私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オジャラン(2)

2015-08-26 20:59:40 | 日記・エッセイ・コラム
前回の続き。

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その数年前、1991年にソビエト連邦の崩壊の後、PKKは既に民族国家の概念について批判的に反省し始めていた。伝統的にクルド人の母国とされる地域のどれ一つとしてクルド人だけが住んでいる地域はなかった。だから、クルド人が創設し支配する国家は、自動的に多数の少数派集団を抱え込むことになり、過去長年に渡ってクルド人自体が抑圧されてきたのと同じように、人種的、宗教的少数派集団を抑圧する可能性をつくることになるだろう。そうして見ると、クルド人国家なるものが、中東地域の現存の問題の解答というよりも、むしろ、継続として見られるように益々なってきた。

結局、一方では、資本主義と民族国家との相互依存性、他方では、男性上位社会と中央集権国家との相互依存性を分析してみて、オジャランは、真の自由と独立は、今の独立運動が、これらの社会的に制度化された抑圧と搾取の形態との結びつきをすべて断ち切ってしまってこそ初めて実現することが出来ると悟ったのだ。

民主的連邦主義

 アブドゥッラー・オジャランは、彼の2005年の小冊子、民主的連邦主義宣言、の中で、正式にそして決定的に、独立のクルド民族国家を建国するという、PKKのそれまでの野望と決別した。その文書の中で、彼は、“民族国家のシステムは20世紀の末から社会と民主主義と自由の発展にとって深刻な障害壁になってしまった”と論じている。

オジャランの見るところ、中東における危機から脱出する唯一の道は民主的な連邦組織の設立であり、“その民主的連邦は、その強さを、諸々の民族国家にわたるグローバリゼイションからではなく、人民から直接に引き出してくるのである。” この投獄された反政府勢力指導者によれば、“資本主義システムも帝国主義勢力の圧力も、彼らの利益に奉仕するため以外には、民主主義には導かないであろう。やるべき仕事は、社会における、宗教的、人種的、階級的差異を考慮に入れながら、一般大衆を基盤とした民主主義の発展を援助することである。”

オジャランが民主的連邦主義者モデルの発展を呼びかけた直後、民主的社会会議(Democratic Society Congress , DTK) がディヤルバクルで結成された。2011年のその集会中に、DTKは政治、自衛、文化、社会、経済、外交の分野で、国家からの自立性を要求する「民主的自治性の要求」運動を開始した。トルコ國の反応は予期通りで、対決と違法化の方向に動き、直ちにDTKを禁圧した。

オジャランによって展開された民主的連邦主義のアイディアがブクチンのソーシャル・エコロジーのアイディアが多くの相似点を示しているのは、偶然ではない。2000年代の始め、オジャランは既に獄中でブクチンの「自由のエコロジー(Ecology of Freedom )」や「都市なしの都市化(Urbanization Without Cities)」を 読み始めていたし、それから間もなく、自ら、ブクチンの学生の一人だと宣言した。彼の弁護士を通じて、オジャランは、この急進的思想家と会って、ブクチンの諸々のアイディアが中東状況に適用出来るようにする方途を考え出すことを企てた。

不幸にも、当時ブクチンの健康状態が思わしくなく、この出会いは遂に実現しなかったが、2004年5月、ブクチンはオジャランに“私の願いは、いつの日か、クルドの人々が自由で理にかなった社会を創設することが出来て、再び彼らの輝きが花咲くのを許すことである。彼らにとって、オジャラン氏のような有能な指導者に導かれることは実に幸運なことである”というメッセージを送った。

その返礼に、また、クルド人運動へのブクチンの決定的な影響に対する感謝の印として、ブクチンが2006年7月亡くなった時、PKKはその集会で彼を“20世紀の最も偉大な社会科学者の一人”と呼んで敬意を表した。彼らは、クルド人が“独創的かつ実現可能な”プロジェクトと呼ぶ民主的連邦主義を実施に移す初の社会集団になる願望を表明したのだ。

二元的権力、連邦主義、ソーシャル・エコロジー

過去10年間を通して、民主的連邦主義はゆっくりと、しかし、確実にクルド人社会に不可欠なものになってきた。ブクチンの考えの三つの要素がクルディスタン地域全体を通して“民主的現代感性”の発達に特に影響を与えてきた。:“二元的権力(dual power)”、ブクチンがリバタリアン地方分権主義の見出しの下に提案した連合体的構造、それに、ソーシャル・エコロジーの理論、この三つである。ソーシャル・エコロジー理論は、多くの現代の闘争の根源を文明の起源にまで遡って求め、自然環境を現代の問題の解決の中心に据えるのである。

二元的権力

二元的権力の概念は、ブクチンの仕事がアナーキスト、共産主義者、労働組合主義者のグループから拒絶されてきた主な理由の一つだ。無産階級の暴動を通じての国家の廃止を唱えることをせず、ブクチンは、国家に代わる人民集会と近隣委員会の形の機構を発達させ、そして、ここが注目すべき点だが、地方選挙に参加することによって、国家の権力を“下から空洞化”し、結局それを無意味なものにすることを提議したのだった。

