ポール・ファーマーの論文「5 Lessons From Haiti’s Disaster(ハイチ災害からの五つの教訓)」の紹介を続けます。第2の教訓は、
2. Don’t starve the government.(政府を餓死させるな)
です。ざっと訳出します。
「国際社会が一番よく分かっているわけではない。その土地の人々が一番分かっているのだ。私のPIHのようなNGOも,UNも他の何者も、その国の政府に代わることは出来ない。我々にはその機能がないし、いつまでもその地に留まってはいない。共同社会を建設することについて、我々は、その土地の人々と同じような身の入れ方をすることはない。そして援助が利いたにしても、その共同社会はよそ者が去る時に崩壊するわけには行かない。この点では殆ど誰もが同意見だろう。しかし、反対のアプローチがハイチ救援を特徴づけている。金の使われ方を見ると本当の話がわかる。20億ドルを超える約束された義援金のうちの僅か0.3%だけが現地の当局に渡されているに過ぎないのだ。献金主の中には、ハイチ政府は腐敗しているから,金をつぎ込んでも悪くなるばかりだとする向きもあるが、しかし、我々は、国の公営企業を弱めるのではなく、強化する必要がある。そうしない限り、ハイチはNGOs の共和国のままだろう。」
ハイチでNGO が何をしているか?これは大問題です。ファーマーが「Haiti will remain the republic of NGOs.」という時、何を意味しているのか。いま世界中の1万以上のNGOsがハイチに手を突っ込んでいるそうです。膨大な額にのぼると期待される義援金をなるだけ多く掬い取ることを狙ってのことです。この、世界中にはびこるエヌ・ジー・オー産業の実態に、我々はあまりにも無知のままに止まっています。
以前(2008年9月10日)に、『伊藤和也さんは他のNGOに殺された』という表題のブログでNGO の問題を論じたことがありましたが、その時に私がとった否定的見解の正しさは日増しに確認され続けています。ハイチの政府の機能が壊滅状態で、震災後の救援復興が国連軍(MINUSTAH)と多数のNGOs によって行なわれている時、何故ハイチの民衆が「国連出て行け!NGOs 出て行け!」と叫んでいるのか?それには充分の理由がある筈です。その理由の一つは第四の「教訓」の中に出て来ますが、その前に第三の「教訓」を読みます。:
3. Give them something to go home to.(彼らが元の所に戻るよう何かを与えよ)
「いま百三十万人のハイチ人がひどい状態のテント生活をしているが、誰も彼らが元の所に戻るように説得することが出来ない。なぜ立ち去ろうとしないのか?彼らを元に引き戻す何ものもないからだ。家が倒壊して移住を強いられた人々の多くは借家住まいで、とても不利な条件で悪い家主に借金もあり、近所に学校も診療所もなかった。皮肉なことに、テント村でハウジングとか教育とか医療が与えられている場合がある。7万のテントが供与され、NGOs から食糧や衛生キットを得ている。もしこの種のサービスが市や町や村に存在しないとなれば、テント村は彼らの半永久的な住居になるとも考えられる。」
ここで顔を出しているのは、デュヴァリエ父子(パパ・ドック、ベイビー・ドック)の名で広く知られる独裁暴政の基盤であった支配ハイチ人上層階級で、今も昔と同じく米欧の植民権力と密接な関係を保って、一般国民の搾取を続けています。大震災後、行き場所を失った被災貧民が富裕階級のゴルフ場で避難生活を始めたのですが、その多くが無慈悲にも追い出されてしまいました。最新のニュースですが、国外(フランス)に追放されていた息子デュヴァリエがハイチに帰って来た様子です。これは、昨年11月28日のアメリカ/国連主導のインチキ選挙に関連して大変なニュースなのですが、改めて取り上げます。私の目には、単にハイチに関する事件ではなく、シンボリックには国際政治史的に実に重大なニュースに映ります。その歴史的意義を、鋭敏な国際関係専門記者が明確に報じれば、一種の大スクープとなること間違いないと思うのですが。
4. Waste not, want not. (無駄をするな,貪るな)(この和訳自信なし。乞教示)
「援助金の少なくとも半分は、しばしばそれ以上さえが、間接諸経費に食われて、受け取るべき人々に多分届くことはない。こんな事が運営計略として許容されるビズネスや企業を私は聞いたことがない。同じく腹立たしいのは、時々援助金が全く立ち消えになってしまうことだ。2010年度に約束された寄付金について、ハイチは今日までその38%しか受け取っていない。災害から9ヶ月経った今も、ハイチ復興にアメリカで寄付された金の1セントもまだ支出されていない;支出承認に手間取っているのだ。あなたの予算組みがよその国の政治的気まぐれに翻弄される状況下で被災荒廃した国の再建を画策する苦労を想像してご覧なさい。」
