私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

エルサレムのフランシスコ教皇

2014-05-28 23:20:16 | 日記・エッセイ・コラム
 以前のブログ『ホセ・ムヒカ(Jose Mujica)』(2013/12/03)で貧者大統領ホセ・ムヒカが「人として私は教皇に対して甚大な敬意を抱いている」と言ったことを書きましたら、それに関していくつかコメントを頂いたので、下記のように返事を書いておきました。:
■ 「おにうちぎ」さんと「一読者」さんから、フランシスコ教皇の正体については、もう少し用心深く考えたほうがよいのではないかという示唆を頂きました。たしかに、教皇就任のはじめから数多くの批判的な記事を目にして来ましたし、私のような立場の者が簡単に正しい結論に達することが出来るとは思っていません。しかし、教皇が極端な消費文化と貧富の差について声を高くするという現象は、それ自体として、大変興味深いものがあると考えます。アッシジの聖フランシスは裕福な親が着せてくれた衣類を投げ捨てて素っ裸の姿で出家しました。今の教皇がその真似をしてくれればよいのですが。■

 去る5月25日(日)、フランシスコ教皇はまず聖地ベツレヘムに足を運び、イスラエルが構築した威圧的な分離壁のパレスチナ側を訪れ、“アパルトヘイトの壁”と大きく落書きされたコンクリートの壁に掌を当てて、祈りを捧げました。この出来事については、数多くの報道や論説がありますが、ガーディアンの記事とJonathan Cookの論説を掲げておきます。

http://www.theguardian.com/world/2014/may/25/pope-francis-israeli-separation-wall-bethlehem

http://dissidentvoice.org/2014/05/palestinian-christians-need-a-political-pope-too/

今度のフランシスコ教皇のパレスチナ/イスラエル訪問で、私が直ぐに思い出したのは、今から約800年前に聖フランシスコ(アッシジの)が第5次十字軍(1218-1221)に参加して、全く無謀にも身を挺して敵陣に赴き、和平を実現しようとしたという史実(かなり伝説的に潤色されているのでしょうが)です。私が人間としてのアッシジの聖フランシスコのファンであることは既に申し上げました。十字軍とはイスラム教勢力の支配下にあったキリスト教の聖地エルサレムをヨーロッパのキリスト教諸国が奪還しようとした一連の軍事行動です。アッシジの聖フランシスコが敵陣に乗り込む決心をしたのは1219年8月29日の朝ということになっています。和文のネット上には適当なソースがないので、武田友寿著『聖者の詩?わがアッシジのフランシスコ』の204頁以降から引用させて頂きます。:
■ 彼はともかく、平和の道を望んだのである。まず彼は敵陣に乗りこみ、スルタン=アル・カーミルに会う。(藤永註:アル・カーミルは極めて面白い人物です。)つまり、コーランを高くかかげる敵中に福音書をたずさえて踏み入ったのである。前代未聞の暴挙であり、死を恐れぬ蛮勇である。実際、伴の二人の弟子は敵の兵士に暴行を加えられ、フランシスコは鎖につながれ、アル・カーミルの宮廷に引き出された。コーランと福音書の功徳について討論したがっているアル・カーミルの陪臣がいたために命拾いをしたらしい。
 ともかくスルタン=アル・カーミルは両者の議論が殺風景な戦場でひとつの気晴らしになると判断し、高みの見物ときめた。このあとには面白いエピソードがつづく---。十字架の踏み絵である。踏めばキリストの冒涜、踏まなければスルタン=アル・カーミルへの忠誠の拒絶。フランシスコは絶体絶命の状態に追いつめられる。これに対するフランシスコの態度は? ---- オ・エングルベールの本からそのまま借りることにしよう。
「カルワリオ山上にはそれぞれ異なった十字架、すなわち、キリストの十字架とふたりの盗賊のがあったことをあなたはご存じのはずです。この第一の十字架は私たちのものですから、私たちは拝礼します。ほかの十字架は喜んであなたがたの自由に任せます。それを地上にまき散らすのがお望みならば、どうぞそうしてください。私たちは、その上を踏み歩いても良心のかしゃくは受けないのです」
 アル・カーミルは、これは面白いことをいう人間だ、と思っただろう。<たちまちこの小さき貧者に生き生きとした友愛を感じ、自分の所にとどまるように>フランシスコに申し入れた、とこの伝記作家は書いている。■
 カルワリオ山とは普通ゴルゴダの丘と呼ばれる所と同じで、キリストが十字架に磔になって死んだ場所です。スルタン=アル・カーミルに対するフランシスコの答えは、我が一休さんの頓知を思わせます。武田友寿さんも「なんとも爽やかで自由なユーモアである」と書き、また「それは十字架の踏絵のフランシスコらしい解釈である」とも、「フランシスコ自身は、烈火も恐れぬ殉教精神を生きたわけだが、殉教をただ画一的に考えてはいず、弟子たちにそれをすすめることはしていない」とも指摘されています。九州の殉教者たちが聖フランシスコの「踏絵論」を知っていればよかったのに。
 この聖フランシスコの十字軍参加の逸話に絡むスルタン=アル・カーミルとキリスト教側の神聖ローマ皇帝のフリードリヒ二世、この二人の人物の話も興味津々です。彼らは、いま世界を無茶苦茶にしている政治家たちに較べると、英語で言う、a cut above な人たちだったようです。

