私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ジンバブエをどう考えるか(2)

2008-07-30 15:44:06 | 日記・エッセイ・コラム
 前回、週刊朝日の7月18日号に「84歳の独裁者ジンバブエムガベ大統領の悪逆非道」という記事を取り上げ、今後それを材料にして、ジンバブエをめぐる情報と論議の不足を考えることを約束しました。前回は記事の導入部の文章を引用しましたが、今回はそれを更に敷衍する部分を書き写します。
■80年の(ジンバブエの)独立後は、(ムガベは)首相を経て、87年に大統領に就任。当初は農地や工場の急激な国有化を避けるなど白人社会との協調を基盤とした緩やかな社会主義による国づくりを進める一方、教育など福祉政策に力を注ぎ、識字率をアフリカ最高レベルの9割に導く“善政”を敷いた--。
 それが今はどうか。
 CIA(米中央情報局)発表などによると、ジンバブエのインフレは08年2月時点で16万%で紙幣は紙くず同然となり、失業率は80%(07年)。成人のHIV感染率は24・6%(01年)で、平均寿命は約39歳(08年)に過ぎない・・・・。生活苦から国民約1300万人のうち、約400万人が職を求めて、国外へ流出しているとされる。20年以上の(ムガベの)君臨が、「南部アフリカのオアシス」と言われた國を壊したのだ。■
ここでもう一度、前回に引用した文章の一部も読み返してみましょう。
■肥沃な土地と豊富な資源で「アフリカのパンかご」と呼ばれた國を“くずかご”に転落させたのは、ムガベ大統領である。なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか。■
これで見ると、ムガベ大統領の初めの10年は模範的な善政、後の10年は典型的な暴政。この記事の読者は、ムガベの治世の中間点、つまり世紀の変わり目の2000年前後に、何か大変な事が起ったのではないか、転機となるような重大事態が生じたのではないか、と思うのが当然ではありますまいか。この記事の筆者中村裕氏は、(ムガベは)「なぜ変節したのか」と問います。ムガベ個人の変節として問題と捉えます。この問いに対して、アフリカ取材経験が豊富な朝日新聞元編集委員の松本仁一氏は「変節ではなく、もともと権力志向が強いのです。権力を維持するため、國を食いものにしてきた男です」と答えています。要するに、この記事のタイトル通り、「84歳の独裁者ムガベ大統領の悪逆非道」が「ジンバブエの悲劇」の理由であり、「なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか」という設問の答えは、「途中から堕落したのではない。もともと言語道断のひどい野郎だったのだ」となっているわけです。
 私はそうは思いません。ムガベがもともと凶暴性を備えた政治的動物であった可能性はあります。しかし、今のジンバブエの、ジンバブエの人々の苦難の理由をムガベの個人的欠陥に帰するのは余りにも短絡的な大きな誤りであると考えます。次の問いから考えはじめてみましょう。
*2000年前後から始まったアメリカとヨーロッパ諸国による経済制裁は、ジンバブエの経済破綻か招いたのか、それとも、経済制裁が経済破綻を招いたのか?*
「きびしい経済制裁がジンバブエの経済破綻の主な原因」というのが私の答えです。週刊朝日の記事には経済制裁の文字は見当たりませんが、その語り口から推測すれば、答えは「ムガベの失政による経済破綻が経済制裁を招いたのであり、制裁はムガベの暴政からジンバブエ人を救うために課せられている」となると思います。
 週刊朝日の記事には欧米による苛酷な経済制裁への言及がありません。これは必要な情報の欠除です。ジンバブエに詳しい方々は、2001年12月21日にブッシュ大統領が署名して公式に発効したS.494[The Zimbabwe Democracy and Economy Recovery Act.(ジンバブエの民主主義と経済を回復する法律)] というアメリカ合州国の法律を必ずご存知の筈です。ブッシュ大統領は次のように説明します。:
■ This Act symbolizes the clear bipartisan resolve in the United States to promoting human rights, good governance, and economic development in Africa.(この法律は、アフリカにおける人権、良き国家統治、そして経済発展を促進するという、合州国の民主・共和両党一致の明白な決意を象徴するものである。)■
 まず、この法律の名称が変だと思いませんか?米国の議会が米国の大統領に、他の独立主権国家(ジンバブエ)の政治と経済に干渉することを義務づけるのが内容ですから。この法案を上程したのは、William Frist, Jesse Helms, Hilary Clintonの三人ですが、Helmsという人は注目に値します。大の黒人嫌いで、かつて南アフリカのアパルトヘイト政策を支持し、ローデシア(ジンバブエの前身)の白人支配の維持に努力を尽くしました。マーティン・ルーサー・キング牧師とフィデル・カストロを目の敵にした人物で、カストロがアメリカの反キューバ政策の非道さを批判する時しばしば持ち出す「Helms-Burton Legislation」のヘルムズです。彼が1995年に提唱して成立したこの立法は、カストロ政府が没収したアメリカ人の資産を手に入れた外国の会社を、アメリカ国内で控訴して裁判にかけることを合法化したものです。例えば、日本の製糖会社が、もとキューバでアメリカ人が経営していた砂糖黍農園と製糖施設を入手して運営を始めたとすると、この日本企業はアメリカで起訴されて罰を受けることになります。制裁が色々な形で可能なことは言うまでもありません。
