私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オクラホマという州名はどうする?

2020-07-26 21:19:40 | 日記・エッセイ・コラム

 米国のNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のワシントン・レッドスキンズは、7月13日、チーム名を変更すると発表しました。レッドスキンとは米国先住民の赤い皮膚の色を意味します。下に引いた記事には、「アメリカでは警察の暴力と人種差別への抗議行動が高まっており、同チームの主要スポンサーは最近、チーム名変更を検討しない限り、同チームへの資金拠出をやめると圧力をかけていた。」とあります。

https://news.yahoo.co.jp/articles/09787844db3bc15d3287af6db76ea9e12b1e71ed

https://twitter.com/Redskins/status/1282661063943651328

 この事態は、BLM(Black Lives Matter、黒人の命は(も)大切だ)運動の急激な盛り上がりに繋がっていますが、ウィキペディアの記事:

https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラック・ライヴズ・マター

に説明してあるように、BLMという運動は、今に始まったものではなく、7年ほども前に始まった黒人の抗議運動です。「2020年の米国でのブラック・ライヴズ・マター抗議行動には推定1500万人から2600万人が参加し(全員が「組織のメンバー」ではない)、ブラック・ライヴズ・マターは米国史上最大級の運動となった」と説明されています。

 中村吉右衛門の演ずる鬼平は「これは俺の勘ばたらきだがな」というセリフをよく口にします。私の勘働きに従えば、今回のBLM運動の異様な盛り上がりは一つの巨大な「にせもの」「インチキ」「まやかし」のように思えてなりません。真の黒幕権力による陰謀だと決めつけているのではありません。(そうかもしれませんが)それよりももっとたちが悪いものではないかと私には思えるのです。それは、黒人のBLM運動が発祥した頃のこのブログの記事『ホブソンの『帝国主義』』(2007年3月21日付け):

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/170cd531bd3a810f298c4065de038e7f

で言及した「魂の中の嘘(the lie in the soul)」というものであると私は考えます。ホブソンの『帝国主義』から訳出した文章を少し再引用します:

「帝国主義は諸事実と力関係を性懲りもなく曲げて記述説明し続けることに基礎を置いている。その歪曲誤伝は、おもに、とても手の込んだ諸事実の選択、誇張、骨抜きのプロセスを通して、利害の関係する徒党や個人によって演出され、そのため、歴史の見かけが歪められてしまうのである。国民の心が、この欺瞞にすっかり慣らされてしまって、自己批判が出来ないような状態になってしまうことに、帝国主義の最も重大な危険があるのである。何故なら、これはプラトンが「魂の中の嘘(the lie in the soul)」--それ自体、嘘とは知らない嘘--と名付けた心の状態だからである。」

 現在、BLM運動に熱心に参加しているあらゆる肌色の米国人のほとんどは彼らの祖国「アメリカ合州国」が英国からの植民地独立戦争以来、分厚く巨大な嘘で固められて来た国家であることを、本当には承知していないのです。このことこそ、米国の黒人に対する警察当局の過剰な暴力行使の問題、人種差別一般の問題を遥かに超えた根本的な問題であると私は考えます。

 さて、今回のブログ記事のタイトルですが、オクラホマという州名の意味するところをご存知ですか? チョクトウ・インディアンの言葉でオクラは「人々」を、ホマは「赤い」を意味します。つまり、「レッドスキンズ」です。レッドスキンズがフットボール・チームの名前として宜しくないのであれば、オクラホマという州名も変えなければなりますまい。米国先住民の歴史を知る者であれば、もし呼び名の変更が必要なのなら、この州名の方がチーム名よりも先だという思いに駆られるに違いありません。次回に説明します。

 

藤永茂(2020年7月26日)

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7月4日は誰の独立記念日か?(3)

2020-07-07 22:34:28 | 日記・エッセイ・コラム

前回(2)からの続きです。

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 ノース・カロライナ州で自由黒人として生まれたデイヴィド・ウォーカー(1785〜1830)は、読み書きを学んで育ち、1815年には、実質上奴隷制度が廃止されていた北部のマサチューセッツ州に移り住んで勉学を続け、1829年、『ウォーカーの訴え』と題する書物を出版した。奴隷制を維持して利益をむさぼる白人たちを非難し、アメリカ独立宣言冒頭の人権宣言の偽善性を激しく衝く文章が含まれていた。

