私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

核抑止と核廃絶(6)

2010-05-26 11:06:50 | 日記・エッセイ・コラム
 『ナチ・ホロコーストと原爆ホロコースト』と題する論考を岩波の雑誌「世界」に寄稿したことがあります(1997年1月号、pp185~197)。そのタイトルが示すように、この二つの歴史的事件の関わり合いを問題にした内容でした。
 1995年3月、当時長崎市市長であった本島等氏が東京の外国人記者クラブで「原爆の使用はユダヤ人大虐殺とならぶ人類が冒した二十世紀最大の罪である」と発言して、出席した外国人記者からその場で烈しい非難を浴び、アメリカ本国のニューヨークタイムズも写真入りで報道し、ヒロシマ・ナガサキをナチスのユダヤ人大虐殺と同格に並べるとは許すことの出来ない実に不遜な行為であるとして、本島等氏の発言を糾弾しました。1995年といえば、原爆50周年の年、もう一つ私の記憶に焼き付いている事件は、ランズマン制作の九時間の映画『ショアー』のNHKによる放映です。ショアーはヘブライ語で大きな災厄を意味するそうです。放映は二回に分けて行なわれ、初回はNHKの柏倉康夫氏と哲学者高橋哲哉氏、次回は柏倉氏と加藤周一氏がランズマンと同席して解説的な鼎談が放映されました。そこで、ボスニアでの民族浄化を目的とした虐殺に柏倉氏が言及すると、ランズマンは、それはショアーとはまったく異なる問題だとして切って捨て、ヒロシマ・ナガサキについても、日本人はヒロシマの後それより以前の日本の残虐行為の記憶を喪失してしまった、とコメントしただけでした。ランズマンにとって、ショアーは他の大量虐殺事件とは全く異質なものであったのです。正直言って、難解な映画そのものよりも、このランズマンの断固たるスタンスの方が私にはひどい衝撃でした。高橋哲哉著『記憶のエチカ』には、このランズマンの精神的姿勢について哲学的なきびしい考察がなされていますが、一般にユダヤ人の受難が絶対的なユニークさを持っているという主張は、当時、耳を塞ぎたくなるほどかまびすしいものがありました。
 1994年5月、ニューヨークの国連本部で、時のイスラエル外相シモン・ペレスが「二つのホロコースト-ユダヤ人のホロコーストと日本人のホロコースト」とうっかり発言した時、イスラエルの新聞エルサレム・ポストはその社説で「ホロコーストは歴史にユニークな事件であるとイスラエル人は常に考えている。広島爆撃をナチの行為になぞらえるとは、この地上で最も偉大な民主主義国家、人類を奴隷化から救ったアメリカに対する許し難い侮辱である。イスラエルの外相たるものがそうした比較をやったとなれば、これはもうまったくあいた口がふざがらないの一語につきる」として、シモン・ペレスを難詰しました。ナチ・ホロコーストと原爆ホロコーストとの並列を断固として拒否却下する、こうした例は無数にあります。そのシモン・ペレスは、今はイスラエルの第九代大統領として、首相のネタニヤフと共に、ガザ地区のパレスチナ人を容赦なくいじめ抜いています。驚くべき無節操さです。
 1995年以降、本島等氏は、加害者としての日本人の意識を強め、一種の原爆被爆正当化の思想への傾斜を示すようになりました。日本は原爆を落とされて当然の悪業を犯していたという考えです。ブログ『核抑止と核廃絶(3)』の冒頭の詩「幽霊」の作者峠三吉は次のような詩も書きました。:

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

峠三吉(1917~1953)は広島市郊外の自宅で被爆、1951年、上の詩を「序」とする『原爆詩集』を自費出版、2年後、36歳で没しました。12年後、夫人峠和子は原爆症の恐怖の中で自殺。「人間を返せ」という詩人の叫びは、反核、反戦、平和の運動の合い言葉として広く用いられ、私も雑誌『世界』に「ユダヤ人と日本人が声を合わせて「にんげんをかえせ」と叫ぶことは可能ではないのか」と書いたことがありました。
 しかし、その頃(1997年)、本島等氏は「広島よ、おごるなかれ」と題する論文の中で、「峠三吉は 誰にむかって「ちちをかえせ ははをかえせ」と言っているのだろうか」と問い、
■ 峠三吉よ、戦争をしかけたのは日本だよ。悪いのは日本だよ。無差別、大量虐殺も日本がはじめたことだよ。・・・・・
日本侵略軍に、皆殺し、焼き殺され、何の罪もない中国華北は無人の地となった。1941~43年までに247万人が殺され、400万人が強制連行された。
「ちちをかえせ ははをかえせ 何故こんな目に遇わねばならぬのか」
峠三吉よ このことばは、親を皆殺しにされた、中国華北の孤児たちのことばではないのか。■(川口隆行著『原爆文学という問題領域』、p159、p163から引用)
として、被害者としてではなく、加害者としての日本人へと視座を転換します。この座標原点の選択の重要さを認める点で、私は人後に落ちませんが、私自身としては、被害者/加害者の視点を確保しながら、同時にナチ・ホロコーストが視野の外に出ないような座標原点を選びたいと考えます。
 いちはやく原爆体験に日本の戦争責任を重ねた発言として、栗原貞子の詩「ヒロシマというとき」があります。この詩から私は“無告の民”という言葉を学びました。
・・・・・
<ヒロシマ>といえば
<ああヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
・・・・・
無告の民とは、
■ 告げ訴えて救いを求めるところのない人民。よるべのない、きのどくな者。折りたく柴の記(中)「そもそも当時天下無告の民、いづれの所にか来り訴ふべき」■
と、広辞苑に説明してあります。日本人としての被害者/加害者の視野よりもっと広く、「無告の民」に向けて私の目を開いてくれたのは、またしても鎌田定夫氏です。
 鎌田定夫氏の論文『反核運動と戦争責任の自覚』(鎌田定夫・文集「時代を生きて」、p132)に、コンゴの作家マモンソノ氏の
■ 平和運動があるのは西欧、日本、アメリカ、カナダ、みんな豊かな国で、アフリカに平和運動がないのは守るべき平和がなく、人間が生ける死者の状態にあるからだ。死者は死を恐れることさえできない。これは先進大国のエゴイズム、植民地的収奪の結果で、アフリカでは植民地支配こそが第二の原爆なのだ。■
という発言が引用してあります。この発言は『朝日ジャーナル』1982年7月30日号に伊藤成彦氏が報じたもので、ドイツのケルン市で開かれた「国際文学者会議82」について「平和運動の理念と現実の落差」と題した報告の中にありました。当時はカナダで『朝日ジャーナル』を定期購読して必ず読んでいた私ですが、コンゴの作家マモンソノ氏のこの発言を読んだ記憶はなく、最近になって、鎌田定夫氏の論文から、この発言の厳しさを教示されました。人間、しかるべき問題意識がなければ、重大なことを幾らでも見過ごしてしまうことの証左です。このブログを読んで下さっている読者にも「アフリカでは植民地支配こそが第二の原爆だ」なんて原爆被爆の意味を稀釈化するものだ、許せない、と考える方がおいでかと思いますが、そうした方々も、ルワンダとコンゴの現在(2010年)の関連と、もう一つ、ガザ地区のパレスチナ人をめぐる真に重大な状況を、よく把握していただければ、上記のマモンソノ氏の発言が何ら奇矯なものでも冒涜でもないことを理解していただけると思います。
 1994年のルワンダ大虐殺を収束させた英雄とされるポール・カガメを大統領とする現在のルワンダは、欧米のマスメディアによって「アフリカ第一の希望の星」と呼ばれ、先進国からの膨大な投資に支えられて、目覚ましい発展の途上にありますが、今のルワンダは「アフリカのイスラエル」とも呼ばれています。大虐殺の対象となって絶滅の危機に瀕したとされる少数派のツチ族が多数派のフツ族を押さえつけて成立した国家で、そこではフツ族が声を奪われて、人為的な忘却の穴の中に閉じ込められ、無告の民と化しています。それにも増して過酷な忘却の穴の中で呻吟しているのは、ガザ地区のパレスチナ人です。この二つの紛争地点での被害者/加害者の転換倒立の絵図を凝視すれば、東洋の無告の民に対する日本の過去の罪科が如何に重いとはいえ、それをめぐる怒声の応酬の中に、ヒロシマ・ナガサキが真に意味するところを見失ってはなりません。ランズマンはナチスによるユダヤ人大虐殺を世界史に全く比較を絶する事件だとし断言し、ヒロシマ・ナガサキについては、「日本人はヒロシマの後それより以前の日本の残虐行為の記憶を喪失してしまった」とコメントするだけで切り捨てましたが、このランズマンを許すわけには参りません。これは原爆の意味を知ろうとしない無知の結果です。それとは逆に、あくまでアフリカ収奪を続ける先進大国のエゴイズムをコンゴの作家マモンソノ氏が「第二の原爆」と呼んだのは、原爆という表象の本質を、コンゴの無告の民の一人として、直覚した結果だと、私は思います。ルワンダ大虐殺の真相を隠蔽し、それを契機として発生した擾乱を利用して、コンゴの資源を収奪する勢力によって、今日まで、すでに何百万という無告の民がコンゴで殺されているのです。
 2007年2月7日のブログのタイトル『AK-47 as WMD』は、一つの英語クイズとして提出されました。訳せば「大量虐殺破壊兵器としてのカラシュニコフ自動小銃」となります。何のことでしょうか? 興味のある方にはこのブログ全体を読んでいただきたいのですが、便宜のため、おわりに近い部分から少し引用します。
