シリアをめぐる情勢はますます緊迫の度を増しています。そしてクルド問題は単にそれに随伴した問題ではなく、その中核に絡まっている重要な問題です。
現地の情勢の展開に目を配りながら、オジャランの『Democratic Confederalism(民主的連邦主義)』の翻訳を始めます。原書はクルド語で、私の手元には、その英訳版が二つあります。私が使うのはTransmedia Publishing 2014 (ISBN 978-3942961172)という単行小冊子版の方です。もう一つはクルド労働者党(PKK)のホームページにアップされているのですが、このところ、エルドアン政府が邪魔をしているのかアクセス出来ません。
http://www.pkkonline.com/en/index.php?sys=article&artID=169
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目次
I. Preface
II. The Nation-State
III. Democratic Confederalism
IV. Principles of Democratic Confederalism
V. Problems and Solutions for the Middle East
I. 序言
30年以上にわたって、クルド労働者党(PKK)はクルド人の正当な権利のために闘ってきた。彼らの闘争、自由を求める彼らの戦いはクルド人問題を中東全体に影響を及ぼす国際的問題に変え、クルド人問題の解決を手の届くところまで持ってきた。
1970年代にPKKが形成された頃、国際的なイデオロギーと政治的状況は冷戦の二極化世界と社会主義陣営と資本主義陣営との対立で特徴付けられていた。その頃PKKは全世界にわたる非植民地化運動の勃興に勇気付けられた。この文脈において、我々は、我が母国の特殊の状況に応じて我々自身の道を見出そうと努力した。PKKはクルド人問題を単なる人種問題あるいは国家設立問題と見なしたことは一度もなかった。むしろ、クルド人問題とは、その社会を自由化し、民主化するプロジェクトであると我々は信じたのである。これらの目標は1990年代以来、時を追ってますます我々の行動を決定した。
また我々はクルド問題と現代資本主義体制のグローバルな支配との間の因果的関係を認識した。この関係を問い、挑戦することなしには問題の解決はありえないであろう。さもなければ、我々は新しい依存関係に巻き込まれるだけに終わるだろう。
これまでは、クルド問題のような人種性と国家性が関わる問題は、その根を歴史的に深く、その社会の基盤に持っているのであるから、現実的な唯一の解決策は国民国家の建設であると考えられてきたし、それが当世の資本主義的現代思考のパラダイムであった。
我々は、しかしながら、如何なる政治的設計図も中東における一般人民の状況を維持可能な形で改善することが出来るとは信じなかった。今日まで、中東であまりにも多くの問題を作り出してきたのは、国家主義と国民国家ではなかったか? したがって、このパラダイムの歴史的背景をもう一度良く見直して、国家主義の罠を避け、中東の状況により良く適合する解決策が展開出来るかどうかを検討しよう。
II. 国民国家
A. 基本的考察
一般人民が移動をやめて定住的になると、彼らは自分たちが住んでいる環境についての一定の考えを形成し始めるが、それはもっぱらその景観の性質や様相によって決められる。ある地域に定住しそこで長い間生活してきた氏族や部族は共通の同一性と故国の概念を発達させた。諸部族がそれぞれの故国と考えた境界はまだ国境ではなかった。商業活動や文化や言語は境界によって制限されなかった。領土的な境界は長い間柔軟なままに止まっていた。ほとんどあらゆる所で封建体制が優勢を占め、そして、時たま、絶えず変化する国境と多数の言語と宗教を持った、ローマ帝国とか、オーストリア・ハンガリー帝国、オットマン帝国、英帝国といった君主制王国や多人種帝国が勃興した。そうした帝国は長期にわたり、多くの政治的変化に耐えて生存し続けた。それは、封建制的基礎のお陰で、帝国の権力がより小さい二次的権力中心の広がり全般にわたって柔軟に分布されたからであった。
国民国家と権力
国民国家が出現すると、交易、商業、金融が政治的参加に乗り出してきて、その結果、彼らの権力を伝統的な国家構造に加えることになった。二百年以上前の産業革命の初期における国民国家の発展では、無統制の資本の蓄積とその一方での急速に成長する人口の歯止めのない搾取とが、手に手を取り合って進んで行った。この革命から生じた新しい資本家階級は国家の政治的決定と構造への参画を求めた。かくして、その新しい経済的システムである資本主義は新しい国民国家の内在的な成分となったのである。
