末期患者としてベッドに寝ている妻のそばに座って、長い時間あれこれの思いに沈むようになってから、頭のどこかに眠っていた「人はみな必敗の戦士」という言葉が心に蘇ってきました。誰の言葉なのか忘れてしまっていたので、ネットで調べてみると、小説家の檀一雄の「埋葬者」(『檀一雄全集 第一巻』 P358-359)の次の文章が出典のようです:
「そうだ。俺の生命に帰結はない。当然のことだ。が、あり能う力をふるって、俺の中の細胞の一片に至るまで、崩壊を防げ。武装せよ。満目荒廃の中に、この帰結のない生命のまばゆいばかりの一瞬の光輝をつくれ。
それがよし幻影であろうと、虹であろうと、過ぎてゆく長大な時間の中の必敗であれ。
無限のものが有限のものを翻弄する日の手口に乗るな。必敗の戦士であるからこそ、有限の生命を鍛冶して、この帰結のない戦いをいどめ。」
これが私(藤永)の心中にある「人はみな必敗の戦士」の出所であるとすると、「人はみな」の部分が欠けています。誰かがこの部分を付け足し、私はそれを孫引きして記憶に収めていたのでしょう。
永六輔さんの著作『普通人名語録』には、
「私は人生に負け続けているなァとずっと思っていたのよ。そしたら檀一雄さんの言葉で『人はみな必敗の戦士である』っていうのを見つけちゃって・・・。なんだか、ホッとしちゃった」
とあるようですし、
竹内一郎という方は「檀一雄という小説家は「人みな必敗の戦士である」と言っています。人はいつかはみな必ず負けるのだ、と。全勝で生きる人はいないのですから、「出世競争に勝つのだ」というような勝ち負け意識にとらわれた生き方は肯定できません。」
と書いています。
私が大正生まれの老人であるからでしょう、私の心中では、この言葉は「人はみな必敗の戦士なり」と響きます。その響きは、檀一雄の作家魂の響きとも、他の二人の方の受け取り方とも違います。それは、鎮魂の手向け言葉のように響くのです。悲壮な響きではなく、慈悲のこもった慰めの言葉のように、私には聞こえるのです。私が三途の川の岸辺にたどり着き、罪業の故に渡りなずむと、どこからか地蔵菩薩が現れて、この言葉を口にしながら、私を助けてくれるのでは、と思ったりもします。滑稽珍妙な幻想ですが。
妻は点滴と胃瘻の両方で必要な栄養と薬の投与を受けています。殆どの時間、目を閉じて無言です。私はそのそばに座って、妻の一生、私の一生のこと、それから、父や母の一生、姉や兄の一生、さらには、すでに鬼籍に入った知人親友たちの一生についての私の記憶をゆっくりと辿る毎日を送っています。
不真面目に生きている人間など一人もいない、誰もが必死で生きているのだ、と私はつくづく思います。悪人も救われてよいという宗教的思想が出てくるのは当然です。檀一雄の言葉も、運命に戦闘的に立ち向かう雄叫びではなく、檀一雄という大きく優しい心が産んだ人間愛の言葉ではありますまいか?
私の出身校、九大理学部の物理教室の先輩に、松倉保夫という方がいます。私より7歳年上の1919年東京品川生まれ、2002年10月に亡くなりました。私が松倉さんを初めて知った頃、彼は高性能の遠心分離機の設計製作に従事していましたが、「面白いものを見せてやる」と言って研究室のファイル・キャビネットの引き出しから取り出したのはニジンスキーというバレエダンサーの写真でした。私は全く知りませんでしたが、ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950)、バレー『牧神の午後』の演技で世界を震撼させた伝説のダンサーです。写真はその牧神の姿でした。しかし、私の心をしたたかに打ったのは、ニジンスキーについて、ダンス(舞踊)芸術について語る松倉さんの異様なほどの熱っぽさでした。おかげで、まず古典バレーの、ヌレエフ、フォンテーンの、カナダではカレン・ケインの舞踏に魅せられ、ポール・ヴァレリーの『ドガ・ダンス・デッサン』を読み、やがては、武原はんの『雪』に心を奪われ、最近ではDVDで観世寿夫の『猩々乱』の舞を楽しむところまで行き着きました。それに加えて、別の親切な方の導きもあって、マイケル・ジャクソンの芸のすごさも少し分かるようになってさえいます。これすべて、元を辿れば、松倉保夫さんのニジンスキーのおかげです。
カタロニアの建築家アントニオ・ガウディを語る日本人で、もし松倉保夫の名前を知らなかったら、それは偽者です。松倉さんの後半生でのガウディへの傾倒ぶり、それは大変な見事なものでした。遺著『ガウディの装飾論』に含まれる長文(28頁)の解題の中で、神子久忠氏は「松倉氏は九大で超遠心分離機の研究を行っていた頃、フランスの美術誌『L’oeil』(1955年2月)に掲載されていたガウディ作品に惹かれる。ガウディとの初めての出会いである。・・・ 将来を嘱望された物理学者が、なぜそれに強い衝撃を受けたかはわからない。」と書いていますが、当時の松倉さんを知る私には何の不思議もありません。松倉さんはそういう人だったのです。40歳近くなってから、カタロニア語の勉強を始め、バルセロナ大学のガウディ講座での研修に参加しました。その松倉さんのフィーバーが私に伝染しないはずはありませんでした。その上、私の理論化学の分野で、たまたま、カタロニア人の親友が出来て、私も、サグラダ・ファミリアやグエル公園をはじめとするガウディ“名所”の数々を幾度も訪れることになりました。
