前回(2)からの続きです。
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ノース・カロライナ州で自由黒人として生まれたデイヴィド・ウォーカー(1785〜1830)は、読み書きを学んで育ち、1815年には、実質上奴隷制度が廃止されていた北部のマサチューセッツ州に移り住んで勉学を続け、1829年、『ウォーカーの訴え』と題する書物を出版した。奴隷制を維持して利益をむさぼる白人たちを非難し、アメリカ独立宣言冒頭の人権宣言の偽善性を激しく衝く文章が含まれていた。
「アメリカ人よ、「独立宣言」を読んでみなさい。あなた方は自分の言葉を理解しているのか?1776年7月4日にあなた方世界に向かって宣言した言葉に耳を傾けてみるがよい。
“すべての人間は平等に創られていること、彼らは、その創造主によって、奪うことのできない一定の権利が与えられていて、その中には、生命、自由、そして幸福の追求があること、我々はこれらの真理を自明なものであると考える。”
あなた方自身が言ったこれらの言葉と、残酷非情なあなた方の父親とあなた方が、我々の父親と我々に加えた残忍な仕打ちと殺人行為をくらべてみよ。我々の側からは、あなた方の父親とあなた方に何の挑発もしてはいなかった。」
奴隷保有者たちはウォーカーの、単純明快で手厳しく、反論の余地のない正論に追い詰められたと感じ、驚き慌てて、黒人の間に読み書きの能力が広がるのを阻止しようとした。南部諸州では黒人に読み書きを教えることを罰する法律が成立した。ウォーカーの逮捕には、生きたままならば一万ドル、死体ならば一千ドルの奨励金が懸けられた。1830年6月28日、45歳のウォーカーの死体が彼のボストンの自宅の玄関の前で発見された。
その翌年1831年8月21日、奴隷の黒人青年ナット・ターナー(1800〜1831)の率いる奴隷反乱がヴァージニア州サウサンプトン郡で起こった。ターナーは自分が働いていた農園の奴隷数人とともに行動を起こして、主人一家を殺して銃を奪い、次々と農園を襲って仲間を70人ほどにまで増やしたが、弾薬が尽きて鎮圧された。殺された白人の数は婦女子を含めて55人だった。州当局は反乱奴隷の56人を絞首刑にしたが、他に約200人の黒人が怒り狂った白人群衆から暴行を受け、殺される者もあった。その多くは反乱とは関係のない人々だった。ターナーは幼少の頃から利発で、たちまち読み書きの能力を身につけ、聖書を熱心に読んだ。独立宣言の記念日7月4日を期して反乱を起こす計画だったが、病気のために延期を余儀なくされたという。独立宣言の言語道断の偽善性に対するターナーの怒りはウォーカーの怒りと通底していたに違いない。
ボストンの名高い奴隷解放運動家(白人)ウィリアム・ロイド・ギャリソン(1805〜1879)も7月4日の独立記念日の偽善性を鋭く批判した。
毎年の7月4日、我が『独立宣言』が、激しい怒りを持って、母国の専制政治を列挙し、世界の尊崇をかちとるために持ち出される。しかし、今日わが国の奴隷が耐えている諸悪と対比するとき、この文書は何とつまらぬ不平の数々をのべ立てている事か。・・・・・ わたしは、神の前で言わねばならない。われわれの信念と実践のあいだに存在するこのようなあからさまな矛盾は、人類五千年の歴史にも例がない、と。その意味で、わたしは自分の国が恥ずかしい。わたしは、自由と平等を褒めたたえるわが国民の空々しい大演説、人間の奪うべからざる権利にかんする偽善的な空念仏に吐き気がする。 (山本幹雄『異端の説教師ギャリソン』95頁)
ナット・ターナーの反乱から30年後の1852年の7月4日、ニューヨーク州ロチェスター市開催のアメリカ独立記念日の式典に招待された元奴隷の奴隷廃止運動家フレデリック・ダグラス(1818〜1895)は、『奴隷にとって七月四日とは何か』と題する歴史に残る名演説を行った。その中から最も激烈な部分を引用しよう。
