私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

シリア問題の核心はロジャバ革命

2016-12-31 23:49:49 | 日記・エッセイ・コラム
 事の始まりはそうではありませんでした。主に米欧とイスラエルの地政学的計算からシリアのアサド政権の打倒を目指して始められた政権変換戦争でしたが、「アラブの春」という仕組まれた瓢簞から駒が出るような格好で、トルコとの国境線に接するシリア北部(Rojava、ロジャバ)のクルド人地域が突出した勢いで、草の根主義的な民主化運動を実施推進し始めます。これは当然ダマスカスのアサド政権の中央集権的支配に反旗をひるがえす形を取りましたが、政府軍はこの動きに激しい弾圧を加える事なく、ロジャバのクルド人地域から殆ど全く軍隊を引き上げてしまいました。
 ところが、2014年7月、イスラム國(当時は主にISILと呼ばれていました)が猛然とロジャバの中心都市の一つであるコバニに襲いかかります。今の時点から振り返りますと、このコバニをめぐる戦いの意義についての我々の理解は極めて浅薄なものであったように、私には、強く思われます。ロジャバのクルド人軍がイスラム國軍に全く予想外の抵抗を示して遂に勝利を勝ちとったことの意味は、非常に大きいものであったと、今にして、思われます。
 ロジャバ革命が成就するか否かに、シリアの命運、ひいては、中東全体、あるいは、世界全体の命運がかかっていると、私には、思われます。いささかの誇張もなく、祈るような気持ちで、2017年のシリア情勢の展開を凝視しているところです。

藤永茂 (2016年12月31日午後11時50分)
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フィデル・カストロ(3)

