私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

Oseitutu Miki さんのコメントへのお答え(3)

2007-09-26 10:04:56 | 日記・エッセイ・コラム
 Mikiさんのコメントから引用させていただきます。
「夫がガーナ人であり、さずかった娘はどうみても黒人の血を引く美しい子です。しかし彼女が背負った歴史と未来は今後彼女にとって重い足かせとなるのでしょうか、それとも彼女を支える礎となるのでしょうか。」
大きくなった娘さんを迎える世界が、いまの私たちの世界よりずっとよくなっているように、私たちは精一杯努力しなければなりますまい。過去の歴史が彼女にとって重い足かせになることを許してはなりません。私が強くそれを想うのには、個人的な理由もあります。
 私の二人の息子の妻は両方ともフランス系白人で、孫は女子一人、男子二人です。「異人種間の結婚が増えれば、それだけ人種偏見が減る」と長男が言ったことがあります。私の家族を見守っていると、私の想いもその方向に沿って励まされます。二人の人間が恋仲になる:肌の色のどんな組み合わせにも訪れる心あたたまる事態です。フランツ・ファノンは、その事について、美しい言葉を残しています。彼の主著の一冊『黒い皮膚・白い仮面』の結語の最後の部分にあります。
「優越感? 劣等感? そんなのはぬきにして、ただ単純に他者に触れ、他者を感じ、他者を自分自身によく分からせるようにしようではないか。」
ファノンの妻は白人(Marie-Joséph Dublé)でした。これはファノンが自らに言い聞かせ続けた言葉もであったのでしょう。
 しかし、過去の歴史に照らすかぎり、この世界は混血者にも寛容ではありません。Mikiさんはシャーデーの歌詞「黒人であることはここではとても大変なこと。店員はつり銭を渡す時にも私の手に触れるのを嫌がる」を引いておられます。美しい歌姫シャーデー・アデュ(Helen Folasade Adu)をCDやDVDで御存知の方は多いと思いますが、父はナイジェリア人、母はイギリス人の混血です。ここに歌われている世界の存続を許すわけには参りません。ファノンが繰り返し強調するように、これは「人間が人間をどう扱うか」という、私たちにとって最も基本的な問題なのですから。
 白人社会での黒人差別-これは、日本に住んでいる日本人は勿論のこと、アメリカに3年、4年とまとまった期間生活した経験のある人々にも、なかなかよく把握できない根強さを持ち続けているものなのです。私はアメリカで3年、カナダで39年生活しました。長ければそれだけ良く分かるというものでもありますまいが、私には、アメリカ通をもって自認しておられる政治家、経済人、学者、知識人、ジャーナリストにも、黒人差別の問題については甘く皮相的な見解を持っている人が多いように思われてなりません。次回は、そのことについて書いてみます。

藤永 茂 (2007年9月26日)


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Oseitutu Miki さんのコメントへのお答え(2)

