私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ベネズエラの大学法

2010-12-29 12:22:54 | 日記・エッセイ・コラム
 2010年12月24日、Venezuelanalysis.com に掲載された記事を読んで、ちょっとシュール・リアルな不思議な気持ちになりました。おとぎの国からのニュースのようですが、しかし、これは現実の出来事です。ベネズエラの国会は大学の意思決定に、教授、学生、雇用者、地域住民代表が平等に含まれるという画期的な法案を可決しました。この法律は、ベネズエラ国家憲法の第103条に明記された原則、つまり、政府は小学校から大学学部教育にいたる無償で質の高い一般教育を供給する義務があるという原則に基づいています。
 この法律によれば、大学生は大学管理者の選挙の投票権を持ち、教授の評価に加わり、意見発表の自由が約束され、大学の運営記録にアクセスすることが出来、住居、通学費、食費、医療施設、学費についてのサービスを受ける権利が保障されることになります。
 この法案の成立について、現政府に反対する野党、富裕層の学生団体は、これは社会主義的政策の強行だとして、チャベス大統領を非難するデモを盛んに行なっているようですが、一般大衆は新しい大学法を歓迎しているといいます。
 若者達が大学進学を希望する場合、それを全面的にかなえることは、国が特別豊かでなくても可能であることを目の前で実証されると、私などは不思議な思いに駆られますが、立ち止まって考えてみると何の不思議でもありません。先進の諸大国で必要不可欠と考えられているあれこれの出費にくらべて、勉強意欲のある若者達にほぼフリーな教育の機会を与える社会環境を整えるのに必要な出費は小さいものです。かつて極貧の小国ハイチで解放神学の神父であったアリスティドが大統領になった時にも、直ちに着手した政策の一つは教育費の無償化でした。
 近視眼的な為政者、支配階級にとっては、大衆が愚民であること、どんな政策をとっても学生達が何も騒ぎを起こさない大学ばかりの方が好都合でしょう。しかし長い目で国家の将来を考えた時、国民の教育程度の高さこそが本当の財産になる筈です。この考え方は余り古すぎて陳腐で、私は頭の奥にしまい込んで忘れかけていましたが、今度のベネズエラからのニュースをきっかけに突然再浮上してきました。
 人は高い教育を享けた方がいいのか、わるいのか? これはとても難しい設問です。
田舎で医者をしている立派な友人に言わせると、田舎の無教養の老人たちの方が、学のあるインテリ老人たちより、概して、従容とした立派な死に方をするそうです。ここに重い真理があるのはたしかですが、これは、むしろ、人間の本当の知とは何かという問題でしょう。
 長年ピサ大学のスタッフだったイタリア人の友人から聞いた話ですが、1343年創立のピサの大学はイタリア最古の大学の一つで、特にメディチ家がフィレンツェを支配した時代のピサ大学の歴史は大変興味深いものです。フィレンツェ大学は1321年に創立されましたが、1473年、メディチ家のロレンゾによってピサに移され,ピサ大学に合体され、ピサ大学の規模と権威は増大します。友人の説明によれば、フィレンツェの支配層は、学問が栄えるのは重要視したけれども、学生や教授たちが支配権力に楯突いて騒ぎをフィレンツェで起すのはご免蒙りたいという発想からピサ大学の方をもり立てたというのです。騒ぐならピサで騒げ、というわけです。その時々の支配権力に唯々諾々として従う大学などは存在しない方が世の中のためになります。ピサ大学の卒業生やスタッフのリストには凄い名前が並んでいますが、古くは、法王の権威の前でも自説を曲げなかったガリレオ・ガリレイの名もあります。
 ベネズエラの若者と一般大衆の大部分は、教育に関する国家憲法の条文と新しく成立した大学法を歓迎しているようですが、それは遠い所で、メディチ家の学問尊重に通じているのかも知れません。

藤永 茂 (2010年12月29日)


