私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ものを考える一兵卒(a soldier of ideas)(1)

2011-04-27 10:47:25 | 日記・エッセイ・コラム
 フィデル・カストロとは長い付き合いです。と言っても全く私の心の中だけのことですが。カストロは1926年8月13日生まれ、私の誕生日は同年5月23日、私の方がちょっぴり年上です。
 この4月20日の「産経ニュース」から、『カストロ前議長が政界から完全引退』という記事を転載させてもらいます。:
 キューバの首都ハバナで13年半ぶりに開かれていたキューバ共産党の第6回党大会は19日、国家元首である国家評議会議長のラウル・カストロ氏(79)が、実兄のフィデル・カストロ前議長(84)の後を継いで、党トップの第1書記に第2書記から昇格することを決め、4日間の日程を終えた。
 19日には病気のため2008年に議長を退いたフィデル氏も出席し、スタッフに支えられながら歩いて入場した。会場からの大きな拍手に迎えられたが、発言はなく、体力の衰えが目立った。これで政界から正式に“完全引退”したことになるとはいえ、今後もキューバ革命の英雄として、影響力を維持するとみられる。
 大会では革命以来の「平等主義」から脱却し、市場経済原理を部分的に導入する方針が確認されたが、ラウル氏は演説で、「社会主義を守り、より完全なものにするのが第1書記の使命だ。決して資本主義への後戻りは許さない」と述べた。第2書記には、マチャド第1副議長(80)が指名された。(ニューヨーク支局) 

 カストロのキューバ革命が成就したのは1959年1月、アメリカ合州国は直ちにカストロ政権を承認します。今も昔も変わらぬ狡猾な偽善性です。カストロが倒した米国一辺倒のバチスタ政権は腐敗の極をきわめた独裁政権でした。今の中東情勢を想起させます。ところが、カストロが米国系私企業の国営化などの政策に着手すると、1959年12月には、早くもカストロを殺してその政権を転覆することを目指す「ブルータス作戦」を立ちあげ、1961年4月にはCIAの傭兵部隊がキューバに侵攻上陸しました。豚湾(Bay of Pigs)事件です。これは侵略軍の大惨敗、時のケネディ政府の大誤算に終ります。直後の5月1日のメーデー演説でカストロはキューバ革命が社会主義革命であることを宣言し、アメリカと訣別することになりました。
 ですから,今年の党大会はその50周年記念にあたる特別な意味があり、4月16日午前にはハバナで記念のパレードが行なわれ、その午後には4日にわたる党大会が始まりました。しかし2006~7年の大病の後は、さすがの彼も昔のように長時間パレードを謁見し、会議で延々と演説を続けるような元気はなくしてしまいました。4月16日付けの彼の“回想(Reflections of Fidel)”で、彼自身そのことを書いています。公的な場所に出て、以前のような役割を果たせないことを国民に詫び、「I promised you that I would be a soldier of ideas, and I can still fulfill that duty.」と結んでいます。大病のあとカストロは実際の政務から身を引き、もっぱら国の内外の政治的問題についての活発な発言を続けていて、この私のブログでも彼の発言の幾つかを取り上げてきました。英語版が次のサイトにありますのでご覧下さい。:

http://www.granma.cu/ingles/reflections-i/reflections-i.html

 私の胸裏にも一つのカストロ論が無くはありませんが、今日は、むしろ、彼との“長い付き合い”の思い出を印象的にざっと辿ってみたいと思います。私がシカゴ大学の物理学教室の共同研究員として初めてアメリカ生活を経験したのは,1959年から1961年にかけての2年間で、これはカストロのキューバ革命の動乱とまさに重なります。1961年4月のCIA主導の豚湾侵攻の失敗に腹を立てた大統領ジョン・エフ・ケネディは同年11月CIA 長官アレン・ダレスを解任し、CIAそのものの解体まで宣言しました。しかし、1963年3月11日ケネディが暗殺されたのでCIAは消滅の運命を免れました。CIAを抹殺しようとしたことが暗殺された理由の一つだったという根強い説があります。消滅が実現していたら世界のためにどんなに良かったか、それを思うと残念でなりません。CIA長官アレン・ダレス、この人物はアフリカ大陸の希望の星だったコンゴの初代首相パトリス・ルムンバの事実上の暗殺者でもあります。コンゴは1960年6月30日に独立をはたしましたが、早くも1960年7月22日、アレン・ダレスはアイゼンハウアー大統領の下のアメリカのNSC(国家安全保障会議)で“ルムンバはカストロと同じか、それより悪い”と証言しました。ルムンバが惨殺されたのは1961年1月17日のことでした。その事情は,例えば、
 Ludo De Witte: The Assassination of Lumumba (Verso, 2002)
に詳しく出ています。
 カストロとケネディは、豚湾事件やいわゆるキューバ・ミサイル危機で、世間の眼には犬猿の間柄あるいは不倶戴天の敵と映っていたので、ケネディが暗殺された時、カストロにも嫌疑がかかりました。これに対してカストロは「私はケネディを暗殺しようと思ったことはない。私はアメリカというシステムと闘っているのだ」と答えました。見事です。誰が(CIA?)数えたのか知りませんが、これまでカストロ暗殺の企ては六百回を超えるというのがもっぱらの通説です。ただの「ものを考える一兵卒」になってしまったカストロ老人を殺そうとする刺客が差し向けられることは、もはやありますまい。運の強い男です。
著書『パワー・エリート』で有名なアメリカの社会学者ライト・ミルズ(1916年~1962年)は、1960年8月8日から24日まで独立して間もないキューバに滞在し、フィデル・カストロやチェ・ゲバラやその他多くのキューバ人に会い、それに基づいて、『よく聞け、ヤンキー:キューバ革命( Listen, Yankee: The Revolution in Cuba)』を同年11月に出版、日本では鶴見俊輔の翻訳で『キューバの声』(みすず書房,1961年)として出版されました。いま読んでも、不思議な爽やかさが各頁から立ちのぼってきます。よい意味で50年後の今のキューバと呼応するところがある不思議な本です。この本を出したすぐ後の1962年3月20日、ミルズは自宅で心臓発作に見舞われて世を去りました。
 1968年,私はカナダの大学に職を得て移住しましたが、それからもカストロとの“つきあい”は断続的に続き、日本に帰ってきた現在までも、こうした雑文を書くかたちで続いています。また次回に。

藤永 茂 (2011年4月27日)


