私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

キューバに対する経済戦争

2015-04-29 21:17:31 | 日記
 前回のブログで、今回は主にSalim Lamrani著の『THE ECONOMIC WAR AGAINST CUBA, A Historical and Legal Perspective on the U. S. Blockade 』(2013年)に基づいて、米国が1960年から今日まで半世紀以上という異常に長い期間にわたって綿々と続けてきた、過酷な対キューバ経済制裁の全体を考えてみたいと予告をしました。ラムラニの本を読む前にも、この問題については私なりにあれこれの論説も読み、個人的な見解もある程度出来ていましたが、今度ラムラニの本を通読し、加えて日米の学者たちの論考を幾つか読んでみたので、感想を綴ります。
 サリム・ラムラニはパリ・ソルボンヌ大学のスペイン語とラテンアメリカ研究の教授であり、カストロ兄弟のキューバの熱心な支持者として極めて健筆のジャーナリストでもあります。しかし上掲書の筆致は冷静簡潔であり、議論はその大部分が米国で出版された公式文書を根拠とし、感情に走った箇所はありません。ラムラニの筆になる本文部分の長さは64頁です。付録Iには、1992年から2011年までの国連総会での「米国の対キューバ経済制裁」に関する投票結果、付録IIには、2011年度の投票結果と各国代表の発言が詳しく記述されていて、この付録の部分が38頁を占めています。
 話は勿論フィデル・カストロのキューバ革命から始まりますが、私たちとしては、そのドラマチックな経過よりも、ラムラニが指摘する初期の革命政権の性格に注目しましょう。最初の革命臨時政府は共産党勢力とははっきり一線を画し、米国政府も満足できる性格でした。フィデル・カストロが米国と友好的な関係を維持したいと思っていたことはCIAも認めていました。しかし、カストロが首相になって1959年5月に開始した農地改革を始めとする革命政府の経済政策はどれも米国政府の不興を買い、その6月にはアイゼンハウアーの米国政府は早くもキューバに対する経済制裁を考え始めました。1959年当時、キューバは輸出の65%、輸入の73%を対米貿易に依存し、キューバ経済は全面的に米国市場に依存して成立していたのです。米国が露わにし始めた敵意に直面して、カストロ政府はソ連邦に接近を始め、米国資本とその系統の外国企業の国営化を進めました。私はここでのコンゴ共和国の初代首相パトリス・ルムンバのことを思い出します。彼の暗殺については、以前、シリーズで取り上げたことがありますが、キューバ革命と同じ頃の1961年1月17日、コンゴのカタンガの森の中でパトリス・ルムンバは、ベルギー軍憲兵たちによって、銃殺されました。35歳。彼も、始めは、アイゼンハワーのアメリカに援助を求めましたが、袖にされて、ソ連に接近しました。暗殺の首謀者はCIAでした。
 富裕層や外国人地主からの農地の接収や企業の国営化は、カストロによって強引に実施されたものと私は想像していましたが、ラムラニの本によると、法的に妥当な補償が行われ、それを頭から受け入れなかったのは米国政府だけであったようです。米国政府はカストロの革命政府を潰すつもりで経済制裁を始めることにしたのですから、これは当然でした。この点に関するラムラニの文章を別のところで見つけたので、借用引用させて頂きます。:

