私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

人はみな必敗の戦士

2019-07-27 22:28:22 | 日記・エッセイ・コラム
 末期患者としてベッドに寝ている妻のそばに座って、長い時間あれこれの思いに沈むようになってから、頭のどこかに眠っていた「人はみな必敗の戦士」という言葉が心に蘇ってきました。誰の言葉なのか忘れてしまっていたので、ネットで調べてみると、小説家の檀一雄の「埋葬者」(『檀一雄全集 第一巻』 P358-359)の次の文章が出典のようです:
「そうだ。俺の生命に帰結はない。当然のことだ。が、あり能う力をふるって、俺の中の細胞の一片に至るまで、崩壊を防げ。武装せよ。満目荒廃の中に、この帰結のない生命のまばゆいばかりの一瞬の光輝をつくれ。
 それがよし幻影であろうと、虹であろうと、過ぎてゆく長大な時間の中の必敗であれ。
 無限のものが有限のものを翻弄する日の手口に乗るな。必敗の戦士であるからこそ、有限の生命を鍛冶して、この帰結のない戦いをいどめ。」
これが私(藤永)の心中にある「人はみな必敗の戦士」の出所であるとすると、「人はみな」の部分が欠けています。誰かがこの部分を付け足し、私はそれを孫引きして記憶に収めていたのでしょう。
 永六輔さんの著作『普通人名語録』には、 
「私は人生に負け続けているなァとずっと思っていたのよ。そしたら檀一雄さんの言葉で『人はみな必敗の戦士である』っていうのを見つけちゃって・・・。なんだか、ホッとしちゃった」
とあるようですし、
 竹内一郎という方は「檀一雄という小説家は「人みな必敗の戦士である」と言っています。人はいつかはみな必ず負けるのだ、と。全勝で生きる人はいないのですから、「出世競争に勝つのだ」というような勝ち負け意識にとらわれた生き方は肯定できません。」
と書いています。
 私が大正生まれの老人であるからでしょう、私の心中では、この言葉は「人はみな必敗の戦士なり」と響きます。その響きは、檀一雄の作家魂の響きとも、他の二人の方の受け取り方とも違います。それは、鎮魂の手向け言葉のように響くのです。悲壮な響きではなく、慈悲のこもった慰めの言葉のように、私には聞こえるのです。私が三途の川の岸辺にたどり着き、罪業の故に渡りなずむと、どこからか地蔵菩薩が現れて、この言葉を口にしながら、私を助けてくれるのでは、と思ったりもします。滑稽珍妙な幻想ですが。
 妻は点滴と胃瘻の両方で必要な栄養と薬の投与を受けています。殆どの時間、目を閉じて無言です。私はそのそばに座って、妻の一生、私の一生のこと、それから、父や母の一生、姉や兄の一生、さらには、すでに鬼籍に入った知人親友たちの一生についての私の記憶をゆっくりと辿る毎日を送っています。
 不真面目に生きている人間など一人もいない、誰もが必死で生きているのだ、と私はつくづく思います。悪人も救われてよいという宗教的思想が出てくるのは当然です。檀一雄の言葉も、運命に戦闘的に立ち向かう雄叫びではなく、檀一雄という大きく優しい心が産んだ人間愛の言葉ではありますまいか?
  