藤永 茂 (2014年5月28日)


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小保方問題(科学論の迷走)(2)

2014-05-21 21:33:15 | 日記・エッセイ・コラム
 「ボルティモア事件」について何か書きたいと思う人は、前回のブログに引いたDaniel J Kevles の著書:
THE BALTIMORE CASE A Trial of Politics, Science, and Character』(1998)
をお読み下さい。副題に「政治、科学、登場人物の試練」とあるのは、この科学論文捏造事件の本質を性格づけるのに真に適切です。先ずはポリティクス、次にサイエンス、そしてキャラクター、この順序にも意味が込められています。重要な学問分野であるべき科学知識社会学(SSK, Sociology of Scientific Knowledge)のまことに不幸な迷走については、前回のブログでも取り上げました。「小保方問題」は医療産業用の科学知識の生産にかかわる社会学的あるいは政治経済動力学的な対象として扱われるべき問題であり、「ボルティモア事件」ではっきり見ることができるように、政治(政治家)がしゃしゃり出てくるのは、何処かの誰かに「金の卵」を生ませるために公的資金(つまり税金)が支出されるので、それを受け取った側が「金の卵」ではなく、捏造論文を産み落としては困るからに他なりません。一方、読者の下司な興味にアピールする売れる記事を書きたいジャーナリストはキャラクター(人間模様)に焦点を合わせますから、科学論そのものはおろそかになってしまいます。ところが、科学研究における“欺瞞”、“捏造”、“不正”の根本的原因は、科学的発見の生態そのものに潜んでいるのです。
 『THE BALTIMORE CASE A Trial of Politics, Science, and Character』の冒頭に次のようなアインシュタインの言葉が掲げられています。:
■ Science as something already in existence, already completed, is the most objective, impersonal thing that we humans know. Science as something coming into being, as a goal, is just as subjectively, psychologically conditioned as are all other heman endeavors. (Albert Einstein Address, 1932)
(すでに存在するもの、もう出来上がってしまったものとしての科学は、われわれ人間の知る限りの最も客観的な、非個人的なものですが、今から出来上がろうとしているもの、一つの目標としての科学は、人間がやり遂げようとする、他のすべての努力目標と全く同じで、主観的に、心理的に左右されるものです。)■
つまり、科学者共同体(scientific community)の中で揉みに揉まれた末に決着した科学的結論は最高にimpersonalな客観的なものだが、科学的発見のプロセスと、それによって発見される知識は、人間が追求する他のすべての目標と同じく、主観的なpersonalなものだ、とアインシュタインは言っているのです。始めは個人的な知として発想発見される科学知識と、結局は、客観的で非個人的な知識として落着する科学知識とを結ぶ大きな弧を、自己の研究活動の経験に照らして、科学哲学的に初めて的確に捉えたのは、マイケル・ポラニーでした。彼の主著『Personal Knowledge Towards a Post-Critical Philosophy 』(1958);長尾史郎訳『個人的知識---脱批判哲学をめざして---』(1985年)
