現在のシリーズの(1)(8月8日)に、「私は60年代の終りから今日まで“新世界”の先住民たちのことに関心を持ち続け、アメリカ合衆国の黒人の過去と現在についても色々と思いをめぐらして来ました。アメリカの黒人の大多数がアフリカから奴隷商人によって交易品として運ばれてきた人達の子孫であることは心得ていましたが、過去500年にわたってヨーロッパ白人が行ってきた北中南米地域への奴隷交易の凄まじい全体像を知ったのは、『闇の奥』読後のことです。そして、過去から現在ただ今につながる、ヨーロッパが犯し続けている悪行の巨大さとその恐るべき一貫性に圧倒され、ともすれば、言葉を失い勝ちになっているのが、私の現状です。」と書きました。80歳を越した今になって、人間についてのこのような知識を得ることは、不幸なことであった、知らないままで死を迎えた方が良かったという想いが確かにあります。10年ほど前、原爆について書いた時、「人は人に対して狼なり」という西洋の古い格言をもじって、「人は人に対して人なり」と書き直してみたことがありました。人間ほど同類に対して残忍非情でありうる動物はないと言いたかったのです。しかし、今ふりかえってみると、あの頃はまだ、人間というものに対する絶望の度は今よりは抽象的で甘いものであったと思います。この500年間、アフリカの黒人たちがどのような取り扱いを受けてきたかに就いて、私の知識が僅少で浅薄で歪曲されたものであったからです。
白人と黒人との関係について「公平で客観的な立場」とはどういうものでしょうか?
「白人が黒人をひどい目にあわせたのは、白人にそれをするだけの力があったからだ。もし、黒人がその力を持っていたら、黒人は白人をひどい目にあわせただろう」とするのは、「公平で客観的な立場」の候補の一つであり、それが人間というものについての真実であるのかもしれません。私はそれを恐れます。では、「ドイツ人がユダヤ人をひどい目にあわせたのは、ドイツ人にそれをするだけの力があったからだ。今はユダヤ人がパレスチナ人をひどい目にあわせているが、それは、ユダヤ人にその力があるからだ」というのはどうでしょう。この立場は、公平で客観的なものとして、ユダヤ人もパレスチナ人も決して受け入れないに違いありません。
白人と黒人との関係について「公平で客観的な立場」を求めるには、先ず、過去から現在に至る白人の悪行を白日の下に曝すアカデミックに厳密な作業が行われなければなりません。同じように、「大東亜戦争」の美名にかくれて我々が犯した悪行も、妥協を許さないアカデミックな作業によって、その全貌が明らかにされなければなりません。勿論、こうした作業が容易に行えるとは考えませんが、それが容易には行われない理由をピンダウンすることから作業を始めることは可能です。第一に取り上げるべき事は、アングロサクソンの自己正当化、自己美化、自己欺瞞の驚くべき才能と、その長い伝統です。ブッシュが暴力的に展開している「民主主義のための聖戦」は、言うまでもなく、その伝統の現在形の顕示に過ぎません。困ったことに、英米の歴史家、評論家、ジャーナリストたちの間でも、この伝統を踏襲する人々が多数派を占めています。ホワード・ジンもノーム・チョムスキーも遂に「荒野に叫ぶ声」として終ることでしょう。この英国精神の瞠目すべき特質について、最近、中学校の旧友から、実に興味深い事柄を教えてもらいましたので、ご披露します。
近衛文麿は、1945年、55歳で服毒自殺と遂げましたが、1918年、27歳の時、第一次世界大戦の休戦日の数日前に『英米本位の平和主義を排す』という論文を書き、発表しました。その全文、興味津々の内容ですが、ここでは上に論じてきたことと深く関連する部分だけを引用します。
■ かつてバーナード・ショウはその『運命の人』の中においてナポレオンの口を借りて英国精神を批評せしめていわく「英国人は自己の欲望を表すに当り道徳的宗教的感情をもってする事に妙を得たり。しかも自己の野心を神聖化して発表したる上は何処までもその目的を貫徹するの決断力を有す。強盗掠奪を敢えてしながらいかなる場合にも道徳的口実を失わず、自由と独立を宣伝しながら植民地の名の下に天下の半ばを割いてその利益を壟断しつつあり」と。ショウの言う所やや奇矯に過ぐといえども、英国植民地史を読む者はこの言の少なくとも半面の真理を穿てるものなることを首肯すべし。■
バーナード・ショウの『The Man of Destiny』は1895年の出版、コンラッドの『闇の奥』が世に出る5年ほど前のことで、この二人は可成りの交際があったようですから、コンラッドは、多分、この作品を知っていたでしょう。19世紀後半の英国の植民地経営や黒人奴隷制に対する英国のphony な「道徳的進歩性」を見るショウやホブソンの眼識には確かなものがあります。これと比較してコンラッドはどうでしょうか。コンラッド・スタディの重要文献として私が重視してきたケースメント宛の例の公開書簡(全文は<2007年1月3日>ブログ、または『「闇の奥」の奥』参照)を、ここで改めて読んでみましょう。「七十年も前に人道的立場から奴隷売買を廃止してしまったヨーロッパの良心が、コンゴの現状を黙認しているのは異常なことです。・・・昔はイングランドがヨーロッパの良心をしっかりと護っていた。イングランドが率先してそれを唱えていたのです。でも今では、我々は他のことにかまけて忙しく、重大事件の数々に巻き込まれて、人間性とか、品位とか、公正さのためにひと肌脱ぐことはやめてしまったようです。・・・」(『「闇の奥」の奥』115,116)。“七十年前”とは1833年英帝国領土内で奴隷制度が廃止されたことを指します。“ヨーロッパの良心”とは、勿論、イングランドのこと。このコンラッドの文章はナポレオンの英国精神批判がピッタリ当てはまるものと言えましょう。このコンラッドは、イギリス人から見て、バーナード・ショウ(アイルランド出身)などよりは遥かに立派な“one of us” に成りきっています。その“one of us” では確かにあり得ない私たちは、彼らの執拗で巧みな自己美化の筆の下をかいくぐって、この500年間、白人が黒人に何をして来たかを見定めなければなりません。そうすることによって、初めて、「公正で客観的な立場」というものが見えてくる筈です。
藤永 茂 (2007年8月29日)
白人と黒人との関係について「公平で客観的な立場」とはどういうものでしょうか?