 私の出身校、九大理学部の物理教室の先輩に、松倉保夫という方がいます。私より7歳年上の1919年東京品川生まれ、2002年10月に亡くなりました。私が松倉さんを初めて知った頃、彼は高性能の遠心分離機の設計製作に従事していましたが、「面白いものを見せてやる」と言って研究室のファイル・キャビネットの引き出しから取り出したのはニジンスキーというバレエダンサーの写真でした。私は全く知りませんでしたが、ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950)、バレー『牧神の午後』の演技で世界を震撼させた伝説のダンサーです。写真はその牧神の姿でした。しかし、私の心をしたたかに打ったのは、ニジンスキーについて、ダンス(舞踊)芸術について語る松倉さんの異様なほどの熱っぽさでした。おかげで、まず古典バレーの、ヌレエフ、フォンテーンの、カナダではカレン・ケインの舞踏に魅せられ、ポール・ヴァレリーの『ドガ・ダンス・デッサン』を読み、やがては、武原はんの『雪』に心を奪われ、最近ではDVDで観世寿夫の『猩々乱』の舞を楽しむところまで行き着きました。それに加えて、別の親切な方の導きもあって、マイケル・ジャクソンの芸のすごさも少し分かるようになってさえいます。これすべて、元を辿れば、松倉保夫さんのニジンスキーのおかげです。 
 カタロニアの建築家アントニオ・ガウディを語る日本人で、もし松倉保夫の名前を知らなかったら、それは偽者です。松倉さんの後半生でのガウディへの傾倒ぶり、それは大変な見事なものでした。遺著『ガウディの装飾論』に含まれる長文(28頁)の解題の中で、神子久忠氏は「松倉氏は九大で超遠心分離機の研究を行っていた頃、フランスの美術誌『L’oeil』(1955年2月)に掲載されていたガウディ作品に惹かれる。ガウディとの初めての出会いである。・・・ 将来を嘱望された物理学者が、なぜそれに強い衝撃を受けたかはわからない。」と書いていますが、当時の松倉さんを知る私には何の不思議もありません。松倉さんはそういう人だったのです。40歳近くなってから、カタロニア語の勉強を始め、バルセロナ大学のガウディ講座での研修に参加しました。その松倉さんのフィーバーが私に伝染しないはずはありませんでした。その上、私の理論化学の分野で、たまたま、カタロニア人の親友が出来て、私も、サグラダ・ファミリアやグエル公園をはじめとするガウディ“名所”の数々を幾度も訪れることになりました。
 1981年のことだったと思います。バルセロナ滞在中の松倉さんから『La Folia de la Spagna』と題する一風変わった音楽CDが送られてきました。松倉さんには自分が好きになったものをすぐに私にも味合わせてやろうという、私にとって、大変有難い癖がありました。『スペインのフォリア』、フォリアとは古く中世末期にポルトガルに発し、イベリア半島に広まった三拍子のダンス、舞曲の名で、言葉の原義には「気のふれること(狂気)、馬鹿げたこと」が含まれます。旋律は単純ですが、心に染み入る不思議な魅力があり、多くの作曲家がこのテーマを使って変奏曲を残しています。コレッリやマレーのものが有名で、これらを含む8つの作品のとても良い音楽CDにJordi Savall の『LA FOLIA 1490-1701』があります。ジョルディ・サバールもカタロニア出身の優れた芸術家の一人です。松倉さんがくれたCD の音楽もこの長い伝統に属しますが、それが含む変奏曲的音楽はGregorio Paniagua という人が編曲指揮したもので、大変独創的です。一聴の価値があります。CDジャケットの絵はゴヤの有名な『砂に埋もれる犬』です。私も何度か訪れたマドリッドのプラド美術館に所蔵されています。ゴヤ晩年の作品で題名はつけませんでした。ご存知ない方はインターネットで見てください。流れ来る砂に首まで埋もれた犬は懸命に上を見ています。永遠の時という流沙に、やがて犬は埋没して行くのでしょう。私の想いはこの絵の前で『人はみな必敗の戦士なり』という言葉に戻って行きます。フォリアの調べは、私の心の耳には、まるでこの言葉へのこよなき伴奏音楽のように聞こえてきます。松倉保夫さんも必敗の戦士の一人、あくまでも心優しく、そして、竹を割ったようなチャキチャキの江戸っ子でした。R.I.P.

藤永茂(2019年7月27日)

