私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アメリカの感謝祭

2009-11-25 12:55:44 | 日記・エッセイ・コラム
 アメリカの国家祭日「感謝祭」は、今年は11月26日(木)です。北米に少し長く滞在された多くの日本人は、感謝祭の懐かしい思い出をお持ちのことでしょう。スーパーマーケットに積み上がる一羽まるごとの冷凍ターキー(七面鳥)を買ってきて、何処の家やアパートにも備わっている大型オーブンで焼き上げて、感謝祭のターキー・ディナーを楽しまれた方々、あるいは、単身赴任の身で、親切なアメリカ人の家庭に招かれて一夕を過ごした方々も多いでしょう。私にも、そうした懐かしい思い出がいくつかあります。
 2008年10月17日、私はある全国紙の出版部の編集者の来訪をうけ、バラク・オバマ現象とアメリカの自己陶酔的な集団心理について、一冊本を書くことを勧められ、承諾しました。それまで、このブログに書き続けていたことを元にしてまとめればよいということでした。ところが、アメリカの歴史の再勉強を進めるうちに、それに全く足を取られて、筆が定まらず、アマゾン・アメリカから、新本、古本をやたらに買い込んで読みふけり、3、4ヶ月で書き上げるつもりが、つい、ずるずると遅延して行きました。私としては、編集者の方から遅延の了解を得ていたつもりだったのですが、仕事をつめすぎたのか体調を崩し、入院、通院の間をぬって、何とかまとめあげた原稿を送った所、出版業界のひどい不況のために、状況が一変したので、「まことに申し訳ないが・・・」という返事が帰ってきました。
 以下に掲げる一文は、その未定稿の一部の転載です。オバマ政権の正体を見据えるためには、アメリカの歴史をさかのぼって、その原点から現在を見る視点の確立がどうしても必要だというのが、私の主張です。読者の皆さんも、アメリカの「感謝祭」の意義を、もう一度、考え直して下されば幸いです。我々日本人も、都合の悪い過去の記憶を忘れることでは人後に落ちませんが、アメリカの「感謝祭」は、歴史的事実を忘却するだけでなく、これを180度ひっくり返して、国をあげての祝祭りにすり替えてしまった訳です。
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感謝祭

 メーフラワー号からの上陸は慎重に行われた。その地域は以前に英国人の一団が一時的に上陸したことがあり、インディアンの様子については、一応の予備知識があったが、偵察隊が上陸してみると、あたりのインディアンの集落は遺棄されて生きた人影はなかった。何らかの伝染病の蔓延の結果だと思われた。ピルグリムたちは死体が埋葬された墓地や地下に埋められた多量のトウモロコシに行き当たり、トウモロコシは無断で押収した。陸上生活のための準備に時間がかかって、約一ヶ月は船内での生活が続けられた。ジョン・カーバーを総督にいただく新植民地といっても、総勢102名、しかも直ぐに厳しい冬に襲われた。新鮮な野菜が手に入らず、ビタミンCの不足による壊血病などの疾病のため一冬こした1621年3月末には総勢は50名に落ちてしまっていた。惨憺たる出発であったのだ。
 しかし、海辺の新しいプリマスの開拓地にも春が訪れ、夏が訪れた。近郷のインディアンたちは上陸して居着いた白人の集団が、これまでと違って、女や子供を含むことから、直ぐには敵視せず、注意深く見守る姿勢をとり、英語をあやつるスクゥアントという名の男を白人たちの所に差し向けてきた。そのインディアンはピルグリムたちに魚のとり方や海藻を畑の肥料に使うことなどを教えたという。「最初の感謝祭」の伝説によれば、1621年の秋、ピルグリムとインディアンはあれこれの食べ物をお互いに持ち寄って収穫を神に感謝するお祭りをしたことになっている。実際には、まだ白人側の食糧の内容はまだ極めて貧弱で、インディアン側が5頭の鹿や多くの野生七面鳥などを持参した。プリマス植民地の定着成功はインディアンたちに負うところが大きかったのだが、ピルグリムたちの恐れと感謝の念は彼らの神に向けられていたのであり、侵入白人たちにとって、インディアンがその土地から排除されるべき邪魔者となるのに大して時間はかからなかった。