■ アフリカ大陸には1億以上もの小型銃火器が分布し、とりわけコンゴにはそれが溢れているようです。その中で数的にダントツなのがAK-47という小銃で、この略号は「1947年型カラシュニコフ自動小銃」を意味します。旧ソ連の一技術者Mikhail Kalashnikov が1947年に開発した逸品で、砂や泥水にまみれても簡単な手入れで直ぐに使え、少年少女にも容易に取り扱えるのだそうです。その「長所」がアフリカの少年少女に大きな悲劇をもたらしています。アフリカでは30万以上の少年少女たちがいたいけな「兵士」に仕立てられて内戦に狩り出され、その結果、4百万人の子供たちが殺され、8百万人が不具者となり、千五百万人が家を失ったというユニセフの報告があります。・・・・・・
 イギリスのケンブリッヂ大学のアマルディア・セン教授(ノーベル経済学賞受賞者)によれば、世界に何億と溢れている小型銃火器の86パーセントは、国連の安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシヤ、中国で生産されたものだそうです。これでは国連の決議によって小型銃火器の製造交易をコントロールし、その氾濫を取り締まるのは絶望です。2006年はそれが如実に示された年として記憶される年になりました。
 さて、冒頭の英語クイズに戻ります。WMDは「weapons of mass destruction」、WMDがサダム・フセインのイラク国内にあると主張してアメリカ合州国がイラクに侵攻したことで、すっかり世界政治のキーワードの一つになってしまった言葉ですが、何よりも先ず、瞬時大量殺戮兵器である核兵器を意味します。しかし、ポスト・ヒロシマ・ナガサキの世界で何百万人にものぼる大量虐殺を現実に続けているのはAK-47に象徴される小型銃火器にほかなりません。前国連事務総長コフィ・アナンはこれらの呪うべき小型銃火器を、いみじくも、「weapons of mass destruction in slow motion」と呼びました。■(引用おわり)
 ここで私たちはアメリカ、イギリス、フランス、ロシヤ、中国の五カ国が、世界の瞬時大量殺戮兵器つまり核兵器の殆どすべてを保有している事実を想起すべきです。もちろんイスラエルが、非公開のまま、イギリス、フランス、中国と同レベルの数の核爆弾を所有していることも忘れてはなりませんが。多量の核爆弾を蓄積し続ける暴力とアフリカに「スローモーションのWMD」を溢れさせている暴力とは同じものです。アフリカ収奪を続ける先進大国のエゴイズムを「第二の原爆」と呼んだコンゴの作家マモンソノ氏は、原爆のシンボリックな意義を稀釈拡散させているのではなく、むしろ逆に、その本質を鋭く言い当てているのだと私は思います。
 無告の民に強制された大いなる災厄(ショアー!)という観点に立てば、ヒロシマに関して日本人に要求される被害者/加害者の意識についての深刻な反省は、いま、同じようにユダヤ人に対しても求められなければなりません。特に過去十数年間にガザ地区のパレスチナ人を無告の民と化し、地政学的に極端な暴力を揮って来たイスラエルの行動は、ナチ・ホロコーストについて彼らが主張し続けて来た特権をすべて剥奪されて然るべきものと化しました。ガザでの暴虐で、すべては完全に帳消しになったのです。ランズマンが自己の裡に発見したイスラエルとの霊的連関などを如何に強調しようとも無意味であります。また、アドルノ、ベンヤミン、ツエラン、レヴィ、アレント、・・・・、の霊がもし存在するのでれば、彼らには、アウシュヴィッツのユニーク性について、つまり、アウシュヴィッツは唯一特別のものなのか否かについて、もう一度、明確簡明な発言をやり直してもらいたいものだと思います。その場合、一切の知的饒舌はお断りです。
 無告の民の声に耳を傾け、その記憶を忘却の穴から取り戻せば、ヒロシマでの加害者/被害者の本当の区別が見えてくることを私に教えてくれたのは、異色の名カメラマン福島菊次郎氏です。『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』(社会評論社、1987年)の第4章は「いちばん弱い者たちが」と題され、次の文章から始まります。
■ 満州事変から太平洋戦争にいたる15年戦争は320万人の同胞を殺し、日本の都市部のほとんどを灰燼にして終り、戦後の飢餓と荒廃のなかに国民を投げだした。わけても生きる頼りにする父や夫、わが子を戦火に奪われた人々の数は1000万人を超えると言われ、それらの人々は戦後社会の底辺で言い知れぬ辛苦に見舞われた。戦争は勝敗のいかんにかかわらずつねに社会の底辺に生きる人々を犠牲にし、何の罪もない子どもたちの一生を左右するほどの決定的な打撃をあたえる。戦争の爪跡は30年や50年では消しようもない。■
この後に「孤児たちの島」「母と子の戦後」「孤老たちの末路」を描く48枚の写真が続きます。この本には広島原爆に直接かかわる写真も多数含まれていますが、私には福島菊次郎さんの写真のすべてが、原爆を生み、原爆を依然として保持し、原爆で無数の無告の民を殺戮することに躊躇を示さない悪の百面相をあばき、その根源的本質に肉薄していると思われます。原爆を生み出すことの出来る悪の力は、日本を含めて、世界中の何処にでも現存するのです。それを見極めること、この「反核」のイデオロギーの視野の拡大によってもたらされるものは、決してその稀釈化ではなく、むしろ、闘いの真の標的とすべき巨悪の根源に向けての我々の視線の収斂であると私は信じます。
 アフリカの資源収奪のために、代理戦争によって大量殺戮を継続し、イラクで数百万人の生活を破壊し、アフガニスタンで無辜の老若男女を殺し続け、ガザ地区のパレスチナ人を見捨てて省みない国の大統領に、世界の非核化を説く資格は全くありません。連続殺人魔が人命の尊重を説くに等しい行為です。