1981年のことだったと思います。バルセロナ滞在中の松倉さんから『La Folia de la Spagna』と題する一風変わった音楽CDが送られてきました。松倉さんには自分が好きになったものをすぐに私にも味合わせてやろうという、私にとって、大変有難い癖がありました。『スペインのフォリア』、フォリアとは古く中世末期にポルトガルに発し、イベリア半島に広まった三拍子のダンス、舞曲の名で、言葉の原義には「気のふれること(狂気)、馬鹿げたこと」が含まれます。旋律は単純ですが、心に染み入る不思議な魅力があり、多くの作曲家がこのテーマを使って変奏曲を残しています。コレッリやマレーのものが有名で、これらを含む8つの作品のとても良い音楽CDにJordi Savall の『LA FOLIA 1490-1701』があります。ジョルディ・サバールもカタロニア出身の優れた芸術家の一人です。松倉さんがくれたCD の音楽もこの長い伝統に属しますが、それが含む変奏曲的音楽はGregorio Paniagua という人が編曲指揮したもので、大変独創的です。一聴の価値があります。CDジャケットの絵はゴヤの有名な『砂に埋もれる犬』です。私も何度か訪れたマドリッドのプラド美術館に所蔵されています。ゴヤ晩年の作品で題名はつけませんでした。ご存知ない方はインターネットで見てください。流れ来る砂に首まで埋もれた犬は懸命に上を見ています。永遠の時という流沙に、やがて犬は埋没して行くのでしょう。私の想いはこの絵の前で『人はみな必敗の戦士なり』という言葉に戻って行きます。フォリアの調べは、私の心の耳には、まるでこの言葉へのこよなき伴奏音楽のように聞こえてきます。松倉保夫さんも必敗の戦士の一人、あくまでも心優しく、そして、竹を割ったようなチャキチャキの江戸っ子でした。R.I.P.
藤永茂(2019年7月27日)
「そうだ。俺の生命に帰結はない。当然のことだ。が、あり能う力をふるって、俺の中の細胞の一片に至るまで、崩壊を防げ。武装せよ。満目荒廃の中に、この帰結のない生命のまばゆいばかりの一瞬の光輝をつくれ。
それがよし幻影であろうと、虹であろうと、過ぎてゆく長大な時間の中の必敗であれ。
無限のものが有限のものを翻弄する日の手口に乗るな。必敗の戦士であるからこそ、有限の生命を鍛冶して、この帰結のない戦いをいどめ。」
これが私(藤永)の心中にある「人はみな必敗の戦士」の出所であるとすると、「人はみな」の部分が欠けています。誰かがこの部分を付け足し、私はそれを孫引きして記憶に収めていたのでしょう。
永六輔さんの著作『普通人名語録』には、
「私は人生に負け続けているなァとずっと思っていたのよ。そしたら檀一雄さんの言葉で『人はみな必敗の戦士である』っていうのを見つけちゃって・・・。なんだか、ホッとしちゃった」
とあるようですし、
竹内一郎という方は「檀一雄という小説家は「人みな必敗の戦士である」と言っています。人はいつかはみな必ず負けるのだ、と。全勝で生きる人はいないのですから、「出世競争に勝つのだ」というような勝ち負け意識にとらわれた生き方は肯定できません。」
と書いています。
私が大正生まれの老人であるからでしょう、私の心中では、この言葉は「人はみな必敗の戦士なり」と響きます。その響きは、檀一雄の作家魂の響きとも、他の二人の方の受け取り方とも違います。それは、鎮魂の手向け言葉のように響くのです。悲壮な響きではなく、慈悲のこもった慰めの言葉のように、私には聞こえるのです。私が三途の川の岸辺にたどり着き、罪業の故に渡りなずむと、どこからか地蔵菩薩が現れて、この言葉を口にしながら、私を助けてくれるのでは、と思ったりもします。滑稽珍妙な幻想ですが。
妻は点滴と胃瘻の両方で必要な栄養と薬の投与を受けています。殆どの時間、目を閉じて無言です。私はそのそばに座って、妻の一生、私の一生のこと、それから、父や母の一生、姉や兄の一生、さらには、すでに鬼籍に入った知人親友たちの一生についての私の記憶をゆっくりと辿る毎日を送っています。
不真面目に生きている人間など一人もいない、誰もが必死で生きているのだ、と私はつくづく思います。悪人も救われてよいという宗教的思想が出てくるのは当然です。檀一雄の言葉も、運命に戦闘的に立ち向かう雄叫びではなく、檀一雄という大きく優しい心が産んだ人間愛の言葉ではありますまいか?
