私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

セサール・チャベスとバラク・オバマ

2009-04-29 11:18:00 | 日記・エッセイ・コラム
 セサール・チャベス、今のベネズエラ大統領ウゴ・チャベスと間違えないようにお願いします。日本では、メキシコ人の優れたボクサーの名前として知られているようですが、おなじメキシコ出身のセサール・チャベス(1927-1993)はアメリカの低賃金農業労働者の生活条件向上のために生涯を捧げた偉人です。カリフォルニアなど幾つかの州では、セサール・チャベスの功績を讃えて、彼の誕生日、3月31日が休日になっています。
 1960年代から1970年代にかけて、セサール・チャベスはカリフォルニア州の季節農園労働者の組合結成の激しい運動を繰り広げました。セサール・チャベスは「全米農業労働者組合(United Farm Workers of America, UFW)」を率いて、我が身を危険さらしながら、組合結成の動きを弾圧しようとする農場の作物(ブドウその他)の不買運動や抗議の断食闘争を繰り広げ、その結果、メキシコからの流入低賃金労働者の悲惨な生活条件が大幅に改善されることになりました。ブドウ摘みの労働に酷使されていたカニフォルニアの季節労働者たちの組合結成を戦い取るためにセサール・チャベスのUFWが巻き起こしたブドウ不買運動に全米的な反応が起こり、遂に組合が結成され、労働条件が大きく改善されました。チャベス自身がそうした農業労働者から身を起こした、いかにもメキシコの農民風の容貌の朴訥な人物でした。バラク・オバマの颯爽たるカッコよさとは全く対照的でした。1964年から1年間、カリフォルニア州のサンホゼのIBM(アイビーエム)研究所に客員研究者として滞在した私は、セサール・チャベスの健闘ぶりを現地で見守る経験をしました。中南米系やフィリピン系の移民労働者の惨状を訴えて立ち上がったセサール・チャベスには、やがて、学生運動、ベトナム反戦運動、人種差別反対運動などの闘士たちが合流して、広汎な労働組合運動の盛り上がりを見せた時代でした。
 「イエス、ウィキャン(Yes, We Can)」という合い言葉は、バラク・オバマのおかげで、世界中に広まりましたが、このモットーは、もともと、「シ、セ、プエデ(Si, se puede)」というUFW(全米農業労働者組合)のモットーとして知られ、1972年、アリゾナ州のフェニックスで、労働組合を敵視する州知事のリコールを求めて、セザール・チャベスたちが24日の抗議断食を行った時に生まれた言葉だそうです。この「シ、セ、プエデ」の英訳としては「Yes, it can be done」の方が原義に近いという意見と、いや、「イエス、ウィキャン」がよいという意見があります。セサール・チャベスは、この言葉に今はやりの「イエス、ウィキャン」とは別の響きを、別の信念を込めていたのだという人もあります。
 バラク・オバマが選挙戦の標語として「イエス、ウィキャン」を使い始めたのは、2004年春、イリノイ州の民主党がアメリカの上院議員立候補者を決定する選挙の時からです。誰がセサール・チャベスの標語を借用することを最初に思い付いたか知りませんが、多分、早くからバラク・オバマに着目し、彼をイリノイ州上院議員から国会上院議員、遂にはアメリカ大統領へとオバマを押し上げた(そして今でも恐らく最も強力なアドバイザーである)デイヴィド・アクセロッドあたりの発案ではなかったかと、私は推察します。セサール・チャベスが体調を崩して亡くなったのは1993年ですが、その5年前の1988年にも、カリフォルニア州のメキシコ系貧農労働者の癌死亡率が異常に高い理由であると考えられた殺虫剤農薬の大量使用に抗議して36日間の断食を実行したこともあって、アクセロッドのようなオバマより一世代上のアメリカ人たちに強烈な印象を残した可能性が大きいからです。ご存知のようにバラク・オバマは大統領選挙戦中にも「イエス、ウィキャン」をしきりに使って人心を獲得しました。アメリカ合州国では、票田としては、ヒスパニック(チカノ)と呼ばれる人々の方が黒人人口より大事なのですが、抜け目のないオバマ陣営はテキサス州などヒスパニック系人口が多い所では、「イエス、ウィキャン」に加えて「シ、セ、プエデ」というセサール・チャベスのモットーも、原語のまま、チャッカリ借用していました。
 私には、セサール・チャベスとバラク・オバマは全く別種の人間のように思われます。セサール・チャベスが、実は、ウゴ・チャベスと兄弟だといわれても驚かないのと同じ程度に、バラク・オバマが、実は、ジョージ・ブッシュと兄弟だと聞かされても、私は、とくべつ驚きません。
 
藤永 茂 (2009年4月29日)


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オバマ大統領は本当に反核か?