 もう少し、法律S.494の内容を覗いて見ましょう。第4節はジンバブエ情勢についての事実確認(Findings)から始まり、「経済失策、非民主的慣行、および多額の出費を伴うコンゴ民主共和国への軍隊派遣によって、ジンバブエ政府は世界銀行と国際通貨基金(IMF)のプログラムに参加する資格を失った」ことが指摘されています。事実、1999年秋から2000年秋にかけて、ジンバブエ政府は厳しい金融制裁を次々に受けて窒息しそうになります。このタイミングが、ジンバブエのコンゴ派兵(1998年-2002年)とジンバブエ国内の白人所有農地再分配の実施(2000年)と重なっている点を見逃してはなりません。コンゴという國に強い関心を持つ私にとっても、極めて重要な二つの歴史的事件です。2000年の時点で、ジンバブエの人口の2%にも満たない白人が農耕適地の8割近くを占有し、一白人農家当り平均4000ヘクタール(1ヘクタールは1万平方メートル)の大規模農場を経営して、一般のジンバブエ人に比較すると極端に裕福な生活をしていました。ジンバブエが“黒人独立国家”になったのは1980年、独立から20年もの間この状態が温存されていたわけです。この白人農地の問題は次回に取り上げることにして、今回はコンゴヘの派兵についてほんの少しだけコメントしたいと思います。ほんの少しというわけは、ムガベが参加した第二次コンゴ戦争と呼ばれる戦乱の真相は未だに明瞭ではなく、はっきりした事が言えません。専門の歴史家の、出来るだけ公正な一層の努力が強く望まれます。しかし、ほぼ断言できる事柄もあります。ムガベに派兵を要請したコンゴ民主共和国大統領ローラン・デジレ・カビラはマルクス主義者、さらには毛沢東主義者と自称した男です。アメリカのCIAも動いて暗殺されたルムンバの遺志を継いで、欧米の支持するコンゴの悪名高き独裁者モブツにゲリラ戦を挑みましたが、その戦いの初期の頃(1965年)、それを助けにキューバからやってきたチェ・ゲバラによると、カビラは大したゲリラ戦士ではなかったようです。それはとにかく、モブツ失墜のあとコンゴの政権を奪取したカビラはアメリカの気に入る人物ではなかったことは断言できます。ですから、よく伝えられるように、ジンバブエ軍のコンゴ派兵にはコンゴの鉱物資源を狙うムガベ大統領個人の汚い計算があったにしろ、なかったにしろ、カビラとムガベ、この両人のワシントンでの覚えがよかった筈はありません。コンゴの東の隣国ウガンダとルワンダの勢力の侵攻に対抗するためにカビラはジンバブエやアンゴラなどのアフリカ諸国に援軍を要請したのでした。この間の事情は錯乱を極めますが、はっきり言える事は、同じようにコンゴ民主共和国に侵攻したウガンダとルワンダに対しては、戦後から今日まで、欧米政府は経済制裁を発動するどころか、引き続き莫大な経済的、政治的援助を与え続けています。ジンバブエに対するきびしい経済制裁とまことに対照的であると申さねばなりません。
 2002年10月16日付けで国連安全保障理事会に提出された詳細な報告書があります。:「Final report of the Panel of Experts on the Illegal Exploitation of Natural Resources and Other Forms of Wealth Of DR Congo」 これを一瞥すると、第二次コンゴ戦争の本質がコンゴ東部、東南部の豊富な天然資源に群がるハゲ鷲どもの乱闘であったことが分かります。報告書の末尾には、85の悪質な多国籍会社の社名と本国名の一覧表があります。この報告書の周辺に視点を設定して、現在のジンバブエの惨状を見据える必要があるように,私には思われます。上掲の週刊朝日の記事にはこうあります。
■98年には、ザイール(現コンゴ)内戦に大軍を派遣して財政を一気に悪化させると、国民の不満をかわすために白人農場の実力占拠をあおりました。年間20億ドルの外貨収入を食いつぶしたうえ、白人農場を大規模経営のノウハウがない農民に明け渡したものだから、貴重な安定収入源すら失った。タコ足もいいところです。■
これでは、予備知識のない一般読者に与えるインフォーメーションとして、あまりにもお粗末無責任ではありますまいか。ちなみに、1998年にはザイールは元の呼び名コンゴに戻っていました。
 ジンバブエに対する経済制裁金融封鎖立法S.494は上院議員フリスト、ヘルムズ、クリントンなどによって提案され、上院では満場一致、下院でも圧倒的多数で可決されましたが、下院(国会)の黒人女性議員Cynthia McKinneyは堂々たる反対弁論を展開しました。その内容は次回に紹介します。日本のマスコミにはオバマとマケインの名は登場しても、マキニーとネーダーの名はとんと見当たりません。しかし、この二人も歴としたアメリカ大統領立候補者です。オバマやマケインよりも、マキニーかネーダーが当選する日が来れば、アメリカが本当に素晴らしく生まれ変わることになりましょう。