のタイトルは彼の科学論の重点を顕示しています。マイケル・ポラニーは「Tacit Knowledge (暗黙知)」という概念の提唱者としても知られていますが、ここでは、彼を論じることは差し控えておきます。論じるとなれば、クーンの『科学革命の構造』(1962年)がマイケル・ポラニーに多くを負っているにも関わらず、クーンが然るべき謝辞を述べていないという、プレイジャリズム(plagiarism、剽窃、盗用)の問題を避けて通れませんし、これに連関して、クワインやローティといった著名な哲学者たちが、ポラニーの「個人的知識」をよく理解できなかったことにも言及しなければなりません。
 自然現象に関する知識が、ポラニーがいう意味の「個人的知識」に停留する期間が結構長く続くことがあります。「常温核融合(cold fusion)事件」はその典型例の一つです。1989年、英国の化学者マーチン・フライシュマン教授とその弟子で米国の化学者スタンレー・ポンズ教授は、米国のユタ大学の実験室で、重水を電気分解のガラス容器に入れ、パラジウムとプラチナを電極として電流を流したところ、電解熱を超える量の熱(過剰熱)が発生することを観測して、重水素二つが融合してヘリウム原子が出来る核融合反応が電解容器の中で起ったものと判断し、同年3月、マスメディアに向けて発表しました。それから先の大騒ぎについては、記憶している人々も多いでしょう。物理学者一般の反応は「そんな事はあり得ない」の一語に尽きました。二つの重水素原子核を融合(核反応)させるために必要なエネルギーと、例えば、二つの重水素原子の結合(化学反応)に関係するエネルギーとでは、月とスッポンというか、天と地というか、まるっきり桁が違います。水素核爆弾と火薬爆弾の違いです。当時、東京大学学長だった原子核物理学者有馬朗人さんは「もし常温核融合が真の科学的現象ならば、私は坊主になる」と言ったそうです。その後、日本でも米国でも政府系機関が公式に実証検査を行ない、過剰熱の発生は確認できないという結論を出したまま今日に及んでいます。
 しかし、大多数の意見に従わない異端の物理学者もいます。ジュリアン・シュヴィンガーとブライアン・ジョセフソンという大物もその少数派に属します。ジュリアン・シュヴィンガー(1918年??1994年)は朝永振一郎とリチャード・ファインマンと共に「量子電磁気学」の仕事で、1965年、ノーベル物理学賞を受賞しました。その弟子から4人のノーベル賞受賞者を出した優れた教師でもありました。フライシュマン/ポンズの実験に対するシュヴィンガーの反応は素早く、1989年の8月にアメリカ物理学会の機関雑誌Physical Review Lettersに“Cold Fusion: A Hypothesis”と題する論文を投稿したのですが、にべもなく掲載を拒絶され、この件に関する物理学会の対応に腹を据えかねたシュヴィンガーはアメリカ物理学会そのものを脱会してしまいます。彼の興味は、フライシュマン/ポンズの実験の正否を論じることではなく、パラジウムの格子構造のような原子(化学)のレベルの凝縮物質系で局所的に核反応のオーダーの高エネルギーがやり取りされるメカニズムがあり得るかどうかを考えてみることにありました。そして、彼のhunch は「あるかもしれない」という肯定的な側にありました。しかし、高温核融合(Hot Fusion)専門の物理学者たちは頭からその可能性を否定し、シュヴィンガーの論文を却下してしまったのでした。アメリカ物理学会から脱会するにあたって、彼は次のように言ったと伝えられます。
■ "The pressure for conformity is enormous. I have experienced it in editors' rejection of submitted papers, based on venomous criticism of anonymous referees. The replacement of impartial reviewing by censorship will be the death of science." (権威への順応の圧力は法外の大きさだ。私はそれを投稿した論文が編集者によって拒否されたことで経験した。その拒否は匿名のレフェリーの悪意に満ちた批判にもとづいたものであった。公正な審理が検閲に取って代わられるのは科学の死を意味しよう。)■

