私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ロジャバ革命は死んでいない(1)

2018-07-30 23:48:30 | 日記・エッセイ・コラム
 シリア北部のクルド人たちが始めたロジャバ革命について、久しい間、つまり、トルコの不法な侵略によってアフリンが占領されてしまって以来、私は沈黙を続けてきましたが、それは興味の喪失では全くなく、むしろ最大の関心事の一つとして、息をひそめる想いで事の成り行きを見守り続けてきました。それが一ヶ月ほど前から、私が願った方向に動きそうな兆候が見え始めました。今朝(7月30日)の朝日新聞に『内戦終結見据えアサド政権協議 クルド人勢力と』という短い報道記事が出ました:
「シリア内戦で軍事的に優勢なアサド政権と、少数民族クルド人を中心とする武装組織「シリア民主軍」(SDF)が内戦終結を見据えた協議を始めた。会合は26日に首都ダマスカスで開かれ、クルド人勢力側によると、対話のための委員会設置が決まった。SDF側の28日の声明によると、会合は政権側の求めで開かれた。設置される委員会では、「分権的で民主的なシリア」に向けた行程表づくりや、暴力と紛争の終結に向けた取り組みが話し合われる予定という。現在、シリアは政権軍が国土の約6割を支配。一方、米国の支援を受けるクルド人の「人民防衛隊」を中心とするSDFは、国土の約4分の1を押さえている。クルド人勢力は連邦制による自治権獲得を目指している。(イスタンブール)」
( 引用記事終)
 朝日新聞がこの時点でこの記事を掲載したことを一応評価したいと思いますが、内容的にはいくつかの問題点を含みます。そもそもシリアの戦争状態を“内戦”と呼ぶのは根本的な誤謬です。このあたりから出発して、この新聞記事をたたき台に使うことでロジャバ革命という「小さな鍵」が世界平和という「大きなドア」を開くかもしれないというクルド人たちの大きな夢を再度ここで考えてみようと思います。その夢を共有したいという私の思いは前にも増して強くなっています。シリアの地は、イスラエル/米国とイランが対決する修羅場になりかねない状況ですから。
 昨年の暮れ(2017年12月18日)のブログ記事『アサド大統領に物申す:ロジャバを救いなさい(3)』の末尾に私は次のように書きました:
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 私には国際政治評論家の振りをするつもりも、未来の予言を試みるつもりもありません。程なくこの世界から決別する一老人として、この人間世界の未来が今よりも生きやすい和やかなものであってほしいと願っているだけです。
 これからのシリアについては、現大統領のバッシャール・ハーフィズ・アル=アサドに私の希望をかけています。元々は政治軍事に関心が薄い穏やかな性格の男で、父親の後継者とみなされていた兄が交通事故でなくなったので、眼科医としてのロンドン留学を途中で断念してシリアに帰国し、シリアの指導者としての父親の後を継ぎました。私はアサド大統領のこの経歴にも興味を感じますが、この人物に関する私の気持ちと判断は、私がこれまで接した多数の講演やインタビューの録音内容の全文(英語訳)から来ています。インターネットという便利なもののおかげで、こちらが求めれば、そうした資料を、時間的にも数年という十分長い時間にわたって、大量に入手することができます。他の例をあげれば、バラク・オバマ、私はこの人物の発言の数々に大統領就任以前から接しはじめ、早い時期に「稀代のコン・マン」と位置づけましたが、それからの十余年、この位置付けの正しさを確認し続けて現在に至っています。私は「文は人なり」という言葉を信ずる者の一人です。
 バッシャール・ハーフィズ・アル=アサドは、これまで、残忍非情な独裁者ではなく、将来もなり得ません。天才的ではなく凡人的ですが、真剣に正確に物事を考える十分の知性と人間らしい感性の持ち主です。個人としては、ロジャバ革命を推進するクルド人たちの心情と熱意と決意を充分理解している筈だと私には思われます。
 ロジャバは北部シリアのトルコとの国境線に沿って東西に並ぶ三つのカントン(行政区画、県のような)、西からアフリン、コバニ、ジィジラ(Afrin, Kobanî, Cizîrê )、からなっています。シリア紛争の結果、コバニとジィジラの二つのカントンはうまく繋がりましたがアフリン地域とコバニ・ジィジラ地域との間にはトルコ軍が北から南に越境進出してロジャバは二つの部分に分断されています。現在、トルコ軍はアフリン地域に侵攻して占領することを目論んでおり、また、コバニに対しても攻撃をかけています。トルコはロジャバ革命に引導を渡したいのです。潰してしまいたいのです。このあたりを中心に今後のシリア情勢は展開すると思われます。米国とイスラエル、それに対する、ロシア、イラン、イラク、それにトルコがどう動くかによって、シリアの近未来は決められるのでしょうが、私が信を置くアサド大統領が、北からの侵入したトルコを北に押し返し、国境線に沿って、アフリン、コバニ、ジィジラの三つのカントンを連続した行政地区として、それまでロジャバ革命を推進して来たクルド人とその地区のアラブ人その他の人々の大幅な自治に委ねる決断を下すことを、私は切に願ってやみません。
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 次回には最新の状況を具体的に論じます。