藤永 茂 (2008年7月30日)


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ジンバブエをどう考えるか(1)

2008-07-23 11:07:05 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、日本の週刊誌をほとんど全く読みませんが、週刊朝日の7月18日号に「84歳の独裁者[ジンバブエ]ムガベ大統領の悪逆非道」という記事があるのを広告で見て、内容を読んでみました。
 ムガベに対する非難は、日本を含めて、欧米諸国の政府やマスメディアだけではなく、例えば、ドリス・レッシングのような私が昔から何とはなしの信頼を置いてきた作家たちからも、一貫して、聞こえてくるので、アフリカ贔屓、イギリス嫌いの私も、つい迷ってしまって、どう考えたらよいか、長い間、深い霧と闇の中をさまよう気持でしたが、ついさき頃、ジンバブエから南アフリカに流れ込んだ多数の難民にたいする、南アフリカの黒人たちの残酷極まりない仕打ちについての、一風変わった論説を読んだのがきっかけで、急にあたりの深い霧が上がりだしたような気がしています。そのことを、これから何回かにかけて、お話しようと思います。その出発点として、上掲の週刊朝日の記事を一種のたたき台に使わせていただきます。しかし、先ずはもう一歩あとずさりして、我々のような一般庶民に日本のマスコミが供給している情報の質と選択の偏りについての一つの感想から始めます。
 九州の福岡に住んでいる私の日常の情報源はNHK の総合テレビのニュースと地方紙である西日本新聞です。それもざっと見流し、読み流しのレベルで熱心ではありませんので、私の印象を一般化するのは危険かもしれませんが、7月15日の朝6時半、寝床の中で聞いていたNHKの朝のニュースで、日本全国で、燃料高を訴えて、20万隻の漁船が一斉に休漁に入ることを知って、寝耳に水、びっくり仰天しました。新聞で参加漁民20万とありましたが、漁船の数が20万ですから、実質参加者は数十万、これはスーゴーイ規模の全国ストライキです。しかも、この規模の全国ストライキが筋金入りの労働組合的組織なしに沸き上がったのだとすれば、なおさら大変なことと思われます。この7月15日の全国ストに到るまでの漁民たちの苦渋の道程があったに違いなく、そこまで彼らを追い詰めた漁業一般の危機的状況があるに違いありません。15日には、東京をはじめ方々で漁民のデモ行進があったようですが、私が知るかぎり、NHK総合テレビのニュースでは、デモの模様などの具体的報道はなく、スーパーのお魚売り場の品不足の心配は、といった話題ばかりでした。漁民の全国ストを支持するか、しないかを、私は問題にしているのではありません。一般市民が適切に判断を下す基礎となるべき情報が、事前のみならず事後にも、提供されないということを問題にしたいのです。もう一つ、この数日、大分県で教員採用試験をめぐって、信じられないような汚職のニュースをNHK総合テレビがしきりに報じていますが、本日(7月22日)になって、朝の特集で、教員採用試験の競争率は全国で十数倍から二十倍、しかも一方では、教員数の絶対的不足から過重労働を強いられて離職する人もいるという話を聞かされて、これまた寝耳に水、「ははあ、これがほんとの震源だ。諸悪のもとだ」と覚りました。日本の将来を左右する教育行政の大問題です。これに較べれば、日本海の小島のことを学習指導要領解説書に書くかどうかなど、どうでもよいことです。大分県のスキャンダルも、起るべくして起ったと言っても過言ではありますまい。漁民の苦悩も教員の苦衷も,その道の専門家やNHKの論説委員たちの間では周知のことであったのでしょうが、一般市民は知りません。だから、突然のショッキングなニュースに驚くばかりで、物の見方が正しく立てられないのです。
 日本国内の一斉休漁や教員不足問題とアフリカの失敗国家とでは話が違う、とお考えの方が多いでしょう。私は同じ問題を見ます。このブログの冒頭に掲げた週刊朝日の記事の導入部の文章を写します。
■ 洞爺湖サミットのテーマの一つがアフリカ支援。だが、この國は支援の対象となりうるのか。国家崩壊寸前のジンバブエ。肥沃な土地と豊富な資源で「アフリカのパンかご」と呼ばれた國を“くずかご”に転落させたのは、ムガベ大統領である。なぜ、「独立の英雄」は愚か者に堕落したのか。■
 ムガベは、87年に大統領に就任後の10年は、理想的な善政を敷きますが,それから後は、一転してアフリカ第一の暴君になり、ジンバブエを世界最低の失敗国家にしてしまったことになっています。何が起ったのか?この週刊誌記事が与える答えは簡単明瞭です。ムガベが、もともと「権力を維持するために国民を食いものにしてきた、狂気の独裁者だから」というものです。読者は「アフリカには、ひでえ野郎もいるもんだな」とあきれるだけで、次の記事に読み移ることになるのでしょう。ここに見られるのも、問題を考えるため、目の前の記事の妥当性を判断するために必要な情報の完全な欠除です。あえて言えば、このような記事は、むしろ、無い方がよいと思われます。その理由を次回からしばらく書き綴ります。