http://samjshah.bol.ucla.edu/Schwinger.pdf

シュヴィンガーは亡くなる三年前の1991年12月7日に、東京で常温核融合についての興味深い講演を行いました。それは“Minasama. Ladies and Gentlemen”に始まり、“Domo arigato gozaimasu. Thank you very much.”で終わっています。彼は日本での常温核融合研究の成果に期待をかけていました。

http://www.lenr-canr.org/acrobat/SchwingerJcoldfusiona.pdf

 ジョセフソン効果で知られるブライアン・ジョセフソンも常温核融合の現象の存在を信じる異色の物理学者です。1973年には33歳でノーベル物理学賞を江崎玲於奈博士と同時に受賞しました。シュヴィンガーと同じく、彼もまたパラジウムのような凝縮物質系内で何が起こりうるかについての物理学者の知識はまだ十分でないと考えているのでしょう。科学研究についてのジョセフソンの考え方もシュヴィンガーのそれと似通っています。彼のホームページに次の言葉があります。:
■ One of my guiding principles, also, has been the scientist's motto 'Take nobody's word for it' (nullius in verba), a corollary of which is that if scientists as a whole denounce an idea this should not necessarily be taken as proof that the said idea is absurd: rather, one should examine carefully the alleged grounds for such opinions and judge how well these stand up to detailed scrutiny. (私の行動原理の一つも、また、(王立協会の掲げる)科学者のモットー‘nullius in verba (言葉によるな、権威者の言葉に頼るな)’であり、それから結果する当然の考え方は、科学者たちが全体として一つのアイディアを非難したとしても、そのアイディアが馬鹿げているという証拠だと必ずしも取るべきではなく、むしろ、そうした見解の主張の基盤を注意深く検討して、それらが精査にどれだけ良く耐えるかを判断すべきだ、ということです。)■
 1993年、核物理学者John Huizengaは『Cold Fusion: The Scientific Fiasco of the Century』を出版しました。直訳すれば「常温核融合:世紀の科学的大失態」ですが、和訳本は、青木薫訳『常温核融合の真実―今世紀最大の科学スキャンダル』(1995年)です。どちらがより残酷とも言えない厳しい言葉使いです。しかし、これは、核物理学者ホイジンガーの自信過剰からの勇み足であったと思います。シュヴィンガーにもジョセフソンにも、常温核融合を説明する理論の成算があったわけではありませんが、自然現象の懐の深さについての畏敬と、それに、フライシュマンとポンズが何かに出会ったのでは、という直感に恵まれていたのです。満足な理論的説明がなくても確かに存在する自然現象はあります。高温超伝導現象が近頃の一例です。
 私は、数年前から、もう一つのブログのシリーズ『トーマス・クーン解体新書』を書いています。トーマス・クーンの科学論を批判し、その解毒を試みていますが、シュヴィンガーもジョセフソンも、クーンにとって、重要な科学論的意味を持っています。ですから、それについては、『私の闇の奥』から『トーマス・クーン解体新書』に場所を移して議論を拡大しようと思います。しかし、このブログ記事「小保方問題(科学論の迷走)」を閉じる前に、科学論者やマスコミが取り上げない本物の科学的不正行為の例を、思いつくままに、二つだけ簡単に指摘しておきたいと思います。
 一つは、ハイチで震災後コレラが発生し、数千人が犠牲になった時、ハーバード大学などの科学者たちがワクチンを大量に使用する方針を採択し、貧民大衆の生活地区の上下水道の整備を求める声を圧殺排除しようとした事件です。これらの科学者は、自分が何を何ゆえにやっているかについて明確に認識していた“確信犯”でした。ワクチンの製造業に手を貸したのでした。こうした科学者たちの行為こそ“scientific frauds (科学的欺瞞、不正行為)”の名に値します。
 もう一つ、ぐっと身近な例を挙げましょう。トクホ(特定保健用食品)として消費者庁長官の許可を受けて、保健の効果の‘科学的’裏付けを表示することが出来る食品以外のものでも、売り上げを伸ばす目的で、‘科学的’説明を表示することができるようになる、というニュースを目にしました。米国では既にそうした制度になっています。しかし、もともとトクホに限るとしても、保健効果の科学的裏付けは全く不十分です。つい最近のマルチ・ビタミン剤をめぐる騒ぎが示すように、要は、商業的な儲けの問題です。売り上げの伸張に何故白衣の科学者が引っ張り出されてくるのか? この問題を取るに足らない陳腐な問題だと考える科学論論者、とりわけ、科学知識社会学の専門家たちには、科学者の不正行為を論じる資格はありません。