http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10054917557.html

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経済制裁の目的、それは常にキューバ政府を転覆させることだが、アメリカ間問題担当の国務次官補、レスター・D・マロリーによって1960年4月6日に明確に定義されていた。当時のアメリカ間問題担当国務次官補、ロイ・R・Rubottomジュニアの覚書で。
「キューバ国民の大多数はカストロを支持している。有効な政治的反対勢力はない。(・・・)。(体制に対する)国内の支持を消滅させるための唯一の可能な手段は、経済的不満と欠乏によって幻滅と失望を引き起こすことである。(・・・)。キューバの経済力を弱めるために、あらゆる可能な手段が迅速にとられるべきである。(・・・)。非常に強い影響力を持ち得る措置は、キューバに対する全ての資金供給と物資の配給を拒否することであろう。それによって金銭的収入と実際の給料が減ることになり、飢餓、絶望を引き起こし、政府を転覆するように仕向けることになる」。
「この条約では、集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもつて行われた次の行為のいずれをも意味する。」と規定する1948年9月9日のジェノサイド禁止条約が第2条で告発するように、それはまさしくジェノサイドの企てである。項目bとcはそれぞれ、「集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること。」と「全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。」をほのめかしている。これ以上明確にすることはできないだろう。 (引用終わり)
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 アイゼンハワー政府は、1960年7月に始まって、キューバからの砂糖の輸入禁止を開始してキューバ農業に壊滅的な打撃をあたえ、1961年1月には一方的に国交を断絶して米国民のキューバ渡航を禁じます。続くケネディ政府は、1962年2月、キューバに対する全面的経済封鎖に踏み切りました。それは、医薬品と食料を含み、明らかな国際法違反行為でした。ケデディ大統領のキューバ締め上げは残酷なもので、次々に諸外国にも圧力をかけ、例えば、1962年9月には、船舶の所有国を問わず、キューバと取引をするすべての船舶の米国の港への寄港を禁止しました。米国の歴史家 Louis A. Perez Jr.によれば、:
「米国による経済制裁は壊滅的な効果を生じた。1960年代初頭、スペアの部品の欠乏のため多くの産業が危機状態に陥った。ほとんど全ての産業がキューバでは禁止となった補給部品に頼っていたのだ。多数の工場が麻痺してしまった。あらゆるものが壊滅した。とりわけ交通機関がひどい影響を受けた:政府は月あたり7千を超える故障事故を報じた。1961年末には国内のバスの四分の一が走行不能になり、1400の客車車両の半分が1962年には使えなくなった。スペアの部品不足ですべてのキャタピラー・トラクターの四分の三が動かなくなってしまった。」
 これでは農業も工業も交通機関もあがったりで、まさに国難、食料の配給制度は1963年に始まり、現在でも行われていて、少なくとも飢えで死ぬ人間は出ないようになっているわけです。旅行記的には、ハバナはビンテージものの大型米車が動いているので有名ですが、裏の事情は上記の通りです。
 米国の経済制裁がキューバの保健医療制度に与えた影響については、別のところで見つけたラムラニの文章を又引用させて頂きます。:

http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10054917557.html


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「保健衛生の領域も決して免れない。この分野での損失は3000万ドルになると評価されている。こうして、キューバ眼科研究所「Ramón Pando Ferrer」はハンフリー・ツァイスによって商品化されている網膜検査機器の取得を拒否されただけでなく、多国籍企業ノヴァルティスによって供給されている医薬品Visudyne(ビスダイン、加齢黄斑変性症の光化学療法に使用される薬)の取得も拒否された。同じ方法で、アボット研究所は小児向け麻酔薬Sevorane(セボフルレン、日本での商品名はセボフレン)の販売を拒否した。アメリカ財務省はまた、特に心臓不整脈(訳注:不整脈ではなく、心臓弁膜症と思われる)に冒された小児向けの人工心臓弁の販売を禁止した。」(引用終わり)
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ラムラニの本には、独立の章を設けて、更に詳細に論じてありますので興味のある方は見てください。米国政府の冷酷残忍さを示すエピソードを一つ紹介しましょう。
 2006年国連主催の国際児童画コンクールで、不治の遺伝性血友病を患うキューバの13歳の少年が優秀賞を獲得して、アルジェリアで授賞式が行われたのですが、賞品のニコンのカメラに米国内で製造された部品が使用されているとして、その授与を米国政府は阻止しました。何という話でしょう。この意地の悪さは本物の悪魔のレベルです。
 さて、米国のキューバに対する経済制裁について専門的に語るとなれば、1992年に制定されたトリセリ(Torricelli)法と1996年に制定されたヘルムズ・バートン(Helms-Burton)法を論じなければなりませんが、国内法でありながら、国外にも甚大な影響を及ぼす(extraterritorial)法律で、これに深入りすると米国の国内事情の複雑さに足を取られて、キューバに対する経済制裁の本質が、かえって、見えにくくなります。一夜漬けの素人の見解ですが、専門的論考のほとんどがこの病弊の犠牲になっているように思えました。
 そこでガラリと手を変えて、以下には、米国の文学者アリス・ウォーカーの簡潔な書評を訳出します。

The Economic War Against Cuba, the book by Salim Lamrani
©2014 by Alice Walker

No revolution has meant more to me than Cuba’s; I am among millions around the world who, either raised in poverty or understanding of it’s causes, have pledged allegiance to a way of living that does not sadistically and greedily crush the poor. Over four visits and as many decades I have witnessed the destructive harm the US embargo has done to some of the finest people on earth. It has been heart shattering. And yet, the heart rebuilds itself by the activity of continued admiration,respect and love.
I have not read Lamrani’s book but over many years I have read his Cuba dispatches. I have marveled at his dedication to exposing the endless lies about Cuba and its revolution, and have been thankful to see someone of such courage and skills ever standing for what is true.
I consider Cuba’s a teaching revolution. Just as, in the Sixties, Cuban youth took to the hills and valleys of their country to teach every single person who desired it, how to read, we who are facing a world crisis unparalleled in the history of humans – as far as most of us know – must seek to learn all we can about how to survive as human under the brutal dictatorship of banks, military and economic violence, and greed. This book is probably a very wise start.

