私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(3)

2022-10-24 19:15:51 | 日記・エッセイ・コラム

 長崎には数多くの原爆慰霊碑があります。爆心地公園の南端に人間の丈二倍を超える高さのアーチ型の赤煉瓦の碑『核廃絶人類不戦』が建っています。その正面には「核廃絶人類不戦」の文字が力強く刻まれ、その上に「外国人の戦争犠牲者追悼」の文字、その下には、英語で

A Memorial to All Foreign War Victims in Nagasaki

May It Be a Token of Men’s Prayer for the Abolition of

Nuclear Weapons and a Pledge Never to Take Arms Again

と刻まれています。

 下部の水平の石面には、次のような「碑文」が刻まれています。

核廃絶人類不戦の碑 建立の由来

 一九三一年九月十八日の柳条溝事件を契機とする日中戦争、一九四一年十二月八日の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争など、この十五年にわたる戦争によって三二〇万の日本人、数千万のアジアと世界の民衆の尊い生命が奪われた。 この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆によって、七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合国捕虜(イギリス・アメリカ・オーストラリア・オランダ・インドネシア等)が犠牲となった。

 とくに浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が日本人受刑者と共に爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故によって数百名の連合国兵士が死亡した。

 私たちは長崎で亡くなったこれら全ての外国人戦争犠牲者、遠くアウシュヴィッツ強制収容所で殉職したコルベ神父らを追悼し、再びこのような惨劇をくり返さぬよう、核兵器廃絶・人類不戦の誓いをこめて、内外から広く浄財を募り、ここにこの碑を建立する。

     一九八一年十二月八日

        太平洋戦争開始四十周年の日に

        外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会

 

私(藤永茂)の願いは、この追悼碑のように遺骨を収容していない原爆慰霊碑も、実際に遺骨を納めてある大小の慰霊碑も、全てをイサム・ノグチが設計した慰霊碑の地下の部分に、何らかの形で再収容することです。出来ない事ではないと思います。

 今、私の手元には、長崎・外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会出版(一九八二年四月十七日)の、『核廃絶人類不戦』と題した182頁の冊子があります。その中の決算報告によると碑の建立費用3,244,416円はすべて寄付金(個人976、団体116)によって賄われました。この冊子の末尾には建立寄金者全ての芳名録が掲載されています。

 このブログシリーズの初回に、私は「核兵器の使用をあげつらう政治家の存在する現世の暗黒を憂いて、イサム・ノグチの魂魄は未だこの世に留まっているに違いありません。」と書きました。イサム・ノグチが上掲の碑文を読めば、心から賛意を表明し、私の建立勧進の志にも賛同してくれるのも、これまた、間違いありません。

 さらに私の夢を続ければ、核廃絶・人類不戦に続いて、地球共生の四文字を付け加えたいと思います。私の思いは、いわゆる、環境保護のスローガンから可成りはみ出ます。彫刻家イサム・ノグチは地球という大自然の一部としての石に極めて強い愛着を持って、生涯、仕事を続けました。地球と共に生きることを彼は望んでいたのです。私は『イサム・ノグチ:地球を彫刻した男』という日本の民放制作のドキュメンタリーを私が個人的にダビングしたビデオとDVDを持っています。なかなか立派な内容で、木村拓哉と仲代達矢がナレーターとして出演していて、彫刻家としてのイサム・ノグチの偉大さがよく描かれています。その中には、イサム・ノグチが、文字通り、“地球を彫刻して”出来た札幌のモレエ沼公園の工事の貴重な記録映像も含まれています。もしご希望の方があればコピーを作ってお送りしようと思っています。

 広島でも、長崎でも、イサム・ノグチの原爆慰霊碑の建立の夢が叶わぬとあれば、札幌市の力で、モレエ沼公園の一部として建立してもらいたいものです。その場合、核廃絶・人類不戦・地球共生と慰霊碑の何処かに刻印すれば、イサム・ノグチも喜んでくれるでしょう。

 

藤永茂(2022年10月24日)


