オバマ大統領がまだ就任していなかった2008年12月17日付けのブログ『オバマは「教育」も変える気がない』で私は次のように書きました。:
■ 来年の1月20日に米国大統領に就任するバラク・オバマについて、私は初めからネガティブな意見を表明し、殆どの人々が称揚するこの人物を「大嘘つき」呼ばわりする失礼まで犯して来ましたが、これまでの新政府の主要人事を見ていると、私の恐れていたことが現実となる確率がますます大きくなっているように思われます。これではオバマが叫び続けた“Change we can believe in” は真っ赤な嘘で、もし彼が誠実正直な人であったならば、“Continuation we can believe in” とこそ人々に告げるべきであったのですが、そんなことを言ったら、確実にマケインに負けてしまったことでしょう。マケインが大統領になっていたにしても、何らかの形でフランクリン・ルーズベルトのニュー・ディール的な政策変換を強いられたでしょうから、この分はオバマが唱えた「チェンジ」とは受け取れません。だとすると、アメリカが否応無しに強いられる内外政策の路線変更を除いて、オバマ新大統領の下で、この閣僚の顔ぶれの下で、いったい何が「チェンジ」するのでしょうか?
軍事政策、外交政策、金融経済政策、保健政策のどれをとっても、オバマ新大統領が選んだ顔ぶれでは、「変化」ではなく「継続」です。「続投」です。これらの重要政策の背後には、それぞれ、超強力なロビー的勢力があり、そのコントロールが切り崩される兆しはありません。それに重なるようにして、ブッシュの犯した戦術的な誤りを修正しさえすればアメリカの絶対的な覇権を奪還できるという浅薄な認識と希求が見え隠れしています。ただ、私としては、一つだけ微かな希望を持ちつづけていた政策分野がありました。それはオバマ新大統領の教育政策です。他の分野にくらべれば、この政策分野のロビー団体の勢力は弱く、したがって、バラク・オバマに改革の意志があるならば、「チェンジ」の希望の持てる人事が可能であると思われたからです。しかし、この微かな希望も、オバマのバスケットボール仲間アーン・ダンカンが教育大臣になるという昨日(12月16日)の人事発表で露と消えました。
何故ダンカン氏ではアメリカの教育に「チェンジ」がもたらされないかを説明するためには、現在アメリカの初等中等教育を支配している『No Child Left Behind (NCLB) 』(一人も落ちこぼれを出さない)という大層ご立派な名前の法令のことから始めなければなりません。これは、ブッシュ大統領が就任式直後の2001年1月23日に米国国会に提案し、共和民主両党の賛成の下、2002年1月8日に大統領が署名してアメリカ合州国の法令となりました。ウィキペディアに示されている署名式の写真は、署名のペンを握るブッシュ大統領のそばに二人もの黒人の子供を立たせるという演出ぶりですが、ほぼ7年後の今、全米の貧民区の学校で「おちこぼれ」る生徒と教師が続出しているというのが偽らぬ実情です。新教育大臣アーン・ダンカンはシカゴでこのNCLB プログラムを熱心に推進している人物です。■
標語はブッシュのNo Child Left Behind からオバマのThe Race to the Top に変わり、競争が強調されることになりました。ところがこの競争重視政策が困った内容のもので、一般的な学力テストは勿論ですが、これが教師の評価に結びつくだけでなく、私立教育施設を拡張し、私立学校の間での競争に重点をおいて、良い成績を上げた私立学校には政府から支持が与えられるというのです。簡単に言って、これは教育事業のプライバタイゼーションの強力な推進政策に他なりません。監獄経営の私企業化と同じ方向です。
このオバマの教育政策を貧困層とくに非白人貧困層の青少年の教育環境の劣化と教職員組合の破壊をもたらすものとして私は問題視していたのでしたが、これには大きな考え落としがあることに気が付きました。
この6月11日、組合員数約2万4千人のシカゴ市教職員組合長Karen Lewis (黒人女性)は90%の組合員が必要あればストライキを行なうことに賛成の票を投じたことを発表しました。驚くべき投票率であり、驚くべき賛成票率です。10人中9人ですから。オバマ政権の教育相アーン・ダンカンはもともとシカゴ市の教育委員会を牛耳っていた人物でシカゴの公立学校の教員1300人をクビにした経歴があります。その半分近くは黒人でした。オバマ大統領の主席補佐官として、オバマとともにシカゴからホワイトハウスに乗り込んだラーム・エマニュエルは、2011年5月、市長としてシカゴに戻り、瞬く間に千人の教員の首切りを実行しました。ここに注目すべき事実があります。シカゴに限らずアメリカ全体で、公立の学校教育関係の職は圧倒的に女性によって占められています。初等レベルでは9割が女性です。ダンカンやエマニュエルの教職員組合の切り崩しと首切りの直接の犠牲者は圧倒的に女性たちであり、とりわけ黒人女性たちであるのです。それはアメリカにおける女性の位置、女性の権利に関わる基本的問題であることを、私はシカゴの教職員組合員のストライキ賛成投票のニュースに接して、はっきりと悟ったのです。女性組合員の一人の言葉が報じられました。:
“We have been pushed, and pushed, and pushed ?? and finally we get a chance to push back.”