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最悪の男がハイチの大統領になる

2011-04-20 08:27:00 | 日記・エッセイ・コラム
 昨年2010年の11月28日にハイチの次期大統領選挙が行なわれました。ハイチ国民の選挙(election)ではなくUSA の選択(selection)だという声がしきりでした。国外に追放されたままのアリスティド前大統領の支持基盤でハイチ国内最大の政党ファンミ・ラヴァラスは、アメリカとその手先である国連が牛耳る選挙管理委員会によって、選挙から閉め出されて候補者を立てることはできませんでした。任期がまもなく切れる現大統領プレバルはもともとはファンミ・ラヴァラス党出身なのですが、まったくの弱腰で、アメリカ,フランス、カナダそれに国連軍の言いなりになる政治家に変身してしまっていました。それでもプレバルは彼の後継者としてセレスタンという候補を立てて選挙に臨みましたが、外部勢力は始めからセレスタンを排除するつもりであったらしく、投票開始のすぐ後で、外部勢力の有力候補マニガとマーテリーが中心になって、選挙は不正に行なわれているという抗議の騒ぎが起り、一時は混乱状態に陥りました。一応票読みが行なわれ、マニガ一位、セレスタン二位、マーテリー三位という結果が出たのですが、過半数を制する候補者がなく、上位二名で決戦投票ということになり、その日は2011年3月20日に決まりました。
 ところが、2011年1月17日、ハイチに関心のある殆どの人を驚かすことが起りました。1971年から1986年までの15年間、その強引残忍な独裁政治でハイチ国内を恐怖の坩堝と化し、遂には国外に逃亡していたジャン=クロード・デュヴァリエが、25年の不在のあと、フランスから突然ハイチに帰ってきたのです。デュヴァリエ父子の軍隊とトントン・マクートと呼ばれる私的秘密警察のような組織の手によって、6万から10万の市民が殺され、行方知らずになり、それを超える数の人々が投獄され、拷問を受けたと、人権擁護団体は結論しています。その暴虐を敢えて行ない、ハイチ人一般が恐怖と貧困と飢えに苦しむ中で、彼は巨額の国費を着服して,国外に逃亡したのですから、刑法上では,帰国すれば即刻逮捕され、告訴されるはずだったのですが、そうはなりませんでした。デュヴァリエが安全帰国を許されたとあっては、7年前にクーデターで国外に追われたままの前大統領アリスティドを依然として支持している一般大衆が黙っている筈はなく、その声に強く背中を押されたのか、現大統領プレバルがアメリカの意向に逆らってアリスティド帰国の実現に踏み切ります。これについては、3月23日付けのこのブログで次のように書きました。:
#ハイチではインチキ選挙の二日前の3月18日、ハイチの貧困大衆が7年間その帰国を待ち続けたアリスティド前大統領が、アメリカの強力で執拗な妨害にもかかわらず、ハイチに帰って来ました。民衆が熱狂的にアリスティドを出迎えたのは言うまでもありません。なぜアメリカの熾烈な反対を押し切ってアリスティドの帰還が実現したか? それは、アメリカが思うままに操っていると思われていた二人の黒人政治家、ハイチの現大統領プレバルと南アフリカの現大統領ズーマが、アメリカの手に見事に噛み付いたのです。まず、プレバルは、オバマ大統領の反対を押し切って、自分の大統領の任期が切れるぎりぎりの時点でアリスティドに帰国のためのパスポートを発行しました。続いて、南アのズーマ大統領は、3月20日の選挙以前にアリスティドが南アを出国するのを阻止するようにというオバマの強い要請を蹴ってアリスティドを出国させました。#
 アリスティドが熱狂的な歓迎を受けて帰国した3月18日の2日後の3月20日、大統領の決選投票が、二人の候補者、マニガ(デュヴァリエ時代の前大統領夫人,70歳)とマーテリー(芸能人,50歳)、の間で行なわれ、4月4日にはマーテリーが勝利したことが報じられました。