2016-12-27 15:42:28 | 日記・エッセイ・コラム
 私はまだカストロのことを色々と読んでいます。いささか感情的に傾きすぎているかもしれません。フィデル・カストロという人間の像が私の心の中で日一日と大きくなって行くのをどうすることも出来ません。
 私が初めてキューバの人々の、カストロとともにアメリカ政府の傀儡バチスタ政権を打倒したキューバの人々の声を聞いたのは、Wright Mills(ライト・ミルズ)の『Listen, Yankee!(よく聞け、ヤンキー!)』という素晴らしく爽やかなキューバ革命論の本からでした。この本は1961年の出版で、私が読んだのは1968年頃のことだったと思いますので、私のキューバ革命とフィデル・カストロ贔屓は随分と長く続いていることになります。鶴見俊輔さんもこのライト・ミルズの本に惚れ込んだらしく、同年1961年に『キューバの声』と題する訳書を「みすず書房」から出版しました。
 ライト・ミルズ(1916−1962)はアメリカの社会学者で、『ホワイト・カラー』や『パワー・エリート』などの著書を通じて、戦後の我々の世代に大きな影響を与えた人物です。オバマを操り、クリントンを操り、トランプを操ろうとしているのは、このパワー・エリート達です。
 2011年5月4日付けのブログを以下に再録します。
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学園紛争の最中の1968年、私はカナダに移住しましたが、その年カナダではモントリオール大学の法学部準教授であったピエール・トゥルードー(Pierre Trudeau)が政治の舞台に華々しく登場して時代の寵児となり、若者の間でトゥルードーマニアとよばれる社会現象が起りました。マニア現象として、勿論、オバママニアと相通じる馬鹿馬鹿しい面はありましたが、眼に見えて高度の知的能力を持つ政治家として、オバマにつきまとうコン・アーティストの影はトゥルードーには全くありませんでした。管首相が「不幸を最小にする」というモットーを掲げた時、私はすぐトゥルードーを思い出しました。トゥルードーが掲げた目標は「Just Society」の実現でした。大袈裟に「正義の社会」などと訳しては少し意味がずれます。「公平な社会」あるいは「まじめにやっている人間がひどい目にあわない社会」といった感じでしょう。「不幸を最小にする」ということからも遠くありません。実際、トゥルードーはこの線に沿う幾つもの法律を制定し政策を実行しました。マイケル・ムーアがオーバーに褒め上げたカナダの医療保険制度をカナダ全土にわたる制度として確立したのもトゥルードーです。
 1969年12月下旬、ジョン・レノンと奥さんのヨーコが彼らの『世界平和の旅』の道すがら、カナダの首都オタワにやってきて、トゥルードーと面会することになりました。はじめは10分ほどの予定だったのですが、結局ジョンとヨーコの二人は50分間も一国の元首トゥルードーと歓談したのでした。ジョン・レノンは“Trudeau is a beautiful person. If all politicians were like Pierre Trudeau, there would be world peace.”という言葉を残しました。
 1976年1月26日から3日間、トゥルードーはキューバを公式訪問しました。当時、世界は東と西の陣営に分かれ、カストロとトゥルードーは帰属を異にしていたのですが、最後の日、大群衆に囲まれた屋外のステージにカストロと並んで立ったトゥルードーは立派なスペイン語で "Long live Cuba and the Cuban people! Long live Prime Minister Fidel Castro! Long live Cuban-Canadian friendship!" と言い放ったのです。勇気のいる発言でした。(YouTubeの Viva Cuba: Fidel Castro and Pierre Trudeau で 視聴できます。)二人の間の,政治的でない、人間としての真の友情はこうして始まりました。政界から引退後、トゥルードーは何度もキューバを訪れました。2000年10月2日、モントリオールで行なわれたトゥルードーの葬儀では74歳のカストロは柩を肩でかつぐ運び手に加わりました。
 バーバラ・ウォーターズ(1929年生)といえば、アメリカのTVジャーナリズムの歴史的な大姐御といった存在で、インターヴューした世界の有名人のリストは目を見張るものがあります。1977年6月、彼女はキューバに行ってカストロに会いました。インターヴューの様子は,適当に編集されてABCテレビで放映されたのですが、編集する前の完全なテキストが『Seven Days』という月2回発行の雑誌に(1977年12月)掲載されました。前年1976年のカストロ/トゥルードーの組み合わせと同じくらいカストロ/ウォーターズの組み合わせは注目に値したものでしたし、実際に放映されたプログラムの印象は自由陣営の女性論客の代表が共産主義独裁政治家に鋭く迫るという印象を与えるように編集潤色されていたことを問題にした『Seven Days』の編集者Dave Dellinger (この名前も私の年代の人間にはとても懐かしいはずです)が、わざわざインターヴューの完全テキストを世に出したのでした。そこには、なんとも形容し難い魅力に満ちたカストロの声が鳴り響いていました。その魅力がタフなインターヴュアーであったはずのウォーターズを虜にしてしまった様子さえ読み取れる内容でした。事実、アメリカ国内ではウォーターズはカストロに丸め込まれたという非難が次第に浮上することになりました。この会見から25年後の2002年10月、彼女は再びカストロを訪れます。その時の様子はYouTube 上で見ることが出来ます。彼女はしきりにカストロの弱みに鋭く切り込む振りを見せますが、この二人の間に一種の親愛の情が飛び交っているのを感じるのは難しくありません。カストロというのはそんな不思議な人物なのでしょう。
 私の次のカストロ体験は田中三郎著『フィデル・カストロ「世界の無限の悲惨を背負う人」』という驚くべき本を読んだことでした。私が常々敬愛する一友人の勧めで読んだこの本については以前にも書いたことがあります。著者は3年3ヶ月(1996年11月末~2000年3月)キューバ大使を務め、その間、数十回、カストロと言葉を交わし、日本帰国後3年を費やして、この文字通りの聖人伝(hagiography)をしたためました。ハギアグラフィという言葉は,今はネガティブな意味で使われるのが普通です。伝記の対象をひたすら褒め上げる執筆行為の裏に卑しい打算が張りついていることがよくあるからです。しかし、田中三郎さんの場合、そうした計算の影は微塵もありません。末尾は
「キューバを離れた今も、フィデル・カストロをはじめとする心優しく、偉大なキューバの人々に接することのできた貴重なキューバの日々に対して、深い感謝の気持ちを抱いている。そして、フィデル・カストロは、ホセ・マルティについて「一粒の種がまかれて、大きな樹に育って日々に成長している」と語っているが、フィデル・カストロという一人の崇高な人のまいた種が日々成長し、その思想と毅い精神の流れが脈々と続いていくことを確信している。」
と結ばれています。これを甘過ぎと評することは容易です。アメリカ人ならば「He is smitten by Castro 」と笑うでしょう。しかし、カストロと出会ってすっかり参ってしまった人の数が多すぎるとは思いませんか? ミルズ、トゥルードー、ウォーターズ、田中三郎、・・・・。私はさらにイニャシオ・ラモネ(Ignacio Ramonet)の名を加えたいと思います。ラモネはフランスのルモンド・ディプロマティック前総編集長で、私が信頼している論客の一人です。2年ほど前、どこかのテレビで彼とフィデル・カストロの対話を視聴しました。たぶんその内容だと思われる本が岩波書店から出ましたが、まだ手に取っていません。2007年のラモネの発言ですが、「カストロ議長をひぼうする立場の人々には悪いが、国際社会のパンテオン(偉人廟)には既にカストロ氏の席が用意されている。社会正義のために戦い、虐げられた人々と連帯した偉人だけがこのパンテオンに招かれる。」
 カストロとカストロのキューバを評価する場合に、見過ごすことの出来ない名前があります。キューバ生まれ、キューバ在住の35歳の女性ブロガー、ヨアニ・サンチェスです。キューバに本格的な関心のある人でこの名前を知らない人はまず居ないでしょう。世界中から膨大なアクセスを誇る彼女のブログ Generación Y (ヘネラシオン・イーグリエガ) は日本語で読めます。数えきれないほどの国際的賞も受賞しています。彼女のカストロ非難、キューバ非難はまことに激烈且つ執拗です。私もこの人とそのブログに興味を持ち続けていますが、2009年の暮れ、ちょっと気の毒なことが起きました。彼女がアメリカとキューバの関係に関する7つの質問をオバマ大統領に送ったところ、その一つ一つに丁寧に答えた大統領からの返書が届けられたのです。内容は彼女のブログで読むことが出来ます。オバマはサンチェスを讃える次のような言葉を贈りました。例のオバマ節が余りにも鼻について翻訳する気になれないので原文のまま掲げておきます。オバマに手放しで褒められたことで私の心の中のサンチェス株の値は急落してしまいました。:
# Your blog provides the world a unique window into the realities of daily life in Cuba. It is telling that the Internet has provided you and other courageous Cuban bloggers with an outlet to express yourself so freely, and I applaud your collective efforts to empower fellow Cubans to express themselves through the use of technology. The government and people of the United States join all of you in looking forward to the day all Cubans can freely express themselves in public without fear and without reprisals. #
さて、いまや世界的セレブとなって大得意のサンチェスさんと、ミルズやトゥルードーやラモネのような、決してナイーブな人間ではないのにカストロが好きになってしまった御仁たちのどちらに信を置くか。それは皆さんの判断に任せましょう。
 最後にまたトゥルードーに戻ります。私が未だに政治家というものの可能性に絶望してしまわないのは、カナダでトゥルードーのやることを至近距離でウォッチ出来たからです。彼はいわゆる「ケベック危機」の際、その去就を問われて、“Just watch me”とマスコミ報道者たちに答えたことで、その傲慢さをひどく叩かれましたが、たしかにウォッチするに値する希有の本物の政治家でした。清廉潔白、正義に徹した君子ではなかったのですが、絶えず真剣に政治家としての思索をつづけ、彼が最善のチョイスと信じるアイディアを実行しました。
 これからも、私の“カストロとのお付き合い”は続きます。私が死ぬまで続くでしょう。いまや「ものを考える一兵卒」となったフィデル・カストロの声に耳を傾け続けるということです。この声が無残な暗殺によって絶えることはもう無さそうですから。

