私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ネルソン・マンデラと自由憲章(2)

2013-12-26 22:41:00 | 日記・エッセイ・コラム
 追悼式典の会場に戻りましょう。その模様については12月10日のガーディアンに時間を追って記録した長い記事が出ました。午前9時式典開幕予定の大きなサッカー競技会場に民衆は5時前から集まり始めましたが、交通渋滞が生じて、賓客たちの到着が遅れ、式典開始は予定から一時間遅れることになりました。
http://www.theguardian.com/world/blog/2013/dec/10/nelson-mandelas-memorial-service-live-updates
会場の大きなTVスクリーンには賓客たちの到着や着席後の様子が逐次映し出されていたようで、私にとって最も興味深かったのは、10:05am にジンバブエのムガベ大統領が会場に到着すると黒人大衆が歓呼を上げ、10:33am に自国南アのズマ大統領がスクリーンに現れると盛んなブーイングが起ったとガーディアンが報じていることです。この報道記事では12:16pm に前半の要約、2:16pm に後半の要約がなされていますが、それによると黒人大衆がムガベ大統領に与えた大きな歓呼とズマ大統領に示した敵意に満ちた反応とがとりわけ目立った現象だったようです。実際、ズマ大統領が12:50pm に壇上に立って講演を始めると大衆の多くが席を立って退場したようでした。別の報道によるとマンデラの追悼式典で一般民衆から最も盛んな cheers を受けたのはジンバブエのムガベ大統領だったとのことです。アフリカ大陸でいま生き残っている最も悪逆獰猛な独裁者として日本で知られているジンバブエのムガベ大統領を南アの一般黒人大衆が何故これほどまでに篤く歓迎したのか? そして、マンデラの追悼式を取り仕切る南アの現大統領ズマに対して南アの黒人たちが何故これほどまでにむき出しの敵意(hostility)を示したのか? 少なくとも私には、このハプニングが、数万人の南ア国民と約100の国や国際機関の首脳級が列席した空前の規模の追悼式典の最も注目すべき事件と思えました。何故ならば、一般黒人大衆のこの反応はマンデラ/ムベキ/ズマとつながるアフリカ民族会議 (ANC)が牛耳って来た南アフリカ政権の近未来の崩壊を示す予兆であるからです。
 人種の隔離(アパルトヘイト)制度を敷いて南アフリカを支配して来た白人たち(ボーア人、英国人)は、1955年にANCが掲げた「自由憲章(Freedom Charter)」を思想的中核とする人種隔離反対運動の激しい盛り上がりに直面して現状維持の不可能性を悟り、マンデラを始めとするANC黒人指導者層の懐柔に乗り出します。懐柔策の根幹は、白人の言う通りになる黒人上層支配階級を育てて黒人による黒人支配のシステムを構築することにありました。そのプランの成功の目途がついた時点でマンデラは刑務所から釈放されたのでした。これは動かぬ事実だと思われます。前回のブログの最後のところで「直裁に言えば、覚書を真に受けた一般黒人大衆をネルソン・マンデラは完全に裏切ったことに他なりません。これをどう考えればよいのか? 次回に私の見解を述べることにします。」と書きましたが、その後また多数の報道記事や論考、記録映画の類いに接して、マンデラについての私の想いはなかなか収斂しません。落ち着いて考えてみたいのは、追悼式典で南アの黒人大衆から温かい歓呼で迎えられたムガベのマンデラに対する個人的感情です。ムガベは、内心では、マンデラを南アの黒人を裏切った変節者として見下し軽蔑していたのでしょうか。
 農地改革を行なって白人から農地を取り戻したか否か、これがムガベとズマの決定的な違いです。南アの黒人大衆はそれを痛いほど心得ているのです。マンデラ/ムベキ/ズマの南アもムガベのジンバブエも、出発の時点では、白人の経済支配の継続を受け入れました。南アは事実上そのまま現在に至りましたが、ジンバブエは、1999年~2000年、その桎梏を振り払う行為に踏み切ったのでした。それ故にムガベは米欧にとって許しがたいバッドボーイになってしまいました。間もなく90歳、彼が世を去る日も近いでしょうが、彼の追悼式典に列席する米欧の貴紳名士たちはおそらく皆無でしょう。ムガベは何をしたか、それ故にどのような罵詈雑言を浴びせられたか、忘れてしまったか、あるいは、知らない方々が多いと思いますので、参考までに、私のこのブログの3年前(2010年12月22日付け)の記事『ジンバブエとムガベ』をここで再録します。:
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 ジンバブエのことは2008年に5回続けて取り上げたことがありました。:?『ジンバブエをどう考えるか』(1)~(5)(2008年8月20日最終回)
?週刊朝日の7月18日号に「84歳の独裁者[ジンバブエ]ムガベ大統領の悪逆非道」という記事があるのを広告で見て、内容を読んだのがきっかけでした。内外多事多難の現在、殆どの方はアフリカの小失敗国家ジンバブエの事など忘れてしまったでしょうが、今度のウィキリークスで漏洩したアメリカの外交関係の秘密文書の中に、私としては見逃す事の出来ない事柄も含まれていました。アメリカの意向に従わない小国の独裁者を引き倒したいと考えた場合にアメリカがどのように振る舞うかを実証的に観察する貴重な機会の一つを、ジンバブエは提供していると私は考えます。他の類似例として、近過去にはユーゴースラビア、現時点では北朝鮮が考えられます。?[ 現時点(2013年12月25日)での補注:次の犠牲はリビアでした。今はシリアのアサド政権です。]
 週刊朝日の「84歳の独裁者ジンバブエムガベ大統領の悪逆非道」という記事は、“肥沃な土地と豊富な資源で「アフリカのパンかご」と呼ばれた國を“くずかご”に転落させたのは、ムガベ大統領である。なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか”と、先ず、設問します。
?■(ムガベは)首相を経て、87年に大統領に就任。当初は農地や工場の急激な国有化を避けるなど白人社会との協調を基盤とした緩やかな社会主義による国づくりを進める一方、教育など福祉政策に力を注ぎ、識字率をアフリカ最高レベルの9割に導く“善政”を敷いた。?それが今はどうか。
? CIA(米中央情報局)発表などによると、ジンバブエのインフレは08年2月時点で16万%で紙幣は紙くず同然となり、失業率は80%(07年)。成人のHIV感染率は24・6%(01年)で、平均寿命は約39歳(08年)に過ぎない・・・・。生活苦から国民約1300万人のうち、約400万人が職を求めて、国外へ流出しているとされる。20年以上の(ムガベの)君臨が、「南部アフリカのオアシス」と言われた國を壊したのだ。■
? これで見ると、ムガベ大統領の初めの10年は模範的な善政、後の10年は典型的な暴政。この記事の読者は、ムガベの治世の中間点、つまり世紀の変わり目の2000年前後に、何か大変な事が起ったのではないか、転機となるような重大事態が生じたのではないか、と思うのが当然ではありますまいか。この記事の筆者中村裕氏は、(ムガベは)「なぜ変節したのか」と問い、ムガベ個人の変節として問題と捉えます。この問いに対して、アフリカ取材経験が豊富な朝日新聞元編集委員の松本仁一氏は「変節ではなく、もともと権力志向が強いのです。権力を維持するため、國を食いものにしてきた男です」と答えています。要するに、この記事のタイトル通り、「84歳の独裁者ムガベ大統領の悪逆非道」が「ジンバブエの悲劇」の理由であり、「なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか」という設問の答えは、「途中から堕落したのではない。もともと言語道断のひどい野郎だったのだ」となっているわけです。? ジンバブエの運命の転機となった重大事件は、2000年にムガベが断行した農地改革です。『ジンバブエをどう考えるか』(5)(2008年8月20日)に、私はこう書きました。:
?■1960年代、アフリカ大陸でヨーロッパ植民地が黒人の独立国家となる嵐が吹き荒れる中、英国植民地「南ローデシア」だけは、時代の流れに逆行して、1965年,アパルトヘイト政策を実施する白人支配国家として独立を宣言し、1970年には「ローデシア共和国」の国名を名乗りました。耕作に適した農地の80%を全人口の2%の白人地主が所有し、黒人の低賃金労働と機械化に依存する大規模農業が営まれていました。当然のことながら、黒人たちは黒人国としての独立運動に立ち上がり、紆余曲折のあと、1980年独立を果たして正式に「ジンバブエ」が誕生し、総選挙でムガベの社会主義的政党ZANU(Zimbabwe African National Union) が圧勝してムガベは首相になりました。人々の予想に反して、ムガベは黒人と白人の共存路線を選び、白人の農地を黒人に与える農地改革も7年間凍結する事とし、農業大臣や商工大臣には白人を起用して国家建設を進めたので欧米での評判は上乗でした。 上掲のムバコ大使の発言に描かれている通りです。しかし、1987年大統領となったムガベはZANU本来の“過激”な政策を強引に押し進めはじめます。1998年、マルクス主義者カビラのコンゴ政府が東の隣国ルワンダの侵攻を受けた時、カビラの要請で援軍を送ったのはその典型です。続く1999年、7年どころか20年間も手を付けなかった白人所有農地の黒人への分配を宣言し、2000年には強制接収を始めました。アングロ・アメリカ勢力がムガベのジンバブエつぶしの決心をした時点を1999年~2000年とすることに反対する国際関係史専門家は、もし彼らに学問的良心があるならば、一人もいないと私は考えます。■?
 ロバート・ムガベは1924年2月生まれ、間もなく87歳の高齢、多くの人々が言うように、早く死んでしまった方がよいような人物かも知れません。しかし,この国の現状をもたらした諸々の政治的暴力について私たちの知識は余りにも浅薄です。公正健全な判断を下せる状態にはありません。それを意識するだけでも、虚偽に満ちたプロパガンダに引き回される確率を減らすことができます。? 2009年11月末、イギリスのサセックス大学の Institute for Development Studies という研究機関の所員のIan Scoones (白人)が他の共著者とともに、『Zimbabwe’s Land Reform Myths & Realities』という報告書を出版しました。それによると、2000年のジンバブエ農地改革は、世界のメディアが騒いだほど惨憺たる失敗ではなく、この10年間に見るべき実質的成果も上がっているということのようです。BBCテレビも一応は取り上げましたが、ジンバブエについての今までのマスメディアの姿勢から明らかなように、この出版物はほぼ無視されました。? マスコミに無視された出版物といえば、Gregory Elich という人の『Strange Liberators: Militarism, Mayhem, and the Pursuit of Profit』(“奇妙な解放者たち:軍国主義、意図的騒乱、利益追求”、2006年)にも、ジンバブエについて、既に、同様な観察がなされていたようです。この著者は筋金入りの反帝国主義論者のようですし、過激な主張も含まれているかも知れませんが、幾つかの詳しい書評から判断する限り、引用文献もしっかり充実していて,決して際物出版物ではないと思われます。この著者の最近の論考では、北朝鮮に対して、アメリカ政府はムガベのジンバブエに対するのと類似した行動を取っていることに対する危惧が述べられています。
藤永 茂 (2010年12月22日)
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 上掲の記事を私が書いてからの3年間にはっきりした事は、アフリカ事情に詳しいジャーナリスト諸賢より市井の一老人の知見のほうが正しかったという事です。自慢しているのではありません。悲観しているのです。ジャーナリスト諸賢がジンバブエの関する事の真相を弁えてなかった筈はあり得ません。彼らは、3年前に、どのように報道発言をすればそれが権力機構に受け入れられる記事になるかを知っていただけのことです。しかし、その嘘偽りをフィードされた我ら大衆こそ好い面の皮、迷惑千万です。ですから、いま我々は、シリアにしろ、スーダンにしろ、またロシアや北朝鮮にしろ、マスメディアが我々にフィードしている情報は同種の嘘偽りに満ちているのではと、眉にしっかり唾をつけて彼らの報道や論説に接しなければなりません。
 さて、前に掲げた設問であるムガベのマンデラに対する個人的感情の問題に一つの解答を与える報道に、私は偶然行き当たりました。犬も歩けば棒に当たる。それは、Alexandra Valiente と名乗る女性のブログ『Libya 360°』に出た
Abayomi Azikiwe という人の記事です。
http://libya360.wordpress.com/2013/12/16/mandela-mourned-by-millions-in-south-africa-and-around-the-world/
その中に、次のような文章があります。:
■ Upon arriving back in Zimbabwe after attending the December 10 memorial at FNB stadium and viewing the late leader lying in state, Mugabe told the Zimbabwe Herald newspaper that “I don’t know about any feud. If anything, there was an alliance. We worked very well with him when he came out of prison. We gave him support.” (December 11)
“We established the principle of national reconciliation (at independence in 1980), they took it over and used it as a basis to create what they have now as the Rainbow Nation. There was no feud, where was the feud, what feud?” Mugabe continued. ■
つまり、ムガベは、自分とマンデラとの間には何らのfeud(確執、反目)も無かったこと、黒人も白人も一緒に心を合わせて建国にあたる原理を打ち立てたのはジンバブエが先で、南アフリカもこの原理を採用して出発したのだと言っています。大統領を一期だけで辞めた(辞めさされた?)マンデラが何も出来なかった事に、ムガベはむしろ温かい理解を示しているように、私には思えます。
 しかし、マンデラがどの時点で基幹産業や銀行の国営化と農地改革を(少なくとも建国にあたっては)行なわない決断を下したかという問題は避けて通れません。