2007-09-19 11:20:25 | 日記・エッセイ・コラム
 「黒人」ファノンや「赤人」ミーンズの「ヨーロッパ弾劾」の言葉を不快なものとして受け取られる人は日本には多数おいででしょう。ヨーロッパとアメリカに憧れる気持の現れは我々の生活のあらゆる面に満ち満ちています。この頃、巷にますますあふれるカタカナ外国語を想ってみて下さい。我々の憧れには十分の理由があるのでしょう。古い話に限っても、シェークスピア、ゲーテ、バッハ、ゴッホ、ボードレール、・・・、すべて、ヨーロッパが生んだのですから。バッハひとつとるにしても、彼の音楽が我々の日々の時間をどれだけ豊かにしてくれていることか!
 しかし、だからと言って、ヨーロッパがこれまで犯してきた、そして、今も犯し続けている諸悪の巨大さに目をつぶることは許されません。右の左の、という政治論議ではないのです。「人間とは何か」という問題に関心のある人ならば、大きく目を見開いて、ヨーロッパの心の闇の奥を凝視しなければなりません。個々のヨーロッパ的人間にひそむ異常心理を探るのではありません。この世で、一番活発で有能で正常そうに見える人間たちが牛耳っているグローバルな政治経済システムが、自分たちの利益の追求のために、ほかの人間たちを如何に残酷無慈悲に扱ってきたか、扱っているか、それをしっかりと見据えることが必要なのです。復讐(いやな日本語で言えば、リベンジ)のためではなく、私たち人間全体が、お互いに折り合って、何とか幸せに暮すために、まず必要な作業なのです。ファノンは『地に呪われたる者』をこう結んでいます:
■ For Europe, for ourselves, and for humanity, comrades, we must turn over a new leaf, we must work out new concepts, and try to set afoot a new man. ■
ファノンはヨーロッパの人々を含む「人間」全体のことを思いながら死の床に就きました。このファノンは「For the world to live, ‘Europe’ must die.(世界が生きて行くためには、‘ヨーロッパ’は死ななければならぬ)」と喝破したラッセル・ミーンズ(9月12日ブログ)のように過激ではありません。しかし、ラッセル・ミーンズにしても、ヨーロッパという字句を括弧に入れています。現世界の状況に対する責任のほぼすべてを担うべき、これまでの‘ヨーロッパ’には、確かに、死んでもらわなければなりません。
 この‘ヨーロッパ’-これは,全世界にとって最大の問題です。勿論、日本もその一部と考えなければいけません。Mikiさんがおっしゃるように、このまま‘ヨーロッパ’風に世界がやって行けば、全人類の命は持てますまい。上に引用したラッセル・ミーンズの言葉の通りだと、私にも、思われます。これは、誰が優れていて誰が劣っているかの問題より、あるいは、誰が正しくて誰が正しくないかの問題等より、はるかに深刻です。しかし、百歩を譲って、一つの重要な設問の答えを求めてみましょう。
#歴史的に見て、最悪の失敗国家が群がっていたのは、アフリカか、ヨーロッパか?
松本仁一著『カラシニコフ』をお読みになった方は、すぐにも「アフリカ」とお答えになるでしょう。これに就いては、2007年2月21日付けのブログ「松本仁一著『カラシニコフ』(1)」を読み返して下さい。私の答えは「ヨーロッパ」です。この答えを、一瞬でも、奇異に感じた人は、世界史上最大の惨劇である第一次世界大戦(1914-1918)と第二次世界大戦(1939-1945)の記憶の喪失者です。僅か30年の間にヨーロッパは二度まで戦火によって荒廃し、兵士と一般市民の死者は5000万に及ぶと推定されます。死者だけです。お互いにこれ程の悪魔的な殺し合いを実行した国家群がヨーロッパに、つい先頃、たしかに存在したのです。これ程までに他国人と自国民の生命を無惨にも奪った国家群こそが「失敗国家」の原語「FAILED STATES」にふさわしい。ノーム・チョムスキーの著書「FAILED STATES」(2006年)には、アメリカ合衆国が横暴きわまる失敗国家の代表として論じてあります。イギリスの民間機関ORB(Opinion Research Business)によれば、2003年の米国軍のイラク侵攻以来の、戦火による一般市民の死者数は、2006年10月には65万、2007年9月には100万に及んでいます。これは、1994年、アフリカのコンゴ東部で起ったいわゆるルワンダ大虐殺の一般市民死者数80万をすでに凌駕しています。イラクの現状を前にして、アフリカとヨーロッパ、どちらの文化が優秀か、などといった設問は、暇人の戯言のように思われてなりません。

藤永 茂 (2007年9月19日)


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Oseitutu Miki さんのコメントへのお答え(1)