藤永 茂 (2014年5月21日)


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小保方問題(科学論の迷走)(1)

2014-05-14 21:44:39 | 日記・エッセイ・コラム
 週刊誌には滅多に目を通さない私ですが、先頃発行の週刊現代の広告で「小保方問題」の大きな特集があることに気を引かれて読んでみたものの、科学論、科学者論としての内容の浅薄さと幼稚さに驚かされました。目次は次の通り:
********************
ぶち抜き巻頭大特集
大激論  だから日本の理系はダメなんだ!
「世間知らず」「社会性ゼロ」「女に弱い」---世界の科学者たちが嘲笑っている
第1部 小保方晴子ひとりにやられた理研のダメ男たちへ
第2部 彼らを経営者や管理職にしてはいけない
第3部 密室の研究室で実は何をやっているのか
第4部 勉強はできても、ちゃんとした大人にはなれなかった
第5部 「小保方事件」科学者たちの反省と反論
********************
この目次を眺めただけでも約10頁におよぶ“大特集”のレベルの見当がつきます。その第4部の見出し「勉強はできても、ちゃんとした大人になれなかった」を借用して「週刊誌の記事書きはできても、ちゃんとした大人になれなかった」と評してよさそうです。
 ここに見られる科学論、科学者論の迷走の原点は、約50年さかのぼって、スノー(C. P. Snow)の『二つの文化(The Two Cultures)』(1959年)やクーンの『科学革命の構造』(1962年)あたりにあると思われます。『二つの文化』でスノーは、理系の人間は文学芸術に無頓着であり、文系の人間は自然科学について余りにも無知であると、高い所から叱るような調子で断じました。ウィキペディアから少し引用させて貰います。:
■「二つの文化」とは、現代において世界の問題の解決に貢献してきた"自然科学"と"人文科学"を指す。そしてスノーは、「二つの文化」の間でコミュニケーションが成り立たなくなっていることを指摘している。特に、多くの科学者がチャールズ・ディケンズを一度も読んだことがない、芸術家は等しく科学的な事柄に無頓着である、といった、世界の教育の質の偏りを強調している。彼は次のように書いている。
私はよく(伝統文化のレベルからいって)教育の高い人たちの会合に出席したが、彼らは科学者の無学について不信を表明することにたいへん趣味をもっていた。どうにもこらえきれなくなった私は、彼らのうち何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は「あなたはシェイクスピアのものを何か読んだことがあるか」というのと同等な科学上の質問をしたわけである。もっと簡単な質問「質量、あるいは加速度とは何か」(これは、「君は読むことができるか」というのと同等な科学上の質問である)をしたら、私が彼らと同じことばを語っていると感じた人は、その教養の高い人びとの十人中の一人ほどもいなかっただろうと、現在思っている。このように現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていないのである。■
スノーは大学で物理学を学んだ後、英国政府の科学技術系の官僚として高い地位につき、他方では、大量の小説を書いて、文人としても有名になりました。『二つの文化』では「俺は文理両方の文化に通じているのだ」という自負が鼻につきますが、上の短い引用からも、彼は、理工系の知識の重要さを説き、それを余りにも欠く文系をより強く叱る姿勢を取ったことが窺えます。『二つの文化』をめぐっては激しい論戦が展開されました。その中心は有力異色の英文学者リーヴィス(Frank Raymond Leavis)がスノーに対して放った痛烈な(ad hominemな)批判でした。「理系の知と文系の知」の断絶の問題よりも、スノーの知性そのものを問題にした語り口でした。「彼は小説家として存在しない」と言い放って文学者としてのスノーの価値を頭から否定し、さらに、物理学そのものもスノーの精神にとってどれだけ本質的な意味を持っているかを疑ったのでした。この峻烈なスノー評価は、いま振り返れば、見事に的中していました。今日では奇特な英文学史研究家ででもなければスノー生前の“大作”小説群を読む人は皆無でしょう。(当時は週刊誌的興味から読まれましたが。)彼の最後の著作『The Physicists』(ノンフィクション、1981年)には、スノーが物理学を、とりわけ、量子力学をしっかり勉強していなかったことを示す痛々しい失言が含まれています。