アメリカの奴隷にとって、皆さんの七月四日とは何でしょうか。私は答えましょう。彼が絶え間なくその犠牲者になっている目に余る不正と残酷さを、一年の他のすべての日にもまして、思い知らされる日だと。奴隷にとって、皆さんの祝典は見せかけだけの偽物です。皆さんの自慢たらたらの自由は、ひどい放埒です。皆さんの国家の偉大さは、膨れ上がった虚栄です。皆さんの歓喜の声は空虚で、非情です。専制君主に対する皆さんの弾劾は、鉄面皮の厚かましさです。自由と平等の叫びは、中身のないまがい物です。皆さんの祈りや賛美歌、説教や神への感謝、宗教行列、儀式は、奴隷にとっては、単なる大言壮語・欺瞞・詐欺・不敬・偽善でしかなく、この野蛮人の国の恥さらしともなる犯罪を覆い隠すための薄い布です。この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません。
皆さんの思うところに出かけて調べてみてください。旧世界のすべての君主国や専制国を歩き回り、南米をくまなく旅し、虐待を洗いざらい調べあげ、そして虐待の調べが終わったら、皆さんが見つけた事実をこの国で日常茶飯に行われていることと並べて置いてみてください。そうすれば、反吐が出そうになるような蛮行と、厚顔無恥の偽善において、アメリカは天下に並ぶものなく君臨していると、皆さんは私と一緒に言うことになるでしょう。
勇敢な発言である。しかも、それは、21世紀の現時点の「7月4日」の祝典にも突きつけるにふさわしい内容だ。特に「この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません」以下の文章は、イラク/アフガニスタン/パキスタンの民衆がこぞって賛同を惜しまないであろう。では、アメリカ国内の声はどうか。ある人々は主張するだろう。「アメリカには奴隷はいない。黒人も完全にアメリカの中に受け入れられた。黒人大統領バラク・オバマの出現がその決定的な証拠だ」と。この証拠を受け入れることができない理由は、もう一人の勇敢な黒人の声を聞いたあとで論じよう。
フレデリック・ダグラスの激烈な演説から11年後の1863年には、リンカーンのゲティスバーグの演説が行われ、そのちょうど100年後の1963年の夏、首都ワシントンの記念館の巨大なリンカーン坐像の前で、私たちはキング牧師の歴史的名演説『私には夢がある』を聞くことになる。このあまりにも有名になってしまった演説については、未来の“夢”を叫んだ終わりの三分の一だけが一人歩きして、多くの人がキング牧師の激しい怒りと要求を忘れがちだ。アメリカ人が傾聴すべき部分はその冒頭にある。そして、それは、ウォーカーの、ターナーの、そしてダグラスの声と同じ声であったのだ。キング牧師は、まず、100年前のリンカーンの奴隷解放宣言と、それが何百万もの黒人奴隷に与えた絶大な希望を語り、続いて次のように言った。
しかし、その100年後の今、黒人は未だに自由になっていない。100年を経た今も、黒人の生活はいまだに隔離政策の手枷と差別の鎖で痛ましく自由を拘束されている。100年を経た今も、物質的繁栄の広大な海の真ん中に浮かぶ貧困の孤島で生きている。100年を経た今も、黒人はいまだにアメリカ社会の片隅で惨めに悩みくらし、自分の土地にいながら流刑人の自分を見出す。だから、我々は、この怪しからぬ状況を劇的に示すために今日ここにやってきたのだ。
ある意味で、我々は約束手形を現金化するために我が国の首都にやってきた。この共和国の創設者たちが憲法と独立宣言の堂々たる言葉を綴った時、あらゆるアメリカ人が相続すべき約束手形にサインしていたのである。この手形はすべての人々に、そう、黒人にも白人にも、“生命、自由、そして幸福の追求”という“奪うことのできない権利”を保証したはずの約束であったのだ。しかし、有色の市民に関する限り、アメリカがこの約束の手形を不払いのままにしてきたことは、今や明らかである。この神聖な債務を履行する代わりに、アメリカは黒人に“資金不足”として突き返されてきた不渡り手形を与えたのだ。
