちましたが、ムベキが政敵ズーマに押し負かされて、2008年9月21日、大統領を辞任したのに従って、9月23日、トレバー・マニュエルも財務大臣辞任の意向を表明しました。ところがこの発表で南アフリカの株式市場が暴落し、それを見た彼は、二日後の9月25日、ズーマ大統領下の新内閣でも財務大臣の地位に就くことに同意しました。それほど、つまり、大統領が交替しても、トレバー・マニュエルの財務大臣の地位は揺るがないほど、南アフリカにとって掛け替えのない存在だということです。ダボスの世界経済フォーラムで竹中さんの隣りに座っていたのも象徴的ですが、この十年間世界経済の流れを支配して来た新自由主義的経済政策推進の重要なリーダーの一人であったわけです。しかし、この所、南アフリカでは貧富の格差が極端に広がり、治安もひどく悪化し、来年のサッカーの世界選手権大会の開催を危ぶむ声さえ出ています。松本仁一氏も、どこかで、「南アフリカは失敗国家へ転落の一歩手前」といった意味のことを書かれていました。このトレバー・マニュエルの存在も、私の目には、アフリカ大陸に外から加えられている力の一部と見えます。
 ジンバブエに話を戻します。今度はムガベ大統領の政権を打倒するために1999年に結成された反対党MDC(Movement for Democratic Change) にまつわる白人の名前を挙げます。日本のマスコミに限らず、もし現在のジンバブエ情勢について論じようとするならば、MDC という組織の誕生の歴史まで是非にも戻って調べる必要があります。日本にもアフリカ研究の専門学者の集団があるのですから、ムガベに味方するか、MDC側の肩を持つかに関係なく、MDC の発祥について学問的に確かめられる事実を分かりやすく提供して一般のジャーナリストや私たち一般大衆を啓蒙してほしいと思います。MDCの創設には、英国政府が支持する団体Westminster Foundation と米国政府の外郭団体National Endowment for Demodracy (NED、これは大いに問題のある団体です!!)が関わっています。第一近似でいえば、MDCは英国と米国とローデシア時代にジンバブエの地に住んでいた白人たちのイニシアティブで出発した団体です。MDCの発足時から内部の要人であった、そして、今もそうである、白人の名前を三つ挙げます。David Coltart, Ian Kay, Roy Bennett。 Coltartはもとローデシア警察の幹部、King はもとローデシアの白人農場主団体の指導者の一人、Bennett はムガベの農地改革で農場を取り上げられてムガベに対する激しい怨念に燃えている人物です。この人物をめぐっての騒ぎがこの3月13日の英国のタイムズ紙の紙面を飾っています。その騒ぎはムガベとツァンギライの間の妥協でやっと誕生した統一政府(前回のブログで言及しました)を崩壊させることに決めたオバマ政権の方針を反映した事件です。
 このブログをここまで読んで下さった方々の中から、上掲のいくつかの名前に興味をもって調べてみて下さる方が少しでも出て下されば嬉しく思います。いまの私には、十分の時間をかけてこれらの人物が演じている役割をお話している余裕がありません。私の関心は、私のアフリカの原点であるコンゴ共和国の独立と崩壊の問題にどうしても戻ってしまいます。次回には、私の当初の予想を遥かに上回るジンバブエとコンゴの混乱状態の相互連関について報告したいと思います。

藤永 茂 (2009年3月18日)


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ジンバブエの脱構築(2)