ゴルバチョフは「ヌチドウタカラ」と言い残して死んだ

2022-10-20 22:29:26 | 日記・エッセイ・コラム

 今のひどい世界情勢を目の前にして、悪ふざけの一つでも口にしたくなります。何でこうまで、人間はお互いに痛めつけ合い殺し合うのでしょうか。

 我々人間は、誰しも、皮膚の色の如何を問わず、良い心と悪い心(EVIL)を持っています。しかし、今の全世界を闊歩しているのは、個々の人間の小さなEVILではありません。ほんものの悪魔たちの巨大なRADICAL EVIL です。

 ウクライナ戦争勃発から半年たった2022年8月30日、ミハエル・ゴルバチョフが亡くなりました。彼は私の好きな政治家の一人でした。何しろ、核廃絶を本気でやろうと考えていた人間なのですから。理由は他にもあります。奥さんのライサの尻に敷かれていると世間で噂されても、ニコニコしていたことです。ライサ夫人は急性白血病で、1999年9月20日に亡くなりました。

 ミハエル・ゴルバチョフが亡くなる数年前に制作された彼についてのドキュメンタリーの録画を私は持っていますが、その中で、彼は、ライサ夫人が眠る墓石に並ぶ自分の予定墓所のそばに立って「ここに入るのが楽しみだ」と言っています。

 ゴルバチョフの死を伝えるNHKのモスコワ駐在員は、8月31日朝7時のNHK第三のニュースで、ゴルバチョフの最後の発言の一つとして、「人の命ほど大切なものはない」と言い残したことを伝えましたが、その後は、私が知る限り、日本のメディアでは、この言葉は二度と報道されませんでした。ロシア語で何と言ったかも知りませんが、沖縄語に翻訳すれば「ヌチドウタカラ」になるはずです。

藤永茂(2022年10月20日)


イサム・ノグチ原爆慰霊碑建立の勧進(2)

2022-10-14 18:19:31 | 日記・エッセイ・コラム

 『明日の友』(婦人之友社)という老人向けの雑誌があります。その2015年冬号に「手渡された志」と題する山根基世さんの文章を再読しました。少し書き写させて頂きます:

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「恥ずかしいことだと思いました。広島の「原爆供養塔」の存在を知らなかったことを。原爆ドームにも平和記念公園にも、何度も足を運んでいます。それなのに、あの平和記念公園の片隅に7万人もの被爆者の遺骨を納めた原爆供養塔があったことを知りませんでした。・・・」

「その原爆供養塔を1970年ごろから30年近く、脳梗塞で倒れるまで、雨の日も風の日も1日も欠かさず清掃している人がいた。 ・・佐伯敏子さん・・」

「清掃だけではなく、地下の骨箱に遺骨と一緒に入れられた古紙を取り出しては、そこに書きつけられた死者の名前や住所をノートに写しとり、遺骨を遺族の元へ届けてきたといいます。なぜそんなことを・・・」

「佐伯さん自身も被曝し、原爆症の症状に苦しみ、家族親戚21人をも亡くしているのです。しかも原爆投下から1ヶ月も経ってようやく見つかった母親は、焼けただれた頭蓋骨になっていた、彼女はそれに手を触れることも抱くこともできなかったといいます。あの頃の自分の様々な振る舞いを懺悔せずにはいれない思いが、彼女を突き動かしていたことが伺えます。」

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 私(藤永茂)には、この佐伯敏子さんという方の原爆被爆者供養のお気持ちについて、何かを賢しらに語る言葉などありません。ただこの記事を数年ぶりに再読して、何とかしてイサム・ノグチ原爆慰霊碑の建立を実現したいという気持ちが一段と強くなりました。

 イサム・ノグチは彼が設計して立派なモデルも制作した原爆慰霊碑を、何処よりもまず広島に建立したかったのでしょうが、NHK制作番組『イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑』から判断すれば、広島以外の場所でもよいと考えていたと思われます。ヒロシマ・ナガサキの原爆が設計製作されたロスアラモス研究所に建立することも考えていたことはNHK制作番組の中にも出てきます。