 いま振り返ってみると、昨年11月28日の第一次大統領選挙で第3位だったミシェル・マーテリーが本年3月20日の決選投票でハイチの次期大統領に当選することは始めから仕組まれていたことと思わざるをえません。まず、ファンミ・ラヴァラス出身のプレバルが押したセレスタンは第1次選挙で不正行為があったとして決選投票から除外されました。残った二人は元々デュヴァリエの側の人物だったのです。マニガ夫人は選挙戦中から「もし大統領になったらデュヴァリエを政治顧問にする」と公言する始末でしたし、マーテリーは、若い頃、デュヴァリエの私的警察組織トントン・マクートの一員として拷問あるいは殺人の経験もあったと思われます。ステージ芸人、歌手としてのマーテリーは“スイート・ミッキー”の渾名、倒錯的な服装と舞台でスカートやズボンを突然ずり落とすストリップめいた際どい所作で知られた存在でした。
 今回の二度のハイチ選挙は主にアメリカ、フランス、カナダが拠出した30億円ほどの資金で賄われましたが、マーテリーは個人的に数億円を選挙運動に使い、出所はアメリカの友人たちと言っています。選挙戦中は、彼はポピュリスト的な姿勢をとり、貧しい若者たちの味方で、大金持ちの敵だと言って貧困層に働きかけていたようです。3月20日の決選投票の結果は4月4日に報じられ、マーテリーが67.6%、マニガは31.5% の得票で、マーテリーの圧勝でしたが、投票率は16.7% の低率で、有権者人口で言えば、僅か11% ほどの得票ですが、4月5日のマスコミでは、マーテリーがハイチ国民の圧倒的支持を得て、次期大統領に選ばれたと報じられ、アメリカ筋も国連筋も選挙とその結果について満足を表明しました。
 4月6日のマイアミ・ヘラルド紙のインタビュー記事によると、マーテリーはオバマのハイチ版のような「チェンジ」を約束しているようですが、どうなるか怪しいものです。私が判断する限り、新大統領マーテリーはクリントン/コリヤ/バンキムン路線、つまり、アパレル産業、観光産業、輸出向け農産物生産(コーヒーその他)、鉱物資源開発など、外国企業による現地低賃金労働力を最大限利用した産業振興でハイチ国内の貧困を解決しようとするネオリベラル政策を強力に推進することになりましょう。このブログの2011年1月19日付けの記事『スリック・ウィリー・クリントン(1)』には、この政策のことが詳しく書いてあります。そこには、15ヶ月前のハイチ大震災(最近のデータでは死者30万、現在もテント暮らしの難民70万)に対して寄せられた膨大な義援金や復興資金のごく僅かしか未だ実際に支出されていないことも指摘されています。事実上、米欧産業資本がハンド・ピックした新大統領ミシェル・マーテリーが権力の座につけば、これらの多額の資金が急速に支出されることは間違いありません。簡単に言ってしまえば、これらのお金は、結局の所、外国企業と大型国際NGO の懐に転がり込んでくるのですから。
 では、大統領接戦投票日の2日前に帰国したアリスティド前大統領の命運はどうなるのか? ハイチに関心を持つすべての人間が固唾をのんで見守っているところです。私は悪い予感に苦しんでいます。10年前、20年前に、体を賭けてでもアリスティドを熱烈に支持した人たちはもう年を取りつつあります。きらびやかなセレブ好きの若者たちには,マーテリーの甘言に乗せられて、彼に投票したものも少なくなかったようです。アリスティドについては、暗殺される怖れも勿論ありますが、政治的に、マーテリーがAristide-killer になる可能性も十分あります。今のハイチをおおう閉塞感はそれほど重く広いのです。悲観的な予想をすれば、マーテリーの下でハイチは、第2のコロンビアになる、つまり、ウリベ大統領(2002年~2010年)の下でアメリカ合州国の新しいタイプの完全な植民地となってしまったコロンビアと同じ運命を辿るだろうということです。ハイチ国民の苦難の長いトンネルには出口がないのでしょうか。私はこの予言が見事に外れることを心から祈っています。
 ここで少し趣向を変えて、アメリカの最有力紙ニューヨークタイムズが3月20日の選挙を報じた記事の一部をご覧に入れます。今でもこの新聞に信を置いて読んでおられるアメリカ通日本人が沢山おいででしょう。積極的な虚偽は含まれていません。しかし、その語り口が問題なのです。読者の血管にたらし込まれる毒が含まれています。引用部分は、アメリカの強い意向に逆らって選挙直前にハイチに帰国したアリスティドを何とはなしに貶めるように書かれています。
on edge overは「・・をめぐっていらいらしている」、raucous は「耳障りな、騒々しい、うるさい」、turnout は「投票者総数」、stronghold は「本拠地、強い選挙地盤」、
plantain chips は「バナナチップ」。:

***************
The country has been on edge over the arrival of Jean-Bertrand Aristide, the nation’s first democratically elected president, who returned from seven years in exile in South Africa on Friday to a raucous welcome. That left many wondering whether his supporters would sit out the election, depressing turnout and throwing doubt on the legitimacy of the victor.
Mr. Aristide, beloved by the poor but accused of corruption and violent suppression of opponents while in office, denounced the exclusion of his political party from the race when he arrived at the airport. He has not made any other public statements.
In at least one polling station in an Aristide stronghold, many voters showed up, enough for vendors selling beans, frozen juice and plantain chips to set up shop.
Eder Joseph, 27, described himself as a passionate Aristide man, but he said he voted anyway because he was tired of living in a tent camp since the January 2010 earthquake destroyed his home and displaced him along with more than a million others. “We have to change the future of this country,” he said.
***************
上で積極的な虚偽は含まれていないと書きましたが,次の部分は少し問題があります。“Mr. Aristide, beloved by the poor but accused of corruption and violent suppression of opponents while in office, denounced the exclusion of his political party from the race when he arrived at the airport.”
「貧民たちには愛されたが、現職中は汚職と反対陣営の猛烈な弾圧で非難を浴びたアリスティド氏は、空港に到着した時に彼の政党の選挙からの除外を公然非難した。」
“汚職と弾圧”の話は、こうした書き方をするのならば、虚偽だと断定してよいのです。興味があれば、アリスティドの排除追放をめぐる過去の歴史を注意深くチェックして下さい。
 ハイチの歴史といえば、最近はなはだ興味深い学問的出版物に気が付きました。:
Susan Buck-Morss :HEGEL, HAITI and Universal History (University of Pittsburgh Press, 2009)
タイトルを見ただけで気を惹かれますが、中身も(まだ十分は咀嚼できませんが)なかなか刺激的です。