いささか言葉を荒立てれば、オバマ大統領は反黒人、反女性の大統領であります。この認識は、彼の父が黒人であり、白人の母親によって育てられた事実に、また、彼の国務長官(ヒラリー・クリントン)、国連大使(スーザン・ライス)、最側近アドバイザーの一人が女性(サマンサ・パワー)であるという事実によって曇らされることがあってはなりません。幼稚園(kindergarten)から高校までの12年間のアメリカのいわゆるK-12 公立学校教育を天職として担っているのは圧倒的に女性たちです。ここに目を据えて初めてアメリカという国での女性の地位の本当の姿が見えて来ます。アメリカという政治と経済の権力システムの上層部に、日本の場合よりもより多く女性が混ざり込んでいるからとて、アメリカで女性が日本でよりも立派に扱われていることにはなりません。
アメリカで女性問題が論じられる場合に使われる皮肉を込めた常套表現があります。“Add Women and Stir.”これは料理のレシピで「砂糖を少々加えてかき混ぜてください(Add some sugar and stir。)」というのと同じようにも聞こえます。“Add some black men and stir.”アメリカの権力構造の上層部に混ざり込む黒人の数が少々増えてもアメリカの黒人問題の深刻さは殆ど何も変わってはいないのです。アメリカという恐るべきシステムがバラク・オバマをホワイトハウスに据えたのも、“Add a black man and stir.”ということであったと、私はますます確信の度を深めつつあります。
いまメキシコで開催中のG20 の会議を報じるワシントン・ポスト に妙な写真記事を見つけました。タイトルは“The best and worst countries for women,” とあり、参加19カ国の女性関係のフォトが次の順序で現われ、それぞれに説明がついています。
http://www.washingtonpost.com/world/the-best-and-worst-countries-for-women/2012/06/14/gJQAeMl8bV_gallery.html#photo=1
(1)カナダ(2)ドイツ(3)英国(4)オーストラリア(5)フランス(6)アメリカ(7)日本(8)イタリー(9)アルゼンチン(10)韓国(11)ブラジル(12)トルコ(13)ロシア(14)中国(15)メキシコ(16)南アフリカ(17)インドネシア(18)サウジアラビア(19)インド。
次回には各国の写真に添えてある説明と、アメリカとエリトリアでの女性の地位の比較を行ないます。エリトリアでは“Add Women and Stir.”というような侮辱的なレシピは使われていません。
藤永 茂 (2012年6月20日)
■ 来年の1月20日に米国大統領に就任するバラク・オバマについて、私は初めからネガティブな意見を表明し、殆どの人々が称揚するこの人物を「大嘘つき」呼ばわりする失礼まで犯して来ましたが、これまでの新政府の主要人事を見ていると、私の恐れていたことが現実となる確率がますます大きくなっているように思われます。これではオバマが叫び続けた“Change we can believe in” は真っ赤な嘘で、もし彼が誠実正直な人であったならば、“Continuation we can believe in” とこそ人々に告げるべきであったのですが、そんなことを言ったら、確実にマケインに負けてしまったことでしょう。マケインが大統領になっていたにしても、何らかの形でフランクリン・ルーズベルトのニュー・ディール的な政策変換を強いられたでしょうから、この分はオバマが唱えた「チェンジ」とは受け取れません。だとすると、アメリカが否応無しに強いられる内外政策の路線変更を除いて、オバマ新大統領の下で、この閣僚の顔ぶれの下で、いったい何が「チェンジ」するのでしょうか?