藤永茂(2018年7月30日)

片岡仁左衛門の富樫左衛門

2018-07-10 13:30:38 | 日記・エッセイ・コラム
 月刊誌「婦人画報」8月号にこのブログの紹介記事が出ました。この雑誌に相応しくないのでは、と躊躇しましたが、若い女性編集者の方に励まされて、『「じゃなかしゃば」を求めて』と題する文章も出させて頂きました。
 同じ8月号に、坂東玉三郎さんと片岡仁左衛門さんの記事が掲載されています。二人とも私の大好きな歌舞伎役者であり、興味深く読みました。2018年1月25日付のブログ『愛の讃歌』で、私は、越路吹雪/岩谷時子/坂東玉三郎の「愛の讃歌」とエディット・ピアフの「愛の讃歌」の比較論のようなものを書き、“今回の「愛の讃歌」の歌唱は、まだ一種の素人芸にとどまっているような気がしてなりません。私の知る限り、プロを含めて、すべての人々が坂東玉三郎さんの「愛の讃歌」を絶賛していますが、それでいいのでしょうか? 坂東玉三郎さんは稀代の大芸術家です。あくまで芸を広め、深めることをやめない偉大な芸術家です。彼の芸に対する率直正当な評価こそ坂東玉三郎さんが最も求めるところではありますまいか”と結びましたが、今度の婦人画報の記事を読んで、私の発言が浅薄な暴論であったことを悟りました。私には越路/岩谷/坂東玉三郎の「愛の讃歌」が聴き取れてなかったということです。婦人画報8月号の記事の中にある玉三郎さんの言葉を少し転載させてもらいます:
「飛行機事故で亡くなった恋人への思いが込められた歌で、だからこそピアフはあの絶唱となるのです」「あの激しい思いは現実に恋人を失ったピアフだけのもの。私がそのピアフになることはできないのです。そして越路さんにもなれない。だからそういう人がいましたよ、という詠嘆の中で、愛するものとずっと一緒にいたいという思いで歌っています。・・・」
 片岡仁左衛門さんについての記事は短いものですが、歌舞伎の演技について私のようなレベルの歌舞伎愛好者には大変ためになるコメントが含まれています。話題になっている公演は大阪松竹座「七月大歌舞伎」で、「勧進帳」では、弁慶を十代目松本幸四郎、富樫左衛門を片岡仁左衛門が演じます。この役について「お客様は意外に思われると思いますが、冨樫は弁慶に劣らずしんどいお役なんです。今回は襲名のお祝いの気持ちもこめて、頑張って勤めさせていただきます」と仁左衛門さんは言っています。しかし、私のような並の客筋も、何度か「勧進帳」を見るうちに、安宅の関の関守である富樫という役の大変さと重要さを結構しっかりと心得ていると思います。歌舞伎の台詞について仁左衛門さんは「私が心掛けているのは、台詞は言葉を伝えるのではなく、心を伝えるということなんです」と言い切ります。
 富樫を演じる役者にとっての一番肝心の見せ場は歌舞伎「勧進帳」の第12段にあります。渡辺保著『勧進帳』から、そこのところを写させてもらいます。
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第十二段——富樫の引込み
弁慶の最後の知恵は、富樫への提案であった。
弁慶の提案はこうである。
強力を荷物と一緒に預けて行く、どのようにも究明しろ。
そうでなければ、この場で撲殺する。
そういって弁慶は金剛杖を振り上げた。