藤永 茂 (2011年4月20日)


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オバマの他には誰もいない

2011-04-13 11:45:48 | 日記・エッセイ・コラム
 オバマ大統領は次期の大統領戦に打って出ます。現時点で見る限り、問題になりそうな対抗馬は皆無なので2016年までアメリカは黒人大統領バラク・オバマを国家元首として持つことになります。これまでの二年半の間、この人物が何者であり、何を遂行するためにこの人物がアメリカ大統領の地位に据えられたかを凝視し続けてきた心あるアメリカ人たちの絶望の深さは測りしれないものがあると思います。オバマ大統領の8年間はアメリカ帝国の破綻と崩壊のターニングポイントとして世界の歴史に刻まれることになりましょう。国家としてのアメリカの内情と対外行動、その漂流のベクトルは絶望そのものです。もう救いようがあるとは思えません。
 バラク・オバマは『The Audacity of Hope』という大ベストセラーの波に乗って、見事にホワイトハウスに乗り込みましたが、それからの二年半は選挙前に公約したかに見えたことの破約に続く破約でした。アメリカのしっかりした評論雑誌ハーパーズ・マガジンの主幹編集者を2010年まで勤めたロジャー・ホッジ(Roger D. Hodge)は最近『The Mendacity of Hope』を出版して、バラク・オバマの裏切りを完膚なきまでに断罪しました。The Audacity of Hope を「大胆な希望」と訳すとすれば、The Mendacity of Hope は「虚偽の希望」となりましょう。バラク・オバマは臆面も無く大嘘を吐き続けて、選挙運動で彼を熱烈に支持したアメリカの進歩的陣営をずたずたに引き裂いてしまいました。
 大統領選挙戦たけなわの2008年3月19日付けのブログ『オバマ現象/アメリカの悲劇(4)』で,私は次のように書きました。:
# 米国史上初の黒人大統領という呼び声の掛かる政治家として、黒人票は勿論当てにしたい所ですが、忘れてならない事実は、黒人人口はアメリカの全人口の約12%に過ぎず、しかも現行の間接選挙システムの下では、黒人票の最終的有効性は精々2~3%、これでは全く役に立ちません。「票田は黒人票以外に求めなければならない」-これが“黒人大統領候補” バラク・オバマの始めからの政治判断の一つの要であるはずです。#
事実、バラク・オバマは黒人票を確保する努力は殆どしませんでした。それでも、黒人たちはこぞって“黒人大統領”に投票しました。現実に黒人大統領夫婦とその娘たちがホワイトハウスの住人となるのを見た黒人たちが感涙にむせんだのは当然のことでした。彼らの殆どすべてにとって、黒人がアメリカの白人すべての上に立ったということが信じ難い奇跡以外の何物でもなかったのです。彼らの気持ちは、私たちには決して分からないと思います。就任以来、公約違反の連続、特に中流層黒人と貧困層黒人の苦難の増大につながる政策決定の連続であったにもかかわらず、オバマ政権に対する黒人の支持は未だに90%に近い所に留まっています。そうした無条件の支持は黒人一般大衆に留まらず、60年代、黒人人権闘争運動の先頭にたった筋金入りの黒人の文化人たちについても同様です。前回に取り上げたアミリ・バラカ(旧姓リロイ・ジョーンズ)もその一人であり、左翼論客としてよく知られたビル・フレッチャー、新ブラックパンサー党の党首マリク・ズル・シャバズ、マーチン・ルーサー・キング3世などもバラク・オバマ大統領にたいする支持を表明してきました。アメリカ建国以前から建国以後にも綿々と続いた奴隷としての苦難、現在につながる黒人一般の受難、依然として生き続ける白人からの日常的な蔑視差別・・・こうしたことの生々しい意識を持たない我々には、バラク・オバマ大統領の英姿が黒人たちに語りかけるシンボリックな迫力が全く分からないのだと思われます。そして、ここにこそ、アミリ・バラカのような人たちまでがバラク・オバマに対する判断力を喪失してしまった理由があるに違いありません。前回に拙い訳で紹介したアミリ・バラカの悲痛な訣別の詩は、バラク・オバマ大統領の裏切りを今まで黙って耐えてきた多くの黒人が、アメリカによるアフリカ大陸に対する新しい侵略を目の当たりにして胸に抱いた訣別の情を代表しているのかもしれません。
 勿論、当選以前から、バラク・オバマという人物に危惧を抱き、大統領就任決定直後からの政府要職の人事を見て、「やっぱりだ。これは困ったことになる」と判断した黒人論客も少しは存在します。その代表は Black Agenda Radio の主宰者グレン・フォードです。この人物は今のアメリカの論壇で言えば、極左に位置する人でしょうし、一般には無視されるか、あるいは、蛇蝎視されている存在だろうと思われますが、この3年間ほどの私の継続的な経験から判断すれば、現在のアメリカの真の姿を知るためには貴重な情報源だと思われます。ついでに、バラク・オバマに関して、彼の大統領就任以前から的確な、つまり、ネガティブな判断を下してきた人たちの名を五つ挙げておきます。Paul Street, John Pilger, Noam Chomsky, Chris Hedge, Ken Silverstein. 残念なことにすべて白人です。私としては、これからもこうした人たちの厳しい眼の力を借りてアメリカの観察を続けたいと考えています。
 そのアメリカの近未来について、我ながら破天荒と考える一つの妄想を抱いています。実は、その妄想は黒人大統領実現の遥か以前に私の脳を訪れたので、2008年3月19日付けのブログ『オバマ現象/アメリカの悲劇(4)』に次のように書いておきました。意味を察しかねる読者もおいでのことでしょうが-:
# コンラッドの『闇の奥』弁護論では、クルツ(あるいはカーツ)は白人文明の闇から原始アフリカの闇に行き着いた男だという主張がよくなされます。バラク・オバマは、言ってみれば、方向を反転して、アフリカの原始社会からアメリカの文明社会にやって来た「カーツ」ではあるまいか? これが今の私の幻想、いや妄想の極限地点です。バラク・オバマというこの不気味な混血黒人は、その胸の奥の奥で、本当には何を考えているのか? バラク・オバマは、道を踏み外した今のアメリカを本当のアメリカ-そんなものは存在しない-に回復する救世主ではなく、アメリカを最終的に地獄の底に引きずり落とすべく、アフリカの地からやってきたアフリカ五百年の怨念の化身であるのかもしれない--これが私の妄想の果ての果てです。#