藤永 茂 (2011年5月4日)
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つい先ごろ読んだ本に戸井十月著『カストロ 銅像なき権力者』(新潮社 2003年)があります。ある賢者に勧められて読みました。なかなか味のある書物です。その48頁の後半をコピーします:
■「土曜日の朝に太陽が登らなかったら日曜の恋愛とセックスはない」という諺がキューバにはある。カリブの島で太陽が昇らないなんてことはあり得ないから、つまり恋愛とセックスのない日曜なんてあり得ないというわけだ。男たちはいつも新しい女の尻を追いかけ、だから、キューバでは一度や二度の離婚話は噂にもならない。
 それでは女が可哀そうと思うのは早計で、憲法や法律で女子供はしっかり保護されているから、むしろ苦しくなるのは男の方だ。どんな場合でも男の方が養育費を払わねばならず、女の方には自立や再教育のためのプログラムが色々用意されている。実際、国営私営を併せた生産活動人口の約四十%、技術者の約六十%、指導者の約三十%、大学卒業者の約六十%を女が占めている。キューバの女たちは、男に捨てられても元気なのである。■
 これは立派なものです。カストロの女性観は、ロジャバ革命のオジャランの思想と同じです。別のところで読んだのですが、革命のごく初期のゲリラ戦で銃の数が不足気味の状況下では、カストロは女性兵士に優先的に銃器を渡したそうです。いざとなると女性の方が頼りになるという考えをカストロは持っていました。今、北部シリア(ロジャバ地方)でISとトルコの両方の暴力ともっとも勇敢に戦っているのはクルド防衛女子軍団です。
 フィデル・カストロ追悼の発言が多くの女性によってなされています。革命の初期からカストロと歩みをともにした高齢の女性の声にも三つほど接しました。どれも感動的ですが、その中に、どうやらキューバの国民詩人的な存在らしい、フィデルより2歳年上のCarilda Olver Labra の言葉があります。

http://www.radiorebelde.cu/english/news/fidel-as-alive-as-the-palm-trees-of-cuba-20161210/

その中に
“I always saw him almost flying and practically without touching the ground on his magical periods of friendships and tenderness and devotion to Cuba. He was a hero who never knew it, a giant of the poor. He was meek and rough, energetic and polite and worried.”

