私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

『闇の奥』の曖昧さを減らすには (1)

2006-12-27 10:49:00 | 日記・エッセイ・コラム
 前回のブログでは、『闇の奥』の含む曖昧さを文学的に全く実りのない方向に増幅している実例を紹介しました。こうしたコンラッド擁護論が何を何に対して護ろうとしているのかを見据える必要があります。それがポストコロニアル論の文脈で行われる時、アチェベとその見解を,直接的あるいは間接的に、支持する側に回ったサイード、イーグルトン、ジェイムソン、バーバ、スピヴァックなどの人々に対する、思想的というよりも心情的な反撥から出発しているのであれば、これはもう文学批評としての『闇の奥』論、コンラッド論ではなく、たとえ、そう認めるにしても、不毛なものと言わなければなりますまい。
 文学作品を無理に拡張して解釈するのは、卒論のネタ捜しならともかく,作品の文学的価値を見通しにくくし、文学好きの読者の愉悦を減ずることにも連なりかねません。コンラッドの『闇の奥』の外側に付着したフジツボの貝殻のような「曖昧さ」をこそぎ落して、作品と作者をもともとの自然な姿に復元することは、この古典的作品の鑑賞のために有益なことと思われます。
 この作業を可能にする二つの重要なポイントがあります。まず、この作品で小説という芸術のフォーマットの下で糺弾されているのは、ベルギー国王レオポルド二世の私有植民地「コンゴ自由国」で行われた苛酷な政策とそれを実施したヨーロッパ白人たちであり、批判の対象として、大英帝国の植民地経営、帝国主義は含まれていなかったという事をはっきりと押さえることです。次に、マーロウ/コンラッドは、『闇の奥』の中で、人間として、黒人の方を白人よりも上に置いたりはしていない事、レオポルドの手先となったベルギー人たちをボロクソにこき下ろしただけだという事をはっきりと読み取ることです。このように要点をまとめてみると、今から百年以上も前のこと、ヴィクトリア女王戴冠50周年祝典(1887年)に象徴される大英帝国の栄光が頂点を極めた時代に、英国(人)に惚れ込んで帰化し、高い評判を獲得した小説家コンラッドの人気作品として、至極当然のことに思われますし、事実、そうであったのです。この二点を押さえれば、『闇の奥』の外側にまつわり付いた「曖昧さ」の殆どは霧散してしまいます。
 上の第一点をねじ曲げて、『闇の奥』が英国を含むヨーロッパ全体のアフリカ植民地支配に対する糺弾だと主張する人たちが,鬼の首でも取ったかのように、必ず持ち出してくる文章があります: 「His mother was half-English, his father was half-French. All Europe contributed to the making of Kurtz.」(Hampson 83)「母親は半分イギリス人、父親は半分フランス人、いわばヨーロッパ全体がクルツを形成するのにあずかっていた。」(藤永132)つまり、クルツはヨーロッパ全体の体現者だと書いてあるから、そのクルツをアフリカの闇の奥で地獄に落してしまうのは、英国を含むヨーロッパ帝国主義一般に対する断罪を意味するというのです。Ian Watt ですら「“All Europe,” we are told, “had contributed to making of Kurtz,” and his motives, as well as his fate are deeply representative.」と書いて、クルツはヨーロッパからその海外植民地に出掛けて行ったヨーロッパ白人の典型であったのであり、暗黙裡に、英国人も含まれていたという解釈を下しています。しかし、上の文章(Hampson 83)を、そのすぐ前の重要な文章から切り離して、独立に引用するのは学問的に良くない作法です。『闇の奥』第二部でマーロウがクルツの出自について語る重要な個所です:
「This initiated wraith from the back of Nowhere honoured me with its amazing confidence before it vanished altogether. This was because it could speak English to me. The original Kurtz had been educated partly in England, and ? as he was good enough to say himself ? his sympathies were in the right place.」(Hampson 82-3)この後に上の文章(Hampson 83)が続くのです。中野訳と藤永訳を掲げます。
「秘儀を伝えて、「無可有」(ノーホエア)の奥から来たこの亡霊は、僕にこの驚くべき確信を贈って消えてしまった。だが、それも亡霊が英語を話せたからだ。生身のクルツは半分イギリスで教育を受けた、そして-彼自身そう言ってくれたが-もともとは憐れみ深い人間だったらしい。」(中野102)
