キューバのフィデル・カストロは、2006年7月、急性の腸内出血で手術を受け、それを機会に国政を弟のラウルに譲りました。正式の権力委譲は2008年2月19日に行なわれましたが、手術を受けた頃からフィデル・カストロは引退を決心していたと思われます。『カストロの回想』と呼ばれる不定期の随想が発表され始めたのは2007年の9月です。英語版(Reflections of Castro)を読むのに便利なのは米国の伝統ある社会主義評論雑誌(Monthly Review)ですが、それをざっと眺めてみると、月平均で4,5回の頻度で続いていたようでした。
http://monthlyreview.org/castro/2012/10/22/fidel-castro-is-dying-by-fidel-castro/
私がこのブログを書き始めたのが2006年2月、それから毎週水曜日に雑文の掲載を続けて来ました。『カストロの回想』に関連しても、「ものを考える一兵卒(a soldier of ideas )」という題で2回(2011年4月27日、5月4日)書きました。このタイトルは「I promised you that I would be a soldier of ideas, and I can still fulfill that duty.」というカストロ自身の言葉から来ています。
ところが、『カストロの回想』が今年の6月19日付けの次のような短い文章を最後にプッツリ途絶えてしまいました。
■ The Universe and its Expansion
I respect all religions even though I do not profess them. Human beings, from the most ignorant to the wisest, are looking for an explanation for their own existence. Science is continuously trying to explain the laws that govern the universe. At this moment you can see it is expanding, a process that began approximately 13.7 billion years ago.?
『宇宙とその膨張』
私は信仰を持っていないが、しかし、すべての宗教を尊重する。人間は、最も無知な者から最も賢明な者まで、自らの存在の説明を求めるものだ。科学は宇宙を律する法則を説明しようと絶え間なく努力を続けている。現時点では、宇宙は膨張していることが分かっていて、この膨張の過程は約137億年前に始まった。■
これはカストロにしては奇妙な、意味深長な発言だと私は思いました。7月になり、8月、9月が過ぎ、10月も半ばになっても、何の音沙汰もなし。カストロは私と全く同じ86歳、とうとう彼も書く元気を失ってしまったのか、あるいは、書くことの空しさに行き当たったのか、あるいは、死の床にあるのか、・・と思いを回らしていた矢先の10月22日、『フィデル・カストロは死にかかっている』という見出しでカストロ自身の手になる文章が発表されました。それには彼の息子のアレックスが撮った写真が付加されていて、広いふちの麦わら帽をかぶったカストロ爺さんが何処かの農園で植物にさわっている様子が見えます。
http://www.granma.cu/ingles/cuba-i/22oct-fidel.html
それによると、あるヴェネズエラ人の医師が明らかにしたニュースとしてスペインの新聞が「カストロは右の脳に重症の脳梗塞が生じて植物人間状態になった」と報じたので、こうした虚偽の報道はこれまで何度もあったことながら、カストロ自身がこのまことしやかな嘘に答えたということのようです。それにこの10月はいわゆる「キューバの核ミサイル危機」の50周年記念の月でもあり、この文章の後半にそれが言及されていますので、訳出します。
■ A few days ago, very close to the 50th anniversary of the October Crisis, news agencies pointed to three guilty parties: Kennedy, having recently become the leader of the empire, Khrushchev and Castro. Cuba did not have anything to do with nuclear weapons, nor with the unnecessary slaughter of Hiroshima and Nagasaki perpetrated by the president of the United States, Harry S. Truman, thus establishing the tyranny of nuclear weapons. Cuba was defending its right to independence and social justice.
When we accepted Soviet aid in weapons, oil, foodstuffs and other resources, it was to defend ourselves from yanki plans to invade our homeland, subjected to a dirty and bloody war which that capitalist country imposed on us from the very first months, which left thousands of Cubans dead and maimed.
When Khrushchev proposed the installation here of medium range missiles similar to those the United States had in Turkey ? far closer to the USSR than Cuba to the United States ? as a solidarity necessity, Cuba did not hesitate to agree to such a risk. Our conduct was ethically irreproachable. We will never apologize to anyone for what we did. The fact is that half a century has gone by, and here we still are with our heads held high.