とあります。スペイン語を解しないので原文はチェックしていませんが、私は上の発言の中で、meek and rough というこの詩人の言葉に特に惹かれます。
 この詩人の他にAlicia Alonsoという老バレリーナやカストロの右腕としてゲリラ戦を戦い抜いたCelia Sánchez Manduley の追悼の辞を読むことができます。

http://en.granma.cu/cuba/2016-12-05/alicia-alonsos-grief

http://www.radiorebelde.cu/english/news/the-cuban-woman-and-their-presence-by-fidel-20161210/


藤永茂 (2016年12月27日)
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フィデル・カストロ(2)

2016-12-11 22:19:49 | 日記・エッセイ・コラム
 12月4日に行われたフィデル・カストロの葬儀に参列した世界の政治家の中で、私が最も注目したのは、アフリカ、ジンバブエの“独裁的”大統領ロバート・ムガベです。ジンバブエについては、2008年7月23日付けの『ジンバブエをどう考えるか(1)』に始まる5回のブログ記事で取り上げましたし、その後も論じました。それは、週刊朝日2008年7月18日号の「84歳の独裁者[ジンバブエ]ムガベ大統領の悪逆非道」という記事に触発されてのことでした。それは次のような調子の文章で満たされていました:
■ 洞爺湖サミットのテーマの一つがアフリカ支援。だが、この國は支援の対象となりうるのか。国家崩壊寸前のジンバブエ。肥沃な土地と豊富な資源で「アフリカのパンかご」と呼ばれた國を“くずかご”に転落させたのは、ムガベ大統領である。なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか。■
この記事について、私は次のように書きました:
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 ムガベは、87年に大統領に就任後の10年は、理想的な善政を敷きますが,それから後は、一転してアフリカ第一の暴君になり、ジンバブエを世界最低の失敗国家にしてしまったことになっています。何が起ったのか?この週刊誌記事が与える答えは簡単明瞭です。ムガベが、もともと「権力を維持するために国民を食いものにしてきた、狂気の独裁者だから」というものです。読者は「アフリカには、ひでえ野郎もいるもんだな」とあきれるだけで、次の記事に読み移ることになるのでしょう。ここに見られるのも、問題を考えるため、目の前の記事の妥当性を判断するために必要な情報の完全な欠除です。あえて言えば、このような記事は、むしろ、無い方がよいと思われます
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 2000年、ジンバブエに対する経済制裁金融封鎖立法S.494は上院議員フリスト、ヘルムズ、クリントンなどによって提案され、上院では満場一致、下院でも圧倒的多数で可決されましたが、下院(国会)の黒人女性議員Cynthia McKinneyは堂々たる反対弁論を展開しました。この「肝っ玉女性」マキニーさん、今は国会議員ではありませんが、彼女の発言はいつも傾聴に値します。
 ジンバブエのロバート・ムガベとは何者か? 私の真の開眼の機会は、南アフリカのネルソン・マンデラの追悼式が与えてくれました。2013年12月5日に亡くなったマンデラの公式追悼式はヨハネスブルクのサッカー場で行われ、オバマ米国大統領を含む140人の各国首脳級が参列し「現代にもける最大級の葬儀」と言われました。私もそのテレビ放送を長時間見続けましたが、順次、入場してくる各国首脳の中で、際立って大きな拍手で 南アフリカ国民に迎えられたのがロバート・ムガベであったのです。米欧のマスメディによるあれだけ激しい“悪魔化(demonization)”もアフリカの人々を欺くことは出来なかったということです。
 本年3月28日、ムガベ大統領は安倍首相の招待で来日して首相官邸で首脳会議を行いました。産経ニュースには「あのムガベ大統領、官邸に来たる! “世界一の独裁者”と日本の関係は…」という見出しで4ページの記事が出ました。その中には、「外務省関係者は「われわれが考える以上に、ムガベ氏は現地で尊敬されている。アフリカでは長老への尊敬が強く、国力以上の発言力や影響力を持っている」と明かす。反植民地闘争の英雄として、南アフリカの故マンデラ元大統領と並び称されることもあるという」という文章もあります。まあ読んでみて下さい。

