私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ナディン・ゴーディマーのアメリカ黒人観

2008-08-27 13:58:03 | 日記・エッセイ・コラム
 ジンバブエとムガベに私が執拗にこだわるのは、心ある人々にこの問題の全貌を、欧米のマスコミの外に身を置いて、よく考えていただきたいと思うからなのですが、私にとっての次の大きな宿題である「南アフリカ共和国」に移る前の中休みの息抜きに、米国の黒人の情況についてのナディン・ゴーディマーさんの鋭い断定を紹介しようと思います。私は彼女にドリス・レッシングを上回る敬意を持っていますが、最近は、彼女でさえも(殺す側)の人間の心理から逃れることが出来なかったのではないかと考えはじめています。特にイスラエル建国60周年の祝典に招かれて出席したゴーディマーさんにはがっかりさせられました。これについては日を改めて考えてみたいと思います。ともあれ、彼女が透徹した知性と鋭敏な感受性を備えた稀代の文学者であることには否定の余地がありません。
 アメリカ合州国で初の黒人大統領が実現しそうな現在、アメリカにおける黒人の位置について色々な見方や評価が飛び乱れています。日本人にもアメリカ国内の対黒人偏見について見定めることが出来ず、迷っている方も多いでしょう。黒人の大統領をアメリカの顔にすれば、アメリカの白人、いや、アメリカという國そのものの素晴らしさを示す何よりの証しとなるという強いムードがバラク・オバマを支持する白人たちの間では支配的です。そのようなアメリカの白人たちにとっては、南アの白人作家ナディン・ゴーディマーの断定は鋭利な刃物に刺された深い傷のように胸に残ることでしょう。:
■米国のレイシズム(人種主義)は直しようのない悲劇です。多人種なので米国と南アはよく比較されますが、南ア黒人に比べると米国の黒人は絶望的です。比較になりません。彼らの悲劇は自分たちを米国人と思えない所です。代わりにアフリカ人であると主張することもありますが、アフリカに来てみるとそれが誤りだとすぐにさとる。むしろアフリカ人が人種にあまりこだわらず、くつろいでいるのを見て反発を感じるそうです。■
この発言は、南アのヨハネスブルグで毎日新聞の藤原という記者さんがゴーディマーさんをインターヴューした記事(2000年1月31日)から取ったものです。これを読むと、シカゴの黒人教会でライト牧師がおこなった発言の内容が思い出されます。彼は真実を語ったのであり、彼の言葉の激しさは、ナディン・ゴーディマーの指摘する米国黒人の絶望と怒りの深さを反映したものでした。バラク・オバマの美辞麗句で覆い隠せるような亀裂ではありません。そして、たとえ、オバマ大統領が実現しても、彼はコンディ・ライスなどと同じく、(殺される側)の黒人たちを見捨てて(殺す側)に引っ越した黒人の一人となるのは、もう間違いありません。
 ゴーディマーさんの見識のしたたかな先見性を示す発言をもう一つ、同じ対談記事から借用します。
■ 20世紀には2つの大きな失敗がありました。1つは共産主義の失敗です。もう1つは資本主義です。確かに資本主義は一部の人々には成功だったかもしれません。でも少数の金持ちと大多数の貧困層という結果を生みました。
 資本主義は世界の資源をコントロールする方法をもたらしましたが、その資源を分配する方法を持ち得ませんでした。その結果、今、世界は新たな秩序を作らねばならない危機を迎えつつあります。
 では、どのような新秩序をどうやって作るのか。いくら考えても、私の洞察をこえたものと言うしかありません。本当に残念です。■
2000年1月の発言です。何とも恐ろしい先見性ではありませんか。アフリカも、世界全体も、彼女が洞察した危機の様相を日一日と深めています。「どのような新秩序をどうやって作るのか」を誰も知らないという危機の中に我々はあるのです。
[付記]
今(8月27日)コロラド州デンバーでバラク・オバマを正式に大統領候補に指名する米民主党大会が進行中です。オバマとは何者か。オバマ大統領のもとでアメリカはどうなるのか。私にとってこれほど興味津々の政治問題は他にありません。アメリカの黒人問題が、このオバマ現象を契機に、最も目覚ましい形で表出しているからです。本日のブログで、快刀乱麻を断つ(と私が思った)ナディン・ゴーディマーさんの見解を紹介した理由も将にそこに発します。皆さんの中にも、全人類の運命を左右しかねない怪人物バラク・オバマの出現に深甚の関心をお持ちの方が沢山おいでと考えます。今まで述べてきました私のオバマ観が反米系の偏見だとお感じの方に是非読んで頂きたい重厚な論考を雑誌「ニューヨーカー」2008年7月21日号に見つけました。この雑誌は到底左翼雑誌とは申せませんが、時々重量級の論文が掲載されるようです。その昔、ベトナムのソンミ村虐殺の詳報が出たのもこの瀟洒な雑誌でした。筆者はRyan Lizza, 表題は「MAKING IT How Chicago shaped Obama」です。以下は終りに近い部分からの引用ですが、全体のフレーバーが感じられます。
P erhaps the greatest misconception about Barack Obama is that he is some sort of anti-establishment revolutionary. Rather, every stage of his political career has been marked by an eagerness to accommodate himself to existing institutions rather than tear them down or replace them. When he was a community organizer, he channelled his work through Chicago’s churches, because they were the main bases of power on the South Side. He was an agnostic when he started, and the work led him to become a practicing Christian. At Harvard, he won the presidency of the Law Review by appealing to the conservatives on the selection panel. In Springfield, rather than challenge the Old Guard Democratic leaders, Obama built a mutually beneficial relationship with them. “You have the power to make a United States senator,” he told Emil Jones in 2003. In his downtime, he played poker with lobbyists and Republican lawmakers. In Washington, he has been a cautious senator and, when he arrived, made a point of not defining himself as an opponent of the Iraq war.