富樫がそうかといえば、弁慶は本当に剛力を撲殺するだろう。その弁慶の姿を見た時に、富樫は弁慶という男に感動する。もっといえば弁慶にこよない親近感を持ったのである。ほおっておけば、弁慶は強力を殺して自分も死ぬだろう。主人を殺す罪を背負って自分も死ぬ。それを覚悟した男に富樫は感動した。強力はまさしく義経その人に違いない。感動がそのことを確信させた。
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しかし、弁慶という人間に惚れて本物の義経を通してしまえば、頼朝の鎌倉という組織に反逆した者として、富樫も自分の死を覚悟しなければなりません。ここで、富樫は人と人の間の連帯感情-友情-を何にも増して尊いものとする決断を下すのです。富樫を演ずる役者は、この思いの全般を僅かな台詞と所作で観客に伝えなければなりません。大阪松竹座での7月公演で片岡仁左衛門さんはこの大役を見事に演じていることでしょう。数年前までは、妻と一緒に大阪松竹座の歌舞伎公演を観るために、何度も博多からの新幹線で一泊旅行に出かけたものでした。
 渡辺保著の『勧進帳——日本人論の現像』(ちくま新書)は名著だと思います。この著者が歌舞伎について書く所、語る所に接するたびに、本当に羨ましくなります。私なんかの千倍万倍も歌舞伎を楽しんでおいでのようだからです。この本の最終章には、黒澤明による「勧進帳」の映画化「虎の尾を踏む男達」が論じてあって、そこにも引用してお目にかけたい文章があります:
「弁慶と富樫の間に流れる、この純粋な男の友情こそ、この映画一編の主題である。それはどこにも言葉では語られていないが、観客にはつよく感じられるだろう。一筋の純粋な思い。それは言葉であらわされぬという点ではハラ芸に通い、タテマエとは違うホンネだという意味で、二重性をもっている。ホンネは理屈ではない。ただ信じるだけ。自分を理解する相手がいて、その相手のためにはすべてを犠牲にして他を省みない。この一筋の、ひそかな感情こそ、困難な時代のなかに生きる人間の生きる意味であり、人間の生きがいであろう。・・・・・・・・ ハラ芸やタテマエとホンネというきわめて日本人的なかたちを通してそこに現れた感情は、運命を感受する共通の友情であった。それこそが絶望的な状況のなかで、人間が生きていくための、ひそかな魂のよりどころであった。」
 この文章を読みながら、私は、ついこの頃読んだ、ガザ地区の反イスラエル抗議デモに命を賭して参加した米国人若者の話を思い出していました。その若者は、初めは数日ガザの地に旅行して現地の様子を自分の目で見るつもりだったのですが、パレスチナの若者たちと接して強い連帯感を抱くようになり、身の危険を顧みず、デモに参加しました。その理由を問われた彼は、ただ一言、FRENDSHIP! と答えていました。こうした感情は日本人に限られるものではありますまい。
 ウィキペディアによると、富樫左衛門のモデルとして知られる富樫泰家(とがし やすいえ)なる人物がいて、義経一行を通過させたことで頼朝の怒りを買い、関守の職を剥奪されましたが、その後出家して法名を仏誓とし、奥州平泉まで足を伸ばして義経たちと再会を果たした、とあります。もしそれが確かな史実であるならば、富樫が弁慶と交わした酒杯はどんなにか心温まるものであったことでしょう。

藤永茂(2018年7月10日)

Settler Colonialism(セトラー・コロニアリズム)(3)