この国民国家は、部族構造と世襲権力を基礎とした古い封建制秩序とそのイデオロギーを、すべての部族や氏族を国家という屋根の下に統合する新しい国家的イデオロギーで置き換えるために、資本家階級とその資本の力を必要とした。このようにして、資本主義と国民国家は極めて親密となり、どちらも他なしに存在することは考えられなくなった。その結果、搾取は国家によって是認されるだけでなく、奨励され、助長さえされることになった。
国家とその宗教的ルーツ
国家の宗教的ルーツはすでに詳しく議論した。(オジャラン著「文明のルーツ」、ロンドン、2007年) 現在の政治的概念や理念の多くはその起源を宗教的あるいは神学的概念や構造に持っている。実際、よく考察すると、宗教と神的想像力が歴史において最初の社会的意識をもたらしたことが判明する。それらは多くの部族や他の前国家的共同体のイデオロギー的な接着剤となり、共同体としての存在を意味付けた。
やがて、国家構造が発展を遂げた後、国家、権力、社会の間の伝統的なつながりは弱体化を始めた。共同体の始原にあった神聖で神的な考え方や実践は共同意識のための意味を加速的に失って行き、その代わりに、君主や独裁者のような権力構造へと移されて行った。国家とその権力は神的な意志と法則から導出され、その支配者は神の恩寵によって君主となった。君主たちは地上で神聖な権力を代表することになったのである。
今日では、殆どの近代国家は自身を世俗的国家と称している。宗教と国家の古い絆は断ち切られ、もはや宗教は国家の一部ではないと言明する。しかし、これは恐らく半分の真理だと言ってよい。宗教団体や聖職者の代表は最早政治的な、また、社会的な意思決定に参画しないにしても、彼らは、依然として、彼ら自身が政治的あるいは社会的思想や社会的発展の影響を受けるのと同程度に、政治的社会的意思決定に影響を与えている。従って、世俗主義、トルコでは laicism と呼ばれているが、は依然として宗教的な要素を含んでいる。国家と宗教の分離は政治的な決定である。自然に生じたものではない。これが今もって権力と国家は何か既にあたえられたもののような様相を呈する理由であり、神が与えたもの、とさえ言えるかも知れない。世俗国家とか世俗権力とかの理念は曖昧なものに留まっている。
また国民国家は、国家、祖国、国旗、国歌、などなどその他多数の象徴を、宗教に根ざした古い象徴に代わるものとして、振り当ててきた。とりわけ、国家と国民の一体性のような理念は物質的な政治構造を超越するのに役立ち、その意味では、前国家的な神との一体性を思い出させる。それらは神聖なるものの代替として持ち出されたものだ。
その昔、ある部族が他の部族を征服した時には、征服された方の成員は勝者の方の神々を敬わなければならなかった。このプロセスを植民地化のプロセス、あるいは、同化のプロセスとさえ呼んでも間違いではあるまい。国民国家は、その社会を完全に武装解除することに役立てた擬似の神聖な象徴の数々を備え、暴力の使用を独占する中央集権国家である。
********************(次回に続く)
現在、トルコ東部のクルド人が多く住む地域で、エルドアン大統領のトルコ政府がクルド人に対して大いなる暴力を振るっています。オバマ大統領は「自国の都市を爆撃して自国民を殺戮する独裁者アサド大統領は打倒しなければならない」としきりに主張しますが、エルドアン大統領こそその非難に値します。トルコの最東南部、シリア、イラク、の三國が境を接するあたりに位置する人口約15万の都市 Cizre (チズレ、ジズレ)は、トルコ政府軍と国家警察軍の厳しい封鎖と攻撃に晒されていて、双方の死者数は大きくなるばかりですが、この街と周辺を守ろうとするクルド人市民たち、特に女性たちの決意と意気はいよいよ高く、オジャランの教えに沿った自治集団の設立が盛んに行われています。興味のある方は、例えば、下記のサイトを覗いてください。
http://en.firatajans.com/women/women-lead-the-building-of-self-rule-in-cizre
http://en.firatajans.com/kurdistan/140-communes-formed-in-cizre-as-part-of-building-of-self-rule
https://syria360.wordpress.com/2015/09/15/turkeys-war-against-the-kurds/