藤永 茂 (2008年7月23日)


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オバマ氏の正体見たり(4)

2008-07-16 11:55:14 | 日記・エッセイ・コラム
 6月15日は日曜で父の日、ワシントン・ポストの記事によると、オバマ氏はシカゴの Apostolic Church of God で、「余りにも多くの黒人の父親が彼らの家庭と子供たちに対する責任を果たしていない」と発言しました。アメリカの黒人の子供たちの半分以上がシングル・ペアレントだそうです。黒人男性がてんでダメだからだ、というのがオバマ氏の考えです。“These men have abandoned their responsibilities, acting like boys instead of men.(これらの男たちは、一人前の男というよりまるで少年のように振舞って、彼らの責任をおっ放り出してしまっている。)”いやはや、これは厳しい。ライト牧師の説教内容がマスコミで騒がれて、ライト牧師との関係を断たなければ大統領候補指名の戦いが不利になると踏んだオバマ一は、一家を挙げて16年間通った Trinity United Church of Christ と5月に縁を切ったばかりです。
 あとに残されたトリニティ教会の8千人の信者たちは、米国政界の燦然たる「希望の新星」バラク・オバマとその一家が自分たちの教会に属する事を大きな誇りにしてきただけに、彼が去ったことで、捨てられたと感じ、裏切られた悲しみに沈んでいると、ワシントン・ポストは報じています。引退したライト牧師のあとを継いだオーチス・モス牧師は、深く敬愛してきたライト牧師が、マスメディアによって、泥の中で引き回されるという辛い場面を見せつけられたトリニティ教会の信者たちに向かって、次にように語りかけています。:
■ We, the community of Trinity, are concerned, hurt, shocked, dismayed, frustrated, fearful and heartbroken … We are a wounded people and our wounds, the bruises from our encounter with history, have scarred our very souls. (我々トリニティ教会の信徒は、はらはらし、傷つけられ、ショックを受け,狼狽し、落胆し、恐れおののき、そして、悲しみに打ちひしがれている。我々は、手負いの人間たちであり、我々の傷、歴史との出会いから受けた打撲傷の数々は、我々の魂そのものに傷跡を残している。)■ 何と重く悲しい言葉ではありませんか。
 2008年3月19日付けのブログ『オバマ現象/アメリカの悲劇』の中で、私は次のように書きました。:
■「バラク・オバマが強烈な権力意志の持ち主である」--これが、これからの議論の最も基本的な仮定です。歴史の現時点で、アメリカ合衆国大統領に勝る権力の座はありませんから、この座に就くことを志向する人間が強烈な権力意志の持ち主であることは、「仮定」と呼ぶより、事実と断定してよいでしょう。アメリカ合衆国大統領の座に就くことを自分に対する至上の命令と決めた人間が先ず一番に目指すのは、「とにかく選挙に勝つ」ということでなければなりません。選挙に勝つ為には、それを可能にする選挙地盤、票田、英語でいうコンスティチュエンシイの育成獲得が必須です。米国史上初の黒人大統領という呼び声の掛かる政治家として、黒人票は勿論当てにしたい所ですが、忘れてならない事実は、黒人人口はアメリカの全人口の約12%に過ぎず、しかも現行の間接選挙システムの下では、黒人票の最終的有効性はせいぜい2~3%、これでは全く役に立ちません。「票田は黒人票以外に求めなければならない」-これが“黒人大統領候補” バラク・オバマの始めからの政治判断の一つの要である筈です。■
「かなりの黒人票を失っても、白人票さえしっかり押さえておく方が肝心だ。」この冷酷な計算がオバマの胸中にある計算です。そうでなければ、「黒人の若者たちが置かれている現状の責任は、父親としてまるっきり駄目な黒人男性にある」というような発言を誰がするでしょうか? 「アフリカ大陸の惨状の責任は、黒人本来のだらしなさにある」という、白人が最も好む、定番の見解のアメリカ版にほかなりません。
 私の30年来の愛読書評誌 The New York Review of Books の最近号(Volume 55, Number 12)に Darryl Pinckney という人(黒人男性作家)の『Obama & the Black Church』という論考が出ています。この人の意見は私のそれとは違っていて、アメリカの大統領になれそうな黒人が史上始めて出現したというのに、ライト牧師という怪しからぬ男が辻斬りを仕掛けてきたようなものだと言います。白人にも黒人にも同じ言葉で語りかけたマーチン・ルーサー・キング牧師の衣鉢を継ぐのがオバマ、あの過激な白人排撃を唱えたマルコム・Xの後裔がライト牧師だ、とピンクリーは考えているようです。しかし、キング牧師の志の継ぐのがオバマだという見解をとるには非常な困難があります。暗殺された後で出版されたキング牧師のエッセイ『A Testament of Hope (希望の遺言書)』(1968年)の中の次の文章を読んでみましょう。:
■ Millions of Americans are coming to see that we are fighting an immoral war that cost nearly thirty billion dollars a year, that we are perpetuating racism, that are tolerating almost forty million poor during an overflowing material abundance. Yet they remain hopeless to end the war, to feed the hungry, to make brotherhood a reality… In these trying circumstances, the black revolution is much more than a struggle for the rights of Negroes. It is forcing America to face all its interrelated flaws ? racism, poverty, militarism and materialism. It is exposing evils that are rooted deeply in the whole structure of our society. It reveals systemic rather than superficial flaws and suggests that radical reconstruction of society itself is the real issue to be faced. (何百万というアメリカ人が、我々は、年間300億ドルにもおよぶ費用をかけて非人道的な戦争[ ベトナム戦争]を戦っていること、人種差別を恒常化していること、あふれんばかりの物質的豊かさの一方で殆ど4千万人の貧困者の存在を黙認していることに気が付きつつある。しかも、人々はこの戦争を終わらせ、空腹な者たちに食べ物を与え、人類愛を現実とすることに無力なままに止まっている。・・・ この我慢のならない状況にあって、黒人革命は黒人の権利のための闘争を遥かに越える意義を持っている。それは、アメリカに、人種差別、貧困、軍国主義、物質主義という、相互に連関する欠陥のすべてに面と向かわせるのを強制している。それは、我々の社会の全体構造に深く根ざしている悪を暴露しつつある。それは、表面的な欠陥というよりも、全身的な欠陥であることを明らかにして、社会そのものの根本的な再建こそが立ち向かうべき本当の問題であることを告げているのである。)■
ベトナム戦争をイラク戦争に置き換えれば、この言葉は今のアメリカにぴったりと当てはまります。キング牧師のいう通り、アメリカの「悪」は構造的なものです。民主主義の総本家のような顔をするアメリカですが、その政府と議会を牛耳る強大なイスラエル・ロビー、産軍共同体・ロビー、オイル・ロビー、製薬ロビー、アグリビズ・ロビー、等々の政治圧力団体とその完全支配下にあるマスメディアが、中下流一般市民の真の福祉と幸福をまったく圧殺してしまう構造になっているのです。日本のほうがアメリカよりも遥かにましな民主主義国家であります。
 上掲の文章を書いて間もなく、凶弾に倒れたキング牧師の霊が、今、シカゴの街角に立ち現われたならば、彼は,一体、ライト牧師とオバマのどちらに与するでしょうか。オバマのマイアミ講演とイスラエル・ロビー AIPAC での講演を聴き、この二ヶ月ほどの間のオバマ氏の驚くべき変節と前言取り消しの数々を知れば,キング牧師の選択は、私には、明白です。もしかしたら、秘かに吉良上野介の首級を狙う大石内蔵助と同じ苦渋の中に、今のバラク・オバマはあるのかも--という私のはかない期待も、今ではすっかり擦り切れてしまいました。オバマ大統領の下でも、アメリカはアメリカのままであることは、もう間違いありません。
 最近、アメリカで、特に、知識層の黒人の間で大変話題になっている書物があります。
Douglas Blackmon 著『Slavery by Another Name』(Doubleday, March 25, 2008)
私はアメリカとカナダで広く受信されているアメリカのテレビ放送 PBS の番組「Bill Moyers’ Journal」(6月20日放送)を通して、この本の内容を知りました。「奴隷解放戦争」とも呼ばれるアメリカの内戦(1861-1865)で奴隷制度が廃止されて、黒人奴隷が自由な人間として解放されたと思っている人々は、アメリカにも日本にも、沢山いるでしょうが、ブラックモンの本によると,その副題「the re-enslavement of Blacks from the Civil War to World War II」が告げるように、内戦で負けたすぐ後から、南部の奴隷保持者と実業家連中は、州政府や地方自治体それに産業界と一緒になって、実質上、奴隷制度を復活させ、再び、黒人の人間的自由を蹂躙し、奪い取ってしまったのでした。この歴史的事実の主張が、左翼的な黒人の歴史家か評論家によってなされたのでしたら、頭から「レヴィジョニスト」の誇張歪曲として無視する白人が多かったでしょうが、このダグラス・ブラックモンという人の経歴がそれを許しません。この人物はアメリカの保守系新聞の旗頭『ウオール・ストリート・ジャーナル』のアトランタ支局長で、過去に4回もピュリッツアー賞にノミネートされた経歴を持つ優秀なジャーナリストです。また、PBS テレビの番組でブラックモンにインタービューして、この本を話題に取り上げたビル・モイヤーズもジャーナリスト、テレビ・コメンテーターとして高名な人物、さらに、PBS(Public Broadcasting System)は良心的な内容で高く評価されている非営利公共放送システムです。PBSは原則として一般からの寄付金で運営されていて、私も,昔は、身分相応の寄付をしていました。普通の意味でのCMは入りません。こうした条件のもとで紹介された本書は、アメリカ史上はじめての黒人大統領出現の可能性に直面しているアメリカの黒人からは勿論、白人からも、熱い視線を受けることになったのだと思います。間もなく私の手許にも届く予定ですので、改めてその内容を報告したいと思っています。