藤永 茂 (2013年12月26日)


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ネルソン・マンデラと自由憲章(1)

2013-12-20 22:35:58 | インポート
 南アフリカのネルソン・マンデラが12月5日自宅で家族に見守られて亡くなりました。享年95歳。南アフリカの最大都市ヨハネスブルクのサッカー競技場で、12月10日、追悼式が営まれました。西日本新聞(ヨハネスブルク共同通信)の記事を引用します。「降りしきる雨の中、会場のサッカー競技場には、数万人の国民と約100の国や国際機関の首脳級が列席。追悼式典としては空前の規模となり、人種間の融和と和解を説いたマンデラ氏の大きさをあらためて示した。」もう少し引用。「式典開始直後、競技場に集まった人々がマンデラ氏をたたえる歌を大声で歌い、踊った。大型スクリーンには、マンデラ氏の前妻ウィニーさんが悲痛な表情を浮かべる様子が映し出された。黒人男性エリアス・マイナメさん(61)は「われわれの文化では、葬儀での雨は、偉大な人物が亡くなったことの証し。マンデラ氏は自由をもたらしただけではなく和解の大切さをおしえてくれた」と言葉に力を込めた。マンデラ氏と共に人種隔離撤廃に尽力したノーベル平和賞受賞者のツツ元大主教が「並外れた人物」だったと祈りをささげ、式典は終わった。」
 豪華に演出されたこの式典には、米国からオバマ大統領夫妻、クリントン前大統領夫妻、それにブッシュ、カーターを加えて4人の歴代大統領、英国はキャメロン現首相にブラウン、ブレア、メイジャーの三人の前首相、フランスはオランド大統領にサルコジ前大統領、招待がどのように発せられたかは知る由もありませんが、これらの面々を見るだけでも、南アフリカと米英仏との関係の密接さが浮き彫りになります。そして、如何に追悼の場とは言え、彼らが口にした故人への仰々しい讃辞の偽善性には嘔吐を催すばかりです。なかでもオバマ大統領の弔辞は偽善性というような弱い形容詞をこえる恐るべきものです。そこに盛られた言辞、その巧みなレトリックの狙うところを正確に読み取る必要があります。そのためには、1990年ネルソン・マンデラが27年半の獄中生活から開放されて程なくの時に下した決断が南アフリの黒人にどのような結果をもたらしたかをはっきりと見据えなければなりません。マンデラのまことに英雄的な努力と決断によって南アフリの黒人は制度としての人種隔離(アパルトヘイト)政策の廃止と投票権を入手し、1994年、獲得した投票権を行使して全人種選挙でマンデラを大統領とする黒人主導政府の樹立を遂げました。しかし、それからの20年間に、一般黒人大衆の社会的生活状況は人種アパルトヘイトの形式的消滅を除けば、何ら顕著な向上がないばかりか、むしろ悪化した面さえあります。これはマスコミが如何に事実を曲げようとしてもどうにもならない裸の事実です。アパルトヘイトという言葉は「隔離」を意味します。人種アパルトヘイトが階級アパルトヘイトに変わっただけだという声があるのは真にもっともです。
 このブログの2013年8月9日付けの記事『シリア、ブラジル、エクアドル、キューバ(3)』に私は次のように書きました。
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2012年8月16日、南アフリカのヨハネスブルグの北西に位置するマリカーナの英国資本プラチナ鉱山(世界第三位)で労働者のストライキが発生し、その制圧に警官隊が発砲して約40人が射殺され、約80人が負傷、約200人が逮捕されました。死者の多くは背中に銃弾を受けていたそうです。動画もあります。Marikana Massacre と呼ばれています。南アフリカの黒人市民大量虐殺事件といえば、シャープビル虐殺事件(Sharpeville Massacre)が有名です。1960年3月21日、時の政府のアパルトヘイト政策の廃止を求めてデモを起した数千人の黒人群衆に向かって警官隊が容赦なく発砲し、70人の死者、200人の負傷者が出ました。これは南アフリカの歴史的転換点となった事件です。日本語ウィキペディアの記事の一部を引用します。:
■南アフリカは1960年代から1980年代にかけて強固なアパルトヘイト政策を敷いた。他方、国内では人種平等を求める黒人系のアフリカ民族会議 (ANC) による民族解放運動が進み、ゲリラ戦が行われた。1960年のシャープビル虐殺事件をきっかけに、1961年にはイギリスから人種主義政策に対する非難を受けたため、英連邦から脱退し、立憲君主制に代えて共和制を採用して新たに国名を南アフリカ共和国と定めた。一方で日本人は白人ではないにも関わらず白人であるかのように扱われる名誉白人として認められ、日本は南アフリカ政府や南アフリカ企業と深い繋がりを持つことになった。■
この二つの民衆大虐殺事件、シャープビル大虐殺(1960年)とマリカーナ大虐殺(2012年)、を隔てる半世紀の間に南アフリカは劇的な変貌を遂げます。この変貌の象徴的人物はネルソン・マンデラその人です。反アパルトヘイト闘争の指導者マンデラは1964年国家反逆罪で終身刑に処され、悪名高いロベン島監獄に投じられますが、1990年に釈放されました。1994年4月には、南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、マンデラ率いるANCが勝利して、彼は大統領に就任します。ここで軽率な英語を使えば、“The rest is history”、ネルソン・マンデラという稀有の黒人英雄の力で、長年続いて来たアパルトヘイト政策が破砕され、目出たし目出たしのお話、これが私を含めて世界中の“お目出度い人々”の頭の中に植え付けられた人種平等の国南アフリカの物語、ネルソン・マンデラ物語であります。