藤永 茂 (2008年8月27日)


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ジンバブエをどう考えるか(5)

2008-08-20 16:06:44 | 日記・エッセイ・コラム
 コンゴ、ケニヤ、ジンバブエ、これらのアフリカの国々のどれをとっても大多数の日本人にとって余り興味のある國ではありますまい。こうした国々に私がこだわるのは、その何処からも、すこし目を凝らすと同じことが見えてくるからです。アメリカが、アングロ・アメリカがはっきりと見えてくると思うからです。それにもう一つ、日本のマスコミがわれわれ一般大衆に提供するニュースとニュース解説が如何に不十分あるいは不適切であるかを痛感したという事があります。
 目から鱗が落ちるという言葉は新約聖書から出ているそうですが、ジンバブエの場合に限らず、世界の紛争地点で、アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体を少し詳しく調べてみると、それまでマスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます。
 ジンバブエ状況の復習をしましょう。前々回のブログ『ジンバブエをどう考えるか(3)』(2008年8月6日)に次のように書きました。
■ 2001年12月に成立した問題の法律S.494[The Zimbabwe Democracy and Economy Recovery Act.(ジンバブエの民主主義と経済を回復する法律)] が、欧米の気に入らないマルクス主義者ローラン・デジレ・カビラのコンゴ政府に援軍を送り(1998年)、国内ではとうとう白人農地の強制接収を開始した(2000年)ジンバブエのムガベ政府に対する、懲罰制裁を目的とする立法であったことは、上の黒人女性議員シンシア・マキニーのシンボリックな反対発言に加えて、当時のアメリカ駐在のジンバブエ大使Simbi Mubakoの抗議発言を読めば、明白です。■
1960年代、アフリカ大陸でヨーロッパ植民地が黒人の独立国家となる嵐が吹き荒れる中、英国植民地「南ローデシア」だけは、時代の流れに逆行して、1965年,アパルトヘイト政策を実施する白人支配国家として独立を宣言し、1970年には「ローデシア共和国」の国名を名乗りました。耕作に適した農地の80%を全人口の2%の白人地主が所有し、黒人の低賃金労働と機械化に依存する大規模農業が営まれていました。当然のことながら、黒人たちは黒人国としての独立運動に立ち上がり、紆余曲折のあと、1980年独立を果たして正式に「ジンバブエ」が誕生し、総選挙でムガベの社会主義的政党ZANU(Zimbabwe African National Union) が圧勝してムガベは首相になりました。人々の予想に反して、ムガベは黒人と白人の共存路線を選び、白人の農地を黒人に与える農地改革も7年間凍結する事とし、農業大臣や商工大臣には白人を起用して国家建設を進めたので欧米での評判は上乗でした。 上掲のムバコ大使の発言に描かれている通りです。しかし、1987年大統領となったムガベはZANU本来の“過激”な政策を強引に押し進めはじめます。1998年、マルクス主義者カビラのコンゴ政府が東の隣国ルワンダの侵攻を受けた時、カビラの要請で援軍を送ったのはその典型です。続く1999年、7年どころか20年間も手を付けなかった白人所有農地の黒人への分配を宣言し、2000年には強制接収を始めました。アングロ・アメリカ勢力がムガベのジンバブエつぶしの決心をした時点を1999年~2000年とすることに反対する国際関係史専門家は、もし彼らに学問的良心があるならば、一人もいないと私は考えます。
 ジンバブエの場合、「アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体」を求めれば、それは明らかにモーガン・ツァンギライと彼が率いる野党MDC(The Movement for Democratic Change、民主的変革運動) です。始めからムガビ政権の打倒を目標とするMDC が結成されたのが、丁度、1999年であることを注目して下さい。現在、2008年夏の時点で、世界のマスコミが我々に与えているジンバブエ政情は次のようなものです。:
■2008年3月29日の大統領選挙ではMDCのツァンギライ議長が47.9%、ムガベ大統領が42.3%の得票で、過半数に及ばなかったので、6月27日に両者で決選投票が行われることになった。ところが敗北を恐れたムガベ側は暴力で野党の選挙運動の弾圧を始めたので、ツァンギライ自身も危険を感じてオランダ大使館に保護を求め、立候補を取りやめた。その結果、ムガベが自動的に連続5回目の大統領当選となった。
現在、南アフリカ大統領ムベキの仲介で与野党の連立政権の樹立が試みられているが、難航している。(8月20日現在)■
こうした報道に付随して、悪鬼のような独裁者ムガベに対するあらゆる非難攻撃が欧米で、そして日本でも行われていて、その一例として『ジンバブエをどう考えるか(1)』に、週刊朝日7月18日号の「84歳の独裁者ジンバブエムガベ大統領の悪逆非道」という記事を引用しました。