私の出身校、九大理学部の物理教室の先輩に、松倉保夫という方がいます。私より7歳年上の1919年東京品川生まれ、2002年10月に亡くなりました。私が松倉さんを初めて知った頃、彼は高性能の遠心分離機の設計製作に従事していましたが、「面白いものを見せてやる」と言って研究室のファイル・キャビネットの引き出しから取り出したのはニジンスキーというバレエダンサーの写真でした。私は全く知りませんでしたが、ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950)、バレー『牧神の午後』の演技で世界を震撼させた伝説のダンサーです。写真はその牧神の姿でした。しかし、私の心をしたたかに打ったのは、ニジンスキーについて、ダンス(舞踊)芸術について語る松倉さんの異様なほどの熱っぽさでした。おかげで、まず古典バレーの、ヌレエフ、フォンテーンの、カナダではカレン・ケインの舞踏に魅せられ、ポール・ヴァレリーの『ドガ・ダンス・デッサン』を読み、やがては、武原はんの『雪』に心を奪われ、最近ではDVDで観世寿夫の『猩々乱』の舞を楽しむところまで行き着きました。それに加えて、別の親切な方の導きもあって、マイケル・ジャクソンの芸のすごさも少し分かるようになってさえいます。これすべて、元を辿れば、松倉保夫さんのニジンスキーのおかげです。
カタロニアの建築家アントニオ・ガウディを語る日本人で、もし松倉保夫の名前を知らなかったら、それは偽者です。松倉さんの後半生でのガウディへの傾倒ぶり、それは大変な見事なものでした。遺著『ガウディの装飾論』に含まれる長文(28頁)の解題の中で、神子久忠氏は「松倉氏は九大で超遠心分離機の研究を行っていた頃、フランスの美術誌『L’oeil』(1955年2月)に掲載されていたガウディ作品に惹かれる。ガウディとの初めての出会いである。・・・ 将来を嘱望された物理学者が、なぜそれに強い衝撃を受けたかはわからない。」と書いていますが、当時の松倉さんを知る私には何の不思議もありません。松倉さんはそういう人だったのです。40歳近くなってから、カタロニア語の勉強を始め、バルセロナ大学のガウディ講座での研修に参加しました。その松倉さんのフィーバーが私に伝染しないはずはありませんでした。その上、私の理論化学の分野で、たまたま、カタロニア人の親友が出来て、私も、サグラダ・ファミリアやグエル公園をはじめとするガウディ“名所”の数々を幾度も訪れることになりました。
1981年のことだったと思います。バルセロナ滞在中の松倉さんから『La Folia de la Spagna』と題する一風変わった音楽CDが送られてきました。松倉さんには自分が好きになったものをすぐに私にも味合わせてやろうという、私にとって、大変有難い癖がありました。『スペインのフォリア』、フォリアとは古く中世末期にポルトガルに発し、イベリア半島に広まった三拍子のダンス、舞曲の名で、言葉の原義には「気のふれること(狂気)、馬鹿げたこと」が含まれます。旋律は単純ですが、心に染み入る不思議な魅力があり、多くの作曲家がこのテーマを使って変奏曲を残しています。コレッリやマレーのものが有名で、これらを含む8つの作品のとても良い音楽CDにJordi Savall の『LA FOLIA 1490-1701』があります。ジョルディ・サバールもカタロニア出身の優れた芸術家の一人です。松倉さんがくれたCD の音楽もこの長い伝統に属しますが、それが含む変奏曲的音楽はGregorio Paniagua という人が編曲指揮したもので、大変独創的です。一聴の価値があります。CDジャケットの絵はゴヤの有名な『砂に埋もれる犬』です。私も何度か訪れたマドリッドのプラド美術館に所蔵されています。ゴヤ晩年の作品で題名はつけませんでした。ご存知ない方はインターネットで見てください。流れ来る砂に首まで埋もれた犬は懸命に上を見ています。永遠の時という流沙に、やがて犬は埋没して行くのでしょう。私の想いはこの絵の前で『人はみな必敗の戦士なり』という言葉に戻って行きます。フォリアの調べは、私の心の耳には、まるでこの言葉へのこよなき伴奏音楽のように聞こえてきます。松倉保夫さんも必敗の戦士の一人、あくまでも心優しく、そして、竹を割ったようなチャキチャキの江戸っ子でした。R.I.P.
藤永茂(2019年7月27日)