 しかし、昨年8月に起きたマリカーナ大虐殺は、我々お目出度い人間たちの南アフリカ認識がどこかで根本的に誤っていることを明らかに示しました。50年を隔てて、又々、同じことが起こってしまったからです。私たちの認識の誤りを最も端的に言ってしまえば、「アパルトヘイトは死んでなんかいない。健在だ」ということです。そして、おそらく更に重大な問題は「我々の多くは、マスコミにすっかりやられっぱなしの、情けないほどの愚民だ」ということです。私もネルソン・マンデラの自伝をむさぼり読み、ぞっこん惚れ込んで、彼こそ20世紀最高の偉人だと考えたものでした。ネルソン・マンデラが歴史に残る偉大な人物であることは否定の余地がありません。しかし、彼が現実にしたこと、させられたこと、は冷静に見つめ直す必要があります。マンデラその人と「マンデラ現象」は、或る意味で、別途に考えるべきことであります。
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上の「彼が現実にしたこと、させられたこと」という文章の意味をはっきりさせるためには、先ず、1955年にANCが掲げた「自由憲章(Freedom Charter)」なるものの内容と歴史を理解する必要があります。幸い、これについて分かりやすく説明した文献の一つを、優れた訳業を通じて、我々は読むことが出来ます。:
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ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン(上)』(幾島幸子・村上由見子訳、岩波書店,2011年):第10章「鎖につながれた民主主義の誕生」
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本書については、このブログの2011年9月21日の記事『ショック・ドクトリン』で言及しました。ネルソン・マンデラあるいは南アフリカに興味をお持ちの方は是非この第10章全体をお読み下さい。今回のブログで私が取り上げようとしている点がその冒頭に言及されているので訳文を少し引用します。:
「一九九〇年一月、七十一歳のネルソン・マンデラは刑務所の独房で机に向かい、支持者に向けた覚書を書いていた。獄中にいた二七年間のほとんどを、ケープタウン沖に浮かぶロベン島にある刑務所で過ごした彼は、その間にアパルトヘイト国家南アフリカの経済改革にかける自らの決意が鈍ったのではないか、という疑念に答えようとしていた。そこにはこう書かれていた。「鉱山、銀行および独占企業の国営化はアフリカ民族会議(ANC)の政策であり、この点に関してわれわれの見解が変化したり修正されたりすることはありえない。・・・・・・」(引用終り)
この部分、私のこれからの論議に深く関わりますので、念のため原文を示し、中ほどの所を幾島・村上訳より少し逐語的に訳出します。:
「In January 1990, Nelson Mandela, age seventy-one, sat down in his prison compound to write a note to his supporters outside. It was meant to settle a debate over whether twenty-seven years behind bars, most of it spent on Robben Island off the coast of Cape Town, had weakened the leader’s commitment to the economic transformation of South Africa’s apartheid state. The note was only two sentences long, and it decisively put the matter to rest: “The nationalization of mines, banks and monopoly industries is the policy of the ANC, and the change or modification of our views in this regard is inconceivable. ‥‥‥」
<・・・それは、27年間獄中にあり、そのほとんどをケープタウン沖に浮かぶロベン島にある刑務所で過ごしたことが、南アフリカのアパルトヘイト国家の経済改革に対する指導者マンデラの決意を弱めることになったかどうかについての論議にはっきりけじめをつけようとしたものであった。その覚書はたった二つの文だけの短さだったが、それは決定的に事を決着させた。・・・>
 マンデラがこの短い覚書を書いた2週間後の1990年2月11日、アパルトヘイト政権のデ・クラーク大統領によって刑務所から釈放され、外で待っていた支持者たちから熱狂的に迎えられましたが、その釈放の前に、事後の来るべき政権的変化についてデ・クラーク政権とそれに加えて米欧側が重要な計算と身構えを行なったことは想像に難くありません。それを考慮に入れて、マンデラの覚書を読む必要があります。
 この場合、かなめとなる文書がANCの基本理念として1955年に掲げられた「自由憲章(Freedom Charter)」です。全文(英語版)は次のサイトで読めます。