藤永 茂 (2008年7月16日)


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オバマ氏の正体見たり(3)

2008-07-09 12:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 AIPAC(American-Israel Public Affairs Committee) は、イスラエルの国益のために、米国議会とホワイトハウスに絶大な圧力をかけるロビー(政治圧力団体)です。2008年の総会は首都ワシントンで6月の2、3、4日と開催され、AIPACのロビー活動にたずさわる7000人の人々が全国から参会し、300人の上院、下院議員、ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、イスラエル本国からはオルメルト首相、右翼の有力政治家シャランスキーなどが出席しました。共和党大統領候補マケインは2日に、国務長官ライスは3日に、クリントンとオバマは4日に講演をするという超豪華番組のAIPAC年次総会であったのです。オバマの登場は、彼がクリントンを打ち負かして民主党大統領候補となった直後のことでした。そのオバマの講演は、内容の激烈な異様さの故に、たちまち全世界に反応を引き起こしました。彼のラテン・アメリカ政策を発表したマイアミ講演と違って、日本のメディアも取り上げたようですから、ご存じの方も多いでしょう。世界中の色々の傾向の情報源からこのオバマAIPAC講演に対する反応を拾って読んでいると面白くてやめられませんが、私としては、まず、1923年生れ、いま84歳の百戦錬磨のイスラエル人平和運動家 Uri Avnery の発言をお伝えしたいと思います。1975年には刺客に襲われて重傷を負いました。
■ For the first time in history a black person has become a credible candidate for the presidency of the most powerful country in the world. And what was the first thing he did after his astounding victory? He ran to the conference of the Israel lobby, AIPAC, and made a speech that broke all records for obsequiousness and fawning.(歴史上はじめて、黒人が、世界で最強の國の大統領になる見込みのある候補者になった。ところが、あの驚嘆すべき指名戦での勝利の直後に、オバマが、いの一番にやったことは何だったか? 彼はイスラエル・ロビー AIPAC の会議に駆けつけて、ご機嫌取りと媚び諂いにかけては、これまでのあらゆるレコードを破る講演をしたのだ。)■ obsequiousness という単語の意味を私は知りませんでした。辞書で語感を掴んでみると、この84歳の戦闘的平和論者の発言の痛烈さが分かります。そうなると、これほどの罵言を浴びせられたオバマの講演とは一体どんなものであったのか、誰しも気になる筈です。講演の全文はネット上ですぐ見付かります。
 この講演で最も問題なのは次の短い一文です。
■ Jerusalem will remain the capital of Israel, and it must remain undivided. (エルサレムはイスラエルの首都であり続け、分割されないままでなければならない。)■