 マスメディアの報道から受けるのは「ツァンギライが大の善玉、ムガベが大の悪玉」という明快そのものの印象ですが、1999年にどのような政治的勢力がMDCを形成したか、その指導者ツァンギライとは如何なる人物かを、過去にさかのぼって、少し詳しく調べてみると、上にも書きましたように、「マスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます。」
 簡単に言ってしまえば、MDCはジンバブエのムガベ政権を打倒し,昔の言葉で言えば、英米の傀儡政権に変える(Change)ために、英国政府と米国政府が協調して打ち立てた政党であり、ツァンギライは英米が選んだパペットです。この基本的構図を我々一般大衆に見えにくくしている二つのファクターは、国際的な労働組合組織とNGO団体がツァンギライとMDCを支持してムガベ叩きに精を出していることです。MDCのもともとの母体はジンバブエ国内の労働組合的組織でした。しかし、1999年に強力野党MDCを発足させたのはジンバブエ国内の黒人労働者たちの自然の声の盛り上がりではありません。それをはっきり見抜くのは大して難しいことではありません。MDCの発足には英国政府の閣僚や大使レベルの人々が積極的に参画していますし、ジンバブエ国内の白人勢力もはっきり目に見える形で参加しています。具体的にはMDCの出発当時の公式政策を見ることです。その最大の目標は、もちろん、ムガベ政権の打倒ですが、市場経済、公共サービスの私企業化、ムガベの農地改革の中止、コンゴからの撤兵など、世界銀行、世界貿易機構、そして、英米政府がジンバブエに求める政策がすべて含まれていました。基本的内容は今も変わっていません。ムガベは84歳、棺桶に片足を突っ込んだ老独裁者は、現在の連合政府工作がどのような形で決着しようと、間もなく歴史の舞台から消えて行くでしょう。MDCとツァンギライの時代が来れば、ジンバブエが英米お気に入りのネオリベラル路線に乗って進むことは間違いありません。MDCの発足以来、野党MDCと与党ZANUとのどちらがより暴力的であったかを歴史的に辿るのも意義があります。米国、英国、EU諸国に追い詰められて狂い立った最近のムガベの過剰反応を別にすれば、過去には、ツァンギライの方がはるかに暴力的非合法的だったのです。調べてみれば分かります。
 オーストラリアやドイツやアメリカの労働組合団体がMDCとツァンギライを支持しているではないか、と反論なさる方々もおいででしょう。しかし、ご存知でしょう。欧米の大企業が全世界を産業的経済的金融的に支配する今、これらの國の労働組合運動勢力はひと昔まえのそれとは別のものになってしまっています。
 「最近のニュースでは、ジンバブエの国民の多くが餓死しそうになっているのに、ムガベは英米のNGO団体からの緊急食糧援助を拒否しているそうではないか。まさに狂気の沙汰だ」とお考えの方もあると思います。表面を見る限り、まるで馬鹿げた狂気の沙汰です。しかし、ここでも、私個人としては、ムガベの靴に足を入れてみることが出来ます。ムガベは欧米のNGOから散々煮え湯を飲まされてきました。野党MDCの結成以来、欧米の多数のNGOは援助を選挙の票集めの武器として、積極的にMDCをprop up してきたのです。それにこれらのNGOは直接間接に英国政府や米国政府から資金を得ています。もはや、多くの強力なNGOsは、実は、nongovernmental organizationsではないのです。この点も、私たちが世界の現実を見据えるために必須の知識です。このNGOの問題について、別の所で、興味深い発言に出会いました。アフガニスタンで地道な活動を続けているRAWA(The Revolutionary Association of the Women of Afghanistan)という女性運動団体があります。Justin Podur というカナダ人の作家がRAWAの代表者の一人にインタヴューした記事を読んだのですが、RAWAは決して自らをNGOと呼ばず、アフガニスタンで活動しているNGOに対してきびしいコメントをしていましたので、その一部を原文で引用します。
■Most NGOs that are larger, or bigger aid agencies, are funded by governments and influenced by those governments. The smaller ones often get involved in fraud and corruption - they work not for the Afghan people but for their own purposes. Millions of dollars of funds go to NGOs and wasted in overhead, salaries, office expenses, and so on. They collect huge salaries, they have no long-term projects, they spend huge amounts for security expenses and vehicles.
