私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ルワンダの霧が晴れ始めた(5)

2010-08-11 11:36:12 | インポート
 世に定説となっている「ルワンダ大虐殺」はまことに異様な残虐事件です。1994年、ルワンダ国内の多数人種フツ族が少数人種ツチ族の絶滅を目指して襲いかかり、4月6日に始まり7月4日に終る約100日という短い期間に、80万から100万、つまり国内のツチの全人口の数割を鉈や小火器で惨殺したとされています。この凶暴な大量虐殺行為の嵐のような進行の前に、国連平和維持軍は打つ手を知らず敗走したのですが、隣国ウガンダからルワンダに攻め入った「ルワンダ愛国戦線(RPF, Rwanda Patriotic Front)」というツチ人の軍隊によって、虐殺は見事に阻止されて終息し、RPFを指揮したツチ人Paul Kagameは一躍世界に知られる英雄となりました。このルワンダ・ジェノサイドは、ナチ・ホロコーストのように政府の担当役人や軍隊といったプロフェッショナルな連中が組織的に行なった虐殺ではなく、突如として集団発狂したフツ族の一般市民がツチ族の一般市民を鉈(machet, machete)や鎌など手当たり次第の凶器でむごたらしく殺害したことが強調され、「アフリカでしか起こりえない惨劇だ(only in Africa!)」という受け取られ方が欧米人の間では一般です。しかも、彼らの心のスクリーンにはこの“100日間のジェノサイド”のイメージだけが浮き彫りにされ、1994年4月6日以前にも、1994年7月4日以後にもジェノサイドは無かったということになっているのです。これは全くの神話であります。事実からほど遠い一つの神話と言わなければなりません。
 フツ族とツチ族との間の相互虐殺の土壌は第一次世界大戦後のベルギーによるルワンダの植民地政策によって準備され、ルワンダ独立後の政治的混乱を経て、事態は、1990年10月1日、隣国ウガンダに基礎を置いたルワンダ愛国戦線(RPF)の軍隊がルワンダに侵攻して内戦に進展します。“100日間のジェノサイド”の真相とその全貌を見通すには、何よりも先ず、この1990年の内戦開始の時点から考察を出発させなければなりません。また、1994年7月4日以後にはジェノサイドはなかったと考えるとすれば、これは全く許し難い事実誤認です。、さらに、ルワンダ内での大量虐殺行為は、1994年以降、国境を越えてコンゴ民主共和国に溢れ出て、ルワンダの“100日間のジェノサイド”のほぼ10倍の犠牲者、5百万とも6百万とも算定されるアフリカ人たちが生命を奪われることになりました。何故そんな事になったのか?そんな重大な事態がアメリカ人一般の意識の上に何故ほとんど影を落とさないのか?この二つの設問に適切に答えることが出来ないかぎり、ルワンダの“100日間のジェノサイド”が何であったかを正しく把握することは不可能です。
 前々回のブログ『ルワンダの霧が晴れ始めた(3)』で、映画『ホテル・ルワンダ』の英雄ポール・ルセサバギナに言及しました。フツ人の彼は実在のホテル「千の丘ホテル」の中に1200名のツチ人をかくまって、彼らを暴徒の残虐から守り通した功績を買われて、ルワンダ・ジェノサイド後、一度カガメ大統領支配下のルワンダに迎えられたのですが、カガメを批判して大統領の逆鱗に触れ、いまは祖国を逃れてベルギーに住んでいます。ルワンダに帰ることでもあればたちまち逮捕投獄されるでしょう。ベルギーに亡命していても生命の保証はありません。そのポール・ルセサバギナは自分を「ただの普通の人間だ」と言っていますが、ルワンダの絶対的独裁者ポール・カガメ大統領に対する彼の批判の矛先はまことに凄まじく、「1990年以後に発生した虐殺、1994年のルワンダ・百日・ジェノサイドを含めて、すべての虐殺の責任はポール・カガメにある」とまで断言します。前回の号外ブログで訳出したルワンダの欺瞞大統領選挙に対する抗議文の支持団体の中にも、ルセサバギナの名前がありました。
 「すべての虐殺の責任はポール・カガメにある」--これは大変な断定です。火山が噴火したようなルワンダ・ジェノサイドを見事に終息させ、ルワンダの政情を安定化し、NHKの特集番組『アフリカンドリーム』の第一回(2010年4月4日)「“悲劇の国”が奇跡を起こす」で、アフリカの希望の星と声高に称揚される目覚ましい繁栄をルワンダにもたらしつつある功労者カガメ大統領こそ、1990年以来、ルワンダと東部コンゴで合計7百万にも及ぶ人命の損失の責任を負うべき張本人であると申し立てているのですから。
