リチャード・ローティ(Richard McKay Rorty、1931年10月4日 - 2007年6月8日)という米国の高名な哲学者がいます。ローティは、1998年、『Achieving Our Country』(Harvard University Press, 1998) というアメリカ論を出版しましたが、この本の小澤輝彦氏による全和訳は、原著者ローティの助言に従って『アメリカ 未完のプロジェクト』というタイトルで2000年に出版されました。2010年に出版した拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』で、そもそもアメリカという国が革命的に立派な理念に立脚したプロジェクトとして出発したとするローティの考えが間違いであることを、私は指摘し、批判しました。今回の大統領選挙を通して世界の人々の目にさらされた米国の姿は、アメリカという国が、人間の集合体として、立派な形に向かって完成への道を進みつつあるというローティの描く像が如何に見当はずれなものであるかを、悲劇的に示しています。
このブログの前々回(2020年11月1日)の記事『どっちになっても同じ事』に、
「トランプが勝つかバイデンが勝つか??!!?? 世界中のマスコミは大騒ぎです。しかし、何も変わりはしないでしょう。アメリカは、一番基本的なレベルでは、何も変わらないでしょう。BUSINESS AS USUAL のままでしょう。」
と書きましたが、あの記事の要旨は、千本 健一郎さんが「さて、アメリカはどこへ行くのか」と書いた1971年の時点から現在までを考えてみても、何も変わってはいないということにあります。
以下に訳出する論評では、米国という国の基本的な体質の故に、誰が新大統領に就任しても、不変のままである米国内の状況が具体的に数え上げられています。記事の日付は2020年11月3日(選挙当日)です。
http://axisoflogic.com/artman/publish/Article_89064.shtml
America After the Election: A Few Hard Truths About the Things That Won't Change
By John W. Whitehead | The Rutherford Institute
選挙の日に何が起ころうと、アメリカ国民の苦しみを和らげることにはなるまい。我々が何か投票以上のことをしない限り、我々が馴染みになってしまった政府――腐敗し、肥大化し、大金持ちの企業やロビイスト、利権団体によって支配されている政府は不変のままであろう。
アメリカ国民は、ホワイトハウスの新大統領が我々を苦しめている諸困難を解決することができるとしっかり思い込まされたままで居る。
しかし、今回の大統領選挙で誰が勝ったとしても、新しいボスは以前のボスと同じであり、アメリカで永久の下層階級である我々は、公的にも私的にも、あらゆる事で、警察国家のもとで窮屈な行列行進をすることを余儀なくされ続けるだろう。
ディープステート、1%、エリート、支配者、黒幕、影の政府、警察国家、監視国家、軍産複合体――あなたが彼らを何と呼ぶかは、実はどうでもよろしい。選挙で選ばれるのではないその官僚的機構が、実際には、主導権を握っているのであり、2021年にどちらの政党がホワイトハウスを占めるかに関係なく、その機構が主導権を発揮し続けることを理解している限りは。
自由と真実のために、2020年の大統領選挙で誰が勝つにしても続くであろう、アメリカという警察国家での生活についての厳しい真実をいくつか提示しよう。実際、これらの問題点は、近年の共和党政権下でも民主党政権下でも、存続しており、多くの場合、議論は盛んに行われてきた。
警察の軍隊化は続くだろう。国防総省が余剰の軍需品や武器を地方の法執行機関に無償で譲渡することを認める連邦政府の助成金プログラムのおかげで、警察官は、平和的保安官から軍人の延長の形に重武装化され、長靴、ヘルメット、盾、警棒、ペッパースプレー、スタンガン、攻撃ライフル、防弾防護服、小型戦車、兵器化されたドローンなどを完備した軍隊へと変貌し続けるだろう。
過剰犯罪者化は続くだろう。政府の官僚機構が、その権力と評価体系を強化し、警察国家とその企業の同盟国のものを強化する法律、法令、コード、規制を作り上げることに消費されているのに直面して、私たちは皆、些細な法律に違反しただけで罪を犯した小さな犯罪者とみなされ続けるだろう。