[付記] 5月が終るまでには、国連本部で行なわれて来た核拡散防止条約(NPT)再検討会議の結果が明らかになります。核廃絶の意向の表明を、キッシンジャー路線に沿って、アメリカの世界戦略の駒の一つとしてしか考えてないオバマ政権の実態がどこまであらわにされるかが、もっとも注目すべきポイントでしよう。今にして思えば、去る4月、プラハで麗々しく核兵器廃絶を唱い上げたとき、オバマ大統領が「私の生きている間には恐らく核兵器は無くなるまいが」と付け加えたことには、彼らしい、アメリカ政府らしいダブル・メッセージが込められていたことに気がつきます。少なくとも今から30年や40年は軍部や軍需産業にショックを与えるようなことはしないから、というメッセージが含まれていたのです。オバマ大統領が、アメリカが、核兵器の保有について、本当に“道義的責任”を感じているのならば、唯一無敵の超強大国アメリカは何時でも本格的核廃絶政策を取れるのです。今度のNPT 会議で非核保有国側が核保有国側に対して要求した具体的な核廃絶タイムテーブルを押し戻さず、それに乗って核のない世界の実現に邁進する事こそが、アメリカが本来なすべき事であったのです。しかし、今回の反核ショーがもともと大きな「嘘」から始まったことであり、オバマ大統領にそれを期待する事の方が、大きな愚行なのでしょう。