 しかし、この申し立ては、荒野のヨハネのように、ポール・ルセサバギナが叫び続ける孤立した感情的発言ではありません。彼は、ジェノサイドに関するカガメ大統領の罪状について、英国女王に宛てた公開書簡や幾つかのインタビューで具体的に証拠を挙げ、実名を挙げて告発を行なっているのです。だからと言って、彼の提出している証拠の信憑性が保証されるわけではありませんし、私は、その信憑性を直接的に確認あるいは否認する手段を持っていません。学問的文献を含めて、すべての資料に政治的バイアスがかかっていると考えざるを得ない現状では(あるいは、昔から一貫してそうだったのかもしれませんが)、ポール・カガメという人物についての真実を捉えるという作業は困難を伴いますが、しかし、不可能というわけではありません。門外漢の私が頼っている手段は、私なりに出来るだけ多くの資料をインターネット上で探して検討すること、その際、ジャーナリスティックな情報源については、右なり左なりの“偏向”の可能性を常に意識し、学者や人権団体については、どのような人間的コネがあり、何処から支持や資金を得ているかを出来るだけ探索し、確認することです。そうした作業を行う場合、1994年以降、ポール・カガメとその独裁政権を批判する発言を敢えてする個人は、カガメ政権からルワンダ入国を拒否されるか、悪く行けば、暗殺の対象にされるかも知れず、しかも、ルワンダ・ジェノサイドの加害者側と決めつけられているフツ族は国際的にはほぼ全く非力ですから、フツ側からは何の実際的なご褒美も期待できません。この状況の下で、あえてカガメ大統領を批判し、フツ側にも然るべき正義の分け前を振り当てようとする人々の発言に私が惹かれ、カガメ大統領と良好な関係にある人々の発言よりも重視するようになるのは自然の成り行きです。キース・ハーモン・スノー(Keith Harmon Snow)はその代表的人物です。1990年以来、ルワンダとコンゴで失われた6百万をこえる大量殺人の責任はフツ族の過激分子の側にではなく、ツチ族のカガメ大統領とそれを支持する国際的勢力にあるとする主張を一貫して行なっているスノーの名はカガメ政権のヒット・リストに含まれていると伝えられています。アフリカに関して、スノーの筆とカメラが生み出す論考は膨大な量にのぼりますが、その舌鋒の厳しさの故に、彼が周囲から蛇蝎視されているのか、アフリカ関連の記事や著書にスノーの名が引用されることは滅多にありません。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)も彼の槍玉に挙げられていますが、このあたり、緒方貞子さんのコメントが伺えれば大変有難いのですが。ともあれ、スノーに対する私の原則的な信頼は、この数年間 スノーの書いた物を読み続けてきた経験の堆積の結果として、そう簡単には揺るぎません。それに、彼の論考に挙げられている多数の引用文献は、私のような孤立したアフリカ・ウォッチャーにとっては、まことに貴重な情報源です。例えばこうです。最近、彼の論考の引用文献を経由して、Alex Shoumatoff(アレックス・シューマトフ)という名前に辿り着きました。日本では余り知られた人ではないようですが、英語版のウィキペディアによると、“the greatest writer in America”とか“one of our greatest story tellers”とか言われるほどの有名人、いわゆるセレブです。1990年10月、ツチ族のルワンダ愛国戦線(RPF)の軍隊がウガンダからルワンダに侵攻を開始してから2年目の1992年6月、シューマトフは雑誌『ニューヨーカー』にルワンダの南の隣国ブルンディへの旅行記を発表し、車に乗り合わせた黒人現地人について、「あきらかにツチと分かるのが三人いた。背が高く、すらりとして、ひたいが秀で、頬骨が突き出た面長の顔立ちだ。彼らは、他の5人の乗客、背が低くてずんぐりした、鼻は平たく、唇は厚ぼったい、典型的なフツ人とは違うタイプの体つきだった」と記し、続いて、同年12月にはニューヨークタイムズ日曜版雑誌に『ルワンダの貴族的ゲリラ達』と題して、ツチのRPFをたたえ、フツを悪者に仕立てる(demonize, 悪魔化する)役割を公然と買って出ました。その中で、例の『ハム仮説』を持ち出して、ツチ族のことを「19世紀の末近く、初期の民俗学者は、これらの、秀でた額、鷲鼻、薄い唇を持ち、ネグロイドというよりもコケージアンに見える‘物憂い身ごなしで尊大な’遊牧の貴族達に魅了されて、彼らを‘偽のニグロ’と分類した。その頃広く受け入れられた理論によると、ツチは高度に文明化された人々、落魄したヨーロッパ人種であり、何世紀もの間、中部アフリカでの存在が噂されていたのだった」と書きました。ツチを讃えてフツを貶めることで、シューマトフは侵略反乱軍RPFの支持と宣伝の役を進んで担ったわけです。それから1年半足らずの1994年4月に、あの凄惨なルワンダ・ジェノサイドが起りました。ツチが高貴な犠牲者たち、フツが野蛮残忍な殺人者たち、という明快そのものの神話の生成確立に決定的に貢献したゴーレヴィッチの『ジェノサイドの丘』:原著、Philip Gourevitch 『We Wish to Inform You that Tomorrow We Will be Killed with Our Families: Stories from Rwanda』(1998年)は、このシューマトフのツチ側贔屓の延長線上に位置されるべき偏向著作です。シューマトフは、1988年に彼の二番目の妻を離婚し、ウガンダ出身のツチ人の女性と結婚しました。カガメ大統領とは親密な関係にあります。ゴーレヴィッチについても同じことが言えます。
<付記> 8月9日に行なわれたルワンダの大統領選挙の結果は現地の11日に発表される予定ですが、ポール・カガメの再選は100%確実、世界のマスコミがどのように報道するかが唯一の問題です。