 米国では感謝祭(サンクスギビングデー)は11月の第四木曜日と定められ、それからの4日か5日は大連休として、アメリカ人が大いに楽しむホリデーであり、米国に少し長く滞在した人は、感謝祭のターキー・ディナーに招待された思い出を持つことも多いだろう。「最初の感謝祭」の伝統的な挿絵では、小綺麗に着飾ったピルグリムたちが、裸のインディアンたちをお祝いの食事に招いてしている様子が描かれているのが普通である。「七面鳥やカボチャやコーンやクランベリーソースなどが供せられ、インディアンたちは、こんなご馳走は見たことがなかった」といった説明がついている。ホリデーの前に、小学校で「最初の感謝祭」の小劇が演ぜられることもある。アメリカという國が、神を敬い、野蛮なインディアンを親切に遇した、働き者の人々によって始められたと、子供たちは教え込まれて育つのである。インディアンが窮境にあったピルグリムを助けたという、否定の余地のない歴史的事実が見事に転倒されている。
 感謝祭が現在のように米国の国家的祭日として持ち上げられたのは、南北戦争(1861-1865)の最中の1863年、大統領アブラハム・リンカーンがアメリカ人の愛国心を鼓舞するために初めて国家的祭日にしたのである。1863年といえば、彼の奴隷解放宣言、そして「人民の、人民による、人民のための政府」の名文句で結ばれる2分間ほどの短いゲティスバーグ演説が行われた年でもある。ただし、解放された黒人奴隷を、出来るものならば、アフリカ大陸か、カリブ海諸島に送り出してしまいたいと、リンカーンが真剣に考えていたことも憶えておこう。インディアンについて言えば、毎秋の感謝祭の行事がアメリカの子供たちの心に刷り込むメッセージには「白人はインディアンに恩恵を与えた」という観念が含まれている。これは由々しきことである。許されることではない。
 プリマス植民地の開拓指導者の一人エドワード・ウィンスロウが1621年に書いた「ニューイングランドへの入植者への助言」から、ピルグリムたちが土地のインディアンから助けてもらう様子がはっきりと読みとれる。
■ わたしたち同胞のうち少数のものは、こちらにきてからすこしの間に、七軒の住み家と四軒の納屋とをたて、またそのほかの建物のためにもいろいろな手はずを済ませた。過ぐる春わたしたちは玉蜀黍を二十エーカーほど仕立て、大麦と豌豆もあわせて六エーカーほど蒔いた。そしてインディアンのやりかたにならい、ニシンというかニシンダマシを畑の肥料にした。ニシンダマシはいくらでもいて、戸口のすぐそばといったところでやすやすと獲れるのである。・・・・大気は澄みきっていて、聞いていたほど霧深くはない。わたしは生まれてこのかた、わたしたちがここですごした一年ほど、時候のととのった年というものの憶えがない。それで、牝牛や馬や羊を持つようになりさえすれば、人々がここで世界のどこにも劣らず、満足して暮らせるだろうということに、何のうたがいもない。魚や鳥は、じつにおびただしい。夏の新鮮な鱈も、わたしたちにとっては、お粗末な食べものにすぎない。入江は夏じゅうロブスターでいっぱいで、そのほかさまざまな魚がとれる。九月には、これという苦労もなく、一晩で大樽いっぱいの鰻がとれるし、冬ならいつでも巣穴から掘出すことができる。平貝とかその他のものも、敷居をまたいだところでとれる。牡蠣は近くではとれないけれども、ほしいならいつでも、 インディアンに持ってきてもらえる。春には、大地はおのずと、ごく良質のレタスをしげらせる。たいへん甘く匂いも強い白葡萄と黒葡萄。苺、グーズベリー、ラズベリー等々。ダムソンとまずまず同じほどうまい白黒赤の三種のプラム。白や赤やダマスクの、一重ではあるがじつに香しいおびただしい薔薇。そういうものもここにはある。この土地に欠けているのは勤勉な働き手だけだ。だから、見事な川々に沿う何マイルという無住の土地を、私とおなじようにあなた方も見ていたならば、のみならず、あなた方の住む世界のその部分が、過大の人口に圧迫されるほどにもなっていることをお考えになれば、この欠除はあなた方の胸を痛ましめるであろう。以上の事柄は、私ができるだけ身近に体験してしったものの実相であるから、それをあなた方に知らせたがいい、と私は考えたのである。わたしたちをかくもめぐみぶかく導き給う神に、わたしたちのために感謝をささげていただきたい。・・・・■(原典アメリカ史第一巻、p116、すこし変更)
この楽園に住んでいたインディアンたちは海の向こうからやってきた侵入者たちを心よく迎え入れたのだが、やがて、この「働き者」の侵入者たちは、インディアンの土地を奪い、インディアンを殺し、その“成功”を神に感謝するのである。ピルグリムたちの神とは、いったい、何者なのか。その同じ神に、今もなお、ブッシュもオバマも、アメリカへの祝福を乞い願っている-God Bless America!
