私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

コンラッドの「三部作」(続き)

2006-06-22 04:25:24 | 日記・エッセイ・コラム
 Hay は『闇の奥』のクルツのthe dark “victory”が『ロード・ジム』のthe brighter “victory”の引き立て役(a foil)を果たしていると思ってみたり、『闇の奥』のマーロウはクルツの精神的破綻の真実を「嘘」で隠そうとするが、『ロード・ジム』では,むしろ、その反対の態度なので、そこにこの二つの小説のコントラストを見ようとしたりするものの、あまり自信があるようには見えません。それに、「二部作」ではなく、なぜ『青春』を加えた「三部作」なのか、という問いにも答えていません。
 Nellesは、これまで(2003年)、この「三部作」を一つにまとめて読むことの意味について、批評家(そして大学の先生)たちは、ほとんど論じていないと言いますが、自分自身の考えをはっきり述べているわけではありません。彼は『ロード・ジム』の始めの方に、youth, young, youngsterといった、『青春』とのつながりを示す言葉が幾度も使われていること、また、『闇の奥』とのつながりを示唆するhorrorという言葉も数回出て来ることを指摘していますが、これらの言葉はごくありきたりの単語なので、『ロード・ジム』という小説のストーリーからすれば、これらの言葉がその中で数回使われていることに重い意味を与えることには無理があります。
 NellesはHayが1963年の本(The Political Novels of Joseph Conrad)で「三部作」問題を取り上げていることに触れていませんが、もう一つの大きな見落としは1969年出版のRobert F. Leeの本(Conrad’s Colonialism)です。この本の第二章のタイトルは“ONE OF US”となっています。私はこれが『青春』、『闇の奥』、『ロード・ジム』のコンラッド「三部作」を貫くキーワードだと考えます。Leeはこの「三部作」問題を正面から取り上げたわけではありませんが、クルツがジムの引き立て役に、あるいは逆にジムがクルツの引き立て役になっていること見通していました。Leeはone of usという言葉が『ロード・ジム』で10回も繰り返して使われていることを、場所も明記して強調しています。ここで“us”とはイギリス人を意味します。one of usであったジムはきびしい挫折にもかかわらず、結局は、一人のイギリス人らしく死を迎えますが、クルツの方はイギリスで教育は受けたものの、one of usに成りきれなかったために自制を失って破滅します。このone of us というキーワードが多数の作品の中で使われたことが、コンラッドが生涯一貫してAnglophile(イギリスびいき)であったことを端的に示していて、このキーワードを鎖としてコンラッドの「三部作」を一つのまとまった小説として読む( Nelles の表現では reading the trilogy as a composite novel)ことが出来ると私は考えます。その可能性を具体的に示すために、この三つの小説から一個所ずつを選んで引用してみます。
 まず『ロード・ジム』から。マーロウがはじめて若い日のジムを遠くから見かけた時の直観的な第一印象です。
I watched the youngster there. I liked his appearance; I knew his appearance; he came from the right place; he was one of us. He stood there for all the parentage of his kind, for men and women by no means clever or amusing, but whose very existence is based upon honest faith, and upon the instinct of courage. I don’t mean military courage, or civil courage, or any kind of courage. I mean just that inborn ability to look temptations straight in the face ? a readiness unintellectual enough, goodness knows, but without pose ? a power of resistance, ・・・
この「inborn ability to look temptations straight in the face ? ・・・ ? a power of resistance」という文章から読者がクルツとマーロウのことに思いを馳せるのは自然でしょう。この文章については前に(藤永256)で論じてあります。『ロード・ジム』と『闇の奥』の執筆はコンラッドの心の中では同時的に進行していました。
 『闇の奥』では one of us という言葉は,まず、none of us という形で登場します。「僕たちならだれも( none of us) 、そっくりこんな風には感じないだろうよ。僕らを救ってくれるのは能率-能率よく仕事を果たすことへの献身だ。しかし、大昔、ここに乗り込んできた連中はあまり大した奴ではなかった。植民地開拓者ではなかったのだ。思うに、彼らのやり方はただ搾取するばかりで、それ以上の何ものでもなかった。彼らは征服者だったのであり、そのためには、ただ、がむしゃらな力があればよかったのだ。」(藤永21)この部分の原文とその意義の検討は(藤永225-6)にあります。ここでマーロウは暴力的な植民地征服者としてのローマ人/ベルギー人と、彼らとは違う立派な植民地経営をやっている“われわれ”イギリス人とを対比しているわけです。クルツもコンゴの闇の奥に引き込まれる以前はone of us に成りかけていたことを示すのは次の文章です。