2009-04-22 15:27:57 | 日記・エッセイ・コラム
 心の一番奥底で核兵器が良いものだと思っている人はおそらく居ないでしょう。核兵器のない世界の方が核兵器のある世界より、原則的に、好ましいと考えない人はおそらく居ないでしょう。しかし、この基本的レベルから離れたところで、つまり、条件付きで、核兵器禁止を唱える政治家には、厳しい目を向けなければなりません。
 今、机の上に2009年4月6日付けの西日本新聞からの切り抜きがあります。4月5日オバマ大統領がチェコの首都プラハで核兵器の廃絶を唱えた演説についての記事です。「核廃絶へ包括的構想」、「核廃絶米外交の主流に」、「核超大国の変化期待」、「長崎の被爆者:廃絶へ強い後押しに」と記事が並んでいます。
 私たちがここで先ず思い出さなければならないのは、2007年に、あの核抑止論の急先鋒だったキッシンジャーが急に核廃絶を言い出したことです。西日本の記事には、
■ オバマ大統領の演説は2007年以来、シュルツ、キッシンジャー両元国務長官らが「核なき世界」を提案し、世界の賢人たちを巻き込んで広めている動きを反映した。演説の起草に参加した核軍縮専門家の一人は「核なき世界はもはや平和屋の見果てぬ夢ではない。米外交の主流が唱えている」と力説。■
とあります。ソースは(ワシントン共同)、「世界の賢人」は、おそらく、「pundits of the world」といった文章の和訳でしょう。これらのパンディットたちの考えていること、彼等が頭の中に描いていていることは、「長崎の証言の会」の皆さんが胸に抱いておられること、希求しておられることとは、殆ど何の重なりもない事ではないかと、私は強く危惧します。キッシンジャーが実に恐るべき人物であることは皆さんの殆どがご承知の筈です。
 同じ記事の中にオバマ大統領の演説の内容がまとめてあります。
(1)核兵器のない世界に向け具体的な措置取る
(2)米、ロシアの核兵器は最も危険な冷戦の遺物
(3)世界核安全サミットを1年以内に開催
(4)ロケットを発射した北朝鮮はルールを再び破った
(5)包括的核実験禁止条約の批准目指す
(6)兵器用核分裂物資生産禁止条約の交渉開始目指す
(7)テロリストの核兵器獲得は最大の脅威
(8)核物質の安全性を4年以内に確保
(9)イランの脅威が存在する限り米ミサイル防衛(MD)計画進める
オバマ大統領が一個の人間として核兵器反対であるかどうかは、ここで議論しても何の意味もありません。もしそうでなかったら、悪魔です。アメリカの大統領としての今回の行動は全く政治的なものです。そのようなものとして受け取らなければ、私たちは判断の誤りを犯すでしょう。彼のほとんど唯一の関心事はアメリカとアメリカ国民の安全と世界でのアメリカの地位の保持です。シュルツ、キッシンジャー両元国務長官の関心事と全く同じです。核兵器の開発と保有に関する世界情勢が変化していて、このままでは昔よりアメリカが危うくなってきたことに対する反応です。世界と全人類の平和のためにオバマ大統領が乗り出して来たなどと早とちりをしてはなりません。彼は人々が喜びそうなことを言いながら、実は、別のことの実現を狙う魔術師です。核兵器を実際に使ったアメリカが、核兵器のない世界を目指して、主導権を握るという大見得はいいのですが、オバマ大統領の本当の狙いは上の(4)から(9)に滲み出ています。
 彼の(あるいは、アメリカの)まず第一の狙いはイランです。イランが核武装することの脅威を誇張することで、ミサイル防衛(MD)計画を押し進め(これは兵器産業界からの猛烈な要請です)、それに絡ませて、NATO を大幅に拡大強化して、UN(国連)がアメリカにいいように操れない時は、NATO で行こうというのがアメリカの目論みです。うまく行ったら、日本も名誉会員にしてくれるでしょう。日本が太平洋に面していることなんか目をつぶってくれる筈です。それに、イランを、このまま放置しておけば核兵器を振り回す危険極まりない大悪者になるに違いないと言い立てることで、もしイスラエルがイランの核施設を爆撃することが起こった場合の準備をしておこうというつもりでしょう。