 マサチューセッツ湾植民地は、1691年にはプリマス植民地を合併するが、1629年には、英国王から勅許状と印章が与えられた。印章(シール)は1686年まで使用されたが、その立派な図柄がまことに興味深い。平和のジェスチャーとして、弓を左手に、矢先を下に向けた矢を右手に握った裸のインディアンが真ん中に立っていて、その口からは「こちらに来て、助けてくれ(Come over and help us)」という言葉が洩れている。「最初の感謝祭」の伝統的な挿絵に見られる転倒メッセージの執拗な繰り返しだ。「このご立派な印章は“アメリカというアイディア”の誕生のグラフィックな表現だ。それは、アメリカの心理の深層から掘り起こして、あらゆる教室の壁に貼付けておくべきものだ」とは、この注目すべき印章(シール)に対するノーム・チョムスキーの痛烈な皮肉の言葉である。
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藤永 茂 (2009年11月25日)


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なぜホンジュラスにこだわるのか

2009-11-18 08:36:05 | 日記・エッセイ・コラム
 ホンジュラスは中米の小国です。オバマ大統領が、はなばなしくアジア地域に乗り込んできて、米国のアジア政策に大きな「チェンジ」が始まりそうな今、なぜ、あまり関係のなさそうなホンジュラスのことにこだわるのか?
 理由は簡単です。過去7ヶ月の間にホンジュラスでオバマ政権がやってきたことを辿ると、オバマが辣腕のコン・マン(同じ意味ですが、コン・アーティストという言葉も使われます)であり、オバマ政権は恐るべき詐欺集団であることがよくわかり、したがって、オバマ大統領が、我が日本について、また、アジアに対する親近感について、弁舌さわやかに述べ立てた甘言を、我々としては、しっかり眉に唾をつけて聞く必要があることを、告げているからです。オレオレ詐欺でも、まずは、相手の信頼(コンフィデンス)を取りつけることから始まります。日本からは、50億ドルか100億ドル見当をひったくる詐欺の初期段階ですが、ホンジュラスでは、オバマ政権が仕掛けた詐欺が、7ヶ月足らずで、見事に成功裡に終結しつつあることを、現在進行形で見ることが出来るのです。
 2009年4月19日、トリニダードのトバゴで米州機構のサミットが開かれ、新大統領バラク・オバマは、前任者ブッシュとは全く違う「ホープ」の大統領として、ラテン・アメリカのすべての国々から温かく迎えられました。(唯一の例外はキューバで、米国の意向でこの機構から閉め出されています。)その席で、それまでの反ブッシュ勢力の旗頭ベネゼラのチャベス大統領も、わざわざオバマ大統領の席まで歩いていって、歓迎の握手をし、ガレアノの本を手渡しました。今では歴史の一ページです。この席で、我らのコン・マンは、例によって、すばらしく感動的な演説をしました。そのサワリの部分:
■ I just want to make absolutely clear that I am absolutely opposed and condemn any efforts at violent overthrows of democratically elected governments, wherever it happens in the hemisphere.(それがこの南半球の何処で起ろうと、民主的な選挙によって成立した政府を暴力的に転覆する如何なる企てにも、私は絶対的に反対し、非難することを、絶対的に明白にしたいと、私はここに強く望みます。)■
 言やまことによし。ところが、その舌の根も乾かぬ6月28日、ホンジュラスで、民主的選挙によって成立したセラヤ大統領が軍部の暴力的クーデターによって国外追放され、政権が乗っ取られました。これについては、以前(7月8日と15日)このブログでも取り上げましたが、現在では、米州機構サミットが開催された4月19日の時点で、アメリカ政府は、ホンジュラスでのクーデターの準備進行を知っていたことが、政府関係者の証言によって、明らかになっています。
