私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

前代未聞の巨大「振り込め詐欺」

2008-10-29 11:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 「今すぐ70兆円振り込みなさい。さもないと大変なことになる。あなたの投資金も銀行預金も保険金もパーになってしまう」財務長官ポールソンが、緊急経済安定化法という形で、“とにかく俺に金をくれ。頼む。そうすれば事は解決する”と一般のアメリカ国民に語りかけた様子には、世上の「振り込め詐欺」に通じるところがあります。はじめに議会に提出された法案がたった3頁の長さであったこと、それが散々修正されて、最終的には、451頁もの部厚なものになったのも、始めから詐欺的な性格を秘めていたことを示しているように思われますし、いま即刻七千億ドル用意してくれないと大変なことになると国民をおどしたこと、その金の使い道は金融破綻の回避、ウォール・ストリートの危機の救済であるのに、法律の正式名称は緊急経済安定化法(Emergency Economic Stabilization Act, EESA)となっていることにも、詐欺的なうさん臭さが感じられます。
 いや、この立法は「振り込め詐欺」よりたちの悪い「脅迫」であったと言えるかもしれません。アメリカ国民の中にも、直ちにそれに気が付いた人々が沢山いました。だからこそ、共和、民主両党の幹部たちの予想を全く覆して、下院で原案が否決されたのです。しかし、単なる詐欺でしたら、騙されないようにすれば事は済みますが、中身のある脅迫であれば、話は違います。米国国会議員たちは、結局、「金融危機、経済危機」という脅迫に屈した形になりました。前回に紹介したサンダース上院議員は「Under this bill, the CEOs and the Wall Street insiders will still, with a little bit of imagination, continue to make out like bandits.」と言っています。bandit というのは強い言葉、辞書には「盗賊、追いはぎ、強盗、山賊」とあります。今回の70兆円の「公的資金投入」を「the biggest wealth-transferring heist of all-time」と書いた評論家もいます。heist は強盗行為、北米では、銀行強盗的犯罪行為を意味するのが普通のようです。
 もう一度、「非富裕層の金(税金)を富裕層が得をするように回す」という現象について考えてみます。前回に紹介したSlaughter教授の著書『THE IDEA THAT IS AMERICA』から再び引用します。:
■ On the social side, as we move into the twenty-first century, we are actually moving backward. We talk of the talk of social equality, but the gap between the richest and poorest Americans grows ever wider. People may make it from rags to riches on reality TV, but fewer and fewer are managing in actual reality. …… The gap between what we pay workers and managers in our corporations is greater than in any other country. Do we really think it is OK for a CEO to be paid a thousand times more than a janitor as long as both people are on a first-name basis? (社会面については、21世紀に足を踏み入れているわけだが、我々(アメリカ人)は実際にはむしろ後ずさりしている。我々は社会的平等というものをあげつらっているが、最富裕のアメリカ人と最貧困のアメリカ人の間のギャップはますます大きくなるばかりだ。テレビの実録番組では、極貧から大金持ちにのし上がる人々もいるが、ほんとの現実社会で何とかそれをやり遂げる人の数はどんどん稀になっている。・・・ アメリカの会社で平社員と管理職の給料の間のギャップは他の如何なる國におけるより大きい。社長と用務員がお互いにファーストネームで呼び合っている限り、社長が用務員の千倍の給料を貰ってもかまわないと、アメリカ人は本当に考えていてよいものだろうか?)■
“ファーストネーム”云々については、あとで又コメントします。貧富の差がますます拡大する傾向はほぼ世界中で見られる現象ですが、アメリカ合州国でそれがずば抜けて極端になった理由はよく考えてみる値打ちがありそうです。レーガン大統領がとった経済政策(レーガノミクス)がその主な理由だという見方がありますが、Reaganomics は“trickle-down” economics とも呼ばれます。収入や財産でトップの人々にたっぷりお金を与えると、経済が活性化されて、そのご利益が下層にもチョロチョロ流れ落ちて来るとする経済学です。江戸の落首よろしく言えば、“feeding the horses so the sparrows can eat (馬にまぐさをやれば、おこぼれで雀も食える)”というわけです。レーガン大統領の経済政策の一つに、資本主義経済の自由な発展の邪魔をしないように政府の力を小さくする、つまり、「小さな政府」を目指す方針が打ち出されました。この辺で私たち庶民はごまかされてしまいがちですが、中央政府の官僚的規模が小さくなっても、それが貧者から富者へ富を移動させる機能が弱くなるわけではありません。ここで問題にしている緊急経済安定化法(Emergency Economic Stabilization Act, EESA)の成立に少し先立ってアメリカ議会で問題なく承認された次年度の軍事費60兆円も貧者から富者へ富を移動させる極めて有効な手段であります。この巨大な国税出費は兵器産業をはじめとする各種の軍需産業に吸い込まれるのであり、結局はチェイニー副大統領に代表される人々の懐をごっそり潤すことになるのです。ブッシュ政権下のアメリカでは、この7年間に、もっとも裕福な400人の財産が67兆円増加したという統計数字があります。今度の世界同時の株価大暴落で彼らの富も大分目減りしたでしょうが、緊急経済安定化法(EESA)が回してくれる70兆円のおかげで、損失の可成りの部分を取り戻すことになりましょう。しかし、アメリカの中流層以下は今度の金融危機で貧しくなる一方でしょう。単に個人的な収入や資産だけではなく、医療保障その他の社会的福祉や社会を支えるインフラ整備に回される税金の減少という形でも。
 スローター教授の本からの上掲の引用の最後の部分、「お互いにファーストネームで呼び合っている限り、社長が用務員の千倍の給料を貰ってもかまわないと、本当に考えていてよいものだろうか?」、に話を戻します。アメリカの人々は、ごく簡単に、お互いをファーストネームで呼び合うようになります。私が初めて渡米し、研究者としてシカゴ大学の物理学教室で仕事をはじめたのは、50年も前、1958年のことでしたが、このファーストネームで呼び合う習慣には面食らいました。研究室の大学院学生たちがお互いの会話の中で教授をファーストネームで呼ぶだけではなく、教授に声を掛ける場合にも、ファーストネームを使うのには驚きました。アメリカが「自由と平等の國」であるという確かなあかしを見せつけられた思いでした。大学の用務員さんが大学総長をファーストネームで呼ぶ場面には出会いませんでしたが、ありえないことではありますまい。総長さんが事務のお嬢さんや掃除夫さんをファーストネームで呼ぶのは普通です。これはフランス語を喋る人々の間のチュトワイエとは違う習慣であり、違う人間関係を意味します。中曽根さんが自慢にするロン・ヤスの関係ですが、スローター教授の上掲の語り口から察するに、この関係はどうやら必ずしも「自由と平等」のあかしではなさそうで、ここには一種の嘘、社会心理的な欺瞞のにおいがします。ロナルド・レーガンさんが中曽根さんにどれだけ本当の親愛感を持っていたか、わかったものではありません。