NGO-ism is a policy exercised by the West in Afghanistan; it is not the wish of the Afgan people. The NGO is a good tool to divert people and especially intellectuals from struggle against occupation. NGOs defuse political anger and turn people into dependent beggars. In Afghanistan people say, the US pushed us from Talibanism to NGO-ism! ■
ペシャワール会を代表してアフガニスタンで奮闘している中村哲さんも、何処かで似たようなことを言っておられました。私たちも、このあたりで、NGOsなるものをよく考え直すべきかもしれません。
 今回のブログの冒頭に「世界の紛争地点で、アメリカやイギリスが熱心に支持している人物とその支持母体を少し詳しく調べてみると、それまでマスコミから受け取っていた展望とはまるで違った見晴らしが開けて来ます」と述べました。応用例題を二つ出しておきます。(1):ルワンダのポール・カガメ大統領とルワンダ愛国戦線。(2):グルジア(英語ではGeorgia)のサーカシュビリ(Saakashvili)大統領と国民運動党。

藤永 茂 (2008年8月20日)


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ジンバブエをどう考えるか(4)

2008-08-13 09:03:08 | 日記・エッセイ・コラム
 ナディン・ゴーディマー、J. M. Coetzee (クッツエー)、ドリス・レッシング、この三人、いずれもノーベル文学賞受賞者(順に、1991年、2003年、2007年)で、しかも南部アフリカに深い根を持った高名な作家であり、日本でも多数のファンを持つ存在でしょう。私もこの人たちのアフリカ問題についての発言を、信頼の念を持って、傾聴してきた人間のひとりです。とりわけジンバブエについては、ドリス・レッシング。彼女は5歳から30歳まで(1924年から1949年)を南ローデシア(今のジンバブエ)で過ごし、その後ロンドンに移住しました。英国共産党に入党し、南アフリカやローデシアのアパルトヘイト(人種隔離)政策に対して反対を表明したため、両国への入国を拒否される要注意人物になりましたが、1956年のソ連のハンガリー侵攻を機に共産主義を捨て、南アフリカ(原爆を持っていました!)を含む世界の核軍備反対運動に参加するようになります。作家としてはフェミニズム文学の旗手として有名になり、私も,1970年代、カナダの大学で一女子学生に勧められて『黄金のノート(The Golden Notebook)』等を熱心に読みました。ジンバブエが黒人国として独立した後も、ドリス・レッシングはジンバブエを、いわば故郷として、幾度か訪れています。ですから、彼女に「ムガベは駄目だ」と言われると、私もつい「やっぱりそうなのか」と思いがちでした。
 しかし、この数ヶ月、週刊朝日(7月18日号)の記事「84歳の独裁者ジンバブエムガベ大統領の悪逆非道」に象徴されるように、ジンバブエのムガベ大統領が狂暴極まる悪魔のような独裁者に成り果て、そのため「失敗国家」ジンバブエは崩壊寸前の状況にあるという欧米マスメディアのかまびすしい報道ブリッツに直面して、この所少しは敏感になった私の“アフリカ臭覚”が「ちょっと待てよ」と私に命じたのでした。そこで、私の中にあるドリス・レッシングに対する畏敬の念を一応カッコに入れて、彼女の2007年度ノーベル文学賞受賞記念講演の全文を読んでみました。何よりも驚かされたのは、その平凡さ(banality)でした。彼女の87歳での受賞はノーベル文学賞では最高齢の由、さすがの彼女も歳にはあらがえなかったという事かもしれません。いや、私が間違っている可能性も十分あります。文学好きの方々はストーリーテラーとしてのドリス・レッシングの衰えを知らぬ語りの冴えを見出されるかもしれません。しかし、私がここで問題としているのは、ジンバブエについての彼女の語り口であります。講演は次の言葉で始まり、それが彼女のスピーチ全体のトーンを決めています。ここで語られている1980年代の始めといえば、ジンバブエが黒人国として独立後間もない頃であり、目の前の荒廃し果てた土地が世にも美しい森林であったのは1956年頃、白人の南ローデシア自治政府があたりを支配していた時代です。1956年から1980年までの半世紀、キッシンジャーやサッチャーの名も頻りに飛び交うローデシア/ジンバブエの波瀾万丈の歴史のほんのおぼろげな知識でも、持つか持たぬかで、以下の文章から受ける印象はすっかり違ったものになる筈です。この波乱の半世紀を通じて変わらなかった状況があります。ジンバブエの肥沃な農地のほぼ全域がごく少数の白人によって占有され、その大規模農業が黒人の超低賃金労働によって維持されていたという状況です。不在地主も多数いました。例えば、デビアス・ダイヤモンドで有名なオッペンハイマー家はベルギー本土と同じほどの広さの農地を所有していたようです。以下の文章に登場する黒人たちとその親たちの圧倒的多数は、過去80年間、富裕優雅な生活を国内国外でエンジョイしていた白人侵入者に、食うや食わずの生活を強いられ続けて生きてきた人々です。彼ら黒人の性格が少々ずる賢く卑しくなっても当たり前ではありませんか。読みやすい文章ですから、ぜひ辿ってみて下さい。stump (木の切り株)、char (焦げる、焦がす)、a gently idealistic soul (優しく理想主義的な魂をもった人)、biro (使い捨てボールペン)、tome (大冊)、reject (不良品、不用になった本)、sustenance (生きるための食物)、headmaster (校長)、embezzle (横領する)、suspend (停職処分にする)、a more august context (もっと物々しい情況)、fetch water (水を汲んでくる)。
■ I am standing in a doorway looking through clouds of blowing dust to where I am told there is still uncut forest. Yesterday I drove through miles of stumps, and charred remains of fires where, in '56, there was the most wonderful forest I have ever seen, all now destroyed. People have to eat. They have to get fuel for fires.