 ホンジュラスの反動勢力による暴力的クーデターが起った時、オバマ政権の最初の反応はマイルドなもので「合法的に選出された大統領を追放するのは宜しくない。セラヤ大統領の速やかな復権をアメリカ政府は要請する」といったものでした。7月8日のブログに私はこう書きました。:
■ アメリカ政府には、今度のホンジュラスのクーデターをクーデターと呼べない理由があるのです。もしそう呼べば、アメリカ議会の法令に従って、アメリカが与えている経済援助と軍事援助の中止という懲罰措置をホンジュラスの違法政権に適用なければならないからです。セラヤを追い出した今の違法ホンジュラス政府は、アメリカ合州国の言うことを良く聞く「お利口さん」たちが占めているのですから、懲罰は是非とも避けてあげなければなりません。■
 ホンジュラスのクーデターについては、7月9日付けで、アメリカの37名のラテン・アメリカの専門学者やエキスパートが名を連ねてヒラリー・クリントン国務長官宛に送った書簡が公開されました。(主要メディアはあまり取り上げませんでした。)まず、公開書簡の全文を訳出します。(7月15日ブログからの転載):
■ 国務長官クリントン様
 以下に署名した我々は、ホンジュラスにおける違法かつ反民主主義的なクーデターによって起こされた危機の解決法として、ワシントンの外交政策サークルの関係者から、早期選挙を推進する提案がなされていることを危惧しています。セラヤ大統領の緊急の復位以外の何ものもホンジュラス人民の意志を侵害することとなりましょう。セラヤの即刻無条件な復位を要求する国連総会と米州機構の決議にしたがって、アメリカ合州国はクーデター政権に対して強力な経済制裁を行うことによって、セラヤのすみやかな復位を確実にしなければなりません。
 違法なクーデター政権が一日でも長く今のままに留まれば、それだけ更に、ホンジュラスが11月に自由で公正な総選挙を享受する可能性が危うくなります。ましてや、それより早い時期など,もってのほかです。このままでは、市民の自由を奪ったクーデター政権の下で、自由選挙のための条件が存在しない状況で選挙が行われることになります。そのような選挙は国際的な合法性を持たないでしょう。合法的な選挙が行われるには、まず民主主義が回復されなければなりません。クーデター政府に如何なる譲歩も行わないことも重要です。もし譲歩すれば、反民主主義的な心情の権力亡者たちに、彼等の政治的意図を進めるために軍事的クーデターを実行するのはうまい手だと思わせるひどい前例を示すことになります。
 銃を突きつけて大統領を誘拐し、コスタ・リカ行きの飛行機に乗せて、不法に大統領府を占領して以来、クーデター政権は思想言論の自由を奪い、ホンジュラス人民を敵のように取り扱っています。彼等は報道管制を敷いて新聞の自由を奪い、ジャーナリストを襲い、拘束し、抗議行動を取り締まり、セラヤ大統領の支持者数百人を拘留し、デモ隊に発砲して少なくとも二人を殺しました。
 クーデター政権は、任期を延長しようとしたセラヤ大統領の憲法違反の動きを阻止するためにクーデターを行ったと主張しています。しかし、事実を調査すると、この主張は民主的政治機構と法の支配に攻撃を加えるためのいかがわしい言い訳であることが分かります。セラヤ大統領が提案していた世論調査は、11月の総選挙の際に、憲法の討議集会を設立するかどうか-についての国民投票を一緒にやるかどうかを問う、結果がどう出ても拘束力のない投票であったのです。その質問の実際の文面は“2009年11月の総選挙中に、新しい政治機構を承認する可能性をもつ憲法制定国民集会を持つかどうかを決める四番目の投票を行うことに、あなたは同意しますか?”となっています。
 セラヤは11月に再選のために立候補しようとはしていませんでしたし、それが可能でもありませんでした。したがって、11月にはセラヤの後継者が選出され、1月には大統領になるように、立候補者が既に予定されていました。セラヤは、6月28日以前に、彼は再選を望んでいないと言明もしていました。再選の可能性は、軍がクーデターを実行した理由ではなかったのです。彼等はセラヤの諸政策に反対であったのであり、時として、クーデターの真の理由について正直でした。クーデターの直後に、ホンジュラス軍の最高指導者ヘルベルト・バヤルド・イネストローサ大佐は“我々がうけた訓練からして、左翼政権とうまくやって行くことは困難だ。いや、不可能だ”と説明しました。