藤永 茂 (2008年10月29日)



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「公的資金投入」の現象論的考察

2008-10-22 13:45:03 | 日記・エッセイ・コラム
 わざと学者ぶったファンシーな表題をつけてみました。これは冗談です。しかし、現象論的な考察をするというアイディアは理論物理学者の頭の中には存在します。理論的に説明したい事柄を前にして、まず、物理現象としては、何が最も注目すべき現象なのかを見定めようとする姿勢です。哲学の「現象学」とは違います。もっとも、深い根っこの所ではつながっているかも知れませんが。
 今回のアメリカの金融危機は何故起こったのか、今からどうなるのか、世界中に広がった金融不安は各国政府の大々的な公的資金の注入で収束するのか、金融危機は回避できても、世界的な経済不況は必至なのか、などなどの問いがマスコミを連日賑わし、識者をもって自認する人たちが、口角沫を飛ばして、正解なるものを主張しあっています。その中には、今の危機的状況は、9/11の世界貿易センター・タワーズの崩落と同じく、意識的に、計画的に引き起こされたものであるという極端な見解さえ述べられています。ネット上で読むことの出来る沢山の論説や解説記事を読んで、素人の私にも、ぼんやりながら事柄の全体像が見えてきたような気がしますが、素人のにわか勉強の要約を書いてみても意味がありません。
 ただ、現象として何が起こっているかについての私の着眼点を述べてみるのは無駄でないかもしれません。というのは、「公的資金投入」というプロセスから結果する現象の本質は、歴史的に見て、決して珍しいものではないからです。それは「貧乏人の側から金持ちの側にお金が流れる」という現象です。「貧しき者から富める者へ富が移る」あるいは「一般国民の税金を貰って富裕層がますます肥る」現象と言ってよいでしょう。こう書くと、読者の中には、ハハア、この筆者は若い頃マルクス主義におぼれていた老人だな、とお思いの方もあるかもしれませんが、それはハズレです。たしかに、ブロッガーとしては、以前(2007年3月28日)、フランスのアナーキストの元祖であるプルードンの「繁栄は搾取である」という有名な言葉を引用したことがあり、現在の世界的な消費文明の繁栄が地球規模の苛酷な労働搾取と自然資源搾取の上に成立っていることを指摘したことがありました。しかし、今はそういった大上段に構えた御託宣を述べようとしているのではなく、アメリカの金融危機という現象を、富の動き、お金の動きに着目して、現象論的に、具体的に見定めようと考えているのです。
 「American Exceptionalism(アメリカ例外論、主義)」という考え方があります。これについては、Seymour Martin Lipset という高名な社会学者の『American Exceptionalism: A double-Edged Sword(1996) (邦訳もあり)』が一つの標準文献のようですが、まだ読んでいません。ただ、雑誌『FOREIGN AFFAIR, March/April 1996』の書評には、著者のリプセットが強調するほどにはアメリカ合衆国はヨーロッパ諸国や日本と異質でないと主張されています。アメリカ例外主義には私も甚大な興味を持っていますので、もっとよく勉強してから書いてみたいと思いますが、「貧者と富者との間の富の移動の方向とその量」の現象論についてだけ言えば、アメリカという國は極端に例外的(exceptional)であります。Anne-Marie Slaughter というプリンストン大学教授で国際法の権威である人の近著『THE IDEA THAT IS AMERICA (2007)(アメリカという観念)』から少し引用します。:
■ According to various analyses, on average our CEOs make 200 to 400 times more than the people who work for them. That is, the boss makes more in one day than the average worker makes all year. In 1965, it took the average CEO two weeks to make his workers’ pay. That is still the case in places like Europe and Japan, where CEOs typically make only 20 to 30 times as much as their workers. (色々な分析によると、平均して、我が国の企業経営最高責任者たちは彼らのために働く社員の200倍から400倍の収入を懐にする。つまり、会社のボスは平均的な社員の丸一年がかりの給料より多い収入を一日で得るわけだ。1965年の時点では、平均として企業経営最高責任者は2週間で一般社員の年俸を稼いでいた。この状況はヨーロッパや日本では今でもそのままで、企業経営最高責任者たちは、一般的に言って、社員たちの20倍から30倍を稼ぐだけだ。)■