This is north-west Zimbabwe in the early eighties, and I am visiting a friend who was a teacher in a school in London. He is here "to help Africa," as we put it. He is a gently idealistic soul and what he found in this school shocked him into a depression, from which it was hard to recover. This school is like every other built after Independence. It consists of four large brick rooms side by side, put straight into the dust, one two three four, with a half room at one end, which is the library. In these classrooms are blackboards, but my friend keeps the chalks in his pocket, as otherwise they would be stolen. There is no atlas or globe in the school, no textbooks, no exercise books, or biros. In the library there are no books of the kind the pupils would like to read, but only tomes from American universities, hard even to lift, rejects from white libraries, or novels with titles like Weekend in Paris and Felicity Finds Love.
There is a goat trying to find sustenance in some aged grass. The headmaster has embezzled the school funds and is suspended, arousing the question familiar to all of us but usually in more august contexts: How is it these people behave like this when they must know everyone is watching them?
My friend doesn't have any money because everyone, pupils and teachers, borrow from him when he is paid and will probably never pay him back. The pupils range from six to twenty-six, because some who did not get schooling as children are here to make it up. Some pupils walk many miles every morning, rain or shine and across rivers. They cannot do homework because there is no electricity in the villages, and you can't study easily by the light of a burning log. The girls have to fetch water and cook before they set off for school and when they get back.
As I sit with my friend in his room, people drop in shyly, and everyone begs for books. "Please send us books when you get back to London," one man says. "They taught us to read but we have no books." Everybody I met, everyone, begged for books.■
ここで語られている学校は、如何にひどい状態であったとはいえ、独立直後からムガベ政府が努力を傾けた教育振興策の賜物なのであり、それは、やがて、週刊朝日の記事に「教育など福祉政策に力を注ぎ、識字率をアフリカ最高レベルの9割に導く“善政”を敷いた」と述べられている成果を挙げたのでした。しかし、ドリス・レッシングの講演にはその成果への言及はありません。彼女のメイン・テーマは、人間の成長にとって、身の回りに沢山の良書があることの大切さに置かれ、これから先の話は、「白人が居なければ、アフリカの黒人は碌なことしか出来ない」という、傲慢無知の一般白人と何ら変わらない意見の開陳に向かいます。信じがたい思いを私は禁じ得ませんでした。
 ドリス・レッシングはジンバブエの貧しい村々の人たちに本を贈る慈善事業に参加しています。reign of terror (恐怖政治)、petrol (ガソリン)、plank (板張りの床)。
■ Remember, a good paperback from England costs a month's wages in Zimbabwe: that was before Mugabe's reign of terror. Now with inflation, it would cost several years' wages. But having taken a box of books out to a village - and remember there is a terrible shortage of petrol - I can tell you that the box was greeted with tears. The library may be a plank on bricks under a tree. And within a week there will be literacy classes - people who can read teaching those who can't, citizenship classes. ■
“ムガベの恐怖政治”は2000年前後から始まります。独立からそれまでの20年間は、ワシントンやロンドンの覚えも目出たい“善政”を行っていたわけです。ジンバブエの国内経済の急激な崩壊は、前回(8月6日)のブログで説明したように、欧米がジンバブエに課した経済制裁、金融封鎖の結果です。上の文中に「there is a terrible shortage of petrol」とありますが、ジンバブエの石油資源はゼロなのです。ムガベ政権締め上げの手段としてアメリカが石油供給の凍結を思い付いたのは当然でしたし、世界銀行とIMF にとって、ジンバブエをインフレで苦しめることは赤子の手をねじるより容易いことでした。「I can tell you that the box was greeted with tears. ・・・」以下のおセンチな文章はドリス・レッシングの名に値する(deserve)文章とも思えません。
■ It is said that a people gets the government it deserves, but I do not think it is true of Zimbabwe. And we must remember that this respect and hunger for books comes, not from Mugabe's regime, but from the one before it, the whites. It is an astonishing phenomenon, this hunger for books, and it can be seen everywhere from Kenya down to the Cape of Good Hope.(碌でもない人民はそれにふさわしい碌でもない政府を持つと言われていますが、ジンバブエに就いては、それは当らないと私は考えます。そして、書物に対するこの敬いと飢えの気持は、ムガベの治世から来ているのではなく、その一つ前、つまり白人の治世に由来していることを我々は忘れてはなりません。この書物に対する渇望、これはまことに驚くべき現象であり、しかも、ケニャから遠く南の喜望峰にいたるあらゆる所で見受けられるものなのです。)■
貧しい黒人庶民の書物や教育への渇望が、きびしい黒人隔離と黒人独立抑圧の政策をとったイアン・スミスの白人政権のお蔭であることを憶えておくべきだというのは、まことにびっくり仰天の(astounding)発言ではありませんか。
 ドリス・レッシングの受賞講演は、ジンバブエの僻地の村落で日々の生活難と戦いながらも、本を読みたい、もっと学びたいという情熱を燃やし続ける若い黒人女性を想定したストーリーテリングの形をとって結語の部分に達します。大作家として、卓越したストーリーテラーとして成功した彼女は、そのジンバブエの若い女性に若い頃の自分を重ねて語っているのでしょう。以下は講演の結語の部分です。
■ The storyteller is deep inside every one of us. The story-maker is always with us. Let us suppose our world is ravaged by war, by the horrors that we all of us easily imagine. Let us suppose floods wash through our cities, the seas rise. But the storyteller will be there, for it is our imaginations which shape us, keep us, create us -for good and for ill. It is our stories that will recreate us, when we are torn, hurt, even destroyed. It is the storyteller, the dream-maker, the myth-maker, that is our phoenix, that represents us at our best, and at our most creative.