 ホンジュラスの現在の危機に対する唯一の合法的で、公正で、民主的な解決法は、セラヤ大統領を速やかに復位させ、非合法な政権に対して貿易と援助の双方で経済制裁を加えることです。我々は、この成り行きが確実にもたらされるようにアメリカ合州国が率先して行動することを求めます。
敬白
(この後、37の名前が肩書きと所属と共に、続いています。)■
 さて、事は、その後、どのように展開したか? オバマ政権は「やっぱりセラヤ大統領を復権させるのが正しい道だ」と言い続けながら、のらりくらりとあれこれ言を弄するだけで、何も実際には行動せず、裏で、上院議員をうごかして、「セラヤにこだわるオバマ政権のホンジュラス政策は転換すべきだ」という結論を出させてしまいました。つまり、これまで不法臨時政権が行なってきた、セラヤ支持者にたいする大規模の弾圧と人権侵害には目をつぶり、来る11月29日の総選挙は、これを合法と看做す、という信じられない状況になってきました。これに対して、240人を超えるラテン・アメリカの専門学者やエキスパートが名を連ねて、オバマ大統領に署名書簡を送り、抗議しました。(前回は37名連名、クリントン国務長官宛でした。)この連名公開書簡には、上に引用した、オバマ大統領が4月19日、トリニダードのトバゴで米州機構のサミットで行なった講演の中の感動的な言明:
■ それがこの南半球の何処で起ろうと、民主的な選挙によって成立した政府を暴力的に転覆する如何なる企てにも、私は絶対的に反対し、非難することを、絶対的に明白にしたいと、私はここに強く望みます。■
を、改めて引用して、オバマ大統領がこの自分の美しい言葉の通りに行動する事を迫っています。ところが、アメリカのマスメディアは、大統領宛のこの重要な連名公開書簡をほぼ完全に無視し、オバマ大統領自身も、カエルが顔に水をかけられた時ほどの反応も示しません。これが、稀代のコン・マン、オバマ大統領というスイート・フェースを前面に押し出したアメリカという国のやることなのです。
 今回のオバマ大統領のアジア政策演説で、例えば、オバマの新しいアメリカは
ミャンマーの軍事政権と直接やりとりして、アウン・サン・スー・チーさんの自由を取り戻し、民主化勢力をもり立てるなどと、見栄を切っていますが、この同じ時に、ホンジュラスでは、まるっきり反対の事を強行しています。もともと、アメリカはミャンマーの現軍事独裁政権と、ビジネス面で結構密接な関係にあり、スー・チーさんは、国際外交の表舞台の、いわゆる、small fry の一匹に過ぎません。
 残念ながら、今の私には、それを詳しくお話する根気がありませんので、前回のブログで、日本の専門の方々にそれをお願いした次第でした。
 7月15日のブログの締めくくりに、私は、こう書きました。:
■ ホンジュラスのクーデター政権を梃子にして、ラテン・アメリカでの民主化の波の巻き返しをオバマ政権は試みることでしょう。セラヤ大統領を骨抜きにすることあたりまでは成功するかもしれず、ラテン・アメリカの歴史の時計をしばらくは押しとどめることになるかもしれません。しかし、未来の歴史家は、2009年の夏、アメリカ合州国は、ホンジュラスで自らの墓穴を掘ったと記録することになると、私は思います。■
将来に向けての私の予言が当たるかどうかなどは、どうでもよいことですが、オバマ新政権の新しいラテン・アメリカ内戦干渉攻勢で、またまた沢山の人々が苦しむことになるのは、ほんとに許せないという思いに苛まれます。

藤永 茂 (2009年11月18日)


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オバマ大統領、医療保険制度、ホンジュラス、コロンビア

2009-11-11 12:31:58 | 日記・エッセイ・コラム
 まず病状を報告します。11月2日、尿路結石破砕の手術を受けましたが、固い核の部分は尿路下部に残ったままです。現在の病名は重症前立腺肥大、手術を待っていますが、その日は全く未定。