This initiated wraith from the back of Nowhere honoured me with its amazing confidence before it vanished altogether. This was because it could speak English to me. The original Kurtz had been educated partly in England and ? as he was good enough to say himself ? his sympathies were in the right place. His mother was half-English, his father was half-French. All Europe contributed to the making of Kurtz, and ・・・
(藤永256)で、ジムがthe right place からの出身であり、クルツの物の考え方も元々はthe right placeにあったことを指摘しておきました。上の引用の最後の「All Europe contributed to the making of Kurtz」という問題の文章についてはブログの日付を別にして論じたいと思います。
 さて最後に『青春』から。老朽船「ジュデア」に石炭を積んでロンドンからバンコックに向かう航海で、あらゆる困難に不屈の勇気で立ち向かうイギリス人船員たちを讃えるマーロウの言葉です。
It wasn’t a sense of duty; they all knew well enough how to shirk, and laze, and dodge ? when they had a mind to it ? and mostly they did. Was it the two pounds ten a month that send them there? They didn’t think their pay half good enough. No: it was something in them, something inborn and subtle and everlasting. I don’t say positively that the crew of a French or German merchantman wouldn’t have done it, but I doubt whether it would have been done in the same way. There was a completeness in it, something solid like a principle, and masterful like an instinct ? a disclosure of something secret ? of that hidden something, that gift, of good or evil that makes racial difference, that shapes the fate of nations.
彼が作品中で好んで使ったone of usという言葉はコンラッドのイギリス贔屓(Anglophilia)の気持から出ています。しかし、この文章と先ほどの若いジムの描写を並べて読むと、御贔屓の持ち上げを超えて、コンラッドの人種偏見(racism)的傾向が覗いていると思いたくなります。コンラッドをレイシスト呼ばわりして物議をかもした例のアチェベの論文には、16歳のコンラッドが初めて“my unforgettable Englishman”を見かけ、その白く美しいふくらはぎに見惚れ時の印象が引いてあります。「・・・dazzled the beholder by the splendor of their marble-like condition and their rich tone of young ivory・・・」アチェベは、それに並べて、コンラッドがハイチの大柄の黒人男性から受けた、こちらもまた、忘れ難い印象を記した文章を引用しています。
A certain enormous buck nigger encountered in Haiti fixed my conception of blind, furious, unreasoning rage, as manifested in the human animal to the end of my days. Of the nigger I used to dream for years afterwards.
以上、コンラッドの幾つかの文章を読んでいると、彼のアングロサクソン贔屓はただものではなかった事が分かります。
 さて、本来の主題である「三部作」問題に戻ります。この三つの小説はマーロウが語り手である点で明らかな一貫性を持っています。マーロウはイギリス人の船乗りで確かに one of us です。『闇の奥』では、そのマーロウは、イギリスで教育の一部を受けたものの、十分にはone of us に成りきれなかったクルツと共に地獄の縁まで行きますが、マーロウは踏みとどまり、クルツは地獄に堕ちてしまいます。しかし、そのクルツには一種の「いさぎよさ」- T. S. エリオットも惚れた -が認められます。クルツと他のベルギー人の「だらしのない悪魔たち」との差は、クルツが一度はEnglishness の洗礼を受けたことにあるとマーロウは言いたかったのかも知れません。一方、『ロード・ジム』のジムは、勿論、one of us なのですが、若い日に、一瞬、身の処置をあやまって、何よりも大切な“名誉”を失ってしまいます。世間の目にはともかくとして、少なくとも自分の心の中でその名誉と取り戻すことにジムは生涯を捧げますが、無慈悲な「世間」に結局は追い詰められて悲劇的な死を迎えます。しかし、マーロウの目には、それは one of us としてふさわしい死にざまとして映ったのです。私には、この辺りに『闇の奥』が『ロード・ジム』の引き立て役を果たせる理由があるように思えるのですが、如何なものでしょうか?

藤永 茂  (2006年6月21日)