 私がロスアラモス研究所で開催された分子計算の小研究会(参加者33名、全員招待)に出席した1980年の頃は所員の総数は7千人程でした。研究会の会場はスタディセンターと呼ばれるモダンな建物の2階に150人ほど収容できるセミナー室、ここで行われる会議には秘密のものもあり、その際には警備員が配置されるとのことでした。

 ワークショップの二日目の朝に初めて気が付いたのですが、センターのドアを入るとすぐの左側にロバート・オッペンハイマーの胸像がありました。暗い色の金属像で、私には、それが沈みきった憂愁の塊のように見えて、思わず足を止めました。ロスアラモス研究所の初代所長ロバート・オッペンハイマーは、その門より入る者を喜び迎えてはいない、幽鬼のような表情でオッペンハイマーは我々に何を告げたいのか、この門が、やがて滅びに至る門である事を告げたいのではないか、と咄嗟に私は思ったのでした。

 ヒロシマ・ナガサキから僅か2ヶ月後の1945年10月16日、ロバート・オッペンハイマーは次の言葉を残してロスアラモスを去りました:

「・・・もし原子爆弾が、新しい武器として、戦い争う世界の兵器庫に加えられることになれば、やがて、人類がロスアラモスとヒロシマの名を呪う時が来るでありましょう。・・・」

 ロスアラモス研究所は、今はロスアラモス国立研究所( Los Alamos National Laboratory)と呼ばれて、ウィキペディアによると、2100棟もの施設が立ち並び、科学者・エンジニア2500名を含む1万人もの所員が勤務しているそうです。この研究所を要として、米国内では、他の所でも大量殺戮を目的とした兵器の研究開発が盛んに行われています。ロバート・オッペンハイマーの霊は、イサム・ノグチの原爆慰霊碑をロスアラモスに建立することに賛成するに違いありませんが、今の米国政府は断固として拒否するでしょう。

 私は長崎にイサム・ノグチの原爆慰霊碑を建立するのが一番良いと考えます。次回にその理由を書きます。

藤永茂(2022年10月14日)


国連でのほかの声にも耳を傾けよう

2022-10-05 09:32:25 | 日記・エッセイ・コラム

 国連は死に瀕しています。プロパガンダの激しい虚言が鳴り響いています。しかし、我々が努力して探し求めれば、未来への希望をつなぎ止めてくれる爽やかな発言に耳を傾けることも出来ます。南米のコロンビア共和国の新大統領グスタボ・ペトロの演説がその良い一例です。

https://libya360.wordpress.com/2022/09/21/president-gustavo-petro-at-the-un-a-damning-indictment-of-the-us-empire-and-the-united-nations/

この講演は、上にあるように、US帝国と国連に対する激烈な告発状です。コロンビア共和国は米国の属国だと思っている人が大多数の状況の中での、新大統領グスタボ・ペトロのこの発言は、命を賭けての、つまり、暗殺されることも覚悟の上での発言だったと言っても過言ではありません。おそらく、この状況と無関係ではないと思われるのが、講演の文体の問題です。発言はスペイン語で行われ、私はスペイン語の学力に欠けます。公式の英語文トランスクリプトの存在を私は知りません。私が訳出したのは、上記のlibya360.wordpress.comに掲載された英語文トランスクリプトです。この英訳文は読みづらいものです。その読みづらさはスペイン語原文の特別な文体から来ていると思われます。ペドロ大統領の語り口は、詩的で格調高く、しかし、一種の曖昧さを含み、いささか晦渋に傾くものであったのでしょう。これが訳者として私が感じたところです。

 英語原文の中で、they, their, とあるのは、主に、米国そして北半球の政治的、大資本的権力構造を意味しています。訳文中の「彼等」「彼等の」は注意して読み取ってください。you, we, についても同様です。この勇気あふれる正論に接して私が感じたことは、読んでいただいた後で申し上げます。

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What follows is a transcription of the speech given by President of Colombia Gustavo Petro in General Debate of the 77th Session of the UN General Assembly on September 20, 2022. 