 「アメリカ人よ、「独立宣言」を読んでみなさい。あなた方は自分の言葉を理解しているのか?1776年7月4日にあなた方世界に向かって宣言した言葉に耳を傾けてみるがよい。

“すべての人間は平等に創られていること、彼らは、その創造主によって、奪うことのできない一定の権利が与えられていて、その中には、生命、自由、そして幸福の追求があること、我々はこれらの真理を自明なものであると考える。”

あなた方自身が言ったこれらの言葉と、残酷非情なあなた方の父親とあなた方が、我々の父親と我々に加えた残忍な仕打ちと殺人行為をくらべてみよ。我々の側からは、あなた方の父親とあなた方に何の挑発もしてはいなかった。」

奴隷保有者たちはウォーカーの、単純明快で手厳しく、反論の余地のない正論に追い詰められたと感じ、驚き慌てて、黒人の間に読み書きの能力が広がるのを阻止しようとした。南部諸州では黒人に読み書きを教えることを罰する法律が成立した。ウォーカーの逮捕には、生きたままならば一万ドル、死体ならば一千ドルの奨励金が懸けられた。1830年6月28日、45歳のウォーカーの死体が彼のボストンの自宅の玄関の前で発見された。

 その翌年1831年8月21日、奴隷の黒人青年ナット・ターナー(1800〜1831)の率いる奴隷反乱がヴァージニア州サウサンプトン郡で起こった。ターナーは自分が働いていた農園の奴隷数人とともに行動を起こして、主人一家を殺して銃を奪い、次々と農園を襲って仲間を70人ほどにまで増やしたが、弾薬が尽きて鎮圧された。殺された白人の数は婦女子を含めて55人だった。州当局は反乱奴隷の56人を絞首刑にしたが、他に約200人の黒人が怒り狂った白人群衆から暴行を受け、殺される者もあった。その多くは反乱とは関係のない人々だった。ターナーは幼少の頃から利発で、たちまち読み書きの能力を身につけ、聖書を熱心に読んだ。独立宣言の記念日7月4日を期して反乱を起こす計画だったが、病気のために延期を余儀なくされたという。独立宣言の言語道断の偽善性に対するターナーの怒りはウォーカーの怒りと通底していたに違いない。

 ボストンの名高い奴隷解放運動家(白人)ウィリアム・ロイド・ギャリソン(1805〜1879)も7月4日の独立記念日の偽善性を鋭く批判した。

 毎年の7月4日、我が『独立宣言』が、激しい怒りを持って、母国の専制政治を列挙し、世界の尊崇をかちとるために持ち出される。しかし、今日わが国の奴隷が耐えている諸悪と対比するとき、この文書は何とつまらぬ不平の数々をのべ立てている事か。・・・・・ わたしは、神の前で言わねばならない。われわれの信念と実践のあいだに存在するこのようなあからさまな矛盾は、人類五千年の歴史にも例がない、と。その意味で、わたしは自分の国が恥ずかしい。わたしは、自由と平等を褒めたたえるわが国民の空々しい大演説、人間の奪うべからざる権利にかんする偽善的な空念仏に吐き気がする。 (山本幹雄『異端の説教師ギャリソン』95頁)

ナット・ターナーの反乱から30年後の1852年の7月4日、ニューヨーク州ロチェスター市開催のアメリカ独立記念日の式典に招待された元奴隷の奴隷廃止運動家フレデリック・ダグラス(1818〜1895)は、『奴隷にとって七月四日とは何か』と題する歴史に残る名演説を行った。その中から最も激烈な部分を引用しよう。

 アメリカの奴隷にとって、皆さんの七月四日とは何でしょうか。私は答えましょう。彼が絶え間なくその犠牲者になっている目に余る不正と残酷さを、一年の他のすべての日にもまして、思い知らされる日だと。奴隷にとって、皆さんの祝典は見せかけだけの偽物です。皆さんの自慢たらたらの自由は、ひどい放埒です。皆さんの国家の偉大さは、膨れ上がった虚栄です。皆さんの歓喜の声は空虚で、非情です。専制君主に対する皆さんの弾劾は、鉄面皮の厚かましさです。自由と平等の叫びは、中身のないまがい物です。皆さんの祈りや賛美歌、説教や神への感謝、宗教行列、儀式は、奴隷にとっては、単なる大言壮語・欺瞞・詐欺・不敬・偽善でしかなく、この野蛮人の国の恥さらしともなる犯罪を覆い隠すための薄い布です。この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません。