2007-09-12 10:24:30 | 日記・エッセイ・コラム
 先日、Oseitutu Miki さんから「白人にも黒人にも公平にする?(3)」にコメントを頂きました。ミキさんのコメントから、私は大きな励ましを受け取り、その内容に強く反応するところがありましたので、以下にそれを述べてみます。          
 4年ほど前、『Nowhere in Africa (名もなきアフリカの地で)』という映画がありました。映画評では注目されなかった事柄ですが、私は、いたいけな白人少女レギーナがたった一人で黒人部落に遊びに行っても、何の心配もなかったという映画の中の「事実」を忘れることが出来ません。原作は女性作家シュテファニー・ツヴァイクの自伝的小説だそうですから、少女シュテファニーの実経験でもあったに違いありません。場所はNOWHERE ではなく、ケニヤです。拙著『「闇の奥」の奥』でも紹介した英国人女性メアリー・キングスリーも30歳の若い身で“人食い人種”が群がっていた筈のアフリカの密林に単身乗り込んで、ワニには食べられかけましたが、まったく安全に冒険行を終えました。上著のp91にはGBウィリアムズがレオポルド二世に送った公開書簡の一部が引用してあります:
■ 陛下の政府が原住民に対して遂行した欺瞞、詐欺行為、掠奪、焼き討ち、殺戮、奴隷狩り、そして残酷無慈悲な政策一般にもかかわらず、それに応える原住民の態度は無比の忍耐、辛抱強く寛容な精神の記録であり、これは陛下の政府ご自慢の文明と自称宗教をして赤面させるに十分であります。この十三年間に原住民の手によって生命を奪われた白人はたった一人です。■
上の文章の中の「文明(civilization)」という言葉を取り上げます。ベルギー国王レオポルド二世に見事に代表されるヨーロッパは、闇の大陸アフリカにうごめく野蛮黒人を文明化(civilize)することを白人の聖なる重荷と唱えました。鉄砲と鉄道と蒸気船を持つ者が文明人であるならば、アフリカの黒人は確かに非文明人でした。しかし、フランツ・ファノンは何処かでこう言っています:「私が問題とするのは文明ではない。文化だ。一つの人間社会が人間をどう扱うかという文化の問題だ」。メアリー・キングスリーやGBウィリアムズの昔から少女レギーナのケニアまで、アフリカの闇の奥には、人間が人間にとって安全な文化伝統が綿々と続いていたことを信じさせる幾多の歴史的資料が存在します。この頃はやりの「・・にやさしい」という言葉を私は好みませんが、あえて借用すれば、アフリカの自然は人間にやさしくはないけれど、アフリカの人間は、本来、人間にやさしいという確固とした伝統があったのです。
 モンテーニュやルッソーあたりに発した「高貴な野蛮人」という考えがあります。これに関してはあらゆる議論がなされているようですが、中核的なポイントは、これが“幻想”あるいは“夢想”として、ヨーロッパ的視角から語られることが多く、ヨーロッパ精神の反映として産み出された架空非存在のものと措定されていることです。「高貴な野蛮人」なんて馬鹿馬鹿しいというわけです。しかし、少女レギーナを夕暮れ近くまで一人で遊ばせておいても安心な人間空間が、かつてのケニアには確かに存在していたのであり、「人間を人間らしく取り扱う文化」はアフリカにもアメリカにも、かつては、確かに存在したのです。「高貴」という形容詞は、もともと不自然な不必要なものであり、それをわざわざ持ち出してきた所にこそ、ヨーロッパ精神の自らの醜悪さについての実存的な不安の反映を見るべきでしょう。
 この500年間、アフリカはヨーロッパの「文明」に蹂躙され続けてきました。これに対して、最もはっきりと高らかにヨーロッパを告発し、その拒絶を謳ったのはフランツ・ファノンでした。彼の遺言とも言える著書『地に呪われたる者』(1961年)の最終章「結語」は、いま読むと胸が痛くなるような文章で満たされています。和訳を持たないので、英訳の文章を幾つか引用します。
■ So, my brothers, how is it that we do not understand that we have better things to do than to follow that same Europe? ■
ここで that same Europe とは、「人間」を殺し、むさぼり喰らってきたヨーロッパを意味します。
■ That same Europe where they were never done talking of Man, and where they never stopped proclaiming that they were only anxious for the welfare of Man: today we know with what sufferings humanity has paid for every one of their triumphs of the mind. ■
< never done talking of…> は<・・・について語ることをやめない>という意味、the mind は the European mind、その triumphs (勝利、成功)とは、例えば、鉄砲や蒸気機関や原爆の発明、あるいは、もっと思想的には、資本主義や共産主義の案出などを意味するのでしょう。ポストモダニズムの時代に、ヨーロッパが自分で祭り上げた「Man」の思想を自分で解体しようとしたのも、「ヨーロッパの心」の迷妄の一つの兆候といえましょう。