藤永 茂 (2010年5月26日)


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核抑止と核廃絶(5)

2010-05-19 08:37:38 | 日記・エッセイ・コラム
 『ヒロシマ・ナガサキ』を考える時、きまって心に浮かぶ問いかけがあります。前にも何度か引用したことがありますが、故鎌田定夫氏(1929~2002)の「原爆体験の人類的思想化を」(『ヒロシマ・ナガサキ通信』122号)です。その末尾を引用します。:
■ なぜアメリカ政府と退役軍人たちは原爆投下を美化し、“人命救助・戦争早期終結論”などの欺瞞的弁明に固執し続けるのか。なぜ日本の一部閣僚と右派知識人、一部退役軍人たちは“大東亜戦争”を賛美し、正当化しつづけようとするのか。
 問題の根は深い。
 それは単なる文化や歴史観の違いの問題ではない。あの戦争と原爆によって真に魂の危機を体験したか否か。真に死者と被爆者の立場に立ってあの悲劇を受けとめ、思想化し得たか否か、その根本が問われているのだ。
 日本人として、あるいはアメリカ人としての総括、思想化に止まらない。まさに人類的な総括、真に深い人間的な立場に立つ『ヒロシマ・ナガサキ』の世界化、人類的思想形成への実践がいま要求されていると言わねばならない。■
この発言は、いわゆるスミソニアン原爆展論争に関連してなされたものです。この論争については米山リサ著『暴力・戦争・リドレス 記憶のポリティクス』(岩波書店、2003年)の第3章「記憶と歴史をめぐる争い-スミソニアン原爆展と文化戦争」(pp84~110)でも論じられていますが、考察が文化戦争的レベルで行なわれ、そこでとられている視座が、「単なる文化や歴史観の違いの問題ではない」とする鎌田さんの立場、「人類的な総括」や「深い人間的な立場」という語彙と馴染まないのは明らかです。原爆地獄の劫火の中で被爆者が立ち会った筆舌に尽しがたい表象は人間性の深淵に盤居する絶対悪の現前したものではなかったか。鎌田定夫氏の「原爆体験の人類的思想化を」という問いかけを心に思い浮かべる度に、この絶対悪を断固として拒否し、その廃絶を目指すことが、この問いかけに答えることではないかという想いが、私の心の中で、募って来ています。
 豊田さんのいう核保有国の核戦略立案者とはどんな人たちでしょうか。アメリカについて言えば、その代表は、何といっても、エドワード・テラーとヘンリー・キッシンジャーでしょう。彼らはレオ・シラード直系の核抑止論者で、「核兵器の抑止力こそが第二次世界大戦後の長い平和を維持して来た力だ。このイデオロギーの下での核軍備競争はソヴィエト連邦の崩壊という大ボーナスさえもたらした。この調子で、核廃絶が可能である国際情勢が実現されるまで、アメリカは十分な核抑止力を維持しなければならない」と主張します。吉田文彦著『証言・核抑止の世紀』(朝日選書、2000年)を読めば、(既に鬼籍に入った)テラーがキッシンジャーなどと共にあらゆる術策と詭弁を弄して恐ろしいアメリカの核戦略を立案し推進してきたことがよく分かります。キッシンジャーは1923年の生まれですが、1955年ハーバード大学の政治学部の大学院を終了してすぐの頃から、すでに核戦略論者として頭角を現し始めていました。1952年の末には、テラーの水爆実験が成功しました。キッシンジャーは、そのすぐ後から、ゲーム理論や集団心理学を核戦略の立案に応用しようとしていました。この新進気鋭の核戦略家、アメリカ政界の新しいスターの登場をオッペンハイマーが苦々しい想いで見つめていたことが記録されています。その後50年にわたってキッシンジャーがアメリカの外交政策に与えた巨大な影響とその悪名の高さについては、私がここで改めて言葉を重ねる必要はありますまい。ただ一つここで皆さんの注意を喚起しておきたいのは、アメリカの新しい顔オバマ大統領を前面に押し立てた核廃絶論が、依然として、核抑止の思想に基礎を置くキッシンジャーの核戦略の一つの切り口に過ぎないということです。この私の断定的提言に疑問をお持ちの方は、是非2010年2月17日付けのブログ『[号外] オバマ大統領は反核でない』をお読み下さるようお願い致します。特に、そこに含まれているキッシンジャーたち「四人組」の第三論文(ウォール・ストリート・ジャーナル、2010年1月19日)の内容の吟味が必要です。この四人組の提言がオバマ政権の核軍備政策と、去る4月6日に発表された2010年度の核戦略報告書「核態勢の見直し」(Nuclear Posture Review, NPR)の基礎になっていることは明らかです。NPR については『核抑止と核廃絶(2)』で論じました。アメリカの核政策の大黒柱は依然として核抑止のイデオロギーなのであり、その核心は「皆殺しの思想」であります。
 1969年1月ニクソンの大統領就任とともに、その補佐官(国家安全保障担当)になったキッシンジャーは、核戦略だけではなくアメリカ外交を牛耳る存在になって行きます。まず手がけたのは、旧友のエドワード・テラーと共に、弾道弾迎撃ミサイル(Anti-Ballistic Missile, ABM )計画の推進でした。詳細は前掲の吉田文彦著『証言・核抑止の世紀』の177頁以降を見て下さい。
 その頃のアメリカはソ連との冷戦とベトナム侵略戦争のドロ沼の中であえいでいましたが、丁度その擾乱の時代に、実に立派な若いアメリカ人夫妻と知り合いになりました。夫君の名前はダグラス・マクリーン、分子計算の分野では良く知られた量子化学者でした。夫婦でベトナム戦争反対の運動に身を挺し、奥さんはそのため拘束拘留されたこともあり、小学生の娘さんは小学校で、両親の“反愛国的行動”のために、イジメにも遭いました。スペインのバルセローナで量子化学の国際会議があった時、海沿いの道をダグラス君と二人で散歩中に、話題がたまたま核抑止と核廃絶に及びました。普段どちらかといえば口の重い彼が、突然、私にこう言ったのです。
「アメリカ人が勇気さえ出せば、核の廃絶は可能だ。アメリカが無条件で一方的に核軍備を廃棄してしまえばよい」
私はあっけにとられて
「そんなことをしたら、ソ連が核攻撃をかけて来てアメリカを占領してしまう」
というと、彼は
「いや、そんな事はしないだろう。出来ないだろう。ソ連がアメリカに勝つために水爆で一億の人間を殺すのなら、もし、人間というものがそんなことを実際に実行するものであるならば、そんな世界は生きるに値しない」
と答えました。私が聞いていたのは冷笑的なニヒリストの声ではなく、あくまで人間のサニティを信じて、奥さんと共に体を張ってベトナム戦反対運動に参加している男の力強い声であったのです。
 現実には絶対に起こりえないことですが、一つの空想が私の心を駆り立てます。ある日、突然、オバマ大統領が「核兵器のない世界を実現するために、アメリカ合州国は、一方的に(unilaterally)、無条件に(unconditionally)、あらゆる核兵器を廃棄する」と宣言するのです。ロシアはどう動くか。中国はどう動くか。イスラエルはどうするか。
 ダグラス・マクリーンにしたがって、人類の究極的な正気を私も信じます。オバマ大統領にそれだけの勇気があれば、世界の非核化の機運は一挙に進むでしょう。アメリカ国内ではオバマ大統領の精神病院への収容が真剣に討議され、要求されるかもしれませんが。
 次回はアウシュヴィッツとヒロシマ・ナガサキを区別するか否かの問題と、それと深く通底する核廃絶の思想について考えます。

藤永 茂 (2010年5月19日)


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核抑止と核廃絶(4)

2010-05-12 09:09:57 | 日記・エッセイ・コラム
 田園書房発行(1967年)の丸木夫妻の『原爆の図』第一部幽霊にそえて、峠三吉の詩「幽霊」が収めてあります。

それは幽霊の行列
一瞬にして着物は燃え落ち
手や顔や胸はふくれ
紫色の水ぶくれはやがて破れて
皮膚はぼろのようにたれさがった
手を半ば上げて
それは幽霊の行列
力つきて人々は倒れ重なり
重なり合って死んでいったのでありました