 皆さんの思うところに出かけて調べてみてください。旧世界のすべての君主国や専制国を歩き回り、南米をくまなく旅し、虐待を洗いざらい調べあげ、そして虐待の調べが終わったら、皆さんが見つけた事実をこの国で日常茶飯に行われていることと並べて置いてみてください。そうすれば、反吐が出そうになるような蛮行と、厚顔無恥の偽善において、アメリカは天下に並ぶものなく君臨していると、皆さんは私と一緒に言うことになるでしょう。

 勇敢な発言である。しかも、それは、21世紀の現時点の「7月4日」の祝典にも突きつけるにふさわしい内容だ。特に「この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません」以下の文章は、イラク/アフガニスタン/パキスタンの民衆がこぞって賛同を惜しまないであろう。では、アメリカ国内の声はどうか。ある人々は主張するだろう。「アメリカには奴隷はいない。黒人も完全にアメリカの中に受け入れられた。黒人大統領バラク・オバマの出現がその決定的な証拠だ」と。この証拠を受け入れることができない理由は、もう一人の勇敢な黒人の声を聞いたあとで論じよう。

 フレデリック・ダグラスの激烈な演説から11年後の1863年には、リンカーンのゲティスバーグの演説が行われ、そのちょうど100年後の1963年の夏、首都ワシントンの記念館の巨大なリンカーン坐像の前で、私たちはキング牧師の歴史的名演説『私には夢がある』を聞くことになる。このあまりにも有名になってしまった演説については、未来の“夢”を叫んだ終わりの三分の一だけが一人歩きして、多くの人がキング牧師の激しい怒りと要求を忘れがちだ。アメリカ人が傾聴すべき部分はその冒頭にある。そして、それは、ウォーカーの、ターナーの、そしてダグラスの声と同じ声であったのだ。キング牧師は、まず、100年前のリンカーンの奴隷解放宣言と、それが何百万もの黒人奴隷に与えた絶大な希望を語り、続いて次のように言った。

 しかし、その100年後の今、黒人は未だに自由になっていない。100年を経た今も、黒人の生活はいまだに隔離政策の手枷と差別の鎖で痛ましく自由を拘束されている。100年を経た今も、物質的繁栄の広大な海の真ん中に浮かぶ貧困の孤島で生きている。100年を経た今も、黒人はいまだにアメリカ社会の片隅で惨めに悩みくらし、自分の土地にいながら流刑人の自分を見出す。だから、我々は、この怪しからぬ状況を劇的に示すために今日ここにやってきたのだ。

 ある意味で、我々は約束手形を現金化するために我が国の首都にやってきた。この共和国の創設者たちが憲法と独立宣言の堂々たる言葉を綴った時、あらゆるアメリカ人が相続すべき約束手形にサインしていたのである。この手形はすべての人々に、そう、黒人にも白人にも、“生命、自由、そして幸福の追求”という“奪うことのできない権利”を保証したはずの約束であったのだ。しかし、有色の市民に関する限り、アメリカがこの約束の手形を不払いのままにしてきたことは、今や明らかである。この神聖な債務を履行する代わりに、アメリカは黒人に“資金不足”として突き返されてきた不渡り手形を与えたのだ。

 またしても“生命、自由、そして幸福の追求”だ。1776年7月4日のアメリカ独立宣言の目玉の人権宣言は、その原初の虚偽性の故に、アメリカの歴史を通じて、抗議の標的にされ続けてきたのである。