この点だけでも、G7 の中で、たしかにアメリカは例外的な國、例外的な人間社会のようです。ウォール・ストリート救済法である緊急経済安定化法が米国下院で一度は否決され、その後、共和、民主両党の協力で米国議会を通過しましたが、その立案提出者である財務長官ポールソンは、その救済の対象の一つであるウォール・ストリートの大証券会社ゴールドマン・サックスの企業経営最高責任者(CEO)からブッシュ政権の財務長官に入った人です。ゴールドマン・サックスのCEO としての、2006年度の彼の報酬は163億円(1ドル=100円として)でした。これでは、平社員の1000倍以上ではありますまいか。
 次は、財務長官ポールソンが提出した緊急経済安定化法案の修正を強く迫った硬骨漢の上院議員 Bernard Sanders(1941年生れ、白人、ポーランド系ユダヤ人)の発言からの引用です。:
■ In our country today, we have the most unequal distribution of income and wealth of any major country on earth, with the top 1 percent earning more income than the bottom 50 percent and the top 1 percent owning more wealth than the bottom 90 percent. We are living at a time when we have seen a massive transfer of wealth from the middle class to the very wealthiest people in this country, when, among others, CEOs of Wall Street firms received unbelievable amounts in bonuses, including $39 billion in bonuses in the year 2007 alone for just the five major investment houses. (こんにち我が国では、トップの1%が下から50%の総収入より多く稼ぎこみ、トップの1%が下から90%の総財産より大きな富を所有しているという、世界中のどの大国よりも不平等な収入と富の分配が見られる。とりわけ言いたいのは、ウォール・ストリートの会社のCEOたちが、五大証券会社のCEOたちだけでも、2007年度一年で、390億ドルのボーナスを懐にしていることを含めて、信じられないような巨額のボーナスをせしめているという丁度この時に、莫大な富が、この國の中産階級からチョー大金持ちたちに譲渡されるのを目の当りにしたという時代に生きていることだ。)■
<a massive transfer of wealth>とは今回の緊急経済安定化法のことを指していると思われます。財務長官ポールソンが下院に提出した緊急経済安定化法(Emergency Economic Stabilization Act, EESA)の原案は3頁の簡潔なものでしたが、否決されて修正書き換えの作業が行われました。修正案は、今度は、戦略上、まず上院に提出されてそこでも修正が加えられ、次に下院に送られたのですが、結局、可決された 最終的なEESA は451頁の法律になっていました。たった3頁という簡潔きわまる原案には何が書いてあったか?それは、“to give Treasury Secretary Paulson sweeping powers, the ability to implement a rescue plan free of any legislative or judicial review” というものであったのです。つまり、国庫からポンと70兆円あまりをポールソンに手渡す。あとは誰に気兼ねも相談もなしに、財務長官ポールソンが好きに使ってよい--とする内容でした。
 もちろん、上院議員バーニー・サンダースはこの馬鹿馬鹿しい内容に腹を立て異議を唱えました。彼は「the absurdity of having the fox guarding the hen house (狐に鶏小屋の番をさせるバカバカしさ)」と言っています。サンダースさんの愉快な喩えに便乗して、私も一つ言わせて貰います。ポールソンの緊急経済安定化法は世界の歴史にその比を見ない大きさの「振り込め詐欺」であります。その理由は次回に申しましょう。
 さて、今回の演題である『「公的資金投入」の現象論的考察』のまとめをしなければなりますまい。いま世界中に広がっている「公的資金投入」の現象論的な本質は、“富が貧者たちから富者たちに流れ過ぎたことで生起した危機と混乱を、さらなる富を同じ方向に流すことによって解決しようとしている”という事であると、物理学者としての私は観察しています。この解決法でよいのかどうか、それはまた別の問題です。

藤永 茂 (2008年10月22日)


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「公的資金」の英語は?