被爆者の皮膚が剥離してたれさがったという記述は被爆体験の語り部の証言によく見られます。あゆみ出版発行(1984年)の泰山弘道著『長崎原爆の記録』には医師としての具体的な観察と記述があります。:
■ 原子爆弾により死傷者が発生するには三つの要約がある。第一はBlast, 爆風によりたちまち家屋を倒壊して圧死者を出したり、建築材料の破片が飛弾となり弾片創患者を発生すること。第二に爆発の瞬間に発するHeat Flash, 高熱度閃光により火災を起し、これにより熱傷を蒙る者が出るが、それよりもその閃光直接の作用により熱傷患者を出すこと。第三にはRadiation, ガンマー線の輻射により身体の細胞を冒して後発的に致命傷を与えることになっており、しかして最も残酷なるは高熱度閃光による熱傷であって、爆心から離れていたり多少の被いがあってこの閃光を軽く受けた者は皮膚が赤くなるくらいの第一度の熱傷で済むが、やや強い閃光を浴びた者は皮膚に水疱を生じ、表皮の剥離を来すところの第二度の熱傷を受け、烈しい閃光に曝されたる者は皮膚が黒焦げとなるところの第三度の熱傷を蒙る。これらの患者は、外見上重症の者はもちろん、軽い第一度の熱傷患者でも必ずガンマー線の輻射を受けているし、なお光を浴びた者は、熱傷がなくても輻射を受けているから原子病を起して出血素質となり、血便を出して早く死亡したり、血液に変化を起し、永井博士のごとく原子病を発生して遂に生命を奪われることになる。このように分類したところで抽象的であって、読者の頭にピンと響かないから、本院に収容した患者の見るもむごたらしい写真を載せ、なお一つ一つの写真について記録を付した。■(pp53~54)
 この最も残酷な高熱度閃光-白熱の「火の玉」について、前回引用した豊田利幸著『新・核戦略批判』から、もう少し詳しく学ぶことにしましょう。核爆弾の核分裂物質部分の温度は、爆発の最初のごく短時間(約100万分の一秒)の間に急上昇し、太陽の表面温度である摂氏100万度以上に達します。この高温は化学反応では決してえられず、高性能火薬の爆発でもせいぜい摂氏5千度です。
■ この超高温部分からは、太陽と同じように強烈な電磁輻射が出て、まわりの空気を文字通り白熱化する。これが核爆発のさい見られる「火の玉」である。火の玉は急激に成長して、一万分の一秒後には半径約13メートルに達する。その時の火の玉の表面温度は摂氏約30万度である。火の玉の急激な成長はまわりの空気を衝撃的に強く押すために、「衝撃波」(ショック・ウェーブ)と呼ばれる空気の疎密波が発生するする。これは音速より速く走り、その強い圧力(陰圧も含む)で建物を倒壊させる。爆風による被害と呼ばれているのはそれである。・・・
 火の玉は数秒間で消滅するが、その間、温度に相応する熱輻射を出す。・・・ 火の玉からの熱輻射による被害の大部分は、物質に吸収されて転化した熱によるものである。この熱輻射はきわめて強烈かつ急激であり、化学爆薬では起しえない甚大な被害を与える。・・・ 
 さて、核爆発直後、超高温部分にごく短時間閉じ込められていた核分裂片や諸種の放射線は、当然、非常な勢いで飛散する。放射線の中で問題になるのは主としてガンマ線と中性子線である。これらをまとめて「第一次放射線」という。核分裂片の方はほぼウランの半分ぐらいの重さの原子核でかなりのバラツキがあるが、いずれも強い放射能をもっている。それらの核分裂片の出す放射線を便宜上「二次放射線」という。・・・ 中性子とガンマ線を主体とする一次放射線が物質にあたれば、ほとんど例外なしに強い放射能を帯びさせる。これを「誘導放射能」という。
 以上の説明から明らかなように、「核兵器の通常兵器化」などということは原理的におこりえないし、「戦術核兵器の多くは通常兵器と識別しにくい」というのも全くの謬見である。■(pp15~17)
この物理学者豊田利幸さんの正確適切な解説を読めば、核爆弾の破壊力、殺傷力というものが、定性的にも、定量的にも、通常兵器のそれとは格段に違う恐ろしさのものであることがよく分かります。被爆した皮膚が剥げて垂れ下がり肉や骨が露出する熱傷については、