http://www.nelsonmandela.org/omalley/index.php/site/q/03lv01538/04lv01600/05lv01611/06lv01612.htm

この「自由憲章」をめぐる歴史的展開については上掲のクラインの本に行き届いた解説がありますのでお読み下さい。マンデラの覚書に対応する部分、つまり、鉱山、銀行および独占企業の国営化に関する部分を書き写すと、
The people shall share in the country's wealth!
The national wealth of our country, the heritage of South Africans, shall be restored to the people; The mineral wealth beneath the soil, the Banks and monopoly industry shall be transferred to the ownership of the people as a whole; All other industry and trade shall be controlled to assist the well-being of the people; All people shall have equal rights to trade where they choose, to manufacture and to enter all trades, crafts and professions. ■
となっていて、これは上に引いたマンデラの出獄直前の覚書にそのまま対応しています。続いて土地所有(農地解放)の問題が取り上げられています。:
The land shall be shared among those who work it!
Restrictions of land ownership on a racial basis shall be ended, and all the land re-divided amongst those who work it to banish famine and land hunger; The state shall help the peasants with implements, seed, tractors and dams to save the soil and assist the tillers; Freedom of movement shall be guaranteed to all who work on the land; All shall have the right to occupy land wherever they choose; People shall not be robbed of their cattle, and forced labour and farm prisons shall be abolished.■
ここで先ず注目したいのは、獄中からのマンデラの覚書には農地解放への言及がないことです。これは、彼がこの時点で既に南アフリカでの農地解放実施の望みを捨てていたことを強く示唆していると私は考えます。ナオミ・クラインが説明しているように、大統領になったマンデラは覚書で誓った鉱山、銀行および独占企業の国営化も実行しませんでした。クラインは「今日の南アは、経済改革が政治改革と切り離して行なわれたときに何が起るかを示す、生きた証となっている。政治的には、国民は選挙権と市民的自由、多数決原理を与えられているが、経済的にはブラジルをしのぐ世界最大の経済格差が存在している。」と書いています。「経済格差」というのは曖昧な用語です。底は上がったけれど最上層の富裕さは更に増した結果、格差そのものは拡大したというのなら、少しは救われます。しかし南アの場合は全くそうではありません。一般黒人大衆の生活状況は、マンデラの率いたANCの政権の下で、以前とくらべて向上するどころか、悪化したのです。何故、そして、どのような過程で南アはこのようになってしまったか。繰り返しますが、ナオミ・クラインの著作(幾島・村上翻訳)には詳細で分かりやすい解説が既に2007年の時点で行なわれているのでお読みいただきたい。
 マンデラが亡くなった直後に、南ア事情に詳しいパトリック・ボンド(Patrick Bond)の長い論考が発表されました。その見出しは、

Did He Jump or Was He Pushed?
The Mandela Years in Power

http://www.counterpunch.org/2013/12/06/the-mandela-years-in-power/

です。一行目は「彼は改宗したのか、それとも、強要されたのか?」と訳しておきます。パトリック・ボンドは北アイルランド出身、アイルランドの俗語では、カトリックからプロテスタントに改宗することをジャンプすると言うようです。マンデラは、出獄から4年目の1994年5月、大統領に就任しましたが、その時には、出獄直前に発表した覚書で誓った鉱山、銀行および独占企業の国営化を実行する考えを捨ててしまい、金融や重要産業のプライベタイゼーションという米欧主導の政策を採用しました。覚書で既に言及を避けた農地改革は、勿論、マンデラ政権の政策には含まれていませんでした。これは1955年の「自由憲章(Freedom Charter)」の教条からマンデラが離反してしまったことを意味します。改宗です。
「マンデラ自身が考えを変えてしまったのか、それとも、外からの力に押されて屈したのか?」それが「Did He Jump or Was He Pushed?」の意味です。
この長文の論考の著者ボンドの最終的結論は「Perhaps he did both.(多分、両方だ)」というものです。直裁に言えば、覚書を真に受けた一般黒人大衆をネルソン・マンデラは完全に裏切ったことに他なりません。これをどう考えればよいのか? 次回に私の見解を述べることにします。

藤永 茂 (2013年12月20日)


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ホセ・ムヒカ(Jose Mujica)

2013-12-03 21:07:32 | 日記・エッセイ・コラム
 聞いていてこれほど簡単に嬉しくなってしまった政治家インタビューは初めてです。長さ25分。

http://www.aljazeera.com/programmes/talktojazeera/2013/10/jose-mujica-i-earn-more-than-i-need-2013102294729420734.html