権力機構を乗っ取り、そして、発展させるというブクチンの思考傾向は、政治的稼業(statecraft)と対置されるべきものとしての彼なりの政治(politics) の解析から出てきている。ブクチンによれば、“マルクス主義者、革命的労働組合主義者、本式のアナーキストはすべて政治なるものを誤って理解している、つまり、政治とは、人民が民主的にそして直接的に彼らの地域社会問題を運営管理するための公的な場であり機構だと考えられるべきだ”というのである。普通、“政治”と呼ばれているものを、ブクチンは“政治的稼業(statecraft)”つまり職業的政治家がたずさわる商売の類と見るのである。

それと対照的に、“政治”とは、大多数の左翼革命家達が廃止すべき必要ありと信ずる本質的に邪悪なものであるよりも、むしろ、実際は社会を一体として結びつける糊なのである。それは権力の乱用を防止するような具合に組織化すべきものなのである。“独裁主義からの自由は、明快な、簡潔な、そして詳細な権力の配分によってのみ保証されるのであり、権力とリーダーシップは‘ルール’の形式だという言い訳や、現実を隠蔽するリバタリアン的メタファーの類によってではない”とブクチンはそのエッセー『共同社会主義プロジェクト(The Communalist Project)』に書いている。

ブクチンのdual power(二元的権力)の考えに対するクルド人たちの信奉は、社会の異なったレベルでの DTKの組織形態を見れば明らかである。DTKの総会は年に二回、北クルディスタンの事実上の首都ディヤルバクルで行われる。1000人の代表委員の40%は選挙された役員で政府組織内のいろいろの地位を占めているが、残りの60%は市民社会から出ていて、人民集団の一つの会員であったり、 NGOの代表であったり、集団に属しない個人であったりする。総会でなされる決定は、都市の議会において、その議員でもあり、またDTKの総会の代表委員でもある人々によって、推進される。

連邦主義

連邦的システムはまたDTKの組織構造にもはっきりと示されている。『連邦主義の意味(The Meaning of Confederalism)』の中で、ブクチンは連邦主義を“村落や町や、大都会の近郊も含めて、住民の話し合いの場である民主的な会合から選出された会員あるいは代議員から構成される行政的評議会のネットワーク”として記述している。この説明は、トルコ内でも北部シリアでも、クルド人地域の多くの現地での状況に殆ど完全にピッタリ当てはまる。

明快な例はディヤルバクルでの状況で、そこではそうした評議会運動が立派に確立されている。『北クルディスタンにおける民主的自治』という本の中にその状況がアメド市評議会の議員によって説明されている。(Amed はディヤルバクルのクルド名):

アメドは13の地区を持っていて、それぞれ評議会とそれ自身の委員会を持っている。地区の中に近隣地があり、近隣地評議会を持っている。近隣地評議会を八つも持っている地区もある。ある場所では、街路レベルで評議会があるところもある、市の近傍の村落では、市の評議会に連結した集落もある。かくて、権力は次第に深く進んで最下層まで連結されている。

Joost Jongerden と Ahmet Akkaya が『トルコにおける連邦主義と自治』に書いているように:“DTKはただ一つの組織というだけでなく、一つの新しい政治的パラダイムを築き上げようとする試みの一部なのであり、それは、市、町、村の評議会を通じての人民の権力の直接的連続的な行使によって特徴付けられている。”

この新しい政治的パラダイムは制度化されている政治の領域の外に存在するTDKのような発議母体によってだけでなく、DBP(民主地域党)やHDP(人民民主党)といったクルド支持派の政党によっても提唱されている事は注目に値する。その究極の目標は、主にクルド人が住む諸地域にだけに止まらず、トルコとシリアの両国の国家的レベルでも民主的な自治を確立することである。


ソーシャル・エコロジー

ブクチンのソーシャル・エコロジー理論は、“社会的諸関係の秩序づけをやり直して、人類が自然世界と保護的にバランスをとって生きる事ができるようにしなければならない”という信条で特色づけられる。脱資本主義社会は、エコロジカルな環境と調和して創造しなければ成功する事は不可能である。

ブクチンは、“ソーシャル・エコロジーが提起する最も基本的なメッセージは、自然を征服するという考えそのものが人間による人間の征服に端を発しているということである”と論じる。ソーシャル・エコロジーは、階級の別のない平等主義的な社会を、迫り来るエコロジカルな破局を避ける必要を現代の社会的闘争の中心に置いて、組織化する方法についてのマルクス主義者やアナーキストの伝統的な見解を超えて前進するのである。

昔から農業と家畜業を営む農耕民族であるクルド人にとって、エコロジカルな環境を維持することは平等な社会をつくることと同様に必要不可欠である。国家が推進する環境破壊は、クルド人の故国である山岳地帯や肥沃なメソポタミア平原で毎日のように行われている。

その最も目につく例はトルコのGAPプロジェクトで、数十の大型ダムがすでに建設されたか、あるいは建設中である。このプロジェクトは、建設現場での雇用の機会を増大する開発と輸出向けの農産物を算出する大規模農場の灌漑の向上をもたらし、そして、土地を収用された農民たちに日々の仕事を与え、また数カ所の水力発電所の建設でエネルギー供給インフラを整備向上させるものとして世に喧伝されている。