<翻訳>
 キューバ革命ほど私が深く思い入れる革命は他にありません。私は、貧困の中で、あるいは、貧困の生じる原因を理解しながら育てられ、貧しい人々を加虐的に貪欲に押しつぶすことのない生き方をしようと誓った世界中何百万という人間の中の一人です。四度の訪問とこの何十年にもわたって、私は米国による貿易封鎖が地球上最も素晴らしい人たちであるキューバ国民の何人かに破壊的な害を与えるのをこの眼で見ました。それは心を打ち砕かれる経験でした。それでも、心は途切れることのない感嘆と尊敬と愛の働きで自然に立ち直るものです。
 私はまだラムラニさんの本を読んでいませんが、長年にわたって彼のキューバ通信を読み続けています。私は、キューバとキューバ革命についての終わりを知らぬ嘘をあばく彼の献身ぶりに感嘆し、真実のために立ち上がる勇気と技能を持つ彼のような人がいることに感謝を続けてきました。
 私はキューバ革命を教育的な革命と考えています。あの60年代に、キューバの若き革命家たちが山や谷に赴いて、望むならば誰にでも読み書きを教えたのでしたが、ちょうどそれと同じように、我々の殆どが知る限り、人間の歴史上、比較を絶する世界的危機に直面する我々は、残酷な銀行の独裁、軍事的経済的暴力、貪欲の下で人間として生き抜く方法について学び得る全てを学ぶことを求めなければなりません。この本はその一つの大変よい出発点となることでしょう。(終)

 私は物理学の教師として口に糊して生きてきた人間ですが、立派な文学者に深い尊敬の念を抱いて今日に至っています。このアリス・ウォーカーの書評を味読して、自分が誤っていなかったことを改めて確信しました。学者たちの物知りぶった書評よりも遥かに的確な書評になっています。

[追記]
今朝(4月29日)7時半頃のNHKテレビでキューバと米国の国交回復に関する特集番組のようなものがあっていました。しっかり見たわけではありませんが、気になったことがいくつかありました。その一つを簡単に書き留めます。日本人の農業移民二世の一家が紹介されて、先代はカストロの農地改革ですべてを失ったが、勤勉に働いて、また盛り返し、快適な生活を送っている様子でした。私は1968年にカナダに移住しましたが、カナダのテレビで、カストロの農地改革のおかげで自作農家として生活を始めることのできた老いた日本人移民夫婦の記録映画を見ました。日本からの農業移民でキューバ革命によって農地を取り上げられた人の数よりも、自作農家として土地を与えられた人たちの数の方が多かったのではないかと、私は推測しますが、この点について、NHKから答えを聞かせて頂きたいと思います。

偶然ですが、日本からの農業移民についての興味深い日本語記事に出会いましたので紹介しておきます。

http://www.fujitv.co.jp/nj/cuba_01.html

藤永茂 (2015年4月29日)