オバマ氏のこの一言が何故世界を騒がしたのか? エルサレムはイスラエルとパレスチナの間の紛争の核心に位置する都市です。1947年国連によって東エルサレムと西エルサレムが設定され、東エルサレムはパレスチナ側に、西エルサレムはイスラエル側に属することになりましたが、1967年イスラエルは軍事力で東エルサレムを占領したまま今日に及んでいます。イスラエルは東西をひっくるめた全地域をイスラエルの首都とすると主張していますが、パレスチナ側は東エルサレムを取り戻して将来のパレスチナ国家の首都にするつもりなのです。米国を含めて、現在まで、エルサレムをイスラエルの首都とすることを承認すると言明した國は一つもありません。イスラエルが東エルサレムを含む全域をイスラエルの首都とすると一方的に言い張る限り、イスラエル/パレスチナ問題の解決はあり得ない-というのが、今の世界の現実であり、常識であります。「東西をひっくるめたエルサレムがイスラエルの永遠の首都だ」とは、ブッシュ大統領ですら絶対に口にしなかったほど “touchy” な言明なのです。公正な選挙でハマス勢力に負けてガザ地区からはなれてしまい、今ではオルメルトやブッシュにすっかり引き回される猿のようになったアッバスでさえ直ちに抗議声明を出して、■ The whole world knows that holy Jerusalem was occupied in 1967 and we will not accept a Palestinian state without having Jerusalem as the capital of a Palestinian state. (聖都エルサレムは1967年に占領されたこと、そして、我々パレスチナ人はエルサレムを首都としないパレスチナ国家を決して受容しないことを、全世界が知っている。)■ と、オバマのイスラエル追従を難詰しました。ガザのことが出ましたので、ついでに、オバマの目に余るイスラエル偏向を示す発言をもう一つ、「Gaza controlled by Hamas, with rockets raining down on Israel.」つまり、ハマスはガザ地区からイスラエルにロケット弾を雨のように降らせていると、オバマは言いますが、ハマス側が発射できるロケット弾は、イスラエルのハイテク・ロケット弾とは較べものにならない、文字通り「お手製」の粗末な代物であり、雨のように降らせるだけの数はとても造れないのです。パレスチナ側一般市民の死傷者がイスラエル側の死傷者の400倍にのぼるという冷厳な事実が、力の極端な不均衡を如実に物語っています。
 現時点での世論調査ではアメリカ合州国大統領になるのがほぼ確実とされるバラク・オバマが、これほどまでになりふり構わず、イスラエル側に媚びを呈し、身をすりよせる理由は一体何なのでしょうか? その解答を日本のアメリカ通をもって任ずる人々から聞きたいものです。
 しかし、「オバマ現象」に関して、最も気にかかるのは,史上初の黒人大統領候補バラク・バラクをじっと見つめるアメリカの多くの黒人たちの哀しみに満ちた眼差しです。アメリカという國で、黒人の庶民たちに、過去一貫して強いられてきた状況、現在も強いられている状況は、高らかに『変革(CHANGE)』を唱える初代黒人大統領オバマが実現しても、変わることはあるまいというのが、近未来についての彼らのgut feelingらしいのです。黒人庶民の真実の生活感情について、ほぼ何も知らない私たちにとって、これは全く理解し難いことなのですが、否定しがたい事実のようです。次回にそれを取り上げます。

藤永 茂 (2008年7月9日)


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オバマ氏の正体見たり(2)