国家官僚によって“発展”と解釈されるものは、彼らの住居や村落が水底に沈み、自由に流れていた川が商品と化し、彼らの土地が収用され、大企業によって買い上げられて、どこか遠隔地の大邸宅に住む農場所有者の財布を太らせる以外の何の役にも立たない物品の産業スケールの生産に使われるのを見る人々には、全く違った様相として経験されるものである。こうした大規模の高度に破壊的なメガ・プロジェクトは、地域の環境の地域によるコントロールの緊急の必要性を露わにする。

自然環境を、飽くまで侵害してくる資本主義勢力の破壊的かぎ爪からもぎ取り返すには、国家との直接の対決が必要になるが、その決定的第一歩は――それはなおさら革命的な意味合いを持つが――人間関係のレベルでの階層構造の廃止を含むのである。ブクチンが論じた様に、人間の自然に対する支配は、人間の他の人間に対する支配に発する故、問題の解決は同様の軌跡を辿らなければならない。

この点で、女性の解放はソーシャル・エコロジーの最も重要な様相の一つである。男性の女性支配がそのままである限り、我々の自然環境が――われわれの利益のために搾取されるべき物品としてではなく――人間生活の本質的な不可欠の一部として取り扱われることから、未だほど遠い。

これに関して、現在、クルド人社会で進行中の解放的取り組みは希望の持てる兆しである。多くの場合、クルド人の家族内や社会内の人間関係は未だに昔からの慣習と伝統に導かれているが、急進的な変化が既に現れている。アメド女性アカデミーの一活動家がタトールト・カーディスタンのインタビューで述べている様に、:

クルド人の家族はまだ本当には民主的自治という新しいシステムに心を開いてはいない。彼らはまだそれを自分のものにしていない。我々活動家はそれを十分内面化していて、変化をもたらし、民主的自治の考え方を、たとえ小刻みであっても、家族に分け与えることが我々の責務である。家の外で語っているのと同じ具合に、家庭内でもそれについて議論を始めることができる。我々が如何に真剣に民主的自治を考えているかを、家族が見れば、それは彼らに影響を与えるだろう。もちろん、議論はなかなかうまく行かぬ。門前払いを食らったり、怒鳴られることもある。しかし、よく辛抱して議論を続けることで家庭内に変化が生じ始めている。

耳を傾け、学び、後に続け

クルディスタンでの進展――特に北シリアのクルド人地域であるロジャバにおける進展――は、地球全体にわたって、急進的な活動家たちの想像力を刺激した。ロジャバでの革命はこれまで1936年のバルセローナとメキシコのチアパスのサパティスタに比べられてきた。急進的左翼は他と全く同様にそれ自身の神話を必要とする。この意味で、ロジャバ、バルセローナ、チアパスは、もう一つの選択肢が確かにある;つまり、社会を別様に組織することが可能である、ということを希望に満ちて思い起させるのに役に立つ。

しかしながら、これら急進的組織体の事例を、この困難な時代に仰ぎ見る希望の星として讃えるだけでは、こうした闘争に対する我々の支持は、テレビに映るご贔屓のサッカー・チームに喝采する時に示す我々の応援と余り違わない。チアパスの密林の中のサパティスタたちやメソポタミア平原のクルド人たちは、彼ら自身の力と決意の他には何も頼らずに、長い道のりを克服してきた。彼らが比較的孤立状態にあったことが、その急進的な選択を成長させることを許してきたが、これらの実験が長期的に生き延びるためには、彼らは支持者とか同情者以上のものを必要としている。彼らにはパートナーが必要なのだ。

“グローバル資本は、その巨大さのゆえに、その根元でのみ、とりわけ、社会の基底部分でのリバタリアン地方自治主義者抵抗運動によってのみ、侵食破壊することが出来る。グローバル資本は、草の根運動によって動員され、グローバル資本が彼らの生活を統治する権力に挑戦し、そして、その企業運営に代わる局地的な地域経済活動の振興を試みる、何百万の大衆によって侵食されなければならない。” とブクチンは『21世紀の政治』の中に書いている。

ブクチンは、もし我々の理想が多数の小さな自治体の集まりの一つの自治体(a Commune of Communes)であるならば、自然な出発点は地方政治のレベルからであり、“大衆住居区や町内の集会組織と市町村経営の経済の発展を断固として主張する”運動計画を持って出発すべきである、と信じている。

究極的には、過去数年間に地球全体にわたって芽を出したクルド人、サパティスタの闘争や、その他多くの革命的な運動や新しい構想を支援する最善の方途は、彼らの語り掛けに耳を傾け、彼らの経験から学び、彼らの足跡にしたがって進むことである。

国境を越え、人種や宗教の境界を越えて自発的に組織化された自治組織の連合体は、侵略してくる帝国主義権力と資本主義勢力に対する最善の防波堤である。この目標を達成する闘争において、ブクチンによって陳述された思想とリバタリアン地方自治主義の実践より劣る手本は幾らもある。

#上の翻訳の最後の一文の英語原文は、
“In the struggle to achieve this goal, there are worse examples to follow than the ideas set out by Murray Bookchin and the practice of libertarian municipalism. ”
となっていて、うまく意味が取れませんでした。

******************** (翻訳終了)

この論考の末尾には、26編の関連文献の表がありますが、翻訳した文献
https://libya360.wordpress.com/2015/08/10/the-philosophy-that-inspired-the-kurdish-resistance/
を開けば、各タイトルをクリックするだけでそれぞれの文献を読むことが出来ますので、ここでは、関連文献の表は省略します。次回はこのリストの中から女性解放についての文献:
Liberating Life: Woman’s Revolution
 (生命の解放:女性革命)
を選んで翻訳を始めるつもりです。心の底にストンと落ちてくる素晴らしい女性革命論です。