 2008年、アメリカの出版大手ダブルデイから『別の名のもとの奴隷制(Slavery by Another Name)』が出版されて評判になった。著者はダグラス・ブラックモン(Douglas Blackmon)、保守系有力新聞『ウォール・ストリート・ジャーナル』のアトランタ支局長。彼によれば、アメリカの奴隷制は、1865年の憲法改正による奴隷禁止令の以後も、実質的には面々と維持されて20世記に及んでいる。公式に奴隷は消えたにしても、実質的に奴隷の苦難の中にある人々は、現在のアメリカに数百万を数える。圧倒的に有色の人間たちである。彼ら、彼女らの声の代弁者もいる。大メディアの騒音にかき消されてはいるが、私たちが耳を澄ませば、ウォーカー、ダグラス、キングの直裁さに劣らない厳しい声を、グレン・フォードやシンシア・マキニイなどの黒人指導者から聞くことができるのである。残念ながら、黒人大統領バラク・オバマは、これらアメリカ社会の底辺に呻吟する数百万の人々の声を代表していない。この第44代アメリカ合州国大統領は、ろくでなしの黒人男性たちを叱りこそすれ、代弁する気はほとんど持ち合わせていないのだ。

 1776年のジェファソン筆の「独立宣言」は、女性の全体、無学で無財産の白人、インディアン、黒人の全てを政治のプロセスから除外する、優れて反デモクラティックな国家創設の文書であった。ところが、アメリカの指導者たちは、この独立宣言の欺瞞を見事に隠蔽する詭弁を発明し、綿々と使ってきた。「独立宣言の冒頭の人権宣言は、アメリカが国家の理念として、その完全な実現に向けて絶えず前進すべき聖なる目標であり、アメリカはその完成に向かって確実に進歩している」というものである。バラク・オバマも著書や演説の中で繰り返しこの立場をとっている。(引用終わり)

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 以上の文章は、ちょうど10年前に出版した拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』からの抜き書きです。米国内で黒人たちが今も受けている苦難に対する抗議運動が勃発している今、読み返してみて、やりきれない思いが吹き上がってくるのを抑えることが出来ません。例えば、168年前のフレデリック・ダグラスの演説『奴隷にとって七月四日とは何か』からの引用文の後半を再読して下さい。

「この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません。皆さんの思うところに出かけて調べてみてください。旧世界のすべての君主国や専制国を歩き回り、南米をくまなく旅し、虐待を洗いざらい調べあげ、そして虐待の調べが終わったら、皆さんが見つけた事実をこの国で日常茶飯に行われていることと並べて置いてみてください。そうすれば、反吐が出そうになるような蛮行と、厚顔無恥の偽善において、アメリカは天下に並ぶものなく君臨していると、皆さんは私と一緒に言うことになるでしょう。」

 私がこれを引用した2010年から後に、米国は世界で何をしてきたか。ホンジュラス、リビア、シリア、ハイチ、ヴェネズエラ、ブラジル、ボリビア、と直ぐに思い付く国名だけをあげても、「合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません」というフレデリック・ダグラスの指摘がそのまま生きていることが分かります。なぜこのような事態が延々と続いているのか? この問いを、いま米国の黒人問題騒乱に参加している若者たちが、自らに深く問いかけるのでなければ、米国に未来はありません。単なる黒人苦難の問題ではないのです。

藤永茂(2020年7月7日)

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7月4日は誰の独立記念日か?(2)

2020-07-06 13:14:14 | 日記・エッセイ・コラム

前回(1)からの続きです。

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 普遍的な参政権の最初の実施時期を目安にして、デモクラシー政体の古さを定めるとすれば、アメリカは決して世界最古の民主主義国家ではない。例えば、フィンランドでは1906年には参政権が普遍的に認められている。それにもかかわらず、2008年3月、オバマ上院議員は、臆面もなく、ブッシュと同じ言葉を繰り返して、「世界最古のデモクラシーと世界最大のデモクラシーは、重要な権益と民主的価値を共有する自然なパートナーである」と在米インド人向けの雑誌に投稿して、媚を売っている。おそらく、来るべき大統領選挙戦でのインド系人の票集めを計算しての発言だったのであろう。

 アメリカ合州国が世界最古のデモクラシーであるという虚偽の主張の出どころは、ひとえに1776年7月4日のアメリカ独立宣言にある。この宣言文は一枚の紙面に書かれていて、長いものではない。「アメリカの十三合州国の一致した宣言」というタイトルがついていて「独立」の文字はない。書き出しは次の通りだ。