キューバ、小さな大国

2015-04-22 20:57:18 | 日記
 ダスティン・ホフマン主演の『リトル・ビッグ・マン(小さな巨人)』というアメリカ・インディアン映画がありました。世界史的な重要さで言えば、米国のすぐ南のカリブ海の小国キューバは“リトル・ビッグ・ステイト”と呼んでよいでしょう。そして、人間個人としてのフィデル・カストロが世界史に名を残す“巨人”であることは、彼が好きであろうと嫌いであろうと、万人の認めざるを得ない歴史的既成事実と言えましょう。
 この4月11日、12日の両日、中米パナマのパナマシティで開催された第7回の米州首脳会議(Summits of the Americas)の会場でオバマ米国大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長(フィデルの5歳下の弟、83歳)が会談したことは日本のマスメディアでも大きく取り上げられましたので、いろいろご存知だと思いますが、多分あまり報じられていないと思われるいくつかの事実を書きます。
 米国が北、中、南米をコントロールする目的で1951年に作った米州機構(Organization of American States, OAS)には当初キューバも含まれていましたが、1959年のフィデル・カストロによるキューバ革命以後、1962年には国交断絶、キューバはOASから追い出されました。OASが主宰する米州首脳会議(サミット)でも1994年の第1回からキューバは排除されて今日に至りましたが、2012年の第6回会議で出席者の大多数がキューバをメンバーに加えることを要求したのに対して米国が拒否し、そのため、会議締めくくりの最終宣言も出せなくなりました。今回第7回のサミットにキューバが参加したのは大多数のOASメンバーの要望を米国が拒否し続けることが出来なくなったからです。
 今回の“歴史的”な両国首脳会議では国交正常化への前進が試みられるという触れ込みですが、オバマ大統領には、いつもながらの狡猾なもくろみが見え見えでキューバ側にとってどれだけの実益、状況改善が実現するか、危ういものがあります。最大のポイントは1960年から米国がキューバに課した経済制裁の解除です。それがどんなに過酷理不尽なものであるかを我々のほとんどは知りません。いや、日本人だけでなく、米国人たちの殆ども自国がキューバを経済封鎖でどのように苦しませ、締め上げてきたかを知らないと思われます。サダム・フセインのイラクに対する医薬医療品の輸入封鎖で50万人のイラクの子どもたちが死んだとされる話は有名で、このブログでも以前取り上げましたが、米国はキューバの人々に対しても同じような国際法違反を犯しているのです。しかし、これはカストロ政権打倒を目指した米国のサディズムの物語のほんの一部にすぎません。次回のブログでは主にSalim Lamrani 著の『THE ECONOMIC WAR AGAINST CUBA, A Historical and Legal Perspective on the U. S. Blockade 』(2013年)に基づいて、その全体を考えてみたいと思います。
 OSA主宰、つまり米国主宰の第7回の米州首脳会議に話を戻します。前回第6回のサミットではキューバに対する貿易封鎖に反対する文言を入れるか入れないかを巡って米国が他の国々と対立して拒否権に訴え、最終宣言を出すことができなかったのでしたが、今回第7回サミットも最終宣言を出すことに失敗しました。その大きな理由の一つが、宣言の中に、健康であることを基本人権として認めること、つまり、医療へのアクセスを人権として保証することを書き込む提案に米国が反対して拒否権を行使し、それに今は米国/イスラエルの属国に成り下がったに見えるカナダのハーパー首相が同調したことにありました。これを批判して、ボリビアの大統領エボ・モラレスは「健康は人権の一つだというのが重要なポイントだったのだが、健康は人間の権利だと考えるべきだということを受け入れず、オバマ大統領は会議の最終宣言を承諾しなかった」と発言しています。
 サミットの開幕に先立って、オバマ大統領が「キューバには人権問題が存在する」旨の発言したのに対して、キューバ政府の閣僚が「米国が行っているキューバの経済封鎖こそ人権問題だ」とやり返していましたが、キューバの一般市民の健康維持に必要な医薬医療品の輸入封鎖を実行した米国としては全く痛いところを突かれた感じであったのでしょう。米国が実施していて、今後も容易には解除しないと思われる経済制裁、貿易封鎖がキューバの人々にもたらしている苦難こそが、人権侵害の最たるものであることを私たちは明確に意識し、その観点から、キューバと米国のこれまでの、そして、これからの相互関係を読み解く必要があります。
 
藤永茂 (2015年4月22日)

IS(イスラム国)問題

2015-04-15 20:37:56 | 日記・エッセイ・コラム
「イスラム国」というものはどうもよく分かりません。ウェブロンザという朝日新聞のサイトに川上泰徳という方の長い解説記事が連載中で、私も読ませて頂いています(無料で読める部分だけですが)。川上さんは朝日新聞社を今年1月に退職するまで中東取材に20年間関わってきたベテランで、“[1]「イスラム国」はどこから出てきたのか”に始まって、私の知らなかった多くの重要な事柄を教えてもらっています。この記事の根幹は、2014年10月29日発行の『中東マガジン(朝日新聞)』に出たもののようですが、結論的な文章を少し引用させて頂きます。:

#「イスラム国」の出現は、「アラブの春」で目覚めたサラフィー主義の若者たちの運動だと位置づけるべきである。「アラブの春」の後の混迷が「イスラム国」出現を後押ししたという要素もあるとしても、イスラムの教えに基づいて正義や公正を実現しようとするサラフィー青年の運動が、「イスラム国」という形をとった、と考えなければならないだろう。若者たちは純粋であるだけに、運動が過激化しやすいことも確かだ。「イスラム国」をテロ組織として軍事的に攻撃しても、なくなりはしないことは既に述べたが、逆に過激化させることになる。
 「イスラム国」についての問題の本質は、アラブ世界を動かす存在となっている若者たちが直面する問題をどのように解決するかということである。そろそろ、「対テロ戦争」で「イスラム国」を壊滅させれば問題は解決するという考え方から、脱却すべきだろう。世界が「イスラム国」を軍事的に敵視し、たたき続ける限り、現在の「イスラム国」が世界にとっての安全保障の脅威、つまり「テロの温床」になる。必要なのは、世界の方から「イスラム国」との間で軍事的ではない対応をさぐることである。
 「イスラム国」に対する最善の解決は、「イスラム国」に参加しているサラフィー主義の若者たちが、シリアやイラク、またはその出身国で、サラフィー主義者として政治勢力として活動できるような民主的な政治環境をつくることだろう。いまの中東の混乱を考えれば、理想的に過ぎると見えるかもしれないが、民主主義や人権、法の支配を回復する中で、「イスラム国」として突出したアラブの若者をも包含するという中東正常化の方向に向かわなければ、事態はさらに悲劇的な方向にむかうことになるだろう。#