ウルグアイは南アメリカ東中部の大西洋岸の小国(人口約350万)で、1828年にブラジルから独立、公用語はスペイン語です。現職大統領ホセ・ムヒカ(1935年5月20日生れ)はカストロのキューバ革命に刺激されて反軍事政権のゲリラ武力抗争に身を投じて合計6つもの銃創を身に印して、1970年から1985年まで投獄され、その16年間の15年は独房で苛酷な取り扱いを受けました。そのことはインタビューでも語っています。アルジャジーラのインタビューの見出しは“私は必要以上の給料を得ている。(I earn more than I need.) ”となっていますが、大統領としての月給は一万二千ドル(US)で、その90%を福祉事業などに献金しているそうです。奥さん(上院議員)の農場の一隅の慎ましい家屋に三本足の愛犬と一緒に住んでいて、その様子もインタビューの動画に出てきます。別の英国のBBCの記事(表題は「世界で最も貧乏な大統領」)にはウルグアイの豪勢な大統領官邸の写真が出ていますが、彼は官邸入りをしませんでした。私が九州大学教養部に勤務していた頃に敬愛していた奥田八二氏を思い出します。奥田氏は教職から福岡県県知事になりましたが、県庁のすぐそばにあった立派な知事公舎には入らず、教養部に近い小さな自宅に住み続けました。
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-20243493
 さてアルジャジーラのインタビュー番組で、大統領ホセ・ムヒカのインタビューをしているのはLucia Newman という当年61歳の知名の女性ジャーナリストです(以下ではLNさんと略記)。1ダースほどの話題が含まれていますので、順に要約します。動画では、まず、LNさんによる「世界で最も貧乏な大統領」ホセ・ムヒカの紹介から始まります。彼はウルグアイを世界で初めて麻薬マリファナを合法化した国にして世界を驚かしましたが、最近の国連総会での彼の講演も結構刺激的でした。マリファナのことは会話の中で出てきます。国連での発言については、後ほど触れます。LNさんは、大統領の身辺にいるのは三本足の愛犬マヌエラだけで、執事もボディガードもいないと報じます。
「なぜ貧乏生活をしているのか」という質問に対して、彼は「貧乏なんかしていない」と答えます。
 LNさんは英語を使って質問していますが、大統領はスペイン語で答え、画面に英語の字幕が出ています。それを以下に書き写し、時々訳をつけることにします。飛ばしてしまった発言もあります。
<貧乏じゃない。質素なだけだ。>
No. Poor are the ones who describe me so. My definition of poor are those who need too much. (いや違う。私を貧乏だと言う人たちこそ貧しいのだ。貧乏人というものの私の定義は、必要とする物が多すぎる人たちということだ。)Because those who need too much are never satisfied. I am frugal not poor. (私は質素に暮らしているが貧乏ではない。)Frugal, with a light suitcase. I live with little, just what’s necessary. Living frugally is a philosophy of life but I ma not poor.
Why? So I can have more free time. To do what? what I like.
Freedom is having time to live.
I have a way of life that I don’t change just because I am a President.
I earn more than I need even if it’s not enough for others.
I contribute to my political group and to projects like a housing project for unmarried mothers.(私は私の属する政治グループや独身の母親たちのための住宅事業といったプロジェクトなどに寄付をする。)
For me it is no sacrifice, it’s a duty.(私にとってそれは犠牲ではない、義務なのだ。)
 LNさんの次の質問は
<マリファナの合法化>
It’s an experiment in combatting drug trafficking.(それは麻薬売買との戦いの一つの実験だ。) All the police measures that we’ve undertaken in the last 100 years against drug trafficking have multiplied crime. Drugs have spread and violence has overrun society.(麻薬は広がってしまい、暴力が社会を蹂躙してしまった。)
We want to try to take a clandestine business and bring it out into the open.
But it’s not about letting everyone consume and buy what they want, no.
It’s about regulating. We’ll offer a personal dose in pharmacies where medicine is sold.
A monthly amount to those who register.(薬を売っている薬局で人それぞれの分量を提供している。登録した人たちに一月分。)
If a person wants more we’ll know that he or she needs treatment. (もしある個人がそれ以上に欲しがれば、その人は治療が必要だということになる。)And we’ll treat it as a health problem.(我々はそれを健康問題として処置するということだ。)But first we have to identify and take the person out of that clandestine world.
LN:「しかし、人々がもっと強い麻薬、例えばコカインを取るのをどうやって止めるのですか?」
Most of the consumption here is marijuana. We’re trying to tackle in our society is the starting point for drug use. It doesn’t solve the cocain problem or other drugs. We are just dealing with marijuana. The rest we’ll have to continue attacking. But we have to be an experiment. We have to use other means because for now what the world offers is no solution.
LNさんが「マリファナの合法化に米国や国連は反対の圧力をかけて来ませんか」
と聞くと大統領は「それはない」と答えます。
Because worse than drugs is drug trafficking. Much worse. Drugs are a disease and I don’t think that there are good drugs or that marijuana is good.(麻薬は病気だ。私は、良い麻薬があるとか、マリファナは良いとか考えていない。) Nor cigarettes. No addiction is good. I include alcohol.(タバコもいけない。中毒でいいものなどない。私は酒も含める。)The only good addiction is love. Forget everything else.(唯一良い中毒は愛だ。ほかのことは忘れてしまいなさい。)
 話題はムヒカ氏の過激な過去に移ります。自らを平和主義者と名乗る若いマルクス主義闘士はなかなかイカす風貌です。体に6発も銃弾を受け、苛酷な独房生活は彼の精神を狂乱の瀬戸際にまで追い込みました。
<過去の反軍事政権武力闘争>
I lived many years in solitude and I had to find refuge within myself to resist.(私は独房で長年過ごしたから、耐え抜くために私自身の内部に隠れ場所を見つけなければならなかった。)Man is a strong animal when he has conviction. Maybe I am a bit primitive.(信念があれば人間は強い動物だ。多分私は少々原始的だ。)
Maybe I have a primitive strength, a product of my ancestors, of my peasant childhood.(多分私には原始的な強さがある、私の祖先たちが生んだ、水呑み百姓の子としての過去が生んだ強さだ。)
The fact is that I had to invent things in my mind to stay sane. They even wanted to give me psychiatric treatment because I had hallucinations. But when I saw the doctor they sent to treat me, I thought, “Now I’ll really go mad!” She gave me lots of pills and I would throw them away.
But I did manage to get them to allow me to read. For seven years I wasn’t allowed to read. So they finally gave me books on physics and chemistry and I started to rule my mind again. (だが、何とか彼らが私に読書を許すようにさせた。7年の間、私は読書を許されなかったのだ。彼らはとうとう物理学や化学の本を私に与え、それで私は心のコントロールを取り戻し始めたのだった。)
この話を聞きながら、私(藤永)の想いは急にプリモ・レーヴィに飛びました。
レーヴィにとってもアウシュヴィッツで正気(sanity)を保つために化学は役に立ちました。
 次の話題は、ホセ・ムヒカが試みているコロンビア政府と反抗勢力との間の和平の仲介です。コロンビア共和国は北米大陸から南米大陸への入り口のとこ所にあり、その名はコロンブスから来ています。ここでもキューバ革命に刺激されて1960年代からELN(Ejército de Liberación Nacional, National Liberation Army)やFARC(Revolutionary Armed Forces of Colombia)などの左翼ゲリラが勃興してごく最近まで武力抗争を続け、一種の内戦状態にありました。米国によるコントロールが大変強かったウリベ大統領に代わって、2010年8月、ウリベの下で防衛大臣であったサントスが大統領に就任し、左翼ゲリラ勢力に対する政府の態度に変化が見えています。
<コロンビア政府と反政府ゲリラ勢力との和平仲介>