藤永 茂 (2010年8月11日)



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3 コメント

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秘密情報を報道すべきか、いなか (togami yosihiko)
2010-08-13 02:28:27
秘密情報を報道すべきか、いなか
2010年08月12日木曜日 19:00晴れ/曇り 最低気温;21ºC 最高気温;30ºC BARCELONA県から
アメリカ軍の秘密情報のアフガニスタン侵略戦争日誌を報道すべきか、いなか?
イギリスのガーディアン新聞が、記事の中で、米軍のアフガニスタン侵略戦争日誌を報道すべきか、否か? について、ある新聞記者が書いている。読者のその記事に対する投稿もたくさんある。この米軍のアフガニスタン侵略戦争の戦闘日誌を発表すると、アフガニスタン人の密告者や、侵略軍の兵士の命が危ないと言う。けれども、侵略戦争の事実を知らされていないイギリス国民や、アメリカ合州国国民や、侵略されているアフガニスタン国民にしてみれば、醜い侵略戦争の正体を、知る権利がある。そして、早く このむごたらしい侵略戦争を止めるべきだ 。侵略されているアフガニスタン国民にしてみれば、ひどい迷惑だ。読者の投稿も、面白いので、ぜひ読んでください。イギリス国民の国民性格が良く分かる。
Open door
by Chris Elliott
guardian.co.uk, Monday August 9, 2010
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/aug/09/afghanistan-war-logs-readers-editor
http://yosihikoyasuhito.blogspot.com
ゴーレビッチも? (あずま)
2016-11-08 11:27:52
たった今ゴーレヴィッチのジェノサイドの丘を原書で読み終えました。この本によりツチ人によるフツ人への加害と、そして虐殺が以前からの民族間緊張と相互の殺戮歴史からの延長であることを知りました。ゴーレヴィッチはシューマトフやその他による遡っての西洋植民主義のツチ族贔屓や民族を分け隔てをはっきり批判していると思います。カガメに関しても、確かに贔屓目の描写はいくつかありますが、結構はっきり批判していて、この本はたんなるシューマトフ延長ではないような気がするのですが。実際私が本を読ませた学生たちも、なにも知らずにツチを犠牲者と見ていた視点から、ツチとフツの両方の加害の歴史、そして国際機関の虐殺への加担、またその後の後始末でいかにツチ、フツ、カガメなど各部族と個人がそれぞれの政治的加担と有罪性を含んでいるか、理解した事実を見るとゴーレヴィッチの本に関してはもう少し内容の評価があっても良いのでないかと思われます。ただしおっしゃる通り、ジャーナリストが書くものはどこよりかというのを把握してから、というのは非常に共感します。全くの中立というのはありませんからね。
ゴーレビッチも? (あずま)
2016-11-08 11:28:03
たった今ゴーレヴィッチのジェノサイドの丘を原書で読み終えました。この本によりツチ人によるフツ人への加害と、そして虐殺が以前からの民族間緊張と相互の殺戮歴史からの延長であることを知りました。ゴーレヴィッチはシューマトフやその他による遡っての西洋植民主義のツチ族贔屓や民族を分け隔てをはっきり批判していると思います。カガメに関しても、確かに贔屓目の描写はいくつかありますが、結構はっきり批判していて、この本はたんなるシューマトフ延長ではないような気がするのですが。実際私が本を読ませた学生たちも、なにも知らずにツチを犠牲者と見ていた視点から、ツチとフツの両方の加害の歴史、そして国際機関の虐殺への加担、またその後の後始末でいかにツチ、フツ、カガメなど各部族と個人がそれぞれの政治的加担と有罪性を含んでいるか、理解した事実を見るとゴーレヴィッチの本に関してはもう少し内容の評価があっても良いのでないかと思われます。ただしおっしゃる通り、ジャーナリストが書くものはどこよりかというのを把握してから、というのは非常に共感します。全くの中立というのはありませんからね。

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