現地の言葉ができて現地で取材することがどんなに大切なことかは、十分に分かっていますし、私のように小部屋の椅子に座ってインターネットを覗き込んでいるだけの人間に発言の資格はないのかも知れません。しかし、私の貧弱なアンテナ(ここでレーダースクリーンと洒落てみたい気もしますが)に引っかかった情報で、気になる事柄がありますので、報告しておきます。
 今年の2月4日と11日に『ロジャバ革命(1)、(2)』という記事を掲げました。その始めの一部を再録します。:

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シリア北部、トルコとの国境に近いコバニの町とその周辺で、イスラム国はその発祥以来初めての決定的な軍事的敗北を喫しました。コバニの死闘をスターリングラードの死闘と並べる声さえ聞こえてきます。そして、その勝利の原動力は女性戦士たちであったのです。イスラム国の軍隊に立ち向かったクルド人部隊に女性兵士も多数加わったというのではありません。男性部隊(YPG)と女性部隊(YPJ)が肩を並べて共々に闘ったのです。コバニの勝利に象徴される「ロジャバ革命」が女性革命だとされる一つの理由がここにあります。もし、「ロジャバ革命」のこの重要な本質が、専門家たちによって広く世に伝えられたならば、世界中の本物のフェミニストたちは歓呼の声を上げるに違いありません。
 いまイスラム国を称する勢力は2013年から特にイラクで活動を顕著にしてきましたが、それが激化したのは2014年に入ってからで、私たちの意識もこの辺りで急に高められます。米国の傭兵であるイラク政府軍は烏合の衆で大して役に立たず、米国は、2014年の夏以降、イラク内でイスラム国に対して空爆を開始しましたがあまり効果が上がらず、イスラム国の支配地域は拡大を続けています。イスラム国がシリアの東北部のラッカ県を制圧した後は、シリア国内でもイスラム国に対する空爆を始めました。イスラム国はイラク北西部の大部分を支配下に収めていましたが、首都バグダッドの占領には向かわず、その矛先をクルド系住民の多いシリア北部のトルコとの国境に近いコバニ(アインアルアラブ)の町(人口約4万5千人)に向けました。それにははっきりした理由があったのです。シリア北部のトルコとの長い国境線あたりに住むクルド系住民を壊滅させてシリア内のイスラム国支配地域とトルコとの交通を確保すれば、トルコからの武器やイスラム国軍隊に参加する外国人の流入が容易になるからです。2014年9月、対「イスラム国」で米国との共闘を約束した中東諸国の中に、ヨルダン、エジプトとともにトルコも含まれていたのですが、トルコの対「イスラム国」政策は極めて自己中心主義的です。もともとシリアのアサド政権を快く思わないトルコのエルドアン首相の政権は2011年4月に始まったシリア騒乱で一貫して反シリア政府勢力を支持し、武器などの供給を盛んに行って来ました。その支援がイスラム国の急激な成長を促したことに否定の余地はありません。さらにエルドアン政権は国内のクルド人もシリア内のクルド人も居なくなってしまえば良いと考えていましたから、コバニでイスラム国軍隊と闘うクルド系住民を軍事的に助けるなどもっての外で、むしろ、トルコ国内のクルド人がシリア側にある同胞に軍事的援助を与えることを厳しく阻止していました。それにも関わらず、クルド系住民の軍隊が4ヶ月の死闘に耐えて遂にコバニの町から凶悪なイスラム国軍隊を追い出した最大の理由は、どうしても彼らが理想として掲げる新しい世界を実現したいという、そのためには死をも恐れない熱い思いに燃えていたことにあります。
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私はこの「ロジャバ革命」 に、甚大な関心があり、そのうちに再び記事を書きたいと思っていますが、この革命的運動とイスラム国との関係で気になることがいくつかあり、その一つについてここで報告します。
 コバニをめぐる戦闘は熾烈なものでしたが、具体的には、まず圧倒的な武力を持ったイスラム国の軍隊がコバニの市街に侵攻して来て、主にクルド人たちであった住民たちは追い出されてしまいました。そのあと、米国空軍機によるコバニ市街の爆撃があり、市街は無残に破壊され、それからクルド人の戦闘員の反撃が始まり、結局、コバニからイスラム国の軍隊は排除され、廃墟と化した街が奪回されたのでした。周辺の攻防は数ヶ月続きましたが、その間、おかしなニュースが間欠的に目に入りました。米国空軍機はイスラム国の占領している地域を爆撃する一方で、軍事的補給もしているという報道です。米軍が爆撃している地域は、勿論、シリア国土であり、他国の土地で、シリア政府の許可を得た爆撃ではありません。コバニ周辺の戦いで負傷したイスラム国の兵士たちをトルコ国内の病院に収容して手当てをした事実を、トルコが正式に認めるハプニングもありました。また、これはごく最近のニュースですが、国連の安全保障理事会の「アルカイダ制裁委員会」に、シリアが“イスラム国を、テロ・グループとして、制裁の対象に加えること”を提案したのに対して、米国、英国、フランス、ヨルダンが反対して否決されたことが報じられました。 米欧は急いでイスラム国を潰す気は全くないのです。

http://presstv.com/Detail/2015/04/10/405650/West-blocks-Syria-request-to-ban-ISIL