That poor girl trudging through the dust, dreaming of an education for her children, do we think that we are better than she is - we, stuffed full of food, our cupboards full of clothes, stifling in our superfluities?
I think it is that girl, and the women who were talking about books and an education when they had not eaten for three days, that may yet define us. (・・・。子供たちのための教育を夢見ながら、舞い上がる土ぼこりの中をしっかりした足取りで歩き去ったあの貧しい少女、一方、たらふく食事をとり、衣服で一杯のタンスの数々、要りもしない物を持ち過ぎて窒息しそうな我々、そんな我々が彼女よりもましだとお考えですか?あの少女、また、三日も何も食べていないのに書物と教育について語っていたあの女たちこそが、我々人間のあるべき姿を定義しているのではないかと、私は思うのです。)■
ストーリーテラー、つまり、小説作家というものに、また、生活苦にめげずひたすら読書と教育を求める人々に捧げる讃歌として、この結びの言葉は確かに感動的です。10年前の私でしたら、この心地よい感動を反芻するだけで満足したかもしれません。しかし今の私はチニュア・アチェベの目でコンラッドの『闇の奥』を読むことを学んだ人間です。アチェベがこのドリス・レッシングの講演を読んだ場合の反応も、ほぼ想像が出来ます。アチェベのガッカリ加減は私のそれより遥かに深刻でしょう。本多勝一の不朽不滅の二分法、殺す側/殺される側、を借用すれば、ドリス・レッシングは殺す側、チニュア・アチェベは殺される側にある作家です。どちらが正しいかの問題ではありません。感性の問題、視力の問題です。アパルトヘイト政策に反対したからといって、その作家は殺される側に属するということにはなりません。
 目先を少し変えましょう。以下の情報は(ル・モンド・ディプロマティック日本語・電子版2008年7月号)からのものです。ムガベに援軍を要請したコンゴ民主共和国大統領ローラン・デジレ・カビラは2001年暗殺され、息子のジョゼフ・カビラがあとを継いで現在に到っていますが、コンゴ民主共和国は鉱物資源の宝庫として知られていて、例えば、銅は世界第二の埋蔵量を誇っています。2002年以降、鉱物その資源価格は継続的に急騰を続け、銅の価格は、1トンあたり2003年には1178ドルだったものが、2008年3月には8438ドルに上昇しています。上掲のル・モンドの記事には「しかしながら、アフリカの国家、特に国民は、その恩恵にほとんど与っていない。資源に恵まれた國ぐにが、国連開発計画(UNDP)の人間開発指標で下位に位置していることはよくある。177カ国中ギニアは160位、アルジェリアは104位、国家収入の97.8%を石油輸出に頼るナイジェリアは158位止まりである。こうした状況下で、アフリカの資源産出国11カ国は、鉱山企業との契約を見直すことを決定した。1990年代以降、鉱山企業は民営化され、国家は少数株主にとどまるのが一般的となっていた」とあります。こうした記事から何を読み取るかで、読者が(殺す側)の感性を持っているか、(殺される側)の視力を持っているかの判定が出来ます。この5年間に銅の価格が8倍に跳ね上がったのに、コンゴの国民は、あいも変わらず、極貧のままに止まっていると知って「ああ又か。腐敗しきった黒人の権力上層が富を着服してしまうのだな」と思う人は(殺す側)の感性の持ち主です。一方、「1990年代以降、鉱山企業は民営化され、国家は少数株主にとどまるのが一般的」と知って「ああそうか。富はアフリカの外に吸い出されたのだな」と判ずる人は(殺される側)の感性の持ち主といえましょう。
 30年ほど前の読書経験に発した敬意を持ち続けてきたドリス・レッシングのノーベル文学賞受賞講演に、思いがけない驚きと失望を感じたことが契機となって、私がこれまで親しんできた二つの書評誌、New York Review of Books と London Review of Books、の筆者の中にも、結構、(殺す側)の感性の持ち主がいることに気が付くようになりました。LRB (3 July 2008) に英国女流作家 Jenny Diski の「Diary」を読んでみて下さい。ジンバブエではなく南アフリカについての記事ですが、この二つの國は強く関係しています。次のような書き出しです。:
■ When I was a student in the 1960s I wouldn’t shop in Sainsbury’s because they sold South African wine. After I married, my father-in-law in South Africa said: ‘You’ve got to live here before you can understand what Africans are like.’ I was shocked that anyone could talk about people like that. But I’ve grown to understand, now I’ve been living here. (1960年代、学生だった頃、私は、南アフリカのワインを売っているからという理由で、セインズベリーのスーパーでは買い物をしなかった。結婚したあと、南アフリカにいた義父が「ここに住んでみなきゃ、アフリカ人がどんな奴らか理解できないよ」と言った。人々についてよくもまあこんな言い方ができるものだとショックを受けたが、ここに住んでみると、それが理解できるまでに成長したようだ)■