http://www.sankei.com/world/news/160328/wor1603280037-n1.html

カストロより2歳年上のムガベが、葬儀出席のため、遥々とそして早々とキューバ入りして、ハバナ空港で発したキューバ国民宛のメッセージは立派なものです:
「フィデルはあなた方のリーダーというだけではなかった。彼は私どものリーダー、そして、革命に従事する者すべてのリーダーであった。我々は彼に従い、彼の言うことに耳を傾け、彼を手本にしようと努めた」
Fidel was not just your leader. He was our leader and the leader of all revolutionaries. We followed him, listened to him and tried to emulate him.

実際、ムガベにしろ、マンデラにしろ、あるいは、サンカラ、カダフィ、などなど、数多くのアフリカの革命的政治家にとって、フィデル・カストロは仰ぎ見る存在であったようです。

 私は以前(2011年4月27日)『ものを考える一兵卒』と言う見出しの記事でカストロのことを書いたことがありますが、この見出しは彼の“回想(Reflections of Fidel)”で、「I promised you that I would be a soldier of ideas, and I can still fulfill that duty」から訳出したものでした。しかし、このa soldier of ideasという表現には、もっと深い意味が込められていて、「ものを考える一兵卒」という私の訳は殆ど誤訳というべき不適切なものでした。
 カストロの回想(Reflections of Fidel)を読むために私が主に訪れていたサイトは社会主義雑誌 MONTHLY REVIEW で、今でも回想文の全てを読むことができると思いますが、

http://monthlyreview.org

この頃になって

http://www.fidelcastro.cu/en/inicio

というサイトを知りました。そのタイトルは“Fidel Soldado de las Ideas” となっています。カストロは、生涯で何度も、「敵はスマートな武器を持っているが、私はアイディアで戦う」という意味の発言をしています。これは、彼が尊敬して止まなかった革命の先達 Jose Marti の「アイディアという武器は鉄で作られた武器よりも威力がある」という言葉を起源にしているようです。したがって、このアイディアという言葉は、うまい思いつき、素晴らしい着想、といった意味を超えて、人間の世界が如何にあるべきかについて確固たる信念を抱いた人間の強さを語っていると思われます。
 それにしても、革命成功以来、あらゆる困難に打ち勝ってキューバという国を見事に守り通し、育て上げてきたフィデル・カストロの「アイディアを武器とした戦いぶり」は、いわゆる策士の権謀術策とは全く異質の奇想天外さ、誠に万人の驚嘆に値します。その最たるものは、外国への医師団派遣でしょう。
キューバでは今日まで十数万人の大学医学部卒業生を産出し、六万人以上の医師が世界中の国々に送り出されて、それぞれの国での救難活動や医療レベルの向上に貢献してきました。ブラジルの例では、無医村的地域に重点を置いて、キューバから一万四千人の医師が配置され、四千四百万人の人々が、生まれて初めて、医者らしい医者から診断や治療を受けることができるようになったと報じられています。ベネズエラについても同じような状況です。勿論、ブラジルやベネズエラからの貿易的な「見返り」、政治的な「見返り」はありますが、通常の外交的あるいは経済的な関わり合いに比べて、なんと清々しい取引でしょう。このキューバの対外医療サービスは「見返り」が期待されない場合にも実行されます。2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の大流行がその一例です。この極めて危険性の高い流行病の悲劇の救援に世界中の国々が及び腰になる中で、キューバだけは、迷うことなく、四百五十人を超える強力な救援医療団を現地に派遣しました。
 国際政治の専門家の言語には「私心のない国家」などというものはありますまい。しかし、カストロの率いたキューバという奇妙な小国の行動には、selfless と言いたくなるような要素が確かに含まれていると思われる場合があります。
 カストロのキューバ軍は1975年から1988年までアンゴラ内戦に参加しました。この戦争は複雑な歴史的事件で、十分の学問的解明が求められますが、キューバの参戦については、カストロ自身の回想があり、私はそれを信じるに足るものとして読みましたし、カストロのキューバ軍のお陰で南アフリカに黒人政府が実現したと考えたネルソン・マンデラの次の言葉があります:
「アフリカとの関係において、キューバが展示したよりも大きな私心のなさの記録を指示することのできる国が他にあるだろうか?」
What other country can point to a record of greater selflessness than Cuba has displayed in its relations to Africa?