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ジンバブエとムガベ

2010-12-22 10:58:38 | 日記・エッセイ・コラム
ジンバブエのことは2008年に5回続けて取り上げたことがありました。:
『ジンバブエをどう考えるか』(1)~(5)(2008年8月20日最終回)
週刊朝日の7月18日号に「84歳の独裁者[ジンバブエ]ムガベ大統領の悪逆非道」という記事があるのを広告で見て、内容を読んだのがきっかけでした。内外多事多難の現在、殆どの方はアフリカの小失敗国家ジンバブエの事など忘れてしまったでしょうが、今度のウィキリークスで漏洩したアメリカの外交関係の秘密文書の中に、私としては見逃す事の出来ない事柄も含まれていました。アメリカの意向に従わない小国の独裁者を引き倒したいと考えた場合にアメリカがどのように振る舞うかを実証的に観察する貴重な機会の一つを、ジンバブエは提供していると私は考えます。他の類似例として、近過去にはユーゴースラビア、現時点では北朝鮮が考えられます。
 週刊朝日の「84歳の独裁者ジンバブエムガベ大統領の悪逆非道」という記事は、“肥沃な土地と豊富な資源で「アフリカのパンかご」と呼ばれた國を“くずかご”に転落させたのは、ムガベ大統領である。なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか”と、先ず、設問します。
■(ムガベは)首相を経て、87年に大統領に就任。当初は農地や工場の急激な国有化を避けるなど白人社会との協調を基盤とした緩やかな社会主義による国づくりを進める一方、教育など福祉政策に力を注ぎ、識字率をアフリカ最高レベルの9割に導く“善政”を敷いた。
それが今はどうか。
 CIA(米中央情報局)発表などによると、ジンバブエのインフレは08年2月時点で16万%で紙幣は紙くず同然となり、失業率は80%(07年)。成人のHIV感染率は24・6%(01年)で、平均寿命は約39歳(08年)に過ぎない・・・・。生活苦から国民約1300万人のうち、約400万人が職を求めて、国外へ流出しているとされる。20年以上の(ムガベの)君臨が、「南部アフリカのオアシス」と言われた國を壊したのだ。■
 これで見ると、ムガベ大統領の初めの10年は模範的な善政、後の10年は典型的な暴政。この記事の読者は、ムガベの治世の中間点、つまり世紀の変わり目の2000年前後に、何か大変な事が起ったのではないか、転機となるような重大事態が生じたのではないか、と思うのが当然ではありますまいか。この記事の筆者中村裕氏は、(ムガベは)「なぜ変節したのか」と問い、ムガベ個人の変節として問題と捉えます。この問いに対して、アフリカ取材経験が豊富な朝日新聞元編集委員の松本仁一氏は「変節ではなく、もともと権力志向が強いのです。権力を維持するため、國を食いものにしてきた男です」と答えています。要するに、この記事のタイトル通り、「84歳の独裁者ムガベ大統領の悪逆非道」が「ジンバブエの悲劇」の理由であり、「なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか」という設問の答えは、「途中から堕落したのではない。もともと言語道断のひどい野郎だったのだ」となっているわけです。
 ジンバブエの運命の転機となった重大事件は、2000年にムガベが断行した農地改革です。『ジンバブエをどう考えるか』(5)(2008年8月20日)に、私はこう書きました。:
■ 1960年代、アフリカ大陸でヨーロッパ植民地が黒人の独立国家となる嵐が吹き荒れる中、英国植民地「南ローデシア」だけは、時代の流れに逆行して、1965年,アパルトヘイト政策を実施する白人支配国家として独立を宣言し、1970年には「ローデシア共和国」の国名を名乗りました。耕作に適した農地の80%を全人口の2%の白人地主が所有し、黒人の低賃金労働と機械化に依存する大規模農業が営まれていました。当然のことながら、黒人たちは黒人国としての独立運動に立ち上がり、紆余曲折のあと、1980年独立を果たして正式に「ジンバブエ」が誕生し、総選挙でムガベの社会主義的政党ZANU(Zimbabwe African National Union) が圧勝してムガベは首相になりました。人々の予想に反して、ムガベは黒人と白人の共存路線を選び、白人の農地を黒人に与える農地改革も7年間凍結する事とし、農業大臣や商工大臣には白人を起用して国家建設を進めたので欧米での評判は上乗でした。 上掲のムバコ大使の発言に描かれている通りです。しかし、1987年大統領となったムガベはZANU本来の“過激”な政策を強引に押し進めはじめます。1998年、マルクス主義者カビラのコンゴ政府が東の隣国ルワンダの侵攻を受けた時、カビラの要請で援軍を送ったのはその典型です。続く1999年、7年どころか20年間も手を付けなかった白人所有農地の黒人への分配を宣言し、2000年には強制接収を始めました。アングロ・アメリカ勢力がムガベのジンバブエつぶしの決心をした時点を1999年~2000年とすることに反対する国際関係史専門家は、もし彼らに学問的良心があるならば、一人もいないと私は考えます。■
 ロバート・ムガベは1924年2月生まれ、間もなく87歳の高齢、多くの人々が言うように、早く死んでしまった方がよいような人物かも知れません。しかし,この国の現状をもたらした諸々の政治的暴力について私たちの知識は余りにも浅薄です。公正健全な判断を下せる状態にはありません。それを意識するだけでも、虚偽に満ちたプロパガンダに引き回される確率を減らすことができます。
 2009年11月末、イギリスのサセックス大学の Institute for Development Studies という研究機関の所員のIan Scoones (白人)が他の共著者とともに、『Zimbabwe’s Land Reform Myths & Realities』という報告書を出版しました。それによると、2000年のジンバブエ農地改革は、世界のメディアが騒いだほど惨憺たる失敗ではなく、この10年間に見るべき実質的成果も上がっているということのようです。BBCテレビも一応は取り上げましたが、ジンバブエについての今までのマスメディアの姿勢から明らかなように、この出版物はほぼ無視されました。
 マスコミに無視された出版物といえば、Gregory Elich という人の『Strange Liberators: Militarism, Mayhem, and the Pursuit of Profit』(“奇妙な解放者たち:軍国主義、意図的騒乱、利益追求”、2006年)にも、ジンバブエについて、既に、同様な観察がなされていたようです。この著者は筋金入りの反帝国主義論者のようですし、過激な主張も含まれているかも知れませんが、幾つかの詳しい書評から判断する限り、引用文献もしっかり充実していて,決して際物出版物ではないと思われます。この著者の最近の論考では、北朝鮮に対して、アメリカ政府はムガベのジンバブエに対するのと類似した行動を取っていることに対する危惧が述べられています。