まず、原文の[eaten up by overhead] の“overhead”という言葉、これは「ピンはね」と訳したほうが適切だと思うのですが,手許のどの辞書にもそうした意味は出ていません。ある意味で参考になるのは、COBUILD 英英辞典にある説明です。:
「The overheads of a business are its regular and essential expenses, such as salaries, rent, electricity, and telephone bills.」
これは、ビズネスのオーバーヘッドとは、元来、通常の必要経費を意味する言葉であるべきものだということです。上の第4の教訓で言われていることは、第2の教訓の「ハイチはNGOs の共和国」という表現につながります。いまハイチの復興事業を請け負っているのは大小無数のNGO たちであり、彼らが援助費の半分、またはそれ以上を食い尽くしているのです。一流NGO の職員は、一流国際的企業の職員と同じだと考えるのが一番真実に近いのです。大抵の場合、それは高収入の職業に就くことと同じなのです。行く先がコンゴであれ、ハイチであれ、彼らは土地最高のホテルに宿泊し、そこを救済事業のオフィスとして仕事をします。一流のNGO は運営をうまくやるために一流の有能な企業経営者を幹部に迎えます。そうした人々が、どのようなレベルのサラリーや出張費を“必要な(essential)経費”と考えるか、皆さんの想像に任せます。ハイチに足を突っ込んでいるNGOs や諸々の慈善団体が受け取る資金が、その使途を明らかにされないままに、ひどく浪費されている実態を、現地での個人的体験に基づいて描写報告した本が、アメリカの人類学者によって出版されています。:
Timothy t. Schwartz, Ph.D. : TRAVESTY in HAITI (BookSurge Publishing, 2008)
この中には,すぐには信じ難い事柄が多数報告されていますが、時を改めて紹介しましょう。今回の大震災以前からこの乱脈が続いているのです。震災で巨額の援助資金がハイチに集まると知って、屍にたかる蝿、あるいは禿鷹のようにハイチに群がったNGO の総数は1万を超えるとされています。希有のビズネス・チャンスだからです。
私が、ポール・ファーマーについて許せないのは、上の教訓4の終りに「あなたの予算組みがよその国の政治的気まぐれに翻弄される状況下で被災荒廃した国の再建を画策する苦労を想像してご覧なさい」と書いていることです。この人は、今、ハイチの救済復興を一手に統合している暫定ハイチ復興委員会の頭目クリントンの右腕の地位にあります。“よその国”の筆頭はアメリカなのです。他人事ではありません。自分のことなのに、さも自分が苦労して困っているように見せかけようとする、その根性の卑しさに私は嫌悪を覚えます。あなた達の故に言語に絶する苦難を強いられているのはハイチの一般民衆です。
まだ最後の第5の「教訓」が残っていますが、次回に検討することにします。
[緊急付記]
上の本文の中で
「最新のニュースですが、国外(フランス)に追放されていた息子デュヴァリエがハイチに帰って来た様子です。これは、昨年11月28日のアメリカ/国連主導のインチキ選挙に関連して大変なニュースなのですが、改めて取り上げます。これは、私の目には、単にハイチに関する事件ではなく、シンボリックには国際政治史的に実に重大なニュースに映ります。その歴史的意義を、鋭敏な国際関係専門記者が明確に報じれば、一種の大スクープとなること間違いないと思うのですが。」
と書きましたが、1月23日のマイアミ・ヘラルド紙に Haiti Action Committee という団体が『An urgent call: Return former President Jean-Bertrand Aristide to Haiti. (緊急要請:前大統領ジャン- ベルトラン・アリスディドをハイチに帰国させよ)』という一頁声明を多数の有名人の署名と共に出しました。それにはハリー・ベラフォンテやダニー・グローバーのような日本でもよく知られた名前が含まれています。私の目についた幾つかを並べてみます:Eduardo Galeano, Ramsey Clark, Ward Churchill, Ezili Danto, Bill Fletcher, Peter Hallward, Tom Hayden, Cynthia McKinney, Mark Weisbrot, Rev. Dr. Jeremiah Wright, …私にとっての驚きはガレアーノと一緒にポール・ファーマーが名を連ねていることです。これは一体何を意味するのか? 気を落ち着けて考えてみるつもりです。