2009-03-11 19:57:50 | 日記・エッセイ・コラム
 前回までのことをまとめます。ジンバブエという國の惨状は、ムガベという暴虐極まりない独裁者とその周辺の黒人特権層の腐敗がもたらしたものであり、ジンバブエ国民を救うには「政権変革(Regime Change)」以外には手段はない、というのが、一般の通念ですが、だいぶ以前から、私は、その断定に疑問を呈して来ました。昨年12月、英国の権威ある書評誌「ロンドン・レヴュー・オブ・ブックス」にマムダーニというアメリカのコロンビア大学の学者の『ジンバブエの教訓』という論文が掲載され、私が考えていたことが必ずしも間違っていなかったと、いささかほっとしたのですが、それを追っかけるように、同一のタイトルでマムダーニ論文をきびしく批判、いや、非難する論文が、ジンバブエ問題の専門学者35名の署名入りで、同じ雑誌に投稿されました。その要旨は「マムダーニはムガベ支持派の現地学者の主張を深く考えもせずに受け入れ、ムガベ側の宣伝に乗せられてしまった」というものです。二人の代表著者の名前をとって、この論文を「スカーネッチャ・アレクサンダー論文」と呼ぶことにします。マムダーニ論文と、それを直ちにきびしく反論したスカーネッチャ・アレクサンダー論文、この二つの論文の発表と重なるようにして、一つの政治的声明文が発表されました。国連の世界人権宣言60周年を記念してアフリカ各国からカメルーンに集まった学者200人が署名発表した、ジンバブエのムガベ大統領排除の目的で外部から軍事介入が行われることに反対する声明です。これを「カメルーン声明」と呼ぶことにします。この声明文は短いもので、前回にその抄訳を掲げましが、今回の議論の展開のためには前の抄訳の最初の(・・・・)の部分も訳出する必要があることに気が付きましたので、訳し直します。補填部分に出て来る国家間組織SADC については、後程、説明します。
「我々、下に署名するアフリカの学者は、表面は人権と人道的目的というみせかけの名における、ジンバブエへの軍事介入の脅威を大いに憂慮している。我々はジンバブエの政治的手詰まり状況とそれがもたらしている延々たる国民の苦難を十分に認識している。それ故にこそ、この手詰まり状況を政治的に解消するためにSADCが局地的に率先行動に出たことを、我々は評価する。窮状が平和的民主的に解消されるために、その政治的プロセスに行動的余裕と機会が与えられるべきであるというのが我々の見解である。政治的プロセスのみがジンバブエの人々に持続性のある決着に到達させることを可能にする唯一の道である。その政治的プロセスを省略して、代わりに暴力を使用することを、我々は強く非難する。」
アメリカとイギリスは、過去10年、ジンバブエに設立した子飼いの野党勢力団体MDC(Movement of Change) を通して、ムガベを失脚させて、MDC の指導者ツァンギライの政権を樹立する努力を続けて来ましたが、ムガベが暴力に訴えてまでして政権にしがみついて放さないものですから、とうとうしびれを切らしたアメリカは軍事介入の気配を示し始めたことは前回で説明しました。また、その一方で、アメリカは現地ジンバブエ周辺の南アフリカ諸国からなるSADC(South African Development Community) が、ムガベとツァンギライの対立関係を何とか緩和して、ジンバブエに両者の妥協による統一政権を樹立しようと、粘り強い努力を続けることに強い不快感を表明して来ました。統一政権が出来てしまえば、外からの干渉によるムカベの追い落としが困難になるからです。南アフリカの元大統領ムベキもジンバブエの統一政権の実現に執拗に努力した一人ですが、オバマ大統領は当選以前の2008年6月にツァンギライと話し合いを持ち、ムベキの努力の方向を非難するような声明を出したことがあります。