I like to write and I am writing; I like to study and I am studying. There are many tasks in the area of knowledge. For example, never before have the sciences advanced at such an astounding speed.
I stopped publishing "Reflections" because it is definitely not my role to take up pages in our press, dedicated to other tasks which the country requires.
Birds of ill omen! I don’t even remember what a headache is. As evidence of what liars they are, I present them with the photos which accompany this article.
数日前、キューバ十月危機の50周年記念日が目の前に迫って、新聞雑誌が有罪三人組を指名した:米帝国の指導者に成りたてだったケネディ、フルシチョフ、そしてカストロ。キューバは核兵器とは、そして、広島と長崎での不必要な大虐殺とは何の関係もなかった。あの大虐殺はアメリカ合州国大統領ハリー・トゥルーマンの犯行であり、そうすることで核兵器の暴虐専制を確立した。キューバは独立と社会的正義の権利を守ろうとしたのだ。
我々が武器、石油、食糧その他の資源についてソビエトからの援助を受けたのは、わが祖国を侵略しようとするヤンキーたちの計画から我々を守るためだったのだ。わが祖国は独立の当初からあの資本主義国家に卑劣で血にまみれた戦争を押し付けられ、何千人ものキューバ人が殺されるか障害者となっていた。
フルシチョフが、連帯の必要性から、アメリカ合州国がトルコに既に配置していたものと同じような中距離ミサイルをキューバに配置することを提案して来た時、--- トルコからソビエト連邦への距離の方がキューバとアメリカ合州国との距離よりも遥かに近かった --- キューバはそのリスクに合意することをためらわなかった。我々の行為は倫理的に非難の余地のないものであった。我々は、誰に対しても、我々がしたことを決して謝らないであろう。それから半世紀が経った今、我々は誇りかに胸を張って依然としてここにある。
私は書くのが好きだし、書いてもいる;勉強するのも好きだし、勉強もしている。知識の分野では多数のやるべき仕事がある。例えば、諸々の科学がこれほど驚くべき速度で進歩したことはかってなかった。
私は“回想”を発表するのは止めにした。何故なら、この国が必要とする他の任務に貢献すべき我々の新聞の頁を占領するのは確かに私の役割ではないからだ。
私についての悪いニュースを流したい人々には申し訳ないが、私は頭痛とはどんなものだったかさえ憶えてないような有様だ。彼らがどんな嘘つきかを示す証拠として、この記事と一緒に写真もお目にかけよう。■
なにしろカストロが早く死ねばいいと願っている人々は沢山いるわけですから、上のカストロの自筆記事と写真のことは多くの新聞やネット上で取り上げられました。10月26日付けのFINANCIAL TIMES の記事もその一つですが、その陰にこもった意地の悪さも一読に値します。「フィデル・カストロは、今週、真に歴史的な(truly historic)ニュースを世界とキューバ人民に与えた。それは、彼が元気に生きているという事実ではなく、彼が脚光を浴びる場所から更に身を引くであろうという事だ」といった調子で始まり、写真のカストロが猫背で(stooped)杖をついているとわざわざコメントし、「ビデオを発表したかったのだろうが、彼はとても農場を歩き回れる状態ではない」と一外交官が言ったと書き添えてあります。意地悪はこれだけではありませんが、これ以上は取り上げる気になりません。私たちにとって、もっと大切なことは、これを機会に、50年前の1962年10月に起ったキューバ十月危機の本質を正しく理解することでしょう。危機の歴史的経過の細部は恐らく永久に不確定要素を含んだままに留まると思われますが、私たちにとって最も肝要なことははっきりしています。