■ 広島・長崎の生き残り証人の多くが述べているように、核爆発の直後、顔や身体の露出部分の皮膚がむけて垂れ下がったまま、亡霊のようにさまよっていた人が数知れなかった。これは核爆発の超高温の火の玉から放射された高エネルギーの熱輻射によるものであった。すなわち、これは内部に熱輻射のエネルギーが伝わる前に、人体をふくむあらゆる物体の表面の温度を急激に上昇させることによって起ったものである。このようなまさに地獄絵図というべき情景は通常兵器では起こりえない。それは、化学爆発ではそのような高温を瞬間的に発生させることはできないからである。■(p44)
と解説されています。屋根瓦の表面をガラス状に溶かして「原子瓦」をつくる白熱の「火の玉」が人間の皮膚をむいて垂れ下がらせるのです。何というむごたらしい熱傷でしょう。
 私は、ここで、とても難しい問いに直面しているという緊張を覚えます。ヒロシマ・ナガサキで人間が見た地獄はハンブルグ・ドレスデンで人間が見た地獄より格段に恐ろしいものであったから、核兵器は断じて廃絶しなければならないのか?これは前回のブログの末尾で掲げた問い、「広島・長崎は東京・大阪あるいはハンブルグ・ドレスデンと区別して記憶されるべきものなのかどうか」、と同じものです。まず始めに、私はこの問いの最終的な答えに行き着いていないことを白状し、皆さんが一緒に真剣に考えて下さるようにお願いしたいと思います。
 豊田利幸さんご自身の答えは『新・核戦略批判』の次の文章に含まれているように思われます。:
■ ヒロシマ・ナガサキの惨害は文字通り筆舌に尽し難い。それは人類がかって経験したことのない現象であり、したがってそれを表現するのに適当な言葉を持っていない。辛うじて、われわれは宗教上の想念として作られた「地獄」という言葉を使うことができるだけである。・・・ 第一節で詳しく述べたように、核爆発の効果は従来の化学爆発とは質的に異なる。この点を見失ってはならない。このようにいえば、戦争において重要なのは人間を殺し、建造物を破壊することであって、その手段は問題にならない、ピストルで一人の命を奪うのと、原爆によって一人を死に至らしめるのと、どこが違う? という反論があるかもしれない。さすがに今日ではこういう意見を公然と口にする人は少なくなった。しかし、しばらく前までは核保有国の核戦略立案者たちの中で、非公開の会議の席上つぶやくように言った人は少なくなかった。これはいわば彼らのホンネであって、核兵器は人間の殺傷、建造物の破壊をきわめて効率的に行なう手段として、それらの人たちにはとらえられている。■(pp43~44)
このテクストを皮相的に読めば、豊田さんは「ヒロシマ・ナガサキはハンブルグ・ドレスデンとは違うのだ」と主張されているようにもとれますが、その解読は誤っていると考えます。一部のポストモダニストとは違って、私は、一つのテクストには、正しい読み方と正しくない読み方がありうるという立場を取ります。豊田さんの強調点は「核爆発の効果は従来の化学爆発とは質的に異なる」ことにあるのではなく、むしろ、核兵器を人間の殺傷、建造物の破壊をきわめて効率的に行なう手段と看做す核保有国の核戦略立案者たちの精神的姿勢の糾弾に置かれていると、私は解釈します。核爆発のもたらしうる惨禍が化学爆発のそれとは質的にも量的にも格段に(quantum jump!)凄まじいことを知りながら、依然として、敵対する人間集団に核攻撃をかけることを想定し続けるという人間精神の悪魔性、「皆殺しの思想」こそが、ここで糾弾されているのだと私は解釈したいのです。人類がこのまま膨大な核兵器の蓄積を続ければ、人類全体が核被爆の特別なむごたらしさの中で全滅するから、核兵器は廃絶しなければならない、と本当に本気で考えることの出来る人が一体どれだけ存在するでしょうか。心底から、我らの子々孫々の未来を憂いている人間が一体どれだけ居るでしょうか。全人類とか子々孫々とかの事を、我々は本当に想い憂いているでしょうか。それよりも、むしろ、「きのこ雲」という恐るべき表象を前にしながら、あらゆる詭弁を弄して核の保有を続けようとする人間たちのおぞましい想念を断固として拒絶することこそが豊田さんの精神的姿勢であったのだと私は解釈します。この意味では、豊田利幸の深い怒りの中で、ヒロシマ・ナガサキとハンブルグ・ドレスデンとの間に区別は存在しなかったに違いないと、私は推測します。この解釈、この解読について、次回にはもっと言葉を重ねたいと思います。