藤永 茂 (2010年12月22日)


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西日本新聞を讃える

2010-12-15 10:23:24 | 日記・エッセイ・コラム
 吉田健正氏の注目すべき近著『戦争依存国家アメリカと日本』(高文研、2010年12月)を読めば、その帯に書いてあるように「メディアが伝えない軍事超大国の実像」をはっきりと把握することが出来、それに基づいて、我々が沖縄の米軍基地の問題をどう考えるべきかの指針を得ることが出来ます。
 この本の第III章のタイトルは「米国政府の代弁者たちと大メディア」で、その中には、
* 米国に「洗脳」された日本のジャーナリストたち
* 大新聞は軒並み「日米同盟」重視
* NHK解説委員は米国政府の代弁者?
といった、気になる項目が並んでいます。日本にはメディア論の専門学者が多数おいでであると了解していますが、日本のジャーナリズムの惨憺たる現状について、そうした学者からも、ジャーナリズムと職業的に密接な関係にある文化人たちからも、あまり傾聴に値する発言が聞こえて来ないのは何故でしょうか。
 私として個人的に気がかりなのは、ジャーナリストという重要でやり甲斐のある仕事につくことの出来た若い世代の人々が現状をどのように考え、どのようなジャーナリストになることを志しているのか、ということです。ベトナム戦争の報道などで歴史的な仕事をしたジャーナリズムの大先達が「この頃の若い記者は高い志など持っていない」と吐き捨てるように言うのを,この耳で聞いたことがありましたが、その断定を信じたくない気持ちを、その時、私は強く抱いたものでした。
 最近、歌舞伎俳優市川海老蔵を巻き込んだ傷害事件でNHKをはじめとする大メディアが大騒ぎをしています。私は歌舞伎を観るのが楽しみなので、今度の事件について、私なりの関心はありますが、新聞に出ているいくつかの週刊誌の広告に「これが事の真相だ」と言いたげに並んでいる記事の見出しを見ていると、反吐が出そうになります。海老蔵の「傲慢」と「酒乱」が今回の事件の主要なファクターでしょうが、この疑いもなく豊かな資質に恵まれた未完の役者を偶像化して過度の高みに持ち上げ、“感動物語”というマスコミ商品に仕立てて売りまくっていたメディアにも大きな責任を負ってもらわなければなりません。もし老人の記憶に誤りがなければ、しばらく前に、NHKの総合テレビの夜の番組でも、海老蔵襲名後の彼の昼夜を分たない役者修行精進の様子が賞賛的に描かれ、希有の大歌舞伎俳優の確かな誕生の予感が高い調子で歌い上げられていました。歌舞伎好きの私はこの市川海老蔵という30歳を越したばかりの一人の歌舞伎役者への期待を膨らませると同時に、その肩にかかる重荷を思って、これからの道行きの困難さに危惧を抱かずには居られませんでした。
 それにしても大メディアあげての暴露的で嗜虐的な報道姿勢は何という浅ましさでしょう。海老蔵だけでなく、その妻、母親,父親に対する、さらには、梨園全体に対する悪口雑言は、報道者としての、どのような精神的姿勢から生まれてくるのでしょうか。よく売れそうな商品をでっち上げて企業収益をあげるためでしょうか。ジェズアルド(Carlo Gesualdo)やカラヴァッジョの時代にテレビや週刊誌がなくて本当に良かったと思います。
 ただ今度の騒ぎを通して、私が快哉を叫んだ快挙があります。12月7日から10日頃にかけての期間に、海老蔵事件について、一貫して、必要最小限の報道しかしなかった新聞があります。西日本新聞です。この地方新聞には、ジャーナリストとしての当然の志の高さを保っている人々が、依然として、巣食っているに違いないと私は思いました。それにつれて私の脳裏によみがえった一つの人名があります。菊竹六皷(きくたけろっこ、六鼓とも書きます)。今の西日本新聞の前身である福岡日日新聞の編集局長・主筆であった菊竹六皷は五・一五事件(1932年)に当っては敢然と軍部を批判し、また早くも1925年に婦人参政の必要を強調しました。この菊竹六皷の伝統が今の西日本新聞にも受け継がれていると想像するのは、まことに心楽しきものがあります。硬骨のジャーナリストとしては大阪朝日新聞の長谷川如是閑(にょぜかん)が有名ですが、菊竹六皷はそれに比肩する存在であったのです。インターネットの便利さを利用して、是非、この特筆すべき人物のことを知って下さい。

藤永 茂 (2010年12月15日)