いわゆる不買運動です。当時の“進歩的”な英国学生は、アパルトヘイト政策を実施している南アフリカ政府に抗議してこうした不買運動を展開したのです。残念なことに、この女性作家は大人に成長し、(殺す側)の感性を身につけるようになって行ったようです。このダイアリーを(殺される側)の感性で読むと、殆ど読むにたえない嫌な文章です。数頁のにわたる長さですので、ほんの一部を書き写します。ジンバブエをめぐる報道や論考に関連して、殺す側/殺される側という二分法の持つ意味に興味をお持ちの方はLondon Review of Books のホームページから容易に得られる全文を読んで下さい。ドリス・レッシングやジェニー・ディスキを含む英米の文学者が依然として抱いているアフリカをめぐっての感性がどのようなものであるかを知ることができます。「ディスキさんの感じ方、この何処がわるいのかしら」とあなたが思うとすれば、あなたは、私の言う、“殺す側”の人という事になります。Kirstenbosch (キルステンボス) はケープタウンにある壮大な国立植物館で英国植民地時代に創設されました。
■ I spent the afternoon at the botanical gardens in Kirstenbosch with Moira, a friend of a friend. She was in her late sixties, had grown up in southern Africa, raised her own family in Cape Town, all the while disapproving of apartheid. After the change of government, she taught nursery-aged black and coloured children of returnees from exile, in an impoverished part of town. ‘The country is being ruined by the greed and resentment of the Africans,’ she said as we had lunch. ‘They’ve got bad values ? which is the result of cultural collapse because of the loss of traditional structures, but then again, cheating is the nature of Africans.’ She told me a ‘true’ story from a Zimbabwean farmer friend of hers, who got it from a friend of his, about an Englishman working as a foreman for a black landowner, who asked him: ‘How come you never cheat me?’ The Englishman, surprised, said: ‘Well, I’m just an honest man.’ The landowner roared with laughter. ‘We have always been cheats. That’s the only way to get rich.’ Moira explained that the character of the Trickster appears in all the traditional African stories. ‘They don’t have tales about kings and queens and heroes.’ She was adamant about this, though I suggested that the Trickster appears in some form or other in most traditions.■

藤永 茂 (2008年8月13日)


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ジンバブエをどう考えるか(3)

2008-08-06 10:39:25 | 日記・エッセイ・コラム
 この11月のアメリカ大統領選挙にグリーン党からシンシア・マキニーという生きのいい黒人女性が立候補しています。前回で取り上げたS.494[The Zimbabwe Democracy and Economy Recovery Act.(ジンバブエの民主主義と経済を回復する法律)]がアメリカ議会で審議された時、マキニーは敢然と反対を唱え、声高に賛意を表明する大多数の議員に、「今問題になっているジンバブエの土地を問題の人たちがどのようにして手に入れたか、誰か説明してくれませんか?(Can anyone explain how the people in question who are now have the land in question in Zimbabwe got title to the land?)」と挑戦しました。「問題の人たち」とはジンバブエの農地の80%を所有する全人口の僅か2%の白人たちのことです。勿論、満場寂として声なく、あえて彼女の問いに答えようとする議員は一人もありませんでした。そこで彼女は自ら解答を与えます。:
■ Those who knew did not admit the truth and those who didn’t know should have known ? that the land was stolen from the indigenous peoples through the British South Africa Company and any ‘titles’ to it were illegal and invalid.(その土地はイギリス南アフリカ会社(BSAC)を通じて先住民たちから盗み取ったものであり、したがって、その土地のいかなる‘所有権’も不法で無効なものであるという真実、この真実を知っていた人々はそれを認めようとしなかったが、知らなかった人は前もって知っておくべきであったのです。)■