「秘儀参入を果たしたこの生霊は、人跡未踏の地(ノーウエア)の奥から現れ出て、その姿を完全に消す前に、その驚くべき確信を僕に贈ってくれた。生霊が僕に英語で話が出来たからこそのことだった。もともとのクルツは、教育の一部をイギリスで受けた?彼自身そう言うだけの分別があったように?彼の共感、同情は正しい所(イギリス)に置かれていた。」(藤永131-2)
この部分の語句の意味を正しく理解するのはとても肝心なことなので、藤永訳『闇の奥』には長い註(p255-6)を付けましたから読んで頂きたいのですが、このブログの読者のために、同じような趣旨の註釈を繰り返します。まず、wraith と the original Kurtz との区別。wraith は人の臨終の前に現われる生き靈のことで、ここでは、マーロウの目の前に横たわる今にも死にそうな痩せ衰えたクルツを意味します。一方、the original Kurtz とは、死にかけているクルツではなく、アフリカの魔力にかかる前のクルツです。アフリカに渡る前、渡ってからしばらくの間のクルツは、イギリス人としてのマーロウのお眼鏡にもかなう筈の、しっかりした人間だったのです。his sympathies were in the right placeの「正しい場所」とはイギリスのことなのであり、Valentine Cunningham がわざわざ敷衍したように “? namely, with the English, and with the England where he went to school.” なのです。sympathyには、勿論、憐れみ、思いやり、の意味もありますが、ここのsympathies は共感とか共鳴を意味しています。つまり、the original Kurtz はイギリスで受けた教育のおかげで、イギリス的な精神的姿勢を一応身に付けていたのです。しかし、それが所詮は付け焼き刃であったために、アフリカの闇の奥の正念場でそれを忘れて地獄に堕ちますが、本物のイギリス人マーロウは、その修羅場をしのいで文明社会に生還を果たします。この the original Kurtzという言葉は後でも登場します:「もともとのクルツの生き靈が、間もなく原始の大地の深みに埋葬されるであろう。」(藤永179) もともとのクルツと地獄落ちしたクルツとの区別がはっきりすれば、“All Europe contributed to the making of Kurtz” という文章は『闇の奥』がイギリスを含むヨーロッパ全体の帝国主義を糺弾した文学作品であることを証拠立てていると読むのは無理なことは明らかです。クルツという名前はドイツ系を意味しますが、ベルギー国王レオポルド二世こそイギリス、フランス、ドイツの血を体内に持っていた人物です。コンラッドは私信の中で「I took great care to give Kurtz a cosmopolitan origin 」と書いていますが、この時コンラッドの頭にあったのはレオポルドだったのでは、というのが私の推測です。
 ともあれ、以上のことから、つまり、“This initiated wraith ・・・” から “All Europe contributed to the making of Kurtz.” 迄をちゃんとまとめて通読すれば、『闇の奥』が英国を含むヨーロッパ全体のアフリカ植民地支配に対する糺弾することにはなっていないのは明らかではありませんか。しかし、文学批評家があらかじめ抱いた固定観念に従って作品原文を強引に曲解する能力には限りがありません。例えば,上で取り上げた『闇の奥』の一節から Garrett Stewartという人は次のような驚くべき結論を引き出します(ノートン第3版、Heart of Darkness, p361):「Thus Conrad quietly implicates England, and Marlow as Englishman, in Kurtz’s European hubris and diseased idealism ? and of course implicates himself, too, as British-educated master of nonnative English eloquence.」。この人によると、コンラッドはこの一節を通して、イギリス、イギリス人マーロウ、そして、勿論(?)、コンラッド自らに対してさえも、連座有罪の判決を下しているのだそうです。ここまで言い張られると、原文解釈のステージでは水掛け論になりかねません。作品そのものから一歩外に出て、情況証拠を求める必要があります。実際、この小説が発表された頃の英国内の一般的世論の傾向を歴史的にチェックすると、コンラッドの非難はベルギー国王レオポルド二世の私有植民地「コンゴ自由国」の内情に向けられていて、大英帝国の帝国主義的海外政策に向けられてはいなかったことが、ほぼ異論の余地なく確立出来ます。それを示す強力な情況証拠の数々に就いては次回に論じたいと思います。