2008-07-02 11:11:43 | 日記・エッセイ・コラム
 前回紹介した John Pilger さんは、まずオバマ氏のAIPAC 講演を論じ、次にCANF 講演について次のように書いています。:
■ His second statement, largely ignored, was made in Miami on 23 May. Speaking to the expatriate Cuban community ? which over the years has faithfully produced terrorists, assassins and drug runners for US administrations ? Obama promised to continue a 47-year crippling embargo on Cuba that has been declared illegal by the UN year after year.
Again, Obama went further than Bush. He said the United States had “lost Latin America”. He described the democratically elected governments in Venezuela, Bolivia and Nicaragua as a “vacuum” to be filled. He raised nonsense of Iranian influence in Latin America, and endorsed Colombia’s “right to strike terrorists who seek safe-havens across its borders”. Translated, this means the “right” of a regime, whose president and leading politicians are linked to death squads, to invade its neighbours on behalf of Washington. He also endorsed the so-called Merida Initiative, which Amnesty International and others have condemned as the US bringing the “Colombian solution” to Mexico. He did not stop there. “We must press further south as well,” he said. Not even Bush has said that.■ つまり、オバマがブッシュよりも強硬で乱暴で不法なラテンアメリカ政策の実行を約束したことをピルジャーは語気強く非難したのでした。オバマ氏に対して下す彼の審判は鋭利な鋼の刃のように厳しいものです。
アメリカ合州国の歴代の大統領候補の例に漏れず、オバマは好戦強硬派であり、領土拡張主義者であり(Obama is a hawk and an expansionist)、違う所といえば、彼が如何にタフかということを示す必要を他の候補者にもまして強く感じていることだろう(Obama’s difference may be that he feels an even greater need to show how tough he is.)、とピルジャーは書いています。
 残念なことに、この5月23日のマイアミ講演はメディアから殆ど無視されてしまいましたが、幸いなことに、わずか3日後に発表されたフィデル・カストロの素晴らしいコメント『The empire’s hypocritical politics』を、私たちは読むことが出来ます。前回に示唆した通り、キューバ革命後の半世紀について、オバマはあんなひどい嘘を抜け抜けと言ったのですから、カストロから烈火のような激しい難詰の言葉を私は予期したのですが、カストロは偉大な革命家の最晩年にふさわしい静かな語調で語り始めます。:
■ It would be dishonest of me to remain silent after hearing the speech Obama delivered on the afternoon of May 23 at the Cuban American National Foundation created Ronald Reagan. ・・・ I feel no resentment towards him, for he is not responsible for the crimes perpetrated against Cuba and humanity. Were I to defend him, I would do his adversaries an enormous favor. I have therefore no reservations criticizing him and about expressing my points of view on his words frankly. (・・・彼はキューバと人類に対して犯された(アメリカの)もろもろの犯罪の責任者ではないのだから、私は彼を恨む気持を持ってはいない。だからといって、もし私が彼をかばうようなことを言えば、私は彼の政敵たちにどえらい恩恵を施すことになるだろう。したがって、私は何の手心も加えずに彼を批判し、彼が言ったことについて私の見解を表明することにする。)■
こう前置きした後、カストロは具体的にオバマの言葉を引用しながら、一つ一つ厳しく論難し、アメリカ政府の過去と現在の非行の批判を重ねて行きます。そして、最後には、静かな誇りに満ちた言葉で、野心に燃える混血の若き大統領候補バラク・オバマに、キューバを裁く前に、キューバのことをよく知れと諭します。:
■ Before judging our country, you should know that Cuba, with its education, health, sports, culture and sciences programs, implemented not only in its own territory but also in other poor countries around the world, and the blood that has been shed in acts of solidarity towards other peoples, in spite of the economic and financial blockade and the aggression of your powerful country, is proof that much can be done with very little. Not even our closest ally, the Soviet Union, was able to achieve what we have.(我々の國について審判を下す前に、強力なあなたの國による経済金融封鎖と侵略にもかかわらず、キューバ国内だけではなく、世界中の他の貧しい国々で実行に移された、教育、衛生、スポーツ、文化、科学の諸計画、そして、他の国々の人々との団結の行為で流された我々の血に思いを馳せ、このキューバこそは、微々たる小国でも偉業を達成できるということの証しであることを、あなたは心に銘ずべきであろう。我々の最も緊密な同盟国であったソ連ですら、我々が成し遂げ得たものを達成できなかったのだ。)■
 カストロの論考の結びの部分を以下に写します。分かりやすい文章ですから、是非辿ってみて下さい。usurp は「強奪する」、vault は「金庫室」、an empire は勿論アメリカ合州国を意味します。
■ Our Revolution can mobilize tens of thousands of doctors and health technicians. It can mobilize an equally vast number of teachers and citizens, who are willing to travel to any corner of the world to fulfill any noble purpose, not to usurp people’s rights or take possession of raw materials. The good will and determination of people constitute limitless resources that cannot be kept and would not fit in the vault of a bank. They cannot spring from the hypocritical politics of an empire. Fidel Castro Ruz May 25, 2008 10:35 p.m.■

藤永 茂 (2008年7月2日)



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