まず、1960年2月にキューバの革命政権の首相になったフィデル・カストロが開始した農地改革などの社会主義的政策をアメリカ政府は嫌悪して、1961年1月には国交を断絶し、カストロのキューバを侵略し崩壊させようとしていたことを明確に意識することです。1961年4月4日にはハバナの爆撃が行なわれ、17日には米国傭兵部隊が豚湾に上陸作戦を行ない、敗北を喫します。しかし、アメリカは次のキューバ再侵攻を直ちに立案していて、そのまま推移すればキューバ新政権が壊滅させられることは不可避であることを、カストロもフルシチョフも信じていたのです。これが1962年10月のキューバ・ミサイル危機に至る状況です。それに加えて、私たちが心得て置くべき事柄が二つあります。その一つは、アメリカは既にトルコに核弾頭ミサイルを配置して、ソ連本土を核で威嚇していたという事実です。核爆弾で脅しをかけたのは、アメリカの方が先だったのです。上のカストロの文章では、「フルシチョフが、連帯の必要性から、アメリカ合州国がトルコに既に配置していたものと同じような中距離ミサイルをキューバに配置することを提案して来た時、--- トルコからソビエト連邦への距離の方がキューバとアメリカ合州国との距離よりも遥かに近かった --- キューバはそのリスクに合意することをためらわなかった」と書いてあります。もう一つはアメリカが1903年以来キューバのグアンタナモ湾に軍事基地を置いたまま、今日まで、占領を続けていることです。アフガニスタンやイラクで逮捕された‘いわゆる’テロリストたちが強制収容され、人権を無視した取り扱いを受けていることで悪名高いグアンタナモ湾収容キャンプも米軍基地内にあります。
私としては、一種の‘同病の相憐れみ’から、長い長い戦いを終えた一老兵としてのフィデル爺さんを、西欧のマスメディアよりは温かい目で見まもりたいと思います。長く続いた『カストロの回想』の最終回が上に全文訳出した『宇宙とその膨張』と題する宗教と自然科学についての想いであることも、私には他人事とは思えません。私も近頃しきりに“神”について考えますし、また、物理学教師として口に糊して来た身でありながら、この20年間ほどでの物理学の進展を良く理解していないので、対称性の破れとか「くりこみ」の考えとか、また、量子の法則から私たちの日常の巨視的世界がどうやって出てくるか等の問題を、せめて、大学院レベルまで良く勉強してから死にたいと思っています。おおまかに言って、フィデル・カストロと同じような心境なのかも知れません。
藤永 茂 (2012年10月31日)
http://monthlyreview.org/castro/2012/10/22/fidel-castro-is-dying-by-fidel-castro/
私がこのブログを書き始めたのが2006年2月、それから毎週水曜日に雑文の掲載を続けて来ました。『カストロの回想』に関連しても、「ものを考える一兵卒(a soldier of ideas )」という題で2回(2011年4月27日、5月4日)書きました。このタイトルは「I promised you that I would be a soldier of ideas, and I can still fulfill that duty.」というカストロ自身の言葉から来ています。
ところが、『カストロの回想』が今年の6月19日付けの次のような短い文章を最後にプッツリ途絶えてしまいました。
■ The Universe and its Expansion
I respect all religions even though I do not profess them. Human beings, from the most ignorant to the wisest, are looking for an explanation for their own existence. Science is continuously trying to explain the laws that govern the universe. At this moment you can see it is expanding, a process that began approximately 13.7 billion years ago.?