藤永 茂 (2015年8月26日)
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オジャラン(1)

2015-08-19 22:18:49 | 日記・エッセイ・コラム
アブドゥッラー・オジャラン(Abdullah Öcalan)は1948年生まれのクルド人で、総人口三千万人といわれるクルド人たちに大きな思想的影響力を持っています。オジャランの、あるいはオジャラン的、思想が回転軸となって、中東情勢が、そして世界情勢が具体的に大きく変わることを私は夢見ています。私の夢を紡いでくれている論考や記事の幾つかを、今後しばらく、翻訳し続けるつもりです。
 前回のブログの終わりに紹介した『クルド人抵抗運動を鼓舞した哲学(The Philosophy that inspired the Kurdish Resistance)』と題する論考の翻訳から始めます。

https://libya360.wordpress.com/2015/08/10/the-philosophy-that-inspired-the-kurdish-resistance/

著者はJoris Leverink、初出はROAR Magazine です。

http://roarmag.org/2015/08/bookchin-kurdish-struggle-ocalan-rojava/

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『クルド人抵抗運動を鼓舞した哲学』

ブクチンの地方自治体主義者的概念は、かつて共産主義者によっても無政府主義者によっても同じように拒絶されたが、今やクルド人の民主的自治に対する希求を奮い立たせている。

ジョリス・レベリンク

新著『来るべき革命:人民議会と直接民主主義の有望性(The Next Revolution: Popular Assemblies and the Promise of Direct Democracy)』の序論に、マレイ•ブクチンは―― ロシアからのユダヤ人移民の子として1921年ニューヨーク生まれ―― 9歳の時に「若い先駆者」という青年共産主義者組織に参加して急進的政治の洗礼を受けたと述べられている。これが彼の‘左翼人生’の始まりであり、第二次世界大戦に至るまではスターリン主義からトロツキー主義への道を辿り、その後は1950年代末までアナーキストと自称、そして、ソーシャル・エコロジーの概念を世に紹介した後は、結局、‘共同体自治主義者’あるいは‘リバタリアン地方自治主義者’を名乗ることになった。

ブクチンは――第二次世界大戦の直後ラジオ技術の講義を幾つか受講したのを除けば――専門学校さえも行ったことがなかったが、数十冊の本を書き、数百の学問的論文を発表し、その上、幾つかの雑誌を発刊し、1974年には、ソーシャル・エコロジー学会を設立した。おそらく彼の急進的政治への最も重要な寄与は、エコロジーの観念を政治思想の場に(再)導入したことである。

ブクチンは、環境保護者たちは資本主義の単なる“小手先の修正”を唱えているだけだと非難して、新しく勃興しつつあった環境保護運動の概念と実践に反対し、その組織的問題の根本的原因に立ち向かうエコロジカルな方途を対抗的に提唱した。彼の見方によれば、資本主義の致命的な欠陥は、マルクス主義者たちが信じているように、労働階級の搾取ということの中にあるのではなく、むしろ、資本主義が自然環境と対立衝突することにある、つまり、資本主義は、反対もされずに発展する儘にすれば、必然的に人民の非人間化と自然の破壊をもたらすことにある。

『来るべき革命』にはブクチンの1992年のエッセー「エコロジカルな危機と社会を改造する必要」が含まれている。その中でブクチンは“ソーシャル・エコロジーが提起するもっとも基本的なメッセージは、自然を支配するというその考えそのものが人間の人間による支配から由来しているということだ”と論じている。環境を大切にする社会が育つためには、まず、人間の間での支配関係を根本的に無くさなければならない。ブクチンによれば、“資本主義とその分身である‘国家社会主義’は支配という歴史的問題のすべてを土壇場に追い込み”、そして、市場経済は、もし制止されなければ、“成長か死か”イデオロギーの結果として、自然環境の破壊に成功するであろう。

長年の間、ブクチンは、彼の考えであるリバタリアン地方共同体主義、彼自身の言葉で言えば、“議会主義と、民意の表現の手段としての‘政党’メカニズムの神秘化、という荒涼たる循環から決別して、真の市民権の行使の為の公的な場を取り戻すことを目指す”リバタリアン地方共同体主義こそが、アナーキズムを政治的にも社会的にも再び重要性のあるものにする鍵であると、米国のアナーキストたちに確信させようとしてきた。

リバタリアン地方共同体主義は、政治の実践を職業的な、出世第一の政治家から“盗み取って”、それを市民の手に戻すために、直接お互いに面と向かって議論する集会の使用を奨励する。国家を“完全に異質の構成物”であり、“人間性発展を邪魔する棘”として描出して、ブクチンはリバタリアン地方共同体主義を“徹底して民主的であり、構造的に非階級的”であり、また、“合理的で環境を大切にする社会を達成する闘争を前提とする”ものとして提唱した。

ブクチンにとって甚だガッカリだったのは、多くのアナーキストたちが、政治的に重要なままに止まって真の革命を起こすことが出来るためには、地方的な政府に参加しなければならない、というブクチンのアイディアを受け入れることを拒絶したことであった。マルクス主義者、労働組合主義者、アナーキスたちと共々に政治的に成熟を遂げたブクチンであったが、彼はやがてこれらの思潮のすべてについて根本的な批判を展開し維持したので、単にソーシャル・エコロジーという彼独特の概念の展開に至っただけではなく、左翼の多数の批判者たちと袂を分かつこととなった。