 第二のポイントとして、包括的核実験禁止条約(CTBT)のことがあります。検証の難しい地下実験も含めたこの条約は1996年9月の国連総会に提出され、大多数の国々の支持で採択され、クリントン大統領も直ちに署名したのですが、米国上院が批准に反対して、今日までそのままになっています。その当時は、中国はまだ小型の水爆の開発に成功していなかったのでCTBTで開発の邪魔をしようとクリントンは考え、一方、国内の兵器産業とキッシンジャーなどの保守派からの反対は、いわゆる未臨界核実験プログラムなるものを出発させることで押さえようとしたという裏話があります。しかし、この「未臨界核実験」なるもの、実にケシカラヌ核爆発テストなのです。核分裂連鎖反応が爆発的に進行する直前の状態までしか行かないから、これは包括的核実験禁止条約の禁止対象にならないというのがアメリカ政府の主張ですが、初期の実験はネバダの砂漠の地下300メートルに装置を沈めて行われたことからも窺えるように、それから生じる被害と危険は従来の核爆発実験とはっきり区別できるものではありません。しかも、クリントン大統領が包括的核実験禁止条約に署名した直後から、アメリカ政府は、有名な怪物私企業「ベクテル」社などと数十億ドルのコントラクトを結んで未臨界核実験を開始し、今日までのテスト回数は二十数回に及ぶとされています。英語でゴール(gall, 鉄面皮)というのは将にこのことでしょう。
 2007年になって、それまで核軍備必要論の総元締とも見えたキッシンジャーのような人物が掌を返すように核廃絶を唱え出し、その意向を受けてオバマ大統領がアメリカも包括的核実験禁止条約を批准すると言い出したのは何故でしょうか? 西日本新聞の記事には「4月1日の米ロ首脳会談に基づき、双方の戦略核をさらに削減する新条約を今年末までにまとめる決意を強調」したとありますが、アメリカは今の保有数を半分にしても、まだ地球上のどの國でも震え上がらせるに十分な核戦力を持っています。プラハでオバマはこう言っています。
■取り違えのないように願いますよ:核兵器が存在する限り、我々(アメリカ)はどんな敵でも抑止できるだけの、しっかりと保護された、効果的な核兵器の備蓄を維持して、我々の友好国を守ることを保証しましょう。■
オバマ氏は大統領に当選する以前から包括的核実験禁止条約の批准に前向きだったとして彼を褒める人がありますが、対立候補の共和党マケイン氏もその方向に傾いていたことを思い出して下さい。キッシンジャー一派に率いられた米国の核政策転換の大きな理由の一つは、アメリカが自信を持って実行しているストックパイル・スチュワードシップ・プログラム(Stockpile Stewardship Program, 備蓄核兵器保全管理プログラム)というものにあります。クリントン時代に始まった未臨界核爆発実験に超高速巨大コンピューター・システムを組み合わせたシミュレーション技術の完成で、アメリカは実際の爆発実験を必要としなくなったのです。このプログラムで手持ちの核兵器に磨きをかけ何時でも使用可能な状態に保つ一方、こうした高度技術をまだ持っていない後発の核保有国を包括的核実験禁止条約で締め上げる方がアメリカにとって都合が良くなって来たのです。オバマ大統領の“核廃絶”のジェスチャーにはヒロシマ・ナガサキの罪に対する痛みなどひとかけらも含まれてはいません。オバマ大統領は次のようにも言っています。言葉の裏をよく読み取りましょう。
■ 歴史の不思議な転回で、世界大核戦争の脅威は遠のいたが、しかし、核攻撃の危険はぐっと頭を持ち上げてきた。■
■ このゴール(核兵器のない世界)は直ぐには達せられないだろう-多分、私の生きている間にはダメだろう。■
まさか、暗殺されることを考えての発言ではないでしょうから、今後、半世紀はダメということです。核廃絶の希望を彼等に託すとひどい裏切りに会うかもしれません。
 (4)の北朝鮮については、オバマ大統領は「ルールは拘束力があるべきだ。違反行為は罰せられなければならぬ。決めた言葉には意味を持たせねばならぬ。(Words must mean something)」と言いました。言葉とは国連の安全保障会議の決議の文言を意味します。オバマさん、よくもこんな事が言えたものです。国連の「言葉」を数限りなく無視してきたイスラエルはどうなのですか?国連がイスラエルを罰するのを一貫して阻止してきたのはアメリカではありませんか。今度の核廃絶プラハ大演説の中に核兵器保有大国イスラエルの名前が一度も現われないのは一体どういうことなのですか?
 アメリカの黒人女性評論家マーガレット・キムバリーさんはオバマ大統領の核廃絶演説を次のように評しています。:
■ スマートな帝国主義者だけが、平和のための計画だと言いながら、戦争の企てを進めることをやってのける。■