『宇宙とその膨張』
私は信仰を持っていないが、しかし、すべての宗教を尊重する。人間は、最も無知な者から最も賢明な者まで、自らの存在の説明を求めるものだ。科学は宇宙を律する法則を説明しようと絶え間なく努力を続けている。現時点では、宇宙は膨張していることが分かっていて、この膨張の過程は約137億年前に始まった。■
これはカストロにしては奇妙な、意味深長な発言だと私は思いました。7月になり、8月、9月が過ぎ、10月も半ばになっても、何の音沙汰もなし。カストロは私と全く同じ86歳、とうとう彼も書く元気を失ってしまったのか、あるいは、書くことの空しさに行き当たったのか、あるいは、死の床にあるのか、・・と思いを回らしていた矢先の10月22日、『フィデル・カストロは死にかかっている』という見出しでカストロ自身の手になる文章が発表されました。それには彼の息子のアレックスが撮った写真が付加されていて、広いふちの麦わら帽をかぶったカストロ爺さんが何処かの農園で植物にさわっている様子が見えます。
http://www.granma.cu/ingles/cuba-i/22oct-fidel.html
それによると、あるヴェネズエラ人の医師が明らかにしたニュースとしてスペインの新聞が「カストロは右の脳に重症の脳梗塞が生じて植物人間状態になった」と報じたので、こうした虚偽の報道はこれまで何度もあったことながら、カストロ自身がこのまことしやかな嘘に答えたということのようです。それにこの10月はいわゆる「キューバの核ミサイル危機」の50周年記念の月でもあり、この文章の後半にそれが言及されていますので、訳出します。
■ A few days ago, very close to the 50th anniversary of the October Crisis, news agencies pointed to three guilty parties: Kennedy, having recently become the leader of the empire, Khrushchev and Castro. Cuba did not have anything to do with nuclear weapons, nor with the unnecessary slaughter of Hiroshima and Nagasaki perpetrated by the president of the United States, Harry S. Truman, thus establishing the tyranny of nuclear weapons. Cuba was defending its right to independence and social justice.
When we accepted Soviet aid in weapons, oil, foodstuffs and other resources, it was to defend ourselves from yanki plans to invade our homeland, subjected to a dirty and bloody war which that capitalist country imposed on us from the very first months, which left thousands of Cubans dead and maimed.
When Khrushchev proposed the installation here of medium range missiles similar to those the United States had in Turkey ? far closer to the USSR than Cuba to the United States ? as a solidarity necessity, Cuba did not hesitate to agree to such a risk. Our conduct was ethically irreproachable. We will never apologize to anyone for what we did. The fact is that half a century has gone by, and here we still are with our heads held high.
I like to write and I am writing; I like to study and I am studying. There are many tasks in the area of knowledge. For example, never before have the sciences advanced at such an astounding speed.
I stopped publishing "Reflections" because it is definitely not my role to take up pages in our press, dedicated to other tasks which the country requires.
Birds of ill omen! I don’t even remember what a headache is. As evidence of what liars they are, I present them with the photos which accompany this article.