 スノーの『二つの文化』は文化論ではありません。科学技術が産み出す金の卵がもっと欲しいというだけのことです。この欲求のまわりに国家も企業も、そして、個人も纏わり付きます。この本質的問題を別の疑似問題にすり替えてはなりません。今度の「小保方問題」を、それに関係する科学者個々人の倫理性の問題にすり替えては、見通しがきかなくなります。科学論、科学者論として迷路に入ってしまいます。
 クーンの『科学革命の構造』は、スノーの『二つの文化』よりももっと深刻な様相で、科学論を迷路に導きました。クーンの自然科学論を真に受ければ、科学技術の特許とか産業スパイの存在が説明不能になります。
 常識では、自然界というものがあって、私たちが居るか居ないかに関係なく起る(あるいは過去に起った)自然現象(事実)があり、自然の法則(真理)があると考えます。人間が地球上に表れる前に恐竜たちが居たのは事実だと思っていますし、魔法のようなスマホの働きを可能にしている電波や電子は、見ることも触れることも出来ないけれど、スマホがこれだけ素晴らしく確実に作動するからには、実際に存在するに違いないと思っています。この、ごく当たり前の考え方を、哲学では(科学的)実在論と呼びますが、クーンは『科学革命の構造』で、実在論が正しいことを論証することは不可能だとして、反実在論を唱えました。裸の自然現象(事実)というものはなく、ただ自然現象の解釈があるだけであり、二つの異なった解釈がある場合には、そのどちらを採用するかは、それぞれの解釈を支持する科学者集団(科学者共同体、scientific communities)の話し合い、あるいは、競争によって決着が着けられるとしました。『科学革命の構造』のこのような主張から生まれた「科学知識の社会学(SSK, Sociology of Scientific Knowledge)」という人文科学の分野があることを、おそらく、今回の週刊誌特集記事の記者さん方はご存じないと思います。科学論のこのSSK分野のスターの一人は「自然界は、科学的知識の構成に、小さな役割しか、あるいは、何らの役割も、果たさない(The natural world has a small or non-existent role in the construction of scientific knowledge)」と言い、クーン的思考と深い関係にあるポストモダン文学論の旗手の一人は「物理法則は野球のルールを作るのと同じように作られる」と発言して、ともに有名になりました。そして、「理系の知識は文系の知識より堅固(ハード)で優れているものではない」ことを強調するこうした科学論は、文系の浅薄な人々の間で大いに歓迎され、不幸にも、スノーの『二つの文化』スタイルの浅く不毛な文理間いがみ合いの繰り返しということを超えた害毒をもたらしました。それは、ハードな自然科学的知識、科学技術的知識の生産という極めて重要な社会的現象の社会学的研究(Sociology)の真の発達を阻害し迷路にみちびいたことです。こうした知識の生産が人間社会の動向に密接に支配されていることは、その国家戦略や企業戦略への組み込みの形で、我々の常識になっていますが、SSKに象徴される理科系の知識の社会学は、この常識の然るべき社会学的分析の仕事の進展を阻害してしまいました。自然界にはハードな事実があり、人間がそれを知ることが出来るということは、その知識が人間社会の為になるかどうかの議論以前の認識でなければなりません。科学技術の特許の対象になるのは「こうすれば、こうなる」というレシピのような固い事実です。産業スパイの対象になるのもハードな事実の知識です。そうでなければ危険を冒してスパイする意味がありません。
 科学論の混迷についてのミニマムの復習をしましたから、科学論文に関する不正行為の問題に戻ります。今度のことで直ぐに思い出したのは過去の二つの論文“捏造”事件でした。二つともアメリカで起りました。論文が報じた発見(自然界についての新しい事実)が本物か本物でないかの問題よりも、それをめぐって繰り広げられた余りにも人間的な、社会的なドラマ(トラジコメディー)の方が人々の耳目を集めました。一つは1986年に起った「ボルティモア事件」、もう一つは1989年の「常温核融合(cold fusion)事件」です。
 まず村上陽一郎氏による「ボルティモア事件」の簡単な説明を学術誌『蛋白質 核酸 酵素Vol.48 No.6 (2003)』の特集
“DNA二重らせん構造の半世紀 科学は変質したか”
から引用させて貰います。:

■ ボルティモア事件というのは、ライフサイエンス学界の大立者、1975年発がんウイルスの研究でノーベル賞を受賞したD. ボルティモアの研究室で、主宰者の彼自身をも巻き込んで起こったスキャンダルである。1986年4月25日発行のCell誌上に発表されたグロブリンを巡る論文は、ボルティモアを含めて六人の著者の共同執筆の体裁をもっていた。実際上の論文作成 のためのデータ取り扱いの責任者は、最後に名を記載されているテレサ ・イマニシ・カリという研究者であった。この論文の基礎データが捏造されたものであることが、同じ研究室内のマーゴット・オトゥールによって告発され、下院議員ディンゲルの委員会での調査にまで発展した。紆余曲折はあったが、ボルティモアは結局この論文を取り下げ、また1991年ロックフェラー大学の学長を辞任するところへ追い込まれた。この事件はデータの捏造だけでなく、告発者に対する不当な扱い、あるいは政治家が関与したことに対してボルティモアがとった一連の反撃活動などが、彼の高かった評判を堕しめたのだった。■
村上陽一郎氏の「ボルティモア事件」の説明はここで終わっていますが、実は重要な後日譚があります。アメリカ政府の保健福祉省(HHS)が公式にテレサ ・イマニシ・カリが実験データの改竄捏造の疑いで告発したのは1991年、1994年には科学研究の論文作成に19の件について不正が行なわれたという断定を下し、彼女には今後10年間研究費を与えないようにという勧告をしたのですが、その後にまた再審査が始まり、その結果、1996年6月になって、19件のすべてについて「不正の証拠は全くなかった」というドンデン返しの最終判定が下され、彼女に通告されたのです。その直後、彼女は元のタフツ大学の助教授に復帰し、1997年にはテニュアのある准教授の地位に昇進しました。一方、1991年ロックフェラー大学の学長を辞任したボルティモアは、1997年、名門カリフォルニア工科大学(キャルテク)の学長として迎えられ、2005年までその地位にあり、その間、大統領クリントンやロックフェラー大学などから各種の栄誉を受けました。「ボルティモア事件」については、カリフォルニア工科大学の人文系の教授で科学史家として著名な Daniel J Kevles の決定的著作(509頁、1998年)があります。:
THE BALTIMORE CASE A Trial of Politics, Science, and Character』