以下は、2022年9月20日に開催された第77回国連総会の一般討論におけるコロンビア大統領グスタボ・ペトロの演説の英語トランスクリプトである。

私は、地球上で3つの最も美しい国の一つからやってきました。そこには、生命の爆発があります。何千もの多彩な生き物の種が海にも空にも陸にも。私はその地から、 黄色い蝶と魔法の土地からやって来ました。 そこでは、すべての緑の山々や谷に、豊かな水が流れ落ちるだけでなく、血の奔流も流れています。

私は血みどろの美しさを持つ国から来ました。私の国はただ美しいだけではありません。 暴力もあります。どうして、この生き物の多様性を、死と恐怖の踊りで侵食することが出来るのでしょうか?この魔法のような歓喜を恐怖で破壊することの責めを負うべきは誰なのでしょうか?誰が、何が、富と利権の日々お決まりの物事の決め方で生命を溺死させていることの責任を負うべきなのでしょうか。

国家として、民族として、我々を破滅に導くのは誰なのか。私の国が美しいのは、アマゾンのジャングル、チョコのジャングル、河や湖、アンデス山脈、そして大洋があるからです。そのジャングルでは、地球の大気に酸素が放出され、大気中のCO2が吸収されています。CO2を吸収する何百万種もの植物の中の一つの植物は、地球上で最も迫害されている種の一つです。彼等はそれを破壊しようとする。それは一つのアマゾンの植物です。それはコカ植物、インカ帝国の神聖な植物。 まるで十字の岐路に立つかのように。矛盾です。保護されている森林は、同時に、コカ植物を駆逐するために、破壊されているのです。彼等(訳注:北米権力を指す)は毒物やグリホサート(訳注:モンサント製の有毒除草剤)を森林に大量放出し、それが水域を駆け巡る。彼等は、コカの葉を破壊した廉で、所持していた廉でも、コカの生産者たちを逮捕し、投獄するのです。

この米国の「麻薬戦争(War on Drugs)」のために、北米では100万人のラテンアメリカ人が殺害され、200万人の黒人が投獄された。人間を殺す植物を破壊せよと、彼等は北から叫びます。しかし、その植物は、何百万種と現れてくる植物の一つに過ぎません。

世界の力関係を支える大きな風土的支柱の一つであるとしてジャングルに洗礼を授ける科学者の叫びなど放っておけばよろしい。ジャングルとそこの住人たちは、世界の力関係に災害をもたらす疫病だとして責められているが、北の彼等は、お金への中毒という疫病に悩まされている。現状を永続させることに、石油に、コカインより強力な薬物に。

コカの空間と、他に栽培するものがないコカ栽培農民の空間が、悪魔化されている。あなた方の関心は、あなた方のジャングルに毒を投げ込み、我が男性たちを刑務所に入れ、我が女性たちを排斥し追い出すことだけだ。あなた方は子供の教育には興味がなく、農民たちのジャングルを扼殺し、その内臓から石炭や石油を抽出することにしか興味がない。

諸々の毒を吸収するスポンジである森林には用はないのです。彼等は、より多くの毒を大気中に投げ込むことの方を選びます。我々は、社会の空虚さと孤独を許容する彼等に仕え、それは人々を薬物バブルの中で生活させる結果に導きます。我々は、彼等が改革を拒否している諸問題から手を引きます。彼等は、ジャングルに、そこに生きる植物に、人々に戦争を宣言する方がましだとして、森林が燃えるのを放置しながら、偽善的に、彼等自身の社会を襲っている大災害を隠すために、除草剤毒薬で植物を痛め付けています。

彼等は、我々に、もっともっと石炭を、もっともっと石油を、と要求する、他の中毒を、消費への中毒、権力への中毒、金銭への中毒を鎮めるために。人間にとって、どちらがより有害か?コカインか、それとも、石炭か石油か?