2018-07-01 00:20:10 | 日記・エッセイ・コラム
 今の世界地図でイスラエル国とそれに接するヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)とガザ地区を合わせた地域で、イスラエルによる苛酷なセトラー・コロニアリズム政策が強行されています。聖書的過去はともかくとして、この地域の全体にはパレスチナ人と呼ばれるアラブ系先住民が過去千年以上にわたって住んでいたのです。現在では、100万余がイスラエル国内に、約300万がウェストバンクとガザに住んでいます。ウェストバンクとガザは今パレスチナ自治区と呼ばれていますが、ウェストバンク地区の半分はイスラエルによって占領され、「屋根なしの監獄」の異名をとる面積360平方キロのガザ地区では200万以上に人口が増加しつつあります。
 2018年6月2日付けのブログ記事Settler Colonialism(セトラー・コロニアリズム)(1)では、アーシュラ・K・ル=グウィンの「ナチによるユダヤ人大量殺戮に等しいインディアン撲滅」という言葉を引用した後、
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そうです、パレスチナの土地で、ユダヤ人はセトラー・コロニアリズムを実行しているのです。それを達成するには、一人でも多くの原住民パレスチナ人を殺さなければなりません。できれば、カリフォルニアの白人たちが成し遂げたように原住民を皆殺しにしたいのです。これがパレスチナ問題の核心です。私たちは、その事態の進行を、西部劇映画ではなく、リアルタイムで見ているのです。米国がガザ地区でイスラエルのやっている大量虐殺を非難しない、いや、出来ないのは、自分が同じ罪業をなすことで国の繁栄を勝ち取ってきたからです。
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と書きました。Counterpunchというウェブサイトに出た記事(6月4日付け)

https://www.counterpunch.org/2018/06/04/sacrificing-gaza-the-great-march-of-zionist-hypocrisy/

によると、この数週間に、イスラエルはガザのパレスチナ人たちの非暴力抗議運動行為を実弾で弾圧して、少なくとも112人の死者、13000人以上の負傷者(瀕死の重傷者332人)を出しました。これはアフリカの南ア連邦の人種分離(アパルトヘイト)政策に対する抗議運動を弾圧した有名なシャープビル虐殺(死者69、負傷者186)を凌駕する虐殺事件です。シャープビル虐殺が起こった3月30日(1960年)は、現在の南アフリカ國で「人権の日」として祝われていますが、ガザの弾圧で61人の死者を出した5月14日(2018年)がパレスチナの「人権の日」の祝日となる可能性は希少でしょう。パレスチナの地にユダヤ国家を確立しようとするユダヤ人の執念はあくまで強固かつ残忍極まるものであるからです。近頃、複数の場所で、イスラエル政府の顧問を務めたことのある人口統計の専門家アーノン・ソファ(Arnon Soffer)の次のような発言が引用されているのに出会いました:
“When 2.5 million people live in a closed off Gaza,” Soffer predicted, “it’s going to be a human catastrophe. Those people will be even bigger animals than they are today, with the aid of an insane fundamentalist Islam. The pressure at the border will be awful. It’s going to be a terrible war. So, if we want to remain alive, we will have to kill and kill and kill. All day, every day.” “If we don’t kill, we will cease to exist,” he said.
私は、この発言を読みながら、米国の児童文学の古典『オズの魔法使い』の著者ライマン・フランク・ボームがアメリカ・インディアンの完全抹殺の必要を説いた新聞社説を思い出していました。
 1890年12月29日、サウス・ダコタのウンデド・ニーで女子供多数を含む300人のスー・インディアンが虐殺され、酷寒の下で凍てついた死体はやがて大きな溝に放り込まれました。大虐殺の5日後の地方新聞『パイオニア』の社説にボームは次のように書きました:
「『パイオニア』紙は、以前、我々の安全はただただインディアンの完全抹殺に依存すると宣言した。これまで何世紀もの間、彼らに対して悪行を重ねてきた我々は、我が文明を守るために、もう一つだけ悪行を重ねて、これらの、馴化せず、馴化不可能な生き物たちを地球の表面から拭い消してしまった方が良かったのだ。・・・」(引用終わり。 このライマン・フランク・ボームについての話は拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』の156頁以降に書いてあります)
 私にとっては、しかし、この70年間にパレスチナの地で繰り広げられてきた惨劇はセトラー・コロニアリズムの問題を超えます。「ユダヤ人とは、私にとって、何か」という問題です。

藤永茂(2018年7月1日)