藤永 茂 (2006年12月27日)


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「蛮人どもを皆殺しせよ!」の蛮人とは誰か?

2006-12-20 08:37:02 | 日記・エッセイ・コラム
 コンゴの現地に乗り込んだクルツはアフリカの蛮人の文明化を目指す「蛮習廃止国際協会」のために格調高い報告書を書き上げますが、ずっと後になって、報告書の最後の頁に、「Exterminate all the brutes!」というヤケッパチのような言葉を殴り書きします。マーロウは次のように語ります。「ただし,最後の頁に脚註ふうの文章があって、それが、一つの実行手段を提示したものだというのなら、まさにその(流暢な文章の)流れを遮るものだった。それは、明らかにずっと後になって、震える手で乱暴に書き込まれたものに違いなかった。それは、いとも単純なもので、それまであらん限りの他愛的感情に感動的に訴えてきたその最後のところで、まるで、澄み切った大空に稲妻が一瞬閃くかのように、目も眩む戦慄を読む者に与えたのだ-「蛮人どもを皆殺しせよ!」」(藤永133)。小説『闇の奥』の読者はこの一行の「後書き」をどう解釈すればよいのでしょうか。この言葉は「The horror! The horror!」というクルツの最後の叫びと並ぶ、この小説の解釈上の要の謎であり、この小説の意味の曖昧さの源泉です。マーロウ自身の解釈は、上にあるように、蛮習を廃止する実行手段は蛮人どもを全部殺してしまうことだとクルツは提言しているのでは-というもので、これは一つのもっともらしい解釈だと思われます。これに賛同する読者も多いでしょう。『地獄の黙示録』のコッポラの解釈もこのあたりにあったように見えます。
 カナダの英文学者ラルフ・モードの解釈についてはブログ記事「ラルフ・モードのマーロウ批判」(2006年7月26日)に書きましたが、この人の見解はオリジナルで痛快なものです。「蛮人どもを皆殺しせよ!」という言葉は、どうしようもない野蛮人たちを文明化する仕事の困難さにかんしゃく玉を破裂させたクルツの叫びではない、とモードは言います。現地で象牙の収奪ばかりに強欲の熱を上げている他の連中に対する優越感を持ってコンゴに乗り込んできたクルツでしたが、結局のところ、自分も、野蛮人の文明化という美名に隠れた収奪システムの一部に過ぎないことを悟ります。自分を絡めとった残虐な偽善的システムに対して、にがい自嘲も含めた精一杯の皮肉を込めて投げつけたのが、この叫びであったと、モードは言うのです。「He had felt superior to the common bully and servant murderer; now he has finally recognized himself as part of the whole lethal system. Being in it ? failing to be above it ? he is not going to pretend that this exploitation amounts to much more than extermination. “ Exterminate all the brutes!” becomes, then, not a disillusioned man’s shocking prescription for future behavior, but a succinct rephrasing of what the International Society, if it were not blinded by hypocrisy, would see it is already proposing, in effect, to its best young men when it sends them out as agents of the Company. In intense mockery Kurtz is giving the benevolent Society its true slogan.」つまり、クルツは、「蛮人どもを皆殺しせよ!」というのが「蛮習廃止国際協会」の本音のスローガンだと総括してやったのだというわけです。
 私はこのモードの「読み」に喝采を送りますが、モード自身はこれが唯一の正しい解釈だと言っているのではなく、むしろマーロウ/コンラッドに対する批判、この小説の反植民地主義的主張は全く煮え切らないレベルに止まっていることを指摘することを試みたのだと思います。このモードの論考「 The Plain Tale of Heart of Darkness 」は1966年という早い時期に発表されていて、植民地主義に関連する『闇の奥』批判のはしりの一つと看做すことが出来ます。
 私はこれをノートン版『闇の奥』第2版(1971年)の付録文献の一つとして読んだのですが、コンラッドその人を a bloody racist と呼んだ1975年のアチェベの爆弾宣言の後に出た第3版(1988年)では、モードの論文は姿を消して、その代わりとでもいうように、 Frances B. Singh の「 The Colonialistic Bias of Heart of Darkness 」という、これまた甚だ興味深い論文が登場しました。この著者がどのような人なのか私は知りませんし、知る必要も感じません。この論文が1978年の発表[ Conradiana 10: 41-54]であるのを見ると、これはアチェベの暴言に対する初期の反撃の一つですが、『闇の奥』弁護の試みとして悪しきものの典型例のように私には思われます。
 まず、書き出しの断定的な文章:「It is a truth universally acknowledged that Heart of Darkness is one of the most powerful indictments of colonialism ever written.」がいけません。この「真理」は、1978年当時、広く認められてはいなかった筈です。コンラッド研究の大御所Ian Watt が「アチェベ以前には、『闇の奥』を反植民地主義、反帝国主義の本としては読まないのが普通だった」と言っていますし、私が少し調べた結果もその通りです。Singhさんの論文は、主張したい線が、まずはじめに、研究者の心の中に出来上がってしまって、研究対象(この場合は『闇の奥』)の読み取り方がこのはじめの線に沿って強引に進められるという、悲しいことに、学問のどの分野でも犯される誤りの典型的な場合と言わなければなりますまい。その誤りが見え見えの個所がこの論文には幾らもありますが、ここでは話を“ Exterminate all the brutes!”の解釈の問題に絞ります。