ブラジルの政治的大地震、モロの大芝居

2019-07-18 20:06:48 | 日記・エッセイ・コラム
 前回、7月4日のブログ記事『ブラジルの政治的大地震、ルーラとボルソナーロ』(前回のボルソナールをボルソナーロと訂正します)をアップした後、そろそろ、この事件をマスメディアが大きく取り上げ始めるのではないかと期待していたのですが、米欧でも、日本でも、大きく取り上げる気配がありません。米国でこの問題の重要性を強調しているのはAmy Goodmannが主宰するDemocracy Now 放送局です。私はその日本でのホームページに翻訳記事が出るのを待っていましたが、期待はずれのようなので、次のニュース放送のトランスクリプト、
https://www.democracynow.org/2019/7/9/glenn_greenwald_sergio_moro_corruption_investigation
の翻訳を、途中まで試みました。ニュース放送の英語は聞き取りやすい語り方なので、試しに聞いてみてください。同じトランスクリプトは次のサイトでも読むことができます:
https://zcomm.org/znetarticle/exposing-large-corruption-scandal-in-brazil/
もし、このグレン・グリーンワルドの決死とも言える勇敢な暴露行為が実を結んで、ルーラ・ダ・シルヴァが出獄し、大統領の座に返り咲くことになれば、これは確かに世界的に重大な意味を持つ事件になります。昔日のBRICSがまた生き返ってきたら、米国にとって誠に由々しき事態ですから。米国は、中南米地域から、反米的な政府を全て抹殺することにあらゆる手段を尽くしているのが現状です。セルジオ・モロという男の世紀の大芝居を陰から操ったのは、モロが、既に、ボルソナーロと連れ立ってお礼参りを済ませたCIAでしょう。

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Exposing Large Corruption Scandal in Brazil
By Glenn Greenwald
Source: Democracy Now
July 10, 2019

前ブラジル大統領ルイス・イニャシオ・ルーラ・ダ・シルバに対する汚職事件の連邦検察官を援助したと考えられる裁判官についてのインターセプト誌の調査記事の煽りを受けて、ブラジルで政治的危機が大きくなっている。月曜日にボルソナーロ政権は法務大臣セルジオ・モロが7月15日から19日まで“個人的要件を処理”するために休暇が与えられたと発表した。インターセプト誌が入手した、ブラジルの法務官達の間で交わされた携帯電話メッセージの漏洩やその他の情報は、洗車作戦(Operation Car Wash)として知られる一大汚職事件の捜査に当たっていた検察官達と当時の判事セルジオ・モロとの間に継続的な協力があったことを示している。 2018年の大統領選挙の前段階で、ルーラは、多くの人々がでっち上げだと言う汚職罪状によって投獄され、選挙レースから締め出されるまでは、本命の候補と見做されていた。漏洩文書はまた検察官たちもルーラの有罪性について真剣な疑惑を抱いていたことも明らかにした。ルーラの収監は、極右の元軍人ジャイール・ボルソナーロの大統領当選の道を開くことになった。その彼は、当選すればセルジオ・モロを法務大臣に任命すると言っていたのだ。モロの休暇のニュースは、ブラジル最大の保守的雑誌ヴェジャがインターセプト誌と手を携えて、洗車作戦で果たしたモロのいかがわしい役割についての新しい事実を暴露した後、モロに辞任を要求する声が高まる中で伝えられている。我々は、ピュリッツアー賞受賞者でインターセプト誌の創設編集者の一人であるグレン・グリーンワルドのお話を伺う。グリーンワルドはこのスキャンダルを報じた為に複数の殺害脅迫と政府による捜査の可能性に曝されている。

エイミー・グッドマン:これは番組デモクラシーナウ! 私はエイミー・グッドマン、フアン・ゴンサレスと共にお送りします。

フアン・ゴンサレス:全ブラジル大統領ルイス・イニャシオ・ルーラ・ダ・シルバに対する汚職事件の捜査で連邦検察官たちを支援したと思われる一判事についてインターセプト誌が行った調査究明の煽りを受けて大きくなっているブラジルの政治的危機の話題に入ります。ボルソナーロ政権は、月曜日、法務大臣セルジオ・モロに、7月15日から19日まで、“個人的要件を処理”するための休暇が与えられたと発表しました。インターセプト誌が入手した、ブラジルの法務官達の間で交わされた携帯電話メッセージの漏洩やその他の情報は、洗車作戦(Operation Car Wash)として知られる一大汚職事件の捜査に当たっていた検察官達と当時の判事セルジオ・モロとの間に継続的な協力があったことを示しています。2018年の大統領選挙の前段階で、ルーラは、多くの人々がでっち上げだと言う汚職罪状によって彼が投獄され、選挙レースから締め出されるまでは、本命の候補と見做されていました。漏洩文書はまた検察官たちもルーラの有罪性について真剣な疑惑を抱いていたことも明らかにしました。ルーラの収監は、極右の元軍人ジャイール・ボルソナーロの大統領当選の道を開くことになりました。その彼は、当選すればセルジオ・モロを法務大臣に任命すると言っていたのです。