藤永 茂 (2009年4月22日)


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サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(3)

2009-04-15 08:42:50 | 日記・エッセイ・コラム
 前回のブログのはじめに引用したサマンサ・パワーの文章は、二つの重要な言明を含んでいます。前半には、ルワンダ・ジェノサイドはルワンダの多数民族フツが少数民族ツチを、わずか3ヶ月ほどの間に、80万人ほど惨殺した事件だったということ、後半には、それから数年もたってから雑誌『ニューヨーカー』に出た詳報を読んだクリントン大統領は初めてルワンダ・ジェノサイドのひどさを知って仰天したことが書いてあります。前回、私は、前半の言明(これはほぼ世界中で受け入れられている見方ですが)は虚偽の言明だと考えていると申しました。今回は、クリントンがそんなにも完全にツンボ桟敷に閉じ込められていたとは信じられない、と申し上げたいと思います。
 私にとってのルワンダ・ジェノサイドの真実とは、危険を承知でごく手短に要約すると、次のようになります。
■ CIA とペンタゴンがツチ人のポール・カガメを一定の目的をもって軍事的に訓練し、ウガンダに送り返したのが、そもそもの事の始まりである。1990年10月、ポール・カガメの指揮の下、ルワンダ愛国戦線(RPF, Rwanda Patriotic Front)とウガンダ国軍はルワンダに侵攻して、多数民族フツ人大統領ハビャリマーナの政府の打倒を目指した闘争を開始した。1994年4月6日、ルワンダの首都キガリの空港上空で墜落事故が起こり、ルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人が死亡し、これが引き金となっていわゆるルワンダ・ジェノサイドが勃発した。搭乗機はRPF の兵士が発射したミサイルによって撃墜されたと思われる。虐殺行為はルワンダ国内の多数派フツの兵士、民兵、大衆が少数派ツチに襲いかかることで始まったたが、ウガンダからルワンダに侵攻していたポール・カガメの指揮するツチ人軍団RPFは、ルワンダ内のツチの虐殺を開始したフツ人軍団よりも遥かに勝る武力装備を駆使してフツ側の虐殺行為を制止圧倒し、続いて、原則として捕虜を取らず、逆に大量のフツ人たちを殺し始めた。虐殺行為に従事したフツの兵士、民兵、大衆と、虐殺には加わらなかった多数のフツ人大衆は、今度はポール・カガメの兵士たちによるフツ人大虐殺を逃れるために避難民として西の隣国コンゴに流出を開始した。こうしてポール・カガメがルワンダ国内を制圧することで、1994年4月6日に始まったルワンダ国内の大虐殺は6月16日には終焉した。この間、約百万人のフツ人が大鉈、小鉈、まさかり、鍬などでむごたらしく惨殺されたことになっている。しかし、実際に殺されたツチ人の数は、おそらく、40万か50万、それに加えて、10万か20万のフツ人がポール・カガメ側の手に掛かって殺されたものと、推定される。CIA とペンタゴンがツチ人のポール・カガメを軍事的に訓練した一定の目的とは、まず、ルワンダにアメリカ政府寄りの政権を樹立し、続いてルワンダの西に位置するコンゴ東部の政情を不安定化することであった。したがって、大虐殺の生々しい惨状に就いては多少の認識不足があったにしても、クリントン大統領が、サマンサ・パワーが描くような無知の状態にあったとは考え難い。■
私なりに到達したこの結論は、確実な証拠文献を揃え、理路整然と説明することは出来ません。状況証拠と私の勘に頼っての結論です。何故そんな情けないことになってしまうのか?-こちらの方が、むしろ、より大きな問題かもしれません。肝心のポイントになると、各種多様のバイアスのかかった情報にしか、私のような部外者にはアクセスがないからです。例えば、誰がルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人の搭乗機を撃墜したか?もとポール・カガメの指揮するツチ人軍団RPFの将校だったAbdul Ruzibiza は下手人の名前まで上げてRPFが撃墜したと証言し、ポール・カガメはルワンダ軍の過激派分子の仕業だろうと言い、国連筋は「なぞ」と言い、この線にサマンサ・パワーなど米英側でルワンダ・ジェノサイド通と称される著者たちは沿っています。一方、フランスの裁判官ブルギエールはルジビザの証言を信用し、スペインの高名な平和運動家ホアン・カレロ(カタロニア人)は、この撃墜事故を含めて、ルワンダ・ジェノサイドの責任を全面的にポール・カガメに負わせる立場を取っています。こうした報道や論説や単行本は多量入手できますが、先ほども申した通り、あれこれ読んでいると、殆どの情報に政治的なバイアスがかかっていると結論せざるをえません。
 しかし、動かしがたい事実、確かめようとすれば確かめられる事実も沢山存在します。今回はその二つを挙げておきます。その一つは、ルワンダの鉄腕冷血の大統領ポール・カガメについてのクリントン、ブッシュ、オバマの三代大統領の覚えが大変よいということです。米英のアフリカ政策推進のための現在最高の優等生はポール・カガメです。CIA とペンタゴンが軍事訓練をポール・カガメに与えたことは既に述べましたが、それ以来彼の背後に強力なアメリカの存在があることは誰もが認める所です。最近について言えば、2007年、ペンタゴンは軍事訓練費として一千万ドルほどをポール・カガメに与え、2008年、ブッシュ大統領がルワンダを訪問した時にも、隣接するソマリアのダフール地域の平和維持のためという名目で、ほぼ同額の軍事訓練費を手渡しています。