「白人が黒人をひどい目にあわせたのは、白人にそれをするだけの力があったからだ。もし、黒人がその力を持っていたら、黒人は白人をひどい目にあわせただろう」とするのは、「公平で客観的な立場」の候補の一つであり、それが人間というものについての真実であるのかもしれません。私はそれを恐れます。では、「ドイツ人がユダヤ人をひどい目にあわせたのは、ドイツ人にそれをするだけの力があったからだ。今はユダヤ人がパレスチナ人をひどい目にあわせているが、それは、ユダヤ人にその力があるからだ」というのはどうでしょう。この立場は、公平で客観的なものとして、ユダヤ人もパレスチナ人も決して受け入れないに違いありません。
白人と黒人との関係について「公平で客観的な立場」を求めるには、先ず、過去から現在に至る白人の悪行を白日の下に曝すアカデミックに厳密な作業が行われなければなりません。同じように、「大東亜戦争」の美名にかくれて我々が犯した悪行も、妥協を許さないアカデミックな作業によって、その全貌が明らかにされなければなりません。勿論、こうした作業が容易に行えるとは考えませんが、それが容易には行われない理由をピンダウンすることから作業を始めることは可能です。第一に取り上げるべき事は、アングロサクソンの自己正当化、自己美化、自己欺瞞の驚くべき才能と、その長い伝統です。ブッシュが暴力的に展開している「民主主義のための聖戦」は、言うまでもなく、その伝統の現在形の顕示に過ぎません。困ったことに、英米の歴史家、評論家、ジャーナリストたちの間でも、この伝統を踏襲する人々が多数派を占めています。ホワード・ジンもノーム・チョムスキーも遂に「荒野に叫ぶ声」として終ることでしょう。この英国精神の瞠目すべき特質について、最近、中学校の旧友から、実に興味深い事柄を教えてもらいましたので、ご披露します。
近衛文麿は、1945年、55歳で服毒自殺と遂げましたが、1918年、27歳の時、第一次世界大戦の休戦日の数日前に『英米本位の平和主義を排す』という論文を書き、発表しました。その全文、興味津々の内容ですが、ここでは上に論じてきたことと深く関連する部分だけを引用します。
■ かつてバーナード・ショウはその『運命の人』の中においてナポレオンの口を借りて英国精神を批評せしめていわく「英国人は自己の欲望を表すに当り道徳的宗教的感情をもってする事に妙を得たり。しかも自己の野心を神聖化して発表したる上は何処までもその目的を貫徹するの決断力を有す。強盗掠奪を敢えてしながらいかなる場合にも道徳的口実を失わず、自由と独立を宣伝しながら植民地の名の下に天下の半ばを割いてその利益を壟断しつつあり」と。ショウの言う所やや奇矯に過ぐといえども、英国植民地史を読む者はこの言の少なくとも半面の真理を穿てるものなることを首肯すべし。■
バーナード・ショウの『The Man of Destiny』は1895年の出版、コンラッドの『闇の奥』が世に出る5年ほど前のことで、この二人は可成りの交際があったようですから、コンラッドは、多分、この作品を知っていたでしょう。19世紀後半の英国の植民地経営や黒人奴隷制に対する英国のphony な「道徳的進歩性」を見るショウやホブソンの眼識には確かなものがあります。これと比較してコンラッドはどうでしょうか。コンラッド・スタディの重要文献として私が重視してきたケースメント宛の例の公開書簡(全文は<2007年1月3日>ブログ、または『「闇の奥」の奥』参照)を、ここで改めて読んでみましょう。「七十年も前に人道的立場から奴隷売買を廃止してしまったヨーロッパの良心が、コンゴの現状を黙認しているのは異常なことです。・・・昔はイングランドがヨーロッパの良心をしっかりと護っていた。イングランドが率先してそれを唱えていたのです。でも今では、我々は他のことにかまけて忙しく、重大事件の数々に巻き込まれて、人間性とか、品位とか、公正さのためにひと肌脱ぐことはやめてしまったようです。・・・」(『「闇の奥」の奥』115,116)。“七十年前”とは1833年英帝国領土内で奴隷制度が廃止されたことを指します。“ヨーロッパの良心”とは、勿論、イングランドのこと。このコンラッドの文章はナポレオンの英国精神批判がピッタリ当てはまるものと言えましょう。このコンラッドは、イギリス人から見て、バーナード・ショウ(アイルランド出身)などよりは遥かに立派な“one of us” に成りきっています。その“one of us” では確かにあり得ない私たちは、彼らの執拗で巧みな自己美化の筆の下をかいくぐって、この500年間、白人が黒人に何をして来たかを見定めなければなりません。そうすることによって、初めて、「公正で客観的な立場」というものが見えてくる筈です。
藤永 茂 (2007年8月29日)