■ Come, then, comrades, the European game has finally ended; we must find something different. We today can do everything, so long as we do not imitate Europe, so long as we are not obsessed by the desire to catch up with Europe.■
このあたりのフランツ・ファノンの言葉は、辛い痛みをともなわずには読むことが出来ません。彼がこれを書いたのは、おそらく、1961年の夏、コンゴではルムンバが消された後であり、少女レギーナが育ったケニアでは反抗勢力マオマオ団に対する英国の仮借なき弾圧が功を奏し、キューバでは米国によるカストロの締め上げがいよいよ暴力的になった後のこと、フランツ・ファノンが- the European game has finally ended-と何処まで本気で信じていたのか、むしろ、死を直前にしての彼の祈りの表現でしかなかったのではないか?彼の死後50年の歴史は「ヨーロッパ・ゲーム」が依然として続いていることを示しています。いやそれどころか、今や、中国とインドも総力を挙げ、嬉々として「ヨーロッパ・ゲーム」をプレイするのに狂奔しつつあります。上の文章に続いてフランツ・ファノンはこう書いています:
■ Europe now lives at such a mad, reckless pace that she has shaken off all guidance and all reason, and she is running into the abyss; we would do well to avoid it with all possible speed. ■
この「ヨーロッパ」は勿論アメリカ合衆国を含みます。アメリカ合衆国こそ mad Europeの申し子であり、ヨーロッパの本質がなりふり構わぬ形相を露呈した国家です。それに引きずられ、世界の殆どすべての国々がアメリカのあとを追って、エネルギーと物質の飽くなき消費に向かって疾走しています。それは底知れぬ深淵に向かっての狂ったような暴走に他なりません。もしまだ何がしかの望みがあるとすれば、それはアフリカと中南米以外にはありません。
 ヨーロッパを断固として拒否する思想家として、アメリカのオグララ・ラコタ族のインディアン思想家兼闘士Russell Means がいます。20世紀はじめまでには、生き残りのアメリカ・インディアンたちは、インディアン保留地と称する概して不毛の荒れ地の数々に囲み込まれてしまいますが、第2次世界大戦中から戦後にかけて、核兵器テスト、核廃棄物処理、ウランや石炭の露天掘り等のために、インディアン保留地とそこに住む人々の安全が一方的に侵害されて行きました。インディアンたちは熾烈な抵抗運動を展開しましたが、その有力な指導者の一人がラッセル・ミーンズでした。ここに幾つか引用するのは、彼の1980年の発言です。
■ For the world to live, ‘Europe’ must die. ■
■ Rationality is a curse since it can cause humans to forget the natural order of things. A wolf never forgets his or her place in the natural order. Europeans do. ■
■ When I use the term European, I am not referring to a skin color or a particular genetic structure. What I am referring to is a mind-set, a world view that is a product of the development of European culture. ■
ミーンズは、黒でも赤でも黄色でも、中身次第で「ヨーロッパ白人」になるのだといいます。彼の目には、国務長官ライスも大統領候補オバマも白人に見えていると思われます。
■ It takes a strong effort on the part of each American Indian not to become Europeanized. ■
■ Mother Earth has been abused, and this cannot go on forever. The environment will retaliate, and the abusers will be eliminated. No theory can alter that fact. ■
当時のアメリカ白人たちはラッセル・ミーンズの警告に傾ける耳を持たず、インディアンの昔ながらのたわ言と聞き流しましたが、それから四半世紀も後になって、元副大統領ゴアは同じことをアメリカ人に言い聞かせなければなりませんでした。
 道草がすっかり長くなってしまいました。ミキさんにはもっともっと具体的なお礼を書くつもりで始めたのですが、それは次回にいたします。