 LNさんが「あなた自身が左翼ゲリラの一員だったのに、コロンビアで50年続いて来た抗争の和平仲介を買って出たのは何故か」と問うと、ムヒカ氏はコロンビアの人たちの苦しみを思っての事だと答えます。
Colombia has one of the strongest armies in Latin America with notorious military support from the U.S. which is interference in the region.(コロンビアはその地域に干渉している米国の悪名高い軍事支援を受けてラテン・アメリカで最強の軍隊の一つを持っている。)
From afar, it seems like a war without a solution and like a long sacrifice for the entire country.(遠くから見ていると、それは解決策のない戦争で国全体が長い間犠牲になっているように見える。)
So when a President appears who tries to open a path to peace I think that deserves support. Because there is a lot of pain and if they try to settle scores the war will never end.(だから平和への道を開こうと試みる大統領が出現したとなると支持しなきゃあと私は考えるのだ。苦しみは充ち満ちているし、もしお互いにこれまでの恨みを晴らそうとしたら戦争はいつまで経っても終らない。)
But there is an opportunity. I would feel selfish if I did not help any way I could.
Help does not mean to intervene. I will not meddle if I am not invited to do so.
But if I can serve as a go-between with my experience I will support the government’s call for dialogue with the rebel forces who also have their problems who also have their fears. I think all us Latin Americans have to help.
LNさんが「あなたが体に6つの被弾痕を持つ元ゲリラだから信頼されるという面がありますか」と聞くとムヒカは次のように答えます。:
Yes, it’s probable that there is more trust for lots of reasons. If they need a place to hold talks in Uruguay, they will find the table set with guarantees for the Colombian government and the ELN. It’s the least we can do. And if they ask for more, we’ll see.
 次の話題は新しいローマ教皇フランシスコに関していて、私にとって甚だ興味深いものです。就任は2013年3月13日、アルゼンチン、ブエノスアイレスの出身,1936年生れの本年76歳。教皇としての名前はアッシジの聖フランシスから来ています。アッシジの聖フランシスのことをあまりご存じない方は是非少しお調べ下さい。イエス・キリストに最も近いともいわれるこの聖人の人間味にはほのぼのとした温かさがあります。
<堕胎、同性婚の合法化、無神論者、教皇訪問>
 LNさんは次にムヒカ大統領のフランシス教皇訪問を取り上げます。「あなたは既にマリファナ、堕胎、同性婚を合法化し、それに、ご自身は無神論者、ローマ法王庁はこれらすべてに断固反対なのに、なぜ新教皇フランシスを訪問したのですか」という問いに対して、ムヒカは答えます。
Humanity.(彼の人間性だな。)We have to admit that this Pope is quite something. There is a lot to him.(この教皇はただ者じゃないと認めざるをえないな。大したお人だ。)And I think he is trying to modernize the last royal court of the modern world: the Church. He talks of returning to basics, of humanity, of commitment. So as a person I have tremendous respect for the Pope.(だから人として私は教皇に対して甚大な敬意を抱いている。)
On the other hand, it is true, I am an atheist. But I admire the Catholic Church because I am a Latin American and we Latin Americans have two things in common: language and the history of the Church in this continent. So I give it importance, although my country is the most secular in the region. But in the Caribbean, Brazil, Venezuela,
Colombia people are profoundly catholic and I don’t want to be divorced from my people.
「コロンビアに平和をもたらすよう教皇に頼みましたか?」
Yes. I asked him to do what he could. Why? Because he has such a deep penetration in society, especially among the most humble in the Colombian countryside. (何故なら彼は社会に、特に、コロンビアの田舎の最下層の人々の間にとても深い浸透力を持っているからだ。) Whatever a parish priest says on a Sunday during his sermon is important in the opinions of the people. The church has ways of communicating things at a popular level that aren’t said at the top. It can help develop an attitude of peace in a country made sick by war.
 ムヒカ大統領は人間一般の歯止めのかからない消費中毒を何とかしたいという強い気持を持っています。彼の大きな持ち物は古い農業用トラクターと1987年のフォルクスワーゲン「ビートルズ」、しかも週末にドライブするだけです。「みんな都会に住んで車を乗り回し、交通を渋滞させることで人生の半分を浪費している」と彼は言います。
<消費中毒>
それでも発展途上国は発展を続けるべきだとあなたは考えているのではないかという質問に対して、
I don’t oppose consumption. I am against waste.(私は消費に反対しているのではない。浪費に反対しているのだ。)
We have to produce food for the hungry, roofs for those who need a home, build schools for those who don’t have schools. We need to solve the water problem.
If every powerful person has three, four, five cars and need 400 square metres(たぶん400 metres square の間違い) to live and a house at the beach and airplane to go here and there, then there isn’t enough for everyone.(もし有力者の誰もが3つ、4つ、5つと車を持ち、住むのに400メートル四方の広さが必要で、海浜に別荘、あちこち飛び回るための飛行機が要るというのなら、とても物が皆には行き渡らないさ。)
What does modern science tell us? It tells us indisputable facts. If the current world population aspired to consume like the average American, we would need three planet earths.(もし現在の世界中の人が平均的アメリカ人のように消費しようと願うのなら、地球が三つは必要だろう。) Which means that if we continue tossing out things, naturally a great part of humanity will never have anything. They are doomed.
この大統領の熱のこもった答えに対してLNさんは「それでも人々は浪費を続けている。ここから1時間ほどの所には、プンタデレステというラテン・アメリカのサントロペ(南仏の有名なリゾート)といわれる豪奢なリゾート地が栄えているけれど、あなたはそういう状況を制限しようとはしていない。したくないのか、それとも、出来ないのか」と問いただします。
No I can’t.
The economy wouldn’t grow as it is. This is a philosophical matter.
I can’t fix this as a government. I’m a prisoner of this myself.
What I’m pointing out is where we’re heading. True, there is extraordinary waste here.
There are houses used only 20 days a year in Punta del Este luxurious houses while others don’t even have a shack to sleep at night.
It’s crazy, unjust. I oppose that world. But I’m a prisoner of that world.
「しかしこれまであなたはそれを変えようとしなかった」
Because if I tried to impose my way of living on the rest, they’d kill me.(なぜなら、もし私が他の人々に私の生き方を押し付けようとしたら、彼らは私を殺すだろう。)
「多分」とLNさんは同意します。
They’d kill me. I know it.(彼らは私を殺す。わかっている。)
But allow me the freedom to express myself. Because we complain about global warming while we assault nature by producing so much waste.