 もう一つの明々白々の事実は、「ルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人の墜落死にポール・カガメは関与しておらず、ルワンダ・ジェノサイドを終結させ、ルワンダに平和と安定をもたらしたのはポール・カガメの大きな功績であった」という公式版の神話に楯つく言説をなすものには、激しい非難と処罰が課せられる、ということです。その例証として、2006年11月28日の日本での新聞報道を掲げます。■ フランスの司法当局が1994年のハビャリマナ大統領搭載機墜落事件に関与したとしてポール・カガメ大統領に対する国際法廷審理を提起したことに対し、ルワンダ国内では抗議活動が拡大している。ルワンダ政府は24日に仏大使館やフランス語学校への72時間以内の閉鎖を求めたが、27日には新たにラジオ・フランスに対して放送禁止命令を出した。■
フランスに対してもこれだけの断固たる処置に出るのですから、国民の発言については、法律できびしい禁止が行われています。まさに、ナチ・ホロコーストを想起させる状況です。
 しかしながら、ルワンダ・ジェノサイドの無残さをフィリップ・グールヴィッチが書いた雑誌『ニューヨーカー』の記事で初めて知ってクリントン大統領がびっくり仰天したかどうかを直接確かめることが出来るような資料に、私がアクセスできる可能性はゼロです。では、私がサマンサ・パワーの面白おかしいストーリーの真実性を疑う根拠は何か? 私はそれを「勘」あるいは「直感」と呼びたいのですが、それは、私が彼女の書いたものを読み、インターヴュー記事を読んだ結果として、「この女性、どうもいけ好かないな」という感じを漠然と持ってしまったことだけを意味するのでは決してありません。コンゴの東部の情勢についての各種報道記事や論説に目を通していると、そうした資料を読む目が次第に肥えて来るのを自分でも実感できます。それは一定の傾向を持った偏見が固まって来るのとは違うことは、本読みの方々なら、同意して下さるでしょう。パスカルが好きでなかったヴァレリーは『パンセ』を評して「文章を書くパスカルの手が見える」と言ったことがあります。私の場合は、ずっと卑俗なレベルの話ですが、読者へのインパクトを計算しながら筆を運ぶサマンサ・パワーの手が見えるのです。
 『アトランティック・マンスリー』の彼女の論説を読むと、クリントン大統領と政府高官たちは、ルワンダからのアメリカ市民の無事引き上げが最大の関心事で、それが完了してしまうと、途端にルワンダの状況に対する興味を失ったかのように描かれています。「あの墜落事故のあと、国務省6階の対策本部の壁に慌ててピン留めされたルワンダの地図も忘れ去られ、政府高官たちのレーダースクリーンからルワンダは殆ど消え落ちた」と書いてあります。そして、高官の一人、Anthony Lake に「その頃はハイチとボスニアで頭が一杯で、ルワンダは、・・・、わきの出し物(side-show)ですらなく、余興ですらなかった(a no-show)」と言わせています。ここまでルワンダ問題軽視を主張されると、ヒゲ爺ではありませんが、「ちょっと待って」と言いたくなります。
 そんな筈はありません。ここでアメリカ政府の最高国防機関である国家安全保障会議(NSC)の高級官僚Richard Clarke という人物に注目しましょう。NSCの構成員は、大統領、副大統領、国務長官、国防長官、CIA長官、統合参謀本部議長という、アメリカ国家の国家政策を検討する最高のメンバーです。Richard Clarkeは極めて有能辣腕の官僚のようで、彼がルワンダ問題を実質的に取り仕切っていたと考える十分の証拠があります。1994年のルワンダ・ジェノサイド騒ぎについて注目すべきことは、騒ぎが大きくなった時、国連の平和維持軍が虐殺の進行を止めるどころが、旗を巻き、尻尾を巻いて、逃げてしまったことです。その結果として、虐殺の進行を止めた英雄としてポール・カガメが登場することになります。ポール・カガメはCIAとアメリカ国防総省(ペンタゴン)がわざわざ養成訓練して、ルワンダ・ジェノサイドの4年ほど前に、ウガンダに送り込んだ人物であることは前にも述べました。明々白々の事実です。 コンゴ東部の豊かな地下資源に強い関心を持っていた(いる)アメリカ政府の、NSCの、レーダースクリーンからコンゴ東部/ルワンダ/ウガンダが、一時的にでも、消え去ることなど全く考えられません。ところで、ルワンダ・ジェノサイドの前年、Richard ClarkeはPDD-25(大統領政策決定指令)なるものを作成しています。これは多くの人々によって、国連平和維持軍の無力化を目指すものだと考えられたようです。この辺から、アメリカ政府には、もともと、ジェノサイドに積極的に介入してそれを阻止する気はなかったという“邪推”が当然発生してきます。国連など外国の平和維持軍がいなくなってしまった状態で、ポール・カガメはコンゴ東部に侵攻を開始しました。これが「アフリカの世界戦争」とも呼ばれるコンゴの悲劇の始まりで、数百万人が殺される大惨事になりました。NSCでのRichard Clarkeの側近であったスーザン・ライスという黒人女性は、今はオバマ大統領によってアメリカの国連大使に任ぜられ、テレビでお馴染みの顔になりつつありますが、彼女はアメリカ政府のコンゴ/ルワンダ政策の過去現在のすべてを知っている筈です。サマンサ・パワーは彼女の後釜のようにしてNSCに入り、この二人の女性はオバマ政権のアフリカ政策を左右することになりましょう。二人とも、アフリカに関する限り、大した鷹派です。そして、彼女らの先生格に当る人物が存在します。サマンサ・パワーのナラティヴには遂に顔を出しませんでしたが、Roger Winterという大物です。興味のある方は是非お調べ下さい。