石炭と石油は保護されなければならない、そうすれば、それを使って、そっくり全人類を消滅させることができる。これらは、世界権力の所有物、不公正な所有物。世界権力は非合理的なものになってしまった。彼等は、ジャングルの潤沢の中に、所有し、所有し、そして消費するという深く底の知れない痙攣に埋め込まれた、貪欲さ、罪深さ、彼等の社会の悲嘆の罪の起源を見いだしているのです。

銀行口座は天井なしになってしまった。地球上の最強者達の金は、もはや数百年のうちに使い切ることさえできないでしょう。それが生み出す存在の悲哀は、人間が産み出したものです。競争が騒音と麻薬でその悲哀を埋め合わせる。お金への依存中毒、麻薬類への依存中毒。

孤独という病は、ジャングルに除草剤グリホサートを撒くことではでは治らない。ジャングルに罪はないのではないか?犯人は彼等の社会です。無限の消費で教育され、消費と幸福とを取り違える愚かな混乱で、権力のポケットはお金で一杯にすることが出来るのです。麻薬中毒の犯人はジャングルではなく、世界権力の非合理性です。

麻薬戦争は40年続いて来ました。もし我々が軌道修正しなければ、さらに40年は続くでしょう。米国では、ラテンアメリカで生産されたのではない合成麻薬フェンタニルの過剰摂取で280万人の若者が死亡することになるでしょう。何百万人ものアフリカ系アメリカ人が民営刑務所に収監されるのを見ることになるでしょう。

黒人の囚人は、刑務所会社のビジネスになるでしょう。さらに100万人のラテンアメリカ人が殺害され、彼等は、我々の河川と緑の野原を血で満たすでしょう。我々は、民主主義の夢が死ぬ場面に立ち会うことになるでしょう。我々のアメリカでも、アングロサクソンのアメリカでも。民主主義は、それが生まれた場所で死ぬでしょう。偉大なる西ヨーロッパのアテネでも。 真実は隠蔽される。我々は、我々のジャングルと民主主義国家の死を見ることになるでしょう。

麻薬との戦いは失敗しました。気候変動との戦いにも失敗しました。 ソフトドラッグの致命的な消費は増加し、人々はよりハードなものに走りました。私の大陸では大量殺戮が行われ、私の国は、社会的責任を隠すために、何百万人もの人々を刑務所に送り込みました。彼等はジャングルが悪いのだと声を上げ、ジャングルの植物たちは、理不尽にも、彼等のスピーチや政策を埋め尽くしたのです。

私は、ここから、傷を負ったラテンアメリカから、要求します。非合理な麻薬戦争を終わらせよう。麻薬の使用を減らすには、銃で戦争する必要はない。我々の全てが、より良い社会を構築することが必要なのです。もっとお互いに助け合う、もっと愛情に満ちた社会、そこでは、充実して日々を生きることが、麻薬中毒や新しい形の奴隷制から我々を救い出してくれるのです。

麻薬を減らしたい?それなら、あなた方は、自分の利益を減らし、もっと愛を増すことを考えなさい。理に適った権力の行使を考えなさい。あなた方の毒で私の国の美しさに触れないで欲しい。アマゾンのジャングルを救うために、この地球上の人類の生命を救うために、偽善抜きで、我々を助けて欲しい。あなた方は科学者を結集し、 科学者達は、 数学と気候学的モデルを使って、理性的に語りました。 彼等は、人類の種の終わりが近いと語り、 我々の持ち時間はもはや数千年ではなく、数百年でさえないないと語ったのです。

科学は警鐘を鳴らしたが、我々はそれに耳を傾けることをやめた。戦争は、必要な諸々の措置を取らないための言い訳として機能した。今は、その行動が最も必要とされる時、演説がもはや目的を果たさなくなっている時、人類を救うために必要なお金を支払うことが不可欠な時、石炭や石油から一刻も早く離れることが必要な時、です。ところが、ここに来て、彼等は戦争というものを発明した。

一つ、また、一つ、と。彼等はウクライナだけでなく イラクやリビア、シリアにも侵攻した。彼等は石油とガスのために侵略した。彼等は、21世紀になって、お金と石油への依存中毒という最悪の中毒を見出した。戦争は、気候の危機に対して行動しないための言い訳として今まで機能してきている。これらの戦争は、人類という種を終わらせるものに対して、自分たちがどんなに依存しているかを示しているのです。

人々は飢えと渇きに埋没し、渇きを満たす水のある北の方へ何百万人も移動して行きます。すると、彼等を閉じ込め、障壁を作り、機関銃を配備し、銃撃し、まるで彼等が人間でないかのように追い出す。ガス室や強制収容所を政治的に作り出した連中のメンタリティーを、この地球全域で、5倍ほどにも膨らませて再生産しています。