エイミー・グッドマン:モロの休暇のニュースは、ブラジル最大の保守的雑誌が、洗車作戦で行われた不法行為の新しい事実を暴露した後、モロに辞任を要求する声が高まる中で、伝えられています。インターセプト誌と提携したその記事には、モロの汚職腐敗の規模についての新しい詳細が発表されています。その出版雑誌はこれまでモロの主要な支持者の一つだったのですが、編集者は、その8ページに及ぶカバーストーリーで、“モロが、洗車事件の検察官達の行動を指揮し、陰謀の一員として、彼がどのように法的機能を悪用したかを明らかにする”と書いています。出版雑誌はさらに語を継いで、“雑誌ヴェジャの報道チームが分析した(漏洩)通信は本物であり、このストーリーは洗車事件がこれまで知られているよりもさらに重大なものであることを示している”としています。雑誌の表紙には、モロが指を天秤の皿の上に置いている絵があり、“独占記事:自分の手での裁き:新しいチャット情報はセルジオ・モロが不法な行為を犯し、洗車事件捜査で検察側に有利なように法の天秤を傾けたことを示している”とあります。

もっと詳しいお話は、ピュリッツアー賞受賞者でインターセプト誌の創設編集者の一人であるグレン・グリーンワルドに伺いましょう。彼は、このスキャンダルを報じた為に複数の殺害脅迫を既に受け、また、政府による捜査の可能性に直面しています。

グレンさん、ようこそデモクラシーナウ!にお帰りなさい。最新の暴露事実とそれからあなたが直面している脅迫についても話してください。

グレン・グリーンワルド:素晴らしい最新の事実露呈といえば、あなたがおっしゃったように、ブラジルの最大で最も影響の大きい週刊誌であるヴェジャのこのカバーストーリーでした。ヴェジャはブラジルの、いわば、タイム誌のようなもので、しかも、右翼寄りです。あの記事の大きな意義は、編集者たち自身が認めているように——彼らは我々と協力して記事を作ったわけですが——彼らは過去四、五年間セルジオ・モロ神話を信じてやっていたという所にあります。モロ神話とは、彼が、イデオロギーや政党と関係なしに汚職と戦い、そうすることでブラジルを清浄化して、民主主義を強化している、信じ難いほど倫理的な人物だという神話です。ヴェジャの編集者たちはこの神話を信じて、繰り返しモロを表紙に乗せることで神話を作り上げることに貢献してきました。こうした週刊誌の表紙は信じ難いほど影響が大きいもので、政治的雑誌を見ない人々もそれを目にするからです。あらゆる街角で目につきます。こうした週刊誌の表紙はディルマとルーラの評判を汚し、破壊することを助け、その一方で、全く反対のことをモロにしました:モロ神話を創り上げたのです。

そいうわけで、ヴェジャの編集者たちは、我々が資料のコレクションについて彼らと共同で仕事を始め、我々がこの資料を入手してからの過去6、7週間、読み続けてきた内容を読み始めたことで、彼らは単にショックを受けただけではなく、ひどく腹を立ててしまったのです。彼らが、民主主義の原理に献身する倫理的で清廉潔白な判事だと思い込んでいたこの人物が、実は、ただ時折、ただ散発的な個別の出来事についてだけではなく、彼が身を処し、判事として彼の権力を悪用するやり方において、如何に一貫して腐敗していたことか、編集者たちはすっかり裏切られたのです。

そして、認識すべき最も重要なことと私が考えるのは、単にルーラの起訴だけではなく、あまりにも多くの人々、数十人の人々を投獄した洗車作戦の全体が問題で、事件の全体を統括していた判事、今や大統領をも凌ぐブラジル最高の権力の保持者が、初めから一貫して腐敗行為に従事していたのだから、洗車作戦は根本的に腐敗し切っていたのであり、それが大変ショッキングで深刻であったため、これまでモロ判事の最大の支持者であった右翼雑誌でさえ、彼を攻撃し始め、ブラジル・インターセプト誌と協力して、 この人物、ブラジルだけでなく世界中で倫理の鏡と崇められていたモロが、実は、徹底的に腐敗していたことを白日の下にさらし、その仮面を剥ぎとる暴露記事のシリーズをカバーストーリーに採用したという事です。