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マドレーヌ・オールブライトの言葉

2010-12-08 13:02:16 | 日記・エッセイ・コラム
 2010年11月17日のブログで、アメリカの厳しい経済封鎖にもかかわらず、キューバは先進国並みの幼児死亡率の低さを達成していることを述べました。一方、イラクでは、アメリカが強引に主導した国連による経済封鎖の故に、50万人の子供たちが死んだとされています。しかも、その事について、1996年、米国国連大使マドレーヌ・オールブライトは
「それだけの値打ちはあった(the price worth it)」
というまことに信じ難い発言をしました。これはアメリカの外国不法侵略史に刻まれた不滅の、消すことの出来ない言葉です。イラク侵攻を正当付けたコリン・パウエルの有名な
「イラクは大量破壊兵器(WMD, Weapons of Mass Destruction)を持っている」
という大嘘発言よりも、オールブライトの言葉はアメリカという国の本質をより鮮明に浮き彫りにしています。
 最近、The Future of Freedom FoundationのSheldon Richmanという人がオールブライトの発言について注目すべき論説を発表しましたので、以下にその内容をかいつまんでお伝えします。昔の言葉で言えば「翻案」、私自身の感想も混ぜながらの要約で、論説の表題は『Albright “Apologizes” (オールブライトの弁明)』です。
 1996年、当時アメリカの国連大使オールブライトは「60MINUTES」というテレビの人気ニュース番組に出演して、1990年から始まった米国主導の対イラク経済制裁の効果について、レスリー・スタールに、次のように質問されました。:
■ We have heard that half a million children have died. I mean, that is more children that died in Hiroshima. And, you know, is the price worth it? (これまでに50万の子供たちが死んだと聞いています。つまり、ヒロシマで死んだ子供たちより多いというわけです。こんな犠牲を払うだけの値打ちがあるのでしょうかねえ?)■
これに対してオールブライトは、
■ I think that is a very hard choice, but the price, we think, the price is worth it. (経済制裁は大変難しい選択だと私は思いますが、でも、その代償、思うに、それだけの値打ちはあるのです)■
と答えました。
 これは極めて重大な失言であり、彼女の政治的生命が危殆に瀕してもおかしくなかったのですが、全然そんなことにならなかったどころか、翌年の1月には米国議会上院で、オールブライトはクリントンの国務長官として承認されました。大出世です。国務長官としての彼女の適性を審査した上院外交委員会でオールブライトは、
■ We will insist on maintaining though UN sanctions against Iraq unless and until that regime complies with relevant Security Council resolutions.(我々は,イラクのサダム政権が関連の国連安全保障理事会諸決議に従わない限り、また従うまで、イラクに対する強硬な経済制裁を継続することを強く主張するであろう)■
と胸を張って述べています。
 何故、1996年のオールブライトの発言が今問題にされるのか? 功なり名遂げたオールブライト女史は、2003年、『マダム国務長官』というタイトルの回想録を出版しました。その中で彼女は、14年前のあのひどい発言の弁明を試みているのですが、その語り口が又、問題なのです。その部分を書き写します。:
■ I must have been crazy; I should have answered the question by reframing it and pointing out the inherent flaws in the premise behind it. Saddam Hussein could have prevented any child from suffering simply by meeting his obligations ... .