 この“科学論文不正事件”の渦中の女性科学者テレサ ・イマニシ・カリのことをもう少しお話ししましょう。Thereza Imanishi-Kari、彼女はブラジルへの日本人移民家族の娘で、両親はサン・パウロ市に近い田舎町の小作人農家でしたが、やがて小規模の運送業にも手をつけました。テレサは学校での成績が良く、両親は彼女をサン・パウロ市の高校と大学に進学させ、さらに、祖父は彼女の日本への留学を支援して、1968年、テレサは学園紛争の最中の京都大学の大学院に入学しますが、もっと静かな学問環境を求めてフィンランドのヘルシンキ大学に移り、1974年、免疫学の分野で学位を取り、フィンランド人の建築家Markku Tapani Kari と結婚しました。その分野の研究で名をあげたテレサは、1981年、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)の助教授の地位に就くことが出来ました。「ボルティモア事件」はそれから5年後の1986年の出来事でした。不正行為の汚名が完全に拭われたのは1996年、その間の10年はまさに悪夢の連続の日々であったでしょう。
 テレサ・今西= カリを裁いて罰を与えたのは、公式には、アメリカの保健福祉省(HHS, Department of Health and Human Services)内の機関である科学公正局(OSI, Office of Scientific Integrity)で、この局は、おそらく「ボルティモア事件」の騒ぎを受けて、1986年に設立され、1992年には更に機能を強化拡大して研究公正局(ORI, Office of Research Integrity)となりました。10年の悪夢が終わった時、テレサ・今西= カリは政府(HHS)に対して多額の損害賠償金を要求できる立場にありましたが、その気があるかどうかを尋ねられて、彼女はきっぱりと否定し、その後、多くの科学的業績をあげ、多数の論文を出版しました。
 「ボルティモア事件」のそもそもの発端は、MITで今西助教授がその研究室のポストドックとして1985年に採用したアイルランド人女性Margot O’Toole が(あとで問題となる)今西助教授の研究論文に報告されている実験結果を自分の手で再現できず、今西助教授(の前共同研究者)の実験ノートを覗いてみたら、その実験についてのちゃんとした記述が見当たらないので、これは実験結果の捏造だとして内部告白の声を上げたことに端を発しました。直接の上司とその後ろ盾の大ボスの権威に屈せず、科学研究の不正行為を糺した勇気ある女性として、マーゴット・オトゥールはボストン倫理協会やアメリカ化学会から倫理賞を受賞しました。一方、テレサ・今西=カリさんは、もともと几帳面な性格ではなく、英語でよく言う sloppy な面があって、研究ノートをしっかりと書いていなかったことが大変な災いをもたらしました。しかし、私など古参の科学研究者の感覚からすれば、研究ノートというものは将来のための護身用の記録などではなく、自分のための備忘録以上の何物でもなかったのです。
 先日の朝日新聞の書評「ニュースの本棚」で研究倫理とは何かが論じられ、「過去に起きた研究不正事件を知ることは、研究者に求められる倫理とはどういうものなのかを具体的に考えて行く上で参考になる。入門書としてはウィリアム・ブロード&ニコラス・ウェイド著、牧野賢治訳『背信の科学者たち』(講談社ブルーバックス)がお薦めであるが、残念ながら現在品切れであり復刊が望まれる。」と書いてありますが、このニコラス・ウェイドの本は良い本ではありません。その主張のポイントは「不正な研究の始末は科学者間の自己規制で行なうというのはごまかし行為(sham)だ。科学者は倫理的に信用が置けない」ということです。確かに、小保方事件もボルティモア事件もその“不正”問題はたちまち科学者間の自己規制(self-regulation)の枠の外に漏れこぼれました。しかし、これを科学者の倫理的腐敗の問題として取り上げ騒ぎ立てては事の本質を見えなくしてしまいます。人間としての腐り易さの度合いは、理系であろうと文系であろうと、置かれる環境次第で決まる事で、元来何ら差異はないと考えるほうが自然です。現社会で科学者技術者がどのような社会的環境に置かれるか、その環境は何によって支配されるか---こちらの方が本当の問題であり、社会学的な科学論、科学者論の中心課題でなければなりません。その核心を最も乱暴に要約すれば、それは「富の生産」です。遠回しの穏やかな言葉を使えば「科学研究の商業化」となります。
 多くの不正論文の事件では、論文の書き方が直接的に問題にされています。たしかに、物を書くという行為には、常識として、あれこれの倫理コードが存在すると考えられます。その一つに「半真理(half-truth)は書くべきでない」というのがある筈です。half-truth を辞書で引くと、「わざと真相の一部しか伝えない説明(しばしば相手をだますための)」とあります。
 このブログのはじめに、2003年に印刷された村上陽一郎氏による「ボルティモア事件」の簡単な説明を引用しましたが、この説明は、私の記憶が誤っていなければ、1994年10月出版の村上陽一郎著『科学者とはなにか』に既に書かれていた説明と同内容のものです。論文捏造に関して、テレサ・今西=カリの完全無罪が正式に確立されたのは、1996年6月ですから、改訂版が出版されていない『科学者とはなにか』の中にそのことが記されていないのは仕方がありませんが、2003年印刷の学術誌『蛋白質 核酸 酵素Vol.48 No.6』の記事の中には「ボルティモア事件」の結末がはっきりと書かれるべきであったと思います。そうでなければ、これはhalf-truthということになります。
 もう一つの有名な科学“不正”事件である「常温核融合(cold fusion)事件」に就いては次週の水曜日のブログに書きます。

藤永 茂 (2014年5月14日)

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