藤永 茂 (2015年9月30日)
現地の情勢の展開に目を配りながら、オジャランの『Democratic Confederalism(民主的連邦主義)』の翻訳を始めます。原書はクルド語で、私の手元には、その英訳版が二つあります。私が使うのはTransmedia Publishing 2014 (ISBN 978-3942961172)という単行小冊子版の方です。もう一つはクルド労働者党(PKK)のホームページにアップされているのですが、このところ、エルドアン政府が邪魔をしているのかアクセス出来ません。
http://www.pkkonline.com/en/index.php?sys=article&artID=169
********************
目次
I. Preface
II. The Nation-State
III. Democratic Confederalism
IV. Principles of Democratic Confederalism
V. Problems and Solutions for the Middle East
I. 序言
30年以上にわたって、クルド労働者党(PKK)はクルド人の正当な権利のために闘ってきた。彼らの闘争、自由を求める彼らの戦いはクルド人問題を中東全体に影響を及ぼす国際的問題に変え、クルド人問題の解決を手の届くところまで持ってきた。
1970年代にPKKが形成された頃、国際的なイデオロギーと政治的状況は冷戦の二極化世界と社会主義陣営と資本主義陣営との対立で特徴付けられていた。その頃PKKは全世界にわたる非植民地化運動の勃興に勇気付けられた。この文脈において、我々は、我が母国の特殊の状況に応じて我々自身の道を見出そうと努力した。PKKはクルド人問題を単なる人種問題あるいは国家設立問題と見なしたことは一度もなかった。むしろ、クルド人問題とは、その社会を自由化し、民主化するプロジェクトであると我々は信じたのである。これらの目標は1990年代以来、時を追ってますます我々の行動を決定した。
また我々はクルド問題と現代資本主義体制のグローバルな支配との間の因果的関係を認識した。この関係を問い、挑戦することなしには問題の解決はありえないであろう。さもなければ、我々は新しい依存関係に巻き込まれるだけに終わるだろう。
これまでは、クルド問題のような人種性と国家性が関わる問題は、その根を歴史的に深く、その社会の基盤に持っているのであるから、現実的な唯一の解決策は国民国家の建設であると考えられてきたし、それが当世の資本主義的現代思考のパラダイムであった。
我々は、しかしながら、如何なる政治的設計図も中東における一般人民の状況を維持可能な形で改善することが出来るとは信じなかった。今日まで、中東であまりにも多くの問題を作り出してきたのは、国家主義と国民国家ではなかったか? したがって、このパラダイムの歴史的背景をもう一度良く見直して、国家主義の罠を避け、中東の状況により良く適合する解決策が展開出来るかどうかを検討しよう。
II. 国民国家
A. 基本的考察
一般人民が移動をやめて定住的になると、彼らは自分たちが住んでいる環境についての一定の考えを形成し始めるが、それはもっぱらその景観の性質や様相によって決められる。ある地域に定住しそこで長い間生活してきた氏族や部族は共通の同一性と故国の概念を発達させた。諸部族がそれぞれの故国と考えた境界はまだ国境ではなかった。商業活動や文化や言語は境界によって制限されなかった。領土的な境界は長い間柔軟なままに止まっていた。ほとんどあらゆる所で封建体制が優勢を占め、そして、時たま、絶えず変化する国境と多数の言語と宗教を持った、ローマ帝国とか、オーストリア・ハンガリー帝国、オットマン帝国、英帝国といった君主制王国や多人種帝国が勃興した。そうした帝国は長期にわたり、多くの政治的変化に耐えて生存し続けた。それは、封建制的基礎のお陰で、帝国の権力がより小さい二次的権力中心の広がり全般にわたって柔軟に分布されたからであった。
国民国家と権力
国民国家が出現すると、交易、商業、金融が政治的参加に乗り出してきて、その結果、彼らの権力を伝統的な国家構造に加えることになった。二百年以上前の産業革命の初期における国民国家の発展では、無統制の資本の蓄積とその一方での急速に成長する人口の歯止めのない搾取とが、手に手を取り合って進んで行った。この革命から生じた新しい資本家階級は国家の政治的決定と構造への参画を求めた。かくして、その新しい経済的システムである資本主義は新しい国民国家の内在的な成分となったのである。