2008-10-15 13:54:10 | 日記・エッセイ・コラム
 近頃の日本人は英語を使うのが大変好きなようですし、また何かの知識を披露する場合に、わざわざ、クイズの形にするのが流行のようですが、これは老人や子供のためには良くないのではないかと思います。ある事柄を人に伝えるには、分かりやすい言葉で、分かりやすい道筋をたどって行うべきでしょう。先日も、不法行為で連座の尻尾を押さえられた会社の役員さんが世間の人々に謝罪するのに、「コンプライアンス」という英語の単語を繰り返し使っていましたが、これをテレビで見ていた老人や子供のほとんどは何を言っているのか分からなかったでしょう。もし私が英語のクイズ番組を任せられていたら、英語の好きな実業家や政治家に出演してもらって、「コンプライアンスとコンプリシティという二つの言葉の語源は同じですか違いますか?」と訊いてみたい気がします。
 ところで、ついでに、英語クイズをもう一つ。この頃、日本のテレビや新聞は金融危機や株の大暴落のニュースで賑わっていて、「公的資金」という言葉がしきりに使われていますが、不思議なことに、「public funds」という英語はまるっきり出てきません。
何故でしょうか?それには、表面的な理由と、もっと深い理由があるように思われます。まず、表面的な理由ですが、日本国内以外では「public funds」という言葉が滅多に使われていないという事実から考えはじめたいと思います。アメリカ、イギリス、カナダなどの代表的新聞のいくつかを覗いてみれば直ぐに確かめられる事実です。日本の新聞で「公的資金」と訳されている英語を含む文章の例を一つだけ取り上げます。10月10日、ワシントンで開催された先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が発表した行動計画( G-7 Finance Ministers and Central Bank Governors Plan of Action)は五項目の行動のポイントを掲げていますが、「公的資金」にあたる言葉が使われているのは、その第3項で、次の通りです。:
■ Ensure that our banks and other major financial intermediaries, as needed, can raise capital from public as well as private sources, in sufficient amounts to re-establish confidence and permit them to continue lending to households and businesses. ■
私が購読している西日本新聞には「金融機関が信用を回復し、家計や企業への貸し出しを継続できる十分な量で、公的資金と民間資金により資本を増強できるようにする」と要約されています。ここの「capital from public sources」のほかには「公的資金」にあたる英語は、G-7の行動計画の文章の中には、見当たりません。米英の新聞記事や論説全般について「public funds」という表現はほとんど全く使われていないのです。しかし、日本は大手金融機関の破綻を食い止めるために大量の「公的資金」が投入された経験を既に持っています。ですから、同じ危機状況が世界的に同時多発している現状で、米国を含む各国政府が採ろうとしている行動を「「公的資金」の投入」と表現するのが日本のマスメディアにとって自然なことでありましょう。これが「公的資金」の英語が使われない表面的な理由です。しかし、私には、もう一つ、別の理由があるように思われます。
 「公的資金」とは私たち納税者が納めた税金のことです。だから、始めから「国税」という言葉を使った方が、一般国民、特に老人や子供には分かりやすかったのです。言ってみれば、「公的資金」という用語は政治的意図に裏打ちされた婉曲語法であります。興味ぶかいのは、アメリカでは、「公的資金」のことが「tax money」あるいは「taxpayer money」とストレートに表現される場合が、最近とくに、目につくことです。例えば、ブッシュ政権の財務長官ポールソンが米下院に提出した緊急経済安定化法案が、大方の予想を全く裏切って、否決され、修正を迫られた後では、ポールソンは、ワシントン・ポスト紙によると、財務省が銀行に直接投資する新しいプランについて、“use taxpayer money more effectively, more efficiently”と語っています。この発言を日本のマスメディアは「納税者の金をもっと有効に、もっと効率的に使う」と訳すのでしょうか、それとも、taxpayer money を「公的資金」と言い換えてしまうのでしょうか。
 これは、決して、どうでもよいことではありません。「公的資金を投入する」と聞かされるのと「我々が納めた税金を投げ入れる」と説明されることでは、大変に異なる理解に到達する人々が日本には多数いると、私は、思います。「いや、そんなことはない。無知な老人や子供たちに限られるさ」と反論される方もあるでしょうが、つぎの一事例は、マスコミで論説を担当している人々の中にも、この点の理解が十分でない方がいることを示しています。
 また、西日本新聞からの引用ですが、私はこの伝統ある地方紙の長年の愛読者で、その視点の確かさにおいては、有力な諸々の全国紙より優れていると思っていますので、愛する新聞の足を引っ張るのは気が進まないことを、はじめにお断りしておきます。問題は10月11日(土)夕刊の「はりせんぼん」に書いてあることです。
■ 実は、先週の本欄は米下院議会が緊急経済安定化法案を否決したことに「感動を覚えた」と書いていた。金曜の夕方に原稿を提出、紙面に割り付けられたのを確認し、紅灯の巷に。翌朝新聞を広げて慌てた。同院が法案を修正可決したという。未明の出来事、かろうじて最終版に間に合った。午前七時に出社し、急きょ別の話に書き換えたという次第だった。
 同法は七十五兆円の公的資金で不良債権を買い取り、銀行などを救済する。否決すれば企業は倒れ、失業者もあふれよう。それでもレッセフェール(自由放任主義)という経済、社会の大原則を下院は貫いた。そう思って私は感動した。■
これは、全くの状況誤認です。ブッシュ政権の財務長官ポールソンが米下院に提出した緊急経済安定化法案は、共和、民主両党の党幹部からの一致した支持を取り付けてから、下院での投票が行われたのですが、ふたを開けてみたら、事もあろうにブッシュの与党共和党から造反議員が多数あらわれて、否決されてしまいました。何故そんなことになったのか?造反議員たちのほぼ全員は、政府が、社会主義国なみに、投資会社や銀行の経営に手を出す、つまり、「レッセフェール(自由放任主義)という経済、社会の大原則」に反する干渉を行いそうになったので、法案の反対に回ったのではありません。選挙区民からの強い突き上げがあったからなのです。ある造反議員のもとには「その法案に賛成票を投じたら承知しないぞ」というメールが4万1千通も届いたと報じられました。一般民衆は何故そんなに怒ったのでしょうか。「俺たちが納めた税金を銀行家や投資家などの大金持ちの救済に使うとは何事か。金融危機は彼らの失敗が招いたことなのだから、彼らが責任を取るべきだ」というのが、民衆の怒りの本質です。彼らはpublic funds(公的資金) などという曖昧な言葉は使いません。taxpayer money, tax money, あるいは、もっと直裁に、our money という言葉を使っています。ですから、この社会情勢に応じて、財務長官ポールソン自身も taxpayer money という言葉を使って修正法案の弁護をしていることは、先ほど書いた通りです。
 金融や財政について全くの素人の私が今回の金融財政危機について発言をすることはおこがましい限りですが、しかし、物理学を修めた人間としての自然な視角というものはあります。次回には、やはり、英語の表現にからませながら、物理学者の視角から何が見えるかを申し上げてみようと思います。

