ブルキナファソはアフリカ西部の内陸国で人口1750万、ブルキナは「高潔な人」、ファソは「祖国」を意味するのだそうです。南はコートジボワールに接しています。去る10月30日、百万人とも言われる大群衆(多くが若者たち)がデモに繰り出して、コンパオレ大統領の即時辞職を要求し、国会議事堂に侵入して火を放ち、議会の進行を止めました。そこでは、過去27年間、独裁的権力の座にあるコンパオレの任期をさらにもう一期延長する決議がなされる予定でした。コンパオレは辞任を拒否しましたが、それが避けられないと判断した軍部はトラオレ将軍が大統領の代役を務めることを発表して、コンパオレは、31日夕刻、隣国のコートジボワールに脱出しました。しかし、翌11月1日には早くもトラオレは失脚し、代わってコンパオレ大統領の親衛隊の指揮官ジダ中佐が政府最高責任者となりました。ブルキナファソ空前の大デモを組織した指導者たちは、この軍部の動きに反対して、飽くまで民政の実現を要求し、若者を中心とするデモ隊は首都の国営テレビ局に侵入を企て、若者一人が射殺されました。軍部は暴力的デモが続いて国内が無秩序になることをおそれ、デモの指導者の一人サランセメを力づくでテレビ局内に連れ込み、彼女を懐柔して軍とデモ隊との偽りの協調を演出しようと試みたとも報じられました。
11月3日にはジダ中佐は「軍は国家権力の掌握は求めていない。しかし、秩序の混乱は全力で阻止する」と声明し、やがて軍政から民政の移行を約束するが、その移行のプロセスについては、軍が主導する方針を明らかにしました。これに対して、デモを行った大衆側は、11月10日、ジダ中佐の実権掌握にも強く反発して、来年2015年の11月までの1年間以内に一般総選挙を実施することを要求しました。結局、国外からの調停もあって、11月17日には、コンパオレ政府の前外務大臣でブルキナファソの国連代表も務めたミシェル・カファンドが、軍政から民政への移行期間の臨時大統領に選ばれました。
こうして、27年間米欧の意向に沿ってブルキナファソを支配してきたコンパオレ大統領を国外に追放し、その後を継いで軍政を続けようとしたジダ中佐も一応退けた形で、軍政から民政への移行の筋道がついたように見えますが、幾つかの深刻な事情を抱えていて、ブルキナファソの前途は予断を許さず、多難が予期されます。その根本的な理由は、コンパオレもジダも、アメリカ合州国内で特訓を受けた、言うなれば、ペンタゴンの子飼いの犬だということです。今後、CIA的な謀略で、なし崩しに一般大衆の反抗エネルギーが弱められて、コンパオレがコートジボワールから帰還して、またまた大統領の座に返り咲くことさえ起こりかねません。ホンジュラスやハイチで米国がやったことを思い出してください。
とりわけ、コンパオレはひどい男です。1983年、アッパーヴォルタと呼ばれていた当時のブルキナファソで、トマ・サンカラがクーデターで政権を奪取し、いわゆるサンカラ革命を開始して、実に目覚しい成果を収めるのですが、僅か4年後の1987年、サンカラの刎頚の友であった筈のブーレーズ・コンパオレは、フランスとアメリカの意を体して、その友を裏切り、暗殺して自ら権力の座に着き、その後27年間ブルキナファソを独裁的に支配してきました。
米欧のマスメディア、したがって、日本のマスメディアも報じませんでしたが、10月3日のコンパオレ追放の巨大デモに参加した多くの若者たち(サンカラの死後に生まれた)がサンカラにちなんだ柄のT-シャツを着ていたそうです。これは軽い事実ではありません。今度のブルキナファソでの政変が、アフリカについてだけではなく、世界史的な意義を担う可能性を示唆しているからです。真正な意味での「アフリカの春」の到来を意味しているかも知れないからです。
藤永 茂 (2014年11月26日)
11月3日にはジダ中佐は「軍は国家権力の掌握は求めていない。しかし、秩序の混乱は全力で阻止する」と声明し、やがて軍政から民政の移行を約束するが、その移行のプロセスについては、軍が主導する方針を明らかにしました。これに対して、デモを行った大衆側は、11月10日、ジダ中佐の実権掌握にも強く反発して、来年2015年の11月までの1年間以内に一般総選挙を実施することを要求しました。結局、国外からの調停もあって、11月17日には、コンパオレ政府の前外務大臣でブルキナファソの国連代表も務めたミシェル・カファンドが、軍政から民政への移行期間の臨時大統領に選ばれました。
こうして、27年間米欧の意向に沿ってブルキナファソを支配してきたコンパオレ大統領を国外に追放し、その後を継いで軍政を続けようとしたジダ中佐も一応退けた形で、軍政から民政への移行の筋道がついたように見えますが、幾つかの深刻な事情を抱えていて、ブルキナファソの前途は予断を許さず、多難が予期されます。その根本的な理由は、コンパオレもジダも、アメリカ合州国内で特訓を受けた、言うなれば、ペンタゴンの子飼いの犬だということです。今後、CIA的な謀略で、なし崩しに一般大衆の反抗エネルギーが弱められて、コンパオレがコートジボワールから帰還して、またまた大統領の座に返り咲くことさえ起こりかねません。ホンジュラスやハイチで米国がやったことを思い出してください。
とりわけ、コンパオレはひどい男です。1983年、アッパーヴォルタと呼ばれていた当時のブルキナファソで、トマ・サンカラがクーデターで政権を奪取し、いわゆるサンカラ革命を開始して、実に目覚しい成果を収めるのですが、僅か4年後の1987年、サンカラの刎頚の友であった筈のブーレーズ・コンパオレは、フランスとアメリカの意を体して、その友を裏切り、暗殺して自ら権力の座に着き、その後27年間ブルキナファソを独裁的に支配してきました。
米欧のマスメディア、したがって、日本のマスメディアも報じませんでしたが、10月3日のコンパオレ追放の巨大デモに参加した多くの若者たち(サンカラの死後に生まれた)がサンカラにちなんだ柄のT-シャツを着ていたそうです。これは軽い事実ではありません。今度のブルキナファソでの政変が、アフリカについてだけではなく、世界史的な意義を担う可能性を示唆しているからです。真正な意味での「アフリカの春」の到来を意味しているかも知れないからです。
藤永 茂 (2014年11月26日)