As soon as I had spoken, I wished for the power to freeze time and take back those words. My reply had been a terrible mistake, hasty, clumsy and wrong. Nothing matters more than the lives of innocent people. I had fallen the trap and said something I simply did not mean. That was no one’s fault but my own.(私はどうかしていたに違いありません;相手の質問を言い換え、その背後にある前提に内在する欠陥を指摘してから答えるべきでした。サダム・フセインが彼の義務を果たしさえすればどの子供でも苦しまないように出来た筈だったのです。・・・ 喋ってしまった途端、時間を凍結させ、あの言葉を撤回する力があったらよいのにと願いました。私の答えは、軽率で、へまな,間違った、ひどいミステークだったのでした。罪のない人々の命ほど重要なものはありません。私は罠にはめられ、言うつもりのなかった事を言ってしまったのでした。あれは誰の過失でもなく、ただ私自身の過失でした)■ (p.275)
このオールブライトの語り口、どうお感じになりましたか?
 オールブライトは不正直です。1990年に経済制裁が始まった時、形式的には、食糧も医薬品も輸入封鎖はされていませんでしたが、石油の輸出を完全に止められてしまったので、フセイン政府はたちまち財政難に追い込まれ、フセインは食糧配給制を実施して対応しましたが、食糧不足はすぐに悪化しました。それを見かねた国連内のアメリカ批判の声に応えて、オールブライトの問題の発言が行なわれた1996年から“oil for food (食糧のための石油)”プログラムが始まり、食糧を買うために必要なだけの石油を売ることをイラクに許したのですが、実はその売上金はニューヨークの銀行に入金して完全な米国のコントロールの下にあり、そのおよそ半分はクウェイトやクルド人の方に回され、残りが“食糧、医薬品、医療資材装置、上下水道衛生設備の整備用器材”などひも付きで出費を許されました。しかし、アメリカ政府は裏で勝手にコントロールして、例えば、ハーパーズ・マガジン2001年11月号が報じた所によると、1991年8月以降、アメリカ政府はイラクの発電施設の維持運転に必要な各種資材の輸入を封鎖し、イラクが下水処理施設の輸入を許されても、それを運行する発電機の輸入を許さず、下水処理が不可能な状態にイラクを追い込み、そのため、毎日、30万トンの未処理汚水が河川に流れ込む状態になりました。何という汚いやり方でしょう。1991年の湾岸戦争の米空軍爆撃の一大目標がイラクのインフラ構造の破壊であった事もよく確認された事実です。食糧、医薬品、医療施設の欠乏、飲料水の汚染、下水処置の不備が何十万という子供たちの生命を奪いました。タカ派の評論家でさえ、少なくとも十万以上の子供が死んだと認めています。動かす事の出来ない歴史的事実です。いくらオールブライトが言いくるめようとしても事実は動かせません。歴史は後世がつくる物語だ、ナラティブだ、と唱えるポストモダニスト達が居ますが、動かせない歴史的事実というものは存在するのです。
 この余りの米国の残虐行為を腹に据えかねて、国連のイラク経済制裁に関係していた三人の国連要員が職を辞しました。その一人Denis Halliday は、1998年、“私はこれまで‘ジェノサイド’という言葉を使ってきた、何故なら、これはイラクの人々を殺戮することを意識的に目指した政策だからだ。私にはこれ以外の見方が出来ないのだ”という言葉を残して辞職しました。興味のある方は、Denis Halliday, Hans von Sponeck, Jutta Burghardtという三人の辞職者をインターネットで調べてみて下さい。何十分かの間、いろいろ楽しめるだけの情報を読むことが出来ます。
 もう一度、上掲のオールブライトの弁明を読んでみましょう。まず、上に説明されている通り、「サダム・フセインが彼の義務を果たしさえすればどの子供でも苦しまないように出来た筈だった」というのは真っ赤な嘘、アメリカ政府はサダム・フセインがそう出来ないように汚い裏工作をしていました。次に、「喋ってしまった途端、時間を凍結させ、あの言葉を撤回したいと願った」と痛恨の情を披瀝しますが、それならば、1996年から2001年9月11日までに5年もの時間があったのに、何故はっきりと悔い改めて前言を撤回しなかったのでしょうか!? 9月11日の決死の攻撃をアメリカに仕掛けた人々の胸の深みにオールブライトの「the price worth it」という許し難い言葉が沈潜していたとしても何の不思議もありません。さらに、「Nothing matters more than the lives of innocent people(罪のない人々の命ほど重要なものはありません)」と白々しく宣うけれど、ガザ地区で命を奪われてきた子供たちは“innocent”ではないのでしょうか。彼らは選挙権すら持っていません。ハマスに投ずる票さえ持っていないのです。いま、オールブライト女史はオバマ大統領の外交関係のトップの助言者の位置にある筈です。ユダヤ人であり、イスラエルの熱心な支持者である彼女にとって、ガザ地区の罪のない子供達は一体何なのでしょうか?

