先ず、関連部分を『近代世界と奴隷制』pp158-160 から引用させて頂きます。
■天正15年(1587年)6月18日、豊臣秀吉は宣教師追放令を発布した。その一条の中に、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた規定がある。日本での鎖国体制確立への第一歩は、奴隷貿易の問題に直接結びついていたことがわかる。
「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」(伊勢神宮文庫所蔵「御朱印師職古格」)
日本人を奴隷として輸出する動きは、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。16世紀の後半には、ポルトガル本国や南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになり、1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の一行も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐 憫の情を催さない者があろうか。」といったやりとりが、使節団の会話録に残されている。この時期、黄海、インド洋航路に加えて、マニラとアカプルコを結ぶ太平洋の定期航路も、1560年代頃から奴隷貿易航路になっていたことが考えられる。
秀吉は九州統一の直後、博多で耶蘇会のリーダーであったガスパール・コエリョに対し、「何故ポルトガル人はこんなにも熱心にキリスト教の布教に躍起になり、そして日本人を買って奴隷として船に連行するのか」と詰問している。南蛮人のもたらす珍奇な物産や新しい知識に誰よりも魅惑されていながら、実際の南蛮貿易が日本人の大量の奴隷化をもたらしている事実を目のあたりにして、秀吉は晴天の霹靂に見舞われたかのように怖れと怒りを抱く。秀吉の言動を伝える『九州御動座記』には当時の日本人奴隷の境遇が記録されているが、それは本書の本文でたどった黒人奴隷の境遇とまったくといって良いほど同等である。「中間航路」は、大西洋だけでなく、太平洋にも、インド洋にも開設されていたのである。「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、それのみならず日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」といった記述に、当時の日本人奴隷貿易につきまとった悲惨さの一端をうかがい知ることができる。
ただし、こうした南蛮人の蛮行を「見るを見まね」て、「近所の日本人が、子を売り親を売り妻子を売る」という状況もあったことが、同じく『九州御動座記』に書かれている。秀吉はその状況が日本を「外道の法」に陥れることを心から案じたという。検地・刀狩政策を徹底しようとする秀吉にとり、農村秩序の破壊は何よりの脅威であったことがその背景にある。
しかし、秀吉は明国征服を掲げて朝鮮征討を強行した。その際には、多くの朝鮮人を日本人が連れ帰り、ポルトガル商人に転売して大きな利益をあげる者もあった。--奴隷貿易がいかに利益の大きな商業活動であったか、このエピソードからも十分に推察ができるだろう。■
これはまことに惨たらしい知識です。洋の東西を問わず、人間の強欲さの凄まじさ-私たち日本人を含めて、否定の余地のない人間性のあさましさ、人間の心が抱いている「闇」の恐るべき深さに絶望してしまいそうになります。それは、人生の終りが近いことを意識して、人生について、世界について、何らかの総括を強いられる私のような高齢者にとって、取り分けやりきれない想いです。しかし、高齢者とても、絶望に安易に身を委ねることは許されますまい。
池本幸三/布留川正博/下山晃共著『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』はきわめて重要な主題を明確な筆致で書いた優れた著作です。私と同様に本書を知らなかった方々には是非ともお読みになるようお薦めします。その「結び」を読めば、近代奴隷制を生んだ政治経済システムは現在も作動を続けているのであり、我々が謳歌する「豊かな消費社会」を維持するために今も依然として「およそ2億人の奴隷」が苛酷な労働搾取に苦しめられていることがわかります。読みながら、私はフランスのアナーキズムの父ピエール=ジョゼフ・プルードンの「繁栄は搾取である」という言葉を思い出しました。このところ、にわか成金的な繁栄に沸くインドの現状を鋭く分析した文章を3月26日のZNet 上で見ましたので、以下にコピーします。「繁栄」に目が眩んだインド人はインド人を奴隷にしつつあるようです。
We have a growing middle class, reared on a diet of radical consumerism and aggressive greed. Unlike industrializing Western countries, which had colonies from which to plunder resources and generate slave labor to feed this process, we have to colonize ourselves, our nether parts. We’ve begun to eat our own limbs. The greed that is being generated (and marketed as a value interchangeable with nationalism) can only be sated by grabbing land, water and resources from the vulnerable.
この点、中国も立ち止まって反省すべきでしょう。また、我が日本も、もし“美しく”ありたいのなら、よく考えてみる必要があります。
藤永 茂 (2007年3月28日)