またしても“生命、自由、そして幸福の追求”だ。1776年7月4日のアメリカ独立宣言の目玉の人権宣言は、その原初の虚偽性の故に、アメリカの歴史を通じて、抗議の標的にされ続けてきたのである。
2008年、アメリカの出版大手ダブルデイから『別の名のもとの奴隷制(Slavery by Another Name)』が出版されて評判になった。著者はダグラス・ブラックモン(Douglas Blackmon)、保守系有力新聞『ウォール・ストリート・ジャーナル』のアトランタ支局長。彼によれば、アメリカの奴隷制は、1865年の憲法改正による奴隷禁止令の以後も、実質的には面々と維持されて20世記に及んでいる。公式に奴隷は消えたにしても、実質的に奴隷の苦難の中にある人々は、現在のアメリカに数百万を数える。圧倒的に有色の人間たちである。彼ら、彼女らの声の代弁者もいる。大メディアの騒音にかき消されてはいるが、私たちが耳を澄ませば、ウォーカー、ダグラス、キングの直裁さに劣らない厳しい声を、グレン・フォードやシンシア・マキニイなどの黒人指導者から聞くことができるのである。残念ながら、黒人大統領バラク・オバマは、これらアメリカ社会の底辺に呻吟する数百万の人々の声を代表していない。この第44代アメリカ合州国大統領は、ろくでなしの黒人男性たちを叱りこそすれ、代弁する気はほとんど持ち合わせていないのだ。
1776年のジェファソン筆の「独立宣言」は、女性の全体、無学で無財産の白人、インディアン、黒人の全てを政治のプロセスから除外する、優れて反デモクラティックな国家創設の文書であった。ところが、アメリカの指導者たちは、この独立宣言の欺瞞を見事に隠蔽する詭弁を発明し、綿々と使ってきた。「独立宣言の冒頭の人権宣言は、アメリカが国家の理念として、その完全な実現に向けて絶えず前進すべき聖なる目標であり、アメリカはその完成に向かって確実に進歩している」というものである。バラク・オバマも著書や演説の中で繰り返しこの立場をとっている。(引用終わり)
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以上の文章は、ちょうど10年前に出版した拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』からの抜き書きです。米国内で黒人たちが今も受けている苦難に対する抗議運動が勃発している今、読み返してみて、やりきれない思いが吹き上がってくるのを抑えることが出来ません。例えば、168年前のフレデリック・ダグラスの演説『奴隷にとって七月四日とは何か』からの引用文の後半を再読して下さい。
「この現時点において、合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません。皆さんの思うところに出かけて調べてみてください。旧世界のすべての君主国や専制国を歩き回り、南米をくまなく旅し、虐待を洗いざらい調べあげ、そして虐待の調べが終わったら、皆さんが見つけた事実をこの国で日常茶飯に行われていることと並べて置いてみてください。そうすれば、反吐が出そうになるような蛮行と、厚顔無恥の偽善において、アメリカは天下に並ぶものなく君臨していると、皆さんは私と一緒に言うことになるでしょう。」
私がこれを引用した2010年から後に、米国は世界で何をしてきたか。ホンジュラス、リビア、シリア、ハイチ、ヴェネズエラ、ブラジル、ボリビア、と直ぐに思い付く国名だけをあげても、「合州国の人々ほどショッキングな血なまぐさい行為を犯している民族は、地球上一つとして存在しません」というフレデリック・ダグラスの指摘がそのまま生きていることが分かります。なぜこのような事態が延々と続いているのか? この問いを、いま米国の黒人問題騒乱に参加している若者たちが、自らに深く問いかけるのでなければ、米国に未来はありません。単なる黒人苦難の問題ではないのです。
藤永茂(2020年7月7日)