藤永 茂 (2008年10月15日)


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『闇の奥』の第二刷での改訳訂正個所

2008-10-08 10:11:31 | 日記・エッセイ・コラム
 「『闇の奥』再読改訳ノート」というブログ・シリーズを4回目(2008年6月18日)で中断したのは、私の訳書の出版社(三交社)から、第二刷を出すので組版の許す範囲内での訂正をするように通知して来たからでした。時間的な制限もあり、私が、今、ゆっくりと進めている再読改訳とは別に考えて、現時点で可能な改訳訂正を急いで行いました。第一刷を買って頂いた読者のご参考のため、その変更部分を以下に報告いたします。(1)は第一刷、(2)は第二刷を意味します。
<p7>(1)ワイズ・ミュラー;(2)ワイズミュラー
<p13>(1)二本マストの小型巡航帆船ネリー号は下ろした錨の綱をピンと張って、帆布一つ動かさず、静止していた。潮は満ちて来ていて、風はほとんど凪いでいたから、河を下るというのであれば、錨を下ろして船を停め、潮の変わりを待つよりほかはなかった。;(2)二本マストの小型巡航帆船ネリー号は、潮に押されて、下ろした錨の綱をピンと張り、帆布一つ動かさず、静止していた。潮は満ちて来ていて、風はほとんど凪いでいたから、河を下るというのであれば、船を停めて、潮の変わりを待つよりほかはなかった。
<p16>(1)「海に生きる」;(2)「海に生きた」
<p25>(1)さまざまな地名;(2)さまざまな名
<p61>(1)一つたいへん重要な出張所が危険に瀕しているという噂がある.本当でなければよいがと願っている。なにしろ、クルツ氏は・・;(2)大変重要な出張所が危殆に瀕していて、主任のクルツ氏が病気だとの噂、本当でないようにと願っていたのだが、クルツ氏は・・
<p69>(1)徳行グループ;(2)選良グループ
<p71>(1)もともとの棲み家に帰るかのように、人の心の奥にしみ通ってきた。;(2)ひしひしと強く、人の心の奥に訴えかけてきた。
<p83>(1)大地の底から;(2)大地の奥深くから
<p97>(1)骨折り;(2)難行
<p110>(1)牝山羊;(2)牡山羊
<p132>(1)蛮習廃止国際協会;(2)蛮習抑制国際協会
<p180>(1)祝福;(2)福音伝道
<p180>(1)お前の心臓を絞り上げてやるぞ;(2)今からだってお前の心を痛めつけてやるぞ
<p189>(1)急進党;(2)過激政党
<p189>(1)極端論者;(2)過激派
<p214>(1)「未開でも発育不全でもなければ、私利私欲で汚れてもいない一つの魂」というマーロウの自賛は、マーロウをコンラッドの分身と考えると面白くなる。コンラッドは、もちろん、私利も私欲も持ってコンゴに出掛けた。コンラッドはここで無意識に嘘をついているのかも知れない。それにしても薄っぺらな自賛である。;(2)「未開でも発育不全でもなければ、私利私欲で汚れてもいない一つの魂」とは、クルツを愛した彼の婚約者を指していると考えられる。本書第一刷ではマーロウの自賛としたが、これは誤りなのでここに訂正する。本書一八五頁の「水晶の絶壁のように純粋で清澄な魂」もクルツの婚約者についてのマーロウの賛辞である。
<p248>(1)牝山羊;(2)牡山羊
<p250>(1)キンサガニ;(2)キサンガニ
<p266>(1)彼女は目を凝らして僕を見つめた。「あれは偉人だけに与えられる才能です」;(2)彼女は目を凝らして僕を見つめて「あれは偉人だけに与えられる才能です」と言葉を続けた。
<p269>(1)社会学者;(2)政治学者
<p279>(1)二〇数年;(2)三〇数年
訂正個所は以上です。誤りを指摘して下さった方々のお名前は省略させて頂きましたが、ここで改めてお礼を申し上げます。なお、この他にも訂正個所や訳文を改良すべき個所は、今からも、沢山出て来ると思いますので、『闇の奥』再読改訳ノート」というブログ・シリーズは今後も続けます。