1933年。 理性に対する攻撃の大勝利。(訳注:1933年はヒトラーが政権を掌握した年)北半球に向けて放たれた大移動に対する解決策は、我々の河川を満たす水の回復であり、畑を栄養で満たすことであることが、あなた方には分からないのか。気候災害は、我々を、群がり、あふれ、荒廃をもたらすウィルスで満たしている。しかも、あなた方はその医療を商売と心得て、ワクチンを商品化してしまう。

市場は市場自身が作り出してしまったものから我々を救ってくれる、と彼等は言う。人類のフランケンシュタインは、市場と欲望に無計画に行動させ、脳と理性を放棄し、人間の理性を欲望の祭壇に跪かせることにある。人類という種を救うために、なぜ戦争が必要なのでしょうか。もし、迫り来るものが知的生命の終焉であるならば、NATOや帝国に何の意味があるでしょうか。

気候災害で何億人もの人が死ぬことになるでしょう。よく聞いていただきたい、この危機は地球が生み出したのではなく、資本が生み出したものです。気候災害の原因は資本であり、資本の論理は、我々をうまく丸め込んで、より多く消費し、より多く生産し、その結果、少数の者がより多くの儲けを懐に入れることになるというものです。

彼等は、資本、エネルギー、石炭、石油の蓄積を拡大し、ハリケーンを解き放った。大気中の化学変化は、より深く、より死滅的になりつつある。資本の蓄積の拡大は、ジャングルと美の国で起こっている死の蓄積の拡大だ。

アマゾンのジャングル植物を敵に回すことにしたのだ。それらを栽培する者達をひき捕らえて、投獄する。私は、あなた方に、戦争を止め、アマゾンのジャングルの気候災害を止めることを呼びかける。毒を撒いた後でそれを燃やす焚き火の背後には、人類の失敗がある。このコカインや麻薬への依存中毒の背後には、人類の文明の全面的な失敗があるのです。

石油と石炭への依存中毒症の背後にあるのは、人類の歴史のこの段階における真の中毒症です。非合理な権力、利益、金銭への中毒症。ここに、人類を消滅させる巨大な死の機械装置があります。私は、地球上で最も美しい国の一つであり、そしてまた、最も血にまみれた暴力的な国の一つでもある国の大統領として、あなた方に提案します:麻薬戦争と、そして、すべての戦争を終わらせ、我が人民たちが平和に暮らせるようにしよう。

この目的のために、私は、ラテンアメリカの全ての国に呼び掛ける。我々の身体に拷問を課す非合理を打ち破るために団結するようにラテンアメリカの声を結集しよう。アマゾンの熱帯雨林をまるごと救うために、私は呼びかける:もし、彼等が、森林再生基金を調達する能力がないと言うのなら、生命よりも武器にお金を割り当てる方が簡単だと言うのなら、我々の対外債務を減らして、我々の国家予算への負担を軽減し、我々がこの惑星上の人類と生命を救う任務を遂行できるようにしなさい、と。

戦争はこの世の終末を近づける罠にほかなりません。この大いなる非合理の乱痴気騒ぎの中で、ラテンアメリカは、ウクライナとロシアに和平を呼びかけます。平和であってこそ、我々は、この共通の大地で生命を守ることができる。社会的、経済的、環境的な正義なくして、平和はありえないのです。

地球と平和に付き合っていなければ、国家間の平和もありません。正義がなければ、社会的な平和もありません。ご清聴ありがとうございました。

**********(ペトロ大統領の国連での講演終わり)

 グスタボ・ペトロは、ウクライナでの戦争を”the great orgy of irrationality ”と呼びます。orgyとは刺激的な言葉です。無数のただの人間たちを日々殺し続けているこのorgy は、過去500年間、世界を支配してきた権力システムが生み出したものです。問題は、どちら側につくかではありません。人間が、人間らしく、喜んだり、悲しんだりしながら、笑ったり、泣いたりしながら、普通に暮らせることの出来る社会を、みんなで力を合わせて作ることです。それが、明らかに、グスタボ・ペトロの掲げる目標です。