 ところが、2009年の1月末に、アメリカの意向に反して、上に部分抄訳したカメルーン声明が強く希望した通り、SADC の努力が遂に実を結んで、統一政権実現の見通しが確かめられました。このジンバブエをめぐる新事態は、反ムガベの立場の鮮明なスカーネッチャ・アレクサンダー論文と、その著者たちが「親ムガベ」だと決めつけるマムダーニ論文、それに中立的ながらも、SADC の政治的努力を要請したカメルーン声明の三つの発言をめぐる論戦(ポレミク)を燃え上がらせる結果をもたらしています。左翼的な論客であるPatrick Bond や Horace Campbell なども、ムベキ大統領の暴力行使を容認することが出来ず、スカーネッチャ・アレクサンダー論文の肩を持ち、マムダーニ論文のナイーブさを批判する論文を発表しましたが、これに対して、David Johnson はスカーネッチャ・アレクサンダー論文の35人の共著者はすべてアフリカ外の欧米系の学者であることを指摘し、その論旨の偏向をたしなめました。これに続いて、マムダーニ論文がその重要な論拠としたジンバブエの高名な農政学者であるらしいSam Moyo が長い論文を発表して、ジンバブエに関する最近のポレミック全般について、素人の私にとっても、極めて興味のある発言をしました。この「モヨ論文」と時を同じくして、激しい政治的発言で知られるアメリカの黒人論客Glen Ford がオバマ大統領のジンバブエ政策を痛烈に批判しました。その発言に引用されている「ジンバブエ国民への公開書簡」という文書はインターネットでひろく分布されているようですが、それは内容に賛同する黒人の署名を集めていて、2月末にすでに数十人の署名がありました。書簡の終りにはジンバブエの内政に干渉する諸外国に対する5項目の要求事項が掲げてあります。
「*経済制裁をやめよ。
*ジンバブエ原住民のための完全な農地改革を。
*民主的に選出された指導者を尊重せよ。
*人物の悪魔視をやめよ。
*ジンバブエから手を引け。」
この「ジンバブエ国民への公開書簡」は、スカーネッチャ・アレクサンダー論文の連名著者たちに言わせれば、ムガベ派の宣伝活動に一つということになるのでしょうが、「アフリカのことはアフリカ人が決める」という態度の表明としては先ほどのカメルーン声明と明白な共通点を持っていて、注目に値します。
 もう一つ、アフリカについての知識の浅いことを自白することになりますが、今まで私は、独裁者ムガベが知り合いの人間たちに土地や金を与えているという事を聞く度に、権力者に取り入るそれらの腐敗した人間たちは黒人だと決めてかかっていました。このブログの読者にもそう思い込んでいた方々がいらっしゃると思いますが、それは間違いです。ムガベに取り憑いている白人吸血鬼とも言うべき人物たちがいるのです。二人だけ名前を挙げておきましょう。John Bredenkamp と Billy Rautenbach、おそらく他にもいるのでしょう。そして、アフリカ通の人たちなら先刻ご存じのことだったのでしょう。だとしたら、何故、私たち市井の者たちは何事につけてもツンボ桟敷に放置されるのか? 私はこの二人の人物の存在を知ることによって、南アフリカ地域で過去一世紀間に起こっていることが、一段とはっきり見えるようになりました。それはまた次回にお話します。上記の二人の大悪漢については、インターネット上に沢山の情報があります。興味のある方は御覧になって下さい。