軍事政策、外交政策、金融経済政策、保健政策のどれをとっても、オバマ新大統領が選んだ顔ぶれでは、「変化」ではなく「継続」です。「続投」です。これらの重要政策の背後には、それぞれ、超強力なロビー的勢力があり、そのコントロールが切り崩される兆しはありません。それに重なるようにして、ブッシュの犯した戦術的な誤りを修正しさえすればアメリカの絶対的な覇権を奪還できるという浅薄な認識と希求が見え隠れしています。ただ、私としては、一つだけ微かな希望を持ちつづけていた政策分野がありました。それはオバマ新大統領の教育政策です。他の分野にくらべれば、この政策分野のロビー団体の勢力は弱く、したがって、バラク・オバマに改革の意志があるならば、「チェンジ」の希望の持てる人事が可能であると思われたからです。しかし、この微かな希望も、オバマのバスケットボール仲間アーン・ダンカンが教育大臣になるという昨日(12月16日)の人事発表で露と消えました。
何故ダンカン氏ではアメリカの教育に「チェンジ」がもたらされないかを説明するためには、現在アメリカの初等中等教育を支配している『No Child Left Behind (NCLB) 』(一人も落ちこぼれを出さない)という大層ご立派な名前の法令のことから始めなければなりません。これは、ブッシュ大統領が就任式直後の2001年1月23日に米国国会に提案し、共和民主両党の賛成の下、2002年1月8日に大統領が署名してアメリカ合州国の法令となりました。ウィキペディアに示されている署名式の写真は、署名のペンを握るブッシュ大統領のそばに二人もの黒人の子供を立たせるという演出ぶりですが、ほぼ7年後の今、全米の貧民区の学校で「おちこぼれ」る生徒と教師が続出しているというのが偽らぬ実情です。新教育大臣アーン・ダンカンはシカゴでこのNCLB プログラムを熱心に推進している人物です。■
標語はブッシュのNo Child Left Behind からオバマのThe Race to the Top に変わり、競争が強調されることになりました。ところがこの競争重視政策が困った内容のもので、一般的な学力テストは勿論ですが、これが教師の評価に結びつくだけでなく、私立教育施設を拡張し、私立学校の間での競争に重点をおいて、良い成績を上げた私立学校には政府から支持が与えられるというのです。簡単に言って、これは教育事業のプライバタイゼーションの強力な推進政策に他なりません。監獄経営の私企業化と同じ方向です。
このオバマの教育政策を貧困層とくに非白人貧困層の青少年の教育環境の劣化と教職員組合の破壊をもたらすものとして私は問題視していたのでしたが、これには大きな考え落としがあることに気が付きました。
この6月11日、組合員数約2万4千人のシカゴ市教職員組合長Karen Lewis (黒人女性)は90%の組合員が必要あればストライキを行なうことに賛成の票を投じたことを発表しました。驚くべき投票率であり、驚くべき賛成票率です。10人中9人ですから。オバマ政権の教育相アーン・ダンカンはもともとシカゴ市の教育委員会を牛耳っていた人物でシカゴの公立学校の教員1300人をクビにした経歴があります。その半分近くは黒人でした。オバマ大統領の主席補佐官として、オバマとともにシカゴからホワイトハウスに乗り込んだラーム・エマニュエルは、2011年5月、市長としてシカゴに戻り、瞬く間に千人の教員の首切りを実行しました。ここに注目すべき事実があります。シカゴに限らずアメリカ全体で、公立の学校教育関係の職は圧倒的に女性によって占められています。初等レベルでは9割が女性です。ダンカンやエマニュエルの教職員組合の切り崩しと首切りの直接の犠牲者は圧倒的に女性たちであり、とりわけ黒人女性たちであるのです。それはアメリカにおける女性の位置、女性の権利に関わる基本的問題であることを、私はシカゴの教職員組合員のストライキ賛成投票のニュースに接して、はっきりと悟ったのです。女性組合員の一人の言葉が報じられました。:
“We have been pushed, and pushed, and pushed ?? and finally we get a chance to push back.”