クルド人抵抗運動

1970年代後期、米国でブクチンがソーシャル・エコロジーという彼の理論の価値と重要性を認めてもらうように苦闘を続けていた頃、それとは全く別の闘争が地球の反対側で頭をもたげつつあった。トルコの南東部の、クルド人が圧倒的に多い山岳地域で、一つの組織体が創設されたが、それが、やがては、ブクチンのソーシャル・エコロジーの考えを受け入れ、それに適応するようになったのだ。

その組織体はクルド人労働者党、あるいは、クルド語での頭文字をとって、PKK と自称することになった。そして、1984年に、トルコ国家に対して最初の攻撃を仕掛けたのだ。この最初の軍事作戦に続いて他の作戦も展開され、結局、30年間に及ぶ武力闘争に発展し、未だに解消されていない。

PKKはマルクス・レーニン思想に鼓舞され、社会主義諸原理に基づいた独立のクルド人国家建設のために闘った。伝統的なクルド人母国は現在のトルコ、イラン、イラク、シリアに跨るのだが、20世紀始めにフランスと英国の間で、中東の以前のオットマン-トルコの領土の分割に関する取引が成された際に切り分けられた。トルコ、シリア、イラクの国境は1916年の悪名高いサイクス-ピコ協定によって決定された。

いつの日か別々のクルド人居住地域の一体化に立ち会うというユートピア的希求にも関わらず、PKKの闘争は、もっぱら、トルコ国によって占領されている北部クルディスタン――またはバクール――の解放に焦点を絞っていた。しかしながら、1990年代に、PKKはゆるやかに一個の独立したクルド人國を建国する希求から離れ始め、それ以外の可能性を探り始めた。

1999年、PKKの創始者で指導者のアブドゥッラー・オジャランは、トルコとシリアの間の外交的大揉めごとに巻き込まれた。20年ほど前、彼がトルコから追い出されてから後は、彼はシリアからPKKの作戦を指揮していたのだが、もうシリアは反乱指導者を受け入れて保護することを拒否したため、オジャランは別の避難場所を求めてシリアを去る以外に選択の余地がほとんど無くなった。それから暫くして、彼はケニヤで捕らえられ、トルコに連れ帰られて、死刑の宣告を受けた――その刑罰は後ほど無期懲役に変更された。

オジャランの逮捕はPKKの独立闘争にとっての限界点であった。その直ぐ後、PKKは独立国の要求を取り下げて、地方レベルでの自治の増進を要求するようになった。監獄内で、オジャランはブクチンの著作に親しみ始め、社会の変換に関するブクチンの論考がオジャランに影響を与えて、独立国家の理想を断念し、むしろ、オジャランが‘民主的連邦主義(Democratic Confederalism )と名付けた別の道筋を追求することになったのだ。
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まだ途中ですが、今日はここまで。

藤永 茂 (2015年8月19日)
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IS という巨大な嘘