 コンラッドの『闇の奥』を擁護しようと心に決めてSingh が採用した戦略は、クルツを植民地主義反対の熱血漢として天高く持ち上げ、マーロウをそれが読めぬ愚物としてこき下ろすことでした。マーロウの語りによれば、クルツの人間的腐敗は情欲の満足を“正しからぬやり方”で追求してやまなかった極端なエゴティズムに由来し、原始的なアフリカ黒人の上に君臨し、それと同化してしまった(アフリカ化してしまった)ことが、クルツの腐敗堕落( depravity)のシンボルだったことになりますが、それは実は誤った解釈だとSinghは言います。「 From the little we see of Kurtz’s followers, though, there is nothing to suggest that they are depraved. Rather they appear as protective, simple and unselfconscious ? far better specimens of humanity than the white people of Heart of Darkness.」オヤオヤ、『闇の奥』の黒人たちは白人の登場人物たちより、人間として、far betterだそうです。黒人べた褒めはまだ続きます:「 Kurtz’s tribalization, therefore, can be seen as a rejection of the materialism of the West in favor of a simpler and more honest way of life. 」 Singh はこの見地を押し進めて、クルツの最後の叫び“ The horror! The horror! ”はマーロウを含むヨーロッパ植民地主義の走狗たちに向かって投げつけられた厳しい断罪の言葉であったと強弁します。その強弁は“ Exterminate all the brutes! ”にも及び、ここで the brutes(獣、野蛮人、人非人)とはアフリカ黒人のことではなく、本当の brutes である植民地の白人たちのことを指すのだと言うのです。「 The other famous line in the story, “Exterminate all the brutes!” is capable of a similar extended interpretation. Marlow takes the word “brutes” to refer to the Africans and interprets the fact that the sentence comes at the end of a document written to suggest a better way of approaching the less developed as meaning that Kurtz became more savage than the so-called savages. But Marlow’s interpretation is tinged by a colonialistic bias. Given that Kurtz became one with an African tribe and learned to understand the meaning of their customs, his words may be taken to mean that the only way Africa could develop would be if the real brutes or savages, the colonizers, were removed.」 こうまで言われると、シンさんという人は、私の好きなモードさんよりも一枚も二枚も役者が上で、実は、この論考全体が植民地主義に対する強烈な皮肉、激烈な反植民地主義論として仕立て上げられているのではないか、と思ってもみたくなりますが、おそらくは、私の空しい買いかぶりでしょう。やはり、Oh, poor Marlow!と言ってやったほうが真相に近いのだと思います。コンゴの『闇の奥』で「人にして人にあらざる白人たちを皆殺しにせよ!」と叫ぶクルツを想像出来ますか?
 このSingh のコンラッド擁護論は、文学評論家が原作品の意味的な曖昧さを全く不必要な形で増幅するお手本のような論文です。この論文の我田引水のロジックは、もう一度『闇の奥』の原文を読み返してみると立ち所に綻びてしまいます。上に引用した(藤永133)の文章の続きには「おかしなことに、彼(クルツ)は、この重要な後書きのことは、まるっきり忘れてしまっていたようだ。というのは、後で、彼がある程度正気に戻った時に、彼は「私のパンフレット」(彼はそう呼んでいた)のことを是非よろしく頼む、自分の出世のために、将来,大いに役立つに違いないから、と繰り返して僕に懇願していたからだ。」とあります。マーロウに懇願していたのは死を間近に控えたクルツです。そのクルツは「こちらが情けなくなるほど子供っぽくなることがあった。彼が大事業の達成を志したおどろおどろしい未踏の地から、事成って凱旋するその日には、鉄道の駅まで国王たちが彼を出迎えることを望んでいた」(藤永179)のでした。このクルツがアフリカに侵入したすべての白人の抹殺を叫ぶ反骨の精神であったのするのは、なんぼなんでも無理な相談でしょう。
 Singh の論文を読んでいると、またまた、文学の批評とは何か、さらには、文学とは、文学作品を読むということは何なのかが分からなくなってしまいます。前のブログ記事「小説はまず小説として読むこと」(2006年5月17日)でも名前を挙げましたが、私が敬意を抱き、あるいは、好意を持ち信頼を置く、フォークナー、マルケス、グリーン、ギャリー、ボルヘス、カルヴィーノなど、コンラッドを高く買った作家たちが彼の作品をどんな風に読んだのか、それを学ぶことの方が、下らないポストコロニアル批評を読み漁ることより、私にとって遥かに為になることかも知れません。