藤永 茂 (2010年5月12日)


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核抑止と核廃絶(3)PGS

2010-05-05 08:15:39 | 日記・エッセイ・コラム
 さる4月22日、ニューヨーク・タイムズやCBCニューズは、オバマ政権がPGSと名付けられる新しい爆弾攻撃システムの採用を考えていることを報じました。これは重大事件です。5月3日からニューヨークで始まった核兵器不拡散条約 (NPT, Nuclear Non-Proliferation Treaty) 再検討会議に日本から参加している多数の人たちが、このショッキングなニュースをどう受けとめているか、大変気になります。フィデル・カストロは、4月23日、このニュースに直ちに反応して「われらの時代の錯乱狂気」と題する文章を発表し、PGSは、「アメリカ帝国が“民主的”で、“平和的”で、“他利的”で、また“正直”であると我々に信じさせようとする試みにおいて、この帝国の哲学をよく表している」として、辛辣な批判を投げかけました。私も現在の『核抑止と核廃絶』シリーズの話の流れを中断して、間奏曲的に、このPGS の問題を取り上げます。
 PGS は「Prompt Global Strike」の略語です。標準和訳語を知りませんので「即時グローバル電撃」と仮に訳しておきます。このミサイル武器システムは、核弾頭に匹敵する破壊力を持つ巨大重量の通常火薬弾頭を、超高速、超高精度で、標的に命中させることが出来るようにデザインされます。具体的な標的の例としては、洞窟に隠れているオサマ・ビン・ラディン、発射台に運搬中の北朝鮮ミサイル、イランの核施設が挙げられています。おそらくアメリカ西海岸のヴァンデンバーグ空軍基地から発射されるPGSミサイルは、地球の如何なる地点にも、一時間以内に到達して爆撃できることになっています。これまでの大陸間弾道弾と違って、音速の数倍の速度で大気中を飛びますから、その飛行パターンは確実にコントロールすることができ、飛行の途中での鋭角的なコース変更も可能だそうです。悪魔の飛行体です。
 ニューヨーク・タイムズによると、PGSは新しいアイディアではなく、ブッシュ大統領がロシア政府に通知したことがあり、これに対して、ロシア側からは、飛んでくる弾頭が、核弾頭か通常火薬弾頭かを区別できないから、むしろ、核戦争の危険性が増すとして反対されたことがあったそうです。ブッシュ政権の国防長官から引き続いてオバマ政権の国防長官になったロバート・ゲーツは「ブッシュ政権の下では、PGSについて、それ以上の進展はなかったが、オバマ政権になって再び取り上げられた」と証言しています。「この分だけ、核兵器のない世界に近づくことになる」というのがオバマ大統領自身のいい分だそうです。これがカストロのいう「われらの時代の錯乱狂気」でなくて何でありましょうか。皆さん、どうお考えですか。
 アメリカが、ヒロシマ・ナガサキのあと、世界に放った悪の鶏が、いま自分の庭に戻ってくることを(One’s chickens come home to roost)、アメリカは今いちばん恐れています。アメリカがいう“テロリスト”が何らかの形での核被爆体験をアメリカ国民に与えはしないかと戦々恐々としています。オバマ政権の巧みな演出のもとで5月一杯繰り広げられる反核ショーでのアメリカのほぼ唯一の関心事はイランです。他のことは所詮ウインドウ飾りに過ぎません。
 アメリカは核兵器を実際に使った国として道義的責任がある、とオバマ大統領はプラハで言いました。彼の言う道義的責任とは一体なにを意味するのでしょうか。彼は核兵器のない世界を目指すと言いますが、PGSというサタニックな攻撃システムを編み出してくる力と、原爆を生み、広島・長崎に投下し、その後も核兵器の恐怖との共生を世界中の人間に強いて来た力とは、全く同じものです。核兵器はやめるが戦争は続けると公言してPGSシステムの開発を推進する大統領とその国を真っ向から批判できない人々は、如何なる詭弁を弄するにせよ、すでに自己を欺瞞し、核廃絶の真の志を見失った人々です。
 下(しも)の川が貫流する長崎爆心地公園の奥まった場所に外国人戦争犠牲者追悼碑があり、「核廃絶人類不戦」と大書してあります。核廃絶の祈りと人類不戦の誓いは切り離すことの出来ない一体不離のものでなければなりません。
 核兵器不拡散条約は古く長い歴史を持つ全世界的条約です。1963年に国連で採択され、1968年に62カ国が調印し、その数は、2007年には、190国にのぼりました。日本語版のウィキペディアにあるように「典型的な不平等条約」ですが、それを承知で世界中の核兵器非保有国がこの条約に参加したのは、人類の圧倒的多数が核兵器のない平和な世界を強く望んだからです。条約には三つの柱があります。日本の外務省の公式サイトには、
(イ) 核不拡散
(ロ) 核軍縮(第6条)
(ハ) 原子力の平和的利用
とあります。調印当時、核兵器を保有していた5カ国(米国、ソ連、英国、フランス、中国)以外の国が核兵器を持つことを禁止し(イ)、そのかわり、核兵器保有5カ国は核兵器廃絶に向けて努力する(ロ)、という所がこの条約の根幹です。条約に違反する国家を監視査察する権限を持つ機関として国際原子力機関(IAEA, International Atomic Energy Agency)がありますが、IAEAが核兵器保有5カ国に踏み込んで保有核爆弾の数を確かめたりする事が実現する確率は限りなくゼロに近いのです。典型的な不平等条約と呼ばれる理由の一つです。米軍侵攻以前のイラクについて、IAEAの査察官は「イラクには大量破壊兵器(WMD)は見つからない」と言っていたのですが、時の米国国務長官コリン・パウエル(黒人)は「いや、たしかにサダム・フセインはWMDを隠し持っている」と真っ赤な嘘をつき、アメリカはイラク侵攻に踏切りました。昨年末までIAEA事務局長だったエルバラダイ(2005年ノーベル平和賞受賞)は、イランは核兵器を開発していないと判断していました。エルバラダイを継いで事務局長になった天野之弥氏はどのような判断を下すでしょうか。
 オバマ大統領は核軍縮についてロシアと新しい合意に達したと鬼の首でも取ったように宣伝しますが、上記の核兵器不拡散条約の第6条から見れば、今までこの条約を十分履行していなかったことを白状しているようなものです。この40年間、のらりくらりと条約義務不履行を続けて来たのです。今回のニューヨーク会議でアメリカ政府が「アメリカは、冷戦終結後、こんなにお利口に核爆弾の数を減らして来ましたよ」と大声を上げているのは、一部の国々から核兵器不拡散条約違反を責められないための工作です。しかし、私の考えでは、この条約の発効以来、米国の最大の条約違反は、イスラエルの核兵器開発保有に手を貸し、そのため、イスラエルの保有核爆弾数が英国、フランス、中国のそれに匹敵する大きさにまで成長したことです。オバマ大統領は、この重大な条約違反について何らかの応答を示すことを求められています。それが、イスラエルによるイラン核施設に対する電撃作戦の許容でないことを切に祈るばかりです。

藤永 茂 (2010年5月5日)


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