この国民国家は、部族構造と世襲権力を基礎とした古い封建制秩序とそのイデオロギーを、すべての部族や氏族を国家という屋根の下に統合する新しい国家的イデオロギーで置き換えるために、資本家階級とその資本の力を必要とした。このようにして、資本主義と国民国家は極めて親密となり、どちらも他なしに存在することは考えられなくなった。その結果、搾取は国家によって是認されるだけでなく、奨励され、助長さえされることになった。
国家とその宗教的ルーツ
国家の宗教的ルーツはすでに詳しく議論した。(オジャラン著「文明のルーツ」、ロンドン、2007年) 現在の政治的概念や理念の多くはその起源を宗教的あるいは神学的概念や構造に持っている。実際、よく考察すると、宗教と神的想像力が歴史において最初の社会的意識をもたらしたことが判明する。それらは多くの部族や他の前国家的共同体のイデオロギー的な接着剤となり、共同体としての存在を意味付けた。
やがて、国家構造が発展を遂げた後、国家、権力、社会の間の伝統的なつながりは弱体化を始めた。共同体の始原にあった神聖で神的な考え方や実践は共同意識のための意味を加速的に失って行き、その代わりに、君主や独裁者のような権力構造へと移されて行った。国家とその権力は神的な意志と法則から導出され、その支配者は神の恩寵によって君主となった。君主たちは地上で神聖な権力を代表することになったのである。
今日では、殆どの近代国家は自身を世俗的国家と称している。宗教と国家の古い絆は断ち切られ、もはや宗教は国家の一部ではないと言明する。しかし、これは恐らく半分の真理だと言ってよい。宗教団体や聖職者の代表は最早政治的な、また、社会的な意思決定に参画しないにしても、彼らは、依然として、彼ら自身が政治的あるいは社会的思想や社会的発展の影響を受けるのと同程度に、政治的社会的意思決定に影響を与えている。従って、世俗主義、トルコでは laicism と呼ばれているが、は依然として宗教的な要素を含んでいる。国家と宗教の分離は政治的な決定である。自然に生じたものではない。これが今もって権力と国家は何か既にあたえられたもののような様相を呈する理由であり、神が与えたもの、とさえ言えるかも知れない。世俗国家とか世俗権力とかの理念は曖昧なものに留まっている。
また国民国家は、国家、祖国、国旗、国歌、などなどその他多数の象徴を、宗教に根ざした古い象徴に代わるものとして、振り当ててきた。とりわけ、国家と国民の一体性のような理念は物質的な政治構造を超越するのに役立ち、その意味では、前国家的な神との一体性を思い出させる。それらは神聖なるものの代替として持ち出されたものだ。
その昔、ある部族が他の部族を征服した時には、征服された方の成員は勝者の方の神々を敬わなければならなかった。このプロセスを植民地化のプロセス、あるいは、同化のプロセスとさえ呼んでも間違いではあるまい。国民国家は、その社会を完全に武装解除することに役立てた擬似の神聖な象徴の数々を備え、暴力の使用を独占する中央集権国家である。
********************(次回に続く)
現在、トルコ東部のクルド人が多く住む地域で、エルドアン大統領のトルコ政府がクルド人に対して大いなる暴力を振るっています。オバマ大統領は「自国の都市を爆撃して自国民を殺戮する独裁者アサド大統領は打倒しなければならない」としきりに主張しますが、エルドアン大統領こそその非難に値します。トルコの最東南部、シリア、イラク、の三國が境を接するあたりに位置する人口約15万の都市 Cizre (チズレ、ジズレ)は、トルコ政府軍と国家警察軍の厳しい封鎖と攻撃に晒されていて、双方の死者数は大きくなるばかりですが、この街と周辺を守ろうとするクルド人市民たち、特に女性たちの決意と意気はいよいよ高く、オジャランの教えに沿った自治集団の設立が盛んに行われています。興味のある方は、例えば、下記のサイトを覗いてください。
http://en.firatajans.com/women/women-lead-the-building-of-self-rule-in-cizre
http://en.firatajans.com/kurdistan/140-communes-formed-in-cizre-as-part-of-building-of-self-rule
https://syria360.wordpress.com/2015/09/15/turkeys-war-against-the-kurds/
藤永 茂 (2015年9月30日)