2015-08-12 22:09:21 | 日記・エッセイ・コラム
 前回までのブログ記事では、現地に足を踏み入れたジャーナリストや専門家諸賢に少し遠慮する気持もあって、IS の正体を、私が思っている通りに決めつけることをしませんでした。しかし、8月9日(日)の朝日新聞朝刊第一面の記事『米軍の空爆1年、勢い衰えぬIS』を読んで、私の考えを直裁に述べておくことにしました。まず朝日の記事を写します。:
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 過激派組織「イスラム国」(IS)の勢力拡大が止まらない。イラク、シリア両国の支配地域をほぼ維持し、中東や北アフリカなどでは影響下にある組織によるテロが相次ぐ。米軍がイラク領内で対IS空爆を開始して8日で1年。計6千回以上の空爆でも弱体化に至らず、掃討作戦は長期戦を強いられている。
 米軍主導の有志連合は昨年9月、シリア領内でも対IS空爆に踏み切った。米中央軍は7日、IS掃討について「有志連合が主導権を握っており、ISは形勢不利」と説明した。
 だがAP通信によると、米情報機関はIS戦闘員の規模を2万~3万と推定し、空爆開始前から実質的に減っていない。ISは戦闘員を次々補給し、情報機関関係者は「戦略的な手詰まりの状態にある」と指摘する。戦闘員の多くは、ISが解釈するイスラム教に基づく「国家樹立」に共鳴した中東や欧州の若者。中東では民主化運動「アラブの春」で独裁政権が崩壊した後、政治の混迷で経済が停滞し、若年層の失業が深刻化している。欧州ではイスラム圏出身の移民2世が差別され、過激思想に傾くケースが散見される。
 米国のIS掃討作戦は戦闘部隊を派遣せず、空爆と、ISと戦うシリア反体制派の訓練などにとどめる対症療法的なものだ。空爆の効果は限定的で、反体制派の訓練も小規模でうまくいっていない。(ワシントン=杉山正、イスタンブール=春日芳晃)
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 ISの勢力拡大が止まらないのは当たり前です。米国とトルコがISの勢力を支持し利用しているからです。米国とトルコの当面の目標はシリアのアサド政権の打倒にあります。地上に米軍を送るかわりに米国はISを代理として使っているのです。トルコはISの戦力をサポートしてシリア北部のクルド人勢力を殲滅しようとして失敗しました。では、イラク国内での1年間、計6千回以上の空爆で何が行われたのか? 「ワシントンポストやニューヨークタイムズなどを見てごらん。地上のイラク軍兵士と電話で連絡しながら、米軍機は建物に隠れているISテロリストを空から狙い撃ちしている」と記者さんたちは言うかもしれませんが、WPもNYTも今は“大本営発表”の一部です。それよりも、例えば、大戦末期、九州で米空軍機が、しばしば、民間の列車を空から機関銃掃射したことを思い出しましょう。何十人、何百人の市民が空から惨殺されました。ISといえば、新品らしいトヨタのピックアップ・トラックを数十台連ねて意気揚々と進軍するIS兵士たちの映像がよく流されます。実際、ああしたデモは彼らが好んでやることのようです。もし米軍がIS撲滅に本気ならば、このバカ行列を見逃す筈がないではありませんか! たしかに、米軍機の空からの掃射爆撃によってISの若いリクルートたちの数十人、数百人が殺されているかもしれません。「イスラム国」劇という巨大な嘘の演劇舞台を本物にみせるための捨て石として彼らの死が使われているのであれば、これは無残の極みです。数千回に及ぶ飛行の主な目的は、戦争出費のレベル維持、イラク、シリアのインフラ破壊、ISに向けての武器弾薬食料の直接供給でしょう。これについては多数の直接証言があります。
 この4月に、国連の安全保障委員会で「イスラク国」を国連の制裁(sanction)の対象とすることをロシアが提案した時、米欧やトルコが反対し否決されました。シリアでアサド政権とも戦い、「イスラク国」とも戦う反政府勢力など育つ筈がありませんが、ペンタゴンにとってはこれも戦争出費として落とせます。  
 いまISと本気で懸命に戦っているのはクルド人勢力とシリア国軍です。米国とそれに同調するいわゆる有志連合諸国が本当にISをやっつけたいのなら、クルド人勢力とシリア国軍こそ仲間に引き込むべきなのですが、そんなことには絶対になりません。このブログの前回の記事の終わりに、
「IS叩きの戦列に参加したはずのトルコは、ISに対する空爆はほんの言い訳程度で茶を濁し、クルド人に対してはイラクやシリア内の拠点に対する激しい空爆を実施し、トルコ国内では、危険分子と見做されるクルド人の大量逮捕投獄に踏み切りました。「ロジャバ革命」の全面的危機の到来です。」
と書きました。今度の米国とトルコの取引は、シリアとイラクのISを米空軍機が攻撃するのに便利な基地をトルコ東部に提供する代わりに、シリアとトルコの国境に接するシリア側の帯状の空の一部の制空権をトルコに任すことを米国が承認するというのが、その根幹です。国際法的に言えば、正式に宣戦布告もしていない他の独立国(シリア)の制空権がトルコと米国の間での取引の対象となるなんて言語道断ですが、これまでに何度も書きましたように、米国にとってもトルコ、イスラエルにしても、アサド政権の打倒こそが最大最重要の目標です。トルコが正式に対IS有志連合に参加するというのは、大きな嘘の一部です。特にトルコとしては、アサド政権崩壊の後、シリア北部の、現在「ロジャバ革命」が進行中の地帯をクルド人たちから取り上げ、トルコ“大帝国”の領土にしたいのでしょう。巧妙にISをプロキシー地上軍として操り、空は米国製の戦闘爆撃機で制圧する米国とトルコの猛攻の前に、アサドのシリアも、カダフィのリビアと同じ運命を辿るのではないかと、私は大いに心配しています。しかし、一縷の希望は持っています。下の記事を御覧ください。:

http://www.globalresearch.ca/why-syria-is-winning-advancing-towards-a-strategic-victory-that-will-transform-the-middle-east/5468277
 
 私は、興味を持った人物がインタビューや講演で喋るところを耳で聞き、目で見ることを努めてやっています。それも一回限りではなく、出来れば何度も。そうしているうちに、米欧のマスメディアでは評判の悪い人物でも、次第に好感度、信頼感が増して行く場合があります。エリトリアのイサイアス・アフェウェルキ大統領、シリアのバッシャール・アル・アサド現大統領などがその例です。
 「ロジャバ革命」は本物の「アラブの春」の稀な実例として始まりましたが、アサド政府はこの反政府運動を積極的に圧殺しようとせず、むしろ黙認の姿勢をとったと思われます。専門家は、これをアサドの対トルコ対策の一環と捉えるでしょうが、私は、別の見解を取ります。アサドは、多分、前々回に引用した「ロジャバ諸県の憲法」の趣旨に、少なくとも個人として、賛同したのではないか、というのが私の見解です。
 以前に一度紹介したことがありますが、私がほぼ毎日訪れるLibya360゜というウェブサイトがあります。リビアという国の滅亡を悼む心を持つ人ならば、是非にも訪れていただきたいサイトです。その8月10日付の記事の一つに『クルド人抵抗運動を鼓舞した哲学(The Philosophy that inspired the Kurdish Resistance)』と題する読みやすい論考があります。通常、アナーキスト思想家として知られた米国の思想家ブクチン(Murray Bookchin)とクルド人抵抗運動の指導者オジャラン(Abdullah Öcalan)の思想的関連を明快に解説した文章です。

https://libya360.wordpress.com/2015/08/10/the-philosophy-that-inspired-the-kurdish-resistance/