藤永 茂 (2011年1月26日)
2. Don’t starve the government.(政府を餓死させるな)
です。ざっと訳出します。
「国際社会が一番よく分かっているわけではない。その土地の人々が一番分かっているのだ。私のPIHのようなNGOも,UNも他の何者も、その国の政府に代わることは出来ない。我々にはその機能がないし、いつまでもその地に留まってはいない。共同社会を建設することについて、我々は、その土地の人々と同じような身の入れ方をすることはない。そして援助が利いたにしても、その共同社会はよそ者が去る時に崩壊するわけには行かない。この点では殆ど誰もが同意見だろう。しかし、反対のアプローチがハイチ救援を特徴づけている。金の使われ方を見ると本当の話がわかる。20億ドルを超える約束された義援金のうちの僅か0.3%だけが現地の当局に渡されているに過ぎないのだ。献金主の中には、ハイチ政府は腐敗しているから,金をつぎ込んでも悪くなるばかりだとする向きもあるが、しかし、我々は、国の公営企業を弱めるのではなく、強化する必要がある。そうしない限り、ハイチはNGOs の共和国のままだろう。」
ハイチでNGO が何をしているか?これは大問題です。ファーマーが「Haiti will remain the republic of NGOs.」という時、何を意味しているのか。いま世界中の1万以上のNGOsがハイチに手を突っ込んでいるそうです。膨大な額にのぼると期待される義援金をなるだけ多く掬い取ることを狙ってのことです。この、世界中にはびこるエヌ・ジー・オー産業の実態に、我々はあまりにも無知のままに止まっています。
以前(2008年9月10日)に、『伊藤和也さんは他のNGOに殺された』という表題のブログでNGO の問題を論じたことがありましたが、その時に私がとった否定的見解の正しさは日増しに確認され続けています。ハイチの政府の機能が壊滅状態で、震災後の救援復興が国連軍(MINUSTAH)と多数のNGOs によって行なわれている時、何故ハイチの民衆が「国連出て行け!NGOs 出て行け!」と叫んでいるのか?それには充分の理由がある筈です。その理由の一つは第四の「教訓」の中に出て来ますが、その前に第三の「教訓」を読みます。:
3. Give them something to go home to.(彼らが元の所に戻るよう何かを与えよ)
「いま百三十万人のハイチ人がひどい状態のテント生活をしているが、誰も彼らが元の所に戻るように説得することが出来ない。なぜ立ち去ろうとしないのか?彼らを元に引き戻す何ものもないからだ。家が倒壊して移住を強いられた人々の多くは借家住まいで、とても不利な条件で悪い家主に借金もあり、近所に学校も診療所もなかった。皮肉なことに、テント村でハウジングとか教育とか医療が与えられている場合がある。7万のテントが供与され、NGOs から食糧や衛生キットを得ている。もしこの種のサービスが市や町や村に存在しないとなれば、テント村は彼らの半永久的な住居になるとも考えられる。」
ここで顔を出しているのは、デュヴァリエ父子(パパ・ドック、ベイビー・ドック)の名で広く知られる独裁暴政の基盤であった支配ハイチ人上層階級で、今も昔と同じく米欧の植民権力と密接な関係を保って、一般国民の搾取を続けています。大震災後、行き場所を失った被災貧民が富裕階級のゴルフ場で避難生活を始めたのですが、その多くが無慈悲にも追い出されてしまいました。最新のニュースですが、国外(フランス)に追放されていた息子デュヴァリエがハイチに帰って来た様子です。これは、昨年11月28日のアメリカ/国連主導のインチキ選挙に関連して大変なニュースなのですが、改めて取り上げます。私の目には、単にハイチに関する事件ではなく、シンボリックには国際政治史的に実に重大なニュースに映ります。その歴史的意義を、鋭敏な国際関係専門記者が明確に報じれば、一種の大スクープとなること間違いないと思うのですが。
4. Waste not, want not. (無駄をするな,貪るな)(この和訳自信なし。乞教示)
「援助金の少なくとも半分は、しばしばそれ以上さえが、間接諸経費に食われて、受け取るべき人々に多分届くことはない。こんな事が運営計略として許容されるビズネスや企業を私は聞いたことがない。同じく腹立たしいのは、時々援助金が全く立ち消えになってしまうことだ。2010年度に約束された寄付金について、ハイチは今日までその38%しか受け取っていない。災害から9ヶ月経った今も、ハイチ復興にアメリカで寄付された金の1セントもまだ支出されていない;支出承認に手間取っているのだ。あなたの予算組みがよその国の政治的気まぐれに翻弄される状況下で被災荒廃した国の再建を画策する苦労を想像してご覧なさい。」