 “人類の歴史において、ある国民が今まで彼らを他国民の下に結びつけていた政治的靭帯を解消し、地上各国の間にあって、自然の法や自然の神の法にとって本来当然与えられるべき独立平等の地位を主張しなければならなくなる場合がある。そうした場合、人類の意見をしかるべく尊重しようとするならば、その国民が分離せざるを得なくなった理由を、公に表明することが必要であろう。”

これに続いて、前にも引用したもっとも有名な「すべての人間は平等」のくだり、

 “すべての人間は平等に創られていること、彼らは、その創造主によって、奪うことのできない一定の権利が与えられていて、その中には、生命、自由、そして幸福の追求があること、我々はこれらの真理を自明なものであると考える。”

が来るのだが、独立宣言の中には、黒人奴隷への言及は見当たらず、インディアンはイギリス国王が操る嫌悪唾棄すべき野蛮なテロリスト的存在として一度現れるだけである。要するに、この“すべての人間”の中にはインディアンは入っていなかった。宣言の主文ではイギリス国王を「彼」と呼んで、彼がアメリカ人に対して行ってきた多くの不当行為が非難されているが、その中には次の文章が見られる。

 “彼は、我々の間に国内の反乱を起こさせ、また辺境の住民に対して、残忍なインディアン蛮族に攻撃させる努力をした。インディアンの戦闘のルールが、年齢、性別、貧富の別なく相手方を殺戮するものであることはよく知られている。”

 これで明らかだが、北米東海岸にピルグリム・ファーザーズを含むアングロサクソンなる人たちがたどり着いた初期にインディアンから受けた多大の恩義は、それから150年後の独立宣言起草の時点で、綺麗さっぱりと無視され、彼らを野蛮人と決めつけ、全く恩を仇で返す姿勢をとっている。アメリカ合州国憲法の起草の際に、国会下院議員数の各州への割り当てをその人口に比例して決定するにあたって、既に多数の黒人奴隷を抱え込んでいた南部諸州の主張によって、黒人男性は白人男性の五分の三と数えることが合意されたが、これは男性黒人奴隷の人権を部分的に認めることでは全くなかったことをはっきりと理解しなければならない。例えば、五十人の黒人奴隷を所有する白人には白人三十人に相当する政治的発言権のウエイトを与えるということに過ぎない。奴隷インディアンは憲法起草の時点では極めて少数であったから、この点でも、まるっきり問題にされなかった。

 「すべての人間が平等に自由に生き、幸福を追求する権利が与えられている」という上記の宣言は歴史上最も重要な人権宣言として世界中に知れ渡って一人歩きを始め、その文面がそっくり額面通りに受け取られて、それがアメリカン・デモクラシーの本質を見誤らせる結果を生んでいる。アメリカの独立宣言の執筆者トマス・ジェファソンが、はじめにこの格調高い(しかし内容的には虚偽の)人権宣言の文節を掲げ、続いて、英国王ジョージ三世の罪悪を二十八項目にわたって数え上げた理由については、いろいろに論じられている。当時、人権思想が高揚していたフランスの好意を引き寄せ、武器の供給の形で軍事援助を得ようとしたという説さえある。私たちにとって重要なのは、しかし、この人権宣言がアメリカ独立を遂行した植民地支配階級の「魂の中の嘘」であったことをはっきりと認識することである。

 英本国に対する北米十三州の独立戦争は植民地側の勝利に終わり、1783年、パリ平和条約でアメリカ合州国の独立が決定した。1787年、合州国憲法制定、1789年、独立戦争の英雄ジョージ・ワシントンが初代大統領に選出された。1790年、初の国勢調査によれば、総人口392万9千(黒人75万7千、そのうち奴隷69万8千、自由黒人5万9千)。ワシントンの選挙には3万8千の成人白人男性が投票したが、これは成人総人口の僅か1.6%に過ぎなかった、それから後の各種選挙においても、選挙権が非支配層に広がること、とりわけ黒人の投票権を阻止する、あらゆる手段が用いられた。独立宣言に麗々しく謳い上げられた人権宣言の文字通りの実施を要求する黒人には、始めの数十年間は、死の罰が与えられたのである。(続く)