藤永 茂 (2008年10月8日)


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アフリカの国立公園の私企業化(4)

2008-10-01 13:50:23 | 日記・エッセイ・コラム
  前回のブログ『アフリカの国立公園の私企業化(3)』の末尾に次のように書きました:「Keith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberとの長文の論考:<Gorillas “Executed” Stories front for Privatization and Militarization of Congo Parks, Truth of Depopulation Ignored>を直接読んで頂くのが一番なのですが、その詳細さとあまりの激烈な筆勢に辟易なさる方々も多いと思いますので、次回には、私なりに、読みやすくこなした形で事のあらましを説明したいと考えます。」
 まず、タイトルの意味ですが、Executedという語が“?”の中に入れてあるのは、この「処刑された」という言葉遣いは、普通、人間の場合に限られるからです。ゴリラが殺されたことの重大さを殊更に強調して、このストーリーの読者にゴリラへの同情と殺した人間たちに対する憎悪を増幅して、それをコンゴの国立公園の私企業化と武装化の隠れ蓑にしようとしているというのです。depopulation は、ここでは、そうやって、公園内で何とか暮らしている土着民たちを、野生動物の保護を理由に公園外に強制的に追い出していることを意味します。後で取り上げる、いわゆる、Conservation Refugees (環境保護難民)の現象です。
 Keith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberは、アフリカの多数の国立公園を組織的に私企業化して、アトラクションとしての野生動物を保護し、エコツーリズムの振興を推進している欧米の幾つかの組織とそれを支配している有力者たちの名をあげて詳しく論じていますが、以下に述べることは、この論考を出発点として私が勉強したことのごく一部分です。アフリカの国立公園の私企業化を語るとき、第一に挙げなければならない人物がいます。オランダの大実業家パウル・フォン・フリシンゲン(Paul van Vlissingen, 1941-2006)、亡くなったときの個人資産は数千億円と伝えられました。1896年創立の彼の一族(ファミリー)会社SHVはオランダ最大の私企業団で、昔はヨーロッパ第一の石炭卸売会社でしたが、石炭の人気下降を見抜いてLP(液化石油)ガスの販売に乗り換え、マクロというスパーマーケット・チェインを立ち上げ、さらに金属くずリサイクル業にも大きく進出しました。1998年、経営の第一線から退いた彼はアフリカの野生動物の保護に強い関心を示します。その年、南アフリカのネルソン・マンデラに会って、国立公園やその他の地域での野生動物保護の必要を訴え、その事業を半官半民で行うことを提案しました。マンデラは初め「野生動物より民生の改善の方を優先すべきだ」とフリシンゲンに言ったのですが、フリシンゲンは観光事業を振興すれば地方の住民の雇用につながるとして、結局、マンデラの説得に成功しました。手始めとして、フリシンゲンは私財2千5百万ユーロを投じて、南アフリカのマラケレ国立公園の半私企業経営を開始します。南アフリカ国立公園局(SANParks)の管理の下でマラケレ国立公園は荒廃するに任せられていたようで、フリシンゲンがそれに活を入れたことは認めなければなりますまい。彼は元の公園に接続する農地を時価の二倍で大々的に買い上げて私有化し、公園の面積を大きく拡大し、垣根と土地を整備して動物たちを囲い入れ、観光客を迎え入れる宿泊施設を整えて行きました。これらの事業はフリシンゲンに属する「マラケレ有限会社」によって行われ、SANParks は公園の入場料の50%を受け取る契約になっているようです。