藤永 茂 (2007年9月12日)


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『号外』英国は今も黒人を海に捨てる

2007-09-10 22:25:41 | 日記・エッセイ・コラム
 川崎恭治さんとOseitutu Miki さんから貴重なコメントを頂きながら、適切にお答えするのが遅れていますので、「毎週水曜日」という習慣を破ることにします。
 ZNet というウエブサイトがあります。世界情勢について、マス・メディアがよく報じないニュースの源として有難い存在ですが、イギリスのガーディアン、フランスのル・モンド・ディプロマティック、アメリカのネーション、カナダのマクリーン等の記事も適時転載されます。私は先週(9月5日)のブログで、専門家に特に関心を持ってほしい地域として、コンゴとハイチを挙げましたが、ハイチの人達に、つい先頃、信じられないような無残なことが起ったことをZNet で知りました。
 1804年に独立を宣言したハイチは、黒人奴隷が力を合わせて白人を追い出し、独立を成し遂げた、世界最初の國ですが、それからの200年は相次ぐ危機と苦難の連続でした。ハイチは、現在、世界で最も悲惨な状態にある國の一つで、人口850万の半数は1日1ドル以下の生活、失業率は70%を超え、多くの人々は餓死の危険に曝されています。しかも内外の政情から判断して、近い将来に改善の希望は全く持てません。
 去る5月2日、ハイチ北部の町カプアイティアンから、10メートル足らずの長さの帆船が150人以上の鮨詰めのハイチ人を乗せて、北方洋上のタークスカイロス諸島に向かいました。決死の密航です。タークスカイロス諸島(Turks and Caicos Islands) は1981年まで英王室直轄植民地で、今は英国政府の管轄下にあります。ハリウッドの映画スターたちに大人気のリゾートで、日本のお金持ちにも知られている場所のようです。ここには、奴隷的賃金ではあるにしても何かの仕事にありつけるかも、という微かな望みがあります。ハイチにはありません。
 5月4日の朝4時頃、タークスカイロスの島の一つからほんの数百メートルの所で、密航船は沿岸警備艇に遮られました。警備艇はドンとぶつかって来て、縄をかけて帆船を沖に向けて乱暴に引っ張って行ったのですが、当然のこととして、鮨詰めの小さい帆船はバランスを失って転覆し、女子供を多数含む黒人たちは海に投げ出されました。死者は、おそらく、90人に近いと推定され、サメに食いちぎられた死体も少なからず回収されました。この惨事を報じた英国の代表的新聞 THE TIMES の記事は簡潔で「160人のハイチの移住者を積んで沈没した船の生存者の話では、タークスカイロスの沿岸警備艇が彼らの船に激突して来て、船を海の深い所に曳航して彼らを放棄した (abandoned them) 。少なくとも61人が死んだ。 」とあり、これが記事のすべてでした。英国の他の有名新聞の扱いも同じように簡単なものであったようです。無視した新聞もありました。
 8月15日付けのブログ『白人にも黒人にも公平にする?(2)』で取り上げた「ゾング号事件」では133人の黒人奴隷が海に捨てられ、132人が死にました。1781年11月末のことでした。この事件と、それから230年後の「タークスカイロス沖事件」、この二つの事件に通底するものは黒人の生命に対する徹底した蔑視です。    
 タークスカイロス沖でハイチの黒人が船から放り出されて数十人が死ぬ数時間前の5月3日夜、ポルトガル南部のリゾート地プライア・ダ・ルスのホテルに長逗留していた裕福な英国人医師夫妻の4歳の長女マドレーン・マッカーンが、両親が部屋から100メートルほど離れたレストランで夕食をとっている間に行方不明になりました。この英女児失踪事件は、発生当時から大変な騒ぎとなり、英国とポルトガルでは勿論、ヨーロッパ,米国でもメディアは競ってこの事件をカバーし、膨大な量の報道がなされて、今日に及んでいます。この9月8日にも、母親が容疑者となったというニュースが英各紙の一面トップの記事になったようです。サッカーのベッカムや『ハリー・ポッター』の著者ローリングなどが報奨金を提供し、その総額は6億円近くになっています。この事件がこれほど大きく取り上げられたのは、「英国人、白人、裕福な医師の娘」といった要素がメディアの恰好のネタになったからだという意見が表明されています。ユニセフによれば、世界の貧困国では、毎年、100万人以上の子供が人身売買の犠牲になっているとのことですが、その個々の子供のことなど誰も考えません。
 私は、しかし、今、その人道的に極端な非対称性を強調しようとしているのではありません。私がここで問題にしたいのは、マス・メディアの極端な偏向性です。私たちがこの世界の事柄に就いて正確な判断を下すためには、自ら身を乗り出して積極的に正確な情報を求めて行くことが是非必要だということです。