藤永 茂 (2011年4月13日)


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アミリ・バラカとバラク・オバマ

2011-04-04 14:44:37 | 日記・エッセイ・コラム
 アミリ・バラカ(旧姓リロイ・ジョーンズ)は1934年の生まれで76歳、詩人、作家、ジャズなどの音楽評論家、それにラジカルな黒人思想家、運動家として、アメリカでは有名な人物です。二世代ほど前の日本人にも彼の名をご存知の方々が沢山おいででしょう。これまでも何かと話題に上る生き方をしてきた人で、大統領に立候補したバラク・オバマを熱烈に支持し、選挙戦たけなわの2008年の夏、オバマ候補に批判的な態度をとる黒人左翼に、度を過ごした非難の罵声を投げかけて話題になりました。
 私はこのブログのシリーズで、2008年2月27日日付の『オバマ現象/アメリカの悲劇(1)』から4回にわたって、オバマという候補は弁舌あまりにも爽やかな大嘘つきかも、という私の推測を説明し、4回目(2008年3月19日)の結びには「もしオバマが初代黒人大統領になったにしても、イラクの占領は継続され、パレスチナ・ホロコーストはますます進行し、アメリカ国内の黒人白人の貧困層の苦難はいよいよ大きくなるばかりでしょう」と書きました。それから3年、現実となったアメリカの貧困層の苦難を目の前にして、私の予言の的中を自慢するのは不謹慎ですが、アメリカを、アメリカの黒人問題を知り尽くしていたはずのアミリ・バラカがバラク・オバマについての判断をすっかり間違ってしまったのは何故なのか、これは慎重に考えてみるだけの価値のある問題です。
 ところが、今度のNATO/アメリカのリビア武力攻撃を目の当たりにして、アミリ・バラカは、激烈なオバマ難詰の詩を発表しました。詩として日本語に移すのは私の手に余る仕事ですが、一応訳出してみます。はじめに出て来る“a negro”も中程の“the negro yapping…”も、オバマ大統領を意味しているのだと思います。

?-The New Invasion of Africa??by Amiri Baraka

So it wd be this way
That they wd get a negro
To bomb his own home
To join with the actual colonial
Powers, Britain, France, add Poison Hillary
With Israeli and Saudi to make certain
That revolution in Africa must have a stopper
So call in the white people who long tasted our blood
They would be the copper, overthrow Libya
With some bullshit humanitarian scam
With the negro yapping to make it seem right (far right)
But that’s how Africa got enslaved by the white
A negro selling his own folk, delivering us to slavery
In the middle of the night. When will you learn poet
And remember it so you know it
Imperialism can look like anything
Can be quiet and intelligent and even have
A pretty wife. But in the end, it is insatiable
And if it needs to, it will take your life.

?? 新しいアフリカ侵略 ??  アミリ・バラカ

これだ、こんな具合にやるのだな
奴らが、ひとりのニグロをゲットして
自分の家を爆破させ
イギリス、フランス、それに毒婦ヒラリーの
コロニアル勢力の御本家、さらには
イスラエル、サウジともぐるになって
アフリカの革命にきっぱりと
歯止めをかけさせようという魂胆だ
さあ、遠いむかしから我らの血の味を知る
白人たちを呼び込め
奴らは人道のためと出鱈目を並べ
ポリ公よろしく、リビアの国を転覆するだろう
そのニグロは、キャンキャン吠えまくって
詐欺を正義に見せかけようとする(極右だ)
だが、こうして、我らは白人の奴隷にされてしまったのだ
ニグロがニグロの仲間を売り飛ばし
奴隷としてここに送り込んだのだ
真夜中のしじまの中で
詩人よ、お前は、何時になったら
そのことを学び、記憶し、知とするのだ
帝国主義は百面相の怪物
物静かで、聡明で、美人の妻を伴うことさえある
しかし、つまる所、それは飽き足りることを知らぬ
もし必要となれば、お前の命をすら奪うであろう

 アミリ・バラカは、この悲痛な詩でバラク・オバマからの訣別を宣言したのでしょうが、事はそれで治まりませんでした。オバマに逆らったことで、アミリ・バラカから犯罪者呼ばわり、反黒人、非国民呼ばわりをされてきた黒人たちが、「それ見たことか、我々の方が正しい判断をしていたではないか」とアミリ・バラカを責める声を上げはじめたのです。次の長い詩もその一例です。詩人の名はレイモンド・ターナー、オークランドの ジャズ・アンサンブルのマネジャーだそうです。
http://www.blackagendareport.com/の3月30日の記事として発表されました。そのタイトル“When Didn’t You Know It, Poet?”は、あきらかに、上掲のバラカの詩の一行、
“When will you learn poet”に対応しています。
 長いので訳出はしませんが、次回にはアミリ・バラカの回心について更に考えてみたいと思っています。