<付記> 上の記事は4月14日午前中に書きましたが、夜になって、Dissident Voice というウェブサイトでKeith Harmon Snow の『The Rwanda Genocide Fabrications』(4月13日付け)という極めて注目すべき論説を見つけました。この「ルワンダ大虐殺のでっち上げ」論が重要なのは、私がモタモタした筆致で書いてきた「ルワンダ大虐殺」推察論が結構いい線を行っていたと思わせることが沢山書いてあるからではありません。私たち一般の人間が日々読まされている報道記事や論説の中立性、真実性について、実に深刻な疑念を抱かざるを得なくなるようなことが書いてあるからです。アフリカに限られた問題ではありません。実は、次回のブログの題は『アリソン・デ・フォルジュとホアン・カレロ』にしようと思っていたのですが、スノーの新しい衝撃的な発言で、私としても、もう一度しっかりと想を練り直す必要がでてきましたので、このタイトルはしばらくお預けにします。

藤永 茂 (2009年4月15日)


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サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(2)

2009-04-08 13:17:32 | 日記・エッセイ・コラム
 前回の終りに訳出したサマンサ・パワーの文章を再録します。
■ 1994年、百日間の時の流れの間に、ルワンダのフツ政府とその過激派協力者たちは、その國のツチ少数民族を絶滅するのに成功するすれすれの所まで行った。銃器、広刃鉈、それに農耕園芸用の道具の数々を用いて、フツ族の民兵、兵士、一般市民は、約80万のツチ人と政治的に穏健派のフツ人を殺害した。それは20世紀で最も手っ取り早く、最も能率的な殺戮ドンチャン騒ぎであった。それから数年後、雑誌『ニューヨーカー』の連載もので、フィリップ・グールヴィッチは、恐るべき詳細さで、そのジェノサイドと世界がそれを阻止することに失敗したストーリーを詳しく述べた。大統領ビル・クリントンは、熱心な物読みで有名だが、ショックを隠しきれなかった。彼はグールヴィッチの記事のコピーを二期目の国家安全保障顧問のサンディ・バーガーに送った。記事のコピーの余白には、混乱し苛立った追求的な問いかけが書き込まれていた。クリントンは、やたらに下線を施したパラグラフの横に太字の黒のフェルトペンで“この男が言っているのは本当か?”と書いていた。■
上の最初の4行が世界中で受け入れられているルワンダ民族大虐殺の話ですが、前回に言及したハーマン(Edward S. Herman)がこれはでっち上げのうそ話だと言っています。私も、他の色々の論考を読んであれこれ迷った挙句、ハーマンが正しいと確信するようになりました。アメリカには「ガンゾウ(gonzo)・ジャーナリズム」という妙な言葉があります。独断と偏見に満ちた報道、事実を歪曲した記事や論説のことだそうですが、かつては私たちが信頼を置いて読んでいたニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどが、支配権力層の代弁者に成り果ててしまった今、何をガンゾウ・ジャーナリズムと呼び、誰をガンゾウ・ジャーナリストと呼ぶべきか、大変ややこしい時代になってしまいました。ほとんどすべての報道が政治化する状況下で一つの政治的事件の真実を把握するのはとても困難な作業になってしまいました。今やオバマ大統領の側近として権力の中枢にあるサマンサ・パワーは、ハーマンやチョムスキーをガンゾウと呼ぶでしょうし、ハーマンはパワーをガンゾウと呼ぶでしょう。