これを読めば、この四方八方暗闇ばかりの世界で、クルド人たちの「ロジャバ革命」が、私たちにとっても、一つの希望の灯火であることが分かります。ISという巨大な嘘を操る巨悪によってこの灯火が吹き消されないように、私たちも闘わなければなりません。次回から上記の論考の翻訳を始めます。

藤永 茂 (2015年8月12日)
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クルド人を生贄にするな

2015-08-05 22:16:34 | 日記
 8月3日の朝日新聞朝刊の第一面、三面に世界の難民の記事が出ました。
「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、世界の難民と国内避難民は昨年末時点で過去最多の5950万人。最多は内戦が続くシリアで、アフガニスタン、ソマリアと続く」とあり、シリアは388万人、ソマリアは111万人、等となっています。擾乱以前のシリアの人口は2200万~2300万、痛ましい数の人々が難民になってしまいました。
 この種の記事でよく採用されるフォーマットですが、第一面では、アフリカの母国での迫害を逃れて日本に来て難民申請をした30代の男性の語る経験談が紹介されています。「独裁政権下の母国で政治活動をしていた男性は、政権への抗議運動に参加し拘束された。2ヶ月間、目隠しされ虐待された。背中には傷が残る。支援者の手助けで、収容所を出た後はしばらく身を隠して、一緒に空港に向かった。「私にできるのはこれまでだ」。支援者から空港で受け取った航空券には、最終目的地が「NARITA」とあった。自分が日本に行くのだと、初めて知った。・・・・・」 この男性の話を読んで、私はいろいろの事を考えましたが、一般の読者はこの話から何を受け取るでしょうか。シリアがアフリカの国でないのをはっきり意識しない読者もいるでしょう。シリアの難民数は突出していますが、“内戦が続くシリア”と書いてあると、シリア国民が、軍部を掌握した独裁政権に対して民主化の闘争をしているかのような、あるいは、政権支持派と反政権派に分かれて抗争しているかのようなイメージを持つかもしれません。もしそうなると、シリア問題の本質が全く見えなくなります。
 シリア問題は、国外勢力のシリア国土侵略の問題、外国勢力が自分たちの気に入らないシリア現政権を打倒しようとして行っている侵略戦争がその本質です。一番基本的なことをはっきり言えば、世界一のテロ支援国家アメリカ合州国がテロリスト傭兵を送り込み、それらを操って行っている侵略戦争です。シリア人400万の難民はその故に生じた地球規模の悲劇です。もう一度、前回のブログに引用したパレスチナ人たちの声に耳を傾けてください。:
 「我々には、外からやってきた強奪者たちに我らの土地と我らの所有物を強奪されることが何を意味するかがよく分かる。我々には、何百万という同胞が、彼らの住処から追い出され、帰ってくることが出来ないということが何を意味するかがよく分かる。我々には、我らの権益と我が国の国家的権利がこの世で最も強大な国々の遊び道具になることが何を意味するかがよく分かる。我々には、我らの国家主権と人権を擁護するために苦難を受け、生を捧げることが何を意味するかがよく分かるのだ。」
 シリアは北部でトルコと接しています。国境に近く位置するシリア側の町コバニ(アインアルアラブ)の名を憶えておいでですか? 去る2月4日と11日日付のブログ『ロジャバ革命』で紹介した町の名です。『ロジャバ革命(1)』の始めの部分を再録します:
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 日本人人質とその殺害の事件をめぐって、イスラム国について、マスメディアに多数の専門家が登場して盛んに語っていますが、彼らが知っていることをそっくり我々に告げてくれているわけではありません。ある筈がありません。
発表媒体である新聞、テレビ局、雑誌などに応じて、その道の専門家たちは、情報伝達の自己規制を見事に行っています。それは、自分に“お声が掛からなくなる”ことを避けるための心がけに発します。「それを言っちゃあおしまいよ」にならないための処世術です。
 「ロジャバ革命」と呼ばれる政治的状況の展開はその顕著な一例です。それを、その事実と意義をはっきり詳しく我々に告げようとする専門家は一人も見当たりません。
 シリア北部、トルコとの国境に近いコバニの町とその周辺で、イスラム国はその発祥以来初めての決定的な軍事的敗北を喫しました。コバニの死闘をスターリングラードの死闘と並べる声さえ聞こえてきます。そして、その勝利の原動力は女性戦士たちであったのです。イスラム国の軍隊に立ち向かったクルド人部隊に女性兵士も多数加わったというのではありません。男性部隊(YPG)と女性部隊(YPJ)が肩を並べて共々に闘ったのです。コバニの勝利に象徴される「ロジャバ革命」が女性革命だとされる一つの理由がここにあります。もし、「ロジャバ革命」のこの重要な本質が、専門家たちによって広く世に伝えられたならば、世界中の本物のフェミニストたちは歓呼の声を上げるに違いありません。