 「イスラム国」に関する報道を、私は今日までかなりの時間をかけてインターネットを渉猟し、推考を続けていますが、細かいことは省略して、「イスラム国」についての私の考えの一部を書いてみます。
 川上泰徳さんがおっしゃるように、本質的には、「イスラム国」の出現は、「アラブの春」で目覚めたサラフィー主義の若者たちの運動だと位置づけるべきなのでしょう。しかし、それはそれとして、いまの私の目に明らかなことは、米欧とアラブ世界の一部の国々(トルコを含む)にとって、これはいわゆる“外人部隊”なのであり、“外人部隊”として利用しているという事です。世界各国からの隊員のリクルートのやり方も“外人部隊”のそれなのだと私は見ています。“外人部隊”は雇われた兵隊です。この“外人部隊”にとっての現在の最重要のassignmentはシリアのアサド政権の打倒であって、それ以外はサイドショウです。シリア国土の不法爆撃はシリアのインフラ破壊が大きな目的です。
 大昔、私はマレーネ・ディートリッヒの『モロッコ』やフランソワーズ・ロゼーの『外人部隊』に夢中になったことがありました。その頃を追想すると、胸に何とも形容しがたい痛みを覚えます。かの有名なフランスの外人部隊は今も健在で、日本の若者の中にも入隊を志願してフランスに出かける人がいるとのことです。

藤永茂 (2015年4月15日)

Hubris(ヒューブリス)

2015-04-08 22:21:37 | 日記・エッセイ・コラム
 2011年9月7日付で『気楽に英文記事を読む習慣』という記事を掲載しました。長くないので再録させて頂きます。:
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 前回の終りに掲げた英文記事の翻訳紹介を怠りましたら、桜井元さんが、前回のブログへのコメントの形で、その内容をまことに的確適切にまとめて紹介して下さいました。桜井さんはその中で「英和辞書を引きながら、わからない単語や表現は読み飛ばしつつ、なんとか大意はつかめたと思います」と申しておられますが、これは謙遜のお言葉でしょう。しかし、ここには私たちが英文記事を気楽に読むためのコツが述べられています。あとは慣れの問題です。とにかく、うるさがらず、好奇心を持って、ネット上に溢れる英文記事に目を通してみる習慣を身につけようではありませんか。すこし努力しながら続けているうちに、頭の中の英語の語彙は殆ど増大していないのに、いつの間にか、英文記事の内容が以前より随分と楽に読み取れるようになります。言葉というものに備わっている不思議さです。
  そうなると、何でもない場所で、「この情報は多分ありのままに近いのだろうな」という感じのする情報源に行き当たることがあります。犬も歩けば棒に当たるというやつです。リビアのトリポリの風景がNATO空爆以前にどんな具合だったかを教えてくれる記事にひょいと出会いましたので、紹介します。気楽に読んで下さい。クリスチャン・サイエンス・モニター(The Christian Science Monitor)はアメリカのオンライン新聞で、その2010年7月12日号の”Libya’s Path From Desert to Modern Country-Complete With Ice Rink” by Sarah A. Topol: という記事の一部です。ice rink は屋内スケート場、sanction は制裁、alleviate は苦痛などを和らげること、sleek はカッコいい、the place to be は居るべき場所、なかなか良い所、という意味でしょう。
■ "There's now on the economic side a pretty unstoppable momentum…. It’s the place to be,” says Dalton, now an analyst at Chatham House in London.
Libya’s nominal gross domestic product (GDP) rose from 16.7 billion dinars ($12.8 billion) in 1999 to 114 billion in 2008, according to the International Monetary Fund (IMF). The year after the US lifted sanctions, the country’s economy surged 10.3 percent in 2005. Foreign direct investment increased more than 50 percent from $1.5 billion in 2000 to $2.3 billion in 2007, according to the World Bank.
In Tripoli, the capital, cement skeletons along the city’s airport road will soon be sleek luxury high-rises as Libya tackles a 500,000 unit housing shortage. Known as the Bab Tripoli complex, the government-funded plush Turkish development is valued at some $1.3 billion and is set to be completed in November 2011. It boasts 115 buildings with 2,018 apartments as well as office spaces, and a giant mall complete with a 22-lane bowling alley, a movie theater, a five-star hotel. The changes aren’t just limited to Tripoli. In Benghazi, Libya’s second-largest city, two government-funded housing projects consisting of 20,000 units, costing approximately $4.8 billion, are half way to completion. To combat income disparity and alleviate the growing pains of privatization, the Libyan government has set up social fund to provide 222,000 families approximately $377 dollars per month from investment funds financed by oil profits. ■
2010年7月といえば、ベンガジで反政府勢力が突然旗揚げをした2011年4月の僅か半年ほど前のこと、私が判断する限り、この記事はその時点でのトリポリやベンガジの様子を伝えるごく日常的なinnocentな新聞記事です。残忍悪逆な独裁者にしては、結構、一般庶民のための出費を惜しまない国内政治をしていたように見えます。
  2011年5月25日付けのブログ『Win-Winの賭け事?』で、私が表現したかったことは、リビアやハイチやコンゴの近未来についての私の暗い予想は、実は、当ってほしくないという私の気持でした。今、私は、リビアに関する多数の英文記事をインターネットのあらゆるソースから取ってきて、せっせとストアしています。この頃のコンピューター・メモリーの信じ難い(特に私のような初期の磁気コア記憶装置の時代を知る者にとって)巨大さをつくづく有難く思っているところです。いくらでも貯められるからです。何故こんなにも貯め込むのか? 現在圧倒的多数の人々が「リビアでは事がうまくいった。人道主義と民主主義が勝利した」と言祝いでいます。それも、イラクやアフガニスタンの侵略戦争に反対する多くの論客が「The Libya Model(リビア方式)」は成功だったと評価しているのには、全く驚かされます。しかし、今こうして彼らの発言とマスメディアの報道を蒐集保存しておけば、 3年も経たない内に、彼らが正しかったか、それとも、私の悲観的見方が正しかったか、がはっきり分かると思うからです。
  「それが分かって何になる」という声が聞こえてくるような気がします。その通りです。あと3年、生きているかどうかも全くあやしい私にとっては、尚更のことと言えましょう。けれども、やはり、私は真実を知りたい。生半可な絶望の中に没するよりも、絶望を確認してから死ぬほうが、日本人らしい選択だとは言えませんか?