フアン・ゴンサレス:ところで、グレンさん、セルジオ・モロは先週ブラジルの下院で7時間証言してあなたの暴露記事を反駁しようとしました。それでどうなったかを話してくれますか?下院はほとんど——一時、下院議員の数人は殴り合いしそうになりましたね?

グレン・グリーンワルド:そうですね。これまでのところ、イタチごっこのような事になっています。セルジオ・モロが最初上院に行きました。そのあと私が下院に行って6時間半証言しました。それから彼が下院の同じ委員会に行って7時間証言し、今度は、私が来たる木曜日に上院の委員会に出席することになっていますが、そこで私は、彼の証言の後を追って、何時間も証言することになるでしょう。

そして、彼が上院の委員会で証言していた、まさにその日、セルジオ・モロの統率下にある連邦警察が私の財政状態の捜査を開始していたというニュースが伝えられました。法務大臣と連邦警察との関係は、米国のFBIと司法長官の関係によく似ています。ブラジル政府にCOAFという部局があり、政治家とその家族の金の動きを検知し、賄賂の受け渡しやそうしたことが進行中かどうかを監視する仕組みになっています。私の夫(訳注:グレン・グリーンワルドは同性愛者)は下院の議員ですので、私もこの部局の権限下に入るわけです。それで、セルジオ・モロが統率する連邦警察は、秘密裏に、私の全ての財政的活動の報告書をCOAFに請求しました。ブラジルで15年生活してきた私は、今になって突然この申告をしている所です。

フアン・ゴンサレス:そうなるとグレンサン、モロの活躍のおかげで、ルーラが不当に投獄されたことについての暴露が続いている結果として、今も獄中にあるルーラにはどんな影響がありそうですか?

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藤永茂(2019年7月18日)