藤永 茂 (2007年9月10日)


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白人にも黒人にも公平にする?(5)

2007-09-05 10:17:42 | 日記・エッセイ・コラム
 Robert Guest という人の『The Shackled Continent: Power, Corruption, and African Lives』(2004年)という本を買って読もうか読むまいか、迷っているところです。著者は英国の雑誌『The Economist』のアフリカ担当編集者、アフリカの現地での滞在取材経験も豊富で、朝日新聞の松本仁一氏と共通点の多い、ベテランのジャーナリストのようです。こうしたアフリカ通の人々の発言に対する異議申し立てを、アフリカの地を一度も踏んだことのない私のような素人が試みる余地はないと考える向きもあると思いますが、私は必ずしもそうではあるまいと考えます。第一の理由は、前回でナポレオン/ショウ/近衛秀麿が指摘した、「英国精神」あるいは「アングロサクソン心理」の恐るべき自己正当化の伝統です。第二は、アフリカの現地で、その現状のあまりの凄惨さを直接に見聞することが、かえって、冷静、公平な客観的立場をとることを困難にする、つまり、感情的に反応してしまうという傾向がありそうだ、ということです。
 ゲスト氏の本は2004年4月16日の出版ですが、その直前の4月3日にスコットランド最大の新聞THE SCOTSMAN に「Why is Africa the continent that keeps failing?」というタイトルで自著のかなり詳しい紹介をしています。ゲスト氏は3万ボトルのギネス・ビールを積んだトラックに便乗して、カメルーンの西海岸の港町から熱帯雨林の中にある町に向かいます。「カメルーンの人々が、ひどい道路事情とひどいたかりをやる警官たちを如何にしてしのいでいるかを見る」のがその目的。600キロほどの行程を走るのに4日もかかってしまったのは、雨が降ると泥沼のようになる道路のせいもありますが、途中47カ所もある検問所でストップを命じられて、警官があらゆる言いがかりを付けて賄賂を要求したのが、遅延の最大の理由でした。成る程これは頭に来る経験だったでしょう。ゲスト氏はここに「ガンを持っている」官僚たちとその頭目の政治家たちの腐敗のシンボル的な具体例を捉え、アフリカ大陸にいくら援助の金を注ぎ込んでも,腐敗しきった官僚や政治家がそれを懐にしてシャンペン酒や豪華車に化けてしまうと言います。
There is a theory, which is still popular, that most of Africa’s problems are the fault of western colonialism. I would be the first to agree that the colonists did many bad things. But my impression, after six years of reporting from sub-Saharan Africa for the Economist, is that the theory is wildly out of date.
また、こうも書いています:
Many economists used to believe that the only thing holding Africa back was a lack of cash. Foreign aid was supposed to solve this by giving Africans the means to invest in their industrial revolution. Development aid equivalent to six Marshal Plans has been poured into Africa in the last half-century, but it has not made Africans any less poor.