 この成功に気を良くしたフリシンゲンは国立公園の私営化を南アフリカの他の地域への拡張を目指し、1億ユーロの基金を用意してアフリカ公園財団(African Parks Foundation)を発足させて、ザンビア、マラウィ、エチオピア、などに事業を進めて行きました。そして、フリシンゲンの成功に刺激された欧米の慈善団体や企業家や投資家がアフリカの野生動物の保護と観光資源化の事業に続々参加して来て、アフリカ国立公園の私企業化が滔々と進行することになりました。その全貌はとてもこの微々たるブログの細腕でカバーできるテーマではありませんし、この動きに参加している団体がすべて「エコツアーで一儲け」することを狙っているとも申しません。これらの団体からの支持を受けて野生動物の保護に熱情を燃やす若者たちの純真さに敬意を表したい気持もないわけではありません。Keith Harmon Snow とGeorgianne Nienaberの筆鋒はきびしく鋭すぎるのかも知れません。しかし、すべてがバラ色ではない動かぬ証拠があります。それは「環境保護難民(conservation refugees)」という奇妙な名称で呼ばれる難民の発生と存在です。その数はアフリカだけでも1千万人にのぼるという推定もあります。
 環境保護難民とは、アフリカや南米などで、自然公園や保護地区から邪魔者として追い出されて昔からの生活基盤を失い、難民化する人々のことです。アフリカに乗り込んで来た白人が利己的な土地の保全や野生動物の保護の目的の邪魔になる原住民たちを排除する現象は何もフリシンゲンが始めたものではありません。現在のブログのシリーズ『アフリカの国立公園の私企業化』の始めから取り上げている、世界的に有名なコンゴのビルンガ国立公園は、1925年、ベルギー政府が小さなゴリラ保護地区を造ったのが始まりで、その後、植民地当局ではなく、ブリュッセルの本国政府からの直接の指令で大規模の住民排除政策がとられ、10年後には現在のような広大な地域を占める公園になりました。蠅が媒介する「眠り病」の流行が公園内からの住民排除の口実になったこともありました。前回に紹介した記録映画“Guns for Hire: Congo 2006”に、1950年代にベルギー政府が造った観光リゾートの建物の残りの映像が出てきますが、コンゴ共和国独立以前には、土着民を排除したサバンナで白人観光客たちがライオンや象や犀を射殺するビッグゲーム・ハンティングの腕を競い、大いに楽しんでいたのでしょう。その上、国際的な“自然保護団体”の後押しで、土着黒人の密猟者はその場で射殺してよいという政策が公然と採られていた時期さえあったのです。これはビルンガ国立公園に限られたことではありませんでした。例えば、タンザニアでは、幾つかの英国の自然保護団体が数千人のマサイ人を彼らの住んでいた土地から排除する政策を支持したことがありました。この9月12日付けの西日本新聞に「ライオン絶滅の危機。ケニア過去6年間で25%減-マサイ人の狩りが原因」(アンボセリ国立公園、共同)という記事が出ていました。アンボセリ国立公園はケニア南部のタンザニアとの国境に接した所にあります。■「公園内にはライオンはもう50頭もいない。サファリ観光の目玉は何と言ってもライオンなのに」。ケニア野生生物公社(KWS)幹部のジョージさん(36)が嘆く。■ と書いてあります。事態は、昔も今も、本質的には変わっていません。
 フリシンゲンのアフリカ公園財団(African Parks Foundation, APF)に話を戻します。今ではAPN(African Parks Network)と名称を変えたようです。2007年12月7日、
APNはエチオピア南部の二つの国立公園、ネチュサー(Nech Sar)国立公園とオモ(Omo)国立公園、の管理経営から手を引くことを表明しました。このAPNの公式声明を含めて、事件についての各種の情報をネット上で読むことが出来ますが、声明文の言葉の綾にまどわされずに簡単に要約してしまえば、APNが好ましくないと考えた公園内の土着民の追い出しが思惑通りに行かなかったということです。ネチュサー国立公園は、2004年2月、APNがエチオピア政府から公園内で7千頭ほどの家畜を放牧している人々を公園外に移住させる約束をとって管理経営を始め、オモ国立公園の方も、2005年11月、同様の契約でAPNの管理経営の下に入りました。ここでは太古の昔からオモ河の定期的氾濫を利用した農業が営まれてきました。こうした土着民たちが祖先伝来の土地から追い出されることで生ずる難民が、つまり、環境保護難民(Conservation Refugees)に他なりません。上述の通り、その数はアフリカだけで1千万にも達するという推定もあります。ある意味では、これまで長年の間、自然環境、野生動物と共存しながら生活してきた土着の人々こそ、自然保護の玄人たちというべきではありますまいか。それはともかくとして、エチオピア南部の二つの国立公園にのばされたAPNの食指は、原住民とそれに協力した白人の反対にあって、引っ込められましたが、一時的な撤退であると見る向きもあります。APN(APF)の創始者フリシンゲンは2006年に亡くなりましたが、今のAPNへの有力な出資者の一人にアメリカの大会社ウォルマート(Wal-Mart)の会長Rob Waltonがいます。ウォルマート、多分ご存知でしょう、世界最大のディスカウントハウス-スーパーマーケットのチェーンで、日本では西友がその子会社です。従業員の扱いの悪さについては、その悪名を世界に轟かせている会社です。ウォールトン一族の資産はビル・ゲーツを凌ぎます。APNがソロバンに合わないアフリカの国立公園から手を引く理由の一つは彼ら一流のビジネス感覚から出ているのでしょう。