藤永 茂 (2009年3月11日)


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ジンバブエの脱構築(1)

2009-03-04 16:08:59 | 日記・エッセイ・コラム
 2008年12月24日付けのブログで、私は次のように書きました。:      
「ジンバブエの内情についての、とても読み応えのある論考の存在に気が付きましたので、取り急ぎ、報告して一読をお勧めしたいと思います。
掲載雑誌:London Review of Books, 4 December 2008
タイトル:Lessons of Zimbabwe
著者名 :Mahmood Mamdani
著者はウガンダの出身で、アメリカのコロンビア大学の人類学、政治学、国際関係学の学部の教授です。論考の末尾には、ジンバブエについての学術文献案内もあります。LRBのホームページで無料で読むことが出来ます。
 私は、これまでこのブログに、日本でアフリカ通と看做されている方々のおっしゃる事とは齟齬するジンバブエ論を書き付けてきました。上記のマムダーニさんの論考の一読をお勧めするのは、そこに書いてあることが、私の考え方を大筋で支持するからでは決してありません。私の素人判断が浅薄であったこともたっぷり知らされました。ただ、この論考を読めば、「ムガベという男はもともと悪逆非道の独裁者だったのだ」とか「結局のところ、アフリカの黒人は情けないほどとことん駄目な人間たちなのだ」とかいったバカバカしい短絡的な考え方がいかに間違っているかを悟ることが出来ると思ったからです。」
 ところが、この論文をめぐって大きな騒ぎが起り、それに関連した記事や論考を芋づる式に辿って行くうちに、ジンバブエのことが前よりはっきりと見えてきましたので報告します。
 事の震源というか、この約10年間、ムガベ凶悪大統領の独裁恐怖政治がジンバブエの目も当てられない惨状の根源であるという米英側の主張-マスメディア・コントロール-の蓋をいっぺんに吹き飛ばしたのは、上掲のマムダーニ論文と、もう一つ、国連の世界人権宣言60周年を記念してアフリカ各国からカメルーンに集まった学者200人が署名発表した、ジンバブエのムガベ大統領排除の目的で外部から軍事介入が行われることに反対する、2008年12月10日付けの声明文でした。その声明文には、
「我々、下に署名するアフリカの学者は、表面は人権と人道的目的という見せかけの名における、ジンバブエへの軍事介入の脅威を深刻に憂慮している。・・・・政治的プロセスのみがジンバブエの人々に持続性のある決着に到達することを可能にする唯一の道である。その政治的プロセスを略するために暴力を使用することを、我々は強く非難する。・・・・アフリカ人とその諸国家の義務は、ジンバブエの人々と連帯して、汎アフリカ主義の精神において、この政治的プロセスを促進することである。
社会的、政治的紛争の解決を目指して行われる軍事介入がもたらす不可避の結末は、コンゴ民主共和国やソマリアが明白に立証する通り、終り無き戦争であることを過去の経験が示している。これらすべての軍事介入では何百万という人々が苦しんだ。女性と子供たちが最も影響を受けた。・・・・ 軍事介入の脅威は帝国主義国家からと彼らのアフリカでの代理勢力から来ることを我々は認識している。」
と書かれています。ムガベの名も、対立者のツァンギライの名も出てきません。どちらにも味方せず、ジンバブエ人民への直接の支持が強く打ち出されているだけです。
 この声明文が言う「軍事介入の脅威」とは、2008年末にますます明確に打ち出されてきた(まだ就任前の)オバマ新大統領の攻撃的なジンバブエ政策を指したものでした。ジンバブエに興味のある人、あるいは、ジンバブエには興味はないがオバマには興味がある方々は、私の2008年8月20日のブログ『ジンバブエをどう考えるか(5)』を是非読んで下さい。2008年3月末の大統領選挙でツァンギライもムガベも過半数が取れずに政局の混乱が生じた頃から、アメリカはムガベ降ろしの方針を固め、国連でジンバブエの全面的な経済封鎖の決議を試みますが、ロシアと中国が拒否権を行使して、決議の採択は止められました。オバマ氏は、当選以前の6月以降、一貫してジンバブエに対する強硬政策を主張し、南アフリカのムベキ大統領などがツァンギライとムガベの両者の妥協による統一政府樹立の努力を続けていることに強い不快感を表明して、ブッシュ大統領が2001年末に成立させた米国のジンバブエ懲罰法令S.494 [The Zimbabwe Democracy and Economy Recovery Act] によって、米国単独でもムガベを懲らしめ、同時に、ロシアと中国を外交的に説得して、国連の名による全面封鎖をジンバブエに課する意向を明らかにしました。一方、米国手飼いの政治家ツァンギライにはムガベと妥協して統一政府を作ったりしないように、しきりに釘を刺し、2008年の年末には、もとクリントン政権でアフリカ問題を担当していた黒人女性スーザン・ライスを、オバマ新政権の国連大使の候補として選びました。彼女は前からアフリカの紛争解決法として“人道的な”軍事介入を強く主張していたので、この辺りから、アフリカ人の中に、米国が後押しする軍事介入を憂慮する傾向がはっきりと表面化したものと思われます。アフリカ人学者200人が署名したカメルーン声明はその具体的な表れです。
 マムダーニ論文に戻ります。この論文は、発表雑誌(LRB, ロンドン・レビュー・オブ・ブックス)の日付け(12月4日)ではカメルーン声明(12月10日)とほぼ同時ですが、執筆されたのは少し以前のことだったと思われます。大変興味深いことなのですが、マムダーニ論文批判(非難)の論文がLRB 誌の2009年1月1日号に早くも掲載されました。著者Timothy Scarnecchia とJocelyn Alexander に加えて33名、合計35名の主に米英の学者の共著という物々しさです。ごく荒っぽく一言で要約すると、「マムダーニはムガベの口先にまんまと乗せられて、苦難のジンバブエ人民を救済しようとする欧米諸国の真摯な努力にケチをつけている」ということになります。本当にそうだったのでしょうか? 私の考えを次回に述べてみたいと考えます。

藤永 茂 (2009年3月4日)


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