ブラジルの政治的大地震、ルーラとボルソナール

2019-07-04 23:11:17 | 日記・エッセイ・コラム
 クルディスタンのことが気になるので、毎日必ず覗いているサイトにANFNEWS(anfenglish.com)があります。そこに6月16日付けで次の記事が出ました:
https://anfenglish.com/features/leaked-communications-provoked-earthquake-in-brazil-35655
「漏洩した通信がブラジルで地震を引き起こした」という刺激的なタイトルです。これは著名なジャーナリストの Glenn Greenwald(他2名)が6月9日ブラジルで公開した秘密通信文書に関する記事です。英語での詳細は
https://theintercept.com/2019/06/09/brazil-archive-operation-car-wash/
で読めます。しかし、米国内でこのニュースがある程度広く知られるようになったのは、多分、有力な在野メディアの一つZNETに6月19日付けで出た次の記事:
https://zcomm.org/znetarticle/the-political-earthquake-in-brazil/
のお蔭だっただろうと思います。ブラジルの内政的スキャンダルの報道を、米国メディアより先に、クルド人向けのメディアが行ったのは何故か? これは検討に値する事だと私は考えます。クルド人たちが、その苦渋に満ちた心の中で、何を希求しているかを読み取れると思うのです。そのことを説明する前に、まずは、ブラジルの政治的大地震とは何かを見てみましょう。
 今は獄中にある前大統領ルーラ・ダ・シルヴァを、ごく簡単に、紹介します。1945年、極貧無学の農家に生まれ、10歳で小学校に通い始めたものの、貧困で続かず、12歳から靴磨きで稼ぎ始め、短期間日本人の洗濯屋でも働き、14歳で製鉄所の工員になると、働きながら小学校の課程を終えました。19歳の時、自動車工場での事故で指を一本失いましたが、その頃から、ルーラは労働組合運動にのめり込んでいきます。1980年、彼は他の同志とともに労働者党(PT)を結成して、政治の世界に踏み込み、紆余曲折を経て、2002年の選挙で大勝し、2003年元日にブラジル大統領の職につきました。彼の政党PTは、元ポルトガルの植民地で今は世界の大国の一つであるブラジルの富裕支配階級が忌み嫌う左翼政党ですが、ルーラ大統領は従来の支配構造に正面から挑戦する政策を取らず、国の健全な経済力を有効に使って、貧困大衆層への支援を強化拡大することに成功し、2006年の第二期大統領選挙では、国民の支持率は80%という記録的な高さに達しました。連続二期までという憲法の規定によって、2010年の大統領選挙には出馬せず、PTから立候補したディルマ・ルセフが当選し、ブラジル初の女性大統領が実現しました。ルセフ大統領はルーラ前大統領の貧困層優遇政策を忠実に継続しようとしたのですが、「洗車場作戦」(オペレーション・カー・ウォッシュ(Operation car wash))という妙な名前で呼ばれる汚職事件捜査がブラジルで持ち上がり、その結果として、ルセフは大統領の地位を追われ、ルーラも有罪判決を受けて収監されてしまいました。このことの最重要の結果は、2018年の大統領選挙で、3回目の当選確実と誰もが思っていたルーラ・ダ・シルヴァではなく、右翼のジャイール・ボルソナーロというひどい男が大統領に当選したことです。ボルソナーロ大統領実現以前の時期に出た日本語のリポートを参考までに二つ挙げます:
http://agora-web.jp/archives/2031280.html
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/56267423.html
このヤフーのブログの冒頭に掲げてあるガーディアン紙の原記事
https://www.theguardian.com/world/2017/jun/01/brazil-operation-car-wash-is-this-the-biggest-corruption-scandal-in-history
の見出しは「Operation Car Wash : Is this the biggest corruption scandal in history?」です。記事の中には、史上最大の汚職事件に登場するスターたちの写真も出ています。
 この汚職事件とその結果としての2019年元日のボルソナーロ大統領実現はブラジルを襲った政治的大地震であり、世界中のマスメディアが華々しく報じましたが、それから半年後の6月初頭にGlenn Greenwaldによる秘密通信文書公開という、これまた、最大規模の余震が発生したことになります。
 ブラジルでは、ルーラ・ダ・シルヴァが政権を担当する以前から、政治家と経済界、産業界の癒着の長い歴史があり、汚職スキャンダルは日常茶飯事とも言える有様でした。しかし、ルーラはその状態を急に改善しようとはせず、汚職捜査当局の権限を大幅に強化する法律が成立したのは、ルセフ大統領時代に入った2013年でした。それ以前から労働者党(PT)と国営石油会社との間の汚職問題などを捜査していたセルジオ・モロ判事は、この新法に力を得て、ルセフ大統領の弾劾罷免とルーラの有罪判決と収監を可能にしました。この汚職事件の容赦なき追及で、セルジオ・モロは権力者たちを恐れずに真実を追求する勇敢無私の国民的英雄に祭り上げられ、週刊雑誌タイムの『最も影響の大きかった100人』(2016年)の一人にも選ばれました:
https://time.com/collection-post/4302096/sergio-moro-2016-time-100/
2019年、新大統領ボルソナーロはモロを新政府の閣僚として迎え入れ、特別に強力な権限を持った法務大臣の地位を与えました。それまでは政治に興味はないと公言していたモロは嬉々として閣僚入りをして、2019年3月19日、トランプ大統領を表敬訪問したボルソナーロに随行してワシントンに赴き、一緒にCIA詣でまで果たしました。その3ヶ月後にGlenn Greenwaldの大地震が発生したのです。
 この政治的大地震の内容は、このブログ記事の冒頭に掲げたサイト:
https://theintercept.com/2019/06/09/brazil-archive-operation-car-wash/
https://zcomm.org/znetarticle/the-political-earthquake-in-brazil/
で知ることができます。Zcomm.org の記事にはグリーンワルドによる約15分の説明動画があります。分かりやすい英語なので、聞いてみてください。英語の要約を下にコピーしておきます:
Last Sunday, The Intercept and The Intercept Brasil published a series of exposés that has created a major political earthquake in Brazil that has only grown and intensified throughout the week. In less than a week, the once-revered justice minister of President Jair Bolsonaro’s government, Sérgio Moro, now faces widespread calls to resign from the same large Brazilian media outlets that spent years transforming him into an untouchable icon of integrity and uncritically applauding his every move.
Even more grave, the improprieties revealed by our reporting have cast serious doubt on the validity of numerous guilty verdicts issued by Moro and the anti-corruption task force, beginning — most importantly — with the conviction and imprisonment of former President Luiz Inácio Lula da Silva last year at the exact same time that he was the overwhelming frontrunner to win the presidency in 2018. That conviction by Moro, which we now know was the byproduct of highly improper and unethical conduct, is now scheduled to be reviewed by the Brazil Supreme Court as early as next week.
The archive we received from our source is vast and contains many more explosive stories yet to be reported. Just last night, we published another story exposing even more serious improprieties by Moro, widely regarded as the anchor of legitimacy for the Bolsonaro government, that has led to more calls for him to resign. Because these issues are complex, but just as important, for those outside of Brazil, we created a video explaining what this archive is about, what these revelations mean, and why the consequences of our reporting are so significant — not only for Brazil, but for the entire democratic world. (引用終わり)
 ルーラ・ダ・シルヴァは、私たちが「じゃなか娑婆(今の世界でない世界)」への夢を託すことのできる政治家の一人だと思います。この人物を知るために極めて興味深い動画があります。2019年5月、グリーンワルドが監獄に赴いて、服役中のルーラ元大統領に一時間インタビューした時の記録です。グリーンワルドもルーラもブラジル語(ポルトガル語)を使っていますが、英語の字幕があり、この動画を含む下の記事には、グリーンワルドによる長文の解説文に続いて、会話内容の完全な英語翻訳文が掲載されています。
https://theintercept.com/2019/05/22/lula-brazil-ex-president-prison-interview/
このインタビューの最後のところで、ルーラ・ダ・シルヴァは、ベネズエラについて明快重要な発言をしていますので、その部分を引用させてもらいます:
We need to wrap up. I want to thank you …
[As the police officer approaches Lula] I want you to know the following, I want to end with a question that you didn’t ask and that I’m gonna answer. I think it’s not right, it’s just not right, the way that Venezuela is being treated. Venezuela deserves its own sovereignty, they have the right to self-determination, and Venezuela’s problems are Venezuelans’ problem, they’re not the USA’s problems. Trump should take care of the U.S. and stop sticking his nose where he’s not wanted.
Mr. President, again, thank you so much for the interview.
Thank you.
[ 警察官がルーラに近づく] あなたに知ってほしいことがある。あなたが尋ねなかった質問に私が答えることで終わりたいのだ。ベネズエラが今受けている取り扱いは正しくない、まったく正しくないと私は考える。ベネズエラは当然それ自身の主権を持っている、彼らは自決の権利を持っている、そして、ベネズエラの問題はベネズエラの問題なのであって、USAの問題ではないのだ。トランプはUSのことの面倒を見るべきで、お呼びでない所に鼻を突っ込むのはやめるべきだ。(引用翻訳終わり)
 さて、このブログ記事のはじめに、クルド人向けの報道機関であるANFNEWS(anfenglish.com)が、一見あまり関連のなさそうなブラジルの政治的事件をいち早く報道した事実から、現在のクルド人たちの願いが読み取れる、と書きました。今、米国はクルド人に対して、ひどく残酷残忍な仕打ちを加えています。クルド人たちのthe right to self-determination(民族自決権)を完全に無視して、それを破壊し尽くす行動に出ています。お呼びでない所に強引に鼻を突っ込んできています。シリア北東部ではSDFというクルド人主力の傭兵軍団を使ってトルコと敵対しているように見えますが、トルコのクルド民族抹殺政策に抵抗するイラク北部のクルド革命ゲリラ勢力に対しては、イラク北部のクルド自治区政府をトルコ軍への加担の方向に強制して、ロジャバのクルド人とイラク北部のクルド人を対立分裂させようとしているのです。ここに米国の残忍な本音が露呈しています。クルド人たちがブラジルで起こっていること、ベネズエラで起こっていることが他人事でないと敏感に感じる理由はここにあります。

藤永茂(2019年7月4日)