 前にも申しましたが、アフリカの国立公園の私企業化に関心を示す団体はAPNの他にも沢山あります。『アフリカの国立公園の私企業化(1)』に登場したリーキーの「ワイルドライフディレクト」もその一つですが、ここで、もう一つだけ追加をします。フリシンゲンのAPFよりも一足早く南アフリカで創立された「The Peace Parks Foundation」です。この「平和公園財団」は1997年2月にオランダ系白人大実業家アントン・ルパート(Anton Rupert, 1916?2006)によって創立されました。普通ドクター・ルパートと呼ばれるのは、化学者として博士号を持っていたからです。フリシンゲンと同じく天才的な企業家だったようで、その事業範囲は広大で、葡萄酒やモンブラン万年筆にも及びます。自然環境保全や野生動物保護に大変熱心だったのもフリシンゲンと同じでした。南アフリカと隣接国家の国立公園の管理経営にも顕著に貢献しました。エコツアー、野生動物見学ツアーに出掛ける日本人たちは南アフリカの有名なクルーガー国立公園をはじめとする幾つかの国立公園の行き届いた施設や保護されている野生動物の数と種類の豊かさに満足を覚えるようですが、それにはルパートやフリシンゲンの貢献が大きく寄与していると言えましょう。
 これらの大富豪大慈善家たちの関心が、もっぱら、アフリカの国立公園の私企業化から得られる利潤にあったとは、私は思いません。彼らには彼らなりの善意もあったのでしょう。しかし、アフリカ通のベテラン・ジャーナリストたちが「失敗国家」(例えば、ジンバブエ)あるいは「準失敗国家」(例えば、南アフリカ)と極め付ける国々の多数の国立公園が世界の観光会社の提供するエコツアーに組み込まれ、その案内を見ると、どこでもお金さえ出せば、けっこう贅沢なリゾート・ホテルに泊れるようになっているのは、少し奇妙だとは思いませんか? なんでもかんでもエコばやり、エコツーリズムがますます盛んになる一方で、エコ難民(Conservation Refugees)が一千万人も生じています。東部コンゴで野生ゴリラ数頭がポーチャーに殺されたとして、世界中のマスメディアが大騒ぎする一方で、毎日千人の人間の子供たちが飢餓や疾病で死んでいるという現実があります。河馬の肉が食用に供されて数が激減しているというニュースに並んで「マサイ族の一夫多妻制が子供を増やしすぎている」という意見が無神経にも公然と述べられます。
 ごく最近のニュースですが、南アフリカ国立公園局(SANParks)は国立公園や動物保護区の私営化の成果が順調にあがり、白犀の数が維持レベルより増えたので、20頭を間引いて売りに出すことにしたようです。ここでのキーワードは[sustainable development (持続可能開発)]です。エコツアー、野生動物見学ツアーの先には、ビッグゲーム・ハンティング・ツアーが控えています。Hunt in Africa というウェブサイト を覗いてみると、ありました、ありました。南アフリカで白犀ハンティングの5日間のツアーは白犀の頭のトロフィーも一つ込みで14万3千USドル(~1500万円)。その5日の間に、運良くライオンや象や河馬にも出会って撃ち殺すチャンスに恵まれれば、この分は追加後払いということになっています。こうした事業から得られる収益のどれくらいの部分が一般のアフリカ黒人たちの懐に入って来るのでしょうか。
 白犀にしてもライオンにしても、もともとアフリカの大地に野生の動物として生きていたもの、それを撃ち殺す愉悦を味わうためには金に糸目をつけない連中が居るのも困ったものですが、そうした人間たちの済度しがたいヴァニティにつけ込んで暴利を貪る連中は、その貴重なアフリカの天然資源をアフリカの現地人の密猟者に横取りされるのを許しはしないでしょう。

藤永 茂 (2008年10月1日)


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