藤永 茂 (2006年12月20日)


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曖昧さの本質、本質的な曖昧さ

2006-12-13 09:53:04 | 日記・エッセイ・コラム
 ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックスの2006年12月21日号にカナダの作家アリス・マンローについての評論が出ています。カナダではマンローは大変名声の高い小説家で大学生などもよく読んでいると思われます。日本ではあまり知られていないようですが。
 彼女の小説の中では話が時間軸に沿って単純に流れず、前に進んでいるかと思えば過去の時点に飛び戻ったりすることでは、『闇の奥』のマーロウの語りに通じますし、話の結末がはっきりと紡ぎ出されないままに終り、説明不十分のように感じられる場合も多いようです。これはこれでよいのだと書評者は言います.何故なら、人生そのものがそうしたものですから。時々、マンローは、自分の小説の登場人物が結局どうなったのか自分自身も知らない、とさえ言ったりするそうです。「そんな無責任な!」と思う読者もいるかもしれません。何と言ったって、登場人物は小説家が創作したのですから。しかし、自分も小説家であるこの書評者( Alison Lurie )はマンローを弁護します。「 But in fact writing always involves moments when the author’s imagination, like an exhausted horse, flags and fails no matter how hard it is whipped. What is invented to fill in the gaps is usually thin and false. It takes both courage and honesty to recognize this, and leaves blank spaces.」
 この部分を読んで、私の想いはコンラッドと彼の imagination が創ったクルツに飛びました。コンラッドも、はじめ flabby devil のイメージで出発した登場人物クルツを実存的な悲劇のシンボルにまで仕立て上げようとしてimaginationが勢いを失い、力の尽きた馬に敢えて鞭を当てるようなことになったのではありますまいか?前に(2006年5月17日)のブログにも引用しましたが、グラハム・グリーンが後年『闇の奥』を再読した時の感想として、「コンラッドの『闇の奥』はやはり優れた作品だが、いま読んでみると、欠陥が見える。筆遣い、言葉遣いが物語の状況に対して大げさに過ぎる。クルツは一度として本当に息づく存在にはなっていない。コンラッドが自分自身の人生の一つのエピソードを取り上げ、“文学”のために、それが担える以上の大きな意義を与えようとでもしたかのようだ」と記していたのを思い出します。小説の読後に残る曖昧さが人生そのもののどうにもならない不明瞭さに根ざしているのであれば、それは本質的なものとして受理しなければなりますまい。しかし文学作品の持つ曖昧さ、どうもよく分からないという感じを持たされる部分、空隙には色々な種類があります。アリス・マンローの作品に見られるそうしたギャップは既に文学評論家の注意を引いているようです:        「 These narrative gaps, however, have left Munro open to a great deal of speculation and interpretation on the part of critics. There are already over a dozen books and theses and a clamoring clutter of scholarly articles treating her work from various fashionable and unfashionable perspectives: religious, anthropological, sociological, historical, biographical, psychological, structuralist, deconstructionist, symbolist, etc.」