 このブログの2022年7月26日付の記事『コロンビアの歴史的選挙 夜は必ず明ける』:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/6762ae8ddbe7a335d5c5f012823d971a

で、Vivir Sabrosoというスペイン語の標語を紹介しました。英語では”Living joyfully”と訳されています。以前に紹介した Vivir Buen という標語とほぼ同じ政治的標語だと思います。

 コロンビアでの劇的な政変について、もう一つ興味深い解析を紹介しておきます:

https://libya360.wordpress.com/2022/08/12/the-nobodies-take-office-in-colombia-an-in-depth-analysis/

この”The Nobodies”という概念は面白い概念です。昔、ファシズムの暗雲がヨーロッパに垂れ込めた1930年代に、スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットは著作『大衆の反逆』でファシズムを厳しく批判しました。ここでの「大衆」はファシズムに操作された衆愚、暴徒としての大衆でした。近年、ネグリとハートは「Multitudes」の世界制覇論を唱えました。今度の「Nobodies」は、オルテガの「大衆」でもなく、ネグリとハートの「マルティチュード」でもない、「ただの我々人間たち」です。世界あちこちの争乱で殺されっぱなしの「無辜の民」と呼んでもいいかも知れません。

 国連総会では、このコロンビアからの声だけでなく、ほかにも傾聴すべき発言がありました。その一つだけを取り上げます。それはエリトリアの外務大臣の講演です。

https://tesfanews.net/eritreas-fm-osman-saleh-addresses-77th-session-of-un-general-assembly/

この講演の英語トランスクリプは公式に発表されたものです。結語部分だけをコピーしておきますので、興味のある方は読んでください:

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As we all agree, the gravity of the interlocking problems that our global village has to grapple with, is so immense warranting urgent and comprehensive remedial action. We are really living on borrowed time. The prevailing global governance architecture has lost legitimacy and corroded vital global equilibrium that is crucial for continuity and sustainability.

In the event, it behooves us to rise up to the occasion; to summon the requisite political goodwill in order to roll back and rectify the dangerous trend. We must recognize that the resources, the technological knowhow at the disposal of humanity are more than what is required if we set our minds for an inclusive and compassionate world order.

In this respect and in our modest view:

  1. Our global village and the UN system must devise a new international order that is anchored on consensus with the full and equal participation of its constituencies;
  2. The sacrosanct principles of the equality of all Member States and the respect of the sovereignty and political independence of nations and peoples must be upheld;
  3. Equitable representation of all Member States in all decision-making, international bodies must be guaranteed through viable and sustainable modalities and mechanisms;
  4. Selective and partial parameters that impede collective wellbeing and the fostering of a compassionate social system will require thorough review.

I thank you.

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このエリトリアというアフリカの小国を、私は「アフリカのキューバ」と呼んでいます。その理由は、次の二つの記事を読めば、了解していただけると思います:

http://www.intrepidreport.com/archives/36621

https://tesfanews.net/eritrea-education-and-social-justice/

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昨夜(10月4日)、この記事をここまで書いて、5日にブログに掲載するつもりで就寝しましたが、今朝(5日)、私の行きつけのウェブサイト、DISSIDENT VOICE、を覗いてみましたら、ペトロ大統領の国連演説についての見応え読み応えのある記事が出ていました。是非ご覧ください。

https://dissidentvoice.org/2022/10/from-wounded-latin-america-a-demand-comes-to-put-an-end-to-the-irrational-war-on-drugs/#more-134067

まず、例年の国連総会で行われる各国首脳たちの演説の一般的な陳腐さを嘆いた後、この記事は次のように始まります:

However, every once in a while, a speech shines through, a voice emanates from the chamber and echoes around the world for its clarity and sincerity. This year, that voice belongs to Colombia’s recently inaugurated president, Gustavo Petro, whose brief remarks distilled with poetic precision the problems in our world and the cascading crises of social distress, the addiction to money and power, the climate catastrophe and environmental destruction. 

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藤永茂(2022年10月5日)