マーシャル・プランとは、第2次世界大戦後の荒廃した西ヨーロッパの復興を一挙に軌道に乗せ、推進したアメリカの援助のことです。過去50年間、その6倍の額の援助資金をアフリカに注ぎ込んでみたが、アフリカは底に穴の開いたバケツのようなもので、全体的に見て、アフリカ人たちは50年前よりも貧しく悲惨な状態に落ち入ってしまった。その理由は「ヨーロッパ人は貰った資本金(capital)をどのように投資(invest) すればよいかを知っていたが、アフリカ人はそれを全く知らなかった」からだとゲスト氏は言います。そして、上の原文引用の第一節にあるように「今のアフリカの悲惨の責任はアフリカ人自身にある。過去のヨーロッパの植民地政策の罪ではない」というのが彼のはっきりした立場です。これがゲスト氏の考える「白人にも黒人にも公平な」立場です。
 ここに表明されている見解に対して、私は、きっぱりと異議を申し立てます。異議の項目は多岐にわたりますが、今はその中のほんの一部に止めます。まず、アフリカ人が資金投資の適切な方法に無知であったという点を考えましょう。これは多分に教育水準の問題です。我国の維新当時、坂本龍馬を始めとする進取的な明敏な人材が輩出した最大の理由は江戸時代に存在した良好な教育環境にあったと思われます。しかし、いわゆるスクランブル・フォー・アフリカの幕開けの前後から、英国は意識的にアフリカの“坂本龍馬”を圧殺する方向に植民地政策の舵を取り始めます。この歴史的事実についてはブログ「英国植民地シエラレオネの歴史(4)」(2007年6月6日)を是非読み返して下さい。ベルギー植民地コンゴの黒人教育方針も“no elites, no problems”であったことは拙著『「闇の奥」の奥』(p215)に書きました。次は、マーシャル欧州復興援助資金の6倍の額にのぼるアフリカ援助資金の最終的な落ち着き先、結局、どれだけのお金が誰の懐に収まったか、という問題です。マーシャル・プランの場合には、戦乱で打ちひしがれた欧州各国がアメリカから金を借りてアメリカから食糧や復興資材を買うという形でしたから、援助資金の結局の落ち着き先はアメリカの会社の懐でした。アフリカの援助に注ぎ込んだマーシャル欧州復興援助資金の6倍の額が全くのフイ(不意)になったというゲスト氏の嘆息に合流する前に、我々には、まず、マーシャル・プランとは何であったかという基礎勉強から始める必要があります。その後で、その巨額な援助資金が、アフリカの貧しさを少なくすることには全く何の役にも立たないままに、最終的に何処に納まったかを、詳しく調べ、しっかりと考えてみる必要があります。見返りや紐なしの現金として、アフリカの権力保持者たちの懐に転がり込んでしまった筈はありません。私のような門外漢には、全体のアカウンタビリティを追跡する作業は決して容易に行えるものではなく、出来るだけの努力はしていますが、専門の方々の出馬を是非お願いしたいものです。西ヨーロッパとアフリカの相違点として、素人にも直ぐに気が付くのは、「持ち出せる地下資源が西ヨーロッパには乏しいがアフリカには豊富にある」ことです。拙著『「闇の奥」の奥』(pp235-236)に次のように書きました:
■ 世界の報道機関は、コンゴ、あるいは、アフリカの全体が、先進諸国からの巨額の好意的援助資金を際限なく吸い込みながら、しかも、その荒廃の度をますます深めて行く、底なしのブラックホールででもあるかのような印象を我々に与え続けている。現在のアフリカこそがキプリングの言う「白人の重荷」の具現であるように思われる。G8の一員として日本もその重荷を背負う「白人」クラブに属する。