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 次回は、この嘘っぱちに満ちた独立宣言、人権宣言を、黒人たちがどのように糾弾したかの話になります。読んでいただいている文章は、私が今から10年前に書いたものです。いま世界的規模で沸き起こっている黒人擁護の運動に便乗して綴っている文章ではありません。米国という国は、確かに、例外的な(exceptional)国です。建国の始めから、自己の魂の中の欺瞞を欺瞞として自覚することが出来ないまま、今日に及んでいる特異な国なのです。

 

藤永茂(2020年7月6日)

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7月4日は誰の独立記念日か?(1)

2020-07-05 00:38:17 | 日記・エッセイ・コラム

 アメリカ合州国の独立創設の宣言は1776年7月4日に行われました。(このブログではアメリカ合州国という呼び名の代わりに米国という文字をもっぱら使っていますが、アメリカ合衆国とかアメリカ合州国とも呼ばれる、北アメリカ大陸の豊穣な部分を占める、この大国を指し示すのにもっとも簡単であるからです。)この北米大陸で起こったことを「アメリカ革命」と呼ぶ人たちもいます。ハンナ・アレントは、その著『革命について』で、フランス革命やロシア革命は失敗した革命であったが、アメリカ革命は成功した革命であったと主張しています。

私たちは、この“革命”が誰のためのものであったかを、今こそ、はっきりと見定めなければなりません。米国の「独立宣言」が、もともと、大いなる欺瞞であったことを見据えなければなりません。アメリカ革命が本質的に無残な失敗であったことが、いま、誰の目にも明らかな形に露呈されています。

 米国についての私の見解は拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』(2010年出版)で述べましたが、現時点でも、何ら訂正の必要を感じていません。

 それで、7月4日の記念日に寄せて、この拙著の一部をここに写して、皆さんのお目にかけることにしました。

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アメリカ独立宣言

 1776年7月4日の「独立宣言」は、アメリカ論のアルファでありオメガである。アメリカ合州国創設のこの宣言が一つの大いなる欺瞞であったことが、善かれ悪しかれ、その後のアメリカ合州国の歴史を決定した。アメリカを叩くための誇張では決してない。あらゆるアメリカ論者が、その心底では、認めざるを得ない歴史的事実である。この宣言が語っている精神的レベルで、いったい誰が「すべての人間(men)は平等に創られている」と認めるであろうか。例えば、『アメリカという理念』の著者アンヌマリー・スローターは、苦し紛れに、“All men (and women)”とチョッピリ訂正する(9頁)。

 2006年3月3日、インドの首都で行った演説の中で、ブッシュ前大統領がアメリカを「世界最古のデモクラシー」と呼び、インドを「世界最大のデモクラシー」とよんだことを捉えて、一人のインド人思想家(N. D. Jayaprakash)が「アメリカ合州国は世界最古のデモクラシーの名に値しない」と批判した。彼は、一つの国が民主主義国であることの判断基準として、一般参政権の適用範囲の広さを選んだ。アメリカ合州国は、1776年7月4日の独立宣言以来、下層白人男性、黒人男性、女性、インディアンに広く投票権、参政権を与えることを、あらゆる口実、術策を弄して、渋り続けた。

 アメリカ・インディアンにアメリカ合州国の市民権が与えられ、それにともなって投票権を獲得したのは、1924年のことであった。人口の半数を占める女性が、アメリカ合州国全体で投票権をたたかいとったのは1920年だが、女性参政権獲得の長い戦いに関わった三重苦の偉大な女性ヘレン・ケラーが「我が国のデモクラシーはただ名ばかりだ」と喝破したのは1911年のことであった。形式的に黒人男性に参政権が与えられたのは1870年、下層白人男性には、それより30年ほど早く参政権が与えられるようになったが、それには奴隷反乱対策と奴隷制度廃止の問題と複雑に絡む理由があった。しかし、連邦政府の法令だけで黒人やインディアンの投票権の実際の行使が保証されたわけでは決してない。そのことは黒人の法的市民権獲得から90年後の1960年代のキング牧師たちの公民権運動で流された血を思い起こせば理解できよう。インディアンの投票妨害については2004年にも具体例が報じられている。(続く)

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藤永茂(2020年7月4日)

 

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