まず、原文の[eaten up by overhead] の“overhead”という言葉、これは「ピンはね」と訳したほうが適切だと思うのですが,手許のどの辞書にもそうした意味は出ていません。ある意味で参考になるのは、COBUILD 英英辞典にある説明です。:
「The overheads of a business are its regular and essential expenses, such as salaries, rent, electricity, and telephone bills.」
これは、ビズネスのオーバーヘッドとは、元来、通常の必要経費を意味する言葉であるべきものだということです。上の第4の教訓で言われていることは、第2の教訓の「ハイチはNGOs の共和国」という表現につながります。いまハイチの復興事業を請け負っているのは大小無数のNGO たちであり、彼らが援助費の半分、またはそれ以上を食い尽くしているのです。一流NGO の職員は、一流国際的企業の職員と同じだと考えるのが一番真実に近いのです。大抵の場合、それは高収入の職業に就くことと同じなのです。行く先がコンゴであれ、ハイチであれ、彼らは土地最高のホテルに宿泊し、そこを救済事業のオフィスとして仕事をします。一流のNGO は運営をうまくやるために一流の有能な企業経営者を幹部に迎えます。そうした人々が、どのようなレベルのサラリーや出張費を“必要な(essential)経費”と考えるか、皆さんの想像に任せます。ハイチに足を突っ込んでいるNGOs や諸々の慈善団体が受け取る資金が、その使途を明らかにされないままに、ひどく浪費されている実態を、現地での個人的体験に基づいて描写報告した本が、アメリカの人類学者によって出版されています。:
Timothy t. Schwartz, Ph.D. : TRAVESTY in HAITI (BookSurge Publishing, 2008)
この中には,すぐには信じ難い事柄が多数報告されていますが、時を改めて紹介しましょう。今回の大震災以前からこの乱脈が続いているのです。震災で巨額の援助資金がハイチに集まると知って、屍にたかる蝿、あるいは禿鷹のようにハイチに群がったNGO の総数は1万を超えるとされています。希有のビズネス・チャンスだからです。
私が、ポール・ファーマーについて許せないのは、上の教訓4の終りに「あなたの予算組みがよその国の政治的気まぐれに翻弄される状況下で被災荒廃した国の再建を画策する苦労を想像してご覧なさい」と書いていることです。この人は、今、ハイチの救済復興を一手に統合している暫定ハイチ復興委員会の頭目クリントンの右腕の地位にあります。“よその国”の筆頭はアメリカなのです。他人事ではありません。自分のことなのに、さも自分が苦労して困っているように見せかけようとする、その根性の卑しさに私は嫌悪を覚えます。あなた達の故に言語に絶する苦難を強いられているのはハイチの一般民衆です。
まだ最後の第5の「教訓」が残っていますが、次回に検討することにします。
[緊急付記]
上の本文の中で
「最新のニュースですが、国外(フランス)に追放されていた息子デュヴァリエがハイチに帰って来た様子です。これは、昨年11月28日のアメリカ/国連主導のインチキ選挙に関連して大変なニュースなのですが、改めて取り上げます。これは、私の目には、単にハイチに関する事件ではなく、シンボリックには国際政治史的に実に重大なニュースに映ります。その歴史的意義を、鋭敏な国際関係専門記者が明確に報じれば、一種の大スクープとなること間違いないと思うのですが。」
と書きましたが、1月23日のマイアミ・ヘラルド紙に Haiti Action Committee という団体が『An urgent call: Return former President Jean-Bertrand Aristide to Haiti. (緊急要請:前大統領ジャン- ベルトラン・アリスディドをハイチに帰国させよ)』という一頁声明を多数の有名人の署名と共に出しました。それにはハリー・ベラフォンテやダニー・グローバーのような日本でもよく知られた名前が含まれています。私の目についた幾つかを並べてみます:Eduardo Galeano, Ramsey Clark, Ward Churchill, Ezili Danto, Bill Fletcher, Peter Hallward, Tom Hayden, Cynthia McKinney, Mark Weisbrot, Rev. Dr. Jeremiah Wright, …私にとっての驚きはガレアーノと一緒にポール・ファーマーが名を連ねていることです。これは一体何を意味するのか? 気を落ち着けて考えてみるつもりです。
藤永 茂 (2011年1月26日)