この辺りもコンラッドに一脈通じる所があります。もっともコンラッド関係の論考文献の数は桁違いに大きいわけですが。
 ハロルド・ブルーム編集の『 Joseph Conrad’s Heart of Darkness』(1987年)はブルーム色の強い『闇の奥』評論集と思われますが、その序論の第II部の始めに彼は「『闇の奥』は、それを一つのめざましい芸術的勝利と見る読者と、一方、作品自体の救いようのない曖昧さ蒙昧さから我々を助け出す力が作品に内在しているかどうかを疑う、私のような読者との間の批評論争の場であり続けるであろう」と書いています。この第II部後半の文学的に痛烈極まる『闇の奥』批判は確かに一読に値します。この本に含まれる Peter Brooks の「An Unreadable Report: Conrad’s Heart of Darkness」も読み応えがあります。その中から特に私の関心を捉える部分を取り出してみます。それはクルツが「地獄だ!地獄だ!」という最後の叫びをマーロウの耳に残して息絶えた後、その言葉についてマーロウが深刻に想をめぐらす所で、拙訳『闇の奥』では次のようになっています:
「おそらく、知恵のすべて、真理のすべて、誠実のすべては、見えないあの世への閾をまたぐのにかかる、ほんの僅かな時間の中にまさしく凝縮されるのだ。そうであるに違いない!僕は、死に臨んで僕が言ったかも知れない最後の要約が軽率な人生侮蔑の一語ではなかったものと思いたい。彼の叫びの方がよい?はるかに良い。確かにそれは、無数の敗北とおどろおどろしい恐怖、忌まわしい満足の数々によって購われた肯定であり、精神的勝利ではあった。しかし、一つの勝利には違いなかった。だからこそ僕は、彼の死の最後まで、いや、それを越えてまで,彼への忠誠を保ったのだ。はるか後になって、僕が、もちろん彼の声ではないが、水晶の絶壁のように純粋で清澄な魂から、彼の無類の雄弁のこだまが僕に投げ返されてくるのを再び聴くことになったその時まで。」(藤永185)
ブルックスはこれよりももっと長い引用をして、この辺りの文章が、ナレーターとしてのマーロウについて我々が直面する困難のすべてを要約していると言います。ブルックスの問題解析は精緻を極めたものですが、私は私なりの素朴な視点から問題点をピックアップしてみたいと思います。それは拙訳『闇の奥』の訳註[第II部] 262頁で取り上げたことの延長で、英原文では「That is why I have remained loyal to Kurtz to the last, and even beyond, when a long time after I heard once more, not his own voice, but the echo of his magnificent eloquence thrown to me from a soul as translucently pure as a cliff of crystal.」の部分です。中野好夫訳では「だからこそ僕は、最後まで、いや、さらにその後までも、彼に対する忠誠を失わなかったのだ。そして僕は、さらにずっと後になって、ふたたび彼の-もちろん彼の声そのものではなかったが、-いわば水晶の絶壁のように、透明純粋な魂から吐き出されたともいうべき、あのすばらしい雄弁の反響を聞いたのだった。」(中野147)となっています。この和訳には二つの問題があります。一つは時間的な問題、マーロウの忠誠心は「水晶の絶壁」からのクルツの最後の叫びのこだまを聞く時まで保たれていたということがぼやけています。もう一つは「水晶のように透明純粋な魂」というのはクルツの魂を意味すると読者に誤解を与えてしまう恐れがあるということです。ここではコンラッドはまだ勿体ぶってこの“a soul” とは誰かを読者には告げないのです。ブルックスはこう書きます。
This “echo of his magnificent eloquence” becomes the most highly problematic element of the passage when, later, we understand that the “soul as translucently pure as a cliff of crystal” is Kurtz’s Intended, and that the “echo” which she hears is a pure fiction in blatant contradiction to that which Marlow hears in the same room with her; a lie which Marlow is obliged to confirm as conscious cover-up of the continuing reverberation of Kurtz’s last words: “The horror! The horror!”