キューバ軍はソ連の傭兵としてアンゴラ内戦に派遣されたという見解を未だに持っている人々には selflessness という言葉は不適切に響くでしょうから、少し言い換えますと、この派兵は、キューバにとって全く算盤の合わない行為であったにも関わらず実施されたのは、「アフリカの黒人は白人の支配から独立すべきであり、アンゴラ戦争は独立戦争である」というカストロのアイディアの故であったと、私には、思われます。


藤永茂 (2016年12月11日)
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フィデル・カストロ(1)

2016-12-01 22:08:08 | 日記・エッセイ・コラム
 11月25日午後10時29分、フィデル・カストロが亡くなりました。1926年8月13日生まれ、享年90歳。

 米国次期大統領ドナルド・トランプは次のような声明を発しました:
「本日、世界は60年近くも自国民を抑圧した一人の残忍な独裁者の死去をマークした。フィデル・カストロが遺したものは、銃殺刑執行隊、窃盗、想像を絶する苦難、貧困、そして、基本的人権の否定である。
キューバは全体主義の島のままに留まっているが、今日という日を境にして、素晴らしいキューバ人たちが、あまりにも長く耐え忍んできた数々の恐怖から離れ、遂に、彼らに全くふさわしい自由の中に生きる未来に向けて進むことを、私は望んでいる。
フィデル・カストロによって惹き起こされた悲劇、死、苦痛は消去することは出来ないが、我が政府はキューバ人たちが繁栄と自由に向けての彼らの道行を遂に始めることが確実に出来るように万全の策を講じるであろう。
近い将来に自由キューバを目の当たりにする希望を持って、私は、大統領選挙戦中、私を指名支持してくれた2506旅団在郷軍人会を含めて、大いに私を支持してくれた多数のキューバ系アメリカ人とともにある」
Today, the world marks the passing of a brutal dictator who oppressed his own people for nearly six decades.
Fidel Castro's legacy is one of firing squads, theft, unimaginable suffering, poverty and the denial of fundamental human rights.
While Cuba remains a totalitarian island, it is my hope that today marks a move away from the horrors endured for too long, and toward a future in which the wonderful Cuban people finally live in the freedom they so richly deserve.
Though the tragedies, deaths and pain caused by Fidel Castro cannot be erased, our administration will do all it can to ensure the Cuban people can finally begin their journey toward prosperity and liberty.
I join the many Cuban Americans who supported me so greatly in the presidential campaign, including the 2506 Veterans Association that endorsed me, with the hope of one day soon seeing a free Cuba.

カストロの死に際して、このトランプの公式声明を含めて、米国の政治家たちの各種発言がデーリーメールに出ています。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-3973882/Donald-Trump-mocked-tweet-reacting-Fidel-Castro-s-death.html#ixzz4RJ5Jj1Ku

 私自身のカストロ評価は、このブログ上で何度も書きました。今私たちが目撃している、あるいは、経験している人間世界は、ひどい状態にあります。しかし、もしカストロという男が出現していなかったら、この世界は今よりもっと悲惨な状況にあったでしょう。
 トランプはカストロのレガシー、後に遺したもの、について語っています。
私は、トランプのリストに含まれていないカストロのレガシーを幾つか書き留めたいと思います。
 キューバのことを少しでも知っている人ならば、カストロがキューバの人々に遺したものとして、実に素晴らしい教育制度、医療制度、有機農業政策をまず挙げるでしょう。私もこのブログで既に取り上げましたので、挿話的に触れることにします。キューバでは、革命以来今日までに、一万を優に超える数の各種学校(教育施設)が新設されました。学費は無料です。除外なしに、あらゆるキューバ人の教育レベルを向上させることが、カストロの政策の根本であったと言っていいでしょう。文盲率は3割見当から、事実上、ゼロになりました。医療、医学的研究の面で、キューバが瞠目に値する水準に達したのも、この教育政策の成功の一環と見做すことができます。キューバの医療健康保障システムの優秀さは日本でもかなり良く知られていますが、あらゆる地域に浸透した総合診療所の存在で、全ての国民が資格を持った医師の診断とケアを無料か、ごく僅かな費用で受けることができるようになっています。その結果、幼児の死亡率など、国民の保健状態を示す各種の指標で、キューバは米国をしのぐ成功を達成しています。人口当たりの医師の数でもキューバは米国の2倍です。しかも、米国のオバマ・ケアが一人当たり6000米ドルかかるのに対して、カストロ・ケア(私の造語)は400米ドルで賄っているという報告もあります。その理由を、どうか、己がじし考えてみてください。
 キューバでの有機農業の成功については、教育と医療での成功に比べて、あまり広く知られていないかもしれませんが、ネット上で多量の情報が得られます。例として日本語の記事の一つから、その一部分をコピーさせて頂きます:
■キューバが有機農業を始めた背景には,その当時キューバが置かれていた世界的な位置付け,旧共産圏の崩壊とアメリカによる経済封鎖が大きく影響していると考えられる.