いささか言葉を荒立てれば、オバマ大統領は反黒人、反女性の大統領であります。この認識は、彼の父が黒人であり、白人の母親によって育てられた事実に、また、彼の国務長官(ヒラリー・クリントン)、国連大使(スーザン・ライス)、最側近アドバイザーの一人が女性(サマンサ・パワー)であるという事実によって曇らされることがあってはなりません。幼稚園(kindergarten)から高校までの12年間のアメリカのいわゆるK-12 公立学校教育を天職として担っているのは圧倒的に女性たちです。ここに目を据えて初めてアメリカという国での女性の地位の本当の姿が見えて来ます。アメリカという政治と経済の権力システムの上層部に、日本の場合よりもより多く女性が混ざり込んでいるからとて、アメリカで女性が日本でよりも立派に扱われていることにはなりません。
アメリカで女性問題が論じられる場合に使われる皮肉を込めた常套表現があります。“Add Women and Stir.”これは料理のレシピで「砂糖を少々加えてかき混ぜてください(Add some sugar and stir。)」というのと同じようにも聞こえます。“Add some black men and stir.”アメリカの権力構造の上層部に混ざり込む黒人の数が少々増えてもアメリカの黒人問題の深刻さは殆ど何も変わってはいないのです。アメリカという恐るべきシステムがバラク・オバマをホワイトハウスに据えたのも、“Add a black man and stir.”ということであったと、私はますます確信の度を深めつつあります。
いまメキシコで開催中のG20 の会議を報じるワシントン・ポスト に妙な写真記事を見つけました。タイトルは“The best and worst countries for women,” とあり、参加19カ国の女性関係のフォトが次の順序で現われ、それぞれに説明がついています。
http://www.washingtonpost.com/world/the-best-and-worst-countries-for-women/2012/06/14/gJQAeMl8bV_gallery.html#photo=1
(1)カナダ(2)ドイツ(3)英国(4)オーストラリア(5)フランス(6)アメリカ(7)日本(8)イタリー(9)アルゼンチン(10)韓国(11)ブラジル(12)トルコ(13)ロシア(14)中国(15)メキシコ(16)南アフリカ(17)インドネシア(18)サウジアラビア(19)インド。
次回には各国の写真に添えてある説明と、アメリカとエリトリアでの女性の地位の比較を行ないます。エリトリアでは“Add Women and Stir.”というような侮辱的なレシピは使われていません。
藤永 茂 (2012年6月20日)
藤永先生がいま注目されているアフリカの小国エリトリアと超大国アメリカとの間での、女性の人権度をめぐっての比較考察、次回以降のブログが楽しみです。
ところで、昨年のリビア内戦(NATO軍事介入)の過程において先生は、2011年8月10日と8月17日のブログで「中東/アフリカの女性たちを救う?」と題してリビアにおける女性の人権状況を紹介くださいました。
ウィキペディアで“Women in Libya”という項目がありまして、このほど、そちらもあらためて読んでみましたが、やはりカダフィ政権下で女性の人権は向上したという説明でした。ウィキペディアの情報をすべて鵜呑みにはできませんし、この項目には「信頼できる引用元の明示と情報の更新を」と注文が付いているのですが、それでも、今のところ、それと対立する見方を掲げた解説は付加されていません。
ウィキペディアでは、リビアにおける女性の地位・人権状況につき、王政時代からカダフィ革命時代を通じての概要をつかめます。初等から高等まで教育機会の拡充、行動の自由、結婚と離婚の自由、子育て支援、独立の財産の保有処分権、就労機会の拡充、保健医療体制の整備、労働者保護と年金保障、住宅の保障など広範にわたる改革の長い道のりだったようです。伝統的なイスラム法やリビアの部族社会の風習などで圧迫されている状態から、女性たちが「解放」されていった面がコンパクトにつづられています。