セシル・ローズが設立したBSACが奸計と武力でローデシア(今のジンバブエ)の土地を収奪した事情については拙著『「闇の奥」の奥』に略述しました。大戦後アフリカに黒人国独立の気運がみなぎる中、ローデシアの白人たちは、時の流れに逆らって,1965年、白人国ローデシアの独立を宣言しましたが、元の宗主国イギリスを含めて、世界のどの國も、アパルトヘイトを国是と掲げる白人国ローデシアの独立を承認せず、国内では人口の98%を占める黒人が反抗闘争に立ち上がって、1980年、黒人国ジンバブエとして独立を果たし、英米を含む世界各国から承認されたのでした。週刊朝日のいうムガベの“善政”時代の始まりです。ローデシアでは、全人口の2%を占める白人たちが“個人”として農地の80%の所有権(タイトル)を持っていましたから、この農地の接収とその補償は新しく独立したジンバブエとして最大の国内問題でした。詳しい経過は省略しますが、要するに、独立からの約20年間、英米の責任回避とムガベの“善政”、つまり、融和漸進政策をよいことにして、この白人たちは傲慢な居直りを続けました。1990年代後半から、過激な黒人農民による白人所有農地への不法侵入、不法占拠が始まったのも当然でした。シンシア・マキニーの言う通り、先住民(黒人)の視点に立てば、白人たちこそがジンバブエの土地に不法侵入し、不法占拠し続けていたのですから。
 2001年12月に成立した問題の法律S.494[The Zimbabwe Democracy and Economy Recovery Act.(ジンバブエの民主主義と経済を回復する法律)] が、欧米の気に入らないマルクス主義者ローラン・デジレ・カビラのコンゴ政府に援軍を送り(1998年)、国内ではとうとう白人農地の強制接収を開始した(2000年)ジンバブエのムガベ政府に対する、懲罰制裁を目的とする立法であったことは、上の黒人女性議員シンシア・マキニーのシンボリックな反対発言に加えて、当時のアメリカ駐在のジンバブエ大使Simbi Mubakoの抗議発言を読めば、明白です。ムバコ博士がS.494の成立の1ヶ月半後にワシントンD. C. にあるアメリカのシラー協会で行った講演の一部を引用します。週刊朝日の記事(前回、前々回に引用)と読み比べると、興味深い裏が取れます。
■ There has been a veritable media blitz on Zimbabwe by the Western powers in the last three years. Yet for the previous 19 years, the West showered endless praises on Zimbabwe and its President, as a beacon of stability and democracy in Africa. Zimbabwe won many international awards for its advanced agriculture and economic management. American universities awarded President Mugabe several doctorates, adding to his own six very good degrees in education, economics, law and international relations. Now suddenly, the West condemns the country, and portrays Mugabe as a leader who has developed the horns of a demons, and a tail. He is called a tyrant, a thief, and a corrupt monster, with all the epithets that the West heaps upon Third World leaders. (過去3年間、欧米諸国メディアの文字通りの電撃作戦がジンバブエに対して行われて来た。しかも、その前の19年間には、欧米は、ジンバブエとその大統領に対して、アフリカの安定と民主主義の輝ける先導の光として、際限のない賞賛を浴びせ続けて来たのだ。ジンバブエはその進歩的な農業と経済の運営に対して数多くの報賞を獲得した。ムガベ大統領自身の持つ教育、経済、法律、国際関係の歴とした学位に加えて、アメリカの諸大学は彼にいくつかの博士号を授与した。ところが、今になって、突然、欧米はジンバブエを非難し、ムガベを、悪魔の角と尻尾を現してきた指導者として描いている。彼は暴君、盗賊、堕落したモンスターと呼ばれ、欧米が第三世界の指導者の上に積み上げるあらゆるののしりの渾名を与えられている。)■
ムバコ博士がここで述べている事柄は、誰でもその気になれば、歴史的データとして確認できる事実です。ムガベが角と尻尾を隠していた悪魔であったかどうかには全く関係なく確認できる事実です。門外漢の私には、S.494[The Zimbabwe Democracy and Economy Recovery Act.(ジンバブエの民主主義と経済を回復する法律)]に関するこれら一連の事実を確かめるのに、いささかの時間と努力を要しました。しかし、今は、2000年前後にジンバブエをめぐって生起した激変は、ムガベが突然悪魔に変貌したことに由来するのではなく、主にアメリカと英国の対ジンバブエ政策の急激な変化に由来することを確信しています。もしこの私の確信が正しいとすれば、週刊朝日の記事は、一般の読者にとって、百害あって一利なきものと結論せざるをえません。ジンバブエの「Regime Change(政権変化)」を欧米が決意した時点が、まさにこの「激変」の転回点であったのですから。
 勿論、私のジンバブエ論はここで終るわけには参りません。このシリーズの第1回『ジンバブエをどう考えるか(1)』(2008年7月23日)の冒頭に書いたように、ムガベと彼のジンバブエについて、これまで私が一応の信頼を置いてきた、あるいは、信頼して良さそうに思われる人々の多くが、極めてきびしい批判的見解を発表しているという現在の状況が存在します。それらの非難の何処までが真実であり、何処までがムバコ博士の言う「a veritable media blitz on Zimbabwe by the Western powers」に属するものであるかを、注意深く見定めなければなりません。

藤永 茂 (2008年8月6日)


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