 私はコンゴをアフリカ問題の中心的地域と考えていますが、それに連関した知識を探る場合に大きな頼りにしている人がいます。スノー(Keith Harmon Snow)という白人ジャーナリストです。アフリカ問題に関心を持つ人々でスノーの名前を知らない人は殆どいないでしょう。この人物をガンゾウ・ジャーナリストと見るか、見ないか、それは、各人の自由ですし、なにしろ、アフリカは世界で最も激烈な宣伝戦が繰り広げられている大陸ですから、スノーが教えてくれる情報源の信憑性も慎重に測る必要があります。しかし、私は彼が言おうとすることに、信頼を持って、耳を傾けています。そのスノーが書いた『ホテル・ルワンダ:ハリウッドと中央アフリカのホロコースト』という長い論説(2006年)があります。ルワンダ・ジェノサイドについての私の所見のおおよその所は前々回のブログ『ジンバブエの脱構築(4)』で述べましたが、それはスノーの意見に強く影響されています。勿論、ほかにも随分と読みましたが。もし私の判断が大筋で正しいとすると、この大虐殺についてはサマンサ・パワーこそが全く無責任なガンゾウ・ジャーナリストだということになります。
 1994年4月6日、ルワンダの首都キガリの空港で墜落事故が起こり、ルワンダの大統領とブルンディの大統領の二人が死亡します。両者ともフツ人(多数民族)でした。この直後に、サマンサ・パワーが生々しく描く、フツ族によるツチ族(少数民族)の無残な虐殺が始まりました。当時、ニューズウィークやニューヨーク・タイムズなどのアメリカの代表的メディアは二人の大統領の死を「なぞの墜落事故」と報じましたが、二人が乗っていた航空機は、ウガンダ軍からルワンダに侵攻してルワンダ政府の打倒を試みていたポール・カガメ指揮下のルワンダ愛国戦線(RPF, Rwandan Patriotic Front)によって撃墜されたのでした。つまりこれは政治的暗殺事件であったのです。また、ルワンダ・ジェノサイドは昔からくすぶり続けていたフツ、ツチ両民族間の憎しみが暴発したという単純は事件ではなく、1990年頃からアメリカ政府(主にCIAとペンタゴン)が進めていたコンゴ東部地域の政情不安定化政策が生んだ結果的現象であったと見るのが、真実のより良い近似であると考えられます。ポール・カガメと彼の身辺の軍人たちは、ペンタゴンが手塩にかけて育て、ウガンダ/ルワンダ地域に送り込んだテロリストの精鋭軍団であったのです。これは世にいう陰謀説などではありません。Paul Kagame という人物は、今では、アフリカの権力者としてアメリカ政府の最高のお気に入りであり、この人物についての公式、非公式の情報は多量に入手できますので、ぜひ御覧になって下さい。
 このブログの冒頭に引用したサマンサ・パワーの文章について、前回のブログで、私は、彼女の語り口のすべてが気に入らないと申しました。その一つは「銃器、広刃鉈、それに農耕園芸用の道具の数々を用いて」という語り口です。特にmachetes という言葉が気に入りません。辞書には、幅広で重い刃のなた(特に中南米の原住民が砂糖きびの伐採などに使う)、と説明してあります。フツ族の暴徒たちが、農具の大鉈や熊手を振り上げてツチ族を惨殺したのは事実でしょう。しかし、このマチェーテという大鉈は、米英の一般白人がアメリカ大陸やアフリカ大陸の原住民の蛮行を描写する時に、余りにも習慣的に用いられるのです。彼等は無意識に赤や黄や黒の原住民たちの野蛮さにふさわしい武器としてマチェートのイメージを使ってしまうのだと思います。しかし、人を殺すための道具の野蛮さとは何でしょうか。フツ族が無人ヘリコプターを使ってツチ族の結婚式場にミサイルを打ち込めば野蛮ではなくなるのか。マチェートと原子爆弾のどちらが野蛮な武器として上なのか?
 すこし感情的に突っ走り過ぎました。サマンサ・パワーの書いたことについては、このマチェートより遥かに重大な問題があります。時の大統領クリントンがルワンダ・ジェノサイドのむごたらしさに驚愕したという証言です。これについては、次回に論じたいと思います。