We are mortgaging the future of the next generations.
「あなたは、とりわけ友人チャベスの死後、ラテン・アメリカ南部を代表する声になりつつあるご様子だけれど、いったい何をやりとげたいと考えておいでですか」
My goal is to achieve a little less injustice in Uruguay, to help the most vulnerable, and to leave behind a political way of thinking, a way of looking at the future that will be passed on and used to move forward.(私の目標はウルグアイ内の不公平をちょっぴり減らすこと、最も弱い人々を助けること、そして、一つの政治的な考え方、次代に伝え、前進するのに役立つような未来への視線のあり方を残すことだ。)
There’s nothing short-term, no victory around the corner. I will not achieve paradise or anything like that. What I want is to fight for the common good to progress.
Life slips by. The way to prolong it is for others to continue your work.
 ムヒカ大統領はLNさんに少々荒れ気味の農場を案内しながら、大統領を辞めたら又百姓仕事に戻り、農場技術学校を作ろうと思っていると話します。まだ任期は一年あるのですが、留任は考えていないようです。
「右翼も左翼も政権にしがみつくのに、あなたは何故あっさり辞めようとするのですか。権力は必ず腐敗すると考えるからですか」とLNさんは質します。
I am a republican.(私は共和制主義者だ。)
Republics exist to try to demonstrate that no-one is better than anyone else. A president is a high-level official who is elected to carry out a function.(共和政体は、天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らないことを示そうとするために存在する。大統領は一つの役目を遂行するために選ばれた上層公務員だ。)
He is not a king, not a God. He is not the witchdoctor of a tribe who knows everything.
He is a civil servant. As such he must leave and be replaced. I am against re-election.(大統領は一人の公僕だ。そうした者として、彼は職を辞し、交替させられるべきだ。私は再選に反対です。)
There are feudal systems that have survived within our republics.
So we lay down red carpets, the kind of things used by kings. I don’t like those things.
I think the ideal way of living is to live like the vast majority of people whom we attempt to serve and represent.
<恐れ戦く米国>
 「米国は敵だけでなく味方の国もスパイしているのは何故だと思いますか」
との問いに、ムヒカ氏は「米国はとても怖がっているからだ」と答えますが、米国はやがて良い方向に変わると信じています。その理由が愉快です。
Because it is afraid. Very afraid. Bacause it has played the role of a policeman and it has made many enemies in its history. And he who has many enemies naturally is very afraid. All that. It’s a mix.
But I don’t put all the United States in the same bag. There are many United States.
Luckily the number of Latin Americans grows.
The United States will become a bilingual nation very quickly.(合州国はもうすぐ二公用語国家になるでしょう。)
The wombs of Latin American women will conquer it little by little. (ラテン・アメリカ女性の子宮がじわじわと合州国を征服するでしょう。)They are stronger for love. So they have children and establish changes in the U. S. society. But it will take time.
<詩人哲学者>
 「あなたは大統領であるだけでなく哲学者であり詩人でもあるから、幸福の秘密は何かを教えて下さい」という要請に対して、
To live in accordance with how one thinks. To talk to the man you carry inside.
It’s the companion we carry to our grave.(考えるところに従って生きること。あなたが自分の中に持ち歩いている人間に話しかけること。それはお墓まで一緒の連れ合いだからな。)Be yourself and don’t try to impose your criteria on the rest.
I don’t expect others to live like me. I want respect people’s freedom but I defend my freedom. And that comes with having the courage to say what you think even if sometimes others don’t share those views.
「でも、あなたは外交的であろうとはしない。時々とても非外交的だ」と言われると、
Yes, I am too direct sometimes. You are right.(そう、私は時々づけづけと言い過ぎる。あなたの言う通りだ。)Because the language I use is the truth, even when I’m mistaken. And when I’m wrong I admit it and say it publicly.
 最後にLNさんがアルジャジーラのインタビューに応じて下さって有難うと謝辞を述べると、ムヒカ大統領は
Thank you very much. Give a hug to your people.
と結びました。
 ムヒカ大統領の「大統領は一人の公僕だ」という言葉は、私に、かれこれ40年ほど前に聞いたチョムスキー夫人の言葉を思い出させました。大学の教師の立場にあって、祖国アメリカとイスラエルの非行を堂々と糾弾するノーム・チョムスキーを私が知ったのは、70年代初頭のカナダでの出来事でした。当時、チョムスキーは米国の出版社やメディアから閉め出しを食らって、発言手段として、カナダ、モントリオール市の小さなアナーキスト出版社「Black Rose Books」を頼りにしていました。チョムスキー夫人はその当時の夫を支えて、「彼は立派なa civil servant です」と言い切るのを聞いて、「ああ立派な奥さんだ」と私は痛く感心したものでした。ムヒカ大統領の「自分は一人の公僕だ」という自覚にも、いま、同じように心を打たれます。
 私たちの多くがどっぷりと漬かっている消費文化生活についてもよくよく考えなければなりますまい。ムヒカ大統領は、つい先頃の国連総会で、浮薄過剰な消費文明を糾弾する講演を行いました。大手マスメディアは殆ど取り上げませんでしたが、国連総会の多くの出席者の臓腑に沁みわたった発言だったに違いありません。そのさわりの所を少し紹介します。
“We have sacrificed the old immaterial Gods, and now we are occupying the temple of the Market-God. He organizes our economy, our politics, our habits, our lives and even provides us with rates and credit cards and gives us the appearance of happiness.(我々は古い非物質的な神々を犠牲にしてしまい、いまやマーケット神の神殿に詰めかけている。この神が我々の経済、政治、習慣、生活を取り仕切り、挙句の果てに、相場やクレディット・カードまで供給してくれて、我々に見せかけの幸福を与えてくれている。)”
“It seems that we have been born only to consume, and to consume, and when we can no longer consume, we have a feeling of frustration and we suffer from poverty, and we are auto marginalised.(我々はまるでひたすら消費に消費を重ねるだけのために生まれて来たみたいだ。そして、もうこれ以上消費が出来なくなると、我々は挫折感を味わい、貧困の情に苦しみ、かくて、自動的に自らの存在価値を卑小なものにしてしまうのだ。)”
 さて、このあと、無神論者のムヒカ大統領がぞっこん惚れ込んだらしいフランシスコ教皇の話をするつもりでしたが、長くなり過ぎたので、目についた関連記事を三つほど付記して、またの日に論じたいと思います。フランシスコ教皇やムヒカ大統領、それに加えて、私の期待をかき立てる何人もの女性政治家がラテン・アメリカの地には続々出現しています。中南米に澎湃と沸き上がる人間らしい人間たちの力強い声に私は希望をつなぎたいのです。

<フランシスコ教皇の発言>
「拝金」「資本主義」

“Pope Francis Attacks 'Idolatry of Money,' Says Inequality 'Kills'”
http://www.alternet.org/pope-francis-inequality-and-capitalism

“Pope condemns idolatry of cash in capitalism”
http://www.theguardian.com/world/2013/sep/22/pope-francis-idol-money

「経済の理解」

“Pope Francis Understands Economics Better Than Most Politicians”
http://www.commondreams.org/view/2013/11/27-3

藤永 茂 (2013年12月3日)


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