 いまイスラム国を称する勢力は2013年から特にイラクで活動を顕著にしてきましたが、それが激化したのは2014年に入ってからで、私たちの意識もこの辺りで急に高められます。米国の傭兵であるイラク政府軍は烏合の衆で大して役に立たず、米国は、2014年の夏以降、イラク内でイスラム国に対して空爆を開始しましたがあまり効果が上がらず、イスラム国の支配地域は拡大を続けています。イスラム国がシリアの東北部のラッカ県を制圧した後は、シリア国内でもイスラム国に対する空爆を始めました。イスラム国はイラク北西部の大部分を支配下に収めていましたが、首都バグダッドの占領には向かわず、その矛先をクルド系住民の多いシリア北部のトルコとの国境に近いコバニ(アインアルアラブ)の町(人口約4万5千人)に向けました。それにははっきりした理由があったのです。シリア北部のトルコとの長い国境線あたりに住むクルド系住民を壊滅させてシリア内のイスラム国支配地域とトルコとの交通を確保すれば、トルコからの武器やイスラム国軍隊に参加する外国人の流入が容易になるからです。2014年9月、対「イスラム国」で米国との共闘を約束した中東諸国の中に、ヨルダン、エジプトとともにトルコも含まれていたのですが、トルコの対「イスラム国」政策は極めて自己中心主義的です。もともとシリアのアサド政権を快く思わないトルコのエルドアン首相の政権は2011年4月に始まったシリア騒乱で一貫して反シリア政府勢力を支持し、武器などの供給を盛んに行って来ました。その支援がイスラム国の急激な成長を促したことに否定の余地はありません。さらにエルドアン政権は国内のクルド人もシリア内のクルド人も居なくなってしまえば良いと考えていましたから、コバニでイスラム国軍隊と闘うクルド系住民を軍事的に助けるなどもっての外で、むしろ、トルコ国内のクルド人がシリア側にある同胞に軍事的援助を与えることを厳しく阻止していました。それにも関わらず、クルド系住民の軍隊が4ヶ月の死闘に耐えて遂にコバニの町から凶悪なイスラム国軍隊を追い出した最大の理由は、どうしても彼らが理想として掲げる新しい世界を実現したいという、そのためには死をも恐れない熱い思いに燃えていたことにあります。
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 このコバニと国境を挟んだトルコ側の町スルチの文化センターの庭で、7月20日、爆発があり、32人が死亡、103人が負傷しました。この文化センターの施設には、戦火でひどく破壊されたコバニの町の復興支援プログラムに参加する300人以上の青少年が滞在していました。ロジャバ革命に夢を託す、主にクルド人の若者たちが犠牲になったのです。
 トルコのダウトオール首相によれば、イスラム国の自爆テロだということで、トルコ国内でイスラム国がテロ行為に及んだので、それまでアメリカ主導の対イスラム国打倒の作戦への参加に不熱心だったトルコも、とうとう重い腰を上げてアメリカとの同調に踏み切った、というふうに伝えられることがありますが、これは、とんでもない誤報です。いや、誤報ではなく、為にする真っ赤な嘘です。
 いったいIS(イスラム国)の正体は何か? あらゆる説が世上に流れています。イスラムの宗教についても、アラブの言語についても、一次的な知識のない私には、ISの本質、正体について、透徹した判断を下す力がありません。しかし、物理学で言う現象論的レベルの観察から、イスラム国(IS)の特性についての可成り明確な措定を行うことが出来ると考えています。一番肝心な点は、ISは米国、トルコ、幾つかのアラブ諸国、イスラエル、などの外国からの武器弾薬と資金の供給によって保たれていて、これが絶たれるとなると忽ちISは弱体化するだろうと思われることです。つまり、ISの戦闘力を利用している外国勢力は、ISをコントロールするON-OFFスイッチを手元に持っているということです。この措定には直ちに反対の声が挙がるでしょう。「米国は国際社会を動員して何とか凶暴なISを撃滅しようと努力しているではないか。そして、今度のスルチの自爆テロを契機にトルコもIS打倒作戦に本格的に引き込んだではないか」と。また、次のような反論も聞こえてきます。「ISの戦闘員たちは原理主義的なイスラム教の狂信者たちだ。彼らの行動を外部からON-OFF出来ないに違いない。」
 しかし、インターネットを通じての現象論的観察に基づいて、私は可成りの確信度を持って「ISの戦闘員たちは真の宗教信者ではない」と断定します。彼らはテロリストとしてリクルートされ、訓練された凶暴なハウンド・ドッグ集団で、シリアのアサド大統領を追い詰め、クルド人たちにも残忍な歯をむいて襲いかかることでしょうが、もし、飼い主の手に噛み付く事態が発生すれば、ただちにスイッチをオフに出来るでしょう。この点については、以前5月27日付のブログ記事『ISに金融制裁を』で論じました。 自国の地上軍団派遣の代わりに、このハウンド・ドッグ集団を育成した外国勢力の頭脳の冴えは全く大したものです。現米国国防長官アシュトン・カーターのタイプの秀才には事欠かないのでしょう。
 一方、IS叩きの戦列に参加したはずのトルコは、ISに対する空爆はほんの言い訳程度で茶を濁し、クルド人に対してはイラクやシリア内の拠点に対する激しい空爆を実施し、トルコ国内では、危険分子と見做されるクルド人の大量逮捕投獄に踏み切りました。「ロジャバ革命」の全面的危機の到来です。

藤永 茂 (2015年8月5日)
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