藤永 茂 (2009年4月8日)


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サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(1)

2009-04-01 13:26:19 | 日記・エッセイ・コラム
 私がはっきりとサマンサ・パワーという女性の名を意識するようになったのは、2007年の始めのことで、2006年がハンナ・アレントの生誕100年を記念して出版されたアレント関係の本の書評の中に、『全体主義の起源』の再版に付けられたサマンサ・パワーの筆になる序文の内容が取り上げられていたのを読んだ時でした。書評の筆者はCorey Robin で、長文の読み応えのあるものでしたが、その中で、アレントの議論がパレスティナの戦闘的活動家とナチスのそれとの同一性を裏付けるかのようにサマンサ・パワーが主張していることを知りました。ロビン氏は「アレントは断固としてその類似性を否定していた」と書いていますが、サマンサ・パワーの主張は言語道断です。ナチスに似ているのはイスラエルであってガザのパレスティナ人たちでないことは、今や、正常な心を持ったすべてに人間にとって火を見るより明らかなことです。しかし、ロビンの論評のもっと重要なポイントは、イデオロギーの狂信者よりも、凶悪なシステムの中で自分の地位の向上を目指していそいそと精を出す人間たちの行動原理である“Careerism”(立身出世主義)の方が有害でさえありうるという指摘です。言うまでもなく、シオン主義者のイスラエル人を大変怒らせたアレントの『イェルサレムのアイヒマン』をこの評者ロビンは高く買っているわけです。この書評はLondon Review of Booksの2007年1月4日号に掲載され、次のように結ばれています。
■「彼(キャリアリスト)は現実的で実用主義者であって、ユートピアンでも狂信者でもない。キャリアリズムは理想主義と同じように極めて危険でありうること、野心は野蛮行為の幇助者であること、最悪の犯罪の或るものは異常な思想の結果というよりも普通の悪徳の結果であること、これらの事は『イェルサレムのアイヒマン』の意味するところであり、ネオコンやネオリベラルといった人々の耳にひどく痛いことなのだ。」■
 さてサマンサ・パワーですが、1970年アイルランド生れの女性で、1979年にアメリカに移住して、 エール大学を卒業し、外国取材のジャーナリストとして出発しますが、またハーバード大学に入り、1999年、法学部を卒業、その学位論文を基にした彼女の最初の著作『地獄からの問題:アメリカとジェノサイドの時代』が2003年のピュリッツァー賞を受賞しました。この本は700頁近くの大冊で、20世紀に世界各地で起こった数々のジェノサイドがアメリカの立場から詳しく論じられました。これで彼女は一躍ジェノサイドや人権関係の知識人として広く知られることになりましたが、彼女を決定的に「有名人」にしたのは、バラク・オバマと意気投合してその選挙参謀の一人となり、オバマがヒラリー・クリントンと鍔迫り合いをしていた最中の2008年3月、サマンサ・パワーはクリントンを「彼女はモンスターだ」と呼んだため、オバマの選挙戦チームから外されるという派手な事件で騒がれたことでした。しかし、オバマの大統領就任後、国家安全保障会議の一員として大統領の側近の位置に戻りました。選挙戦では外交問題関係のアドヴァイザーでしたから、今後もそうした面で大統領の判断に影響をあたえるものと思われます。
 ピュリッツァー賞を受賞した『地獄からの問題:アメリカとジェノサイドの時代』は20世紀に起こった民族大虐殺(ジェノサイド)についての著作として最も大量に出回り、最も広く読まれている本だと思いますが、これには大きな問題があります。これまで度々アメリカ政府が進行中のジェノサイドに対して傍観者的姿勢を取ってきたことに対するきびしい批判を勇敢に実行した書物であるとする称賛的な書評が無数に書かれましたし、著者サマンサ・パワー自身もそうした「正義の味方」のポーズをとっていますが、これが全くのまやかし物なのです。
 この本を徹底的に批判しているのは、ハーマン(Edward S. Herman)です。「ハーマン? ああ、チョムスキーの友人か」などと片付けないで、彼の言うことを聞いて下さい。彼が『地獄からの問題』を「ジェノサイドに関するサマンサ・パワーの馬鹿馬鹿しい論考」と呼ぶのは、十分の論拠があってのことなのです。この本では、アメリカ政府が直接関わったか、または支持し、承認したジェノサイド的行為は綺麗に無視されています。ベトナム戦争での一般住民の死者、1965-66年のインドネシアでのスハルトによる大虐殺、1978年から1985年にかけてのグアテマラの先住民の大量虐殺などがサマンサ・パワーの本では見当たりません。ハーマンは、また、イスラエルが建国以来パレスティナ人に対して執拗な一貫性で行っている残虐行為を「low-intensity genocide (低強度民族大虐殺)」と呼び、これもサマンサ・パワーが完全に無視していると批判しています。
 しかし、意識的な無視や隠蔽よりも遥かに罪深いのはルワンダ・ジェノサイドの場合です。これについては、サマンサ・パワーは別に雑誌「アトランティック・マンスリー」2001年9月号に『ジェノサイドの傍観者(Bystanders to Genocide)』と題する26頁の長い論文を寄稿しているのでそれを取り上げます。まず冒頭の部分を訳出します。
■ 1994年、百日間の時の流れの間に、ルワンダのフツ政府とその過激派協力者たちは、その國のツチ少数民族を絶滅するのに成功するすれすれの所まで行った。銃器、広刃鉈、それに農耕園芸用の道具の数々を用いて、フツ族の民兵、兵士、一般市民は、約80万のツチ人と政治的に穏健派のフツ人を殺害した。それは20世紀で最も素早い、最も能率的な殺戮ドンチャン騒ぎであった。それから数年後、雑誌『ニューヨーカー』の連載もので、フィリップ・グールヴィッチは、恐るべき詳細さで、そのジェノサイドと世界がそれを阻止することに失敗したストーリーを詳しく述べた。大統領ビル・クリントンは、熱心な物読みで有名だが、ショックを隠しきれなかった。彼はグールヴィッチの記事のコピーを二期目の国家安全保障顧問のサンディ・バーガーに送った。記事のコピーの余白には、混乱し苛立った追求的な問いかけが書き込まれていた。クリントンは、やたらに下線を施したパラグラフの横に太字の黒のフェルトペンで“この男が言っているのは本当か?”と書いていた。■
私は、ここでのサマンサ・パワーの語り口のすべてが気に入りませんが、中でも最も腹が立つのは、ルワンダ・ジェノサイドを断言的に述べた最初の文章です。このまるっきり誤った断定については次回にお話しします。

藤永 茂 (2009年4月1日)


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