 しかし、これは見せかけの張り子の重荷、全くの虚偽の重荷である。「白人」がソロバンの合わない重荷を背負ったためしは古今東西ただの一度もない。アフリカ「援助」は、残酷なまでにタンマリと、採算がとれているのである。アフリカに何が、どれだけ、どのようにして送り込まれたか。その見返りに、アフリカから何が、どれだけ、どのようにして持ち出されているか。-このバランス・シートの真正詳細な内容が、第二のモレル、第二のロドニーによって、白日の下に曝される日を私は待ち望んでいる。■
これを書いた後も私は勉強を続けていますが、ゲスト氏のような人々が描くあまりにも明快なアフリカの地獄絵とあまりにも明快な済度の方途(経済自由化)に、ますます強い異議を唱えたい気持になっています。アフリカでは「地下資源の豊かな国ほど、國が乱れて悲惨の度が大きい」とよく言われます。観測的事実です。ゲスト氏の言葉では「Countries that are blessed by nature tend to suffer the most.」となります。つまり、「地下資源の豊かな国ほど、黒人の権力者たちの間の骨肉相食む争いが激しくなり、國が乱れて悲惨の度が大きくなる」ということです。ゲスト氏の語り口に従えば、それがアフリカ黒人の救い難い本性だということになりそうですが、これほど馬鹿げた説明があるでしょうか。アフリカには地下資源に工業的に価値を付加する設備もノウハウもほぼ皆無に近く、アフリカの地下資源は諸外国によって殆どすべて持ち出されています。この状況にこそ上記の観察事実の説明が求められなければならない事は、素人の目にも明白です。ゲスト氏が典型例として挙げているナイジェリアとコンゴの過去40年の黒人権力者たちの腐敗の歴史はあまりにも凄まじく、目を覆いたくなるほどですが、ここにこそ非白人世界の経済学者、政治学者、ジャーナリストが決定的に重要な業績をあげる舞台があります。私個人として特に取り上げて頂きたいのは、コンゴとハイチです。アメリカ合衆国を含めた“ヨーロッパ”の外部干渉が、現在ただいまに到る綿々たる歴史的プロセスとして、どのようなものであり続けているかを、詳細に明白に、示して頂ければ、世界中の人間が、これまで背負ってきた「黒人の重荷」の理不尽な大きさを認識する筈です。
 最後に、これは蛇足ですが、ゲスト氏の足を少し引っ張る意地悪をしてみます。ゲスト氏は3万ボトルのギネス・ビールを積んだトラックに便乗して、カメルーンの西海岸から熱帯雨林の中にある町に向かったわけですが、これは、意地悪く言えば、一種の「おとり」ジャーナリズムです。言いたい事の裏を取るための、ダメオシ取材行です。それに、3万ボトルのギネス・ビールというのも引っかかります。瓶あたり500グラムとしても、15トンの積み荷、かなりの大型トラックで、これだけの量の世界一流の銘柄ビールがカメルーンの熱帯雨林の中の町に運ばれるのは何のためでしょうか?ギネスとはあのギネス・ブックのギネスです。ウィキペディアには「ナイジェリアで生産されているギネスはアフリカの気候下で流通・保存されるためにアルコール分が8%と非常に高くなっている。このギネスは最近になってアフリカへの旅行者を中心に有名になり「アフリカのギネス」という触れ込みで本国アイルランドなどに逆輸入・販売されている。」とあります。いま私が準拠しているゲスト氏の自著紹介には、熱帯雨林の中の町で、誰がこの大量のギネス・ビールを消費するのか、アフリカに生産と販売を拡大するギネス・ビール会社の企業活動、現地労働賃金のレベル、その全体的収支はどうなっているのかについては何も書いてありませんが、私としては、大いに気になるところです。

藤永 茂 (2007年9月5日)


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