藤永 茂 (2011年9月7日)

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 上の記事を書いてから3年以上になります。私は今でもリビア関係の報道や論説をチェックし続けてはいますが、大多数の賢人、専門家の論説が正しかったか、老人ホームの一老人の判断が正しかったかがはっきりするのに3年の長い年月など不必要でした。なぜ私のような者が正しい判断を下し、マスメディアに登場する大多数の賢人、専門家、現地ジャーナリストが誤った見解を披瀝してしまったのか。考えられるほぼ唯一の答えは、彼らが自分の知っていることを我々大衆に告げず、意図的に嘘をついているのだろうということです。
 恐ろしい世の中です。我々自らのsanityを保ち、この世界で起こっていることの真相を見定めるためには、マスメディア以外の情報源に正しい知識を求めなければなりません。それは難しいことではありませんが、現在の状況ではインターネットで接することのできる英文記事を可なり沢山読み漁る必要があります。それで、出来れば、『気楽に英文記事を読む習慣』をつけて頂きたいのです。分からない単語が出てくるごとに辞書を引いていては時間がかかり過ぎますから、適当に読み飛ばして全体の“空気”を読めばいいのです。場数を踏むうちに、読めてくるものです。私の経験から例を挙げましょう。今回のブログの見出しである hubris(ヒューブリス)という単語をご存知ですか?多数の文章を読み飛ばしているうちに、私が何とは無しにその意味を感得した英単語の一例です。この度、本気で調べてみて、私の会得の仕方が間違っていなかったことを確かめました。あとでまた、この言葉に戻ります。
 我々の身辺に充満している、はっきりした意図を持った、為にする偽りの報道や論説の中から、真実の含有率の高い記事を探し出すにはどうすればよいか? 実は、その気になれば、そうした記事を提供してくれているウェブサイトは、日本語のサイトでも、いくらも見つかります。その中でも最高のものは『マスコミに載らない海外記事』というブログです。このブログの主の御努力には、まったく頭が下がります。この稀有のブログを起点として、何人かの真摯な、信頼できる発言者を見つけ出すことができます。Paul Craig Roberts はその代表的人物の一人です。米国のメディアが総力を挙げてその悪魔化(demonization)に励んでいるロシアのプーチン首相に関心のある方は是非ともPaul Craig Robertsの意見に耳を傾けてください。
 hubris というという言葉に戻ります。ランダムハウス英和辞典には、:(名詞)1.過度の自負、自信過剰、;傲慢、不遜 2.(ギリシアの悲劇で)神々に対する思い上がり、挑戦、その報いとして天罰を受ける。・・・・、とあります。nemesisという言葉もついでに勉強すると良いかもしれません。
 米国はウクライナでクーデターに成功し、それに勢いづいて、ロシアの現政府のレジーム・チェンジ、つまりは、プーチンの失脚追放を懸命に試みています。プーチンの暗殺と核爆弾(もちろん水素爆弾)による先制攻撃も選択肢の中に含まれています。同時に、ベネズエラでもマドゥロ大統領の現政府に対するクーデターを試みましたが、こちらは、計画が事前に漏れて失敗しました。しかし、石油価格の操作を強力な梃子にして、ベネズエラの経済を締め上げながら、マドゥロ大統領打倒の努力を続けています。
 3月9日、オバマ大統領はベネズエラに制裁を加えるための大統領令に署名しました。具体的な内容は、マドゥロ大統領の現政府に対する反政府運動に加わったベネズエラ人に対して過酷な弾圧を行ったと米国政府が名指しする7人のマドゥロ政府の軍部と司法の官僚の資産を米国が支配する国際金融システムの力で凍結拘束し、また米国への入国を拒否するという制裁を発動するというものですが、かなり長い原文を読んでみると、その異様さに背筋が寒くなります。まず、マドゥロ大統領の極端な無能の故に経済政策が破綻したこと、そのため反政府デモが起きると、市民多数を殺害してデモを制圧し、経済破綻の理由を米国の策動であると宣伝していることを述べ、ベネズエラ政府によるベネズエラ市民の人権侵害を激しく非難してあります。