When Didn't You Know It, Poet?
By Raymond Nathaniel Turner

Wordmaster, AB, Gregory Hines once
Went on stage and kissed Sammy Davis’
Taps. If ever I get there, I’ll perform the
Poetic equivalent, because in my pantheon
Of Mingus, Miles, Max, Bird, Trane,
Wayne, Nina, Sass, Abbey, Jimmy
Baldwin, Richard Wright ? You, AB,
Are the father, son and holy-ghost
Of us post-Langston, Sterling poets,

The syn-tactical surgeon who sutured
Our severed tongues, with precision
Pen and atomic tenor, real smart
Bombs we dropped in our war on
Black bourgeois, corporate-controlled,
Government-guided, attack-Negroes like
Uncle Roy, The Men of Steele, Shelby and
Michael, Long Dong Silver, AKA, Thom-Ass,
Clarence, Clarence Pendelton, Ward Connerly,
Colin Powell and them imperialist Rice wenches…

But, Poet, how’d you slip on Iceberg Slim?
How’d you start snarling, growling, guarding
1600 Pennsylvania Avenue like a junkyard dog,
Muzzling the “movement” and protecting the
Bagman transferring trillions to Wall Street,
War Profiteer, Pharma, Agribiz, Oil-igarch,
Insurance mobs, uh, Reagan redux on ‘roids?
Was it his cool “middle”-class mantra?
Or, ‘cause Slim didn’t come Superfly?
Gold-plated cane, fur coat, big hat, talkin’
Slick, like Tony and Goldie, ‘bout making his
Handlers so much money that their pockets
Would look like they have the mumps?

Poet, when didn’t you know it?
From the git, it smelled like a pack of
Senators wind-surfing on raw sewage,
With Candidate Slim huddling for bailout
Hanky-panky with Hank Paulson,
McCain and Osama Ben Bernanke…

Poet, when didn’t you know it?
No wait for a gate, when Slim kept
Warlord, Bomb Gates, on from W’s crew?
But, then there was Skippy-Gate,
Harvard Professor arrested in his
Home, then invited by Slim to the
Big House for beer with the arresting
Officer. We waited with bated breath,
Figurin’ as slick as Slim is, he jus’ might
Invite families of Sean Bell and Oscar
Grant for a Big House keg and concert:
Newt Gingrich Sings Gershwin, A cappella.

Poet, when didn’t you know it?
Iceberg made his bones first day on the job,
Whackin’ a couple Somalis?called them pirates.

Poet, when didn’t you know it?
Iceberg’s brass-balled triangulation, juggling
Three wars, picking up a peace prize, torpedoing
Copenhagen with “clean coal” and nukes: priceless.

Poet, when didn’t you know it?
Neon signs in Guantanamo’s windows flashing OPEN,
As Slim’s “surges,” and more drone strikes than eight
W years seem to scream, “Hey, Poet, judge me not by
The color of my skin, but by content of my character!”

Poet, when didn’t you know it?
Amerikkka’s a crime scene?
Yellow tape stretching Maine to Florida,
San Diego to Seattle, Great Lakes to Gulf,
Would a Warlock’s incantations one January
Morning, abracadabra, magically CHANGE it?

Poet, when didn’t you know it?
Reckon two decades of glorious struggle,
Mastering marches, mass meetings, sit-ins
Teach-ins, boycotts, picket lines, voter
Registration and armed self-defense, taught us
“If there is no struggle, there is no progress?”

Poet, you know it: criticism and self-criticism
From back in the day, when some of us toted
The Origin Of The Family, Private Property And The State
Like valuable vinyl, Sketches Of Spain, Kind Of Blue and
John Coltrane And Johnny Hartman, while waiting as you
Went through that kooky, Kawaida-Karengatang-thang,
Attacking Panthers and the revolutionary trend…
But, you came back!
Making Maoist mumbo-jumbo of the united front,
Confusing the revolutionary struggle for democracy,
But, you came back!
Yeah, Poet, I hoped, prayed and wished for a wet, cold
Wikileak, waking you from the Warlock’s spell, wrenching
You, snatching you from Iceberg Slim’s grip…
In his Prison Poems, Ho Chi Minh said, the
Poet must also know how to lead an attack?
Hurry, Poet, hurry, I’ve been waiting… for you!

藤永 茂 (2011年4月4日)


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