ブルックスの議論はトドロフ、ベンヤミン、バフチン、バルトなどの名を動員する如何にも高級深遠そうなものですが、私たちのような素人の読者の常識的レベルでも幾つかの異議申し立てをすることが出来ます。
物語の最後、マーロウはクルツの婚約者の住まいを訪ねます。「掃除の行き届いた墓場の中の通路のように端正に静まり返っている街の通りの高い家々に挟まれた、見上げるような重々しい構えのドアの前に立った時、担架に乗せられながら、それこそ大地と人類を丸ごと呑んでしまわんばかりに貪婪に口を大きくあけた彼の幻影を僕はそこに見たのだ。その時、彼は僕の目の前で確かに生きていた。華麗な外観を、恐るべき現実を飽くこと無く求める亡霊、夜の闇よりもなお黒々とした亡霊、そして、それが豪華絢爛の雄弁の襞に高貴に包まれて、彼が生きていた時にも増して生き生きと現前したのだ。その幻影は?担架も、亡霊クルツを乗せた担架の運び手も、彼を崇めてひたすら従う群集も、森の暗鬱も、あの河の流れの二つの濁った曲りの間に遠く真っすぐに延びる河筋の水面の輝きも、心臓の鼓動?勝ち誇る闇の奥の心臓の鼓動のように、内にこもった規則正しい太鼓の打音も?一切が僕と一緒に家の中に入り込んで行くかのように思われた。それは荒野にとっての勝利の瞬間だった。」(藤永191-2)「僕は二階のマホガニーのドアの前でベルを鳴らした。待っている間、曇ったガラスのように光るドアの鏡板の中から、彼が?あの全宇宙を抱き込み、それを咎め、嫌悪するかのように大きく見開かれた彼の目が、僕を睨みつけているような気がした。あの息を殺した叫び、「地獄だ!地獄だ!」を僕は聞いたと思った。」(藤永192-3)つまり、荒野をともなったクルツの亡霊と彼の最後の悲痛な叫び声はマーロウと一緒に家の中に侵入するのです。マーロウは天井の高い立派な応接間に招じ入れられ、喪服に身を包んだ美しいクルツの婚約者と会い、クルツについて会話を交わしますが、彼の最後を聞きただされ、つい「彼の最後の言葉を聞きました……」と言ってしまって恐ろしくなり、口を噤んでしまいます。そして、聞いた通りをそのまま聞かせてくれと迫る彼女に対して「あれが聞こえないのですか?」と危うく叫びそうになります。「黄昏の中の二人のまわり一帯に、一つの囁きが、微かな一陣の風のように始まり、その囁きの声は次第に高まって行き、威嚇するかのように繰り返されていたのだ。「地獄だ!地獄だ!」」(藤永202)
さて、前にマーロウが勿体ぶって語っていた“the echo of his magnificent eloquence thrown to me from a soul as translucently pure as a cliff of crystal.’’とは一体何だったのでしょうか?どの声にあたるのでしょうか?水晶の絶壁のように透明純粋な魂とはマーロウの眼前の彼女以外にはありえませんが、クルツの「地獄だ!地獄だ!」という叫びはマーロウには彼女の魂からのこだまとしてではなく、彼女には聞こえていないものの、マーロウには部屋に満ち満ちて聞こえているようにコンラッドは書いています。読者は、この場面で婚約者が語る言葉の数々をクルツの最後の叫びが浄化され深化されて響き返ってきたものとして受け取る深遠な文学的アクロバットを要求されているのでしょうか?ここにある曖昧さは、人間が、人生が、この世界というものが持つ本質的な曖昧さ、説明困難性に根ざしているのでしょうか、それとも、作者の意図的なオブスキュランティズムから発しているもの、つまり、巧まれた曖昧さ、文学としての価値の深化を意図した工夫なのでしょうか?私にはよくわかりません。その obscurantism は involuntary なものであり、それが文学作品としての『闇の奥』を限定しているというのがハロルド・ブルームの見解のようです。これは『闇の奥』の文学性そのものに関わる問題です。この古典的作品をもっぱら文学として味読しておられる英文学者の方々からのご教示を切に願う次第です。