藤永 茂 (2010年12月8日)


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NHKニュース編集室にお尋ねする

2010-12-01 07:18:30 | インポート
 11月30日朝7時のNHKテレビ総合放送ニュースについてお尋ねしたいことがあります。トップのニュースでは北国での刃傷人質事件が大げさに取り上げられ、その次が黄海での米国韓国共同軍事演習のニュースでした。私の聞き間違えでなければ、その始めのところで、11月23日の北朝鮮軍による韓国ヨンピョンド(延坪島)砲撃は、韓国軍の砲撃演習行為の反撃として行なわれた、という簡潔なコメントが挿入されていました。挑発行為は韓国軍のほうが先に行なったと北朝鮮側が主張しているという報道は、すでにネット上で見ていましたから、それ自体は私にとってショックではありませんでしたが、「護国訓練」と称する韓国軍の大規模軍事訓練は北朝鮮軍による延坪島砲撃の以後ではなく、その以前から開始されていたもので、韓国軍の砲撃演習は22日に行なわれ、それに対して、北朝鮮は「挑発行為」であるとして激しい非難の声明を出していたことは事実であり、延坪島砲撃はその翌日午後に行なわれました。こうした紛争でどちらが先に挑発を行なったかは、かなりの年月が経ってからしか確定されないのは世界史上の無数の先例の示す所であり、今回の延坪島砲撃事件について私は断定できる立場にはありません。私がここで問題にしているのは、NHKの総合テレビニュースの編集室での決定の仕方です。私のように、一種の生活習慣としてNHKの朝のテレビニュースを見ている一般大衆の数は大きいと思われ、このニュース番組は世の中の情勢についての大衆の意見を形成する大きな責任を背負っていると言えます。ですから、たとえ片言隻語にしても、韓国軍側にも挑発的ともとれる行為があったことを今になってニュースに挿入することは、ニュース編集室としては、重大な決断であったのではありますまいか。だとすれば、もともと朝鮮半島情勢は国内の些細な人質事件とはくらべものにならない重要事件ですから、トップニュースとしての扱いが与えられるべきであったのではありますまいか。
 この所どうした風の吹き回しか、コレラの蔓延をきっかけにハイチに関する報道がNHKの朝のニュースでしきりと取り上げられていますが、ハイチについても、NHKのニュース編集室の中でどのようなことが進行しているのか関心を持たざるをえません。ここにも、ニュースの内容の選択の仕方、作為不作為に大きな問題があるように私には思われます。この私のブログでも度々取り上げたように、MINUSTAHと略称される国連治安安定軍は、ハイチの民衆にとって、圧制的な占領軍なのです。もともと2004年にハイチ占領米国軍が撤退したあとの治安維持を引き継いだのがMINUSTAHなのですから、この暴力軍団を大衆が「占領軍」と呼ぶのは当然のことです。そして、今回のコレラがMINUSTAHを発生源として始まったことも今や確立されたに等しい事実です。現時点では死者は1500人程度ですが、権威ある機関の見積もりでは死者数は1万人に達するものと憂慮されています。ハイチの街頭ではMINUSTAHがコレラだとするプラカードが見られました。それと一緒に「クリントン=コレラ」という頭韻を踏んだカードもありましたが、そのわけをNHKニュースが解説してくれたら、ハイチ問題の中核に迫る企画になるのですが。このコレラ騒ぎの最中の11月28日に、アメリカとカナダと国連事務総長が強く後押しをして、ハイチの総選挙が強行されました。その日、NHKは選挙に不正が行われたことに抗議して大衆が暴動を起した様子を総合テレビニュースで伝えましたが、このニュースでの重要コメントの欠落は、延坪島砲撃事件での韓国側の事前砲撃演習の事実の無視よりも、ニュース編集の仕方として、遥かに重大です。このアメリカ/カナダ/国連主導の選挙については、選挙の前に、大衆と国連軍との衝突で数人の死傷者がでています。一般大衆、とくに下層民達が騒ぐのは、選挙投票の際の不正発覚などの末梢事ではなく、もっと根本的な理由があるからです。前回11月24日付けのブログで「この11月28日には総選挙がありますが、アリスティドは遠いアフリカの地に軟禁されたままで、彼の政党ファンミ・ラバラスは選挙から完全に閉め出されています。アメリカ政府の傀儡が大統領になるのは見え透いたことです」と書きました。貧困下層大衆が圧倒的に支持するファンミ・ラバラス党が閉め出され、アリスティドが帰国を許されないままで今回の総選挙が行なわれたことに大衆は怒っているのです。アリスティドとその政党のことを、ハイチでの選挙騒動のニュースの中で、ほんの僅かな言葉を費やしてでもコメントすれば、大衆が投票所に乱入する理由が我々にもよく分かるというものです。そのコメントに反米的な響きを持たせることなしに、それは出来た筈です。2004年にアリスティド政権が米国の支持する勢力によるクーデターで倒され、アリスティド大統領は米軍機によって遠くアフリカに連れ去られたのでしたが、時の米国国防長官ドナルド・ラムズフェルドは「もう西半球には帰って来なさんな」とうそぶいたと伝えられています。

藤永 茂 (2010年12月1日)


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