利益のためにアメリカ人を投獄することは続くだろう。国内の凶悪犯罪の数は大幅に減少しているが、免許停止中の運転などの非凶悪犯罪で投獄されるアメリカ人の数は激増している。これは、利益を求める民営刑務所への投獄を奨励する機構によるところが大きい。そのほとんどが軽微な非暴力犯罪者である何百万人ものアメリカ人が、社会を保護し、あるいは、再犯を防ぐのには何の効果もない長い刑期を求めがちな企業に引き渡されているのが現状だ。
軍産複合体に富を与える果てしなき戦争は続くだろう。2001年以来、アメリカ人はイラクやアフガニスタンを含む数多の外国の軍事占領のために、1時間あたり1,050万ドルを費やしてきたことを肝に銘じよう。
非武装のアメリカ人に対する警察による銃撃は続くだろう。アメリカ人は現在、テロリストに殺されるよりも、警察との対決で死ぬ可能性が8倍高く、一方、警察官はその不正行為の償いに金銭的な責を負わされる事は滅多になく、むしろ、雷に打たれる可能性の方が高いくらいだ。
SWAT部隊の襲撃は続くだろう。毎年、8万件以上のSWAT部隊の襲撃が、どちらかと言えば日常的な警察関係事項に関して、罪を犯した覚えのないアメリカ人に対して行われている。全国的に、SWAT部隊は呆れるほど些細な犯罪行為や単なる地域社会の迷惑行為に対処するために出動する。その事例を少し挙げれば、暴れ犬、家庭内の争い、蘭育成農家が提出した不備な書類、軽犯罪のマリファナ所持などである。
(訳注:SWATはSpecial Weapons And Tacticsの略称で、米国の警察に設置されている特殊部隊)
アメリカ国民に対する政府の戦争は続くだろう。アメリカで犯罪者のように扱われるのに、もはや、貧者とか、黒人とか、犯罪者である必要はない。米国市民の誰もが、いわゆる犯罪者階級の事実上の一員として、無実が証明されるまで有罪と見做される。
政府の腐敗は続くであろう。私たちのいわゆる代議士たちは、実際には私たち市民を代表してはいない。私たちは現在、権力と支配を永続させることに主な利益を持つ政府と企業の寡頭的なエリートに支配されている。
監視国家の台頭は続くであろう。この国のリアルタイムの監視カメラと顔認識ソフトウェアのネットワークの成長と連携して、間もなく、逃げ場も、隠れ場も本当に無くなってしまうだろう。
帝王的な大統領の統治下で政府の専制は続くだろう。テロリズム、国内の過激主義、銃による暴力や組織犯罪にも増して、市民の生命、自由、財産に対する危険、政府がそれから私たちを守ると主張する危険のどれよりも、米国政府の方が、より大きな脅威となっている。この状態は、どちらの政党が権力の座にあろうとも、そのままに維持される。
政府がその権力を拡大するために国家的危機を操ることが続くだろう。いわゆる国家への脅威と呼ばれるもの、――それが市民の不穏動向、学校での銃撃事件、テロだと申し立てられる行為、あるいはCOVID-19の場合のように世界的なパンデミックの脅威のどれであれ――政府は、国民感情の高まり、混乱、恐怖につけ込んで、警察国家の管轄範囲を広げるための手段として利用する傾向がある。
要点はこれだ:選挙の日に行われる何事も、アメリカ国民の苦しみを和らげない。私たちが投票以上のことをしない限り、我々が目の当たりにする政府―
腐敗し、肥大化し、大金持ちの企業やロビイスト、利権団体によってコントロールされている――政府は不変のままだろう。そして、“私たち国民(we the people)”は、――大きな政府によって過大な税金を掛けられ、過剰に管理され、過大な負担を背負わされて、我々を代表して我々のために声を上げる人々の数は少なく、我々に迫りくる監獄の壁には呑気なままで気が付かない--我々は、重い足取りで悲惨な道をたどり続けるだろう。
これらの問題は、より良い方向に物事を変えることができるのは自分たちだけだという事実にアメリカ人が目覚めるまで、私たちの国を苦しめ続けるだろう。もし我々の自由を回復し、我々の政府のコントロールを奪還する希望があるとすれば、それは政治家ではなく、我々国民自身にかかっている。
考えてみれば、実際、我が憲法は三つの重要な言葉で始まる、"We the people."
建国の父たちが私たちに理解させようとしたのは、私たちが政府であるということだ。
我々なしに政府は存在しない-我々の絶対的な多数さ、我々の力、我々の経済力、我々はこの地に居るという物理的な存在感。
また、我々の共犯と共謀がなければ、――我々が、目を瞑り、肩を窄めて諦め、自分の方から気を逸らし、市民としての意識を希薄にすることがなければ、専制政治も、我々の権利の習慣的な侵害もあり得ない、つまり、警察国家もあり得ないのだ。
この選挙でどちらの候補者が勝利しても、一般市民とそれを代表する人々は、この強力な真実に対して説明責任を負う必要がある。
藤永茂(2020年11月12日)