キューバは革命以来アメリカへの経済依存から,旧共産圏への依存へと移行し社会主義的国際分業という名目の下で完全に外へ依存する体制を創りあげてしまっていた.キューバが主要輸出産品としていた砂糖にしてみても,一般にモノカルチャー作物は国際市場に左右されやすいが,ソ連の政治的な思惑があり,世界標準価格の5.4倍で取引されていた.その為,1989年には農地の60%がサトウキビ生産に使われており,砂糖やラム酒などサトウキビ加工品が外貨収入の75%を占めていた.輸入の面においても,キューバは貿易の70%をソ連と,15%を東欧諸国と行っており,化学肥料や農薬はもとより,ほとんどの生活必需品を社会主義国から輸入していた.エネルギー供給等は64%を輸入石油に依存しており外との関わりが無くしては生き延びることのできない国であった.そのような状況下で,1989年に起こったコメコン崩壊はキューバを未曾有の危機へと直面させた.それまで,外貨収入のほとんどを占めていた砂糖の輸出額は98年には92年の半分以下になり,原油輸入が1300万トンから300万トン減少する等,多くの輸入品が同様に減少していった.さらには,アメリカからの経済封鎖が拍車をかけるようにして強まり,輸入量は減少し続け多くの経済部門で生産活動が困難に陥った.

この緊急時をカストロは「スペシャルピリオド」として,国をあげて直面した危機に対処して行く方針を採った.そして,何よりも先ず対処して行かなくてはならなかったのが食糧危機の問題であった.

1989年時点でのキューバ食料自給率はわずか43%でありそのほとんどを海外に頼っていた.しかしコメコン崩壊以降その輸入量は半分以下に陥り,多くの人がまともな量の食糧を確保できず深刻な栄養不足へと陥った.農業においては,キューバは当時では南米の中でも進んだ技術を持ち,大型の機械や多量の科学肥料・農薬を使うといった大規模農業を行っていたのだが,緊急時ではそれが逆に仇となり,燃料の減少はトラクターをただの鉄の塊にして,農薬の減少は大規模な農場の管理を難しいものとした.そこで,人々は日々の生活を生き抜く為に自分達で食糧を確保するしかなく,機械や農薬も手に入らない状況では必然的に有機農業を始めるしかなかった.

有機農業は都市部から広まっていった.人々は先ず家の周りにある空き地やゴミ捨て場を畑にし,肥料には生ゴミやミミズを使い,トラクター代わりに牛を使った.石油輸入量が激減し都市への食料輸送や貯蔵などのエネルギーコストを節約する必要があった政府はこの動きを歓迎し,都市の食糧の需要を近場で賄うことを進め,またバイオ農薬の開発にも力を入れていった.この結果1994年に90年の55%まで落ち込んだ農業生産量は数年間で回復し,96年には95%になり,98年には元の水準に戻っていた.なかでも,米や野菜,果樹は有機農業によって完全に回復した.

この様に,あまりにも海外に依存していた状態が背景となって,コメコン崩壊が引き起こした食料危機こそが国をあげて有機農業に取り組む直接の原因となったわけであり,結局のところ日々の生活を生き延びる為の方法として有機農業を始めるしかなかった.有機農業の基本は,高付加価値商品を開発するためではなく,あくまでも自給にあったのだ.■

この目覚ましい努力と成果に対して、1999年、第二のノーベル賞とも呼ばれる「ライト・ライブリフッド賞(英語で Right Livelihood Award)が授与されました。

http://web.econ.keio.ac.jp/staff/tets/kougi/chiiki/chiiki03/f-4.html

以上、私は、カストロのレガシーとして、キューバの教育制度、医療保健制度、有機農業の3つを挙げましたが、これらの内政的業績より、ある意味で遥かに大きなカストロの遺産は、いろいろの形で抑圧と暴虐の下での生活を強いられている世界中の人々に、“今とは別の世界が可能である”という希望を与えてくれたことだと私は考えます。これについては次回に論じます。しかし、彼のもう一つの驚くべき内政的遺産として、私が是非ここで指摘しておきたいと思うのは、キューバのハリケーン防災対策の優秀さです。これについては、中村八郎・吉田太郎著『「防災大国」キューバに世界が注目するわけ』という本の著者インタビューから引用させていただきます:

http://president.jp/articles/-/6941

■ 過去200年で約200万人の犠牲者を出しているハリケーンは、地球上で最もやっかいな自然災害のひとつだ。たとえば2005年に発生したカトリーナはアメリカで死者1836人、行方不明者705人にのぼる甚大な被害をもたらした。
このカトリーナに匹敵する、あるいはそれ以上の大型ハリケーンの襲来を年に3度も受けながら、人的被害はほぼゼロという奇跡の国がある。カリブ海の社会主義国家、キューバである。先進国でさえ逃れられない災害リスクを、この貧しい小国はいかにして回避しているのか。
「国を挙げての防災対策のシステムがしっかり機能しています。最大規模のハリケーンが来ても、実に全国民の25%にあたる300万人が安全に避難する。死者はわずか1桁です」
そう言うのは、世界トップクラスにあるキューバの有機農業や医療など文化政策を研究している吉田太郎さん。
人だけではない。家財は安全な倉庫に移動させ、ペットさえ国が派遣した獣医が保護してくれる。仮に家屋が倒壊してもすべて政府に補償され、被災地にはボランティアが駆けつける。さらに家主その人が政府から給金を貰い受けて、専門家とともに自宅の再建作業にあたることで、復旧公共事業として街に仕事と雇用を創出するのだという。
吉田さんとともに取材した防災の専門家、中村八郎さんは続ける。
「キューバは国連も防災のモデル国とし、米国からも視察に訪れる専門家が後を絶ちません。防災対策は予防・応急・復旧・復興の4つのフェーズからなっています。このうち、防波堤など応急対策だけが特化しているのが日本の特徴で、キューバはすべてにおいて先をいっています」
たとえば、予防。キューバでは、年に1回、大規模な防衛訓練“メテオロ”が行われる。
「詳細なハザードマップをつくり、国民はみんな、災害時にどこに避難し、どのように行動すべきか熟知しています。たとえば、あのマンションの上階で一人暮らしをしているお年寄りはどう救出するかなど、各コミュニティごとに実にきめ細かい対策を準備しています」(中村さん)
「たとえ家を失ってもみんな明るい。政府は国民の命を絶対に守ってくれる、被災しても見捨てられることはない。政府に対する揺らがない信頼感があります。私は現地で『日本は大丈夫なの』って同情されました」(吉田さん)
豊かなのは果たしてどちらなのか。日本が学ぶべきことは数多くありそうだ。■

 今年、2016年、の10月はじめにカリブ海周辺を襲った大型ハリケーン「マシュー」は、ハイチとそのすぐ西隣のキューバを直撃しました。ハイチでは900人に及ぶ死者が出ましたが、キューバでは一人の死者も出ませんでした。キューバでは政府が適切に100万人の避難を実施したので、家屋の崩壊被害は広範甚大であったにもかかわらず、人命は全く失われませんでした。ハイチでは2010年の地震で20万の人命が失われ、私はこれを人災と呼びました。この地震の後、この機会を見事に捉えたクリントン夫妻とその一味は、あたかもハイチを私的植民地であるかのように私腹を肥やしながら支配し続けていますが、今回のハリケーン災害は、まさに、クリントン夫妻によって象徴される「アメリカ人」によって惹き起こされた人災です。
 国民全ての安全を守るキューバの防災政策は、カストロの温かい心から生まれたものに違いありません。ある所で読んだ話ですが、カストロが彼の施政の早い時期に始めたことの一つに、諸都市の賑やかな場所に、政府が助成金を出して、沢山のアイスクリーム・パーラーを開店させ、貧しい家庭の子供たちもアイスクリームを気楽に食べて楽しめるようにしたということがあったそうです。また、キューバの全ての子供達は、6歳になるまで、そのお誕生日には、立派なバースデイケーキが政府から届けられるのだそうです。多分ほんとうの話だと思います。こうした施策はポピュリズム的発想あるいは狙いから生じたものではありません。カストロという人間の人間性から直に発したものだったと考えられます。

このブログの始めに、フィデル・カストロの死に際して、米国次期大統領ドナルド・トランプが出した公式声明文を訳出しました。そこには「本日、世界は60年近くも自国民を抑圧した一人の残忍な独裁者の死去をマークした。フィデル・カストロが遺したものは、銃殺刑執行隊、窃盗、想像を絶する苦難、貧困、そして、基本的人権の否定である」とあります。
 フィデル・カストロとドナルド・トランプ、政治家として何という大きな違いでしょう。


藤永茂 (2016年12月1日)
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