藤永 茂 (2006年12月13日)


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なぜ『闇の奥』を翻訳したのか?

2006-12-06 10:38:49 | 日記・エッセイ・コラム
 今回もまだ斎藤一著『帝国日本の英文学』の余震の続きです。西洋植民地主義を批判し、それとは区別される正当な国家的行為として、日本の植民地主義的海外侵略を擁護するという意図を下に敷いて、1940年、中野好夫氏がコンラッドの『闇の奥』を翻訳したのだとすれば、2005年、私が同作品の改訳を思い立った理由もしっかり反省してみる必要があります。それは『ナチ・ホロコーストと原爆ホロコースト』を並べて考えることを試みるという、妙な作業から始まりました。同名のタイトルの論考を雑誌『世界』(1997年1月号)に発表しましたが、その時はまだコンラッドの『闇の奥』をこの問題に結びつける意識は全くありませんでした。コンラッドがこの小説を執筆していた将にその頃、小説の舞台であるアフリカ奥地のコンゴでナチ・ホロコーストに匹敵する規模の大虐殺が進行中であったのですが,その事をこの小説から読み取ることは全く不可能です。ノートン社版『闇の奥』第2版(1971年)が出た翌年に私は初めてこの小説を読みました。この教科書シリーズの特色として、この第2版にもテキスト本文をはるかに上回る頁数の付録部分(Backgrounds and Sources)が付いていて、その中にはベルギー国王レオポルド二世のことは出ていますが、レオポルドのコンゴで数百万人の規模の大虐殺が行われたことについての言及はありません。ナチ・ホロコーストに先立つこと僅か40年ほどのコンゴ・ホロコーストに私の関心を向けたのは、Finkelstein の『The Holocaust Industry』(2000年,邦訳:立木勝訳、三交社、2004年)で、その中で知ったHockschild の『Kind Leopold’s Ghost』から詳しい事実を教えられ、この二冊を経由して、初めて私の意識にはっきりと刻み込まれました。それが私にコンラッドの『闇の奥』の再読とその翻訳を促すことになったのでした。
 岩波文庫の『闇の奥』には、その出版年(1958年)から考えても、コンゴ・ホロコーストへの言及がないのは仕方がありませんが、ベルギーの首都を意味する都会がフランスの首都パリと誤ってわざわざ指摘され、また、中野氏自身が手を下された翻訳とはとても思えないような語学的ミスが少なからず目につき、それらが、私が購入した2003年の第49刷まで改訂されることなく生き残っていたことも了解に苦しむところでした。これでは翻訳書の読者こそいい迷惑です。しかし、総じて言えば、私を『闇の奥』の改訳に向かわせたものは、やはり、西欧植民地主義の歴史的功罪と、歴史の事実の選択的忘却、あるいは、選択的記憶、についての私の政治的な問題意識であり、それこそが『闇の奥』翻訳の主要な動機であり理由であったと言えます。
 今回、三交社の土器屋橿人さんのお世話になって『『闇の奥』の奥-コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷』というタイトルの本を出版しますが、私は、これを一つのコンラッド論と考えています。本書の全体が『闇の奥』翻訳の理由を示しています。内容目次は次の通りです:
1 『地獄の黙示録』と『闇の奥』
    1 『地獄の黙示録』のエンディングをめぐって
   2 一発のダイヤモンドの弾
   3 切り落とされた腕の山
   4 100年前のコンゴの密林で

2 ベルギー国王・レオポルド二世
   1 コンゴの「闇の奥」
   2 黒人奴隷の悲史
   3 レオポルド二世の行動開始
   4 スタンリー登場
   5 魔術師レオポルド

3 コンゴ自由国?ゴムと大虐殺
   1 アフリカ分割争奪
   2 コンゴ自由国
   3 野生のゴムの呪い
   4 コンゴの「闇の奥」での大虐殺

4 レオポルド二世打倒
   1 先駆者、黒人G・ワシントン・ウイリアムズ
   2 モレルの孤独な決断
   3 盟友、モレルとケースメント
   4 レオポルドのコンゴは例外か?
   5 袂を分かつ

5 オリーブ・シュライナー
   1 セシル・ローズの南アフリカ収奪
   2 『マショナランドの騎兵ピーター・ハルケット』
   3 シュライナーとコンラッド
   4 アチェベ、アーレント、そしてコッポラ

6 『闇の奥』の奥に何が見えるか
   1 女性たち
   2 白人の重荷
   3 黒人の重荷
   4 『闇の奥』擁護論の軌跡
   5 コンゴ人の重荷
   6 『闇の奥』の奥に何が見えるか

 あとがきに代えて
(目次終り)
 この目次は『闇の奥』に分け入って目を凝らすことによって次第にはっきりと見えてきた事柄のリストであり、私のささやかな勉強記録でもあります。さて、来年2007年は、英国が世界に先がけて、はやばやと奴隷貿易の廃止を宣言した1807年から200周年の記念の年に当ります。この如何にも英国らしい、抜け目のない“はやばやしさ”そのものを世界の歴史家たちが大いに問題にすることを私は秘かに期待していますが、それと同時に、昨今、対アフリカ外交に並々ならぬ熱意を示している中国の意図のなかに、且つての我が「大東亜共栄圏」に通じる発想が含まれていないことを切に願うばかりです。

藤永 茂 (2006年12月6日)


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