https://caracaschronicles.files.wordpress.com/2014/12/mrw146341.pdf

しかも、この大統領令の発効にあたって、オバマ大統領は、このベネズエラの政情は“an unusual and extraordinary threat to the national security of the United States(アメリカ合州国の国家安全保障への異常かつ並外れの脅威)”だと宣言しました。
 ここで、R2P(Responsibility to Protect, 保護する責任)という標語を思い出して下さい。この忌まわしい標語を口実として、米欧はリビアという国をめちゃめちゃに壊してしまいました。どう勘定をやり直してみても、カダフィという独裁者に数十人か、数百人のリビア人を殺させておいた方が、少なくとも10万のオーダーの一般市民が殺され、数百万人が塗炭の苦しみを舐めさされるよりは遥かにましだったという結論に落ち着くでしょう。R2PPが泣きます。現在のシリアについてもほぼ全く同じことが言えましょう。国連という組織が今の惨状にある限り、R2Pよりは古き良き「内政不干渉」の方がずっとましです。R2Pは、現実には、他の真のagendaの隠れ蓑に過ぎません。
 一つ思考実験をしてみましょう。南アフリカに本当の革命が起こって、それがジンバブエ、ザンビア、アンゴラ、コンゴ地域などにも波及し、新しく強力な黒人国家が生まれたとしましょう。可能性はゼロではありません。南中アフリカ合衆国と名付けましょう。南中アフリカ合衆国の国会が、米国国内で公然と行われている警察当局の黒人に対する暴力行為(射殺、大量投獄)を非難し、その責任者の米国政府官僚たちを名指しで制裁を加え、南中アフリカが産出するコルタン、金、ダイヤモンドなどの地下資源の持ち出し利権を関係米国人から剥奪する法案を採択して、大統領令発令に至ったとしましょう。米国はどういう反応を示すでしょうか? 想像してください。これが私の提案する思考実験です。
 米国は世界で唯一例外の特別な国であるから、自分の気に入らない外国政権は軍事力を含む内政干渉によって打倒してかまわないと考える傲慢さ、これこそ將にヒューブリスという言葉にぴったりです。途方もないバカバカしさも臭ってきますが、限りを知らぬ彼らのhubrisは、世界核戦争ももたらしかねないとあれば、馬鹿馬鹿しいと笑っているわけには参りません。
 米国国会とオバマ大統領の、ベネズエラに対する暴挙に対して、マドゥロ大統領はヒステリックでない立派な語調のレターをオバマ大統領に送りました。

https://libya360.wordpress.com/2015/03/17/letter-to-the-people-of-the-united-states-venezuela-is-not-a-threat/

その書簡は見事な言葉で結ばれています。:

“Venezuela is not a threat, but a hope.”

この一行を、あまりにも文学的、と感じる人もおいででしょう。私は、むしろ、この一行を建国の父シモン・ボリバルから借りてきたスピーチライターの文学的なセンスと余裕を讃えたいと思います。考えてみると、一昨年惜しくも癌に倒れたウゴ・チャベスが創生した新生ベネズエラに未来への希望を託す人々の数がますます増えていること、その人たちの胸に育ちつつある“ホープ” ––Another world is possible! ––こそが、帝国主義米国にとっての最大の脅威であるのかもしれません。だとすれば、チャベスの衣鉢を継ぐマドゥロのベネズエラが米国にとっての“an unusual and extraordinary threat”だと判じるオバマ大統領のセンスは全く正常で的確と言うべきでありましょう。

藤永茂 (2015年4月8日)