数日前、キューバ十月危機の50周年記念日が目の前に迫って、新聞雑誌が有罪三人組を指名した:米帝国の指導者に成りたてだったケネディ、フルシチョフ、そしてカストロ。キューバは核兵器とは、そして、広島と長崎での不必要な大虐殺とは何の関係もなかった。あの大虐殺はアメリカ合州国大統領ハリー・トゥルーマンの犯行であり、そうすることで核兵器の暴虐専制を確立した。キューバは独立と社会的正義の権利を守ろうとしたのだ。
我々が武器、石油、食糧その他の資源についてソビエトからの援助を受けたのは、わが祖国を侵略しようとするヤンキーたちの計画から我々を守るためだったのだ。わが祖国は独立の当初からあの資本主義国家に卑劣で血にまみれた戦争を押し付けられ、何千人ものキューバ人が殺されるか障害者となっていた。
フルシチョフが、連帯の必要性から、アメリカ合州国がトルコに既に配置していたものと同じような中距離ミサイルをキューバに配置することを提案して来た時、--- トルコからソビエト連邦への距離の方がキューバとアメリカ合州国との距離よりも遥かに近かった --- キューバはそのリスクに合意することをためらわなかった。我々の行為は倫理的に非難の余地のないものであった。我々は、誰に対しても、我々がしたことを決して謝らないであろう。それから半世紀が経った今、我々は誇りかに胸を張って依然としてここにある。
私は書くのが好きだし、書いてもいる;勉強するのも好きだし、勉強もしている。知識の分野では多数のやるべき仕事がある。例えば、諸々の科学がこれほど驚くべき速度で進歩したことはかってなかった。
私は“回想”を発表するのは止めにした。何故なら、この国が必要とする他の任務に貢献すべき我々の新聞の頁を占領するのは確かに私の役割ではないからだ。
私についての悪いニュースを流したい人々には申し訳ないが、私は頭痛とはどんなものだったかさえ憶えてないような有様だ。彼らがどんな嘘つきかを示す証拠として、この記事と一緒に写真もお目にかけよう。■
なにしろカストロが早く死ねばいいと願っている人々は沢山いるわけですから、上のカストロの自筆記事と写真のことは多くの新聞やネット上で取り上げられました。10月26日付けのFINANCIAL TIMES の記事もその一つですが、その陰にこもった意地の悪さも一読に値します。「フィデル・カストロは、今週、真に歴史的な(truly historic)ニュースを世界とキューバ人民に与えた。それは、彼が元気に生きているという事実ではなく、彼が脚光を浴びる場所から更に身を引くであろうという事だ」といった調子で始まり、写真のカストロが猫背で(stooped)杖をついているとわざわざコメントし、「ビデオを発表したかったのだろうが、彼はとても農場を歩き回れる状態ではない」と一外交官が言ったと書き添えてあります。意地悪はこれだけではありませんが、これ以上は取り上げる気になりません。私たちにとって、もっと大切なことは、これを機会に、50年前の1962年10月に起ったキューバ十月危機の本質を正しく理解することでしょう。危機の歴史的経過の細部は恐らく永久に不確定要素を含んだままに留まると思われますが、私たちにとって最も肝要なことははっきりしています。まず、1960年2月にキューバの革命政権の首相になったフィデル・カストロが開始した農地改革などの社会主義的政策をアメリカ政府は嫌悪して、1961年1月には国交を断絶し、カストロのキューバを侵略し崩壊させようとしていたことを明確に意識することです。1961年4月4日にはハバナの爆撃が行なわれ、17日には米国傭兵部隊が豚湾に上陸作戦を行ない、敗北を喫します。しかし、アメリカは次のキューバ再侵攻を直ちに立案していて、そのまま推移すればキューバ新政権が壊滅させられることは不可避であることを、カストロもフルシチョフも信じていたのです。これが1962年10月のキューバ・ミサイル危機に至る状況です。それに加えて、私たちが心得て置くべき事柄が二つあります。その一つは、アメリカは既にトルコに核弾頭ミサイルを配置して、ソ連本土を核で威嚇していたという事実です。核爆弾で脅しをかけたのは、アメリカの方が先だったのです。上のカストロの文章では、「フルシチョフが、連帯の必要性から、アメリカ合州国がトルコに既に配置していたものと同じような中距離ミサイルをキューバに配置することを提案して来た時、--- トルコからソビエト連邦への距離の方がキューバとアメリカ合州国との距離よりも遥かに近かった --- キューバはそのリスクに合意することをためらわなかった」と書いてあります。もう一つはアメリカが1903年以来キューバのグアンタナモ湾に軍事基地を置いたまま、今日まで、占領を続けていることです。アフガニスタンやイラクで逮捕された‘いわゆる’テロリストたちが強制収容され、人権を無視した取り扱いを受けていることで悪名高いグアンタナモ湾収容キャンプも米軍基地内にあります。
私としては、一種の‘同病の相憐れみ’から、長い長い戦いを終えた一老兵としてのフィデル爺さんを、西欧のマスメディアよりは温かい目で見まもりたいと思います。長く続いた『カストロの回想』の最終回が上に全文訳出した『宇宙とその膨張』と題する宗教と自然科学についての想いであることも、私には他人事とは思えません。私も近頃しきりに“神”について考えますし、また、物理学教師として口に糊して来た身でありながら、この20年間ほどでの物理学の進展を良く理解していないので、対称性の破れとか「くりこみ」の考えとか、また、量子の法則から私たちの日常の巨視的世界がどうやって出てくるか等の問題を、せめて、大学院レベルまで良く勉強してから死にたいと思っています。おおまかに言って、フィデル・カストロと同じような心境なのかも知れません。
藤永 茂 (2012年10月31日)