 体力が落ちて、まともな記事を書くことが出来ませんが、オバマ大統領が来日したときの日本人一般の歓迎ぶりを想像すると、吐き気が催してきます。彼が稀代の「コンフィデンス・マン」、コン・マンであるという、私の信念は揺らぐどころか、ますます強くなっています。
 そこで、アメリカ専門のしっかりした学者の方々に、是非、お願いしたいことがあります。最大の国内問題である医療保険制度は間もなく大統領が法案に署名することになりますが、これまでに至る経過を、選挙戦以前の時点から今日にわたって、詳細に辿って、それを一般の日本人に分かりやすく記述し、説明して頂きたいのです。アメリカの医療保険制度について、アメリカの大多数、特に低収入階層の人々が求めた「単一支払い者制度(single-payer system)」、つまり日本やカナダや英国の制度に似た医療保険制度の政府一元化を、2006年の一時点でオバマその人も支持すると(選挙の票集めのために)明言していたのですが、大統領就任確定の頃から、単一支払い者制度を主張する声を、一貫して閉め出そうとした過程、関係閣僚の人事、議会でのノラリクラリ作戦、・・・、こうしたことを、くわしく辿ってほしいのです。その後ろに一貫して見えるのは、オバマ政権の医療保険業界との密接な関係です。アメリカでは、保険会社から医療費支払いを断られて死ぬ人が一日平均約百人は居ると考えられています。また、個人の破産の人数では医療保険に加入していないために高額の医療費を支払うことを強いられての破産が最高です。今度、オバマ政権の「チェンジ」の成功例として、大いに宣伝されるにちがいない新しい医療保険制度の本質は、医療保険業界側の、僅かばかりの、計算づくの譲歩に過ぎないと、私は考えます。これまでの制度の恐るべき欠陥から生じた死者や破産者の数は少しは減るでしょう。しかし、これまで酷い犠牲を強いられてきた低所得者層の不満は、決して解消しないと思います。それは、1年か2年のうちにはっきりするでしょう。ただ、私がここで問題としているのは、新しい医療保険制度の内容や効果そのものではありません。それが法案として長い時間をかけて審議され、署名されるまでのオバマ・チームの巧妙なノラリクラリ作戦の方に注目してほしいのです。結局のところ、オバマ政権が、当初から狙っていたものを見事に手に入れた、そのやり方です。私が、オバマ・チームを、稀代のコン・マン・チーム、詐欺師集団と呼ぶ理由はそこにあります。始めは、いつもなかなか良いことを言うのです。しかし、本当に達成したいことは別に決めているのです。
 ホンジュラスについても全く同じです。いや、オバマ政権のラテン・アメリカ政策についても、というべきでしょう。予期したとおり、アメリカはみごとにセラヤ大統領を失脚させることに成功しました。はじめオバマ・チームは、「武力で現大統領を追い出すなんて、そんな乱暴は許されない」などと、まことしやかなことを言っていたのです。専門の学者先生のかたがたに、ことの始まりから終わりまでの、オバマ・チームの狡猾極まるノラリクラリぶりを、われわれ日本の大衆のために、白日のもとに晒してくださるようお願いしたいのです。左翼的見解/右翼的見解といったことに関係ありません。事実を並べて、整理して下さればよいのです。コロンビアについても同じです。この国はいつの間にかアメリカの軍事的属領になってしまったようです。
 オバマ大統領の世界非核化宣言も、「広島、長崎を訪れることを名誉に思うだって、なかなか良いこと言うじゃない!」と日本人をうならせる始めのステージにあります。しかし、ヒロシマ・ナガサキといえば、パールハーバーと返してくるアメリカの心から、非核、反核の一体なにが期待できるでしょうか。私は、広島、長崎の人々、日本人全体が、この史上稀に見る大コン・マンに信頼(コンフィデンス)を置いて、後になってから、「ああ、やられた」と後悔することがないように、祈ってやみません。

藤永 茂 (2009年11月11日)


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